新説西遊記

 過去からの羅針盤は未来を指し砂時計は歩みを止める






 気にしていたのは、とにかく彼が体力が無く、常に頭痛にさいなまれ、気がつけば視界の端から消えるからであって、そこに含む様なものは何もなかった。

 だから、悟浄のちょっとした見間違いから道に迷い、気を利かせた八戒が、「こっちじゃね?」と突き進んだ道が落石で行き止まり、玉龍頼んで落石を「流して」貰った先に有った村が、今まさに妖怪に襲われていて、それを撃退したはいいが、村人達から「頼むからこの村の為に残ってくれ」と懇願されて、必死にそこを抜けて、結果、辿りつく筈だった街の大分手前で野営を強いられている現在、死んだようにばったり倒れて寝ている男に言い訳をする必要も無い筈だった。

 というか、言い訳するような事でもない。
 全員の意志で、こうしてここで野営をする事になっているのだから。

 ただその際に悟空から、この辺りの詳細な地図を買った方が良いと助言されたり、むやみやたらに突っ込むのは得策じゃないと諭されたり、村人を救うのは良いが、あくまで一過性のものだと考えろと、釘を刺されただけの話だ。

 まあ、ことごとく裏目に出ているのだが。

「玄奘様、そろそろお休みになられた方がいいのでは?」
「え?」
 湯呑みを両手で抱えて持ったまま、ぼうっと踊る橙色の炎の先を見ていた玄奘は、そっと肩から毛布を掛けられて顔を上げた。
 悟浄が心配そうにこちらを覗きこんでいる。
「大分月も西に傾いてきましたし」
「そうですね・・・・・あ、交代の時間になったら起こしてくださいね?」
 野営の際は、順番に起きて見張りをする事になっている。自分も例外ではないと、背筋を伸ばす玄奘に「姫さんは黙って護られとけよ」と自分の寝床を確保する八戒に軽く言われる。
「そうはいきません」
 毛布の裾を握りしめて言えば、「大丈夫ですよ」と悟浄がその肩を押さえた。
「ちゃんと起こしますから」
「・・・・・・・・・・絶対ですよ?」
「はい。ですが、玄奘様の順番は一番最後ですから、今日は回って来ないでしょう」
「・・・・・・・・・・ていうか、いつもそうではありませんか?」

 張り番の順番は悟浄、八戒、玉龍、悟空、玄奘だ。
 大抵、悟空の辺りで空が明るくなり、玄奘が起きるのとほぼ同時に悟空がばったり倒れ込む。

 そこから、朝の準備やなにやかにやをして、皆を起こすことになる。
 その事実に思い当たり、頬を膨らませる玄奘に「そういう順番ですから」と悟浄が苦笑する。
「そーそー。毎朝、姫さんの朝ご飯が楽しみなんだよな〜俺」
 八戒、朝ですよ?なんて起こされるのが堪らないっ!
「起きないとちゅーしますよ、とか〜〜〜〜〜いいよなああああああ」
「寝言は寝てから言えっ!」
 玄奘様が穢れる!
 八戒のおかしな世界での、おかしな妄想を、冷やかな声で一蹴し、くるりと玄奘を振り返った悟浄が、ゆっくり休んでください、と神々しい笑みを見せた。
「はあ・・・・・ありがとうございます」
 お前もとっとと寝ろ、と枕を抱いて悶える八戒に彼の毛布を投げつけ、ひっくりかえって動かない悟空が生きているかどうか確かめ、玉龍に寒くないかと声を掛けて、皆のお母さんの悟浄は見張り番に付く。

 木々の間に紐を張り、幕を張っただけのそこで溜息を吐き、玄奘は皆の優しさにきゅっと両手を握りしめた。

 初めのうち、野営ではよく眠れなかったが、慣れとは凄いもので、今では多少大地が斜めでも眠れるようになった。
 鞄を枕に、毛布にくるまって横になれば、睡魔が忍び寄ってくる。夜風に揺れる天幕を見詰め、玄奘はうとうとしながらも夢の中に落ちて行った。






 ふと、風の音を聞いて玄奘は目を覚ました。
(朝・・・・・でしょうか?)
 緩やかに目蓋を持ちあげれば、周囲はまだ暗く、静かな闇が落ちていた。
 何時だか分からないが、夜明けはまだ遠いらしい。静かに身体を起こせば、天幕の下では、八戒が大の字に、悟浄がその背を折りたたむ様に、そして玉龍がネコのように丸くなって眠っている。
 関係ないが八戒の手が悟浄の額に乗っかっていて、悟浄は「すいませんすいません」と何故か謝っていた。

 起こした方が良いのだろうか。

(ま・・・・・それほど嫌な夢でもないでしょうし・・・・・
 やがて悟浄が八戒の腕を叩き落とし「そこになおれ!」とぼけた調子で告げるのを耳に、彼らと少し距離がある場所で寝ていた玄奘はくすりと笑みを漏らした。
 そっと辺りを見渡し、両手を付いて這う様に寝床から抜けだす。

 風除けの為に張られた布から顔を出せば、現在見張り番の悟空が、橙色の炎を受けて、椅子代わりに置いてある石に腰をおろして目を閉じていた。
 寝ているのだろうか、とゆっくり立ち上がれば、ぱっと薄紅の瞳が開いてこちらを見る。
「玄奘?」
「あ・・・・・ご苦労様です」
 極力音を立てない様にして、玄奘は幕屋を抜けて彼の隣に歩み寄った。
「なんだ?まだ夜明けまで時間在るぞ?」
「ええ・・・・・そうですね」
 ちらと木々に彩られた夜空を見上げれば、まだまだ明けそうもない、濃紺のそれが続いていた。
 ふうっと溜息を吐く彼女に、悟空が眉間にしわを寄せた。

「お前な・・・・・人に体調管理がどうとか、説教する癖に、こんな時間に起き出して良いと思ってんのか?」
 呆れた様な彼の口調に、「目が覚めてしまったものは仕方がありません」とむっとしながら答える。
 やや冷たい風が吹き、火に手をかざす玄奘に、悟空は目を細める。傍に置きっぱなしになっていた自分の毛布を取り出すと「風邪引くぞ」と玄奘に手渡した。
「え・・・・・」
 びっくりして目を丸くする玄奘に、悟空はやや不機嫌そうに顔を歪めた。
「んだよ・・・・・驚く事か、それ」
「いえ・・・・・毛布は悟空の数少ないお友達の一人ではなかったかと・・・・・」
「ああそうだ、そうだよ、お前の言うとおりだ、だから返せ」
「嘘です!冗談です!」

 眉間にしわを寄せて、玄奘に渡した毛布を取り返そうとする悟空から、玄奘は毛布を護るようにしっかりと身体に巻きつけて握りしめた。

「・・・・・・・・・・・・・・・」
 その時、ふわりと香ったのは薬草の香りで、玄奘は一寸目を見開いた。
(これって・・・・・悟空の香り・・・・・ですよね)
 倒れるたびに様子を見に行く玄奘は、彼から時々薬草の香りがするのに気付いていた。
 それからごくごくまれに爆薬の匂い・・・・・というか、火薬の匂い。

 火薬の匂いじゃなくて良かったと、どこか遠い所で考えながら、ぶつぶつと文句を言いながらも、傍に有った薪を追加する悟空を、玄奘はちらりと見遣った。

 ぎゅっと胸の奥が痛む気がして、何となく甘酸っぱいものが溢れてくる。
 でも、それは決して不快ではなくて、むしろ。
(暖かい・・・・・)
 身体を包みこむ様なそれに、確かに疲れているし、寝た方が良いのは分かっているつもりなのに、彼の隣が何となく居心地が良くて、玄奘は膝を抱えて強張る四肢から力を抜いた。
 悟空も、特に何も言わずに、その橙色の炎を見詰めている。

 ゆっくりと時間が流れていく。

(なんだか・・・・・)
 こんな風に隣に並んで座るのが当たり前の様な気がしてきて、玄奘は目を瞬いた。

 普段、悟空と接する時、玄奘は必要以上に緊張していた。
 八戒や悟浄、玉龍と相対する時は、それほど苦にならないのに、彼と話をする時だけ、どうしてか硬くなる自分が居るのだ。

 何故そんなに緊張するのか。

(悟空に対して負い目があるから・・・・・でしょうか・・・・・)
 それとも、彼の諫言が的を得ていて、胸に痛いからか。
 怒られれば誰だって、苦手になる。

(確かにそれもありますが・・・・・)
 それとは別に、なにかの感情が働いている様な気もしてくる。
 強いて言うなら、手放してはいけないと言う、強迫観念の様な気持ち。
(嫌われたくない・・・・・?)
 でも、それは他の従者にも当てはまる事ではないだろうか。
「・・・・・・・・・・」
 とくん、と心臓が強く鳴り、玄奘はぎゅっと毛布を握りしめ、もう一度悟空を見る。
 視線の合わない、彼の横顔が間近にある。
 彼との沈黙は本来、説教と諫言が戦ったあとに残る、居たたまれない空気に満ちた物が多く、だから、何も言わず、ただ隣にいるというのは、本来なら苦痛で有る筈なのに。

(心地が良い・・・・・)

 ただ隣に座っているのが酷く安心するだなんて。
(変ですね・・・・・)
 この位置が酷く大切で、胸に沁みる。
「・・・・・何笑ってんだよ?」
「え?」
 自分を律しなくてはならない相手に対して、こうも安堵するなんて、自分もよっぽど苦労性だと苦笑する玄奘に気付いた悟空が、不思議そうに尋ねる。
 声に刺が無く、ただ純粋に零された疑問に、玄奘は先ほどとは違う笑みを浮かべた。
「いえ・・・・・」
 それから、つと悟空を見詰め、逡巡した後、にっこりと、強調するように笑って見せた。
「何でもありません」
「・・・・・・・・・・喧嘩売ってんのか、お前」
 眉間にしわを寄せる悟空に構わず、玄奘は再び視線を炎に移した。木々を掠めて通り過ぎていく風の音や、時折鳴く虫の声。爆ぜる薪の音。
 直ぐ傍に居るのは、体調不良が如実で、頭痛持ちで、気付けばばったり倒れている様な体力に不安が残りすぎる相手。なのに、誰よりも安堵が先に立つのは何故なのか。
 護衛としては全く力が足りないどころか、明らかに数値が負の方向に落ちるような人間なのに、何故こうも安らげるのか。

「おい」
 判りませんね、と一人ごちて、玄奘は目を閉じる。悟空の制止が聞こえた気がするが、何時も勝手に意識を失って、自分に心配を掛けるのだから、たまには良いじゃないかと、緩んだ意識の縁で考える。
 悟空の肩に凭れかかる玄奘に、男は呆れたように目を見開き、「玄奘」と何度か彼女の肩を揺さぶる。
 だが、彼女は嫌がるように悟空の上着を掴み、ぎゅうっと抱きついてくる。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 直ぐ傍に、彼女の体温が触れている。
 焦るのと同じくらいの勢いで、くすぐったいような心地よさが溢れて、悟空は溜息を吐いた。

 まったく、この女は何を考えているのやら。

 つと視線を落とし、間近に見た、玄奘の安らか過ぎる寝顔にそっと指を伸ばし、頬を突けば、更にすり寄ってくる。
 再び溜息を零して、悟空は不安定に揺れる玄奘の身体を抱き寄せた。
「ったく・・・・・」

 持ち上げて、幕屋まで運ぼうか。

 そう思案している間に、玄奘の身体から力が抜け、傾いでいく。

「おいおい」
 慌てて支えるが、急速に眠りの淵を転がり落ちていく彼女は起きやしない。寝たいのは俺の方なのに、となんとなく苦く笑いながら、仕方ねぇな、とぼやくように告げて、男は彼女を膝の上に抱えあげると両腕をまわして抱きこんだ。


 本当に危なっかしい。

 苦労するのも迷うのも判っているから、先回りをして助言をするのに、この女はまるで聞きやしないのだ。
 何事も、やってみて、そして初めて一喜一憂する。
 この旅の仲間たちの誰よりも年嵩の男は、そんな彼女の仕草に、密かに頭を抱えているのだ。

 いけすかない天界の連中が何を考えているのか判らない。
 五百年前に何が有ったのか。
 玄奘よりはよっぽどよく知る自分ですら、天界の連中が「彼女」にさせようとしている事に、何故か背筋が寒くなるのだ。
 彼らは何を考えているのか。
 そして、腐れ縁の楊漸が、時折見せる視線の意味や思わせぶりな言動は何なのか。

「・・・・・・・・・・」
 思い出せそうで、思い出せない、もどかしさが心のどこかに残っている。
 それを引きずり出そうとすると、頭が割れるように痛むから、半ば投げやりに考えるのを放棄しているのだが、振り回される玄奘を見ていると、手を貸してやりたくなるのも、人情だろう。
 彼らの思惑に乗るのが嫌で、出来る事なら職務放棄をしたい旅だったが、一所懸命な玄奘に、大分絆されかかっている自分に気づき、苦笑する。

 天界の連中がどうなろうが知った事じゃないが、玄奘が目に見えて苦労するのは、何となく面白くない。

「本当に判ってんのかねぇ・・・・・」
 苦い溜息が零れ、転びそうになる前に教えてやるのは良いけれど、素直に聞けよな、と彼はこつんと彼女の額を小突き、支える腕に力を込めた。






 本当によく眠れた。
 目蓋の裏が明るくなり、はっと目を開けた玄奘は「起きたか」という掠れた悟空の声に、固まった。
(直ぐそこで悟空の声がしましたが一体!?)
 触れるのは、木の根や岩の様な硬い感触ではなく、温かく生きた鼓動がするもの。ようやく態勢を立て直した玄奘は、ふわああ、と欠伸をする悟空の腕の中に居て、目を白黒させた。

「こ、これは・・・・・!?」
「んー・・・・・・・・・・じゃ、おやすみ」
「ええ!?」
 空にはまだ太陽は昇っていないが、白々と明るい。悟空の毛布を身にまとった玄奘に向かって、彼がゆっくりと倒れ込み、支える玄奘は酷く焦った。
「ちょっと・・・・・悟空!」
 せめて幕屋に戻って寝てくださいっ!
 肩を押しやろうとすれば、逆に抱きこまれてしまう。膝に彼の頭が落ち、腰を抱かれた玄奘はしばらくその、赤い髪の毛を呆気にとられて眺めた後、ふうっと全身で息を吐いた。

 一体どこで自分は寝ていたのだろう。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 まあ、ちょっと考えれば判ることだ。

 悟空に縋りついて寝ていた自分に、彼女はぶんぶんと頭を振ると、朝まで同じ寝台に居た事もあったし、今更大したことじゃありません、と無理やり自分を納得させた。

 ただ、一晩中抱いていてくれたおかげなのか、違うのか、妙に気持ちがすっきりしている。

 やがて膝の上で寝息を立てる男の、その癖っ毛に手を伸ばし、梳きながら玄奘は溜息を吐いた。


 そこには、呆れや安堵のほかに、やや熱いものが混じっている事に、八戒とは違う玄奘は気付かない。

 ただ、妙に胸が暖かいことが心地よくて。

 夜が明けて、次の一日が始まろうとしている。
 今日は悟空に優しくできるでしょうか、と彼女は自嘲気味に・・・・・でも酷く楽しそうに思うのだった。





















 似たようなシチュが続いてますねスイマセ(汗)
 時期的にはまだ、二人とも己の気持ちに気付いてない感じで(4話〜7話の間くらい?)

 タイトルで三十分悩んでこれか・・・・・ていうのは内緒にしておいてください orz

(2011/02/24)

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