新説西遊記
- 生贄アイデンティティ
案ずることはない、と表情の乏しい声音で囁かれ、ふっつりと糸が切れたようにその場に崩れ落ちた悟空に駆け寄った玄奘は、目を上げた。
きらきらと、陽光を跳ね返す黄金の髪。細い体格に、細い声。
記憶に有る「その方」と大分違う姿だが、感じる「絶対」の力は紛れも無く彼女が良く知るもの。
「お釈迦さま・・・・・」
漆黒の髪から、日に透ける赤茶の髪へ。纏っていた長衣の色も見知った物へと変化している。倒れ込む男の頬に手を当てて、心配そうに見上げる玄奘に、観音の身体を借りている釈迦如来は、遠い昔に観たようなふわりと温かい笑みを浮かべて見せた。
「大きすぎる力を御するのに、精も根も尽き果てたのだろう。ましてや、その者の身体は今や、人と同じものだ」
高ぶった意識、思考が均衡を保てなくても仕方あるまい。
抑揚のない声に、玄奘はほっと息を吐いた。
如来が口にするのは、真実のみ。
そこには憶測も希望も含まれない。
「・・・・・玄奘三蔵」
愛しむ様に、細い指先で悟空の額を撫でる玄奘に、釈迦如来が厳かに声を掛けた。
慌てて玄奘が居住まいを正す。
「そなたの願いどおり、三界には明確な線引きがなされた。もう、各界が過剰に接触を図る事はないであろう」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・五百年の年月の後に、ようやく得た世界だが・・・・・お前は嬉しいか?」
静かに問われ、玄奘は目を見開く。
それから、ゆっくりと頷いた。
「はい」
「後悔はないな?」
「ありません」
きっぱりと告げる玄奘に、如来は目に見えて微笑むと「ならば、その生を力一杯生きればいい」と静かに告げた。
「誰の為でもなく。生まれたからには朽ちるまで」
「はい」
本当に、お前は困った弟子だよ。
ぽつりと零された如来の一言に、玄奘は深々と頭を下げた。破門された身であるというのに、如来は玄奘を気に掛けてくれていた。
金蝉子の魂を持つ、玄奘を。
世界を巡り、大地に満ちる大気。それが揺れ動き、ほんの一時の後に、釈迦如来の姿が消える。
きらきらした光だけが、半壊した遺跡に降り注ぎ、玄奘はようやく、全身から力を抜き、長い長い吐息を吐いた。
「終わった・・・・・のですよね?」
一人呟き、そっと伏せる男の髪に指を這わせた。
「終わりましたよ、悟空・・・・・」
声に出して、そう告げて。目の前の存在が、自分と同じ「ヒト」となった事に、玄奘の胸が熱くなった。
みるみるうちに涙が溜まり、止める間もなく零れ落ちる。
「終わりました・・・・・」
声が涙にぬれ、嗚咽がこみ上げてくる。
くしゃり、と顔を歪め、溢れる涙のままに、玄奘は気が済むまで泣く事にした。
彼女は泣いていた。
透明な涙が、止める間もなく零れ落ち、顎を伝い、乾き、石ばかりが散乱する大地に吸い込まれていく。
いくつも、いくつも。
泣き顔など、見たくなかった。
笑っている顔が、見たかったと言うのに。
(こんな時まで、護ってやれないとは・・・・・)
直ぐ傍に有る、柔らかく温かい気配。
緩慢な動きで、ゆっくりと己の手を持ち上げる。ふわりと、柔らかな彼女の髪に指を掛ければ、びくりと震える。
真白くなるほど、剣を握りしめていた手がかたかたと震え、刃先から伝い、零れ落ちる男の赤に染まっていく。
何を言えばいいのか。
(お前は何も悪くない・・・・・お前も、私も・・・・・斉天大聖も・・・・・)
だから、謝罪や望みはこの場に相応しくない気がした。
「・・・・・・・・・・花が・・・・・」
全身で嘆き、悲鳴のような声が聞こえる。彼女は唇を噛みしめ、奥歯を噛みしめ、必死に声を堪えているのに、よく聞こえる。
絶叫しているのが。
だから嘆くなと。何でもない事なのだと。
お前の柔らかな心が、壊れない様に。
閻魔王の口から零れ落ちたのは、あの日々となんら変わらない、何時もの言葉。
弾かれたように顔を上げる金蝉子に、閻魔王は愛しさを込めて笑って見せた。
だから泣かないでくれ。
だから嘆かないでくれ。
後悔だけはしないでくれ。
生きとし生けるものは、生きる為に生きている。
だから・・・・・
もう忘れてはいけませんよ?
掠れ震え、嗚咽交じりに、でも静かに落とされた彼女の声に、悟空は微かに笑みを返した。
「っ」
ぽたん、と水面に水が零れるような感触に、はっと悟空は目を開けた。その拍子に、生温かいもが頬を滑って落ちていく。
慌てて己の手を持ち上げて、深く傷ついた筈の鳩尾辺りに手を添える。
乾いた衣服の感触。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
飛び起き、ぐらりと目が回る。頭痛はないが、だるさが腹の辺りに澱んでいる。だが、どちらかというとそれは、心地良い疲労感に似ていて、まるで全力疾走した後の様な心地だと、悟空はゆっくりと息を吐いた。
「・・・・・・・・・・って、玄奘!?」
先ほどまで見ていた夢。
今までは忘れる事が多かった夢が、今回ばかりは鮮明に心に残っている。
閻魔王として斉天大聖と戦い、彼の願いを聞き届け、金蝉子に会いに行った。
正確には向こうから来たのだが、望んだ結果は同じだった。
彼女に殺される。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
刺された感触も、そこから溢れた清浄なる気も、覚えている。
それと同時に、力一杯痛みをこらえて、ぼろぼろと涙する金蝉子の姿も。
(初めて・・・・・感情的なアイツをみたな・・・・・)
どれほど近くに座っていても、彼女はいつでも冷静で、大きな視野で世界を観ていた。
世界の為だけに、何もかも捨てる覚悟が有った。
それが、あの瞬間だけは揺らいでいた。
(五百年・・・・・か)
手を後ろに付いて、壊れた天井を仰ぎ見る。藍色の空が広がり、薄らと明るい。
月が出ているのだろう。
薄紅の瞳を細め、悟空は吹く風に耳をすませた。
何もかも忘れ、誰かの記憶で生きた年月。でも、それもまた、悟空の時間だ。
(忘れてたわけじゃねぇよ・・・・・)
悟空、と岩牢に現れた彼女は閻魔王に名前を付けた。
あの時、妙にすとんと名前が心に落ちたのは記憶に新しい。
(・・・・・・・・・・ま、結果的には忘れてた事になるのか?)
言えば、金蝉子は何と言うのだろうか。ただ微笑んで、仕方ない人ですね、と緩やかに告げるだろう。
では玄奘は?
「って、アイツどこ行きやがった?」
どうも寝起きで頭がきちんと働かない。
ここが天竺だと言う事、それから、驚異が去ったと言う事。その二つが悟空から危機管理能力を排除してしまっている。
玄奘の身に、何かあるとは思えない。
思えないが・・・・・玄奘は金蝉子ではない。
「しゃあねぇな」
ゆっくりと立ち上がり、彼女の気配を感じようとして、悟空は目を瞬いた。
悟空はまだ目を覚まさないし、今日はここで野営だろう。
そう決めてから、玄奘の行動は早かった。まずは火を起こす為に薪となりそうな木を集め、水を汲んでくる。
持っていた食料を確認し、袋の底から簡易の鍋を取り出して、湯を沸かす。
鍋に味噌玉を溶いて、乾燥させた野菜で温かな汁物を作り、餅を焼く。そうこうしているうちに太陽は西の果てに沈み、天竺の森には夕闇が落ちてきた。
そろそろ悟空を起こそうか。
出来れば一緒に夕餉を取りたいな、と何となく思っていた玄奘は焼けたお餅を鍋に入れた所で、ふと己の顔が大変な事になっているのを思い出した。
気がすむまで泣いた。
おもに、五百年前に流せなかった涙を、思いっきり流したのだ。
閻魔王と金蝉子の為に。
斉天大聖の為に。
あの時選んだ、どの選択肢も全てが痛く辛いものばかりだった。
悟空にとっても、金蝉子にとっても、斉天大聖にとっても。
それがようやく、昇華される時が来たのだ。
全ての終わり。
涙は溢れ、ようやく得られた、大切な人と手を取れる瞬間に、心の底から感謝した。
悟空を失うかもしれない恐怖も、今更ながらに溢れて、泣いて泣いて泣いて。
(目が腫れぼったいです・・・・・)
気付いたら日は大分傾いていて、慌てて夕餉の用意を始めたのだが、その所為で泣きはらした顔の事をすっかり失念していた。
(ちょっとなら大丈夫ですよね?)
彼女が煮炊きをしているのは、悟空が寝込んでいる半壊した遺跡のすぐ外だった。壊れた壁を抜けて、目に付いたちょっとした広場に、火を焚いている。
ちらと暗がり沈んでいる遺跡を見やり、玄奘は鍋をそのままにして、立ちあがった。
水を汲むのに使った小さな泉が、ちょっと行った所に有る。そこで、取り敢えず目だけでも冷やそう。
(泣きはらした顔・・・・・なんかしていたら、きっと心配かけますしね)
小さな布を一つ手に、玄奘は小走りでそこを後にした。
風に木々がざわめき、悟空は肌が粟立つのを感じた。
(人間・・・・・ってのは、ちっぽけだな・・・・・)
立ちあがり、遺跡から出て感じるのは、覚束ない感触。今まで、悟空は妖仙としての身体と目で世界を観ていた。
力を封じられていた所為で、体力は乏しく、疲れやすかったが、世界を見通す事が出来ていた。
だが今は、世界は不透明で未知の力に満ち溢れているように感じられる。
肌を撫でていく風一つとっても、自分が知るそれと大分違う。
音も光も闇も。
その全てが曖昧で不安定。
ぞわっと背筋に鳥肌が立ち、悟空は居心地の悪い感触に舌打ちをした。
閻魔王として過ごした時間。岩牢に閉じ込められて過ごした時間。そのどれも、自分にとって脅威となるものは少なかった。
肌を撫でる風も、太陽の光も、月の無い夜の闇も。
だが今は、どれもこれも、見知らぬ感触で悟空を取り巻いている。
(慣れるまで暇、掛りそうだな・・・・・)
それでも、またあの力を手にしようとは思わない。
長い時を生きて、望む事を忘れていた。
だが今は、望む事が山ほどある。
(取り合えず、気配を感じらんねぇから・・・・・勘に頼るしかねぇか)
火に掛けられたままの鍋を覗きこみ、餅が原型をとどめなくなるのでは、と懸念しながら悟空は足早に彼女を探しに掛った。
「大分腫れは引いたでしょうか・・・・・」
誰に言うでもなくそう告げて、玄奘は揺れる水面に顔を映す。ほんのりと辺りを明るく照らす月明かりでは、よく見えないが、瞬きをしてみて、そう重たい感じがしない事にほっとする。
念には念を、ともう一度布を水に浸し、何気なく、玄奘は胸元に視線をやった。
「・・・・・あ」
それは、何のイタズラだったのだろう。
袈裟を外し、単衣に裾を絞った袴姿だった彼女は、胸から下げていた琥珀の首飾りがするっと泉に向かって落ちるのを見た。
「っ」
落とすわけにはいかない。
慌てて手を伸ばし、掴む。間一髪掴む事が出来たが、勢い余って、ぐらりと玄奘の身体が傾いだ。
「玄奘!?」
鋭い悲鳴が上がり、悟空がその声の方向に駆けだす。
身体が軽い。
その事に驚く暇も無く、茂みを掻きわけて声がした場所に飛び出せば。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
泉の真ん中に座りこみ、全身ずぶぬれの玄奘にぶち当たった。
「・・・・・・・・・・・・・・・なにしてんだ、お前」
「オハヨウゴザイマス」
ぽたぽたと水を零す玄奘の、しょんぼりした口調に、悟空は盛大な溜息を吐いた。
「で、水に落ちた、と」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
首から落ちたのは、悟空から貰った琥珀の首飾りだった。
自分の持ち物の中で、一番大切な物。それを失くすわけにはいかなくて、咄嗟に手を伸ばしたのだ。
首飾りの留め具が緩んでいる。
玄奘に背を向けて、月明かりの下それを確認していた悟空は、微かな衣擦れの音に耳を澄ます。
ぱちぱちと薪の爆ぜるその向こうで、玄奘が濡れた着物を着替えているのだ。
「お前って・・・・・ほんと危なっかしいよな」
手持ちの工具で直せるだろうかと、思案しながら、背を向けている女に声を掛けると、言葉に詰まったかのような沈黙が返ってきた。
「そんなにそそっかしいつもりはないのですが・・・・・」
濡れた衣服は、玄奘の身体から体温を奪って行く。微かに肌寒く、乾いた布で身体の水気を拭いながら、彼女は溜息を吐いた。
「というか、わりとしっかり者の筈なんですが・・・・・」
「自己評価が高すぎるな」
お前のどこがしっかり者なんだよ。
呆れた様な口調に、思わず玄奘は振り返る。
「これでも、育った寺院では『先生』と呼ばれているんですよ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・へえ」
「なんなんですか、この微妙な間は!」
思わず声を荒げる。それからぶつぶつと文句を言いながらも乾いた衣服に手を伸ばす。
その彼女の動きが止まった。
「っ!?」
言いたい放題言われ、頭に来ていた・・・・・と言うのもある。だから、ちょっとの気配に気付けなかった。
後ろからふわりと抱きしめられて、玄奘はその場に硬直した。
一糸まとわぬ・・・・・とは言わないが、単衣を羽織っているだけで、腰ひもすら結っていない。
「ちょ!?」
いくら恋人とはいえ、突然にこんな風にされるには、心の準備が出来ていない。
真っ赤になって固まる玄奘に構わず、後ろからその、細い体を抱きこんだ男は、そっとその手を伸ばした。
「こんだけ隙だらけで・・・・・良くしっかり者だなんて言えんな、お前」
「っっっ!!」
声にならない。びくん、と震える玄奘に構わず、悟空はその脆くて華奢な身体のあちこちを確かめるように触れていく。
(何なんですか何なんですか何なんですかーっ!?
混乱の絶頂で、ぐるぐるする思考のまま胸元で単衣の袷を縋るように握りしめていると、自分を抱き込む、乾いた大きな掌にそっと腰の辺りを撫でられた。
「ひゃっ・・・・・ごく・・・・・」
くすぐったいのに、甘やかな衝撃を感じて、身がすくむ。ぎゅっと目を閉じていると、低い声が耳元で囁いた。
「怪我・・・・・はしてねぇみたいだな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・へ?」
「痛いとことかねぇか?」
触れているだけだった掌が、今度はそっと肌を押してくる。
「・・・・・・・・・・・・・・・いえ、特には・・・・・」
掠れる様な声で告げれば、安堵したような吐息を洩らされた。
「ったく、こんなに身体冷やして、風邪でも引いたらどうすんだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・はい」
「貸せ。ちんたら拭いてんじゃねぇよ」
片一方の手に握りしめていた、乾いた布を取り上げられ無造作に拭われる。
(こ・・・・・これでは・・・・・)
なんというか、犬猫と同じような扱いの気がして、ほっとするようながっかりするような微妙な心持がする。
複雑な顔で黙ってされるがままになっていると、首に馴染んだ感触の物を掛けられ、ぽん、と背中を押された。
「ほら、さっさと着ろ」
「あ、はい・・・・・」
くしゃくしゃにされた髪を撫でながら、玄奘は乾いて温かい着物をようやくきちんと着る。首に掛けてくれた応急処置の施された琥珀の首飾りを握りしめて、彼女はようやくほっと一息吐くと後ろを振り返った。
「で・・・・・どうしてこうなるのですか?」
「あ?」
先ほどと同じように、玄奘は後ろから抱きしめられている。正確に言えば、焚火の傍の木の根元に座りこんだ悟空に、抱きこまれているのだ。
「お前、濡れて冷たくなってるからな。暖めてんの」
「はあ・・・・・」
前には焚火。後ろには悟空の体温。自分の物とはまるで違う腕に囲まれて、身体が芯から解けていく様な気がしてくる。
そっと体重を後ろに掛ければ、悟空の頬が玄奘の額に触れた。
薪の爆ぜる音と、時折吹く風に、木々がざわめく音しかしない静かな夜。触れた部分から感じる温かさと、彼の持つ空気が心地よくて、玄奘はそっと目を閉じた。
悟空の手が、細い玄奘の手をぎゅっと握りしめる。
「・・・・・泣いてたのか?」
囁くようなその台詞に、玄奘はどきりとして目を開けた。橙色の炎を受けて、やや金色掛った彼の瞳が、まっすぐに玄奘を見詰めていた。
彼女の手を握りこんでいるのとは、反対の手が玄奘の目許に触れる。
「・・・・・ばれましたか」
「ばればれだっつーの」
溜息交じりに囁かれ、玄奘は俯く。そのまま、態勢を入れ変えると、悟空の胸元に顔を埋めて、しがみ付いた。
「・・・・・玄奘?」
「私は・・・・・金蝉子とは違います」
静寂に満ちた世界に、その声は酷く鮮明に響いた。玄奘の手を握りしめる悟空の掌に、僅かに力が籠る。
「それでも、彼女の魂を受け継いでいるのですから、そこに有った哀しみについては・・・・・良く判っています」
一番身近で、一番助けたくて、愛しかった存在をこの手で殺めた。
それは計り知れない哀しみで、思い出すたびに、胸を塞ぐ。
けれど。
「・・・・・でも、それはようやく終着点に辿りつきました」
そっと顔を上げ、玄奘を自分を見下ろす悟空の、その瞳を覗きこんだ。
「私は私で・・・・・金蝉子ではなくて、玄奘です。・・・・・でも、金蝉子の願いを叶えてあげても構いませんよね?」
ふわりと笑う玄奘に、悟空はすっとその目を細めた。手を伸ばして、その頬に触れる。
乾いて大きくて・・・・・決して金蝉子が触れる事の叶わなかった者の掌。
愛しさだけがこみ上げてくる。
「五百年とは・・・・・悟空にとっては短かったのかもしれませんが・・・・・私にしてみれば、気が遠くなるほどの長さです」
その果てに、ようやく『此処』に辿りつけて良かった。
ここに、貴方と共に在れて、本当に良かった。
「悟空・・・・・」
愛しています。
素直にこぼれそうになったその台詞は、玄奘の唇から落ちる前に、触れた悟空のそれによって飲み込まれる。
柔らかく重なる唇。甘く溶けていく温度。
「・・・・・五百年前に会った金蝉子は、前にも言ったように落ちついてて、儚くて、理性の固まりみたいな奴だった」
濡れた音を立てて唇が離れ、吐息が掛る位置で悟空がそっと呟く。
「どうあがいても、俺とアイツが同じ道を歩ける筈が無くて、そして、お互いにそれを識っていた」
泣きながら、剣を構えた金蝉子。
そうする事が、世界の安寧に必要だったから。
その為ならば、自分の一等大切なものをも切り捨てる。
「天界と冥界に生きる二人だから仕方ないと・・・・・どこかで諦めていたのかもしれないな」
こつん、と額が重なり、限りなく二人の距離が無に近くなる。
「触れるわけにはいかない事を、理由にして・・・・・識って居る振りをして諦めた」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「けど、お前にはもとから垣根なんか、ないんだもんな」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
しんみりと聞いていたのに、何故か落とされた気がして、玄奘はいくらかむっとする。
「普通、首飾りを落とすまいとして、自分が落ちるとか無いよな」
「悟空・・・・・それは私が落ちつきが無いとそう言いたいんですか?」
「その通りじゃねぇか」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
否定できない自分が悲しい。
だが、言われっぱなしは癪に障る。
「それはですね、悟空が下手な言い訳で、らしくない行動で、買ってくれた大事なものだから、失くすわけにはいかなかったんです。例えこの身が滅びても!」
「お前の方こそ俺に喧嘩売ってんだろ」
大体、お前が諦め早すぎんのが悪ぃんだろ!?
なんで首飾り一個と旅の重要性を天秤にかけるかね。
半眼で言われ、玄奘もムキになりかかるが、ふと表情を落とした。
「・・・・・貴方だって、二郎真君に一人で会いに行こうとしてたじゃないですか」
「・・・・・ま、そう言うわけだ」
「は?」
無理やり繋げられ、目が点になる玄奘に再び口付けて、悟空は愛しそうに彼女をぎゅっと抱きしめる。
「あの時・・・・・望む物が世界ではなくて、金蝉子だったら・・・・・同様に金蝉子が求めるものが俺だったら、きっと結末は変わってたのに、それが俺達にはその垣根を壊せなかったってだけの話だ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「お前がいてこその、世界・・・・・なのにな」
酷い遠回りだよな、と苦々しく告げる悟空に、玄奘はじわじわと涙が溢れてくるのを感じ、慌てて彼の上着に顔を埋める。
「本当です。どれだけ馬鹿なんですか」
「・・・・・・・・・・・・・・・理性的だったと言ってくれないか」
てか、お前にだけは馬鹿とか言われたくねぇし。
苦々しく告げる男に、女は縋りつく。
「もう、忘れては駄目ですよ」
玄奘の口から、彼の時間と同じ台詞が零れ、はっとしたように悟空は目を見張る。
「私にとっても・・・・・貴方が居るからこその世界・・・・・なんですから」
だから消えないで。
ここに居て。
「わーてるよ」
くしゃりと玄奘の髪を撫で、悟空はゆっくりと空を仰ぐ。
庇のように張り出した木々の、その隙間から月が見える。ちらちらと淡い光が降り注いでくる。
「・・・・・差し当たっては、早いとこ八戒や悟浄と合流しねぇとな」
「はい」
「・・・・・このまま寝とけ」
抱いててやるから。
溶けそうなほど甘く囁かれて。
身体から力を抜くと、彼女はひとつ、こっくりと頷いた。
楔は外れ、運命の輪は回り始める。
本当に長い長い遠回りだったと、彼女は幸せの淵にそう思うのだった。
ただ単に月夜に沐浴してる玄奘(裸☆)を後ろから抱きしめる悟空、ていうコンセプトで始めた筈がこのような結果に・・・・・ orz
だらだら長くてスイマセン(汗)
(2011/02/19)
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