新説西遊記

 乾坤一擲






 望み通り、全力でぶつかってやろうじゃねぇか。


 物騒に笑う男が、天に向かって声を張り上げる。「木叉」と。
 彼の叫んだ名前に、楊漸の目が大きく見開かれた。彼にとって馴染みの有る名であると同時に、今ここで、彼の口から聞きたくなかった名前でもあった。

 何もかも失う。
(・・・・・失う?)
 彼が叫んだ一瞬の間に、楊漸は寒気を覚えた。

 失う物など何もない。
 五百年の時の彼方に、一等大切なものは失くしてしまったのだから。

 だから、自分には何もない。
 虚ろで空虚で空っぽで。

 なのに、何故こんなにも恐怖を感じるのか。


 思考が定まらない。一点の曇りも無かった筈の感情に、ぽつりと黒い染みが出来る。

 その瞬間、彼―――悟空を取り巻く空気が爆発的に変わった。




 煌々と光が立ち上る。魔を根本とする力が溢れる。けれどそれは、冥界にあった時に感じた、総毛立つような胸の悪くなるような瘴気とは全く違っていた。

 それすらも凌駕する、圧倒的な力。

(っ―――)

 立っていられない。髪と服を嬲る強い風圧に、玄奘は思わず立てた錫杖に縋りつく。反射的に瞑った目蓋をどうにかこうにか開ければ、青白い光が悟空の足元から立ち上り、渦を巻いて天へと立ち上っていた。時々ぱしりぱしり、と空気の鳴る音がし、蒼緑の火花が散っている。

(凄い・・・・・)
 足がすくむほど強大な力。なのに、目が離せない。

 螺旋を描く光の中央に、凛と立つのは、本来の力を取り戻した一人の男。

 立ち上る巨大な力の中心で、上を向いたまま目を閉じている。黒く染まった髪が、白い長衣が、光に圧されてはためいている。

 ゆっくりと目を開ける。

 どの宝玉よりも紅い瞳が、ゆらり、と金色の焔をともして、相対する男へと落ちた。

「楊漸・・・・・」
 低い声が紡ぐ、一人の仙の名。
 整った鼻筋。冷たい眼差し。煽る様な光の中で、その表情はどこまでも冷たく、静謐だった。

「っ・・・・・」
 今まで、余裕でその場を支配していた仙人が、いとも簡単に飲まれそうになる。足が勝手に引こうとするのに気付き、楊漸は己の手を力一杯握り締めた。

 ひるむな。

 その紅い瞳に、どれだけの憎しみを募らせた事か。その容姿に、どれだけの怒りを感じた事か。

 目の前に居る、かつての力と記憶を取り戻した男こそが、自分が憎んで余りある、「閻魔王」ではないか。

 それなのに、何故冷や汗が止まらない。
 恐怖が止まらない。

(私もやきが回ったかな?)
 何とか平静を保とうとして唇も噛みしめる。ここ何百年も味わった事の無い血の味が、口に広がり、楊漸は握りしめた拳を震わせた。

「・・・・・・・・・・・・・・・」
 自分の身体の奥底から溢れて零れ落ちていく、強大な力。
 意図せずして、世界を破壊できる、最強の力。

 それを制御するのに、悟空は「閻魔王」として随分苦労していた事を思い出した。
 感情のままに扱えば、要らぬ「面倒」を引き起こす。だから、極力感情的にならない様にと、配慮していた。
 普段の生活に差し障りは無かったが、天界との戦争がはじまると、途端、冥界の空気は「戦闘」重視に置き換わり、触発されて、力の加減を間違えかねない日々が続いていた。

 緊張の連続。

 その中で、金蝉子との時間は、本当に貴重なものだったのだ。
 持っている自分の力が、彼女の前では凪いで扱いやすかった。それは、彼女が持っている空気がなせる技だったのか。

 そんな中で、全てを解放し、ぶつかりあえる相手はほんのわずか。後はただ、持っている力で「壊さない」ように気を配る日々。


 悟空の「存在」は未だ「冥王」で、「閻魔王」のままだ。
 彼の根本をなしているのは「魔」の力。仙から妖仙へと落とされた身体。そこを巡る血が「戦え」と騒ぐのは存在からして当然のことで。
 苦笑し、悟空は自分も大概アホだな、と胸の内で呟いた。


 そんな悟空の姿に触発されて、楊漸の気が乱れに乱れている。握りしめた手が、白く震えているのを見て、悟空は目を細めた。
(揺れてる・・・・・な)

 苦い笑みが、唇に漂う。力の溢れる手を、胸に当てれば、ちりっと痛みが走った。

 意識など無い、自己も無い、ただ「有る」事を主張する、清い光。
 自分の閻魔王としての力を封じられていては、よく判らなかった、背反する清浄なる力に、悟空は目を閉じた。

 自分に満ちる「魔」と対立する「聖」。

 それは微かに脈打ち、白々と輝いている。

(大聖・・・・・)
 目を閉じれば、からからと笑う男の姿が目蓋に蘇った。彼の記憶があってよかったと、閻魔王は心から思う。
 でなければ、自分は「あの馬鹿」を殴り飛ばす事が出来なかっただろう。

 淡く輝く光に、問う。
 記憶の中の彼が、頷くのが分かった。


「悟空?」
 止まっていた時を動かしたのは、玄奘の小さな呟きだった。目を開ければ、光の渦の向こうで、彼女が錫杖にしがみついて、こちらをうかがっていた。

 悟空。

 それが、自分の名前。

 そう。
 楊漸に復讐を受けるべき存在では、もうない。だが、彼を捻じ曲げ、歪めた自覚はあるから。
 誰が悪いわけでもない。

 悪いとすれば。

 ふっと微かに笑みを返せば、心配そうにこちらをうかがっていた彼女の顔に、安堵が広がった。
 泣きそうな玄奘の様子に、悟空は「泣くな」と口の形でだけで伝え、ひたと正面を向いた。

 悪いのは。
 全部。


「上手く扱えるかどうか・・・・・正直わかんねぇし・・・・・手加減なんざ、無理だかんな、楊漸」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「ま、てめぇも、手加減なんかされちゃ、胸糞悪いだけだろうがな」
 飄々と、いつもと変わらない口調で挑発する。飲まれかけていた男の気が、僅かに振り幅を小さくした。

 本当に面倒な奴だ。

「仕方ねぇから、全力で相手してやる。・・・・・それにな、楊漸。俺は斉天大聖と違って、お前を甘やかす気はさらさらないからな」
 可笑しそうに、胸の中の清い光が跳ねるのが分かった。抗議かもしれない。甘やかしてただなんて、と憤慨すような。

(十分、テメェはアイツに甘かったよ)

「はっ・・・・・ははっ・・・・・なるほど・・・・・いいねぇ・・・・・それでこそ復讐しがいがある」
 笑みを浮かべながら、しかし、楊漸の額にじわりと汗がにじむ。大聖は、こんな奴相手に、互角に戦ったと言うのか。
(彼は・・・・・どうしようもない男、だったからね・・・・・)
 周りの心配などどこ吹く風で。勝手に突っ走って、勝手に騒動を引き起こして。
 いつだって・・・・・いつだって、自分はその彼の背中を羨ましく見ていた。
 手を伸ばしてくれるのを嬉しく思っていた。

 壊したのはこの男。
 目の前の男。

 なのに何故、これほど恐怖するのだろうか。

 勝てる勝てない、命の保証が無い怖さではない。


「・・・・・・・・・・・・・・・いくぞ、楊漸っ!」
「――――っ!!!」

 低い声とともに、突風が吹き、ただ奔流となって立ち昇っていた悟空の気が、一点に集中して行く。溢れて零れてとめどなかった力が、意志を持ってまとまっていく。
 彼の「強さ」を叩き込まれて、楊漸が怯んだ。


(今ですっ!!)

 彼の手の内で淡く光を放っていた経典から、二郎真君の意識が逸れる。錫杖に縋りついていた手を力っぱい握りしめ、水平に持ち変える。印を切り、ひたすらに願う。


 その力を、有るべき場所に必ず返しましょう。
 ですから、こちらに・・・・・!
 我の元にっ!!


「なっ!?」
 唐突に、今までの暗い、光を飲み込む光、を放っていた水晶玉が、清らかな光を放ち始める。ふわりと二郎真君の手を離れたそれが、緩やかに弧を描いて、玄奘の元へと移動する。
「くそっ」

 舌打ちし、右手を振り上げる。あの力を、玄奘に渡してはいけない。


 ・・・・・・・・・・・・・・・何故?


 具現化した羽を凶器に代えて、玄奘を襲うとして、楊漸は自問する。


 何故だっけ?
 ああ、冥界を滅ぼすのに、あの力は必要だから・・・・・

 だから、何故?

 何故、冥界を滅ぼす必要がある?

 決まっている。天冥の戦争を引き起こして・・・・・それを止めようともがいた金蝉子と閻魔王に復讐を・・・・・


「どこ見てる!!!」

 絶叫が響き、我に返る。はっと振り返る楊漸が見たのは、地を蹴って、一直線に自分に向かってくる閻魔王の姿で。

「何が復讐だ・・・・・何が冥界を滅ぼすことだ・・・・・んなこと、斉天大聖は望んでなんかいやしなかったってっ」


 紅い瞳。金色の焔。圧倒的な力。
 冷たい眼差し。冷たい表情。
 知っている、知らない顔。


(ああ・・・・・)

 自分に全力で挑む男に、楊漸はようやく思い当たった。

「何度言や、分かるんだよっ!!!!」


 拳が振り上がる。奥歯を噛みしめる男が見える。

 だるそうで、やる気が無くて、終始「どうでもいい」と「めんどくさい」を繰り返す男。
 何も変わっていなくて、でも何もかも変わっていて。
 友人だと錯覚しそうになって。

「歯ぁ食いしばれっ・・・・・楊漸っ!!!!!」



 分かった。



 重い重い一撃を喰らい、吹っ飛ばされながら、楊漸はようやく恐怖の正体を知った。



 自分はまた、失うのが怖かったのだ。
 背を向けられるのが。
 離れて行かれるのが。

(本当に・・・・・)


 唯一無二の親友を殺した男を・・・・・自分は又、友人の様に感じていたから。

 大聖と違って、やる気の欠片も無くて。だるそうで適当で。「どうでもいい」と「めんどくさい」と「眠い」と「アホ」だの「馬鹿」だの口が悪いこの男が。

(大馬鹿だな・・・・・私は・・・・・)


 憎んでいるのに、羨ましくて。
 嫌っている筈なのに、気になって。
 彼は大聖とは違うのだと腹が立つ半面、違ってくれてよかったと、安堵する自分もいて。

 瓦礫に突っ込む身体の痛みよりもなによりも。
 自分の最も大切だった友人の所為にして、世界を壊そうとした自分の弱さが、痛くて。


 誰が悪いわけでもない。


 壊れた天井から差し込む光の下で、張りつめていた男の気が緩んだ。
「あ〜〜〜〜、うっぜぇ・・・・・」
 痛ぇし、力加減わかんねぇし・・・・・てか、これホントに俺の力か?

 ぶつぶつと文句を垂れる男に楊漸は全身から力を抜いた。


「悪いのは・・・・・自分・・・・・か・・・・・」





 俺は金蝉子の意見に賛同する。アイツについてくことにしたよ。

 笑顔を見せた斉天大聖の、屈託のない台詞に、楊漸は寂しさと不安を感じた。
 置いて行かれると言う寂しさと、大聖が居ない事でまた、迷子になるような気持ち。

 それを無理やりねじふせて、大人の対応をしたと思う。

 だが、あの時・・・・・自分はずっと後悔していたのだ。

 もしも。
 もしも、ならば、私も付いて行くよと言っていたら。

 彼の手を離さなければ。


 大聖を殺したのは、金蝉子でも、閻魔王でもなく、もしかしたら自分だったのではないだろうか。



「・・・・・・・・・・アイツを殺したのは、俺だ」
 よろけるようにして、瓦礫から這い出す楊漸に、悟空はがしがしと頭を掻きながら告げる。心底、うんざりしたような表情で。
「お互い、その為に戦ったんだから」
 悟空の中の清浄なる力がふわりと熱くなる。
「そんなこともわかんねぇなんて・・・・・ホンモノの馬鹿だな、お前」
「・・・・・・・・・・・・・・・君に、言われると腹が立つね、悟空」
「んだよ。その通りじゃねぇか」
 肩をすくめる悟空に、楊漸はふと笑みを浮かべた。
「はは・・・・・そうかな・・・・・」
「大体、人に迷惑かけ過ぎなんだよ、お前は」
 最大級に厄介な奴だよな、ホント・・・・・


 盛大に溜息を吐かれ、楊漸はゆっくりと目を閉じた。


「流石に・・・・・これはちょっときつかったからね・・・・・次からはもうちょっと小規模にするよ」
「金輪際止めろ」
 きっぱりと告げる悟空の顔はしかし、どこか楽しそうに笑っているのだった。
























 最終話の悟空対楊漸戦です><(真君END観てないので、色々間違って微妙かもしれないです・・・・・)
 超☆捏造!

 悟空と楊漸の関係って割と特殊な友情だよなぁ、ていうか、歪んでるよなぁ、と(笑)
 ちなみにBGMは「ぎがんてぃっくふぉーみゅら」からメインテーマ・・・・・もしくはサカナちゃんモノクロームアレンジバージョン・・・・・てか、モノクローム多くね?(旬だから?/笑)

(2011/02/18)

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