新説西遊記
- モノクローム
瞳に映っていたのは、恐怖と、怒りと、憎しみと・・・・・そして果てない哀しみのようで、肩を掴まれ、敷布に押し付けられた玄奘は抗う気にもならなかった。
炯々と、その赤い瞳は、血よりも宝石よりも紅く朱く輝いていた。
薄暗い部屋の、鎧戸がほんの少し空いた窓から降ってくる月明かりの下で、見上げる男は酷く苦しそうで、どこか痛みを必死に堪えているように見えた。
玄奘を押さえつける掌は熱く、微かに震えている。荒い吐息。どこか焦点の定まっていない瞳。
「悟空・・・・・」
掠れた声で名前を呼べば、徐々に理性の輝きと共に、血のように赤く染まった瞳が緩やかに色を失って行った。
(で、こうなるんですよね・・・・・)
もう少しだけ、このままで、と掠れた声で呟かれ、玄奘は自分とはまるっきり体格の違う、性別も違う存在に圧し掛かられて一夜を過ごす事を強要されている。
不思議と嫌な気はしない。
それどころか、どこか一人道に迷ったような様子の悟空を放ってなどおけないという使命感にも似たような気持ちがふつふつとわき上がっているのも事実だ。
八戒辺りが訊けば、こんな色気のある状況で、なんっつー勿体ない事だ、と嘆きそうだが、そんなんじゃないと、玄奘はぼんやりする思考の縁に思う。
玄奘の肩を掴んだ悟空の掌は、今までに無いほど強く、爪先が彼女の肌に食い込む程だった。
縋るように、掴まれた指先。
自分を見下ろした瞳には、確かに憎しみが籠っていて、喚いて怒鳴りたいような、芯から冷える感情が混じっていたと言うのに、咄嗟に掴みかかり、自分を害するものを排除しようとして、その相手が玄奘で有る事に気付いた途端、その掌に込められた力はがらりと様子を変えたのだ。
どこにも行かないで欲しい。
懇願にも似た声を、玄奘は訊いた気がして。
(どんな夢を・・・・・見ていたのでしょうか・・・・・)
どこにも行きません、と悟空の掌に自分の手を重ねて、玄奘は心の裡で祈るように思ったのだ。
それと同時に、ごめんなさい、とどうしても謝りたくもなって。
(なんなんでしょうか・・・・・)
糸が切れたように、崩れ落ち、柔らかな寝息を零す悟空に腕をまわして、玄奘はぽんぽんとその背中を軽くたたく。
身体に掛る重みが、不快ではない。両腕に抱き込まれている、その温度が心地いい。
ふわっと欠伸をして、玄奘は「仕方ありませんね」と小さく呟くと緩やかに目を閉じた。
柔らかな歌声が、夜の空気に溶けて零れていく。
ふと、目を覚ました悟空が僅かに身じろぐ。緩やかに流れていた歌声がふと止まり、男は薄らと目を開けた。
「悟空?」
微かな声が耳を打ち、まだまどろみに意識を残したまま、悟空は周囲を確認した。自分の身体の下に、酷く温かな塊が有る。柔らかく身体に馴染む感触。
新手の枕か湯たんぽか。
(やべ・・・・・気持ちい・・・・・)
ぎゅっと抱き込むと、微かに「それ」が緊張するのに気付き、もぞもぞと動くのが分かる。
「悟空?」
「・・・・・生き物?」
「・・・・・・・・・・まあ、大きく分類するなら、生き物ですね、私も」
犬か猫か?とぼけた頭で考えていると、不意に耳のそばで甘い声が響き、ようやく彼の脳が起動しはじめる。
「って、玄奘!?」
「・・・・・・・・・・おはようございます」
まだ外は暗いですけど。
呆れたような、不服そうな声音が追い打ちを掛け、悟空は慌てて身体を起こした。
両腕を付いて、身体を持ち上げれば、するり、と悟空の肩から玄奘の腕が滑り落ちる。
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
自分の寝台に、他人が居て、共に温度を分けているのなんて、一体何百年ぶりか。
僅かに乱れた玄奘の夜着の袷から目を逸らし、悟空は苦いものを噛んだような顔でゆっくりと起き上がった。
そのまま寝台に座りこむ。
ふう、と溜息が聞こえ、玄奘が敷布の上に身体を起こす。
「悪ぃ・・・・・重かったろ」
「いえ・・・・・特に問題は無かったです」
しばらく落ちた沈黙ののち、出てきたのはそんな台詞。がしがしと頭を掻く悟空を見詰め、そっと玄奘が手を伸ばした。
「っ!?」
指先が腕に触れる。ばっと身を引く悟空に、玄奘は目を丸くした。それから、ちょっと困ったように笑う。
「震えてましたから・・・・・眠りに落ちる直前まで」
ですから、大丈夫なのかなぁ、と。
「え?・・・・・ああ・・・・・まあ、大丈夫だろ」
震えは止まっている。胸糞悪い夢を見た感触は残っているが、それほど倦怠感も疲労も無い。
どこかすっきりしている寝ざめに、悟空は一寸驚いた。
「夢は・・・・・見ましたか?」
「・・・・・・・・・・いや・・・・・今は見なかった、かも、な」
額に手を当て、頭が痛まない事に目を瞬く。
「それは良かったです」
抱き枕に徹した甲斐が有りましたね。
くすりと笑う玄奘に、悟空はすっとその薄紅の瞳を細めた。それから、長い長い溜息を吐く。
「悪かった・・・・・もうやんねぇよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
ばさり、と足元に丸まっていた毛布を引っ張り上げ、首筋に手を当てたまま、悟空は玄奘を見る。
「から、お前はもう部屋、戻れ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
やっぱりどう考えても不味いだろ。例え色気の欠片も無い理由でこんな事になっているのだとしても、他人が見たらどう思うか。
暗いうちに目が覚めて良かった良かった。
仙人だろうが、五百年封印されていようが、悟空は男で玄奘は女なのだから。
ひらひらと手を振る悟空を見詰め、玄奘は少し目を伏せると、寝台から降りようと敷布に手を付く。
と、ずきりと胸が痛んだ。
行っては駄目、と心の裡が声を上げる。
「・・・・・・・・・・・・・・・悟空」
「あ?」
もう一度寝なおすか、と一人分の体温を失い、やや冷たくなった敷布に横になろうとしていた悟空は、ぽふ、とその場に倒れ込む玄奘にぎょっとする。
「なっ!?」
「今夜はここに居ます」
「はあ!?」
思わず声を荒げれば、毛布をください、と玄奘が手を伸ばして彼が掴んでいるそれを引っ張った。
「って、おい、ちょっと待て!?」
「悟空を一人にしておけません」
「をい」
ふいっと視線を逸らし、玄奘は寝台の隅まで移動する。それから、じっとその透明な瞳に悟空を映す。一人用の寝台で、男は頭を抱えたくなった。
「玄奘・・・・・」
「悟空・・・・・辛そうでした。ですから、放っておけません」
「もう大丈夫だっての」
吐き出すように言えば、「そうでしょうか」と彼女はひたと見詰めてくる。
(何だってコイツ・・・・・ここまで無鉄砲なんだよ・・・・・)
溜息しか出てこない。がっくりとうなだれ、いっそ襲ってやった方が自分の身に危険が迫っているのだと理解してくれるだろうか。
「・・・・・・・・・・玄奘」
低い声で名前を呼べば、唇をへの字にした女が、ぎゅっと毛布を握りしめて見上げてくる。
「変な事しても、出て行きませんから」
「変な事されそうになる前に出て行ってくれねぇか、おい・・・・・」
「眠れない人を放ってなど置けません」
「お前はこの世の中、全部の男が眠れねぇって行ったら放っておかねぇのかよ?」
「・・・・・・・・・・訂正します。悟空を放っておけません」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
律儀に修正し、更に毛布を引きあげる玄奘に、男は呆気にとられる。
炯々と、光輝く血のような瞳。
込められているのは憎しみ、恐怖、怒り、怯え・・・・・そして、どこまでもどこまでも哀しい色。
何がそんなに哀しいのか、玄奘には判る筈が無いのに、どうしても放っておけない気になったのだ。
泣かないでください。謝らないでください。諦めないでください。
傍に居ますから。
そんな意味の判らない単語が胸に溢れては、泡のように弾けていったのだ。
悟空の為と言うよりは、自分の為に。
ここに居るのが当然だと、何故か妙に、強くそう、思ったのだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・めんどくせぇ」
じっと見詰める玄奘の瞳の強さに、悟空は説得しようとする気持ちが徐々に萎えていくのを感じた。
何を言っても平行線。
それが目に見えている。
それに、彼女を寝台に引きずり込んだのは、まぎれも無く悟空なのだ。
(頑固な女・・・・・)
再び溜息を吐き、考えるのも面倒で、どうでもいいな、と結論付ける。玄奘がここに居たいって言うし、悟空は彼女に変な事をするつもりもないし、ていうか、そんな体力も無いし、抱き枕には丁度いいのは実証済みだし。
切々と、力と時間を掛けて反対する理由が見当たらない。
まあ、明日面倒な事になるのだけは勘弁なのだが。
だから。
「・・・・・明るくなる前に、部屋に戻れよ。後が面倒だ」
「はい」
諦めて、横になる悟空の、投げ出された腕に、そっと玄奘が近寄る。一つの毛布の下に、温かさが増していく。
触れてはいない。けれど、体温を感じる距離。
ここが正解。
ふと意識に上った台詞の意味を、追いかけて考える前に、悟空は「そう言えば」と低く囁いた。
「お前、なんか歌ってたろ?」
「ああ・・・・・子守唄・・・・・とでもいいますか」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「もう一回歌います?」
くすっと笑って告げれば「まあ、悪くは無かったな」とぶっきらぼうに悟空が答える。
そっと頭を垂れて、玄奘は悟空の胸元に額を押し当てるようにする。
それから、ゆっくりと柔らかく、彼女が歌い始めた。
どこか悲しく、でもどこか明るい歌が、蒼に満ちた部屋に落ちていく。
(いつかどこかでまた会える・・・・・?)
自分の思う通りに行かない身体は、心地良い温かさと、空気に抵抗できない。落ちるように睡魔が襲ってくる。
(忘れてはいけない・・・・・こと・・・・・が・・・・・)
切れ切れに浮かび上がる言の葉を追いかけようとして、悟空はいつの間にか深く温かい闇に落ちていくのだった。
「悟空?」
そっと口ずさんでいた歌を止め、玄奘は間近にある彼の顔を覗きこむ。圧し掛かられているわけではない今は、横向きに、一見すると抱き合う様になっている。
だが、二人の間には、隙間が合って、完全に触れあってはいない。
意識を失くし、縋っていた手が、理性を取り戻し、距離を取っている。
それが、何故か哀しい様な、嬉しい様な気がして、玄奘は柔らかく吐息を吐くと自分自身も目を閉じた。
(明るくなる前に・・・・・起きないと・・・・・)
一つの寝台に、男の人と寝るなんて、初めてです・・・・・
そんなどこかずれた感想を抱きながら、彼女の意識もまた、徐々に柔らかな世界に落ちて行った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はいは〜い、取り敢えずお前ら、その手にしている武器やら力やらを撃とうとするなよ、俺も堪えてんだからさ」
結局、玄奘を起こしに来た悟浄と、悟空を起こしに来た玉龍によって事態が露見し、三者三様の視線の先で、爆睡する悟空と玄奘が目を覚まして、事が面倒になるまであと少し。
「いいか、せーの、で怒鳴るぞ。腹の底から全ての感情を迸らせて、だ。いくぞ。せぇえええええぇええのっ!!!!」
沈痛な悲鳴と怒号が、宿屋に響き渡った。
空玄をやるなら、一度は通る「四話」ネタ><
素敵サイトさまでもおっしゃってましたが、何故スチルが無いんだっ・・・・・!!!!
あ、あと、玄奘が歌っていたのは「スタドラ」のサカナちゃんの「モノクローム」でお願いします(え?)
イメイジ、ということで・・・・・
(2011/02/16)
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