第一話とは呼べない短さ










 昔、その方にはとてもお世話になったんだ。

 そっと頭を撫でて告げられた、幼い頃の記憶。
 だから、何かの時に恩返しがしたいんだよ。

 微笑むのは優しかった父親。

 その父の願いをかなえるために、三蔵(みくら)玄奘はその家の前に立っていた。

 真の意味で、恩を返す為に。



 そんな崇高な気持ちでここ、天竺家へとやってきたのだが。
 そので生活をしていた四人の家人は、とてもじゃないがどうやってこの生活を維持しているのか疑問に思わざるを得ない野郎ども、だったのである。



 天竺家の朝は、恐ろしい。

「よし、これで完成」
 ミニトマトをお弁当の彩りとして加え、ぱちん、と蓋をした所で、玄奘の居るキッチンに「おはよう、お師匠様」と声が響いた。
「ああ、おはようございます、玉龍」
 振り返った先には、きちんと制服を着た華奢な少年が立っている。
「はい、今日のお弁当です」
「ありがとう」
 きちんと包まれたそれを受け取り、玉龍が朝ご飯の用意されたテーブルに着く。華奢で線も細い高校生の彼の為にと、朝からきちんとバランスの取れた朝食が用意されている。
「今日は張り切って、朝からミネストローネを作ってみたのですが、美味しいですか?」
「・・・・・お師匠様が作ってくれるものは何でも美味しい」
 スプーンを握りしめて、にこっと笑う玉龍に、玄奘はきゅんと胸が痛くなるのを感じた。

 彼が何故、玄奘を「お師匠様」と呼ぶのかと言えば。

「そうそう、今日はお店の手伝いが有るので、六時からにしたのですが大丈夫ですか?」
「うん」
「もうすぐ個展が近いですからね、気合を入れて行きますよ」
「うん」
 彼女が新進気鋭の書道家で、小さな書道教室の師匠で、そして、玉龍がそこに通う弟子だから、である。
(前から感情が薄い子でしたが、最近の玉龍の書く字にも随分と変化が表れてきていて、教える身としてはとても嬉しいかぎりですね・・・・・)
 天竺家にやってきて、彼と触れあううちに少しずつだが彼は自分に心を開いてきてくれていると思う。

 そんな一寸の変化が嬉しくて、彼女は玉龍に必要以上に甘くなってしまう所が有った。

「おはようございます、玄奘様」
「あ、おはようございます、悟浄」
 続いてその場に顔を出したのは、この街の犯罪者と言う犯罪者を一掃し、住みよい街づくりを目指す刑事で、二男の悟浄だ。
 彼とは昔ちょっとしたことがあって、以来、「玄奘様」と堅苦しく呼ばれている。
 年下だし、所構わずそう呼ばれるのが恥ずかしくて、「玄奘かもしくは玄奘さん、と呼んでください!」と何度言っても彼は訊いてくれやしない。
 曰く、玄奘様が居るから、自分は刑事になれたのだとかなんとか。

 決してそう言うわけではないのだが、訂正するのも暇が掛るので、最近はすっかり諦めている。

「はい、悟浄にもお弁当です。・・・・・今日は帰って来られそうですか?」
 朝食をとる時間ももどかしく、玄奘が淹れたコーヒーだけを飲みほして、お弁当を受け取った悟浄が「すいません」と眉を下げた。
「管轄で起きてる事件の目処が立たなくて・・・・・」
「事件ってこれだろ?」
 ふわあ、と欠伸交じりの声がし、振り返るといつの間にか茶の間に派手な金髪の青年が座っている。
 大学生の三男、八戒だ。
 持てるスキルの全てを「ファッション」に費やし、日々違う女の子と歩くのが基本の彼の携帯にはやたらと沢山の名前が入っている。
 大学に行って何を学んでいるのだと、時折悟浄と永遠口喧嘩をするのを、玄奘は遠くの方で見ているのが日課だった。
(ファッションに気を遣ってる・・・・・割には理解できない格好をしてるのですよね・・・・・)
 ちゃぶ台の前に陣取って、持ちこんだ鏡で入念な髪型のチェックを繰り返す八戒に、そんな事をぼんやり思いながら、玄奘は彼が点けたテレビに視線をやる。

 朝のニュースで、この近所で起きている連続殺人事件の報道が大々的に行われていた。

 ちらと悟浄を見れば、彼は渋面で画面を睨んでいる。

「難航しているのですか?」
「ええ・・・・・何とも言えませんが、玄奘様の安全のためにも、頑張ります」
「いえ、そんなピンポイントな理由で頑張られても・・・・・」
「あながち・・・・・間違いでもないよ」
 ぱくり、と今度はアジフライを齧る玉龍がじっと玄奘を見詰める。
「どういう事なのですか?」
「狙われてんの、姫さんみたいに可愛い女の子ばっかりだってことだよ」
 くるくるとコームをまわして、振り返りながら告げる八戒に、玄奘は目を瞬いた。
「殺害されたのは二人だが・・・・・その他に怪我を負った女性が数名居るんです」
「そうなのですか・・・・・」
 それはちょっと怖いかもしれない。

 テレビの中の出来事だと思っていたが、案外身近なものなのかもしれないと考えて、ふるっと玄奘は肩を震わせた。

「ま、なにはともあれ、この悟浄が必ずや犯人を逮捕してみせますので」
 玄奘様は、安心していてください。

 胸をはる悟浄は、不安に顔を曇らせた玄奘にそう告げると、ごちそうさまです、とカップを置いて、早足に玄関へと向かった。

「僕も行くけど・・・・・夜とか・・・・・出掛ける時は言って」
 お師匠様の事、ちゃんと護るから。

 お弁当を鞄に仕舞い、まっすぐにこちらを見詰めて告げる玉龍に、再び胸がきゅうんとなる。

「ありがとう、玉龍。その気持ちだけで嬉しいですよ」
「そーそー。何かったら、俺もちゃんと護るからさ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「って、なんでそこで黙るわけ!?」
「鏡を見ながら言われても説得力ありません」
「うん」
 ばっさりと切り捨て、ヒデェ!と声を荒げる八戒を無視し、玄奘は玉龍も送り出す。

 あとは、この天竺家の財産である「店」を護る男を起こすだけだ。

「よし」

 一つ息を吐き、玄奘は食器棚の横から布団叩きを取り出すときっと二階を睨みあげた。

「今日も姫さんってば勇ましいねぇ」
 腕まくりをして階段に突撃する玄奘に、八戒は苦笑する。そこまで気合を入れる必要も無いと思うのだが、そこは「呑まれたくない」という彼女の気持ちの表れだろう。

「確か昨日は、引きずり込まれて一時間、無駄にしたんだっけか」
 痴話げんかは犬も食わないって言うしね、と八戒は一人告げるとさっさと自室に取って返し、携帯でなにやら女性に連絡を取ると、「いっていま〜す」ととっとと家から出るのだった。






「悟空ーっ!!!!!!起きなさああああああいっ!!!!」
「っ!!!!!!」

 耳元で怒鳴られ、更に持っていた「武器」で叩かれる。引かれていた筈のカーテンは勢いよく引きあけられ、ついでに窓も全開にされる。
 そこここに本やら書類やらが散らばるその部屋の主は、繰り広げられる毎日の攻防戦と同じように、しっかりと布団にもぐりこんで、上掛けを掴んでいる。
 梃子でも動かない気らしい。

「悟空!もう八時ですよ、八時!店を開けるのは十時の筈でしょう!?早く起きて支度を始めてくださいっ!!」
 布団を引っ張られるも、中の住人は意地になってそれを死守する。何やらうめき声が聞こえるが、何を言っているのか判別不可能だ。

「悟空!」
「っせーなー・・・・・近所迷惑だろ・・・・・」
「誰の所為だと思ってるんですかっ!」
「俺の所為」
「分かってるなら、そこから出て起きて顔洗って開店準備をしてくださいっ!」

 やや聞きとり易い声で告げられ、それでも動かない塊に、玄奘は容赦なく続ける。
 ここで負けてはいけない。いつもと同じ結果になってしまう。

「良いんだよ今日は・・・・・」
「え?」
 投げやりに言われた台詞に、玄奘の布団を掴む手から力が抜ける。
 これ幸いと、悟空が布団を頭からかぶりなおした。
「今日は良い、とはどういう意味ですか?」
 むっと眉間にしわを寄せて尋ねれば「今日は」と胡乱気な声が答えた。
「定休日だ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
「定 休 日 」
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」

 何が定休日だ。

「それを言うなら、ほぼ毎日定休日じゃないですかああああああああっ!!!!」
「うわっ!?」

 火事場の馬鹿力という奴だろうか。それとも、一瞬だけ悟空が油断した所為なのか。彼が引きかぶっていた布団は綺麗に引っぺがされ、朝の心地よい空気にさらされて、悟空が苦々しい顔で玄奘を見上げていた。

「んだよ・・・・・うちは、定休日に仕事して、仕事する日が定休日だって五百年前から決まってんだよ」
「何の決まりですか!ていうか、五百年も続く店じゃないでしょう!?」
「馬鹿だな、お前・・・・・この店は、由緒ある五行山で修業した僧の友達の甥の孫がうっかり掛った風邪を治した薬師の友達の子供が、校医の孫と結婚して出来た家の隣に住んでた薬屋と遠い親戚なんだぞ」
「限りなく五行山とは無縁じゃないですかっ!!!!」
「ま、そうとも言うな」

 ふわああ、と欠伸をする赤みがかった茶色の髪の青年は、天竺家の長男でこの天竺薬局の店主だ。

 薬剤師の資格の他に、インターンとして医師の経験もあるのに、何故か家に引きこもり、ニートまがいの暮らしを満喫していたりする。
 そんな、この家で一番の才能の無駄遣い男が、何故なのかどうしてなのかどういうわけなのか、玄奘の恋人だったりするから、世の中は不可解だ。

(いつの間にか・・・・・本当に、自覚無いうちに、一番に頼ってるんですよね・・・・・)
 こんなどうしようもない男に落ちるとは、と溜息の一つも吐きたくなる。それでも、彼が一番なのだから、仕様が無い。

「ほら、起きてください」
 放っておくと、そのままベッドに座りこんで寝られそうな悟空に、玄奘は慌てて声を掛けた。肩を掴んで揺さぶる。
「今日こそお店を開けないと!悟浄のお給料だけに頼ってるわけにもいかないでしょう!?」
「んー・・・・・」
「少しはやる気をみせてください!玉龍が不良になってしまいますっ!」
「あー・・・・・それも人生には必要な通り道だな、うん」
「寝言は寝てから言ってください!」
「いや、俺寝てるし」
「起きろーっ!!!」
「っせー」

「!?」

 しまった。不用意に接近を許し過ぎた。

 半眼で見詰められ、気付いた時には腰を抱かれて巻き込まれている。
 がっちりと両腕にホールドされた玄奘は、昨日と同じくベッドに横倒しにされ、もがけども叫べども、脱出が不能な状態に陥っていた。

「昨日と同じミスするなんて、お前もいい加減お人好しだよな」
 それとも何か?襲われるの狙ってんのか?

 掠れた声で言われ、かあっと玄奘の顔が熱くなる。

「寝たりない為だけに人を布団に引きずりこむ男の言う台詞ですか、それっ!」
「いや・・・・・お前が良いってんなら吝かでも無いぞ、俺は・・・・・」
「真顔で何を言ってるですかっ!!!!」

 悲鳴を上げる玄奘に「んじゃ、二度寝な」と色っぽくもなんともない口調で吐き捨てて、悟空は自分の安眠を唯一妨害する(前は悟浄だったが、玄奘が来てからはその座を明け渡したらしい)存在を封印して再び惰眠を貪り出すのだった。

「って、第一話の引きが朝ってどうなんですか!?事件の一つも起きてません!!!ていうか起きなさい悟空っ!!」
「口塞がれたくなかったら黙ってろ」
「!!!!」

 セクハラ、という絶叫もイマイチ効果を発揮しない天竺家の朝なのだった。


















 続き・・・・・は気が向いた時に有ると思われます(笑)

(2010/02/19)