新説西遊記

 進行形の雨





 きゃー、と歓声にも似た声が響き、自室で薬の調合をしていた悟空は、おやっと窓に視線をやった。
 天秤ばかりの皿に、乾燥した薬草の粉末を乗せて、重さを図る。細かな数字の調整は肩がこる。
 薬匙を置き、悟空は量ったばかりの薬が飛ばないように紙に包むと、大きく伸びをした。

「ごくうーっ!」
 せわしない足音が廊下を辿り、扉を叩くのももどかしい様子で、ばん、と勢いよく戸が開く。
 転がり込んできた少年は、両手いっぱいに白い布を抱えていた。

「あめ、ふってきたよ」
「あ?」
 ふわりと湿った空気が、窓の外から流れ込み、男はばらばらと桟に当たる雨の音を訊く。

「おせんたくもの、ぬれちゃう」
「げっ」

 続いて顔を出した少女もまた、白い布やら洗いたての着物やらを手にしている。

「から、俺達とりこんでやったぜ!」
 元気が取り柄の少年がぱっと顔を出し、得意そうに笑うのに悟空はがりがりと頭を掻いた。

「玄奘は?」
「玄奘せんせー、いないー」
「居ない?」
 足元にじゃれつく子供達を引き連れて、悟空は庫裏へと向かう。裏口から子供たちが次々に洗濯ものを運んでくるのが見えた。
「これで全部か?」
「うん」
「よし!お前ら、よくやった」

 腰に手を当てて、ちまちまと眼下に並ぶ子供たちを褒めれば、再び歓声が上がる。
 ぴょんぴょんととび跳ねてはしゃぐ子供たちに目を細め、それから悟空は開きっぱなしの裏口に視線をやった。

 通り雨らしく、しかれた砂利が降る雨に叩かれて真白いしぶきを上げている。空は重苦しい鈍色だが、風が強いのか大急ぎで空を横切っている。そう長雨になる様な気配ではない。

「おい、玄奘がどこ行ったか、見てる奴いねぇか?」
 たたきに降りて庇越しに空を見上げている悟空を真似て、子供たちも足元にたむろしている。
 声を掛ければ、栗色の髪をきちんと編み込んだ少女が「あっちの林のほうに歩いて行ったの、みたよ!」と手を挙げた。

「・・・・・たく、しょうがねぇなぁ・・・・・おい、公喜」
「はい」
 一番年嵩の少年に、生乾きの洗濯物を干した後、昼寝させろと指示を出して、悟空は手近にあった傘を取り上げる。
「悟空は?」
「玄奘探してくる」
 どーせ、雨に降られて動けなくなってんだろ。
 めんどくせぇ、と溜息交じりに零しながらも、悟空は心持ち急いで、目の前に広がる薄らと暗い林へと足を向けた。





(雨が降るなんて、悟空は一言も言ってませんでした・・・・・)
 むう、と頬を膨らませ、玄奘は大きな樹の根元に座りこんでいた。でもそう言えば今日は朝から忙しくて、悟空とゆっくり話をする間も無かった事にも気付き、果たしてこれでいいのだろうかと玄奘は溜息を零した。

 相変わらず悟空の生活態度は「ぐうたら」だ。やらなくていい事は徹底してやらない。
 その代り、やらなくてはならない事は、きちんとやってくれる。
 生来生真面目で、世話焼きなのだろう。

(・・・・・・・・・・・・・・・)
 ぼんやり降る雨を眺めながら、玄奘は記憶の底に仕舞いこんである、色褪せた光景を引っ張り出した。

 五百年も昔の話。今の自分とは程遠い、前世で有る金蝉子の記憶。

 雨降る天竺の、その木の下で、閻魔王は穏やかに笑っていた。
 彼の持つ、強大な力。それを怖いと思った事はただの一度も無かった。更に言えば、冥界の王でもある筈の彼に、恐怖を抱いた事も無かった。

(それは、彼が無益な殺生を好まない、生真面目で世話焼きな性質だったから、なのでしょうね)
 金蝉子の記憶の中にある、斉天大聖もそうだ。
 なんだかんだと、明るく前向きで強く純粋で裏の無い彼も、生真面目で世話焼き。

「・・・・・・・・・・・・・・・それがどうして足して二で割ると『面倒』が口癖のぐうたらになるのでしょうか・・・・・」
 それが不思議でたまらない。

 二人の良い所を寄せ集めれば、限りなく聖人君子に近くなる気がするのに、何故?

「二郎真君の趣味でしょうか・・・・・」
「心配して迎えに来て見れば、何失礼な事考えてんだよ」
「あ」
 はっと顔を上げると、傘の下で仏頂面をした悟空が立っている。苦々しいその表情に、玄奘は曖昧に笑って見せた。
「最近、いらっしゃいませんね」
「来なくていい」
 一刀両断し、悟空は空を見上げると傘と畳んで玄奘の隣に滑りこむ。そのまま座りこむ彼に、立ち上がろうとしていた玄奘は目を瞬いた。
「あの?」
「疲れた」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 は〜、やれやれ、とおじいちゃんのような台詞を零す悟空に、玄奘は呆れると同時に吹き出す。
 くすくす笑う彼女を渋面で見詰めた後、悟空はゆっくりと手を伸ばして彼女の頭を引き寄せた。
「っ」
 首筋に、乾いた彼の指先が触れ、柔らかく撫でていく。
「くすぐったいです」
「くすぐってんの」
 抗議にめんどくさそうに答えて、悟空は彼女の額に頬を寄せた。
「で、なんだってこんなとこに居んだ?お前」
「ああ」
 雨が降るなんて知らなかった玄奘は、そういえば、この辺りに薬の材料になる花が咲いているのを思い出したのだ。
「使えるかどうか、悟空に判定してもらおうと思ってちょっとだけ採りに来たのですが、運悪く雨に降られてしまいまして」
「五行山の方に雲が掛ってっから、近いうちに雨降るって言わなかったっけか?」
「聞いてません」
「そうだっけ?」
 声に微かに刺が有る気がして、ちらっと視線を落とせば、玄奘の唇が微かに尖っている。口角が下がっている彼女に、悟空は小さく吹き出した。
「なんですか?」
「そんなに雨に降られたのが不満なのかよ?」
「そうではなくて・・・・・」

 彼の上着を握りしめて顔をあげ、玄奘は「今日は悟空とちゃんとお話してないなぁ、と思ったものですから」と低い声で切り出した。

「あ?」
「・・・・・・・・・・今日は朝から、上の空でしたよね?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 そうかもしれない。
 この間都に行った際に、悟浄から教えてもらった、最新の医学書に面白い記述を見つけたのだ。
 新薬の効能と利点、それからこれからの改善点やなにかが記載されていて、自分も調合について色々と考える所が有ったのだ。

 あれをこうしたら、これがこうなって・・・・・

 自分なりに色々考え込んでいて、その法則を追いかけるのに確かに夢中になっていた。
 人間としての生を与えられたからと言って、彼が生きてきた千年近い年月が風化することはない。そこで培った知識やなにかも。
 火花が散って砕け、消えていくような人間の一生には必要ない・・・・・というか、その知識をつかって何かをはじめても終わりに辿りつかない無駄なものも多いが、溜めこんだ情報量は超一級だ。

 長い年月・・・・・それも大半を一人五行山で過ごした彼にとって、「思考」というのは一種、身に馴染んだ習慣の様なもので。
 考え込むより行動、を地で行く玄奘にしてみれば、思考の淵に浸かっている悟空は近寄りがたく、そしてなによりも面白くないものだったのだろう。

「んだよ?構って欲しかったのか?」
「そ・・・・・ういうわけ・・・・・では・・・・・」
 にやっと笑って訊けば、一瞬まごついた玄奘が、ふいっと視線を逸らした。むくれたような顔が可愛いくて、悟空はばれない様に笑う。

 雨はまだ降り続き、空は鈍色。だが、激しいばかりの雨は、直ぐに止む。

 葉の間を滑り落ちた雨粒が、ぽたり、と玄奘の頬に当たり、彼女はびっくりしたように顔を上げた。

「・・・・・・・・・・」
 つと、冷たい雫が頬を落ちていく。

 古い記憶。色褪せたそれ。封じられていた景色を思い出し、長い月日の中で、金蝉子と関わったのは本当に瞬きするほどの短さだったのに、それは鮮明に悟空の胸に残っていた。

 雨の話をした。

「!?」
 あの時、彼女の頬を落ちた雨粒を拭ったのは、強張ったような自分の指先だった。触れて良いのかどうなのか。細心の注意を払って手を伸ばした。
 けど、今は。

「なっ」
「素直じゃねぇなぁ・・・・・ったく」
 玄奘の頬を滑った冷たい雫を、唇で拭う。もっと正確に言えば、舌先。
 吸いつくような悟空のそれが、目尻に落ち、玄奘の身体が震える。
「こういうときは、構って欲しかったんです、とか言っておけ、馬鹿」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 そのまま、軽い口付けが目蓋や額や頬に落ちて、悟空の服を掴む彼女の指先に、更に力が籠っていく。
「悟空・・・・・」
「んー?」
 ちうちうと口付けを繰り返す悟空に、玄奘はぎゅっと彼の服を掴んで顔を上げた。
「もっと・・・・・一緒に居たいです」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 透明な彼女の瞳が、淡く色づいている。桜色に染まった彼女の頬。情けない様な顔をして切り出した彼女に、悟空はふっと笑みを零すと「俺もだ」と甘やかに返した。






 雨が止む前に、金蝉子はその場から立ち上がり、閻魔王に暇を告げる。
 濡れるなよ、と告げる彼に、貴方も風邪をひかない様に、と答える。

 限られた生を、力一杯生きる人間を羨む二人の、ままごとのような時間。

(このまま・・・・・私が人で、彼も人であったなら・・・・・私は彼に何と言ったのでしょうね)

 仙として長く生きてきた金蝉子には、そんな瞬間を想像することも出来なかった。





「そろそろ、雨、上がんな」
「そうですね」
 悟空の体温が心地よくて、擦りよる様にしていた玄奘はその場を離れようとする悟空に、ほんのちょっとだけ体重を掛けた。
「?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 耳まで赤くなっている玄奘に、悟空は小さく笑うと、そっと手を伸ばして頬にあてがう。
 気配を感じて、顔を上げれば、間近に迫る彼の顔。

 ふわりと目蓋をおろして、彼からの口付けを受ける。ついばむ様なそれが、やがて熱を帯びて、深く甘くなっていく。
「ごく・・・・・」
「・・・・・・・・・・このまま、ばっくれるか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 それも良いかもしれない。

 たまにはいいじゃないか。この人を一人占めするのも。

「ばっくれましょう」
 腕を伸ばして、縋りつく玄奘に、悟空は「お前も、だんだん毒されてきたな」と楽しそうに笑うのだった。
























 これも、空玄をやるなら避けて通れない雨イベント(笑)

(2011/02/16)

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