新説西遊記

 知恵者イノセンス






 迷子、というのは自覚の有無ではなく、周囲の人間の認定によるものだと、都の治安維持の為に、そこここに設置されている警吏の詰所にげっそりしながらやってきた悟空は告げた。
 本人がどう思っていようが関係ない。

 本来あるべき、居るべき場所に居ないというのは、もう誰が何と言おうと迷子だ。

 そう断じる悟空に、警吏として再び都の治安維持の為に働きだした悟浄は溜息を吐いた。



「困りました・・・・・」
 誰に言うでもなしに、玄奘はそう呟いて右を見て、左を見て、それから右をもう一度見る。
 今自分がどこの区画に居るのか分からない。

 都にやってきたのは、数えるほどに少ないわけでもなく、大通りなどはよく知っているし、自分が行く店も大体決まっている。迷う、なんてことは自分の生活圏内を移動していれば無かった筈の出来事だ。

 だが、現在彼女は迷っている。

(・・・・・・・・・・・・・・・)

 薬の卸売をしている悟空が、本当に珍しく「一緒に行くか?」と声を掛けてくれた事に、今回の外出は端を発している。
 普段、二人が暮らしている寺院の現状を考えると、和尚さまがめっきりお年を召されてから、どちらか片方が外出する際は、どちらか片方が留守番をする事になっていた。
 暗黙の了解、という奴だ。

 だが、今回はちょっと違った。
 近所の方達が寺院で催し物を行うということで、少し賑やかになっているのだ。各家々が持ち寄った物での小さな市が行われると言う事で、大人が結構沢山いる。
 悟空達も薬や何やらで参加する予定だったが、店番は子供たちと和尚さまが買って出てくれ、たまには若夫婦二人で出掛けて来いと近所の人々から口々に言われ、悟空に誘われてこうして出てきたのだが、果たして道に迷っている。

(悟空から離れたのがいけなかったのでしょうか・・・・・)

 別段、離れたくて離れたわけではない。ただ、道に迷って泣いている子が居て、悟空が雑貨屋で買い物をしている間、手持無沙汰だった、と言うのも有って、一緒に親を探したり、近くの警吏の頓所立ち寄ったりとしていただけなのだ。
 そうこうしているうちに、迷子は無事に親元に戻る事ができ、この時点で、玄奘はまだ雑貨屋に戻る事が出来た。
 だが、外で待っている筈の玄奘が居ないことから、今度は悟空が玄奘の行方を探し出し、彼女が立ち寄りそうな場所を覗き始めていた。
 だが、そこまでは、玄奘にも予想がついた。

 だから、自分の行きつけの店を回っていれば、絶対に悟空に行きつく自信はあったのだ。

 途中で、財布を落とした、と嘆く若者に出会わなければ。

 都で薬を買わないと、自分の両親には明日は無いと嘆く彼に絆されて、一緒に都の外れまで探しに言った。
 どれくらいはずれかと言うと、都の外壁の直ぐ傍、なんていう場所だった。
 そこにある、人気のない廃屋の庭に、何故か彼の財布は落ちていたのだ。

 何度もお礼を言う若者は、どうしても玄奘にお茶を御馳走したいと拝み倒してきた。
 拝まれるほど徳を積んでいるわけでもないし、いくら天竺まで旅をした伝説の三蔵法師だと言っても、お礼に家まで来てくれと散々頼まれて、立ち寄るほど厚顔ではない。
 玄奘の手を掴み、引っ張るようにして「是非お礼を!」と必死に告げる若者に、自分は特に妖怪退治などで礼金を貰う以外に、人助けをしたからと恩を受けるわけにはいかないと、切々と説いて、笑顔で別れてきたのだ。
 最後まで若者は玄奘を引きとめたが、その鬼気迫る様子に、世の中には悪い人ばかりじゃないのだと、彼女は心から感動したのだ。

 そして、彼と連れだって歩いた道を戻ってきたつもりなのだが、果たして道に迷っている。
 がっつり迷っている。

(大通りに行ければ問題は無いのでしょうけれど・・・・・)

 きちんと区画整理され、塀が張り巡らされている場所は、方向感覚がおかしくなる。
 もとからちゃんとした方向感覚が備わってないだろ、と時折悟空に怒られるのを思い出し、仕方ない、と玄奘は溜息を吐いた。

 そっと掌を開き、くっきりと残っている蓮の花の文様に目を落とす。

 旅の従者である悟空に、恐らくこの文様は反応を示す筈だ。

 どれくらいの距離で発動されるのかは分からないが、瞑想をすれば多分、大体の位地くらいは把握出来るだろう。

 そう思い、どこか静かな場所、と辺りを見渡し、玄奘はびっくりして目を見張った。

 掌がぼんやりと光っている。

「あら?」
 溢れる光を包み込む様に手を握れば、指の間から一筋の光が漏れた。
 はっとして視線を上げた先に、玄奘は旅の仲間の一人を見つけて目を輝かせた。





「いやあ、偶然ってあるもんだよなぁ。まさか、あんな所で姫さんに会えるとは、俺ってば運が良い」
 からから笑う八戒に連れられて大通りに戻った玄奘は、詰め所で悟浄と、それから彼の元に迷子云々で立ち寄った悟空となんとか再会を果たす事が出来た。

 なにやら「視察」というご立派すぎる理由で唐の都にやってきたという八戒に、悟空はどこに玄奘が居たのかを聞いて、渋面で椅子に座りこんでいる。

「あの・・・・・本当にたまたまの偶然なんです・・・・・」
 まさか、花街に自分が迷い込んでいるなんて思ってなかったんです。

 言い募る玄奘は、自分が経験した困っている人を助けた経緯を話して聞かせた。
 いかに立派な人が居たものだと。

 その話に「素晴らしいです、玄奘様!」と彼女の手を取って、目をキラキラさせたのは悟浄だけで、他二名は口をつぐんだまま、渋すぎる顔で視線を取り交わしている。

 やっぱり、分かってくれるのは悟浄だけです、とその手を握り返す玄奘を横目に、「お前さ」と八戒が胡乱気な視線を悟空に送った。

「・・・・・もうちょっと姫さんを鍛えた方が良くねぇか?」
 お前が過保護なのは前から知ってるけどよ。
「自分が一体どんな目に遭いかけたのか・・・・・まるで分かってねんじゃね?」
「・・・・・お前の国にお人好しに付ける薬が売ってんなら、是非俺にその処方箋を伝授してくれ」
 脱力しきったように机に突っ伏し、吐き出す悟空の台詞は、苦すぎる。
「・・・・・やー・・・・・無理。つか、それが姫さんの良い所でもあるとは思うけど」
「どこが良い所だ!あんなもん、悪癖だ、悪癖!」
 おい、玄奘!

 これはもう、説教するしかない。自分がいかに危険だったのか。お人好し、というか単なる馬鹿が相手で良かったが、これが「力こそ全て」を地で行くような男相手だったら、貞操の危機どころではなかっただろう。
 そこの所を分かっているのか、この女は。

 唐突に名を呼ばれ、振り返った玄奘は、ひき、とこめかみを引きつらせる悟空を前に、じりっと後ずさった。

「なんでしょう、悟空」
「お前の趣味が人助けなのはよおおおおく、分かった」
 ケドな、もうちょっと人を疑う事を覚えろ。

 びしっと人差し指を突きつけて宣言され、うっと彼女は口をつぐんだ。

「で、でも、私だって悟空の言いつけを守って、安易にお金を貸したり、立て替えたりしませんでしたよ!」
「そういう問題じゃねえ!馬鹿!!」
 それ以上にもっと危険だったんだぞ!?
「何を言うか、悟空!例え場所が花街だろうが歓楽街だろうが、我々が居る限り安全は保障されている」
「お前も寝言は寝てから言えよ、悟浄・・・・・」
 額を抑えてイライラと告げる悟空の、その薄紅の眼差しが玄奘を捕えた。
「金を貸す、立て替える以前の問題だ。玄奘・・・・・お前、一歩間違えれば、その辺の宿に連れ込まれてトンデモナイ目にあわされてたかもしれねぇって言ってんだよ」
「そんな目に遭いませんでした」
「遭ってからじゃ遅いんだよ!!!!」

 イライラしながら説明する悟空に、八戒が生暖かい視線を向けている。
 頑張れよーとか、負けるなよーとか、投げやりな意志が組み込まれている。

「だあああああもう、面倒臭ぇっ!」
 何が悪いんですか、と開き直る玄奘の手首をつかみ、ぐいっと引き寄せて、その透明な瞳を覗きこむ。
 どきり、と玄奘の心臓が強く鳴った。
「あ・・・・・ああ、あの・・・・・悟空?」
「いいか?この世の男全部、信用すんな」
「・・・・・・・・・・・・・・・悟空もですか?」
「今、ここで、口じゃ言えねぇような事をされたくなければ、俺も信用すんな」
 ぞくん、と背中が震え、顔を寄せた悟空の微かな吐息に、眩暈がする。かああ、と頬の紅くなる彼女に、「頼むから」と嘆くように告げてその肩口に額を押し当てた。

「俺の事も警戒してくれて構わねぇから・・・・・余所の男にほいほいくっついて行くな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「おーい、悟空・・・・・その台詞、憐れすぎるぞ・・・・・」
 八戒の嘆くようなそれに、「うるせぇ」と悟空は吐き捨て「どーせ、高度な事言ったって玄奘が理解できるとは思えねぇよ」とげっそりしたように呟くのだった。





「それにしても、相変わらずだな、姫さん」
「あのお人好しをどうにかしてくれ・・・・・」
「苦労してんなぁ、悟空」
 にやにや笑う八戒を睨みつけ、悟空は手元にあった杯を引き寄せた。
「けどさ・・・・・なんか安心した」
 くっく、と喉を鳴らして笑う八戒に、悟空は「何がだよ?」とアジの開きに箸を伸ばす。
「なんにも変ってねぇっていうかさ・・・・・姫さんも悟空もそのまんまで、さ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 ちらっと男を見れば、彼はなみなみと酒が注がれた器の中を覗きこんでいる。
「お前も変わってねぇだろ」
 白身を口に放り込み、何気なく言えば「ま、そうだよな」とからから笑う。
「周りがどんだけ変わろうが、自分自身も変わろうが、その瞬間瞬間は、一緒だろ」
「?」
 やや、酒気に酔った眼差しが注がれ、悟空はぼんやりと頬杖を付いたまま隣の卓を見遣る。

 玄奘が、料理を取り分けている。多分、飲んでばかりの悟空と八戒に渡す為により分けているのだろう。

「随分と、長ぇ時を生きてきたけどさ・・・・・結局、何も変わってねぇよ」
「お前が言うと説得力があんな」
 ちょっとだけ苦笑する八戒に、「そうやって生きてるからな」と悟空は杯の中身を煽った。
「たとえ変わっちまっても・・・・・その全部が自分の知ってるものと違ってても・・・・・自分が知ってる物まで否定する必要はないだろ」
 自分が知ってる物があるんなら、それを信じてやればいい。

 それは二郎真君のことか、と言いかけてやめる。

 そうやって、彼は折り合いをつけて、これから先を生きるのだろう。
「だから、何も変わってねぇんだよ」
「無理やりまとめんなよ」
 でもそうかもしれない、と八戒は笑い、「玄奘様のお心遣いを無駄にするなよ」と皿を持ってきた悟浄に絡みだす。
「つ〜かぁ〜、悟浄には〜浮いた話はないんですか〜?」
「俺は都の治安を第一に考える警吏だ。浮ついた行動など取れるわけがないだろ」
「ふ〜ん・・・・・じゃあ、姫さんは、浮ついてるんだ」
「ばっ・・・・・そんなわけが無いだろう!玄奘様はいつでも冷静沈着で、慈悲深く、困っている人には必ず手を差し伸べる寛大でお美しいお心の持ち主で」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 どこがだなにがだ人の苦労も知らないで。

 卓に突っ伏し、だんだん何もかも面倒になってきたな、と考えていると不意に隣の椅子が軋んだ音を立てた。

「疲れました?」
 見れば、玄奘がちょこんと座って、同じように卓に突っ伏している。間近に彼女の顔が有る。
 不安そうな、瞳の色。
「どっかの考えなしの所為で、派手に疲れたよ」
 嫌味を込めて言ってやれば、むうっと頬を膨らませた玄奘が、ふとその視線を和らげる。
「すみません」
 ぽつりと謝り、きゅっと悟空の上着の袖を握りしめる。目尻が赤い。
 怒られた当初は、困っている人を助けるのに、どうして怒られなくてはならないのだと理不尽な気持ちにもなったが、彼の赤い瞳に正されて、自分がいかに軽率だったのかを思い知った。

 確かに、彼の必死さ加減は不思議ですらあった。
 彼が連れて行きたがっていた方向は、何となく怪しい感じだったし。

 そんな、人を疑う様に出来ていない玄奘に、彼は「自分も含めて疑え」と渋面で言ってくれた。

 誰よりも、何よりも信じたい人に、自分も疑えなんて言わせるとは。

「精々力一杯反省してくれ」
 こつん、と軽く拳を額に当てられて、玄奘は目を閉じる。
「でも・・・・・私は・・・・・悟空になら裏切られても構いませんよ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 反応が無い。
 そっと目を開ければ、玄奘を見詰めたまま、固まっている悟空が居て。
「?」
 がばっと起き上がり、そっぽを向く悟空に、玄奘もじわじわと頬を赤くする。
 天板の上に置かれた自分の手をひっこめるより先に、そっと悟空に握りこまれ、耳まで熱くなる。
 そのまま、ぐいと引き寄せられて、肩を抱きこまれた。
「言ったな?」
 吐息が耳を掠め、低い声が身体の芯を侵す。

 喧々囂々と前と同様に生活態度云々について言い争いをする悟浄と八戒を横目に、悟空は立ち上がると、玄奘の手を引いて彼らに背を向けた。

「つーか、お前ら、程ほどにしとけよ」
「あれ?帰んのか?」

 帰る・・・・・と、いうか・・・・・

 ぱっと頬に朱の散る玄奘が、誤魔化すように笑った。
「あ・・・・・えと・・・・・あの・・・・・」
「そー」
 言葉に詰まる彼女に変わって、投げやりに悟空が答える。
 ひらりと手を上げて、「八戒はまだ都にいんだろ?そのうち二人で遊びに来いよ」と告げると、玄奘の手を引いたまま店から出ていく。

「ああ、またな〜姫さん」
「玄奘様、夜道は危険ですから、くれぐれもお気をつけて」
「ああ、はい・・・・・えと・・・・・あの・・・・・」
 うろうろと視線を彷徨わせ、なんだか焦ったような様子で、玄奘はぺこっと頭を下げる。
 そのまま悟空に連れられて行く彼女の姿が、戸口の向こうに消えてから、改めて悟浄は首を傾げた。

「なんか・・・・・玄奘様、おかしくなかったか?」
「・・・・・・・・・・」
 器の中身を煽り、腑に落ちない顔をする悟浄を余所に、八戒は一人にやにや笑った。

 ここから玄奘達が暮らしている寺院は遠い。すっかり日の沈んでしまった今の時刻まで、二人で都に残っているなんて、考えられる事は一つくらいだ。

「・・・・・・・・・・つか、変わってないようで、変わってる場合はどうなんだよ」
「何がだ?」
 八戒の隣に腰を下ろす悟浄に、酔っ払ったまま、男は小さく笑って答えた。

「何がって・・・・・そりゃ、部屋割」
「???」







「あの・・・・・」
 夏の宵。心地よい風が頬を撫で、二人で歩きながら、玄奘は縋るように、繋がれた悟空の手に力を込めた。
「あ?」
 ちらりと肩越しに振り返る彼の腕を、抱きしめる。
「あの・・・・・」
「・・・・・・・・・・バーカ。誰も取って喰ったりしねぇよ」
「え?」
 ふわり、と柔らかで、緑の香りが強い夜気が玄奘の髪を揺らして通り抜けていく。きょとんと見上げる彼女は、ふと落ちてくる優しい瞳に、目を伏せた。
 ますますぎゅっと抱きつく。
「重いんだけど」
「悟空なら・・・・・別に構いませんよ?」
「じゃ、なんで泣きそうなんだよ」
「そ、それは・・・・・あの・・・・・間違っても怖いとかじゃなくてですね・・・・・」
「ふーん?」
「そ、そそ、それに悟空に一度、押し倒された事が有りますし・・・・・」
「ああ・・・・・そういやそうだったな・・・・・」

 苦く思いだす彼に、抱きつくようにして歩きながら、玄奘はどこかふわふわしたような心持で夜道を行く。

「なんというか・・・・・その・・・・・あの・・・・・」
「分かってるって」
 くすっと笑って告げられた言葉に、玄奘はゆっくりと顔を上げた。覗きこむ悟空が、ふっと顔を寄せて、その唇に己のそれを重ねた。
「っ」
「ま・・・・・夜は長いってことで」
 笑みを浮かべる悟空に見惚れ、玄奘は今が月夜で良かったとこっそりと考える。

(力一杯赤くなってるなんて知られたら・・・・・たまったものじゃありませんからね)

 どこの誰にも抱かない信頼と、警戒と、なんだか知らない熱い感情。それを抱く相手は目の前の男に対してだけなんですよね、と幾許かのくすぐったさと共に玄奘は思い返し、再び熱くなる頬を隠すように更に悟空に抱きつくのだった。

 それが密かに、彼を煽っているのだとも知らずに。






















 か、考えていたオチと百八十度変わってしまった・・・・・!(笑)

(2011/02/14)

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