SilverSoul

06.そんな昔の話
 ふと振り返ると、真正面に夕日が見え、新八は目を瞬いた。
 オレンジの空が永遠と続き、背後には自分の影が、黒く長く長くどこまでも続いていた。

(帰らなくちゃ・・・・・)

 右手を流れる川。堤防にはのんびり座る人や、河原のコートでテニスを楽しむ人がいる。だが、川の向こうから聞こえてきたのは、午後5時を告げるメロディーで、子供の新八は、帰らなくちゃならないと、くるりと踵を返した。

(家に・・・・・かえらなくちゃ・・・・・)

 短い足につっかけた草履で一所懸命に歩きだす。

(早く・・・・・かえらなくちゃ・・・・・)

 と、ひとつのことを考えて、大急ぎで歩いていた新八は、不意に誰かにぶつかって、あっと顔をあげた。

「あねうえ!」
 ぶつかったのは、新八の大好きな姉だった。彼女は少し驚いたように眼をみはると、それからにっこりと笑った。
「お帰りなさい、新ちゃん。」

 ふわりと、暖かく、白い手がのばされて、それを懸命につかんだところで。

 目が、覚めた。




「いやにご機嫌だねぇ、新八くーん。」
 最近出来たばかりの巨大なビル。その屋上の庭園で、庭師のまねごとをしていた万事屋一行は、一息入れようと持参したお弁当を広げていた。
 職人たちに交じる彼らは、親方の「息子を植木屋にしよう大作戦」の依頼を受けていた。
 どうやら、「植木屋」になるのを拒む息子(5歳)に、5歳にも分かる優しい庭園を造って見せて、父親の威厳を高めようという依頼である。万事屋の役目は、周りの庭園を適当に作って、親方の作品を際立たせることにあった。
 そんな依頼を受けた銀時は、妙に機嫌よくおにぎりの包みを開く少年に声をかけた。
「ああ、そうみえますか、銀さん。」
 へら〜っと嬉しそうに笑う新八に、神楽が自分の頭くらいあるおにぎりに食らいつきながら「なんだヨ新八。メガネかえたくらいでうかれんなヨ」とおもしろくなさそうに言った。
「へえ、メガネ変えたんだ。へえ、いいじゃんそれ。何が違うのかまるでわからないけど、なんかこう、お前の眼にも未来が宿って見えるよ」
「いいか、新八ぃ。メガネ変えたからって、お前の人生かわるわけじゃないアル。駄眼鏡は駄眼鏡アル。死んでも駄眼鏡アル」
「誰が眼鏡変えたなんっつた!?変わらないよ!いつもと同じだよ!!」
「ああ、なんだ。じゃあ、お前の眼のきらめきは錯覚か。そうだよな、どう見ても輝いてないもんな。輝きの「か」もないもんな」
「いいか、新八ぃ。メガネ同じでも、お前の人生同じになるわけじゃないアル。駄眼鏡は駄眼鏡アル。死んでも駄眼鏡アル。」
「おまえらはもうちょっと新八に期待しろ!そして、メガネばっか注目するな!!」

 僕の機嫌がいいのは、あれです。

「今日の夢に、姉上が出てきたんです。」
 てれ、と笑う新八に、目に見えて、わかりやすく、それ以上ないリアクションで、銀時と神楽が「ドン引き」した。

 あ、あれ?
 何この空気。
 僕の楽しい気持ちはどうなるわけ?

「いや、べつにいいけどよ・・・・・へえ〜お妙がねぇ・・・・・よかったなぁ、新八。立派な大人になれよ、新八」
「マジキモイアル。心底姉御に同情するネ」
「だからやめてくんない!?別にそういう変な意味じゃないよ!?あれだよ!?子供の頃の夢を見たって話だからね!誤解しないでね!!」

 言いつのる新八に、「ガキの頃ぉ?」と銀時が間延びした声で答えた。

「ええ。子供の頃・・・・・よく、ご飯時に姉上が迎えに来てくれて。ああ、懐かしいなぁ、こんな時もあったなぁ、なんて。」
 懐かしそうな顔をする新八に、銀時は興味なさそうに視線をそらした。
「あの頃は、父上も元気で・・・・・姉上も女の子らしくて・・・・・」
「それは信じない。」
「銀さんが姉上の何を知ってるって言うんですか?」
 思わずむっとする新八に、銀時は「ゴリラに育てられたっていうガッカリする事実は知っている」と胸を張る。
「全然ちがうわっ!むしろ、そんな風に思ってるあんたにがっかりするわ!!」
「ガキの頃ねぇ・・・・・」
 おにぎりを口にほおばり、しばらく、考え込むように、高層ビルから見える景色を眺めて、もぐもぐしていた銀時は、不意に神楽と新八に視線をやった。
 タコウインナーの取り合いをいつの間にかおっぱじめている二人が視界に飛び込んできた。
 その様子に、男は小さく笑った。

「今でも十分にガキだと思うけどな、俺は」




「そりゃあ、子供の頃から私はおしとやかで評判でしたよ?」
「子供のころから?」
 聞き捨てならない単語が混ざっているのを、銀時は目ざとく見つけて指摘する。それに、お妙は綺麗な笑みを浮かべた。
「ええ。今も昔も評判の。」
「・・・・・・・・・・.」

 現在、仕事の引けた銀時は、お妙に誘われ・・・・・と言えば聞こえはいいが、荷物持ちに「指名」されて、大江戸マートに買い出しに来ていた。新八が夕飯をつくってくれるというので、狙ってやってきたタイムセールに参加中なのだが、殺気立った人ごみの中で、お妙は澄ました笑みを浮かべて、余裕で銀時の質問に答えている。
 ただ、そのこぶしは群がる主婦の顔面にクリーンヒットしていた。
 これで「おしとやか」なんて言えるのだからすごいと、銀時はひきつった顔のまま思う。

 恐ろしい。
 女は恐ろしい。

「その卵よこせやあああああああ!!!!!」
「させるかあああああああああ!!!!」
「じゃまだどけえええええええ!!!!」

 おおよそ、スーパーとは思えない怒号がひしめき、女たちの「死闘」があちこちで繰り広げられている。
 お妙のハイキックがおばちゃんの後頭部に命中するのを眺めた後、銀時は疲れた体を引きずって大江戸マートを出た。
 とてもじゃないが、戦えない。
 見ていただけで、敗戦した気分だった。
「あー・・・・・ったく・・・・・いまので十分につかれたよ、俺は・・・・・」
 自動ドアの前でがりがりと天然パーマの白髪をかき乱し、男は溜息をついて空を見上げた。

 西のほうは茜色に燃え上がり、雲の縁が金色に光っている。東の空は緑で、白い星が瞬いていた。

「・・・・・・・・・・・・・・・.」
 そういえば。
 遠い昔、友達とあぜ道を走って帰ったことがあったっけ。

 その道の向こうに、笑顔で立っていた人がいた。

「・・・・・・・・・・・・・・・.」
「銀さん?」

 胸の奥の深いところ。
 深くて暗くて、ふたをしてある場所。
 そこに、意識がさまよい出ようとした瞬間、不意に袖を引っ張られて銀時は我に返った。

「ん?」
 寄りかかっていたスーパーの自動ドア。それが開き、立っていたお妙に、銀時はいつものように、やる気のない死んだように濁った瞳を向ける。
 その奥に、ちらりと何かが揺れるのを、お妙は見た。
 見たが、それが何か断定できない。

 だから、彼女はそれを、あえて「みなかったこと」にした。

「ぼーっとつったって。そんなんじゃ、戦死しますよ。」
 戦利品の入った袋を掲げてみせるお妙に、銀時はひきつった笑みを返した。
「戦ってもいねぇよ、俺は?」
 そんな銀時に、くすりと笑い、茜色の空に向かって歩き出すお妙が「なお悪いですね。」とばっさり切り捨てる。
「犬死です。」
「・・・・・・・・・・・。」
 スーパーでかよ、と内心突っ込みながら、銀時は、歩きながら、じっと空を見つめるお妙に気づいた。
「どうかしたのかぁ?」
 あごのあたりを掻きながら聞けば、「ああ、昔」とお妙は何かを言いかける。
 だが、ぷつん、とそのセリフが途切れ、銀時は怪訝そうにお妙の背中を見た。
「昔?」
 それに、振り返った彼女が、透き通るような笑顔でずいっと持っていた袋を銀時に突きつけた。
「銀さんに買い物すっぽかされたことあったなと思って。」
「・・・・・・・・・・は?」
「覚えてないなんてそんなことはないですよね?」
 にこにこにこにこ。
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
 全く身に覚えがなくて、だらだらと背中に汗をかく銀時に、強引にスーパーの袋を持たせて、お妙は足取り軽やかに家路を急ぎだした。
「まあ、そんな昔の話は、気にしないのが私の信条なんですけど。」
 やっぱり借りは返してもらわなくちゃ。

 すたすたと先を急ぐお妙に「っていうか、これ、すんげー重いんですけど!?何入ってんですか、これ!?」と悪態をつきながら、銀時が両手で袋を持って、引きずるようにして歩いてくる。

「さ、銀さん、もたもたしてたら日が暮れちゃうわ。神楽ちゃんが冷蔵庫ごと食べちゃわないうちに帰りましょ?」
「おまえな・・・・・こんな重てー袋・・・・・そう簡単に・・・・・運べるわけないだろうがっ!!!」

 楽しそうに歩くお妙の後ろを、よろけながら追いかけ、悪態を吐きながらふと銀時は気づく。

 ああなるほど。
 これが、「夕焼け時に、家に急ぐ」思い出になるのかと。

「―――――お妙。」
 後ろから、声をかける。振り返った彼女に、銀時はにっと笑って見せた。

「こんなん持てるってことはやっぱりお前の胸は筋肉の塊」

 すっかーん、と飛んできた下駄を額でキャッチして、のけぞった銀時は見た。


 東の空に、満点の星が輝きだしたのを。



(2009/01/28)

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