SAMURAI DEEPER KYO

 貴方のプライド 私のプライド




 なんだか寝苦しくて、自分の部屋から出たゆやは、冷たい板張りの廊下を歩いて宿の中庭に出た。
 綺麗な月が真上で輝き、灰色の雲が、その縁を黄色に淡く染めて流れていく。

「満月か・・・・・」

 そう言えば最近、まともに月を見上げていなかったっけ。

 そっと廊下に座りこみ、彼女は膝を抱えてぼうっと月を見上げる。自分の身体に振り落ちてくる銀色の光りが心地よくて、ゆやはそっと目を細めた。

 静寂の中で、己の鼓動だけがよく聞こえる。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 そこに絡まっている水龍を思い出し、ゆやは、胃の腑が苦くなるような嫌な感じにさいなまれた。
 急に足元が砕けて、まっさかさまに落ちるような不快な浮遊感。

 壬生の連中に見つからないように、と極力大急ぎで樹海を目指して進んでいるが、一日二日で着くような距離ではない。
 ぎゅっと唇をかみしめて、ゆやは泣きそうになるのを堪えた。

 泣いていても解決しない。
 気持ちばかり焦るが、焦ってもなにも変わらない。

(今は・・・・・狂を信じよう・・・・・)

 借りは必ず返す。

 そう言ってくれた男の台詞を思い出して、ゆやはぎゅっと己の身体を抱きしめた。
 大丈夫大丈夫。狂なら絶対、あんな奴、倒してくれる。

(甘えてる・・・・・のかな・・・・・やっぱり・・・・・)

 もともとゆやは誰かに頼ったりするのが苦手だった。出来る事なら自分の手で決着をつけたく思っている。誰かの足手まといになるのは嫌だし、負担になるもの嫌だった。

 だから、ただ可哀そうだからといか、俺がなんとかしてやるとか、正義感からゆやを助けようなんて言われたら、彼女はきっと困惑しただろう。

 そんな事をしてもらういわれはないと、突っぱねたかもしれない。

 だが、狂は違った。

 借り。

(・・・・・・・・・・・・・・・)

 あくまでも、自分の力が足りないから起きた事態だと考えて、その責任を被ってくれた。
 ゆやはこの苦しみを、狂の為に「貸し」ているのだ。彼が強くなる時間を得るために。あの場を切り抜けるために。

 だから、それを己のプライドの為に「返そう」としてくれる彼のあり方は、甘えベタなゆやには、嬉しかった。
 対等な立場だと考えてくれている。

(そんな考えって・・・・・駄目かな・・・・・)
 でも、そう思ってくれているのなら、嬉しい。

 ひゅうっと冷たい風が身体に辺り、ゆやは身震いすると目を開けた。

 暗い空に、ぽっかりと浮かぶ満月。

 そろそろ寝た方がいいだろう。明日も早いのだ。

 立ち上がり、ふとゆやは足元がふらつくのを感じた。

(あ・・・・・)

 急にたったせいだろうか。それとも、胸の水龍を意識していたからだろうか。くらり、と身体が傾ぎ、ゆやは危うく中庭に落ちかけた。

「っ」
 その腰を、咄嗟に抱き寄せた存在があった。

「え?」
「何やってやがる」
「へ!?」

 足元が砕かれるような、いやな浮遊感。先ほど感じたそれを思い出しかけたゆやは、がっしりと抱きとめられて後ろを振り返った。

「狂・・・・・」
 着流し姿の男が、呆れたような眼差しでゆやを見下ろしていた。

「ご、ごめん・・・・・」
「ったく。ふらふらすんな」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 きちんと立たせてもらい、ゆやは気まずそうに俯く。ふと、狂が手に煙草を持っているのを見て「吸いにきたの?」と尋ねた。

「・・・・・・・・・・・・・・・」
「こんな時間に?」
 眉間にしわを寄せるゆやを、しばらく見下ろした後、男は鼻で笑う。
「別に構わねぇだろ」
「駄目よ。明日も早いんだし」
「テメェに言われたくねぇな」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 こんなところふらつきやがって。

 反論されて、ぐうの音も出ない。

 そのまま縁側に腰をおろして、煙草に火を付ける狂に、ゆやも習って再び腰を下ろした。

「ガキはもう寝ろ」
「うっさい」

 言って、ゆやは隣の男を見上げた。千人斬りの鬼、と恐れられた鬼眼の狂。最近では、ゆやはこれくらい近くに居ても恐怖や殺気を感じなくなっていた。
 村正との修行の成果か、それとも慣れてしまったのか。

 怖い、と思う事もあるがこういう時に感じることはまずない。

 だから、ゆやは煙をくゆらせる狂に「それだけだからね」と念を押した。

「・・・・・・・・・・・・・・・」
「狂が戻るんなら、戻るから」
「いっちょまえに俺様の監視か?」
 下僕の癖に。

 忌々しそうに吐き捨てられるが、怖くない。

「そうよ」
 つん、と顎を上げて告げて、ゆやは再び月を見上げた。

 並んで腰かけて。沈黙のまま時が過ぎていく。

 別に話すこともないし、積極的に話しかけたいとも思わない。

 ただ、この距離と空気が心地よくて、ゆやは月を見上げたまま目蓋を落とした。

 風が心地い。月明かりは柔らかいし、何より隣に居る人物の熱が肌に気持ち良い。


「狂」
「ん?」

 ことん、とゆやの重みが己の肩に掛り、いぶかしげに狂が隣を見る。もたれかかった女は、半分眠っている。
 呟かれた名前。そこから先の言葉は、不明瞭で聞き取りにくい。

「寝るかしゃべるかどっちかにしろ」
 呆れたように言うが、聞こえていないのか、寝ることを選んだのか、ゆやはそのままくうくうと寝息を立てだした。


 薄い単衣の袷に、狂の目が行く。柔らかな膨らみ下に、徐々に身体を蝕む水龍が居る。


 ちゃんと寝れてないようだった、と梵天丸がぽつりと漏らしていたのを思い出し、狂は溜息を吐いた。


 今、目の前に居る少女の寝顔は、何の心配ごともなく穏やかで健やかだった。
 気を張ってる素振りもない。カラ元気でもなく、本当に安らかだ。

「怖くねぇ・・・・・わけねぇよな」

 煙と共に吐き出して、狂はこのまま彼女を眠らせてやりたいとふっと思う。だが、ここでは寒すぎる。

 今だけは、己の命運を忘れさせてやろう。

 それくらいしか、辰伶の元にたどり着けない今、ゆやに返してやることが無い。

「随分と高けぇ借りだな」

 くっと喉で笑い、狂はふわりとゆやを抱き上げて部屋に連れて行く。


 でも、悪くない。


 必ず、返してやる。


 抱きあげた軽い少女に、それだけ告げて、狂は月明かりの廊下を辞した。
 後には、煙草の香りだけが、ふうわりと残っていた。




















 村正さん家を出てから、樹海にたどり着くまでの幕間です><
 多分ゆやちゃんて、「護ってあげるよ」とか言われると「なんで?」って言いかえしそうな娘だと思うんだよねぇ〜>< しっかり者だから><

 だから、狂の「借り」って言い方は凄く素敵だと思ったのでしたとさ。

(2010/07/02)

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