SAMURAI DEEPER KYO

 蕎麦屋勧進帳









「灯さ〜ん、これ頼まれてた着物の・・・・・って、あれ?」
 からり、と宿の襖を開けて、ゆやは瞬きした。開け放たれた窓から夏の風が心地よく吹き込む室内には、窓際にぼーっと座っているほたるしか居ない。
「・・・・・さっきまで、灯さん、居ませんでした?」
 ゆやの部屋はこことは違う場所に有る。

 夜遅くまで馬鹿騒ぎを繰り返す旅の連れに、最初は付き合っていたゆやだが、最近は付き合いきれない、とげんなりした気分でもう一部屋とってある。

 酒臭い部屋に居たくないものが引きあげて寝られるように、布団が四つほど用意してあるのだが、使うのはいつもゆやだけで、結局他の連中はその場で泥酔してしまっているのが常だ。

「灯ちゃんなら、狂と一緒に蕎麦屋に行ったよ」
「へえ?」

 ほたるの寄り掛っている窓から下を見れば、紺色の暖簾に白抜きの文字で「蕎麦処」と書かれている。
「灯ちゃん、今日こそ顔に一発入れるんだーって息巻いてたよ」
「それはまた・・・・・」
 何か秘策でもあるんでしょうか?

 狂が自分の躯に戻ってから3年。灯は、狂の行方が知れないその間、壬生で研究を続けながら、めげずに「狂の顔に一発入れる」為の修行をしていたらしい。
 前にゆやが見かけた時はアキラ似のキツネを捕縛している所だった。

 今日こそ一撃入れてやる、と意気込んでいるからには、それなりに理由があるのだろうか。

 何となく、蕎麦屋の暖簾を見詰めながら、そう告げるゆやに「うん」とほたるが気のない返事をよこした。

「狂が蕎麦食べてる時に、額にデコピンするって言ってた」
「・・・・・・・・・・・・・・・え?」

 蕎麦を?食べてる時に?デコピン??

「一応、それも顔への一撃だからね」
「それって・・・・・お蕎麦を、こう」

 ゆやは蕎麦を食べる真似をする。

「掬って、下を向いた瞬間を狙うってことですか?」
「うん。この間梵にやってたから、多分そう」
「・・・・・・・・・・梵天丸さん、喰らったんですか?」
「めちゃめちゃ怒ってたよ」
「へえ・・・・・」

 これは・・・・・これはもしかしたら、完全に狂が油断していたら、起きてしまう事かもしれない。

「ほたるさん!」
 気付いた時には、ゆやはほたるの腕を掴んで引っ張っていた。
「こうしちゃいられません!見に行きましょう!」
「え?いいの?」
 目を丸くするほたるが「あんた狂の女でしょ?」と念を押す。
「灯ちゃんが狂に一撃入れるの、見たくないんじゃない?」
「わ、私は別に狂の女じゃありませんから、別にどうだっていいんです!」

 ぐいぐいと引っ張って、ゆやは宿の階段を下りると向かいに有る蕎麦屋に飛び込んだ。

「あ」
「を?」
「あら?」

 そこには、灯が一撃入れられるのか見に来たと思しき顔なじみが各々、好き勝手な場所に座っている。

 梵天丸とアキラと時人が窓際の机に陣取り、その後ろ、アキラと背中合わせに虎が座り、正面に京四郎。その京四郎と通路を挟んで隣が狂で、向かいに灯が座っている。

「ほたるは来る気、なかったんじゃないんですか?」
 アキラが溜息交じりに切り出し、ゆやはちらっと連れを見上げた。
「そうだったんだけど。狂の女がどうしてもっていうから」
「ほたるさんっ!」
「違ったっけ?」
「いいい、いいから座りましょう」

 一番入口に近い机に座り、ゆやはほたるの向こうに座る灯と狂をちらとみた。

 狂が呆れたように一同を見渡した。

「テメェら・・・・・そんなに蕎麦が食いたかったのかよ」
「ま、まあそうですね」
「別に良いだろ〜がよぅ。蕎麦屋にゃ酒がでるしな」
「昼間っから飲むなよ。いい大人が」
「わいはぁ〜とろろ蕎麦にしてぇ〜ゆやはんと〜」
「ええ!?だ、駄目ですよ、虎さん・・・・・僕たちは一応狂の事を止めに」
「俺がなんだって?」

 じろっと京四郎を睨みつける狂に被るように「京四郎?要らない事言ったら酷いよ?」と灯が凄む。

「あははは」
 皆、それぞれの思惑があるようだが、基本的に灯の行動を見守るつもりらしい。
 乾いた笑みを浮かべるゆやの向かいで、ほたるが淡々とざるそばを注文している。
「で、あんたは何食べるの?」
「え?あ・・・・・えと・・・・・」
 私もざるそばにしようかな。
「うんうん。暑いもんね」
「そうですね。夏はざるそばですよね」
「わさび、利いてるしね」
「あ、そうですね。わさび入れると風味が出ますよね」
 おろしたてが良いよね。あの辛さがたまんない。
 そうなんですか?私、そういえばおろしたて食べた事ありません。

 なんだか、ほえほえした会話を繰り広げるほたるとゆやを見て、アキラが呆れたように溜息を吐いた。

「本当に、あの二人は何しに来たんでしょうね?」
「ゆやちゃんも女だってことだよ」

 にやにや笑う梵天丸に、アキラがまさか、と微かに苛立ち、時人が「どういう意味だよ!」と突っかかる。

「そうや!ゆやはんは・・・・・ゆやはんはわいのぉ〜お嫁さんにぃ〜」
「えー・・・・・でもそうなると虎さん・・・・・ねえ、狂」
「テメェは黙ってろ京四郎」
「そうですよ!ゆやさんが・・・・・そんな」
「お前もまだまだガキだな」
「だから、どういう意味なんだよ!?」
「アキラも時人も子供ってことだよね?」
「ほーたーるーっ」
「え?事実だし」
「あ、あの・・・・・なんの話してるんですか?」
「そうだよ、皆。狂はね、五歳児だから」
「京四郎・・・・・っ」
「狂!鯉口切っちゃ駄目!大体、私は別に・・・・・」


 狂の顔に一撃入れるために、蕎麦屋にやって来た灯は、そうやって取りとめもなく騒ぎまくる連中に青筋を立てる。

「っつーか、あんたたち・・・・・これ以上くっちゃべって、あたしと狂の邪魔すんなら全員の秘密を」
「へい、盛りそばと月見そばお待ち」
「っ」

 最初に店に入った狂と灯の前に、のんびり笑った蕎麦屋の主人が月見そばと盛りそばを置く。


(・・・・・・・・・・・・・・・)
 お前ぇら黙ってろ。飯がまずくなる、と一瞥し、狂が箸を取って咥えた。このまま割り箸を割って、食べ始めるその時が絶好のチャンスなのだ。
 固唾をのむ灯と一同。

 ゆやも、出された番茶で喉を湿らせながら、じいっと狂と灯の動向に注目した。

「そういや灯」
 月見そばに箸をつけて、顔を上げずに切り出す。
「な、なに?」
 知らず己の箸を握りしめていた灯が、ぎくっとして狂に視線を落とす。
「お前・・・・・例の手術はすんだのか?」
 がしゃんがしゃん、と湯呑のひっくりかえる音がして、狂が顔を上げる。ゆやが、冷たい番茶を頭から被ったほたるに、平謝りしている。
「壬生も色々忙しくてぇ〜なかなか〜でも〜灯たんは〜どんなんでも狂一筋なの」
 潤んだ眼差しで見上げる灯吉郎に、げー、だの勘弁して下さいよ、だのギャラリーから声が上がった。
 睨みつける灯を余所に、次から次に、注文した品が前に置かれ、灯と目を合わさずにもくもくと食べ始める。
 狂も蕎麦を口にし始め、灯はぎゅっと持っていた箸を握りしめた。

 この箸で。
 この、箸で一撃っ!

「灯ちゃん、あんな殺気じゃ無理だね」
 はらはらしながら二人を観ていたゆやに、ほたるが、この場に居た全員が感じている事を代弁した。
「え?」
「狂も気付いてるし・・・・・灯ちゃん、また駄目かなぁ」
「・・・・・・・・・・」

 あ、ざるそば来たよ。

 箸を取り上げるほたるを余所に、ゆやでも判る、灯からほとばしる「情熱」というオーラに、彼女はぎゅっと両手を握りしめた。

 灯さんは本気だ。
 本気で狂のお嫁さんの座を狙っているのだ。

(やっぱり・・・・・ほいほいそんな約束をするなんて、狂ってば酷いっ!)
 昔アキラが、絶対にそんなことにならないから、約束しているのだと言っていた。
 だったら、最初っから灯のモノにはならないと言えば良かったじゃないか。

(ああでも・・・・・真尋さんみたいに・・・・・)

 狂自身が目標になれば、灯は生きていける。不安定で、仲間に夢を見ていた灯の儚さを、狂はどことなく感じていて、それでそんな提案をしたのかもしれない。

 灯さんは全力で狂に挑むのだろう。
 そして狂は、全力でそれを制する。

 負けない為に。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 三年前のあの瞬間。ゆやは確かに狂への思いを認めたつもりだ。そして、その気持ちだけを頼りに、狂を信じてここまで来た。
(灯さんは・・・・・狂と一緒に居るために努力している・・・・・のよね?)
 自分はどうだろう。

 ぎゅっと手を握りしめて、気付けばゆやは立ち上がっていた。




(今しかないっ!)

 目に物騒な光を灯して、灯が一息で箸を付きだしたその瞬間。

「あ、灯さん、待って!」
「!?」

 おもむろにゆやが狂の前に立ちふさがった。

「ゆやちゃん?」
「あ?」

 彼女が手を広げて、狂の前に割り込むのと、蕎麦をすすっていた男が顔を上げるのはほぼ同時で。

 ごん、という鈍い音を立てて、ゆやの付きだした手と狂の額がぶつかった。


「あ」


 その場にいた全員の目が点になる。ざるそばを抱えて振り返ったほたるが、ぱちぱちと目を瞬いた。

 しばしの沈黙。


「・・・・・・・・・・・・・・・これって、狂の女が顔に一撃入れた事になるの?」
「!?」

 ぽつりともらしたほたるの一言に、全員がはっとなる。

「え?」
 ぎょっとするゆやに視線が集まり、「ち、ちが」とゆやが慌てふためいた。
「わ、私はその・・・・・あ、灯さんにはもっとちゃんと」
「ゆやちゃん・・・・・あなた」
 俯いた灯の肩がふるふると震えている。
「え!?あ・・・・・ち、違うんですって!」
「何が違うんだ?」
 慌てるゆやをからかうように、狂が口をはさみ、はっと振り返る彼女の腕を掴む。
「一応、テメェが俺様の顔に一撃いれたことになるなぁ?」
「狂!?」
「下僕の分際で、俺様の顔に一撃入れたんだ。・・・・・わかってんだろうな?」
 にたり、と笑って引きずられ、ゆやは微妙な空気の中で声を張り上げた。
「って、わ、私は灯さんみたいな約束してないじゃないの!?」
「俺様が言ってるのは、下僕の分際で俺様に手ぇ出したってことだ」

 ずるずると腕を掴んで引っ張られて、蕎麦屋から連れ出される。そんな狂とゆやを見送り、残された男どもは何とも言えない微妙な表情で灯をみた。

 灯の肩が震えている。
 ゆやの分のざるそばを、ほたるは灯の前に置いた。

「食べる?」
 それは火に油を注ぐ事になるのでは!?
 凍りつく他の面々を余所に、灯はこっくりと頷くと、ぎっと視線を強くして勢いよくざるそばをかっこみだした。
「今日はやけ食いよ!やけ食いっ!!」
 それにやけ酒っ!!!!

 喚き、灯はその場で固まる面子にじろりと視線を走らせた。

「当然、あんたたち・・・・・付き合うわよね?」

 それは有無を言わせない口調だった。





「き、狂ってばっ!」
 引きずられて戻ってきたのは宿屋の一室。ぽい、と襖の向こうに放られて、ゆやは布団の上に尻もちを付いた。
「何すんのよ!?」
「チンクシャ・・・・・俺様の顔を殴っておいてただで済むと思うなよ?」
「え!?」
 ていうか、殴ってないし!

 顔を上げるのと同時に叫ぶが、そのまま肩を押されて倒される。組み敷かれ、見下ろされて、ゆやは心臓が痛いほど強く鳴るのに気付いた。

「そういや、テメェとは別の約束してたな」
「え?」

 何か約束していただろうか。

 目を瞬く彼女の襟脚に指を滑らせて、男は柔らかな彼女の髪の毛をまとめていた紐をするっとほどいた。

 再び鼓動が高鳴り、身体が強張る。

「俺様の本物の躯でもっとすげぇコトしてやるってな?」
「!?」

 それは、赤の塔で言われた台詞。
 あの時、自分は思いっきり拒絶した筈だ。

「な、に言ってんのよ!?さ、させるわけないでしょ!?ちょ・・・・・きょ」
「んじゃ、なんで灯を止めたんだ?」

 すっと赤い目が細められにやにや笑いながら見下ろされる。かあ、とゆやの頬が朱に染まった。

「と、止めてなんかないもん」
「じゃあ、なんで割って入ったんだ?」
「それは・・・・・」

 うろうろと視線を逸らす。ちらっと圧し掛かる狂を見上げれば、その紅玉の瞳は自分を見下ろしていて逸らしてはくれない。

「なんだ?」
 にやにや笑いながら、狂はその手をゆっくりと移動させる。顎に掛けられて、強制的に男と視線を合わせる結果になり、ゆやはばくばくする心臓もそのままに、目許を潤ませた。

「言えよ」
 すり、と彼の親指が喉元を浚い、びくっとゆやの身体が震える。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 俯く事を許さず、しばらく震えるような眼差しで自分を見上げるゆやを見詰めた後、狂は溜息を吐くと彼女の首筋に顔を埋めた。
「ひゃっ」
 くすぐったくて、思わず声を上げる。
「色気のねぇ声」
「悪かったわね!?」

 笑っているのがダイレクトに身体に響く。一人で赤くなったりうろたえたりして、馬鹿みたいだ。
 そう思うが、知らず、ゆやは布団に縫いとめるようにして掴み取られている己の手を握り返した。
 狂が眉を上げる。

「・・・・・色気のあるようなこと・・・・・してこなかったし・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
「き、狂がいけないのよ!?い、いないし・・・・・その・・・・・お、女の一人旅って、色々危なかったんだからね!」
 女を捨てないとやってられないの!!

 喚くゆやが可愛くておかしくて、狂は再び笑いをもらす。

「なっ」
「ホント、お前ぇ、面白ぇ女だな」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 狂の手が、ゆっくりとゆやの掌から離れ、柔らかな彼女の腕の裏側を確かめるようになぞり、肩の方に移動していく。

 ぞくっとゆやの背中が震えた。

 持ち上げたゆやの手首に甘く噛みつく。

「狂・・・・・」
「良いぜ?教えてやる。テメェが色っぽくなるように、な?」
「ちょ」
「・・・・・・・・・・灯と勝負する気だったのか?」
 ゆやの手首を舌が這い、指先を齧られる。その度に小さく震えながら、ゆやはどうしても抵抗できなかった。
 反対に、徐々に身体から力が抜けていく。
「それは・・・・・」

 灯が本気っぽかったから、ゆやはこのままではいけないと思ったのだ。

 ゆやだって、狂の事が好きだから。

「テメェは無鉄砲さだけは一人前だからな」
 言い淀むゆやに、そのつもりだったのだろうと看破した狂が、呆れたように告げる。
「だ、だって・・・・・それは・・・・・その・・・・・」
「ほら」

 する、といつの間にか帯が解かれ、胸元が急に心もとなくなる。ぎくっとするゆやに覆いかぶさり、狂がその頬に両手を添えた。

「言え」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 からかうような表情の中で、その赤い瞳だけが真剣にゆやを映している。

 手を伸ばして、抱きつけば。
 きっと、ゆやの願いはかなう。

 ぎゅっとゆやは唇をかみしめた。

「下僕のテメェが言えたら・・・・・俺も答えてやる」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「どうする?」

 目と鼻の先。すぐそこで、赤い目の鬼が笑っている。

 やや視線を逸らし気味に、ゆやはぎこちなく両手を伸べて狂の首に抱きついた。

「私・・・・・ね・・・・・狂のこと・・・・・が」
 好きだから。ちゃんと・・・・・

 真っ赤になって、掠れた声で、最期は聞き取れなくても、そうつげるゆやに、ふっと狂は柔らかく笑うと彼女の唇にそっと噛みついた。








(覚えてない・・・・・)
 そこから先、ただただ夢中だったことしか覚えておらず、目を覚ましたゆやは、自分を抱えている男をうらみがましく睨みつけた。
 開いた窓からは、夏の風と月明かりが漏れている。

 はだけた着物の裾から覗く胸元には、赤い華が散っていて、ゆやは一人で赤くなった。

 狂の言う「もっと凄いコト」は、夕方の茜色の光りの中で行われていた気がした。
 それからどれくらい時間が経ったのだろうか。

 普段は一人で寝ている部屋に、狂と二人。

 ぽす、と胸元にもたれかかると、ゆやは再び目を閉じた。


「色気ねぇの」
 ふっと目を覚ました狂が、その彼女の髪を払って覗き込んだ顔に笑みを浮かべる。

 今は、酒もたばこも要らないな、と窓の向こうの月を観て、笑った。

「おい、チンクシャ」
「ん〜・・・・・?」
「もっかい付き合え」
「ん〜・・・・ん!?んんんっ!?ちょ・・・・・きょ」
「色気、出したいんだろ?」
「ええ!?」


 このまま、その日の夜は更けていった。



















 わあ・・・・・なんというか、微妙な仕上がり(笑)

(2010/06/29)

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