SAMURAI DEEPER KYO

 果たされない約束




「おい、チンクシャ。降って来たぞ」
 いつ降りだすだろうかと、朝から曇天とにらめっこをし、昼前までならいいだろうかと外に洗濯物を干した。
 台所でかまどに向かい、昼餉のそばをゆでていたゆやは、縁側で寝っ転がって全然動きそうもない男の声に、「きゃあああ」と声を上げて全速力で走る。

「ちょっとは手伝ってくれてもいいでしょ!?」
 ひっくり返ったままの鬼眼の足を跨ぎ、あわあわと庭に飛び出す。つっかけた草履が絡まるが、それよりなにより洗濯物だ。

「わっ」
 白くけぶっていただけの空は、今や急速に真黒になりつつある。南の方で稲光が見えて、ゆやは「狂!」とそっぽを向いてひっくりかえっている同居人に眦を吊り上げた。
「こんなに暗くなってるんならもっと早く教えてよ!」
「朝、外に干すのは止めた方がいいんじゃねぇかって言ったのは俺様だぞ?」
 無視して干したのはどこのどいつだ?
 ふわあ、とあくびをかみ殺し、そのまま寝ようとする男に、「そうだけど!そうだけどぉ!」とゆやは駄々っ子のごとく声を荒げる。
「あんたの着物だってあるんだから、濡れたら困るでしょう!?」
 ばらばらと雨脚が強くなる。それからかばうように、大体乾いた洗濯物を、大急ぎで抱え込んだゆやが縁側に飛び上った。
 両手の塞がった彼女が、再び、えい、と狂を跨ぐ。

 その瞬間、だるそうにしていた男が、ひょいっとゆやの着物の裾を掴んだ。

「きゃあ!?」

 バランスを取ろうと手を広げる。ぶわっと洗濯物が舞いあがり、後ろに引かれたゆやが男の胸元に身体ごと後ろにひっくりかえるのと同時に、畳の上に散らばった。

「なっ」
「俺様を跨ぐなんざ、10年早ぇんだよ」
「ちょ!?」

 両腕にすっぽりと収まる柔らかな少女。着物の袷に手を伸ばせば、かあああ、とゆやが耳まで真っ赤になった。
 叩き落とされるより先に、中に滑り込ませる。

「んっ」
 かまどの前に居た所為か。それとも全速力で洗濯物を回収した所為か。ゆやの柔らかな塊はほんのりと汗を掻いて掌に心地いい。
「多少は大きくなったか?」
 三年前に触った感触。あんまり良く覚えていないが、「喰いでのない」大きさだった筈だ。
 それが、まあまあ悪くない感触に発達している。

 誰かに揉んでもらったのだろうか、と要らぬ考えが脳裏をよぎる。

「なっ・・・・・あっ・・・・・」

  するっと太ももを撫でられて、ゆやの身体が強張る。それと同時に、稲光が開け放したままの縁側から差し込み、間髪いれず、物凄い雨音が室内を埋め尽くした。

「って!!!」
 狂の乾いた大きな掌。
 そこから流れ込む熱に、身体の芯がぼうっとなっていたゆやは、がらがらと鉄を鳴らすような雷鳴と、真っ暗な空、叩きつける雨音に我に返り、大急ぎで狂の身体から離れる。

「雨!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 ばたばたと狂の後ろの雨戸を閉めだすゆやに、男は呆れて溜息を吐く。そのまま襖横まで移動すると、箪笥の傍に置かれていた煙草盆をひっぱりだした。
 ふうわりと、湿った空気に煙草の香りが混じる。雨戸を立て終え気付いて振り返ったゆやが、仏頂面で煙草をふかしている狂に、多少乱れている襟元を握りしめた。

 なんとなく、気まずい。

(・・・・・・・・・・・・・・・)

 ゆやは狂の事が好きだ。三年前、目の前に現れた望に、「狂の事が好きだと」告げようとしたあの瞬間から、ゆやは自分の気持ちが、目をそむけてはいられないほど大きなものだと気付いてしまった。
 だから、その後の別れは哀しくて哀しくて、絶対に狂が生きていると信じて、彼を探して旅を続けてきた間、色んな事を思った。

 今度、なんていつあるか分からない。

 だったら、狂と再び出会えたら、もう絶対に自分の気持ちを馬鹿みたいに誤魔化したりしないでおこうと一人、ひそかに誓ったのだ。

 でも、実際、恋愛経験値が低いゆやにとって、狂という男は非常に判り辛かった。

 お国のように男の人を手玉に取る様なあしらい方は知らないし、灯のように、まっすぐ直線的に好意を現すのは、ゆやの性格上無理だ。真尋や朔夜みたいに素直になるのが一番だが、一人で生きざるを得なかった彼女には、素直さ=無防備=隙に繋がる様な気がして、隙を見せればいいようにされてしまう世界を渡り歩いてきた過去が有る分、警戒心のほうが先立ってしまう。

 狂相手に、警戒する必要はどこにもないし、求められれば応えたく思えるほど、ゆやだって大人の女性として成長したつもりだ。

(つもり、なのかな・・・・・)

 旅の途中、皆が立ち寄れる茶屋をやりたいの。
 それでね・・・・・よ、かったら・・・・・狂も一緒に・・・・・
 ひ、一人で山ん中で店だすのも、な、何かと物騒でしょ?だから・・・・・あの、用心棒として・・・・・その・・・・・き、狂だって、ちゃんと帰って来れる場所が有るって言うのがいいでしょう!?村正さん、もう居ないんだし・・・・・あ、で、でも強制とかじゃないから。うん。狂がやりたい事があるっていうんなら、その・・・・・わ、私は別に・・・・・

 一方的にまくしたて、赤くなったり青くなったりするゆやに、狂は大笑いし、最終的には「酒と女がついてくるんなら考えても良いぞ?」という微妙な承諾をもらった。

 取り敢えず、お酒はちゃんと買ってきて置いてあるのだが、問題はもう一個。

「・・・・・・・・・・」
 雨音に耳を傾けているのか、襖に寄りかかって煙草をくゆらせている狂の近くに、ゆやはそっと近寄ると、ぺたん、と腰を落とした。
 すっと紅い眼差しがゆやに落ちる。絡まる視線に、どくん、と心臓が跳ねた。耳どころか、首まで赤くなっているんじゃないだろうかと思いながら、ゆやはごくんと唾を呑んだ。
「あ、あのね、狂」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「わ、たし・・・・・あの・・・・・」
「チンクシャ」

 ゆやが何か続けようとするのをさえぎり、狂がちらっと台所を振り仰いだ。

「そば」
「!?!?!?」

 再び、ゆやの悲鳴がちいさな家の中に響き渡った。




(情けない・・・・・)
 がっくりと肩を落とし、雨宿りにやってきたお客さんたちをてきぱきとさばき、のれんを下ろす頃になって、ようやくゆやは昼前の出来事を振り返る。
 まだ、雨は降っている。
 雷鳴がとどろいた頃よりはずっと雨脚は弱まっているが、日の落ちた外は真っ暗で、濡れた木々が黒々と辺りを覆い尽くしている。
 振り返ると、黄色い光りの下で、狂がゆやの作った煮物を肴に酒を傾けていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 その隣で、夕餉を取って、奥で帳面を付けて、明日の仕込みをして就寝。

 それがいつもの生活だ。

「狂、ご飯は?」
「いらね」
「お酒ばっかり飲んでると身体壊すよ?」
 のれんを片付けて、暇な時は終始煙草を吸ってるか、寝てるか、酒を飲んでるかの男に呆れながら、ゆやは鯵の開きと白菜の漬物、大根煮なんかを二人分用意して、狂の隣へと運んだ。
「・・・・・・・・・・」
「これくらいはちゃんと食べてよね」
 茶碗を持ち上げて、ご飯をよそいながら、ゆやは馴染んでしまった沈黙に、ちょっとだけ微笑んだ。

 何をどうこうする必要はないのかもしれない、とそう思うのはこんな瞬間。
 なんでもない時間を、隣で過ごせる事に意味があるように思う。

 このままずっと、こんな風に隣に居られたら。

 箸に手を伸ばすゆやを、斜め前に見ながら、狂はやれやれと溜息を吐いた。


 こんなところが、いつまでたっても子供で困る。
 狂がここに居る条件は「酒と女」。
 一つは叶えられているが、もう一つは無謀・無知・鈍感の目の前の女相手に叶わずにいる。
 こんな風に幸せそうに飯を食われたら、襲ってやるタイミングすら見いだせない。

 無理やり手を出して、この場所が壊れてしまっては意味が無いのだ。

 狂の護りたいものの中に、こんなまどろんだ時間も含まれているのだ。
 それは、目の前のゆやが相手でなければ意味のないもの。
 だが、近くに居るのに手を出せないのは、どうでもいいが結構な忍耐力を必要とする。

 どうやって落としたものかと、柄にもなく考えていると、不意にゆやの胸に触れた昼間の出来事を思い出した。

「おい」
「ん?」
 まだ、雨降るのかなぁ、とぼうっと雨音に耳を傾けていたゆやは、響いた低音に斜め前の狂をみた。
 まっすぐに、視線が自分に落ちている。
「何?」
「まさかとは思うが、お前、変な野郎に犯られてたりしてねぇだろうな?」

 ぶはああっ

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 思わず飲みかけのお茶を噴き、ゆやはげほげほとむせながら、真っ赤になって狂をみた。
「なっ・・・・・とっ・・・・・ええ!?」
「・・・・・・・・・・・・・・・愚問だったな」

 狼狽し、箸を取り落とし、言葉にならない言葉を繋ごうとするゆやに、ふん、と狂は鼻で笑うとお銚子を取り上げる。
「い、いきなり何言い出すのよ!?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 あー、びっくりした、と肩で息をしながら、ゆやはふっ飛ばしかけた鯵の開きをそそくさとお膳に戻す。それから、ちらと狂を見遣った。
「・・・・・・・・・・・・・・・狂が・・・・・」
「?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・狂が・・・・・居ないから・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 落ちる沈黙に、雨音がかぶさる。
 いないから、何だというのだ。

 必死に沈黙を破ろうと、ゆやが言葉を探す。箸を握りしめてうなだれる彼女に、狂はふっと口元に笑みを浮かべる。
 ことん、と杯を置くと、考え込むゆやの隣に座りこんだ。

「俺様がいないから、なんだって?」
「!?」
 唐突に傍に聴こえた声に、はっと我に返る。狂が生きていると、また会えるのだと信じて探していたからだと言っていいものかどうか悩んでいたゆやは、面白そうに顎に触れる男の瞳に捉われる。
「狂が・・・・・居ないから・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「あの・・・・・えっと・・・・・」
 言葉に詰まる。

 言わなくては。

 狂が居ないから、いつまでたっても子供のままなのだと。
 大人の女になれないのだと。
 大人の女にして欲しいのは、狂相手だけなのだと。

(って、言えるかあああああ)

 一人で言葉を反芻し、かあああああ、と真っ赤になるゆやに、狂は我慢できずに笑いだす。
「っ」
 涙目で睨めば、にやりと笑った男の顔が有った。
「なあ、チンクシャ。テメェ、あり得ねぇことに、この俺様を雇ってんだろ?」
 下僕の癖に。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「なら、ちゃんと約束は果たすべきなんじゃねぇのか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ず、と男の手が畳を滑り、身を寄せる。ふわ、と狂の長い髪が胸元に落ち、近い位置で見合っているのを嫌でも知らされる。

「俺が欲しいのは、酒と女だ」
「っ」
「用意出来ねぇとはいわせねぇ」
「まっ」

 触れると思った唇は、ゆやの首筋に落ち、狂の手が、肩を押さえる。

「どうする?」
 湿った吐息が肌を掠め、びくん、とゆやの背中が強張る。舌の這う感触に、身体が震えた。
「狂・・・・・」
「早くしねぇと、このまま襲っちまうぞ?」
「狂っ」

 甘い吐息がゆやから漏れ、そのまま畳に押し倒そうとした、まさに刹那。


 がんがんがん、と引き戸を叩く音。
「!?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 固まる二人の耳に、次に良く知った声が響いた。

「おい、狂!いるんだろ!?お前ぇに訊きてぇことがあるんだがよ!?」
「・・・・・こんな時間にそんな来訪の仕方でどうするんですか。これだから貴方は何時まで経っても獣なんですよ。いいですか、こういう時は・・・・・すいません、ゆやさん!ちょっとご相談があってきたんですけどお時間いいでしょうか?」
「てめぇはどっかのセールスマンか!!んなまどろっこしいことやってる場合か!おい、時人、お前もなんか言え!」
「・・・・・・・・・・・ご、ごめんください」



「・・・・・・・・・・・・・・・えっと、梵天丸さんに、アキラさんに時人くん?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ほっとけ」
「ええ!?」
「俺は今、むかついてんだ。ほっとけ、あんな連中」
「で、で、でも」
「てめぇら今取り込み中だ!一晩、そこで待ってろ!!」
「狂ーっ!!!!!!」


 蒼くなったゆやが、狂を振りほどき、大急ぎで玄関に向かう。
 そうしながら、後ろで盛大な溜息を訊いて、ゆやは紅くなったまま俯いた。


 それから、ぴたりと足をとめてそっと振り返る。

「あの・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 不機嫌そうに杯を取り上げる狂に、ゆやは俯き加減にぽつりと零した。

「つ、次は・・・・・逃げないから・・・・・」

 いつだって、この男は、無理強いはしない。逃げられるのは、この男の拘束がゆるいから。
 大事にされている。そう思っていいんなら、逃げたくない。

 言いきって、ちらりと顔を上げると、ふん、と鼻で嗤われる。

「ったりめぇだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 がらがらと、引き戸を開ける音。にぎやかな訪問客。雨にまぎれた鬼眼の盛大な溜息に、ゆやは次こそは、と妙な決意をするのだった。








(2010/06/18)

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