SAMURAI DEEPER KYO
- イイオンナ
「ねぇちゃんべっぴんさんだねぇ」
「!!!」
酒屋の親父にそう言われて、お財布を握りしめていたゆやは、ぱあっと喜色満面の笑みを浮かべた。
「ほ、本当ですか!?」
「ああ、ホント、ホント。だからこっちの高い酒も是非」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ああ、お世辞か。
途端、ゆやは全面に押し出していた笑顔を、ひっこめる事なく、且つ、眉間に一本深いしわを刻んで口を開いた。
「おじさ〜ん。乙女をからかった罪、重いよ?」
酒瓶を手にぶら下げて、下駄をかこかこ言わせながら、ゆやは盛大に溜息を吐いた。
旅籠で待っている男どもに買って帰る途中なのだが、自然と視線は空に流れていく。
綺麗な茜色が、ゆやが向う西の空を染め上げている。
紅の王を倒して、塔が崩れてから三年。狂とようやく再会し、ゆやはある目的の為に旅をしていた。
きちんとその目的を話したこともないし、頼んだ事もないのだが、それでもゆやは三年間探してきた男と共に歩いている。
その男が何を考えてゆやと居てくれるのか、ゆやはイマイチ図りかねている。
七年前・・・・・その男がまだ仲間とともに居て、京四郎や朔夜と懇意だった頃、彼は風のように各地を渡り歩いていたと言う。
京四郎はそんな彼が自分たちと共にいたり、ふらっと一人でどこかに行っても、それがその男のスタンスなのだと言っていた。
一所にとどまっているような器の人間じゃないのだと。
その所をゆやもちゃんと理解しているつもりだったが、いざ、現実になってしまうと、一体いつまで、どれくらい、彼が自分と一緒に居てくれるのか非常に不安になるのだ。
(考えたってしょうがないけど・・・・・)
こつん、と足元の小石を蹴って、ゆやは肩を落とす。
きちんと自分の気持ちを男に訴えていない自分にも非があるのも判っている。
狂と再会し、京四郎と連れだって彼の家に向かっているのだが、途中、どこから狂の事を訊きつけたのか、梵天丸や灯、ほたる、時人とアキラ、サスケを連れた幸村、お国、紅虎に真尋なんかがいつのまにやら合流し、狂と話をするどころの騒ぎじゃない、大所帯になっていた。
楽しいし、嬉しいが、きちんと今後を話せるような状況でもない。
だが、仮に二人っきりで旅をしていたとして、なんて言えばいいのだろうか。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
貴方が好きです。だから、傍に居てください。お願い、狂。
「って言えるかぁああっ!」
あわわわわ、と正面に夕陽を受けたばかりでもなく、頬に朱を走らせて、ゆやは力一杯小石を蹴りあげた。
緩い弧を描いて落ちて言ったそれは、とある遊郭の前に止まった籠から、ゆっくりと降りてきた派手な羽織に派手な髪の色の、明らかに、その手の筋の大物っぽい人物の脳天を直撃した。
「あっ」
誰だコラァ!
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うあ・・・・・やばっ)
頭を抱えてしゃがみこむ男に、「若頭っ!」と取り巻きの一人が膝を折る。と、同時に他に群れていた怖いお兄さんたちが、一斉に辺りの通行人を威嚇し始めた。
テメェかコラァ!
やんのかコラァ!
兄ぃ、もしかして、こりゃ、龍神会の襲撃じゃないんですかぃ!?
事が大きくなっている。
いくら戦国乱世が平定し、天下太平徳川の世が来たからと言って、成人男子が、たかだか頭の上に小石をぶつけたくらいで何を大騒ぎしてるんだか、というのがゆやの正当なる感想だが、井の中の蛙で、この辺一帯の縄張り争いをしている雑魚にしてみれば、雑魚なりの矜持があるのだろう。
ゆらり、と若頭が立ちあがり、ゆやは大急ぎで背中を向けて、今来た道を戻り始めた。
だが、それより先に、自身の巻き添えを怖れた、チンピラの一人が、立ち去ろうとするゆやの背中に指を突きつけて喚いた。
「あ、あの女だ!あの女が獅子さまの頭に石をぶつけたんでさぁ!」
黙ってろよ、このウスラトンカチ!!!!
心の奥で叫びつつ、ゆやは走り出そうとする。だがそれより先に回り込まれ、奥歯を噛みしめた。
大所帯と、天下泰平。その油断から、ゆやは一人なら肌身離さず持っていた銃を旅籠に置きっぱなしにして来ていた。
取り囲む男たちはざっとみて20人。
普段の彼女なら、適当に2、3人に向けて弾を撃ち込み、普通の女だと思って油断した連中の囲いを突破してなんなく逃げることが出来る。
だがそれも、飛び道具ありが前提だ。
(どうしよう・・・・・)
じゃり、と足元の石を踏み、微かに後ずさりながら、ゆやは周囲に視線を走らせた。
とにかく、武器になるもの・・・・・
「まちな」
じりじりと包囲網を狭めようとするごろつきに、普段なら絶対に負けないのに、と口惜しそうに唇を噛んだゆやは、声がした方に顔を向けた。
若頭、と呼ばれ、派手な羽織に、金髪の男が瘤に手を当てて、厭らしい笑みを浮かべた。
嫌がるゆやに際どく、向こうが透けて見えるような着物を着せて、突き飛ばす。
開いた襖の向こう、衝立の前に先ほどの若頭が朱色の杯を手に、脇息にもたれかかっている。
膝から畳に着地したゆやは、下ろした髪を後ろに払い、きっとその男を睨みつけた。
周囲を取り囲んでいたごろつきどもに抱えられて遊郭に連れ込まれ、そこの主人とか言う、化粧の濃い中年女性に着替えをさせられ、こんな男の前に突き出されている。
お国が着ているような、胸元が強調されているそれは、京四郎に助けられて閉じ込められた、紅の塔で着せられていた、薄布と材質が近い。
こんな恰好、狂にだって見せた事ないゆやは羞恥と屈辱で頬を真っ赤に染めて男を睨みつけた。
「良い目だなぁ、女」
赤い舌が、唇の酒をなめとる。その様子に、ゆやはぞっとした。
「だが、この獅子さまの頭に傷を付けたんだ。それ相応の対価をもらわねぇとなぁ」
「あんたみたいな人間、頭かち割られた方がすっきりするでしょうよ」
ふん、と顎を上げて斜めに見下す。すうっと男の温度が下がる。
威圧されているのだと気付くが、こんな状況に有っても尚、ゆやには割と余裕が有った。
こんなもの、殺気の内にも入らない。
「その減らず口、利けなくしてやる」
ぽいっと畳に杯を捨てて、後ろの衝立を蹴飛ばす。彼の背後にひと組の上等な布団が敷かれているのを見て、ゆやは皮肉っぽく口の端を上げた。
「やることが下衆以下なのよ」
「舐めるなよ!」
手を伸ばして迫ってくる男。ゆやは慌てず騒がず窓の位置を確認した。
ここは二階だ。連れてこられる際、渡り廊下を通った時に、大体の間取りは把握している。
遊郭の回廊、その真ん中の庭に、大きな樹が立っていた。
その中庭を見下ろす形で、どの部屋にも窓がついている。そして、二階の窓程度なら、あの巨木に届くには十分すぎる高さの筈だ。
「何度でも言うわよ。この下衆!外道!!女の敵!!!」
「もう二度と、ここから出られねぇ身体にしてやる!!!」
20人の男相手に、武器なしで立ち向かうのは流石のゆやには荷が重い。
だが、小石一個で頭に瘤を作る様なボンクラ野郎一人、相手ではない。
傍に有った燭台。おもむろにゆやは掴むと火を消して、向かってくる馬鹿めがけて倒した。
「んなことしても無駄だぁ!」
口角から泡を飛ばし、色の滲んだ厭らしい、下卑た笑み。
倒れてくる燭台を手で払う男は、訪れた真っ暗闇で、一瞬ゆやを見失った。
乱れた足音が、室内に響く。
次の瞬間、すぱん、と心地よい音が響き、ざあっと蒼い光が部屋に差した。
ゆやが窓を開け放ち、月明かりがなだれ込んできたのだ。
「ご愁傷様」
女一人、手籠に出来なくて、やくざ者の名がすたるわね。
綺麗に笑ったゆやが、窓枠に足を掛けて、一気に巨木に向かって飛び込んだ。
あの女を逃がすな!!!
急く気持ちを抑えて樹を降りる。喚く若頭の声に、ばたばたと遊郭中が上に下にの大騒ぎになった。
ゆやは己が着ている衣装の、長ったらしい裾を持ち上げて、手近にあった部屋に飛び込んだ。
「!?」
「きゃあ!?」
「あ、す、すいません」
布団の中で、足を広げた女と、そこにまたがる男を見つけて、真っ赤になる。今まさに・・・・・な二人を横目に、ゆやは散らばっていた女の衣装をひったくった。
「ちょっと!?」
「後で返します!!!」
咄嗟にそれを羽織り、夢中で駆けだす。
間取りは把握済み。
速やかに脱出有るのみだ。緋色の衣には、あでやかな牡丹が描かれている。高そうな着物。
これも貢物なのだろうか、とぼんやり考えながら、ゆやは回廊をひた走りに走った。
やっと出口、とそう思った瞬間、ゆやは慌てて足を止めた。
遊郭の主と、怖いお兄さんたちが入口をすっかり固め、手に鞭のような物をもって立っていたのである。
「っ」
他に逃げる場所・・・・・
周囲を確認するが、走ってきた渡り廊下からは荒々しい足音が徐々に接近してくるし、道は一本しかない。
ゆやはぐっと唇を噛んだ。
「もうお終めぇだ!」
ごろつきの一人が、にたにた笑いながら言う。
「お前の運命は決まったんだよ!」
まずは獅子さまに喰われて、それからここにいる全員の相手をさせられて、終いにゃ、ここで一生ただ働きだ
下卑た笑い声が起き、ゆやは口上を垂れる、禿頭の男を睨みあげた。
「黙んな、タコ坊主」
「たっ?!」
「あ〜、やだやだ。こんな小さい地域の親玉気取って。何でもかんでも自分の思い通りになるって!?ちゃんちゃらおかしいわよ」
はん、と鼻で笑い、ゆやは一同をゆっくりと見回した。
「私の運命が決まったって?冗談じゃない。私の運命くらい私が決めるわ!」
「このアマっ!」
後ろから追いかけてきた男どもを割って、頭のてっぺんから湯気の出そうなくらい、真っ赤になった獅子が大股で近づいてくる。
ゆやが身構えるより先に、恥をかかされた男の平手が、ゆやを打った。
「女ぁ!テメェだけはぜってぇ許さねぇ!!」
穴という穴犯してやるから覚悟しなぁ!
倒れたゆやの上にのしかかり、力一杯彼女の着物を剥ぐ。
下卑た笑い声が起こり、ゆやはがむしゃらに手を振り上げた。
「触るんじゃないわよ!?」
「てめぇは、まずここで一発やられる。んで、部屋で二度と娑婆にでられねぇ身体にした後、永遠にまわされんのさっ!!」
「ふざけるなああ!!」
(・・・・・狂っ)
暴れる足も腕も取られ、酒臭い吐息が判るほど顔を寄せられる。衣装はかろうじてゆかに引っ掛かっているだけ。
こんな状態でも、ゆやは諦めなかった。
振りあげた手で、獅子の顔をひっかく。
殴られるのは、覚悟の上だ。
口から泡を飛ばし、何かを叫んでいる、自分の上の男から必死に這いだそうとして、態勢をひっくり返すが、上にのしかかった男に力一杯胸を掴まれた。
痛みに悲鳴が上がった。
「逃げられるわきゃねぇだろ!?」
「やっ」
その瞬間。
厭らしい目つきで、おこぼれにあずかろうとにやにや笑って二人を眺めていたゴロツキが一瞬で吹っ飛んだ。
控えに居た女郎たちから悲鳴が上がる。
二人を取り囲んでいた連中が、何事かと顔を上げれば、襲いくる殺気に、一瞬で腰が抜けたように床にへたりこんだ。
がたがたと全身が震えている。
歯の音も合わず、息が出来ない。苦しさに、自然と涙がこぼれるが、目をそらせない。
うつぶせに圧し掛かられ、頭を床に押さえつけられているゆやは、そっと目を上げた。
目が合っただけで、その殺気に殺される。
以前、梵天丸が言った台詞を思い出し、ゆやは慌てて目を閉じた。彼女の上に居る獅子の、頭を押さえる手が、小刻みに震えだした。
「テメェ・・・・・こんな場所でなにやってやがる」
地を這う様な低音。腹の底が震えるような、殺気交じりの一言。じゃり、と地を踏む音がして、五尺の大立ちを肩に担いだ男が、ゆっくりゆっくり近づいてくる。
唇まで真っ青になった獅子が、何か言おうと口を開くが、開く傍から言葉が吸収されていく。
がちがちと歯を鳴らし、身を引こうにも引けない男に、その存在はじりじりと距離を詰めていった。
「んな場所に紛れ込めるほど、テメェは色気も胸もねぇだろ」
「う、うるさい!」
鼻で笑って言われ、あられもない格好で男に圧し掛かられているゆやは思わず声を荒げた。
殺気の応酬の中で、ゆやに向けられた視線だけがいくらか柔らかかったからだ。
「んで?お前、こんなのが趣味なのか?」
吐き捨て一瞥する。紅の瞳に触れた順に、逃げることも叶わない取り巻きが、瘧に掛ったように震えだした。
一歩、一歩、ゆやに近づいてくる。
「そんなわけないでしょう!?」
「テメェが誘ったんじゃねぇのかよ?・・・・・ああ、チンクシャにんなこと出来るような色気はねぇか」
「狂!!!」
にやっと笑われて、顔を上げたゆやが真っ赤になって抗議した。
近づく狂は、足元で動けなくなっている雑魚を蹴り飛ばし、震えたまま半裸のゆやに乗っている、派手な羽織の男を見下ろした。
アキラの冷気に似た、冷たすぎる、凍えた空気がその場を覆う。
「おい、お前」
「ひっ」
ひきつれたような声が漏れ、紙のように白くなった獅子が、逃げるようにもがく。
「あんっ」
その瞬間、ゆやの身体に触れ、思わずゆやから甘い声が漏れた。
更に更に、その場の温度が落ちていく。
「こんなガキでも俺様の下僕なんでな」
「が、ガキってなによ!?」
「黙ってろ」
「っ」
思わず頬を膨らませるゆやに構わず、狂はすらり、と天狼を抜くとひゅっと一振りした。
「ひぎゃああああああ」
「っ!?」
獅子の額が薄く切れて、血が噴き出す。
致命傷には程遠い、単なる斬り傷だ。だが、血が怖いのか痛いのか、もんどりうってゆやから落ちた男は悲鳴を上げて廊下をのたうちまわる。
あれのどこが痛いんだ、と数倍深く斬られた事のあるゆやはすっかり呆れた。
「雑魚が」
斬る価値もねぇ。
鼻で笑うと、狂は、ようやく身体を起こすゆやに歩み寄った。
「酒買いに行って、なんでこんな恰好になんだよ?」
「う、煩い!」
透けた衣装に、乱れた髪。頬には殴られた痕。はだけた胸元に視線を感じ、引きちぎられた赤の衣を、慌ててゆやは羽織った。
「・・・・・・・・・・・・・・・っ」
大見え切ったが、内心本当に怖かった。
狂や仲間がいるから、この遊郭で一生を終えるような事には絶対にならない自信が有ったが、狂の前に出られない身体にされる恐怖はあった。
あのまま、本当にやられてまわされでもしたら・・・・・
ぞっとするゆやの、青ざめた表情に気付き、狂は溜息を吐くと、しゃがみこみ、座って震えるゆやの、殴られて蒼くなりそうな頬に手を添えた。
びく、と彼女の身体が震える。
「立てるか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・うん」
「ったく」
強がって頷くゆやに、舌打ちし、狂は彼女の膝裏と背中に手を伸べて、ひょいっと抱きあげた。
「ちょ・・・・・狂!?」
「あんま暴れんな。見えるぞ?」
にやっと笑われて閉口する。触れる腕の熱さとか、頬を寄せた胸板の感じとか、微かなタバコの香りとか、狂のそれに一々反応して頬が赤くなる。
気絶する者、魂を抜かれたもの、斬られて大騒ぎする者。彼らに目もくれず、狂は戸口に向かって歩いて行く。魅せられたように、ぽかんと口を開けて狂を見詰めるやくざ者に、ふと振り返り、狂は口の端を引き上げた。
「テメェら。今度この女に手ぇ出したら、この遊郭ごと跡形もなく消してやるから、覚悟しとけ」
懐の刀を、狂に向かって振るおうかと考えていた三下どもは、その殺気を前に、最後の気力も砕かれてしまうのだった。
ゆやをこんな目にあわせた連中は掃討に値する、と灯とアキラ、紅虎が激怒し、ごろつきどものアジトにきっちり仕返ししに行こうと、面白がるほたると尻ごみする京四郎を巻き込んで宿から疾風のように去るのを見送り、灯に治療をしてもらったゆやは、だるそうに一人で杯を煽っている狂の部屋の襖をそっと開けた。
梵天丸と幸村が言うには、あまりにも帰りが遅いゆやを二人が心配しだした頃、辺りを見渡すと狂がいなかったという事だった。
恐らく、誰にも何も言わずに探しに来てくれたのだろう。
「狂・・・・・」
「あ?」
窓枠に腰をおろしていた狂が、だるそうに振り返る。襖の前に、ちょこんと正座したゆやは、旅館の浴衣と羽織を着ていた。
「あの・・・・・助けてくれて、ありが・・・・・とう」
「・・・・・・・・・・」
無言で自分の盃に視線を落とす狂に、ゆやはあと、何を言ったらいいだろうかと、うろうろ視線を泳がせる。
やがて、呆れたような溜息が降ってきた。
「テメェは目ぇ離すとロクなことしでかさねぇな」
「なっ」
やれやれと肩をすくめる狂に、顔を上げたゆやが目を剥く。
「ど、どういう意味よ!」
「まんまだろ。チンクシャの癖に、色気づきやがって」
「わ、私だって行きたくってあんな場所に居たんじゃないんだからっ!」
へ、変な風に見ないでよ!
肩を怒らせて喚くゆやに、視線を移した狂がにやりと笑う。
「だろうな。テメェみてぇな色気のねぇチンクシャが、遊女なんか出来るわきゃねぇもんな」
「な、んですってぇえっ!?」
眉を吊り上げて怒るゆやに、狂は自分の杯を持ち上げる。
「出来るってんなら、酒の相手してみろ」
「・・・・・・・・・・・・・・・っ」
なによなによ。せっかく助けてくれてありがとう、って言って、そこからこれからの話・・・・・しようと思ったのに。
口をへの字にしたゆやが、色気皆無の足取りで狂の傍によると、どすん、と勢いよく腰を下ろした。
差し出される杯に、手元の銚子を傾ける。
そーっとこぼれないように注ぐゆやの仕草に、狂はそっぽを向いて、肩を震わせると、大笑いした。
「なっ・・・・・なによっ!?」
「女ぁ・・・・・お前、ホントに色気ねぇな」
「〜〜〜〜〜〜〜」
こぼれないようにただ注いだだけ。
流し目一つ送ること無く、しなだれかかることもなく、ただ、酒を注いだだけ。おかしそうに笑い続ける狂に、ゆやは涙目で睨みあげると、「帰る!」と腰を上げた。
その手首を、狂が掴んだ。
「誰が帰って良いと言った?」
オラ、さっさとしろ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
この我儘大王め。
引き戻されて、それからゆやは月の光しか差さない、青白い部屋で、もくもくと酒を飲む男の相手をする。
沈黙が、二人の間に落ちているのに、頭に来ていて、色々考え事をしているゆやには気にならない。狂の手が伸びて、肩に触れ、軽く抱き寄せられて初めてゆやは我に返った。
身体に触れる、狂の体温。
「っ」
途端、ゆやが緊張したのを知り、ことん、と杯を窓枠に置いた狂が、抱き寄せたゆやの顔を覗き込んだ。
恥ずかしくて、目を逸らす。
「何?」
ことさらぶっきらぼうに尋ねるゆやの、耳の先が真っ赤で、狂は吹き出しそうになるのを堪えた。
ここで吹き出せば、この女は例外なく憤慨してどなり散らす。
せっかく、静かな月夜なのに、勿体ない。
「チンクシャ」
呼ばれ、ゆやは「なによ」とことさら冷たく返事をした。
どうせ、黙ってお酌なんかしてたから、文句でも言われるのだろう。
狂にしてみれば、自分なんか、子供の部類だろうし。
(いまだにチンクシャだし。ていうか、一応私だって可愛いと思うんだけど・・・・・な・・・・・)
彼の周りに居た女性達を思い出して、ゆやはそれは大分奢った考えかもしれないと、小さく凹んだ。
朔夜さんの可愛さと綺麗さは卑怯だし、お国さんの色気と大人な女性の色香には絶対勝てない。真尋さんは素直で可愛らしいし、灯さんは(女性じゃないケド)狂の隣で戦える上に、綺麗だ。
ほぼマスコットくらいの認識しかされていない、お荷物決定な自分が、狂に「女」としてみられる事はまずなさそうだ。
(って、考えてたらまた更に哀しく)
狂にこうして寄り掛れている事実が驚きだ。
なんだか、口惜しい様な哀しい様な気分になっているゆやの、微かに青ざめた頬に視線を落とし、狂が低く尋ねた。
「連中に、何もされなかったか?」
「へ?」
間抜けに問い返し、顔を上げるゆやに、狂はその、赤い目を細めると手を伸ばした。
長い指先と、大きな掌。
頬を包まれて、どくん、とゆやの心臓が跳ねる。
「ええ・・・・・まあ」
殴られただけかな。
うろたえて視線を泳がせる。そんなゆやの仕草に、狂は溜息を吐く。
「あんまり、無茶すんな・・・・・と、言いてぇとこだが」
「え?」
「無茶しなきゃ、テメェはあの連中にヤられてたってわけか」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
赤い瞳が、まっすぐにゆやを映していた。そこに揺れている光りに気付き、とくん、と心臓が強く跳ねる。
「借りばっかり増えてくな」
「・・・・・・・・・・貸した覚え、ない、わよ?」
むしろ、狂は私を助けてくれたじゃない。
「今回は、私の不注意で」
「女護んのは男の仕事だ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・へ?」
ふっと顔をそむけ、窓から外に視線を落とした狂は、騒がしく凱旋してくる男どもににやりと笑う。
「連中も、仕返しなんぞ興味なかったんだろうさ」
したかったのは、お前を護り切れなかった憂さ晴らし。
「ちょっと」
「良い女は黙って男どもから護られてりゃいいんだよ」
鼻で笑って、狂は再びゆやをみる。
腕の中にすっぽり収まる女は、イマイチ色気に欠けているが、抱えた腕に伝わる温もりは、狂の理性をかき乱すくらいには熱い。
「・・・・・・・・・・・・・・・私の事、チンクシャって言うくせに」
「ああ。だからテメェは俺様に護られときゃいいんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・え?」
「他の野郎にまで護られる必要はねぇ」
「?」
「そのままチンクシャで居ろって意味だ」
「!!!!」
どういう意味よ、と突っかかるゆやを、狂は離さない。
ゆやもまた、自分に絡まる男の腕が心地よくて離れる気にならない。
うるせぇと、一言言われて、強く強く抱きしめられ、「黙ってろ」と押し倒されて抱き枕にされ、ようやくゆやは口をつぐんだ。
目を閉じる。
狂は酔っ払っているのだろうか。ううん、そんな事ない。
でも、この腕が心地いいから、たとえどんなつもりでも、色気が無いって言われても、今だけはここにいよう。
ううん。
今だけじゃなくて。
「ねぇ、狂」
「あ?」
胸板に顔を埋めて、ゆやはここ数日、訊けず居た「これから」を尋ねてみるのだった。
戦う女の子は好物です(笑)(2010/06/14)
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