EvilDetective

 預ける背中
 それは恐らく、普通に暮らしていたら気付かなかった感触だった。

 誰でもあって、誰でもないもの。

 怪盗サイに数度接触したことがあるからこそ感じる、違和感だった。

 もしこれが、サイだったら、雑踏の中を足早に、一心不乱に歩いていく弥子は気付かなかっただろう。
 だが、サイよりも劣る、レベルの低いものだから、弥子には分かった。

 自分が、監視されている、つけられているということが。

 歩きながら、弥子は地下鉄の駅へと降りたくなるのを懸命に堪えた。なんとか巻こうと、路地を曲がるのもやめた。
 ただひたすら、事務所を目指して歩いていく。

 事務所に行けば助かる、という見込みはない。可能性もない。
 だが、今ここで雑踏を抜けたり、道路際に寄ったり、駅のホームに立つことは絶対に出来なかった。
 胸の中をぐるぐると巡る言葉を飲み込み、歯を食いしばって弥子は歩き続ける。
 彼女の能力では、せいぜい誰かがつけてきている、という部分のみを感知するだけで、それが誰なのか。どこからつけているのか、見られているのか、分からない。

 誰に助けを求めて良いのかも分からない。

 ゆえに、弥子は自分のホームグラウンド目指して歩いているのだ。

 たった一人。

 預ける背中の無いままに。






 疲労困憊。
 そんな言葉が当てはまるほど、ネウロは疲れ切っていた。ソファーに長々と横たわり、目を閉じる姿には生気が無く、端正な顔は青白くて、死んでいるように見える。
 微かに胸部が上下すること以外、彼が生きていると指し示すものが無いと、弥子は向かいのソファーに座ったまま、重苦しい沈黙の中でぼんやり考えていた。

 受けた傷は、表面上は癒えたように見える。だがそれが、ちゃんとした「完治」ではなく、彼の魔力がちょっとでも足りなくなれば、容赦なく表に表れ、血を溢れさせることも、弥子は痛いほど知っていた。

 そして、そんな傷を負い、ぎりぎりまで魔力を使い果たした「電人HAL」の事件と、今回は根本的に違う。

 あの時は、「謎」を「狩る」のに力を使い果たしていたが、今回は「謎」を護るために、力を使わなくてはならないのだ。

 「狩り」に成功し、「謎」という魔力の源が手に入った前回と比べ、今回の戦闘はネウロになんの特も無い。

 強いて言うなら、謎を実らせる田んぼに降りかかった、天災とでもいうべきか。

(ネウロが魔力を効率よく回復させる手段がない・・・・。)
 その事実が、眠る魔人を前にした弥子の不安を煽った。
(魔力が回復しないということは・・・・傷の回復も遅くて・・・・そして・・・・。)

 結果的に時間が足りず、後手に回らざるを得なくなる。

「ねえ、ネウロ。」
 昏々と眠り続ける彼に、弥子はそっと声をかけた。
「なんだ。」

 おきているように見えなかったのに、律儀に返された台詞。何となく、彼が浅い眠りをさまよっている気がしていた弥子は、溜息を付き、呻くような声で呟いた。

「あんたさ・・・・一回魔界に戻ったほうが良いよ・・・・。」
「何故だ。」
 鋭く返され、微かに傾いた彼の顔が、弥子を見詰める。片目だけ開かれた眼差しを、彼女はまっすぐに見詰め返した。
「だって・・・・地上じゃ時間かかるでしょ。」
 回復に。

 両の手を握り締めて言えば、ふん、と魔人が鼻で笑った。

「魔界に戻ったところで、結果は変わらん。」
「確かに魔界には謎がないよ?ってことは、あんたの魔力の源がないのかもしれない。けど、だったら、こっちと条件は同じでしょ?」
 今、この瞬間に、ネウロ、謎を食べる手段がある?

 珍しく鋭く言われ、そっぽを向きかけたネウロは、口やかましい奴隷を見やった。

「だったら、ちょっとでもコンディションが良いほうに居たほうが良いと思う。」
「奴らの狙いは我が輩だ。」
 めんどくさそうに言い、ネウロが億劫そうに目を閉じる。
「何時何処で、この世界の謎がまた、先ほどと同じような手口で失われるか分からん。」
「けど、その時にアンタの力が足りなかったら意味ないでしょ?」

 食い下がる奴隷に、むくりと身体を起こしたネウロが、冷たい眼差しを送りつけながら、弥子の頭をわしづかみにした。

「我が輩を誰だと思っている?」
「心配なだけだよ。」

 それに、弥子はきっと眦を決すると、掴むネウロの手を掴み返した。軽く、魔人が目を見張った。

「日に日に睡眠時間が多くなるし、例の連中との戦いには、なんの謎も無いんでしょ!?その上・・・ネウロが察知した謎が潰されていく・・・・このままじゃネウロ、ジリ貧だよ!?」
「・・・・・・・それがどうした。」
 ぱ、と弥子の手を離し、魔人が少女の瞳を覗き込んだ。吐息が掛かるくらいの距離で、冷たい眼差しの男が笑う。
「我が輩はそれでも、謎があるここを捨てるわけには行かない。」
「捨てるわけじゃないよ。ちょっと戻るだけじゃない。」
 睨み返す弥子に、魔人は小さく、笑みの形に唇を引き上げた。
「なんだ?弥子。そんなに我が輩を帰したいのか?」
「帰したいよ。」

 ほう、とネウロの手が凶悪な刃物とかし、弥子の首にぴたりと当てられた。でも、それでも弥子は顎を上げて、見詰める翠の、不思議な瞳を見返した。

「それで・・・・アンタが元気になるんなら。」
「・・・・・・・・・・。」
「悔しいけどさ。」

 目を見開くネウロから視線をそらし、弥子は己の手を見詰めた。拳に握った小さなそれ。

「私じゃ駄目なんだよ。・・・・ううん、世界中の誰もが・・・・今現在では、誰もが彼らに敵わない。アンタの言う、人間の可能性を信じるなら、いつか・・・・いつか奴らに勝てる知識や力をもった人が現れると思う。」
 でも、今は・・・・・時間がない。
「・・・・・・・・・。」
「人間には・・・・・アンタの助けが必要なの。」

 澄んだ、褐色の瞳がひたりとネウロを捉えた。

「私の力は何にも無いし・・・・どうにも出来ないけど・・・・ネウロを助けることは出来るよ。」
 人類の助けになりそうな、あなたを。
 助けたい。

「実際、魔力を回復させるのは我が輩自身だがな。」
「・・・・・・・・そうだけどさ・・・・。」

 正論を返され、う、と言葉に詰まる弥子の、その細い首筋から刃物をどけて、ネウロはふいっと彼女から視線を逸らした。

「だが、確かに。貴様の言うことは一理ある。」
 しょぼん、と肩を落としていた弥子が、それにはっと貌をあげた。こちらに背を向けたネウロが、窓ガラスから差し込む秋の日に目を細めた。

「ここを離れるというのがどういうことか、貴様は分かっているのか?」

 低く放たれたネウロの言葉に、弥子は立ち上がると、ふっと笑って見せた。
 柔らかな、彼女の笑顔。

「私が死んでも・・・・・きっとネウロが何とかしてくれる。」
 世界を、助けてくれる。
「地上は大事な食料庫だしね。」

 あはは、と笑いながら告げる弥子を、ちらりと振り返り、ネウロは口の端をゆがめて笑った。

「何時戻れるか分からんぞ。」
「知ってる。」
「一人でも?」
「やれるわよ。」
「―――――――もし、その言葉が偽りだったなら。」

 かつ、と靴音を響かせて、ネウロが弥子の真正面に立った。そのまま彼女の両頬を両手で包んで上向けさせた。

「口から心臓を引きずり出して、それでも生きている、世にも奇妙な剥製にしてやる。」

 確かめるような、ネウロの視線。それと頬の指先を感じながら、弥子は綺麗に笑った。

「絶対に生き残って見せるから。」



 そして、魔人は弥子の忠告通り、体力を回復させるのに、適した環境・・・・つまり魔界へと戻っていった。







(ネウロ・・・・・!!)
 あれから二週間。何事も無く・・・・というわけではないが、笛吹達警視庁の連中が頑張って、表面上、例の連中からの攻撃は起きていない。
 水面下で何が起きているのか、弥子は時々笹塚に確認を取っていた。

 もっとも、大したことは教えてもらっていないのが現状だ。

 だが、敵は確実にネウロを一番に問題視している。

 水面下で進む計画。
 その全容は分からないが。

(連中が動き出したのは、私にだって分かる・・・・!)
 笹塚から貰った情報は、逐一あかねに報告して、記録してもらっている。
 どんな瑣末な出来事でも。
 事細かに。

 そうして見えてきた事実を照らし合わせてみても、今、連中がネウロを消しに動き出すのは容易に分かった。

 現在ネウロは事務所に不在だ。

(それをかぎつけられたかは分からないけど・・・・でもっ)

 なんとしても、ネウロの留守を護らなくては。

 弥子は走りたくなる衝動を堪え、連中の刺すような視線も無視し、必死に事務所へと向かった。
 見えてくる灰色の、古いビル。

 一時も気を抜けず、弥子は必死に「なんでもない振り」をしてビルに飛び込んだ。

 エレベーターには乗らない。

 もし乗って、後から乗り込まれたら命がない。

 ここまできたら、なりふり構っていられない。

 弥子は必死に階段を四階まで駆け上がった。
 息が切れる。
 これくらいなんでもないはずなのに、今までの緊張が圧し掛かり、足がもつれてしまう。

 まろぶようにフロアに飛び出し、弥子は必死に事務所のドアめがけて走った。

 その瞬間。

「っ!?」

 正面の窓ガラスが粉々に砕け散り、リノリウムの床に、亀裂が入るのが分かった。ばしいっ、という破壊音。
 続く飛来物に、弥子は恐怖に二の足を踏んだ。

 サイレンサー。

 銃だ。

 何発も打ち込まれ、弥子は咄嗟にどうしていいかわからず、くるりと背中を向けると物陰を目指して走る。
 足元に着弾し、空気が切り裂かれるのが分かった。

 熱いものが太ももを掠めて、弥子はどっとその場に倒れこむ。

 銃弾が掠めたらしく、血が滲んでいる。

(かすっただけで!?)

 ぞっと青くなり、弥子は座り込んだまま、打ち込まれる窓を見上げた。

 暗く、黒く、闇のような影が、確かに。
 にたりと笑うのを弥子は見た。

(うそっ!!!!!)

 そのまま撃たれる、と思った瞬間。

「!?」


 ふわり、と何かが弥子の目の前に降り立った。そのまま、飛来してくる弾丸を人差し指で跳ね返す。

「っ!?」

 及び腰のまま、目を閉じて衝撃に絶えようとしていた弥子は、おそるおそる目を開けた。

「大丈夫なんじゃなかったのか?弥子。」
 低く響く、声。
「ね・・・・・・・。」
「の、割には、ピンチだな。」

 ひゅん、と飛んでくる弾丸をあっさりよけて、さり気に男は弥子を庇う。

「窓ガラスも粉々で。」
「ねう・・・・・・・。」

 振り返った男が、にやり、とまがまがしい笑みを弥子に向けた。

「あれの変わりは・・・・・ふむ・・・・人間ガラスか。」
「私がガラスになるの!?」

 思わず突っ込んだ瞬間、ネウロの手がすうっと上がり、「人間ガラスじゃ詰まらんな。」と不吉な事をぼやいた瞬間。

「ちょ!?」
「人間壁だ。」

 どっ、と物凄い勢いの魔力が、魔人の片手から放出され、壁をぶち破ったその、翠の光が、向かいのビルの屋上へと一気に到達する。

 何かを一直線に貫き、光が爆発する。

 煌々と光るその光の帯。
 その派手さに息を呑む弥子を、腰に手を当てた魔人が、背を折って覗き込んだ。

「良かったな、人間壁決定だ。」
「絶対いや!!!!!」


 座り込む弥子の、微かに涙の滲んだ突っ込みに、男はくすりと笑うと。

「腰が抜けてるぞ、ワラジムシ。」
「こ・・・・これは・・・・・!!」

 ひょいっと弥子を抱えあげて事務所のドアを開けた。

「主を迎えるには少し物足りないイベントだったな。」
 抱えあげられた、その腕と、近い胸元から感じるものに、弥子は少しくすぐったくなりながら、小さな声で突っ込んだ。
「イベントゆーな。」


(2007/12/06)

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