EvilDetective
- 夜間フライト
- 「・・・・・・・・やられた・・・・・。」
日頃のネウロからの暴力(?)のお陰か、すっかり「痛い」ことに対して耐性が付いている弥子は、自分が転がり落ちた山の斜面を見上げて溜息をついた。
夏の長い日の落ちる間際。
人里はなれた、山の中腹にある温泉宿。
その温泉宿へと続く細い山道を歩いていて、弥子は何者かに突き落とされたのだ。
彼女の手には、銀色のブレスレットが握り締められている。
突き落とした犯人の顔を見ることは出来なかったが、彼女は咄嗟に、犯人の腕を掴んでいた。
その腕にこれがあったのだ。
引きちぎられたそれに、犯人は気付いているのか居ないのか。
(あの高さから落ちたら普通、死んでると思うよね・・・・。)
首が痛くなるほど上のほうを見上げ、受身の練習だけはしっかり出来ててよかったと、弥子はほっと溜息をつく。ただし、転がり落ちた川原から、這い上がるだけの力が、弥子には残っていない。
なんせ、打ち身、打撲で身体が痛い。
(私ってなんかこう、こういう酷い目にあってばっかりな気がするなぁ・・・・。)
膝を抱えて川原の一つの岩に腰を下ろして、弥子は藍色の空にぽっかりと浮かぶ白い月を見上げた。
残照を残して太陽は山の陰に隠れて見えない。川の流れる音に混じって、虫の声がし始める。
晩夏。
凍死することは無いだろうが、このままここでサバイバルをするのもいやだった。
知らず、弥子の視線は再び掌のブレスレットに落とされた。
温泉宿で起きた連続殺人。その事件現場に、一つづつ、銀で出来た小さな飾りが置かれていた。
そう。
このブレスレットを構成するパーツに、それは良く似ている。
(つまり・・・・突き落としたのは犯人、ってことよね・・・・。)
このブレスレットは証拠品になる。
スカートのポケットからハンカチを取り出し、それを包んで再びポケットに戻すと、とりあえず弥子は岩の上から立ち上がった。
このままじっとしても居られない。
恐らく、犯人は自分に辿り着く要素を持っている・・・・一応世間に名の知れた「探偵」である弥子を消すコトに成功したと思っているだろう。
とすれば、再び犯行を冒す可能性もある。
つかまる可能性が一つ消えたのだから。
(けど・・・・本当に厄介なのはまだ宿に居るんだけどね・・・・。)
弥子が納得いかないのはそこなのだ。
魔界の謎を全て食い尽くした男。
魔人、脳噛ネウロ。
彼が居る限り・・・・たとえ弥子を排除したとはいえ、犯人の身が安全である保障は0.0001パーセントもない。
つまり、弥子が山肌から突き落とされたところで、犯人には何の有益な事も無く、よって、落とされ損なのだ。
(落ちるべきはアイツなのに・・・・ていうか、アイツは落ちないか・・・・。)
本性鳥っぽいし。飛べるようだし。
はうー、と溜息をつき、弥子はぐーぐーなるお腹を抱えて、とりあえず川の上流へと歩いていく。
宿はもう少し上流のほうなのだ。
(黙って座ってた方がよかったかな・・・・でも、ネウロにこれ渡した方がいいし・・・・笹塚さんたちも心配してるかもしれないし・・・・。)
第一の殺人の後、たまたまこっちに捜査で来ていた刑事の笹塚。そんな警察をあざ笑うように第二の殺人が起きた。
珍しく、ネウロが苦戦していたのも知っている。
(ネウロが勝手に居なくなった私を探してくれるとは思えないしなぁ・・・・・。)
弥子は弥子で考えることがあって、こうして一人旅館を離れていた。殺された第一被害者の言葉が気になっていたのだ。
彼女が見たという、白い花。
それが気になって探していたのだが・・・・。
(結局見つからないし・・・・犯人に突き落とされるし・・・散々だよ・・・・。)
よいしょ、と岩を乗り越え、ゆっくりと暗くなっていく夏の空を見上げる。川はまだ、判別できるが、両脇の山肌はすっかり暗い闇に飲み込まれていた。
「・・・・・・どうしよう・・・・・朝までまとうかな・・・・・。」
川原はそこで終わり、あとは蛇行する川が細く奥へと続いている。急流に差し掛かっているようで、流れが速いのが、音で分かった。
もうちょっと行くとつり橋があるんだケド・・・・。
(そこから声を張り上げれば・・・・・聞こえないかなぁ・・・・。)
深い深い溜息を漏らして、弥子はぺたり、と手近な岩に腰を下ろした。
確かに、旅行に来たのは謎のためだが・・・・まさかこんな目に遭うとは。つくづく最近の自分は運がない。
ネウロと出会ってから、それがより顕著だ。
「お腹すいたなぁー・・・・もうちょっと待って体力が回復したら・・・・って、もう暗いし・・・明日かなぁ・・・・。」
このまま遭難!?とかいうありがたくない考えが脳裏をよぎるが、川沿いに歩けばきっと大丈夫と弥子は自分を励ます。
不意に、辺りの暗さが身に染みて、弥子は膝を抱えて蹲った。
(助けに来てくれない・・・・かなぁ・・・・くれないよね・・・・そうだよね・・・・謎なんかないもんね・・・・・。)
あの魔人のことだ。自力で脱出して来い、といいそうだ。
ああ、いいそうだ。
物凄く言いそうだ。
「ていうか、もう犯人追い詰めちゃってたりして。」
「残念ながら決定的な証拠が足りん。」
「そうなんだー・・・・ネウロにしては珍しいよねー。」
「戻ってこない奴隷を探したりしなければ今頃、謎が食えてたかも知れんがな。」
「それは悪かっ」
その瞬間、はっと弥子は顔を上げた。
「た・・・・・・。」
一つ先の岩の上に、腕を組んだ仏頂面の魔人が立ち、冷ややかな視線で弥子を見下ろしていた。背後に背負っている銀色の満月が、冴え冴えと彼を照らしている。
「ネウロ・・・・・・。」
「こんな谷底でキャンプなんて余裕ですね、先生v」
なんなら、川で遊泳するのも楽しいかもしれないですよ?
「ちょーっとまってネウロ!!!!!いいから!!!川に突き落とそうとしなくても、分かったからっ!!!!」
ぐいぐいと肩を押され、近くを流れる濁流に押しやられそうになる。
それを堪え、必死にネウロの袖を掴むと、弥子に圧し掛かるように体重をかけていた男が更に冷たい視線で彼女を見た。
「こんな所で何をやっている。」
「や・・・・えと・・・・・。」
「粗野な貴様はそんなに野宿が好みなのか?」
「違うよ・・・・・。」
ふ、と肩を抑えるネウロの手から力が抜け、弥子は慌てて体制を整えると気まずげにネウロを見上げた。
「突き落とされたの。犯人に。」
「ほう。」
腕を組んだ魔人が、瞳を細め、鋭い視線で彼女を見やった。
「見たのか?」
「ううん・・・・・。」
ち、と軽く舌うちされて、弥子は思わず顔を上げた。あきれ返るネウロの、冷たい横顔を前に、必死に食い下がる。
「けど!これ・・・・掴んだ。」
スカートのポケットから、証拠品を取り出し、弥子はネウロに掲げて見せた。重力に逆らうような、不自然な前傾姿勢で、ネウロが彼女の手の中を覗き込む。
ふ、と彼が楽しそうに笑った。
「なるほど・・・・これは十分な証拠だな。」
「鑑識回してもらって、指紋とか調べれば犯人が分かるよね?」
「ま、我が輩はそんなことをしなくても、それくらい分析できるがな。」
ひょいっと皮の手袋を嵌めた手でそれを取り上げ、安堵する弥子に再び視線を落とす。
やれやれ助かった、と溜息を漏らす弥子の外見を、しげしげと見詰めた。
「怪我は無いようだな。」
「うん。当たり所が良かったみたい。」
けど、無駄に歩いた所為で疲れたよ・・・・。
少し休んでから・・・・と勝手に思っていた弥子は、次の瞬間ネウロの小脇に抱えられて、驚いたように彼を見上げた。
「ちょっと!?」
「もたもたしている時間はない。とっとと謎を食いに行くぞ。」
「えええ!?もう犯人分かったの!?」
「犯人は分かったが、証拠が見つからなかったと、言わなかったか?単細胞。」
「・・・・・・・・・・。」
ぐ、と言葉に詰まる弥子を抱えて、ふわり、と魔人の身体が浮いた。翼があるように、彼のジャケットの裾がはためき、急激に高度が上がった。
「うわああああああ、ちょっと!急上昇過ぎるっ!」
「我慢しろ。」
「あ・・・・足がっ!足がすーすーするっ!!!」
「暴れるな。ここから落とすぞ。」
「・・・・・・・・。」
だくだくと涙を流しながら、急上昇を続けるネウロに抱えられ、弥子はふと銀色の光に彩られた魔人の貌を見上げた。
山奥なので星が綺麗だ。月と星。闇また闇。
そこにふわりと浮かぶネウロの端正な顔に、弥子の目が吸い寄せられる。
「あの・・・・さ・・・・・。」
「なんだ。」
高い位置から、何かを探すネウロは、本性が鳥っぽいのに夜でも目が利く。
瞳の中の緑色の不思議な虹彩。
それが弥子のほうを向いた。
「ごめん・・・・・私、役に立ってな」
「分かっているではないか、ゴミ虫。」
「いたいいたいいたいいたいーっ!!!」
ぎりぎりぎりぎり、と抱えられているわき腹を締め上げられて、弥子が足をばたつかせた。
「勝手に居なくなり、勝手に遭難し・・・まったく、手間ばかり掛かる。」
「・・・・・・・・・。」
しゅーんと肩を落とす弥子に、しかし魔人は気付かず、見つけたものを求めて、今度は急降下を始める。
ジェットコースター・・・というより、フリーホールに近い自由落下。
「ぎゃああああああああああ」
「うるさい。」
叫ぶ弥子の口に手を突っ込み、魔人はふわりと、先ほどとは違う場所に降り立った。
「もがっ!?」
くぐもった驚きの声をあげ、弥子は見た。
例の・・・・一輪の白い花がそこに咲いていた。
「これで、謎が食える。」
花を手折り、傍の土質を調べたネウロが、抱えたままの弥子に、持っていろ、と花を渡す。
「これ・・・・・・。」
「それの意味を考えるのは貴様の役目だ。」
「・・・・・・・・・・。」
息を呑む弥子を抱え、再びネウロが地を蹴った。
「もしかして・・・・これ、探してたの?」
「そうだ。」
「・・・・・・・・・あの・・・じゃあ私は」
「貴様はついでだ。」
ばっさり切り捨てられたような、その一言に「でしょうね。」と弥子はげんなりして言う。
やっぱり、ただ探しには来てくれないよね・・・・。
それでも。
月夜のフライトの短い間、弥子はなんとなく嬉しく思ってしまう。
少しだけ、自分を抱えるネウロの腕が優しかったからかもしれない。
(2007/12/02)
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