EvilDetective

 嗜好品は五円チョコ
 目の前にあるジャンボ・カツカレー。それによだれをたらしながら、「いっただっきま〜〜すv」とスプーンを伸ばした瞬間、桂木弥子は起こされた。
 全身を揺り動かされ、カツカレーが姿を変えていく。
「まって、私のカツカレー!せめて一口・・・・・一口あればカツは全部いけるから!」
「どこにそんな化け物みたいな女子高生がいるのよ。」

 右手を未練がましく伸ばす彼女に、冷たい突込みを落としたのは、弥子の親友、籠原叶絵である。

「ほら、HR終わったよ。」
「あ・・・・・。」

 ようやく目を覚ました弥子は、机の上に上半身を伏せたまま、伸ばした右手の指先をにぎにぎした。
 ぶあーと目から水が零れていく。

「あたしの・・・・カツカレー・・・・・。」
「はいはい、残念でしたね。」
 前の席に座る叶絵が足を組むのに、へちゃれていた弥子は「本当においしそうでね・・・・衣なんか山芋をいれてるらしく、こう、さっくりふんわりで」なんて永遠と愚痴を零し始める。
「アンタの人生、食べるしかないみたいね・・・・。」

 その妙にリアルな愚痴を聞きながら、叶絵が呆れたように肩を竦めた。

「それか、後は事件に首を突っ込んでるか。」
 のろのろと身体を起こす弥子に、叶絵が身を乗り出した。
「今朝のニュースの事件にも、アンタ、首突っ込んでたでしょ?」
「・・・・まーね。」

 放課後のざわめく人の波の中を見渡し、弥子は遠い目をした。
 そこにはありふれた・・・・そう、自分にもあった日常がなんていうこともなく展開している。
 だが、自分の日常は物凄い勢いで方向を転換せざるを得なくなっているのだ。

 深夜まで犯人を追い詰めるのが、当たり前になりつつあるくらいに。

「花の女子高生時代を、事件と食べ物に費やすなんて・・・・なんか不憫ね。」
 叶絵が携帯のメールをチェックしながら言う。その一言に、「食べるのは譲れないとして・・・・事件はね・・・。」と更に更に弥子は遠い目をした。

「なんていうかさ・・・・もうどうしていいかわかんないってのが私の率直な感想なわけよ・・・・。」
「アンタが好きで首突っ込んでるんでしょ?」
 そんな趣味があるとは知らなかったけどさ。
「・・・・・・・・・・・。」

 違うんだよ、叶絵。ある日突然人の人権を無視した超ドS魔人が現れて、私の平穏な日常を血なまぐさいものに変貌しやがったんだよ。

 そう、胸の中で呟きながら、弥子は乾いた笑みを浮かべた。

「私も知らなかったんだけどね・・・自分にそんな趣味があるなんてね・・・・・。」
「なにその、棒読み。」
 思わず突っ込む叶絵に「私のことはどうでもよくて。」と弥子の人生を変えた人物からお呼びが掛からないうちに、と彼女は身を乗り出した。

「何?メールは彼氏?」
「いーや。この間合コンであった奴から。」
「おー・・・・・。」

 やるなぁ、叶絵。

 で、どうするの?キープ?

 なんて訊ねてくる弥子に、叶絵は答えようとして、ふと親友をまじまじと見た。

「あんたもさ・・・・彼氏の一人とか欲しくない?」
「え?」
 唐突に自分に振られて、弥子は「いやいやいやいや。」と慌てて両手を振った。

 彼氏だなんてとんでもない。

(この現状でそんなもんが居たら、血を見るよ・・・・相手も私も・・・・。)

 黒い笑顔を振りまく、事務所に居座っている存在を思い描き弥子は乾いている上に、更に引きつった笑顔を叶絵に向けた。

「今はいいや・・・・・。」
「なんでよ。・・・・まあ、確かにちょっと食費は掛かりそうだけどさ。弥子ってば一応有名人だし。」
 居たらその場が盛り上がりそうだし。
「客寄せパンダにする気?」
「合コンでは盛り上がりが一番なのよ。」

 ねえ、どう?こんど一緒に行かない?いいの揃えるよ?

 にこにこ笑って詰め寄る叶絵に「うん・・・・でもやっぱ遠慮しとく。」と弥子は明後日の方向を見ながら答えた。
 どこかでニヤニヤ笑いながらこの光景を見てる『奴』が居るような気がしたのだ。

「私が行っても、恐らくあっちもドン引きすることになりそうだし・・・・そうなったら叶絵に悪いよ・・・・。」
「そ〜う?」
「そうそう。」
 軽くいなして、弥子は立ち上がると帰り支度を始めた。そんな彼女の様子に、なんか引っかかるなぁ、と眉間に皺を寄せる彼女が、ぴんと来たように「分かった。」と声を上げて立ち上がった。
 そのまま、弥子の肩に両手を置く。

「ひょっとしてアンタ、誰か本命が居るとか?」
「え?」

 本命?私が?

「そ〜いや、あんたの助手さん、かなりレベル高いよね?」
 もしかして付き合ってるとか?

 その瞬間、弥子が後ろにすっころんだ。
 昏倒したとでもいうか。

「ちょ・・・・弥子!?」
「ごめん・・・・・いま、すんごいめまいがした・・・・。」

 ごん、と鈍い音をたててぶつけた後頭部をさすりながら、横たわった弥子が青ざめた顔に虚ろな目で並ぶ机の脚を見ている。

「あはは・・・・・私とネウロが?有り得ない・・・・有り得ないよ叶絵・・・・ていうか、そんなことあると想像するだけで、ほら、今も目の前に三途の川が・・・・。」
「ちょっと弥子!?しっかりして!?」
 わたわたとかがみ込む叶絵の動きに合わせるようにして、一つの陰が弥子の前にしゃがみ込んだ。
「そうですよ、先生!こんな所で死なないで下さい!」
「!?」

 桂木が倒れたぞ! 大丈夫、弥子!?

 ギャラリーが集まり、騒がしい中で、響いたその声に、ぎょっとしたように彼らがその声の人物を見る。

 同じく、その声に反応した弥子が、ぎぎい、と軋んだ音を立てそうな動作でそちらを仰ぎ見た。

「大丈夫ですか?大事な後頭部をぶつけられて・・・・。」
「ネ・・・・ネウロ!?」

 そこには愉悦に歪んだ笑みを浮かべ、真っ黒な中に翠の虹彩が煌く、不思議な瞳を向けた魔人が自分を意地悪く見下ろしていた。
 びきい、と弥子の背がこわばる。

「な、なんでアンタがここ」
 に!?という語尾は、凄いスピードで飛んできた彼の右手に口をふさがれ締め上げられて続かない。

 もがもがいう彼女を見下ろしたまま、「心配そうな顔」のネウロが「あまたをぶってるんですよ、先生。落ち着いて」と彼女の上体を引き起こした。

 息が吸えず目を白黒させる弥子に魔人が顔を寄せる。
 教室の空気が凍る程の至近距離だが、当事者は全然まったく気付いていない。

「貴様のいるここから微弱な謎の気配がしたのだ。それを追ってきた。」
 低音で囁かれた台詞に、はっと弥子が緊張した。

 謎って・・・・まさか、誰か・・・・!?

「慌てるな、ミジンコ。誰も死にはしない。それに、」

 ぱ、と弥子の口から手を外し、げほげほむせる彼女を、ネウロはひょいっと抱き上げた。見守るギャラリーがいっせいにどよめき、突然の出来事に顔を真っ赤にした弥子が「ちょっとネウロ!?」と悲鳴のような声を上げた。
 叶絵が「ありゃりゃ〜」というようななんとも生暖かい視線で弥子を見ている。

「先ほどの見事な昏倒で足をくじかれてるようですね。さっさと事務所に戻りましょう。」
「お、降ろしてネウロ!!は・・・恥ずかしい・・・ていうか、目立ってる!!かなり目立ってるから!?」
「先生の知名度が更に上がる絶好のチャンスじゃないですか。」
 それのお手伝いが出来て僕は光栄だなぁ。

 絶対笑ってる!楽しんでる!この外道がっ!!!!

 羞恥プレイなんて有り得ないよ、ネウロ!!!!

「さ、帰りましょ、先生v」
「降ろしてーっ!!!」

 そのまま、ラブラブ新婚夫婦(?)よろしく横抱きに抱えあげられ、学校中の注目を集めながら、弥子は校舎を後にするのだった。




「なんなのよ、一体!!!!」
 散々暴れた所為で、疲労困憊の弥子は、ようやく街角で降ろしてもらい、ネウロに詰め寄る。それに、「なんだ、不満か?」と魔人は高飛車に笑って見せた。
「我が輩としては、貴様を逆さ宙吊りの格好でつれて帰るほうがよっぽど目だって良いと思っていたんだがな?なんなら、今からそれを実践」
「やらないでくれてありがとうございます。」
 だくだくと涙を流しながら頭を下げ、弥子は己の足が痛むのに顔をしかめた。

 確かにネウロの言うとおり、ひっくり返ったときに足首を痛めたようだ。

「それにしても・・・・ショックで倒れることってあるもんね・・・・。」
「あんな綺麗に倒れるわけ無いだろう、ミドリムシ。」
「え?」

 しみじみと呟く弥子に、まるっきり興味のない声でネウロのツッコミがとんだ。

「貴様、まさか、倒れたのが自発的・・・もしくは偶発的に起きたものだと思っているのか?」
「違うの?」

 究極に人を見下すと、こんな風な視線になるんだ、というお手本のような冷たい視線を向けられ、弥子は言葉に詰まって、視線を逸らす。

「アレは、故意に引き起こされたことだ。」
「え?」

 やる気なさげに肩を竦め、すたすたとネウロが歩き出す。その後を、足を庇って歩きながら弥子が追った。

「どういうこと?」
「床を見たか?油のようなものがたらされていたぞ。」
「ええ!?」
「独特の香りがしていたことから、恐らくアロマ系のオイルだろう。」
「でも・・・・・なんで?」
 イタヅラ?

 眉間に皺を寄せる弥子に、振り返った魔人が冷たい笑みを向けた。

「あの場から謎の香りがしたといっただろう。犯人が貴様を嵌めようとしてあの場に上手く零したのだ。」
「へえ・・・・って、私!?」

 思わず納得してしまい、慌てて弥子が突っ込む。

「そうだ。相手は貴様を怨んでいた。微かだが、謎を構成するに足りるだけの悪意があれにはあったな。」
「・・・・・・・・うそ・・・・。」

 思わず絶句し、立ち止まる弥子に、ネウロは淡々と続ける。

「もっとも、謎自体はたいしたものではないし、カロリーも最低だったがな。」
「食べたの!?だって私、『犯人はお前だ』、やってないよ!?」

 慌ててそう訊ねると、「犯人を暴き立てする前に、自らの敗北を認めたのだ。」とネウロはあっさり答えた。そのまま信号で二人は立ち止まる。
 空はもう、十分に暗くなってきていた。
「・・・・・なんで?」
「知るか。」

 ばっさり切り捨てられて、弥子は思わず隣にたつ男を見上げた。

「何があったのか知らんが、貴様を屠ろうと考えていたが、それを失念したらしい。」
「それは何より・・・って思って良いのかな・・・・。」

 でも、まるで分からない。
 自分が何故怨まれるのかはもちろんのこと、すっころばされて、後頭部をぶつけて、弥子は酷い目にあったのだ。
 それをみて、どうして犯人が敗北を感じるのだろう・・・・。

「低カロリーって、どれくらい?」

 ぱっと信号が変わり、すたすたと早足に歩く魔人に、必死に追いすがりながら、弥子が声を上げる。

「貴様の言うところの嗜好品・・・・まあ、せいぜい五円チョコ程度だな。」
「げー・・・余計お腹すくじゃん・・・・・。」
「だから、こうして次の現場に向かっている。」
「うそぉ・・・・私、足怪我してるのに!?」

 すでにちかちかと点滅する信号機に、弥子が焦ったように歩調を上げた。ネウロはすでにわたり終えているが、片足を引きずる弥子は、半分を過ぎた辺りだ。

 弥子の様子を振り返って確認したネウロが、大またで傍により、ひょいっと彼女の首根っこを掴みあげる。

「早くしろ、ナメクジ。」
「・・・・・・・はい・・・・・。」

 そのまま、宙ぶらりんの格好で信号を渡り、フロントガラス越しに見たドライバーの驚愕の眼差しに、涙が滲む。
 この男はもうちょっとモラルとか常識とか世間の目を知ってほしい。

(いや・・・・知ってるんだろうケド・・・・知ってるからこその嫌がらせなんだろうケド・・・・・。)

 はう、と溜息をつき、それにしても、と先ほどの件を弥子は脳裏で反芻した。

「ねえ、ネウロ。」
「なんだ。」
「その五円チョコの謎だけどさ・・・・結局犯人は誰なの?」
「何故だ?」
「や・・・・怨まれてるんだとしたらさ・・・・一応動機とか知りたいし・・・・。」
「動機も何も関係ないだろう。相手の心は折れたのだから。」
「そうかもしれないけど!後々の私の学生生活を考えると、誰が私を怨んでたのか知っておいたほうがいいじゃない!?」
「ふむ・・・・・・。」

 弥子を宙吊りにしたまま大またで歩くネウロが、顎に手を当てて考え込む。

「そうだな・・・・・貴様がその人物を特定できず、また性懲りも無く貴様に罠を仕掛けたとしたら・・・・なるほど。弥子、貴様十分に餌になる。」
「ええ!?」

 思わず目をひん剥いて男を見れば、すがすがしい笑みを返された。

「いやか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・!!!!!」


 いやだ。
 物凄いいやだ。

 五円チョコの餌になるなんて、絶対いやだ。

 が。

 いやと言えば、絶対に殺される彼の視線に、弥子はがっくりとうなだれるしかない。ぶらーんと力の抜ける弥子を吊り下げたまま、ネウロはふっと余裕の笑みを向けてみせた。

「我が輩の餌になり続けるのがいやなら、自分で今回の事件の犯人を特定して、説得して見せることだな。」
「無茶言わないでよ・・・・大体相手はもう、敗北を認めたんでしょ?」
「微弱な謎の、微弱な悪意だからな。巨大な悪意ほど、敗北するとダメージが大きく、再発することもまれだが、微弱だと、またいつ復活してもおかしくない。」

 思う存分怨まれるのだ、弥子v

「なんでよ!!!」

 びしっと突っ込むが、ネウロは点で気にしない。「ミジンコの利用価値はこの辺りにもあったのか・・・・なあ、弥子」なんて楽しそうに答えている。

 げんなりする弥子を連れて、ネウロは夜の街を、事件のほうへと歩いていく。

 そうしてこのまま二人は、次の事件へと巻き込まれていくのだ。


 だから知らない。


 弥子を嵌めようとした犯人の悪意が「嫉妬」であり、それを構成した動機が「弥子のレベルの高い助手」にあり、敗北した理由が「この二人の絆には敵わない」ということを見せ付けられたからだということを。


 知らないうえに気付かないから、弥子はこのとんでもない、日常を破壊したドS魔人の所為で、要らぬ恨みを買い、不本意ながら、ネウロの食事に微弱ながら貢献してしまうのだった。


(2007/11/25)

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