EvilDetective

 キスの有効性
(明らかにこれは嫌がらせだ。新手の。)

 桂木弥子は、『一応』己が所長であるはずの、探偵事務所のドアの前に立ち片頬を引きつらせていた。
 ここは弥子の持ち物で(強制的にだが)弥子の部屋も同然で(名義的には)、どちらかといえば心休まる仕事場(だったらいいなと常日頃思っている)のはずなのだが。

 今日に限ってその、いつものドアが違っていた。

 いや、それは正確な言葉ではない。

 ドアはいつもと同じなのだ。

 ただし。

「・・・・・・・・・。」

 あるべき場所にドアが、「二つ」あったのである。


(何これ?なんのつもり?ていうか、ネウロの奴、何考え・・・・・)
 って、考えてることは理解不能で、ベクトルは全部私への嫌がらせに傾いているんだっけ・・・・。

 どうせこの明らかに不自然な二つのドアのうち、一つがとんでもない場所に繋がっているんだろう。

(いやいやいやいや、魔界にセーフティーゾーンなんてあるもんか・・・・恐らく、二つともカオスに繋がるドアと見た!)

 そうなると、事務所のドアはどれだろう。

 ふと、弥子は埃っぽい、築ウン十年のビルの空気が、ふわりと動くのを感じ、きょろきょろと辺りを見渡した。

「うあ・・・・・・。」

 さまよった視線が捕らえたのは、明らかに今まで何も無かった、突き当りの壁に出現している、『いかにも』なドアだった。
 漆黒で覗き窓と思しき場所には、赤い目がぎらぎら光る髑髏が付いている。

「確かここって、壁、だったよね・・・・・。」

 じっとりと湿った風が、ドアの隙間から漏れ、なにやら軋んだ音が聞こえてくる。

「これが事務所への正解のドアかな・・・・・。」

 顎に手を当てたまま、弥子はそちらにじりじりと爪先を押し進めるようにして、にじり寄った。
 触るものいやになるような、黒い霞のような・・・・煙のようなものが廊下を這うようにして流れてくる。

 そーっと黒光りするドアに耳を当てると、中から甲高い悲鳴が聞こえてきた。

(絶対あけたくない!!!!)

 ばばば、とそのドアから距離を置き、弥子はうろうろと視線をさまよわせた。

 ドアが三つ。
 事務所は一つ。

 その瞬間、彼女の携帯がけたたましく鳴り響いた。心臓が飛び出すほど驚き、しん、と音のない雑居ビルの四階で、弥子は大慌てで鞄から携帯を取り出した。

 二つ折りのそれをぱか、とあけると、カタカナで「着信アリ」と表示されている。

「洒落になんないよ・・・・。」

 ネウロからなら、ネウロ、と表示されるそれが、今日に限って出ていない。
 でも状況から考えるなら、十中八九ネウロからの電話のはずだ。

 この状況をどこかから見て、爆笑しているに違いない。
 ああ、絶対この弥子様が間違うもんか。


 でも・・・・でもでも、もしこれが呪いの電話だったりしたら?!


 そんな一瞬の逡巡が、弥子の運命を分けた。

「!?」

 意を決して出ようとしたそのタイミングで、電話が切れたのだ。
 思わず戦慄し、総毛立つ。
 時を同じくして、再び例の黒いドアから悲鳴が響き、弥子はあわあわと廊下で立ち往生した。
 瞬間、再び電話が鳴り響き、「着信アリ」の文字が翠の画面に白く白く映る。

 画面を見て、二つのドアを見て、一個の明らかに怪しいドアを見て。

 ぐるぐるぐるぐる、廊下で悩んだ挙句。

「・・・・・えええい、うるさい!!!!」

 持っていた携帯を、問答無用で切り、弥子はずかずかと黒いドアに歩み寄った。
 相変わらず生温い風と、黒い霧がうっすらと立ち上るそのドアから、悲鳴が響いてくる。

 けれど、きっと、多分、絶対。

「ネウロの性格なら、このドアが正解のはず・・・・!!!」

 その時、着信アリ、ではなく、メールが弥子の携帯に届き、開くとネウロから「理由は?」と訊かれていた。

 畜生、やっぱり見てやがった!

 それに、弥子は堂々と胸をはり天井に向かって喚いた。

「ただの勘だ!文句あるか!!」

 そのまま勢い良く、黒いドアのノブに手をかけて、一気に押し開こうとしたその瞬間。

 弥子は何かを感じて、あけるのを間一髪踏みとどまった。
 何かが違う。
 このドアには何か違和感がある。
(なんだろ・・・・・。)

 例えて言うなら、このドアノブが違うと言うか・・・・・。

「・・・・・・・・・。」

 落ち着いて、良く考えろ。
 そう、脳内が命令し、弥子は慎重にドアノブを見た。このまがまがしいドアにしては、ノブは金の飾りつきのごてごてした装飾品ではなく、普通のあっさりした銀色のノブだった。
 振り返り、二つのドアを確認すると、それも確かに普通のノブだ。

 三つとも、同じタイプの。
 いつもの事務所の扉についているのとおんなじの。


「・・・・・・・・・もしかして。」
 弥子はスカートのポケットから鍵を取り出すと恐る恐る、目の前の開けたら呪われそうな黒いドアのノブに差し込んだ。
 がき、と鈍い手ごたえが手に伝わり、ぐ、と力を入れるも鍵は左右のどちらにも回らない。
 きびすを返し、弥子は二つ並ぶドアのうち、左側に鍵を差し込んだ。

 先ほどのドアと同様、嵌らない。

 最後に、右側のドアノブに鍵を指し込み、弥子は恐る恐る回してみた。

 かちり、と音がして鍵が開く。
 ゆっくり押し開けると、そこには、いつもの見慣れた事務所の景色が広がっていた。

「・・・・・・・・・・。」
「正解だ。」

 唖然として中を見つめる弥子に、トロイの上に足を投げ出して組み、手を組んでいるネウロが、にたりと笑った。瞳が、面白いものを見たといわんばかりに、笑みに歪んでいる。

「少しは考える脳みそが残っていたようだな、カトンボ。」
「・・・・・それ誉めてるの、けなしてるの?」
 げんなりと肩を落として、弥子は溜息を一つつくとのろのろと室内に入ってくる。
「もちろん、誉めているのだ。」
「そりゃどうも。」

 あーもー、無駄に疲れた・・・・・。

 ぼすん、とソファーに腰を下ろし、安堵の吐息をもらしながら、「で?」と彼女はネウロを見やる。

「他のドアは何だったの?」
「ふむ。一つは血の池地獄と、もう一つは針山に続いていたのだが・・・・ち、そっちのほうが面白かったか。」
「面白くないから!全然面白くないから!!」

 一応無駄と知りつつ突っ込み、弥子は「もー、何このサバイバル生活・・・・。」と悲嘆に暮れた声を上げた。

「貴様を一流の奴隷として育て上げようと言う、主人の心遣いが気に入らんのか?」
「気に入らないわよ。命がいくらあっても足りないもの。」

 ぶう、とむくれたように頬を膨らませると、音も無くネウロの手が首に伸び、指先が刃物状へと変形する。

「ほう・・・・・我が輩の心遣いをそのように」
「ごめんなさい・・・・嘘です・・・・身に余る光栄です。」
「素直になれ、ヤコ。」

 何をどう素直になれって言うんだ全く。

「だがそうだな、今日は珍しくドアノブの違和感から、鍵の可能性を引き出した貴様に褒美をやろう。」
「え?」

 瞬間、弥子は思わず彼のほうを振り仰いでしまった。
 この魔人が。
 無神経が服を着て歩いてるようなこの男が。

 褒美!?

「いらない。」

 瞬間、弥子は即答していた。褒美だ何てとんでもない。絶対要らない。究極に要らない。

「そう言うな。我が輩が人に物を恵んでやるなど千年に一度あるかないかの事だぞ。」
「・・・・・・ちなみに、前にあげたものは何?」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
「さ、ヤコ、こっちにこい。」

 いやだーっ!!!その沈黙はいやだーっ!!!!!

「ダダを捏ねるなセミ。」
「セミのほうがまだ扱いが良い!!って、ちょ・・・ネウロ!?あ、頭引っ張らないで!!!もげる!!!もげるからっ!!!!」

 強引にトロイの上に引きずられ、仰向けに倒された状態で、弥子はさかさまに自分を覗き込むドS魔人を恐怖の眼差しで見上げた。

「ではヤコ。貴様がこの事務所に無事に入れたことを祝して、花をやろう。」
「人の養分を吸って美しく咲く魔界の花ならお断り!!!」
「おや、今日の先生は随分と冴えてらっしゃるv」
「畜生、図星か!!!!!」

 いーやーだーっ!!!!

 その悲鳴はぷつり、と途切れ、ぎゅうっと目を瞑った彼女は自分の唇が、魔人のそれにふさがれるのを感じて、びっくりして目を開ける。

 瞬間、ごっくん、と何か、大きな球状の物を呑まされて、弥子はファーストキスがどうこう言う以前に、恐怖を覚えた。


「なっ・・・・何を飲ませたのよっ!?!?」
「人の養分を吸ってそれはそれは見事な花を咲かせる花の種だ。」
 数時間もすれば、貴様の頭に、毒々しい蛍光ピンクの花が咲くぞ?
「解毒!!吐く!!助けて、ネウロ!!!!」
「心配するな、ヤコ。ちょっとところどころの記憶が曖昧になって、自分を見失うだけだ。」
「十分に大事だよ!!!!」

 ぎゃあああああああ、と喚き声を上げなら、弥子はキッチンへとすっ飛んでいく。

「我が輩からの褒美を吐くつもりか、ミジンコ。」
「記憶喪失・・・・ていうか、記憶紛失するくらいなら、吐くわよ!!!」

 うわーん、ネウロのバカー!!!

 ざーざーっと蛇口から水を流す弥子の、丸まった背中を眺めながら、ネウロは肩を震わせて笑う。

 ネウロが飲ませたのは、なんてことはない、ただの飴玉である。
 弥子がガラスのテーブルの上に放って忘れていったものだ。

(食い気しかない下等生物が、飴の味も分からん位に衝撃をうけたということか・・・・・。)

 そうなるとやっぱり。

 独占欲の塊のような男は、尚もおかしそうに笑い続ける。


 なるほど。この手の行為は。


(十分に罰に使えるな。)


 別のベクトルでキスの有効性を考える魔人。
 その彼の様子がおかしいことに気付き、自分が飲まされたのが魔界植物の種ではないと、人間の少女が気付くのはこれから三十分後。

 そして、その頃にはすっかり自分のファーストキスという出来事を忘れ去っている弥子なのだった。



(2007/11/18)

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