Muw&Murrue
- 03 さよなら記念日
- 艦内には誰も居なかった。
改修工事は着々と進められて、アークエンジェルには新機能が搭載されている。ついでに言うと、新設備もだ。
工事はひっそりと終わり、艦橋窓の前に一人立ったマリュー・ラミアスは、水を打ったように静かな港内を見下ろしていた。
出港することが無ければいい。
そう思いながら、心のどこかでまだ、これですべてが終わった訳ではないとも思っていた。
ひっそりと、何事もなく、平和な時間が続けばいい。
この戦艦が錆び付き朽果て、風化するくらいの時間が流れればいい。
そう願いながら、どこか冷静な部分が「いつか、武器を欲した時に困らないように」と告げ、整備を続けていた。
そして、そんな心の声に応えるように、呆気なく平和は均衡を崩し、マリューは再びこの艦橋に立っている。
「随分、長いこと座らなかったから、違和感を感じるかと思ったんだけどね」
一人つぶやき、マリューは背後を振り返る。
ぎりぎり己を保ち続け、踏みとどまった席がそこにある。
懐かしさと同時に、痛みもこみ上げてきて、マリューは目を伏せた。
大事だった。
大事、なんて言葉で片付けて良いほど軽いものではなかった。
戦友とか、恋人とか、そんな単語でくくってしまえるような関係じゃなかった気がする。
「・・・・・・・・・・ごめんなさい」
小さく謝る。
貴方が護ってくれた命なのにね、と自嘲気味に笑う。
彼は望まないだろう。
いや、しょうがねぇな、と笑ってくれるだろうか。
(本当は、貴方と一緒にここに居たかった・・・・・)
封印していた気持ちが不意にあふれて、マリューの視界を曇らせる。握りしめた拳が震え、彼女は身体の奥からあふれてくる不安を押し殺そうとした。
この先どうなるのか判らない。ただ判るのは弱音は吐けない、振り返ることは許されない、ただ気丈であらねばならない現実が目の前にあるだろうと言う事だ。
そうしなくては、繋いでくれた命を無駄にする。
ぽろっと涙をこぼし、それを手の甲で拭って、マリューは顔を上げる。
「さよなら」
小さくつぶやいて、マリューは前を向いた。灰色の壁と、鉄製の扉が見える。この先に、自分たちは出ていく。
今ここを捨てて、先に。
頑張れ、と背中を叩かれた気がして、マリューは微笑んだ。
「ほら、どうした?」
「え?」
ぽん、と背中を叩かれてマリューは我に返った。振り返ると金髪の男がこちらを見て笑っていた。
記憶があやふやな男。
大事なものをどこかに置いてきた人。
護ろうとして、護れなかった人。
「いえ・・・・・」
「これから決戦だっつーのに、浮かない顔だな?」
複数の艦隊を展開し、張られた防衛線。そこを突破してレクイエムを破壊する。
ゆるゆると作戦宙域に進むアークエンジェルの中で、彼女はぼんやりと廊下に立っていたのだ。
場所は曲がれば艦橋、進めば格納庫という分岐点だ。
居住区から歩いてきたネオが、そんな彼女を見つけて声を掛けたというわけだ。
「決戦前に嬉しそうな顔でもしてて欲しかったんですか?」
思わず切り返すと、ネオは「そんな艦長も魅力的だと思うけどな」と皮肉っぽく笑って見せた。
「冗談じゃないわ。私はそんな歴戦の艦長じゃありませんから」
「でも、伝説の不沈艦の艦長だ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
軽く睨むと「怒るなって」とネオはくしゃりとマリューの頭を撫でた。
幼い子供にするような仕草に、ますます眉間にしわを寄せると、ネオは顔を寄せて、間近でマリューを覗きこむ。
「で?なんで渋い顔してたんだ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
大したことないの、とマリューはネオから視線を逸らす。ぎゅっと己の腕を掴んで自分が行くべき艦橋の通路を見やった。
「これから戦闘だな、って考えてただけです」
「会いに来てくれようとしてた、とか?」
図星を指されて、マリューはぎくりと肩をこわばらせた。
こわばらせたが、表面にはなるべく出さないように、男を見る。
「戦闘に出るパイロットたちに声を掛けようと思って」
「艦長自ら、か。そりゃ士気が上がって良いかもな」
にっこり笑うネオの眼差しは、さして疑っているようでもない。ほっとしながら、「そうよ。でも、忙しそうかなとも思って」と付け加える。
「お邪魔しちゃ悪いしね」
「なんの。美人の艦長に『私を護ってくださいね』とか言われたら、命捨てても惜しくないっての」
からからと笑いながら言われ、マリューは複雑そうにうつむいた。
軽口で、冗談だと判っていても、この姿で、その声で言ってほしくなかった。
じり、とこみ上げる痛みを精一杯我慢して、マリューは「そうですね」と平静な声で答えた。
色々、反論がこみ上げるが、今ここで言う事じゃない。
ネオは冗談で言ってるのに、真剣に返しては、きっと彼は混乱する。
私はあの時、どうしてキスをしたんだろう。
ぞくっと背筋が寒くなり、マリューはいらない事を考えそうになる思考を遮断しようとした。だが、シャットアウト準備をしている間に、ウイルスはどんどんマリューの感情を汚染して行く。
もし、あの時交わした口付けが、マリューの弱さを露呈していたのだとしたら?
護ってください、っていうお願いに感じられたのだとしたら。
必ず帰ってくると言った彼は、マリューの口付けに、何がなんでも彼女を護らなくてはと思ったのではないだろうか。
だとしたら。
(判ってたけど・・・・・)
必死に観ないようにしていた言葉にぶち当たる。
判ってたけど。
彼を殺したのは私かもしれないって。
判ってたけど・・・・・!
「なんてね」
不意に降ってきた声に、はっと彼女は目を見張る。震えた肩に、男の手が触れた。
「言わない」
「・・・・・・・・・・え?」
顔を上げると、にやりと不敵に笑ったネオの顔があった。
「死んだら終わりだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
俺って結構強欲なんだよね、とネオは腕を組んで天井を見上げる。
「捕虜なんて言われてとっ捕まっても、脱走とか面倒なことしたくなかったし、んなことして射殺されたら面白くないし。あんだけ非道なことやっといて、それでも生きていたいって思ってるし、幸せになんかなれないって知ってても、自分の命を捨てられない」
誰かの為に死ぬのが俺の運命だ、とかほざくつもりもないしな。
「・・・・・・・・・・」
「んなことしても、俺の抱えてる罪は消えない」
「一佐」
思わずもれた、マリューのかすれた声に、ネオは笑みを深くする。
二年前に、彼に感じた笑顔とは比じゃないくらいに陰がある。同じように自分の笑みにも陰があるはずだ。
無邪気になんて笑えないくらいに、自分たちは遠くまで来てしまった。
「なあ、艦長。約束しようか?」
「え?」
「必ず帰ってくるって」
ずきり、と胸が痛み、マリューは眉を寄せた。その台詞を、いま、ここで、言わないでほしかった。
明らかに動揺するマリューに構わず、ネオは手を伸ばすと彼女の頬に触れた。
「キスでもしようか?」
「嫌です」
今度はきっぱり言えた。
睨みあげると、ネオは愉快そうに笑った。
「嫌でもしちゃう」
「はあ!?」
身体をこわばらせる彼女の額に口づけを落として、ネオはぎゅうっと強く強くマリューを抱きしめた。
「死ぬのは駄目だ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「君も俺も、何の答えも見つけてない」
「一佐・・・・・」
暖かい。
弱くなるかと思ったが、意外に自分の気持ちがしっかりしているのに気付いて、マリューは目を閉じた。身をゆだねる感触に満足して、ネオはそっと身体を放す。
「さよなら、だ」
「え?」
「今までのこと、全部に対して」
「・・・・・・・・・・」
「ジンクスなんて信じない。運命なんて信じない。俺は、俺だ」
言い放つ強さに、マリューは目を細めた。
「だろ?」
笑みを見せられて、彼女もうなづく。
決めたじゃないか。
誰も居ない艦橋で、振り返らないと。平穏な日々に、辛かった事に、「さようなら」と。
さようなら、さようなら、きっと幸せになるから。
「一佐」
片手を上げてマリューはにっこりほほ笑んだ。
「負けないでください」
その手に、ぱん、と己の掌をぶつけて、ネオは笑った。
「りょーかい」
触れたぬくもりと痛みを分かち、二人はそれぞれの通路を歩きだす。
泣いていた自分にさようなら。
ここから先は、きっともっと新しい世界になると信じて。
(2009/10/31)
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