Muw&Murrue
- 02 ただ、少し寂しいの
- 久々に時間が空いた。ごくわずかな時間だが、自由に動ける。
そうなると、マリュー・ラミアスはすることが無いのに気付き、艦長室の自分の机についたまま、どうしたもんか、とぼんやり空中を眺めていた。
破壊されたアラスカの大地。命からがら逃げ出してきたアークエンジェル。ムウが見たという、サイクロプスの情報と、それを使った卑劣な作戦の事。自ら仕掛け、囮を使ってザフトを殲滅せんとした裏を持ちながら、表向きの報道は、ナチュラルを煽るようなそんなものばかりだ。
真実とはかけ離れた、事実。
(駄目だ・・・・・せっかくの自由時間なのに・・・・・)
一人、戦艦の中枢に坐していると思考が嫌でも考えたくもない所に落ちていく。
マリューは、せっかくの休みを台無しにするのも嫌で、ゆっくりと立ち上がると部屋から出た。
アークエンジェルを出て、タラップを降りる。複雑な工廠の通路を抜けて、作業着のまま彼女は外に出た。フェンスの向こうに港と、街並みが夕陽に沈んでいくのが見えた。
もうちょっと行くと、砂浜に降りられるんだ。
そう、カガリが教えてくれた「もうちょっと」を進み、彼女は金色に輝く海と、そこに沈んでいく太陽を目の当たりにしながら、コンクリートの階段を下りて行った。
ドッグとドッグの間に、小さな砂浜があった。
高い、コンクリートの打ちっぱなしの壁に囲まれて、日が陰っているが、残照の残る空がぽっかりと広がり、正面には永遠に続くかと思えるような水平線がある。
砂浜に腰をおろして、マリューはぼうっと空と海を見つめた。
たなびく雲の縁が金色で、ここからは、影になって見えないが、太陽が今にも沈みそうなのだろう。
塩辛い風が、髪を撫でていく。
(朝が全ての生命の誕生を言うなら、夜は死だって・・・・・誰が言ってたんだっけ)
砂を掴んで、さらさらとこぼしながら、マリューは、徐々に色を変えていく空を眺めている。
そうなると、黄昏は何だろうか。
老い、とかだろうか。
晩年に差し掛かり、朽ちていく己を黙って見つめる時、だろうか。
茜色は郷愁を誘う。
無意識に「帰らなくちゃ」と思わせる。
どこに?
ぎゅっと胸が痛くなり、マリューは立てた膝に頬杖をついた。
朝が来て、昼が来て、夕方が来て、夜になる。
地球が自転を繰り返す限り、変わることなく訪れる規則。
おそらく、何百年後もこうやって空は色を変えるのだ。
その下に暮らす文明が予測もつかない変化を遂げるだろうに、空の色と、この規則だけは変わらない。
太陽が、その寿命を迎える時まで、おそらく。
(太陽にも寿命があって、いつかは必ず地球に終焉が訪れる・・・・・って知った時、結構ショックだったな・・・・・)
足元が崩れるような、そんな奇妙な浮遊感を味わった。
言い知れない不安、とでもいうのだろうか。
それが、何億年、という到底、自分が経験するわけのない時の果てだと知っても、尚、不安は消えなかった。
(永遠に繰り返す規則。絶対あると思っていたものが、必ずしもそうじゃないと知って、不安になった)
マリューはオレンジに燃えて沈んでいく太陽に想いを馳せる。
(何をやってるんだろう、私たちは・・・・・)
限られた時間の中で、私たちは何をしているのだろうか。太陽が消える時、一体地球に何が残っているというのだろうか。
どちらかが、滅ぶまではと、続いている戦争。
人類はけし飛んでいるかもしれない。
今もすでに、殲滅戦の様相を呈しているのだから。
(私も結婚したかったなぁ・・・・・)
不意に、そんな甘い考えが浮かんで、彼女はくすりと笑った。子供のころ、無条件に信じていた。
自分はいつか、素敵な人と結婚して、幸せな家庭を作るのだと。
それがどうしたことか。
志願した軍隊の制服を脱いで、作業着を着て、膝を抱えて、他国のドッグの小さな砂浜で太陽を見ている。
(なんで・・・・・こんなことになっちゃったんだろ・・・・・)
理由はいくらでもある。志願した時に、時間を巻き戻せば、おそらくマリューは頬を高揚させて、同じ気持ちで地球軍に志願するのだろう。
胸の内にある物も、自分が歩いてきて、得たものも失ったものも否定する気はない。
それでも。
夕日は、郷愁を誘う。
迷っている自分に、迷ってなどいなかったころの憧れを見せる。
隣に誰も居ない。
寄せては返す波ばかり。
終わっていく一日の最後。
人の、晩年を象徴するような時。
悲しいような、寂しいような、泣きたくなる気持ちを隠すように、マリューは膝に顔を埋めた。
「あに黄昏てんのー」
と、その時、妙に緊張感のない声が降ってきて、マリューは顔を上げた。
振り返ると、コンクリの階段を下りてくる長身の男が見えた。
彼もまた、軍服でもパイロットスーツでもなく、作業着を着ていた。
「少佐・・・・・」
「じゃないって言わなかった?」
マリューさん。
酷く楽しそうにそういうと、ムウはこちらを振り返る彼女の隣に腰を下ろした。
「へえ・・・・・結構絶景だな」
空と海が金色に輝いている。たなびく雲の縁は、目に痛いほど輝き、空気まで黄金色だ。
ふわりと、夏の香りがする風が頬を掠めて、ムウは気持ちよさそうに目を眇めた。
「なのに、君は悲しそうな顔してんな」
泣きそうだけど、大丈夫か?
ぽん、と頭に手を乗せられて、マリューは驚いたように目を見張る。覗きこむ空色の瞳が、労りを秘めていて、彼女はちょっとうつむいた。
「少し・・・・・寂しいなって思ってしまって」
「どうして?」
微かに、もたれるように首をかしげて、マリューは目を伏せた。
「なんで、こんな所にいるんだろうって」
嫌だとか、来たくなかったとか、そういう、否定的な感情じゃないんです。
ムウの手のぬくもりを、じわりと感じながら、マリューは小さく笑う。
「ただ・・・・・お嫁にも行かず、こんなところにこうしてる自分って、なんだか・・・・・寂しいじゃないですか」
「嫁に行きたかったのか?」
不躾に言われて、マリューはむっとしてムウを睨んだ。
「私だって女なんですよ」
「それは知ってる」
「・・・・・・・・・・・・・・・どこ見てるんですか」
ぱっと彼から距離を取ると、悪びれもせずに、男は「わりぃわりぃ」と軽く笑った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「あ、セクハラ認定は無しな。」
「どうでしょう」
冷たい声で言うと、「違うんだって」とムウはやや焦って声を上げた。
「ただ・・・・・・・・・・一個、確認していい?」
「はい?」
恐る恐ると言う風に、ムウは彼女からやや視線を逸らして、尋ねた。
「マリューさんは・・・・・結婚しようと思った彼氏とか、いた?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
泳いだ視線が、海にそそがれる。同じようにムウもまた、海を見た。
しばらく沈黙が落ちて、ややって、ムウが降参したように溜息をもらした。
「ごめん。今の無し」
「なんで謝るんです?」
意外に冷ややかな声が出てしまった。マリューの仏頂面を横目で確認して、ムウは「いやあの」と更に口ごもる。
「・・・・・聞かれたくないのかなぁ、と思ったもので」
「普通、聞かないですよね。」
そういう微妙な事。
「・・・・・・・・・・です・・・・・よね」
乾いた笑みを浮かべるムウを、ちらりと見て、マリューは溜息をついた。
「なんでそんなこと、聞きたいんです?」
興味本位だろうとなんだろうと、人のプライベートを詮索するような男じゃないはずだ。
今まで、マリューはそういう風に、この男のことを評していた。
どちらかと言うと、そういうプライベートな話題は絶対に詮索してこないような、そういう男。
「いや・・・・・マリューさんが嫁に行ったら、寂しいなと思ったから」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
目が点になる。思わず固まって男を見れば、彼はどこか読めない光を宿した眼差しで彼女を見ていた。
どきり、と胸がなる。
「一生独身でいてくれとは言わないけど・・・・・なんか、他の男の隣で幸せそうに笑ってる君を想像したら、凄い嫌な気分に・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
それはどういう意味だろう。
瞬きを繰り返すマリューを、どことなく期待を込めた眼差しで、しばらく眺めた後、がっくりとムウは頭を垂れた。
「いや、いい。やっぱり忘れてくれ。今の無し」
はー・・・・・やっぱ、駄目か。
ひらひらと手を振って、空を仰ぐムウに、にわかにマリューの機嫌が低下した。
「・・・・・・・・・・侮辱されたんですか、私」
「は!?」
ものすごい遠回しな言い方だったなぁ、と己の中で反省していたムウは、低いつぶやきにぎょっとした。
眉間にしわを寄せたマリューが、こちらを睨んでいる。
「誰かと結婚するなんて、似合わない、家庭なんか持つのはおこがましいと、そういうんですか!?」
「・・・・・・・・・・・・・・・なんでそうなんの」
思わず呆れて言えば、「だってそうじゃないですか!嫌な気分って!」とマリューがあらぬところを拾い上げて、あらぬ誤解発言をする。
開いた口がふさがらない。
「私だって、結婚しようと思った彼は居ました!たくさん!!それこそ、星の数ほど!!!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
論点が低レベルに推移している。明らかに気分を害した、とマリューがムキになればなるほど、ムウはじわじわ嬉しくなる。
「全部振ってやりましたけどね!!経済面が不安定で、ていうか、パイロットなんかもってのほかです!!!いつ死ぬか分かったもんじゃないし、それにしては遺族手当が異様に低いし・・・・・使い捨ての弾丸に一生を預けるほど私は馬鹿じゃないんですから!ていうか、一生を預けるつもりもないですし」
まくしたてるマリューは、いくらか楽しそうに見えた。
先ほど、泣きそうだった彼女の様子とは全然違う。
そう。そうだよ、それでいい。
ちょっとの寂しさなんて、吹き飛ばしてしまえ。
「・・・・・・・・・・じゃあ、俺は論外?」
顔を寄せて言ってみる。途端、彼女がぴたりと口を閉ざした。
「俺と結婚してみない?」
そっと手を持ち上げて、頬に触れてみる。途端、彼女は「セクハラです!」と鋭く切り返すと立ちあがった。
「えー、なんでー」
「誠意の欠片もないわ!」
「あるって。俺、マリューさん好きだもん」
「軽い!!軽すぎます、少佐っ!!」
「じゃないよ〜。ムウって呼んで」
「ばっ」
真っ赤になったまま、彼女はムウに背を向けた。頬が熱いのは、夕陽をまともに浴びているからだとそう思いたい。
もっとも、ここは日陰だから、夕陽なんて浴びてもいないのだが。
「戻ります!」
「じゃあ、俺も・・・・・」
肩を怒らせて階段を上っていくマリューの、後ろを歩きながら、ムウは小さく笑った。
家に帰らなくちゃと思わせる、黄昏時。
見ていた夢を思い出して、遠くに来たと不安になる茜色。
永遠に続く楽しいものなどないと知った、帰り道。
こぼれそうになった涙の理由は、寂しかったから。
「寂しい思いは絶対させない」
待っているのは温かい家だ。
「何か言いました?」
振り返る彼女の瞳は、潤んでいる。その涙の理由はきっと。
「夕陽が目にしみるなぁってね」
伸びてきた男の手に、繋がれて、マリューは赤くなってうつむいた。
いつの間にか、寂しさが吹き飛んでいた。
(2009/10/22)
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