Muw&Murrue

 09 迷子のアストロノーツ
 方向が分からない。どこを見ても真っ暗で、上も下も右も左も、重力さえもない虚無の空間。
 放り出されたそこで、男は手を伸ばした。

 何でもいい。
 誰でもいい。
 どんなことでもするから。
 お願いだから。

 俺を、彼女の元に返してくれ。



 アークエンジェルに向かって放たれた、無慈悲な光。それにすべてを奪われるくらいなら、自分のこの身が滅んだほうがましだとそう思った。
 いや、そう思ったのは、もっと後の、カッコつけた言い訳だ。

 あの時、ただ自分は無我夢中で機体を駆っていたのだ。
 出来る出来ないの問題ではなく。

 ただ、あれが初めて見つけた愛しい人をこの世界から消してしまうのが我慢ならなかったのだ。

 死ぬつもりなんかない。
 死んだってなんにもならないことは、自分がよく知っていたからだ。

 月で、仲間が無慈悲な手で大勢殺されたのを見た。そして、生き残った自分が英雄扱いを受けた。
 地位も名誉も要らなかった。
 だから、大尉のままでいいと言い、もらった勲章も、段ボール箱の奥底にしまい込んだ。いろいろ知っている自分を、上層部が煙たく思っているのを幸いと、のらりくらりと戦線を飛んだ。
 くだらない世界でも、渡っていけるだけの度量があった。

 適当に、適当に、適当に。

 ああそれなのに。
 たった一人の女の為に、ここまでしてしまうとは。



 初めて空を見上げて、パイロットという職業に気が付いたのは、広いけど狭い庭で夜空を見上げた時だった。
 あの時、星を手にしようとした少年は、流星群というものを知る。
 落ちてくる星を拾いに行こう。
 落ちてくる星は、大地に来る前に消えてしまう。銀色の、花火のような光を放って消えてしまう。

 可愛い女の子にめぐり逢った時のために、より確実に星を手に入れられる位置にいよう。

 そうだ。木よりも高い場所にいれば、星に手が届くかもしれない。

 パイロットになろうかな。
 ううん、それなら宇宙へ星を捕りに行こう。

 宇宙飛行士なんかがいいな。


 そんな思いで居たはずが、何で自分はこんなところに居るんだろう。
 大勢の仲間を殺して、沢山のMSを落として、そうしなきゃならないと、割り切っていたはずなのに。
 乗ってきた母艦を落とされても、悼む気持ちはあっても、切り換えるのは早かった。
 やらなきゃ、やられる。
 そうやって、新米の、突然MSに乗せられることになった少年に言ったはずだ。

 人殺しじゃない、戦争だ。

 そうだ。
 これは戦争だ。
 守らなくちゃ、すべてなくしてしまう。

(なんだそりゃ・・・・・。)

 真っ暗な空間を漂いながら、ヘルメットに示されたライフゲージを、赤い血の塊が浮かぶ中で見つめる。刻一刻と、酸素が減っていく。ヘルメットに走った亀裂が、どんどん大きくなる。
 ばりん、と敗れれば、あっという間に死んでしまうだろう。

 なんだそりゃ。
 悪い冗談だ。
 ローエングリン喰らって生きてんだから、もうちょっと生かしてくれてもいいだろうが。


(ようやく・・・・可愛い女の子と、星を捕りに行けると思ったんだけどな・・・・・。)

 赤い血の粒に交って、透明の雨がヘルメットの中を漂った。

 あの時、庭で見上げた空に、自分は居るというのに。手を伸ばせば届きそうな銀色の瞬きが、上にも下にも右にも左にも、永遠に広がっているのに。
 なんで自分はまだ迷子の気分なんだろうか。


 なあ、誰でもいい。
 俺がやれるものなら、全部くれてやるから。
 頼むから、命だけは助けてくれないか。

 なあ、頼むよ。
 俺はまだ、彼女に言ってない。

 一緒に星を捕りに行こうって、はっきりいってベタ過ぎて言えないセリフを言ってないんだよ。

 頼むからさ。
 なあ・・・・・誰でもいい。

 俺を助けてくれ。



 ライフゲージがついに赤くなり、男は遠くなる星々にがむしゃらに手を伸ばす。

 お願いだから。

 その男の願いを聞き届け、ひとつの光が近付いてくる。小さなそれは、脱出艇のようでもあり、調査用のランチのようでもあり。

 迷子の男はしかし、それを見ることなく、がっくりと己の意識を手放した。









アストロノーツ…英語。宇宙飛行士という意味。

(2009/01/19)

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