Muw&Murrue
- 03 お疲れアリエス、さようなら
- 己の眼を、ムウは疑った。
自分の妻、マリューが「私、実はひつじ好きなの!」と告白されたのは、もうちょっと前の話が、それから羊グッズが部屋中に溢れたのも、つい最近の話だが。
その中の、一匹の羊のぬいぐるみが、誰も居ない真昼間のリビングで二足歩行で歩いていたのだ。
(ついに俺も、戦争の後遺症が出始めたか!?)
上がる心拍数。くらむ瞳。震える足。
ちまちまちまちま、とリビングを横切ったその羊のぬいぐるみは、ふと己を凝視する視線に気づいたのだろう。いきなり振り返ると、「まあ、おどろいた」と言わんばかりに前足二本を天に延ばした。
そのまま、ころん、と床に転がる。
本当は短いのだろうが、恐ろしく長く感じる時が流れ、ムウはそろりそろり、とぬいぐるみに近づいた。
星の形の角をした、まるい羊は、目に黒いボタンが付いている。首輪には、これまた角と同じ星形の、銀色の飾りが付いていて、牡羊座のマークが刻まれて、「アリエス」と書かれていた。
「おまえ、今、動いてたよな?」
だらだらと背中に冷たい汗をかきながら聞けば、ぶんぶん、と羊が首を振った。
「何うそついてんだよ、動いてただろうが!」
「いやいやいやいや、動いてなどおらぬぞ」
「いや、動いてたって。」
「おぬしの見間違いじゃ。わらわは普通のぬいぐるみじゃ。」
「いやいやいやいや、違うって。普通じゃないって。」
って、お前しゃべってるだろうがーっ!!!!!!!
遅い突っ込みをかまし、ぶん、とムウは羊を放り投げた。
ぼん、とフローリングで弾んだ「アリエス」がころころと転がり、ドアの前で止まった。
「何をするか!乱暴者め!!」
「おまえこそなんだ!?悪霊か!?悪霊なのか!?」
「ちがうわ!わらわらは・・・・・その・・・・あれじゃ。ほれ、おまえの友達のアークエンジェルの」
「あの女神の差し金かああああああっ!!!!」
あの女神、というのは、アークエンジェル竣工の際に、艦底部の人の立ち入れない場所にそっと置かれた鏡に宿っていた精のことだ。
とある地方の言葉を借りれば「つくもがみ」と言うらしい。
長い長い時間を、大切にされて生きてきた「物」が、神になり変った存在だという。
古い鏡が、神になり変ったその「アークエンジェルの女神」はたびたび妙に勘の鋭いムウの前に現れてはいろいろとちょっかいを出してはけたけた笑っていたのだ。
あまりいい思い出のない存在が、「知り合いだ」という羊に、ムウが厳戒態勢をとるのは当然だろう。力一杯睨まれて、羊のアリエスはちまい手を上げて、頭を掻くしぐさをした。
「まあそう嫌ってくれるな。わらわはただ、そなたの奥のマリュー殿にお会いしたくてこうしてやってきたんじゃ。」
「お会いしたくて?」
胡散臭げな視線を向けると、心持アリエスは胸を張った。
「遠い昔、わらわはマリュー殿の母上から、マリュー殿に賜わられた。」
それから、昼夜問わずずっと一緒におったのだ。
「だがな、ほれ、人間同士の争いが激化し、マリュー殿は戦場へと出向かれた。」
望んだこととは言えな。わらわの胸も激しく痛んだものじゃ。
「ところが、終戦後帰ってきた彼女は、それはそれは深く傷つき、悲しみのどん底におった。」
彼女の涙を止めたいと、わらわは願ったのじゃ。
「じゃがわらわはしがないぬいぐるみ。じゃがな。アークエンジェルの女神殿のおかげで、こうして魔力を分けてもらい、晴れて動けるようになったのじゃ。」
そしてわらわは誓った!マリュー殿の幸せを守ると!
ぐっと前足を握り締めるアリエスを前に、ムウは嫌な予感がした。
あの、アークエンジェルの女神のそうだが、どうも、彼らはマリュー贔屓で、なにかというとムウを敵視するのだ。
このままではおそらく。
「そう!マリュー殿の幸せには絶対不可欠なものがある!!それは」
くるっと振り返った愛らしい羊が、びしい、と前足をムウに突きつけた。
「お主の存在を」
おそらく、「消すこと」とか言われるに決まっている。
ああ決まっている。
俺がマリューを泣かせたようなもんだもんな!
だからって、大人しく消されてやる気のないムウは、さっと身がまえた。とにかく、このまるまっこい存在を人知れず排除せねば!
「消すことじゃ!!!!!」
寸分たがわぬセリフを吐いて、アリエスが、短い脚で床を蹴った。
ぽーんと、あの、柵を飛び越える羊の要領で、高く高くアリエスが飛ぶ。
それを、ひっとらえてふんじばるつもりで、手を伸ばしたムウは見た。
アリエスの首についていた星が、まばゆいくらいに光輝いたのだ。
「!?」
「うけてみよ!われの攻撃を!!!!」
その瞬間、けだるい午後の、光溢れるリビングに絶叫が響きわたった。
「お疲れ様、アリエス。」
ふー、いい仕事した、と額の汗をぬぐう真似をするアリエスに、アークエンジェルの女神がほほ笑む。場所は乳白色の霧が立ち込める不思議な場所だった。
「ああ、ありがとう女神。これでわれもまたぬいぐるみに戻ってつくもがみをめざすことができる。」
にこにこ笑うアリエスに、女神はちょっと手を伸ばすと、そっとそのふわふわの毛並みをなでた。
「あなたはもう少しで、つくもがみになれますわ。それまでは己が身を損なうことなく、人々の・・・・マリューさんの幸せを願うのよ?」
「わかっておりまする。」
にこにこ笑う丸っこい羊は、そのまますうっと乳白色の霧から出ていく。あとは、もう、彼女の定番となったベッドサイドの上にちんまりと座りこむのだった。
「ただいま〜。」
仕事を終えて帰ってきたマリューは、非番で家にいるはずのムウに向かって声をかけた。ぱたぱたとスリッパを鳴らして、リビングのドアを開けると、彼女は硬直したようにその場に立ち尽くした。
「お帰り。」
絶望に彩られたムウの暗いまなざしがマリューをとらえる。とたん、弾かれたようにマリューが走り出し「ムウ〜〜〜〜〜vvvv」と彼に抱きついた。
「どうしたのこれ!?」
瞳の輝くマリューを前に、ムウは遠い眼をした。
「うん・・・・・なんか、通販で売ってたから買ってみた。」
「すっごい似合うわvム ウ v」
抱きついて、すりすりするムウは渋面である。
なぜなら。
(あんの羊の野郎・・・・!!!)
なぜなら、ムウは、アリエスの攻撃によって、羊の着ぐるみ着せられてしまっていたのだ。
抱きつくマリューの愛情の半分が羊に注がれているのをしっているだけに、ムウは複雑な気持ちでそれを享受するしかできない。
こんなマリューの幸せってありなのか!?
心の中でそう、ムウは叫ぶしかできなかったそうな。
アリエス…ラテン語。牡羊座。
(2009/01/19)
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