Muw&Murrue

 07 ちらりと見えた素肌
 軽いコール音が響き、ムウはモニターの光りに埋没していた意識を持ち上げた。
「はい。」
 引き剥がすように画面から視線を逸らし、彼は自室のドアのほうを見る。
「・・・・・・・・・ちょっといいかしら、少佐。」
 響いてきた声に、ムウは目を見張った。答えを得るまでもなく、すんなりとドアが開き、マリューが部屋に滑り込んでくる。

 ついさっき、逃げるようにこの部屋から出て行ったばっかりの彼女に、事実上、「追い出した」ムウは苦く笑った。

「何?忘れもん?」
 いくらかドアのほうに傾いていた椅子を引き戻して、ムウは画面に視線をやる。
 マリューは無言でそのムウを見下ろしていた。

 いや、違う。

「・・・・・・・・少佐。」
「んー?」
 マリューの声が硬い。いつもなら、その口調に気付くはずのムウなのだが、今日の彼はストライクのデータに掛かりっきりで、こちらを見ない。

 だから、気付かなかった。

 微かに俯き、表情のうかがえない彼女が、一口も減っていない、すっかり冷め切ってしまったコーヒーを、じっと睨んでいる事に。

「少し、休憩されたらどうですか?」
 低い調子でマリューが問う。それに、ムウは気の無い返事をした。
「んー。」
「今、コーヒーお淹れしますね。」
 部屋から出て行こうとするマリューに、ムウはモニターを見たまま、「さんきゅ。」と答える。
 ぴたっと、ムウに背中を向けた彼女の足が止まった。
「先ほどのは、もう飲まれてしまったようですし。」
 変わらず低いトーンの彼女の台詞に、ムウは「うん、まあ。」とカップ一杯に入っている「冷め切ったコーヒー」に気付かずに答えた。
「美味しかったです?」
「そりゃ、艦長殿が手づから淹れてくださったコーヒーですから。」
 明るい調子で言われて、マリューはくるっとムウを振り返った。

 こちらを見ない彼は、モニターと会話をしているようにしか見えない。

 じわじわと胸の奥に痛みが込み上げて、脳裏を悲しみが支配しだす。


 何を言ってるんだろう、この男は。


 そんな単語が胸いっぱいに溢れて、マリューはぎゅっと唇を噛んだ。

 淹れてくれたコーヒーが美味しかった?
 一口も飲まず、三時間が経過したコーヒーが?
 飲んじゃったって、減ってないのにどうして?

 貴方は一体何を飲んだの?

 言いたい言葉がぐるぐると溢れて、マリューはぎゅっと唇を噛むと、やっぱりそんなマリューの「異変」に気付かないムウに背中を向けた。


(アグニを使う際のエネルギー値は大体分かったが・・・・フェイズシフト・ダウンまでの時間がイマイチわかんねぇなぁ・・・・エネルギーを上手く使うにはやっぱりエールが一番最適なのか・・・・・。)

 椅子を軋ませて、画面と距離を取り、ムウは顎に手を当てたまま天井をにらみ上げる。
 ふと、そういえばマリューが側に居たような、と思い出し、彼は何気なく隣を見た。

 見て。

「マ」

 ぎょっとする。

「マリュー!?」

 思わず椅子をがたつかせ、態勢を崩すムウの目の前に、確かに自分の恋人が立っている。だが、彼女は白の制服の前をはだけさせ、ムウの事を睨んでいた。
 大きく開いた袷から、彼女の暖かく、空けるような白い素肌が、ちらりと覗いていた。
 どきん、とムウの心臓が跳ね上がった。

「え・・・・・・・えと・・・・・・。」
 見える谷間と、丸みを帯びた胸のラインに、彼女がアンダーも下着もつけていない事を悟り、咄嗟にムウは視線を逸らした。
 ふと、自分の位置から斜め向こうに見える、未使用のベッドを見れば、きちんと畳まれた彼女のアンダーと下着が置かれているのが分かった。
「・・・・・・・・・・・・。」
「やっぱり・・・・・・。」
 低い声が耳朶を打ち、はっとムウは顔を上げる。ムウの両肩に手を置いた彼女が、目許を赤く染め、潤んだ目で彼を見下ろしていた。
 泣きそうな表情に、ずきりとし、困ったように目を伏せると、白くて柔らかそうな塊を視界一杯に捉えてしまって、ムウは大いに慌てた。
「私なんかどうだっていいんでしょ。」
「・・・・・・・へ?」
 裏返った声が上がり、咄嗟にムウはマリューを見上げた。
 くしゃっと歪んだ、彼女の顔が見える。
「マリュ」
 ぽた、と彼女の目尻から涙が落ちて、ムウの頬に暖かく降り注ぐ。
 そのまま彼女は、くすん、と鼻を鳴らすとムウから両手を離してその中に顔を埋めてしまった。

「・・・・・・・・・・・・。」
 ぐしゅぐしゅと泣き出すマリューの、極めて扇情的な格好と涙の訳に全然思い当たらないムウは混乱しながら席を立つ。
「マリュー。」
 精一杯いたわりを込めて名前を読んで、そっと肩に触れると、彼女が素早く身を引いた。
「やだ。」
 ぐす、と鼻を鳴らして身構えた彼女はムウを睨む。
「でも・・・・・・・。」
 ぽろぽろと涙が零れ、頬に跡を作るのに、胸が切なくなってくる。
「な・・・・・ど、どうした?」
「・・・・・・・・コーヒー。」
「え?」
 制服の袷をぎゅっと握り締めて、マリューがムウを睨む。
「飲んだって、貴方、嘘付いたでしょ。」
「え?」

 そういえば、さっきマリューがそんな質問をしていたような気がする。

 あれはどれくらい前だ?と必死に記憶を辿りながら、それでもムウはなんとか笑うと「嘘じゃないよ。」と答えてみた。
 途端、マリューの目が信じられない、と大きくなる。
「じゃあ貴方、誰に淹れて貰ったコーヒーを飲んだって言うの!?」
 誰何するような声に、「そりゃ。」とムウは記憶の端を掴む。

 ちょっと前に、マリューがコーヒーを淹れてくれていた。

「マリューのだよ。」
「それが嘘なのよ!」
 言いながら、彼女がびしっと彼が座っていたデスクを指差した。
「貴方、一口も飲んでないじゃない!!」
「・・・・・・・・え?」

 そんなまさか、と振り返って、ムウは絶句した。

 彼女が置いたそのままに、位置も量も変えず、コーヒーが有る。

「い、今飲もうと」
 下手な言い訳と知りながら、とにかく彼女の涙を見たくなくて、ムウは咄嗟に言葉を口にした。だが、それよりもマリューの台詞の方が早い。
「今って、いつですか!?」
 それ、淹れてからもう三時間も経つんですよ!?
 喚くように言われた台詞に、ムウがばっとベッド脇の時計に視線をやる。
 確かに、自分に与えられた休息時間の開始から、四時間ほど経過していた。

 マリューが来たのは・・・・何時だっけ?ついさっきじゃないのかよ?えーとえーと・・・・・俺は・・・・・。

 ただ、思い当たるのは、四時間ずっと、食事も取らずに画面と睨めっこしていた事実だけだった。

「・・・・・・・・・・休んでください。」
 ぽつり、と彼女の口から言葉が零れて、ムウは彼女に意識を向けた。俯き、うなだれる彼女の、栗色の頭のつむじが見えた。ぎゅっと、自分の制服の前を握り締める手が白くなっている。
「・・・・・・・・・マリュー。」
「コーヒーだけじゃないの。」
 言われた台詞に、だろうな、とムウは遠いところで思う。
「もう、休んで。」
 顔を上げた彼女の、揺れる瞳に、ムウは唇を噛むと大股で彼女に近寄り、マリューが怯んであとずさるのもものともせずに、両腕でしっかりと抱きしめた。
「ごめん。」
「・・・・・・・・・・・・。」

 柔らかな身体を、両腕で抱き込み、ムウは彼女の髪に顔を埋めて、低く呟いた。
 強張っていた彼女の体が、緩やかに解ける。


 何故、彼女がこんな格好をしているのか。


「恐かったんだから・・・・・・・。」
 喉の奥から、懸命に吐き出されたような、掠れたマリューの台詞に、ムウがぎゅっと抱きしめる腕に力を込める。
「ごめん。」
「気付いて欲しくて・・・・・・なのに・・・・・貴方全然・・・・っ」
「うん。」
「全然っ・・・・。」
「ごめん。」

 こちらを見ようともせず、マリューの存在を打ち消して、モニターの光りに埋没する彼を、彼女はどうしても振り向かせたかったのだ。

 最初、彼女は当たり障りのない話をムウに振り続けた。
 今日、艦橋であったこととか、食堂を覗いてみたら、キラとアスランが久しぶりに楽しそうにしていたとか。その時食べたなにそれが美味しかったとか。

 だが、それに対してムウは気のない・・・・というかもう、生返事ばかり返し、ついに沈黙したマリューにすら気付かなかった。

 それは、おしゃべりとは言えない、一方的な物。

 普段の彼なら、そんな風に話して来るマリューの変化に気付いて、彼女を振り返るのだが、今日は目も合わない。
 それだけ大事な作業だと、もちろんマリューだって分かっている。

 分かっているが。

「私っ・・・・・私っ・・・・・。」
 ひっく、としゃくりあげる彼女の言葉を、ムウは柔らかなキスでふさいだ。びくり、と震えた身体を、あやすように撫でると、ほうっと力が抜けて、マリューがキスを受け入れるのが分かった。

 心配で、という台詞を、ムウは聞きたくなかった。
 だから、ありったけの愛しさを込めて、彼女にキスを繰り返す。


 振り返らず、まるで遠いところに居るように、自分の感じる焦りを振り払おうとするムウに、不安が募り、彼女はおもむろに制服に手を掛けたのだ。

(気付いて・・・・・・・。)

 使っていない方のベッドに歩み寄り、マリューはこちらに背中を向けるムウに、心の中で一心に叫んだ。冷たくなって、震える指とは対照的に、顔が赤くなる。耳まで血が行き渡り、火を吹きそうなのを我慢して、マリューはゆっくりゆっくり制服を脱いで行った。

 冷たい沈黙が落ちる室内に、ムウが操作するキーボードの音と、彼女が一枚ずつ制服を脱いでいく衣擦れの音が妙に大きくこだました。
(気付いてよ・・・・・ムウ!)
 アンダーも脱ぎ去り、下に着ていたタンクトップをベッドに落とす。ブラジャーと、スカートというなんとも言えない姿で、彼女はぎゅっと目を閉じ、一世一代の勝負、とばかりに、背中にある留め金をかちり、と外したのだ。
 それから、真っ赤な顔のまま、制服の上着一枚を前に当て、意を決してマリューは背後を振り返った。


 その時の失望と、それから悲しみと不安がじわじわと胸を侵して行く。

 抱きしめるムウにすがりつき、マリューは涙にぬれた声で呟いた。
「どうして・・・・・気付かなかったんですかっ。」
「・・・・・・・・・・・。」

 惜しい事をした。

 そんな場違いな単語が脳裏に飛来し、ムウは天井を見上げる。

「普段なら・・・・・絶対絶対、気付くはずなのにっ・・・・・・。」

 それなのに振り向かず、こちらを見ず、ただ白い光りに埋没する彼に、マリューの中で何かがはじけたのだ。


 彼にとって、私は必要ないのじゃないのだと。


「分かってるんです・・・・・大事な事だって・・・・マニュアル見せてもらって、それで足りない事も知ってるんです・・・・でもっ・・・・でもっ!」

 吐き出した言葉は止まらず、マリューはこんな事を言う女にだけはなりたくないと、そう思っていたのに、飲み込むことが出来ない。

「でも・・・・・私っ・・・・・貴方は・・・・・。」
 激昂した所為で、再び滲んだ涙を堪え、マリューは振り絞るように告げた。
「貴方は・・・・・そんな人じゃないって・・・・知ってるから・・・・・。」

 濡れた声に告げられた台詞に、ムウは天井を仰いだまま目を閉じた。奥歯を噛み締めて、ムウは自分自身をなじりたくなる言葉を黙って飲み込んだ。

 言い訳なら、ある。
 仕事をしていて、怒られるなんて理不尽だと、そう思う気持ちも、ほっといて欲しいという思いも、確かに胸の隅にある。

 あるが。

 それらを凌駕する勢いで、ムウの胸に、この女を愛しく思う想いが溢れてきた。

「ごめん。」
 何度目になるか分からない謝罪を、心から告げて、彼はすがるようにマリューを抱きしめた。
「ごめんな。」
 微かに語尾が震えるそれに、はっとマリューが目を見張った。
「ム」
 きつく、彼の腕に力が籠る。ひゅっと、彼女は息を飲んだ。


 己の弱さが、纏った鎧。


 それは、マリューを傷つけるのだと、ムウはぼんやり理解した。

 こうしなくてはならない。ああしなくてはならない。
 これをして、あれをして、そうしてどうにかしなくてはならない。

 そんな事ばかり、オーブ戦からこっち、考えていたような気がする。

 ぐっすり眠れたのは、マリューと初めて夜を共にしたときだけ・・・・そう言った言葉に、嘘は無かった。
 本当に、その時だけだったのだ。

 胸を塞ぐ、連合の二機。加えて、こちらの戦力。
 二隻でどうにかしようなんて、無謀だと、それを誰よりも知っているのが、ムウなのだ。


 知らず、それをカバーしようとしていたのかもしれない。
 自分がどうにかしなくてはと。


「恐いんだ。」
 耳元に、掠れた声が漂い、緩やかにマリューは顔を上げた。褐色の瞳に、不安気に自分を見下ろす、素の、ムウ・ラ・フラガが居た。
「・・・・・・・・・・そうね。」
 ふわりと、マリューが微笑む。
「俺がどこまで出来るのか・・・・正直わからん。」
「・・・・・・・・はい。」
「坊主どもみたいには、どう頑張っても俺には出来ないし。」
「・・・・・・・・・・・。」
 空色の瞳に影が過ぎり、マリューは手を伸ばして、ムウの頬に触れる。
「こうするしか、無いんだ。俺は。」

 短期間で、集中的に、ストライクを操る腕を上げたい。少しでも多く場数を踏みたい。

 この艦には、自分が初めて持った、「帰りたい人」が居るから。

「でも、それがマリューを傷つけてちゃ、話にならねぇよな。」
 苦く笑うムウに、マリューはそっと身を寄せて、背伸びをする。

 頬を掴んだままのマリューが、ふわり、とムウの唇にキスをした。

「分かってるわ。そんなの・・・・知ってる。」
 幾重にも零れた涙の残る頬のまま、マリューが眉を寄せて目を細めた。
「私も貴方も、前線に居る人間だもの。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「でも・・・・・・忘れないで。」

 私は護られる為に、ここに居るんじゃない。
 お飾りの為に、艦長をやっているのではない。

「私は・・・・・貴方の隣に居たいの。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「一人で背負い込まないで・・・・・・お願いよ。」
 さっきみたいに、誰にも頼らず、自分一人で決着をつけようとするムウが、心の底から恐かった。
「置いてかないで・・・・・・・。」
 搾り出された言葉に、ムウは軽く目を見張ると、それから抱く腕に力を込めた。
「こんな良い女、置いて行けるかって。」
 そのまま、くっく、と喉の奥で笑い、情け無い顔で見上げるマリューにちう、とキスを落とす。

 暫く、二人は無言で口付けあった。

「ごめん。」
 甘い余韻の中で、ムウは低く謝った。
「本当よ。」
 目を明けて、彼女がぎゅっと、肌蹴たままになっていた制服を押さえる。

「・・・・・・・・なあ。」
 そのまま離れていきそうな彼女を、強引に抱き寄せて、ムウは柔らかい髪の毛に指を絡めて後頭部に手を添えると、首筋にキスを落とした。
「もっとよく見たい。」
「・・・・・・・・え?」
 途端、ぼん、と音がしそうな勢いで、マリューの顔が真っ赤になった。
「こ・・・・・・これはっ・・・・・。」
「そのつもりだったんだろ?」
 髪の毛に絡む指が、つとうなじを撫でて、「ひゃあっ!?」と意志に反した声が、マリューの喉から迸る。
「ち、ちが」
「違わないでしょ。」
 明らかに愉しむような、笑みの混ざった台詞に、マリューが慌てて距離を取ろうとして、はっとする。

 取ったら、嫌でも制服を羽織っているだけの自分を、さらけ出す事になるのではないだろうか。

 ぴたり、と抵抗をやめ、代わりに自分からぎゅううっと抱きついてくるマリューに、ムウはにやっと人の悪い笑みを浮かべると、そっと耳元で囁いた。

「マリュー。」
「あっ」
 びく、と背中を引きつらせる彼女を、彼は強引に抱き上げた。

「きゃあっ!?」
「折角誘ってもらったのに、無視するなんて、俺も大概情けねぇよなぁ。」
「ち、ちが」
「だから違わないでしょー、マリューさん。」

 暴れれば、制服の前が肌蹴ると知っているマリューが、必死にムウを睨むが、調子を取り戻した彼は、にんまりと笑うだけで、取り合わない。


「艦長がご所望なのは、仕事熱心な俺じゃなくて、軽くて明るいやつなんでしょ?」
「そ、そんなこと一言も言ってません!!!」
「嘘はいけないなぁ、マリューさん。」

 語尾にハートマークが見える彼に、ベッドに押し倒され、何もかも奪われながら、マリューは堕ちる意識の端でこっそり思う。


 ああでも。
 こうして問答無用で愛してくれる彼が、やっぱり一番大好きだ、と。




(2006/12/30)

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