Muw&Murrue

 06 憂える横顔(7に続く)
 涼やかな音がして、アークエンジェル艦内にあるエレベーターのドアが開く。壁にもたれかかり、書類を捲くっていたムウ・ラ・フラガは着いたのか、と顔を上げた。
「あ。」
「・・・・・・・艦橋に御用ですか?」
 開いたドアの向こうに立っていたのは、この艦の最高責任者で、なおかつムウの恋人であるマリュー・ラミアスだ。
「・・・・・・・艦橋?」
 目を瞬き、彼女の後ろにある、あまり見慣れないドアを確認して、ムウは気まずそうに笑った。
「んにゃ。」
「じゃあ・・・・・・?」
 身体を脇にどけて、ムウを通そうとしていたマリューが首を傾げる。閉まりそうになるドアを、慌ててボタンを押して開き、ムウは決まり悪げに視線を逸らした。
「んー・・・・や、降り忘れたと言うか・・・・・。」
 明後日の方向を向く彼に、一瞬目を瞬いた彼女が、思わず吹き出した。
「艦長。」
 半眼で睨むと、「随分ぼーっとなさってたみたいですわね。」とマリューが心底おかしそうに告げて、エレベーターに乗り込んだ。



「お疲れなんですか?」
「そんなつもりは無いんだけどね。」
 手にした書類をひらひらさせて、ムウが苦笑する。
「マニュアル・・・・?」
 ぽん、と渡されたそれを手に、マリューが表紙を捲った。随分分厚いそれには、小さな文字で事細かにストライクの仕様が載っている。
「シモンズ主任がくれたんだ。乗るからには徹底教育だってよ。」
 お蔭で寝不足だ。
 ふわああ、と欠伸をするムウとは対照的に、マリューが眉間に皺を寄せてファイルを捲っていく。

 基本動作のシステムから、攻撃オプション。ストライカーパックの利用範囲から、エマージェンシーまで。

 ざっと見た感じ、それでも足りないな、とマリューはこっそり思った。
 真剣な表情でマニュアルを眺めるマリューの横顔に、ムウはふっと小さく笑う。
「ま、これもほんの一部なんだけどね。」
「え?」
 顔を上げたマリューから、マニュアルを取り返し、ムウはうんざりしたように溜息をついて見せた。
「後は自室の端末にもう、膨大に。」
「・・・・・・・・・・。」
「そんな顔すんなよ?」
 思わず不安気にムウを見上げていたマリューの額を、彼はつん、と突っついた。

 軽い音がしてドアが開く。ひらっと居住区に降り立ったムウが、振り返って笑った。

「大丈夫だ。これが俺の仕事だからね。」
 後は勘と経験かなぁ。

 軽く笑いながら廊下を歩き出すムウの背中を、どこか痛いものでも見るように見詰める。

 そうはいっても・・・・・やっぱりあれだけの機体を、短時間で物にするのは大変なのだ。
 基本だけであんな分厚いマニュアルが出来るのだから。

(最近部屋に来ないし・・・・・・。)

 不意に胸に溢れた感情と言葉に、マリューはぼん、と赤くなる。

 こんな時に何を考えているのだ。

 ふるふると首を振っていると、不意にドアが閉まってきて、彼女は慌てて廊下へと飛び出すのだった。



「しょーさ。」
「あれ?」
 エア音の後にひょいっと顔を出したマリューに、デスクで端末の画面をスクロールさせていたムウが目を見張る。
「どうかしたのか?」
「ええ・・・・・大変そうなので。」
 両手に持っていたカップとポッドを持ち上げて、マリューは笑った。
「コーヒーお持ちしました。」
「さんきゅ。」
 中に入り、彼の座る端末の反対側で、マリューはコーヒーを淹れ出した。そのまま、デスクに座って、画面を眺めるムウをちらっと見る。

 微かに溜息をついて、頬杖をつくムウが、そこに居た。

 いつもは自信満々で、なんでもそつなくこなす上に、パイロットとしても優秀な彼が、今、最新鋭機を前に戸惑っている。
 いくらか歪んだ笑みを浮かべて、仕様を眺めるムウの、その横顔に、マリューはどきりとした。

 自分の力の無さを憂えているような、気弱な、そんな雰囲気の漂う彼に、胸の底がぎゅっとなる。

「あまり、無理しないで。」
 ふいに言葉が口を付いて出た。こちらを向くムウと目が合う。
「そーも言ってらんないでしょ?」
 柔らかく笑ってみせるムウの表情には、先ほどのような憂いはない。
 ただ、マリューを気遣うような色が濃く出ていた。
「坊主三人にばっか、いいカッコさせらんないしね。」
 軽く笑って再び画面に視線を向けるムウに、マリューは目を伏せるとことん、とコーヒーポッドをデスクに置いた。
「いいじゃない、別に。」
 ゆっくりとマグカップを持ち上げて振り返る。
「そんなに焦らなくても。」
「悠長なこと言ってらんないでしょ?」
 ぎ、と軋んだ音を立てて椅子の背を逸らせ、体重を預けたムウが斜めにマリューを見上げた。
「いくらマスドライバー全部壊れたからったってさ。連中が宇宙に上がってくるのを諦めたわけじゃない。」
 ビクトリア奪還のための作戦行動にでてるっていう話しだし。
 ふーっと溜息を付いて、「時間の有る時に出来ることやっとか無いと。」と呟いて、腕を組んだまま画面を睨む。
 その横っちょに、マリューはそっとコーヒーを置くと、こっそりため息を付いた。

 確かにそうかもしれないけど、でも。

「だからって、寝不足になられては困ります。」
「へーきへーき。俺、寝溜め出来るから。」
「最後に溜めたのはいつですか?」
 いくらか強くなった語調に、ムウが視線を上げる。
 持っていたお盆を胸に抱いた彼女が、恐いくらい真っ直ぐな眼差しで自分を見下ろしていた。
「・・・・・・・・マリューさんと初めてイイコトした日。」
 ぼん、と彼女の顔が赤くなる。にまにま笑って彼女を見ながら、これでマリューが「知りません!」と叫んで引き下がって話は終りだろうと、ムウは瞬時に計算した。

 心配してくれるのはありがたいが、今は、放っておいて欲しい、というのが偽らざる彼の本音だった。

 「焦らないで」というマリューの台詞は、どうしようもなく図星で、それでも焦らざるを得ないと、彼は思っている。

 だから、こうやってマリューと二人で居る時間も、惜しいくらいなのだ。
 今は、少しでも早く、ストライクに馴染みたい。
 誰よりも、彼女の為に。

「あの夜はぐっすり眠れたしなぁ。」
 何も返してこないマリューに、更に追い討ちを掛けるべく、ムウは軽く口にした。耳まで赤くなるマリューがふいっと視線を逸らす。
 両肘をデスクにおいて、顎を組んだ手の甲に乗せながら、彼はちらりと艦長を見上げる。俯いた彼女が、ぎゅっと唇を噛んでいるのが見えた。
「マリューさん、すげー可愛かったし。」
 もっと啼かせたくなっちゃったしぃ?
 意地悪くそういうと、きっと眦がつりあがり、潤んだ目で「馬鹿!」とマリューが小さくもらした。
「あー・・・・・なんか、思い出したら俺」
 とどめを刺すべく、瞳に熱を込めて口にすれば。
「じ、じゃあ、私はこれで失礼します!!!」
 硬直したマリューが、音がしそうな勢いでムウに背中を見えて、あわあわと部屋を出て行った。
「・・・・・・・・・・・・。」
 エア音と共にドアが閉まり、再び椅子を軋ませて体重を背もたれに全て預ける。
 目を伏せて、ムウは天井を仰いだ。持ち上げた左手の甲を目の辺りに乗せる。

「ごめん。」

 ぽつりと呟き、ムウは眉間に皺を寄せた。

 焦っている。

 オーブで見た、連合の新型。あれは、ザフトの新型機であるフリーダムとジャスティスですら苦戦を強いられたものだった。
 コーディネイターの彼等ですら、苦戦する相手から、これからモビルスーツに慣れていかなくてはならない自分が、この艦を護れるとは、どうしても思えない。

 優秀であるがゆえに、自分の力量はわきまえている。
 相手の、力量も。

「・・・・・・・・・まずいよな。」
 普段は基本仕様などろくすっぽ読まず、マニュアルをあてにしない自分が、ここまで一から機体の事を把握しようとするなんて、と胸の中で笑う。が、それも膨れ上がってくる不安を前に急速にしぼんでいった。

 扱わなくては。
 手足のように。
 短期間で。

 あの連合の新型・・・・ひいてはザフトの機体と、必ずぶつかる日が来るのだから。

 ふーっと溜息を付いて、再びムウはモニターに集中する。機体に乗る前に、まずはこれらを把握しておかなくては。

 珍しく、デスクに付いたままムウはモニターの灯の中に埋もれて行った。





(2006/12/30)

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