Muw&Murrue

 04 絡めた指
 これからどうなるんだろう。

 ベッドに横たわったまま、ネオ・ロアノークは額から垂れ下がってくる前髪を、鬱陶しそうに払った。そのまま、見慣れてしまった医務室の天井を見上げる。

 フリーダムに落とされ、機体の外に放り出された所為で、あれだけの爆発を目の当たりにしながら、奇跡的にあばらを折るだけですんでいた。

 だが、怪我は怪我である。

 簡単に抜け出して脱走を図る事はおろか、ベッドから降りるのも面倒で、だからこうして大人しく軟禁されているのだが。

(正直・・・・・退屈なんだよな・・・・・。)

 捕虜としてこの艦に居るはずなのに、ここの連中がネオに接する態度は明らかに捕虜に対するそれとは違っていた。
 そもそも、いくら怪我人だからとは言え、いつまでも医務室に放り込んでおくのもどうかと思う。

(敵・・・・・のはずなんだがな、俺は。)

 何度となく戦い、煮え湯を飲まされたことも有る。戦場で出会ったなら、確実にネオはこの艦を落とそうとするはずだ。
 そう、敵だから。

「・・・・・・・・・・・・・。」

 ふと、その台詞に違和感を覚えて、ネオは枕元に投げ出したままの両腕で、きつくシーツを握り締めた。

 敵って、なんだ?

 不意に零れた言葉に、胸が痛み、ネオは目を閉じる。

 戦場で出会ったら、迷う事無くこの艦を撃つはずだ。

 ・・・・・・・何故?

 そりゃ、敵だからだ。


 じゃあ、どうして俺は、この艦を敵だとするんだ?


 軽い音がしてドアが開き、ネオははっとそちらを振り返った。自分のベッドのの隣に寝ている少年は、ネオよりも怪我の度合いが軽く、もう部屋を出てしまっている。
 この部屋に人が来る事はめったにない。

 誰かが、怪我をする、もしくは病気になるという、この部屋本来の使用法にのっとった人間が来る、以外は。

 カーテンを締め切り、一人でベッドに転がっていたネオは、二言三言、立ち番と言葉が交わされるのをぼんやりと聞いた。

 いくらか高い、柔らかい声・・・・・・。

 どきん、と心臓が跳ね上がり、妙に落ち着かない気分になった。

 その声の主を、ネオは知っていた。
 顔をあわせると胸の痛む存在。

(艦長がこんな所になんの用だっての・・・・・・。)

 カーテン一枚隔てた向こうを、妙に意識しながら、ネオは寝返りを打つと、息を殺して、枕に頬を埋めるのだった。





 寝ているのかもしれない捕虜を『気遣って』、マリューはそっと医務室に入ると、薬棚のほうに歩み寄った。
 格納庫で作業中のキラが、それほど本調子じゃないのに仕事を買って出て、ストライクルージュの調整をしていた。

 何かしていないと、落ち着かない。

 そう言った彼が妙にふらふらなのを見咎めたマリューが、彼の熱に気付いたのだ。

(医務室に戻るように言っても気かないし・・・・・。)

 がんとして首を縦に振らなかった少年に、マリューは思わず微笑む。
 自分は大丈夫だから、の一点張りのキラに、マリューはしょうがなく、忙しい軍医殿に相談して、熱さましを取りに来たのだ。
 かちゃかちゃと、瓶の触れる音を聞きながら、マリューは戸棚の中を探し、ふと視線をカーテンで閉ざされているベッドのほうに向けた。

「・・・・・・・・・・・・。」

 彼の前で泣いて。それから、彼の質問に答えて。

 マリューがネオと言葉を交わしたのは、その二度だけだった。
 忙しかった、というのも理由の一つだが、顔をあわせない最大の理由は、どんな顔をして彼と話をすればいいのか、判らないから、である。


 顔をあわせて、言葉を交わすたびに、胸の内に嫌でも膨らんでくる「期待」。
 生きていてくれただけで、嬉しかったはずなのに、動いて自分を見て、声を発する彼を前に、我慢できなくなる。


 ねえ、どうして私を覚えていないの?

 と。

(すがって泣くなんて、柄じゃないわよね・・・・・。)
 微かに目を伏せて、マリューは薬棚に視線を移した。指先が冷たく、かじかむ。寒いわけじゃないのに、とマリューは唇を噛んだ。

 鼓動が、肌が、無意識が、彼を求めて、彼を欲して辛くなる。

 そんな自分が嫌で、マリューは強引に薬棚の奥に見つけた瓶を引っ張った。



 凄い音が響いて、息を殺して、彼女の様子に聞き耳を立てていたネオは飛び起きた。

「んだぁ!?」
 思わずカーテンを引き開けると、踏み台の上で、床を見下ろすマリューの情けない顔にぶつかった。
「・・・・・・・・・・・。」
 視線を落としたネオが見たのは、床に散らばる薬の瓶と、箱である。
 一目で、棚から薬瓶を落としたのだと、まるわかりの状況。

 幸いな事に、瓶自体は丈夫だったらしく、割れたものはほとんど無いようだが、いくつか破片が散っているから、欠けたりなんだりがあるのかもしれない。

 それらの状況を見て取り、踏み台の上で固まっているマリューに、ネオは声を掛けた。

「なにやってんの。」
 呆れて言われ、彼女がはっと我に返った。

 まったくもってその通りだ。

「す、すいません・・・・お騒がせしました。」
 あわあわと告げると、彼女は慌てて床に降りて、瓶を拾い集める。欠けてしまったものは、そのままにして、とりあえず、大丈夫そうな物を拾っていく。
 自然とマリューの頬が熱くなってきた。

 ネオを気にしないようにした途端、これか。
 しかも、こんなカッコ悪い姿を晒すなんて・・・・。

 耳まで真っ赤になって、一気にたくさんの薬の瓶を抱えるマリューに、彼はふと嫌な予感がした。
「おい、一個ずつ」
「きゃあっ!?」
 半分閉まっていた扉を開こうと手を伸ばして、ぽろ、と瓶を落とす。それを慌てて拾うとしてバランスを崩し、まるでコントのように再び瓶をぶちまけるマリューに、ネオは思わず吹き出した。
「・・・・・・・。」
 あばらに響く、なんて言いながら笑うネオを恨めしそうに見た後、マリューはもくもくと片付けに入った。
「手伝ってやろうか?」
 踏み台昇降よろしく、行ったり来たりするマリューにネオが笑いを噛み殺しながら訊いてみた。。
「結構です。」
 精一杯何でもない振りをして言うが、あまり効果がない事は知っている。

 身体を起こし、ベッドに胡坐をかいたまま、そんなマリューを見ていたネオは、彼女が無事だった瓶を元に戻し、散らばる破片を拾う姿に目を細めた。
「怪我するぞ?」
「大丈夫です。」
「あんなの見た後で、それ、信じられると思うか?」
「・・・・・・・・・・・・」
 頬を赤くして俯く、この艦のトップに、ネオは不意に懐かしさを覚えた。

 まだ、二回しか顔をあわせて居ないのに、どうしてだか、彼女の気持ちが手にとるように分かるのだ。
「あんまり無理すんな。」

 不意に、意識を通さずに零れたネオの言葉に、はっとマリューが顔を上げた。

 言った方も方で、眉を寄せて瞬きしている。

「何が・・・・・無理なんですか?」
 微かに鋭くなった彼女の台詞に、ネオは何も言わず、「失言でした。」と両手を上げた。もっとも、手首が縛られている所為で、伝わったかどうか疑問だが。
「・・・・・・・・・・。」
 じいっと、何かを探るようにネオを見た後、マリューは再び、もくもくと片付けを開始した。

 その俯いた頭に、ネオは何かを言いたくて、でも何をいっても伝わらない気がして、黙り込む。

 暫く、息の詰りそうな沈黙が、辺りを支配した。

「誰か風邪でも引いたのか?」
 ふと、ネオはテーブルの上に置かれている熱さましに目を止めて、声を掛けた。
 ガラスを処理し終わり、幸い液状の瓶に被害は無かったので、錠剤を拾い集めて袋に入れていたマリューはネオを振り返った。
「どうしてですか?」
「それ、解熱剤だろ?」
「・・・・・・・・・・・・。」
 ネオが指差すテーブルに視線をやり、それからマリューは、ビニール袋の口を閉じに掛かった。
「――――キラくんが、本調子じゃないのに無理してて。」
「ああ、あの坊主。」
「・・・・・・・・・・・・。」
 壁に背中を押し当てて、ネオは天井を見上げた。
「機体、ばらっばらだって、落ち込んでたもんなぁ。」
「そうなんですか?」
 この薬の処分は、軍医と相談しようとテーブルに袋を置いて、マリューは意外な事を言うネオを見た。
「ああ。」
 短く答えた彼が、斜めにマリューを見下ろす。
「つか、パイロットなんて、そんなもんだろうさ。」
 再び天井を見上げる。その仕草に、マリューの胸が急に痛くなった。

 そういう眼差しをしている「彼」を遠くから見た事はある。

 だが、自分の前で、「彼」はそんな眼差しをする事は無かった。

 初めて自分に見せる、彼の、不思議なほど、寂しくて、諦めの滲んだ瞳。
 孤独の色。

 それに、急激にマリューの心の奥が冷えていった。

「それにさぁ。機体がないのに、パイロットだけ残ってたって、戦場じゃ意味ないだろ?」
 いくらか青ざめたように、悲しげな顔をするマリューに気付かず、ネオは淡々と続ける。

 パイロットはただの弾でしかない、と半分冷めたように笑いながら。

「ならさ?逆の方がよくないか?機体がありゃ、代えが乗って戦えるし。」
 弾は一発で終りだけど、銃がありゃ、いくらでも戦える。

 その台詞に、マリューの背中がびくりと強張る。
 だが、やっぱりネオはそれに気づかない。

「それにさ。壊れた機体は、ばらして新しい機体を作る手にもなるし、戦死した人間のデータを元に、やられない機体を作るのも」

 そんなネオの台詞は、頬に走った痛みに途絶えた。

「なっ!?」
 思わず顔を上げると、涙目のマリューが、すぐそばで自分を睨んでいた。

 ネオは、口を付いて出そうになった言葉を、一瞬で飲み込んだ。

 失言、だったか?

 そんなネオの、一瞬見せた戸惑いに気付かず、マリューが声を荒げた。

「私はっ・・・・・一度だってそんな風に思った事は有りませんっ!」
「・・・・・・・・・・。」
 微かに、マリューの目尻に涙が滲んで来る。
 痛くて痛くて、情けなくて、目の奥が痛むのを堪えて、マリューは必死にネオをにらむ。それに、彼は言葉に詰った。
「機体をなくして、とか・・・壊して、とか・・・・そんな風にパイロットに対して無責任にも腹を立てて思ったことなんかありません!あるわけがないわ!!!」
「・・・・・・・・・・・。」
「私はっ・・・・・・。」
 マリューの震える頭部が俯く。握り締めた手が真っ白になり、噛み締めた唇に、かすかに血の味がした。

「何をなくしてもいい・・・・・・。」

 彼女の脳裏に、目の前で爆散するストライクの画が、綺麗に綺麗に甦った。

「何を犠牲にしてもいいっ・・・・・・機体を壊してぼろぼろにして、脚も手も頭もなにもかもうしなってもいいっ・・・・・だから、ただ・・・・・。」

 ――――あの光りは、本当に美しかった。

 真っ黒なシルエットが弾き飛ばす、煌く閃光。
 冷徹で、無慈悲で、優しさの欠片もなく、ただ美しいだけの光り。

「ただ・・・・・・戻ってきてくれれば、それでよかったのよ・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・。」

 その光りに飲まれていった、命。

 ストライクの残骸は残ったのに。
 それに乗っていた人は、永遠に消えてしまって。

 ぼろ、と頬を伝い、顎から零れた雫に、ネオは目を見開く。歯を食いしばって自分を見下ろす彼女に、ネオは奥歯を噛み締めた。

「そう思って・・・・・くれるのか?」
 不意に唇を突いて出た言葉に、マリューが強く強く頷く。
「当たり前です。」
 はっきりと、言い切る。
「・・・・・・・・・そうか。」
「そうです。」
 硬く自身の脇で握られている彼女の手を、ネオはそっと取った。はっと目を見開くマリューに構わず、彼はそれを、不自由な両手でしっかりと包み込んだ。
「帰ってきて欲しかったんだな?あんたは。」
 じわり、と滲んでくる暖かさに、マリューは目を細める。
「そうよ。」


 戦友よ?と、泣きそうな顔で言った彼女の台詞を思い出す。

 ムウ・ラ・フラガという、かけがえのない、もう居ない人。

「悪かったな。」
「え?」
 ぎゅっと、掌に強く力が籠る。俯いたまま、ネオはゆっくりと吐き出した。
「俺なんかが、ここに居て。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「俺だったら、あんたを残して死んだりしないんだけどな。」


 不意に零れたネオの言葉に、マリューは目を見張ると、それからそっと自分の手を開いた。

 包み込む、ネオの掌の体温を、全部に受け止め、指を絡める。

 握り返してくる彼女の感触に、ネオはどきりとした。


 体温が溶けて混ざり合う。

 絡まる指先が冷たく、それを温めたいと、素直にネオは思った。

 こんなに硬く、引き結ばれている彼女の手を、自分が解けたら。


「約束してくれます?」
「え?」

 顔を上げると、涙に濡れた眼差しが、真剣にネオを見下ろしていた。

「貴方は、何があっても、これから先、生きていくって。」
 何を犠牲にし、何を壊し、何かをなくしても。
「生きるって。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」

 ぎゅっと手を握り返し、ネオは目を伏せると考える。


 これからどうなるのか。

 もとい。

 これから、どうするのか。


「ああ。」
 目を開けて、覗く蒼穹の瞳が、マリューを捕らえる。
「もちろんだ。」


 その台詞に、マリューはゆっくりと微笑むと、ネオの手を祈りを込めて握った。


「約束ね。」
「ああ。」


 これで彼は大丈夫だ。

 マリューはじわりと暖かくなる心の内でそっと思う。

 これで彼は、この世界のどこかで、生き続けてくれる。



 いつか来るであろう離別を思いながら、マリューはそっと微笑んだ。

 今はまだ、この手の温もりを放したくないと願いながら。




(2006/12/30)

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