Muw&Murrue
- 03 髪をかきあげる仕草
- いつも思う。
身体を重ねる彼が、恋愛経験・・・・・というか、女性経験が豊富なんだろうな、と。
ベッドの中で毛布に包まって、うとうとしていたマリューは、そんな風に、脳裏をぐるぐる回っている取りとめもない言葉の端を、ひょいっと掴んでどきりとした。
そうだ。
『女性経験』が、豊富なのだ。
ムウは。
それは恋愛経験とイコールになるのかどうか・・・・・それは残念ながらマリューにはわからない。ただ、時折耳にする「エンデュミオンの鷹」の噂話や、度肝を抜かれそうな女性のお話、などから推察する限り、イコールではないような気もしている。
一度聞いてみようかと、何気なく思ったことも、あるにはあった。
ちょっとした嫉妬からだったかもしれない。
自分という人間を、そんな経験豊富なムウが「どの程度の女」だと思っているのか、噂話に不安になって、嫉妬して、聞いてみようかなと思ったのだ。
もちろん、それはしなかった。
理由は「なんとなく恐かったから。」である。
もし、自分の事を、「ただの遊び」だとムウに思われてでもいたりしたら、もう二度と恋をしないと誓った自分が、彼に身を委ねて甘えてすがっているのは滑稽以外の何者でもないと、そう思ったからだ。
ただの遊びに本気になっている自分が、惨めじゃないか。
そこまで考えて、マリューは、どきりとした。。
(そうなのよ・・・・・・私は本気なのよね・・・・・。)
自分でぐるぐる考えている内に掴んだ答えに、彼女は一人で赤くなる。身体を丸めて、毛布に包まり、艦長室のベッドに横たわりながら、彼女はずず、と毛布に潜った。
マリューにとって、この恋は本気である。
ムウの為になら、何にだってなれるし、彼が求めるものには出来るだけ応えたいと思っている。
彼を、全力で自分の側に繋いでおいて、そして、同じ気持ちで自分の事を想っていて欲しい。
(んだけど・・・・・・・。)
再び耳まで真っ赤になり、マリューは毛布に更にもぐりこんだ。
(私は経験が少ないから・・・・・・・。)
目を瞑ると、さっきの行為がありありと思い出されて、マリューは恥かしいというよりも、自己嫌悪に陥っていった。
やだっ・・・・・そ、んなの・・・無理・・・・・・だって・・・・したことない・・・・し・・・・。
ムウから強要された行為に、マリューは恥かしがって首を振る。ムウがどんなに柔らかく頼んでも、彼女はがんとして首を縦に振らなかった。
ま・・・・しょーがないか。
そう言った彼の声が、脳裏をぐるぐるする。そんなに大した事でも無いんだけどな、と言外に言ってる様な調子。
それに、マリューの胸が急に冷えたのだ。ぎゅうっと、冷たい手で心臓を握られたような、そんな嫌な感触。
ごめんな?
毛布を身体に巻いて、ムウを見上げるマリューに、彼はそう言った。後はただ、いつものように愛してくれた。
でも、目が覚めて、一人でベッドに横たわっている自分を見つけたマリューにとって、その台詞は妙な不安を伴って、胸の奥に引っ掛かった。。
一人でシーツの上に横たわっていると、段々と痛みが、背中から忍び寄ってくる。
あの言葉を告げた、声の調子が、耳を離れない。
呆れていたのだろうか。がっかりしたのだろうか。それとも、見放してしまったのかもしれない。
(そんなわけないわ・・・・・・。)
毛布に頭のてっぺんまでもぐりこみ、柔らかな闇の中、ぱっちりと目を見開いて、マリューは激しく首を振る。ぎゅっと目を閉じて、抱いてくれている間中、見せてくれた空色の瞳を彼女は一生懸命思い出した。
あの優しい光に間違いはない・・・・・・多分。
(でも待って・・・・・・経験豊富ならあれくらい出来るんじゃないかしら。)
どきどきと心臓が痛くなり、マリューは急に苦しくなって来た。
彼は本当はどう思っているんだろう。疑っているわけでもないけど・・・・でも、だって彼は経験豊富なのよ?
妙なところにこだわりながら、そっち方面に疎すぎるマリューは、終いにはうんうん唸りだした。
目が覚めて、ムウがいなかった事実も、彼女の考えに拍車をかける。
(今までそんな事無かったのに・・・・・目が覚めたら側にいて・・・・腕枕とかしてくれてたのに・・・・・・。)
徐々に泣きそうになってきて、マリューは慌てて枕に鼻先を押し付ける。もちろん、頭から毛布を被ったままで。
その時、ぎし、と艦長室のベッドがきしみ、彼女は心臓が飛び出るくらい驚いた。
「マリュー?」
甘い声が、上から降ってくる。喉元に鼓動を感じながら、マリューは微動だにしなかった。
息を詰めてじっとしていると、横向きに寝ている彼女の腕辺りに、ムウの掌を感じた。
そっと触れてくれる、彼。
そのまま、向きを返るように手が促し、彼女は寝た振りをしながら、それに従った。
「寝てるのか?」
再び小声で囁かれて、マリューは息を飲んだ。それでも、応えずにじっと息を殺して身を潜める。
微かにムウの溜息が聞こえて、彼女はぎくっとした。
(無反応はまずかったかしら・・・・・・。)
急に不安になる胸の内に、気に掛けている例のセリフの調子が甦ってきた。
ぎし、と再びベッドが軋み、マリューの腕を掴んでいた手が離れる。
不意に消えた重みに、マリューの胸が、ますます、ますます痛くなった。
呆れられた?
嫌われた?
あんな私は、ムウにとってはたいしたこと無い女になるの?
不安が胸を押しつぶし、嫌な物が、口に一杯に広がる気がして、マリューは涙の滲んだ目を、ぎゅっと閉じ、手が白くなるほどきつく、シーツを握り締めた。
(もう駄目・・・・ムウ・・・・っ。)
彼が離れていく・・・・・。
そんな錯覚が胸の内を過ぎり、マリューは息苦しさに耐えかねて、ぱっと毛布から顔を出した。
そこで彼の驚いた顔や、それとも、愛しそうに自分を見詰めてくれる顔にぶつかれば、きっと安心できる。
そういう計算が、マリューの中で無意識に働いた。
だが、顔を出したマリューが見たのは、上半身裸の彼が、半分だけ毛布に入って、シーツの一点を見詰めている冷たい横顔だった。
「っ」
彼はマリューの視線に気付かず、いささか乱暴に自分の髪の毛をかきあげる。ぎゅっと額の辺りで、前髪を握り締める仕草に、彼の苛立ちを感じて、マリューは身をすくませながら起き上がった。
「ご・・・・・ごめんさ・・・・・・。」
「わっ!?」
奥歯を噛み締めていたムウは、突然響いた最愛の人の陳謝に、大急ぎでそちらを振り返った。
てっきり自分に背を向けて寝ているんだとばかり思っていた彼女が、今にも泣きそうな顔で、毛布を手にこちらを見ている。それに、ムウは目を見開いた。
「どうしたんだよ、マリュー?」
先ほどの冷たさが吹っ飛んだ、心底心配するその眼差しに、マリューがほっとするやら泣きそうになるやらでぎゅっと唇を噛んだ。
「寝てたんじゃないのか?」
「ごめんなさい。」
か細い声が答え、ムウは「何謝ってるんだ?」と大急ぎで彼女を抱き寄せた。
外気にさらされている肩が、少しだけ冷たくなっている。
彼女の顔を、自身の胸元に引き寄せ、ムウは彼女を抱きなおすと、震える背中を、そっと撫でた。
すべらかな肌が心地よい。
「どうしたのさ?マリューさん。」
ぎゅうっと抱きついてくるマリューの仕草に、ドキドキしながら、ムウが訊ねる。
「どうって・・・・・・貴方、恐い顔してたから・・・・・。」
消え入りそうな声に、「うん?」とムウが眉を上げた。
「恐い顔・・・・・って?」
冷たい横顔。知らない表情。苛立ちの滲んだ仕草。
髪をかきあげる、という彼の仕草は好きなのに、今日のは、ただ冷たさしか感じなかった。
「・・・・・・・・・・・・・。」
「マリュー?」
きっと、ああいう表情を、何人ものオンナノヒトが見てきたんだわ。
そう思うと、急に目の奥が痛くなって、胸が切なくなって、ぐらり、と視界が揺れた。
ぐす、とすすり上げるかすかな音が、部屋に響き、ムウは度肝を抜かれる。
「マリュー!?」
慌てて身体を離すと、俯いて震え、今にも涙を零しそうな彼女にぶつかった。
「な・・・・・・何だよ、どうしたんだ!?」
彼女が泣くなんて。
心臓が痛んで、ムウは大急ぎで彼女の目尻に人差し指を添えた。
「何があった?俺、何か酷い事言ったか?」
ふるっと彼女が首を振る。
「じゃあ、どうした?何で泣いてるんだ?」
大いに慌てるムウの前で、マリューが俯きがちに言葉を発する。
「・・・・・・・の。」
「ん?」
「こわ・・・・・・の・・・・・・。」
「・・・・・・え?」
「こわ・・・・・・・い・・・・・。」
微かにしゃくりあげる彼女に、ムウは一瞬で色んな事を考える。そして、ふと思い当たった事態に、頭から血の気が引くのを覚えた。
「悪かった・・・・。」
反射的に、ムウは謝った。
「違うんだ、マリュー・・・・・あれは・・・・・。」
なんていうか、その・・・・・言葉のあやのようなもので・・・・。
俯いて涙を呑む彼女に、必死に弁解を繰り返す。
「だって貴方・・・・・私っ・・・・・。」
「聞いて、マリュー。俺が悪かったから。」
「お願い・・・・私・・・・聞けなくて・・・・経験っ・・・・ない・・・・から。」
「あんなこと、頼んだりして・・・・俺、後悔して・・・・。」
だから。
「嫌いになったかと・・・おも・・・・。」
「嫌いになんかならないでくれな!?」
思わず同時に発せられた言葉に、二人は顔を見合わせた。
「え?」
「ん?」
視線が絡まったまま、数度瞬きを繰り返す。
何か変じゃないか?
「あの・・・・・・マリューさん。」
「・・・・・・・・・・。」
「俺のこと怒ってるんじゃないのか?」
そろっと聞かれたムウの台詞に、マリューがびっくりして首を振った。
「どうして?私のこと怒ってるのはムウじゃないの?」
「ええ!?」
これに、素でムウが驚いた顔をする。
「俺がいつ、マリューに対して怒るんだよ。」
「だ・・・・・だって・・・・・。」
いつもは隣に居るのに、今日は居なかったじゃない。
うる、と瞳を潤ませて告げられた言葉に、「あー・・・・・それ。」とムウは途端歯切れが悪くなった。
「やっぱり・・・・・・私がムウのお願い聞かなかったから・・・・他の女ならしてくれるのに、って呆れたんだわ。」
私・・・・・上手じゃないしっ・・・・・!
くしゃっと顔を歪めて、ぽろぽろと涙を零すマリューに、ムウが「はああっ!?」と目を丸くする。
「な、何言い出すんだよ、マリュー!?」
両手に顔を埋めて、切なくて痛む胸中のまま泣くマリューに、ムウが慌てた。
「そんなわけないだろ!?むしろ逆だよ!」
距離を取ろうとする彼女を抱き寄せて、しっかりと両腕に閉じ込める。
「違うんだって・・・・・マリュー。」
「私っ・・・・・下手だしっ・・・・・経験少ないしっ・・・・。」
「だから違うゆうとろーが。」
ぽん、と彼女の後頭部を軽く叩き、抱きしめる彼女の耳元に、ムウがそっと告げた。
「違うんだよ、マリュー。むしろ逆。」
「・・・・・・・・・。」
最中に、ムウは我慢できなくて、あるお願いをしてみた。
それに、マリューは「出来ない。」と泣きそうな顔で言ったのだ。
それがまた、ムウの中の嗜虐心をあおって、無理やりにでも強要しそうになったのだ。
それをセーブできたのは、マリューの今にも泣きそうな、恐がる顔を見てしまった所為だ。
ま、しょーがないか。
慌ててムウは、なんでもないように言った。ガキじゃあるまいし。無理やり女に嫌がる事をさせて悦んでどうする。
そう自覚した途端、急に嫌悪感が溢れたのだ。
俺は何をやっているんだ、と。
惚れた女を気持ちよく出来ないで、自分ばっかり先走ってどうする。
そう思いあたると、なんだか情けなくて。
ごめんな?
精一杯謝って、それから、彼はマリューをいつも以上に気持ちよくさせようと頑張った。優しく優しく抱いたつもりである。
なのに、眠る彼女の唇や、身体を見ていて、めちゃくちゃにしたい、酷い事を強要してしまいそうになる感情が溢れて、自分自身に腹が立ったのだ。
「ほんと・・・・・情けねぇよな。」
マリューをぎゅっとしたまま、ムウがゆっくりと告げる。
「マリューのこと、心底惚れて大事にしたいと思っていながら、欲求を満たしたくて仕方ない部分もあるんだからさ。」
背中に回された腕が熱く、耳を寄せている胸の、いくらか早い鼓動に、マリューは赤くなった。
「それで、隣に寝てたらろくなことしないと思って・・・・その・・・慌ててシャワーをね。」
優しく髪の毛をすいて、なでなでしてくれるムウに、マリューはようやく詰めていた息を吐き出した。
目の縁から、散らすことがかなわなかった涙がひとしずく、ぽろっと零れる。
「じゃあ・・・・・私が下手くそで・・・・・お願い聞いてくれないから・・・・呆れたわけじゃないのね?」
掠れたマリューの台詞に、ムウが思わず吹き出した。
「馬鹿。なんだよ、呆れるって。」
そっと身体を離すと、優しい瞳が、自分を捕らえていて、マリューは赤くなる頬のまま告げた。
「だって貴方・・・・・経験豊富で・・・・・私、全然ちゃんと出来てないから・・・・それに、私ばっかり本気で、貴方は私のこと、ただ単にやらせてくれる女だと思ってたらどうしようって・・・・。」
「マリューさん、マリューさんっ!!!」
凄い台詞をしゃらっと吐く彼女の口を、ムウは慌ててふさいだ。
「んなこと、俺はこれっぽっちも思ってないから。」
「・・・・・・・・でも。」
俯きがちに、彼女は小さく問う。
「私・・・・・上手じゃ」
「ストップ。」
何かを言いかけるマリューの唇を、ムウは強引に塞いだ。
そのまま、柔らかい、ゆっくりした、慰めるような口付けを繰り返す。
「確かにさ。マリューはそんなに慣れて無いようだし、色々たどたどしいけど。」
情けなく眉を寄せる彼女の頬に、ムウはキスを落とす。
「そんな可愛いマリューさんが俺は大好きだから。な?」
それに、他の女は、他の女で、マリューさんはマリューさんだろ?
「わかった?」
こつん、と額を寄せてくるムウに、マリューは腕を伸ばして抱きつくと、こっくりと頷いた。
「はい。」
その仕草が可愛くて。
「ちょ・・・・ムウ!?」
「んー・・・・・折角シャワー入ったのに・・・・・駄目っぽい・・・・・。」
押し倒してキスを繰り返すムウに、マリューはぎゅっと目を閉じて体から力を抜いた。
「・・・・・・?」
その様子に、微かにムウが目を見張る。微かに濡れた視線で、マリューがムウをそっと見上げた。
「あのね・・・・ムウ。」
「ん?」
「・・・・・・・・私・・・・・なんとか上手になるわね?」
半分毛布に顔を埋めて、振り絞るように告げられた台詞に、ムウは驚いたように眼を瞬かせると、「参った。」と少し困ったような、嬉しそうな笑みを浮かべて髪をかきあげた。
暗がりでよく判らないが、その仕草と、紅い耳に、マリューはほっとする。
ああよかった・・・・・。
大好きなムウの仕草だ・・・・・。
「いいのか?」
自分の前髪をくしゃっとしたまま、ムウが彼女を見下ろす。
「そんな事言っちゃって?」
「ムウのこと、愛してるから・・・・・。」
両手を伸ばして、彼の温度を受け止める。
「だから・・・・・。」
柔らかくて、愛しくて。心の底から惚れてる女に、そんな風に可愛い事を言ってもらえる日が来るとは思ってなかった。
「わかったよ、マリュー。」
ありったけの愛しさを込めて、ムウは彼女を抱きしめるのだった。
(2006/12/30)
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