Muw&Murrue

 02 無防備な笑顔
 インド洋を抜けて太平洋にでる。
 そこからアラスカを目指してアークエンジェルは進行中だ。

 ザフトは領土拡大戦をしているわけではない。

 そう言ったキサカの言葉通り、今のところ目立った動きは何もない。溜まっているストレス発散にと、少ない時間ではあるが、マリューはクルーたちにデッキへ出る事を許可した。

 もっとも、ナタルはあまり良い顔をしなかったが。

 彼女と入れ違いに休憩に入り、食堂へと立ち寄ったマリューは、時計を見上げて大きく伸びをした。
 もう直ぐ18時になろうとしている。
(デッキからキレイな夕焼けが見えそうね。)
 艦橋窓から見ていた空は、綺麗に晴れ上がり、真っ白な雲が、南の太陽に照らされて目に痛いくらいに輝いていた。
 そんな快晴だったのだから、今日はさぞかしキレイな夕日が拝めるだろう。
「・・・・・・・・・。」
 厨房では夕食の準備が始まり、何人かがテーブルについてドリンクを飲んだり、砂漠で仕入れてきた雑誌を手にとったりして、思い思いに寛いでいる。
 彼等から挨拶を受けたり、返したりしながら、彼女はプレートの置かれている棚を暫く眺めた後、厨房のほうへと顔を出した。
「あ、料理長、ちょっといい?」
 部下の真ん中でボウルの中身を混ぜていた人物が、声を掛けられて顔を上げた。
「艦長。」
 目を瞬く料理長に、マリューはにっこりと笑みを返した。
「例のあれ、借りますね。」



「あれ?少佐もガス抜きですかい?」
「おー。」
 かんかん、と軽い金属音を立てて歩いてくるムウに、先に甲板の手摺にもたれかかって一服していたマードックが笑った。
「んー・・・・・あー・・・・・今日もいい天気だなぁ。」
「もう終りですけどねぇ。」
 手摺に両腕を投げ出し、タバコをくゆらせていたマードックが、伸びをしたあと、何故か伸ばした腕を横に倒して、ストレッチを始めるムウにのんびりといった。
「こう、缶詰だと、人間腐って駄目だな。」
 いっちに、と屈伸を始めるムウに、「わたしはこれですかねぇ。」と人差し指と中指の間に挟まったタバコを、マードックは振って見せた。
「格納庫は火気厳禁だもんなぁ。」
「最近じゃ禁煙運動がさかんでねぇ。」
 休憩室も落ち着いて吸ってらんないっすから。
 再びタバコをくわえて、ふわあ、と紫煙を噴出す。茜色に染まりだしたそこに漂うそれに、膝を伸ばしていたムウが笑った。
「最近じゃ、軍事態が禁煙押してるもんなぁ。」
「整備班なんか特にですぜ。」
「パイロットだってそうさ。戦闘に有利な身体を作れって煩くってね。」
「わたしの時代なんざ、吸ってないほうがおかしかったもんですがね。」
「で、ハンガーで火事が続出か?」
 笑いながら、ようやくマードックの隣にムウが立った。
「機械の精密化と共に、ってやつですよ。」
「止めたらどうだ?」
 経済的だぜ?
 手摺に背中を預けて、斜めにマードックを見るムウに「冗談。」と彼はふてくされたように煙を吐いた。
「んなことしたら、誰かがスカイグラスパー壊して帰って来る度に、ストレスで胃に穴があくってもんでさぁ。」
「そりゃ悪かったな。支援機なのに、主戦力にしちまってさ。」
 お互い顔を見合わせて吹き出す。

 まったく、その通りだ。

 スカイグラスパーのメインの作業はストライクの支援だというのに。

「たのんますよ、ホント。壊すだけならいいですがね、それごと行方不明になられたら目も当てられませんから。」
「ん。せいぜい、曹長のタバコの本数が増えないようには頑張らせていただきます。」
 口にタバコをくわえたまま、マードックは「違いない。」と笑うと、ふとムウにタバコの箱を向けた。
「吸いやすかい?」
「いや。」
 手摺を軸にして、身体をそらせる。反転した水平線と太陽が見えた。
「遠慮しておく。」

 真っ赤に燃える塊が、緩やかに落ちていく。目を細めながら、血のような赤を見つめていると、「お。」と隣の男が声を上げた。
「じゃ、わたしはこれで退散しやす。」
「なんだ。もう戻るのか?」
 身体を元に戻すムウはにやっとマードックが笑うのに、眉を寄せた。
「居てもいいんですかい?」
「あ?」
 マードックの視線が、少しずれていて、ムウは何気なしにデッキの入り口のほうを見た。

 手に何かを持った、この艦の最高責任者が、ドアの前で大きく深呼吸しているのが見える。

「そんなら、ここに居させてもらいやすけど?」
 ちらっと見上げるマードックに、ムウはキレイな笑みを返した。
「丁重にお引取り願おうかな。」
「へいへい、ごゆっくり。」

 いくらか背中を丸めて歩いて行くマードックを、ムウは手摺に寄りかかったまま見送る。入れ違いに、艦長がゆっくりと歩いてきた。
「ごくろうさまです。」
「お疲れさんです。」
 簡単な敬礼を返して、デッキから出て行くマードックを通り過ぎ、マリューは、眩しそうに目を細めながらムウの隣へと進み出た。
 後ろで、ぱたん、とドアが閉まる。
「お疲れ。」
「スイマセン・・・・・お邪魔しちゃいました?」
 ちらっと後ろを振り返るマリューに、「どうしてさ。」とムウがのんびり言った。

 潮風が、南から吹いてきて、二人の肌にまとわりつく。

「なんか、男同士でお話中だったようですし。」
「大した話もしてないよ。」
 空を見上げて、笑うムウに、マリューはそうですか、とだけ答えた。
「で?」
「え?」
 キレイな夕日に目を細めていたマリューに、ムウが尋ねる。
「艦長もガス抜き?」
「そんなところです。」
 彼女が腕に抱えている物が気になって、ムウは手摺に背を預けていた態勢を入れ替えると、代わりに両手を置いた。
 頬杖を付く。
「それは?」
「え?」
 オレンジ色の塊の放つ、昼の光り。柔らかく辺りを包んでいくそれを、溜息混じりに見詰めていたマリューは、自分の抱えているものに、何気なく視線を落とすムウを振り返った。
「ああ・・・・・・これ?」
 軽く持ち上げるそれは、茶色の小さな紙袋だった。上が幾重かに折られている。
「息抜きグッズです。」
「・・・・・・・・タバコ?」
 袋の大きさから、ムウは恐る恐る訊ねてみた。
 何となく、似合わないなと思いながら。
「違いますよ。」
 吹き出すすマリューが、イタヅラっぽくムウを見上げた。
「少佐はタバコ、お吸いになるんですか?」
 逆に訊ねられて、ムウは肩をすくめた。
「なんでさ。」
「タバコの匂いがしますわ。」
「ああ。」
 腕を上げて、袖に顔を埋める。
「曹長が吸ってたからねぇ。」
「残り香ですか?」
「・・・・・・・・・気持ち悪い言い方しないでくれる?」
 思わず半眼で睨むムウに、今度こそ、マリューは声を上げて笑ってしまった。

 最近、ようやく見るようになった、彼女の笑顔。

 それが、妙に嬉しくて、つい、ムウも笑ってしまう。

「そうですわね、ちょっと言い方気持ち悪かったですわね。」
 くっく、と笑いを堪える仕草のマリューに、「でしょ?」とムウが相槌を打つ。ふと、顔を上げた彼女は、視界に映る夕焼けと、それとコントラストをなすような、ムウの綺麗な空色の瞳に、目を細めた。

 穏やかな笑みだなと、マリューは思う。

 いつもそうだ。
 彼は、いつも。

 自分を慰めるように、元気付けるように、笑っていてくれる。

「・・・・・・・・・少佐にお礼を言わなくちゃ駄目ですね。」
「え?」

 彼女の笑顔が嬉しく、もっと見ていたくて、緩やかな気持ちの波に乗りながら、マリューを見詰めていたムウは、その言葉に、目を見張った。

「ようやく、笑えるようになりました。私。」
「・・・・・・・・・・・。」
 紙袋を抱えたまま、マリューがすっと水平線に視線を戻す。
「最近なんです。ようやく、自分が艦長としてどうにかなるんじゃないかと思えてきたのは。」
「・・・・・・・・・・・。」

 ヘリオポリスの崩壊から、砂漠に降りるまで。それは全て不可抗力だった。どうしようもない事態が連続し、望まぬ方向へと追いやられるだけだった。

 でも今は違う。

 「レセップスを倒し、道を開いた」という戦果が、状況の中で翻弄されるだけだったマリューの中に、戦士の何かを芽生えさせていた。

 困難な物に立ち向かうための、心の中の揺るがない勲章。

「・・・・・・・・・・・そーだな。」
 目を細めて、ムウも水平線に視線をやった。

 敵艦隊を潰して、それが彼女の艦長としての自信になるのなら、それは良い事だろう。
 艦内の士気も結束も、砂漠の一戦からこっち、目を見張る物がある。

 自信を持つこと。己の道を信じること。

 それはイイコトだろう。

 そう思うケド。

「でも、状況は何も変わっちゃいない。」
 補給ルートは無く、援軍は期待できない。太平洋は恐ろしく広い上に、近くにはカーペンタリアの基地もある。

 我ながら意地が悪いと思いながら、ムウはそう口にした。支援機が主戦力の現状は、緩和されていないのだ。

 ちょっとの戦果で、浮かれてもらっては困る。

(もっとも・・・・鼻で笑えるほどの戦果、でもないんだけどな。)

 厳しい事を言いながら、それでも相手の反応が気になって、少し視線を落とすと、揺るがない彼女の立ち姿にぶつかり、ムウは目を見張った。

「少佐の仰る通りなんですけど・・・・・・。」
 傷つかず、うなだれず、凹まない視線が、ムウを捕らえる。
「それでも、笑えるようになったんです。」
「・・・・・・・・・・・。」
「今気付きました。」
 ふふ、と小さく笑う彼女は、褐色の柔らかい瞳一杯にムウを映した。
「少佐のおかげなんですよね、それって。」
「・・・・・・・・・・・。」
 思わず、声を失う。驚いたように眼を見張る男に、マリューは笑みをたたえたまま続けた。
「現状、何も変わってないのですけど・・・・・・少佐が居るんだって思えるようになったんです。」
 これは甘えかなぁ。

 小さく呟いて、マリューは右手を手摺に乗せたまま空を仰いだ。

「少佐や、キラくんや曹長や・・・・ナタルや皆が助けてくれる限り、大丈夫な気がするんです。だから、私も艦長が出来るんだって。」
 周りを見渡して、人が居る。
 同じ目的の人が。

「そう思えるようになった、ってくらいには、現状は変わってるんですよね。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」

 確実に、ヘリオポリスを脱した時と、何かが変わってきている。
 それが、アークエンジェルの強さなのだとしたら。

「――――かもな。」
 掠れた声が、ムウの喉から漏れた。

 何かが変わってきている。
 周りも、艦長も、俺、も。

「だから、ありがとうございます。」
 思わず彼女から視線を逸らすムウに、マリューは素直に言った。
「今度は、少佐の前だけじゃなくて、クルーの前で余裕で笑えるようにならなくちゃ、ですしね!」
 うん、と頷くマリューに、ムウは不意に言葉を口にした。
「それは困るかも。」

 確かに、それは困る。

「え?」
 きょとんとするマリューに、ムウが歯切れ悪く続けた。
「笑うのは俺の前だけにしとけよ。」
「・・・・・・・・・・・。」
「そーいうもんはね。嘗められる元だから、無防備に笑うのは俺の前だけにしとけって言ってるの。」
 諭すように言うと、眼を瞬いていたマリューがくすっと小さく吹き出した。
「了解です。」
 くすくす笑うマリューに、いくらか間の悪いものを感じながら、ムウは話を強引に元に戻した。
「で、結局タバコじゃないとして、それは何なわけ?」
「ああ。」
 紙袋に視線を落として、マリューが暫く何かを思案すると、「少佐、甘いものお好きですか?」と小首を傾げながら訊ねた。

 この行為も無防備すぎる。

 思わずどきりとしながら、ムウは頷いた。

「わりと。」

 なんとなく、大好きですとはいえなかった。

「ああ、よかった。」
 そんなムウの心情に気付かず、嬉しそうにマリューが笑うと、ごそごそと紙袋を開けた。中から、小さなプラスチック製の容器を取り出す。
 蓋の付いたそれは、よくコンビニなんかで見かける、ゼリーのようなものだった。
「チョコレートプリンなんですけど・・・・・お好きです?」
「ああ。」
 はい、と差し出されて、ムウは思わず受け取ってしまった。視線を上げると、紙袋を折り畳むマリューが目に付いた。
「・・・・・・え?」
「差し上げます。」
 あっさり言われて、プリンを持ったまま、ムウは言葉を捜した。
「や・・・・・でも・・・・・これ、艦長の・・・・?」
 思わず躊躇うムウに、マリューはにっこり笑った。
「ああ、いいんです。まだ、私の分はありますから。」
「・・・・・・・食堂のメニューにあったっけ?」

 こんな立派なプリンなんか出ただろうか。

「違うんです。」
 不思議そうにカップを見詰めるムウに、マリューが小さく笑った。
「補給班に頼んで、女性専用の食材を買って来てもらったんです。」
「・・・・・・・・・・・何それ?」
「圧倒的に艦内には男性が多いでしょう?そうなるとメニューもそっちよりになっちゃいますから。」
 だから、艦内の女性で、「女性専用冷蔵庫」を設けることにしたのだ。
「食事も、あんまり食べたくない物が並ぶようなら、そこから作っていいことにしまして。」
「・・・・・・・へー。」
 なるほど。トップが女性だと、色々艦内に気配りが出てくるわけだ。
「大した人数も居ませんし・・・・・ナタルが密かに喜んでましたから。」
 くすくす笑うマリューに「そら、よかった。」とムウが真顔で答えた。
「勝手な事をして、って艦長に罪状が増えるのかと思った。」
「人を何だと思ってるんですか!」
 思わず笑いながら告げるマリューに、ムウは手にしたプリンを見詰める。
「外で食べようと思ったのか?」
 もう、頭のてっぺんしか見えない夕日と、いくらか涼しさを増してきた海風に、改めて見入っていたマリューが「そうですよ。」とのんびり答えた。
 靡く髪を片手で抑えて、ムウを振り仰ぐ。そんな彼女に、彼は目を細めた。
「サンキュ。」
 素直にそういえた。

「・・・・・・・・・・。」

 そんな不意に目撃した、ムウの素の笑顔に、マリューはどきりとする。

「すげー嬉しい。」
 はにかむような、無防備な笑顔。
 視線を落とし、手の内のプリンを見るムウが、子供のように見えて、マリューは急にくすぐったくなった。
「いえ・・・・・・。」
 思わず視線を逸らすと、消えようとする太陽に顔を向けた。

 かあっと頬が熱くなり、赤くなっているのが分かる。

「じゃあ今度、艦長にお礼しなくちゃな。」
 隣に立つムウが少し移動して、彼の腕が、自分の腕に触れる。
 急にドキドキしながら、マリューはでも、生真面目に前を見たまま返す。
「お礼にお礼、なんて必要ありませんわ。」
「いーや。」
 ひょいっと顔を覗き込まれて、マリューは夕日に感謝した。真っ赤になっているのが、ばれなくて済む。
「俺がしたいの。」
「・・・・・・・・・・・。」
「今度、な?」

 にっこり笑うムウの笑顔は、マリューにとって一番の清涼剤で。

(やっぱり・・・・・少佐にはかなわないなぁ。)

 勘違いしそうな優しさが、素直に嬉しい。

「返事。」
 眉を寄せるムウに、彼女は笑った。
「了解です。」


 艦が海を渡っていく。
 太陽が沈み、空がグリーンから紺色へと移り変わっていく。

 星々がきらきらと全天で光る頃には、二人はまた、それぞれの持ち場に戻らねばならない。

 夜と昼。
 その狭間で、二人は二人の間にだけ有る、特別な笑顔を互いに見せて過ごした。

 特別な、無防備な、笑顔を。












(2006/12/30)

designed by SPICA