Muw&Murrue

 01 儚い吐息
 誤魔化し続ける。
 自分の為に、彼女の為に。

 今ここで、それを言うのは、きっと卑怯だから。

(いや、違うな。)

 軽い音を立てて開いた、艦長室の自動ドア。そこに踏み込み、机に突っ伏して寝ている存在に、ムウ・ラ・フラガは苦笑しながら手にしていた書類を持ち上げる。自分の後頭部にそれをぶつけながら、彼はやれやれと溜息を付いた。

(こういう時、お疲れさん、っていうのは・・・・・同僚として間違ってないよな。)

 そっと靴音を極力立てないようにして彼女の側に寄ると、先刻言われた「セクハラです。」という台詞を思い出す。

「おーい、艦長ー。」

 聞こえるか聞こえないか。音を消した声で呼んでみる。
 こういう態度こそ、卑怯かもな、とぼんやり思い、それで目が覚めない事を祈ってる自分も、卑怯だと思う。

 どこまで行っても、自分自身を誤魔化している時点で既に卑怯なのだ。


 彼女に触れたくて仕方ない気持ち。護ってやりたくて、抱きしめたく思う気持ち。
 それから、ただ自分だけをその瞳に映して、甘えた声で名前を呼んで欲しく思う、気持ち。

 その全てを誤魔化す、卑怯な気持ち。

「・・・・・・・・・・・。」
 デスクに手を付いて、ムウは組んだ両腕の上に落ち込んでいる、栗色の頭の、ちょこん、と立っているくせっ毛に目を細めた。考え事をする際、彼女がよく、くるくると弄ぶ所為で、上の方が跳ねてしまっているのだ。
 そんなことまで知ってる自分に半ば呆れ、それでも衝動を抑えられず、ムウはそっと彼女の髪に触れてみた。
 一房だけ、そおっと摘んでみる。

「俺は卑怯だな。」

 声を大にして、彼女を欲しいといえばいい。真正面から、好きで付き合って欲しいと、言えばいいのに。

 色んな理由をくっつけて、ムウはそれを先延ばしにしていた。あわよくば、彼女からそれを口にしてくれればいいのにと、思いながら。

「言えば君が困るなんて・・・・・んなの、俺の気持ちには関係ないのになぁ。」

 言ってしまえば、この関係は変わってしまう。気の合う同僚から、先に進めるかもしれないが、ひょっとすると、距離を取られてしまうかもしれない。

「結局さ。俺は振られんのが恐いんだよな。」

 誰に言うでもなく呟いて、ムウはさらさらと彼女の髪の毛を掌から零した。


 彼女に嫌われたらと、足がすくむ。

 それに気付かない振りをして、「今はそんな状況じゃないから。」とか「俺はパイロットで、いつ死ぬかわかんないから。」とか「ジョシュアに付いたら離れ離れになるかもしれないから。」とか益体もない理由をつけて、気持ちをごまかしている。


 本当は。
 彼女との関係を先に進めたいのに、進められない、情けない気持ちなのに。


「かんちょー。」
 そっとデスクの前にしゃがみ込み、ムウは両腕をテーブルについて、そこに頬を乗せる。斜めに顔を傾げて、下から彼は、彼女を見た。
 突っ伏している腕の間から、マリューの閉じられた瞼と、長い睫毛が見えた。
「俺のこと、好き?」
 そおっと訊ねてみる。
「それとも・・・・・嫌いか?」
 かすれ、音にならない声が続ける。
「なあ、かんちょー?」

「んぅ・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・。」

 と、微かに儚い吐息が漏れて、ムウはどきりとした。
 甘い嬌声にも似た、鼻にかかる声。
 心の何かを煽る、密やかな溜息。

 そのまま、もぞもぞと頭を動かすマリューを、ムウは上がった心拍数のまま見詰めた。

 何かの気配を感じたのか、ぴく、と彼女の指先が震え、のろのろと頭が上がる。
「ん・・・・・・?」
 ごし、と目を擦るマリューを、やっぱり床にしゃがんで、デスクに頬杖を付いたままのムウがじっと見詰めていた。
「おはよーございます。」
「ん・・・・!?しょ、少佐!?」
 なにやら聞こえた笑みを含んだ声に、むにゅむにゅしていたマリューがはっと顔を下に向ける。くっきりと頬に袖の痕が残るマリューの、驚いた顔に、ムウは弾けたように笑い出した。

「すんげーよく寝てたな、艦長。」
「!?な、なんで貴方がここに居るんですか!?」
「モルゲンレーテから、書類。アークエンジェルのシステムチェックの結果だってさ。」
「・・・・・・・・・。」
 まだ笑うムウに、彼女はよだれとかたれてないだろうかと、慌てて背中を向けた。

 くるっと回る彼女の回転椅子に、ようやくムウは立ち上がり、デスクを回って彼女のほうへと近寄った。
「ほっぺに昼寝の跡が。」
「!?」

 ひゃう、とマリューが妙な声を上げて背筋を正し、後ろから囁いたムウは「おや?」と目を見開いた。

「あ〜らら。艦長ったら、いやんな反応〜。」
「ちょっ・・・・・ふ、ふざけないで下さい!!!」
 くる、と椅子を回転させて、ムウに向き合った彼女が、慌てて彼から書類をひったくる。

 真っ赤になった頬を隠すように、書類に視線を落とす彼女に、ムウはそっと手を伸ばした。


 この関係を、壊したくない。でも、このまま彼女が他の奴の物になるのを、黙ってみてる事もしたくない。


 先ほどの儚い吐息。
 あれを、自分以外の男が存分に聞くのなんて、耐えられない。

「ちゃんと寝てないんだろ?」
「っ」

 ふわり、と自分の熱くなっている頬に、ムウの乾いて大きな手が触れて、マリューは強張った。

「しょ・・・・・。」
「無理すんなよ。」
 視線を合わせてくる。空色の瞳には、やましい色は無く、ただ純粋な心配だけが浮かんでいた。
「・・・・・・・・・・。」

 思わず見惚れて吸い込まれる。

「今だけは、平和、なんだからさ?」
「・・・・・・・・・・・・。」

 いつもの調子で笑うムウに、マリューは小さく深呼吸をすると、軽く目を瞑る。
「はい。」

 自分の手の中で、柔らかく頷く彼女を、ムウは抱きしめたく思う。
 思うケド。

「じゃ、もう今日は休め。」
 ちう、と額にキスを落とす。
「ごくろーさん。」
「・・・・・・・・・・。」

 目を開けたマリューが、何かを言いかけて、そしてやめる。

 以外にも、穏やかな気持ちで、ふわりと彼女は微笑んだ。

「少佐も、お疲れ様です。」


 やっぱり俺は卑怯者だな。


 艦長室から出て、廊下を歩きながら、自分の掌を思わず見詰める。

 丸くて柔らかい、彼女の頬を思い出し、思わず苦笑する。

「精一杯やってあれだけって・・・・俺ってば結構純情だったのねぇ。」

 まあいいか。

 めったに聞けない、彼女の「あの声」が聞けたんだから。

 思い出し、ムウは儚い、頼りない溜息を付く。そして溢れる気持ちを、やっぱり誤魔化してしまう。

 ムウはいつものように、やる気の無い足取りで格納庫へと向った。

 奇妙にバランスの取れない、心を抱えたまま。




(2006/12/30)

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