Muw&Murrue

 09 添い寝
 少佐。こんな所で寝てたら風邪引きますわよ?
 ちゃんとご自分の部屋に戻って寝てください。
 ・・・・・・・・どうかしました?
 ちょ・・・・・な、何するんですか、少佐!!



 俺は少佐じゃねぇっての・・・・・・・。



 耳が音を拾い出し、手が辺りの感触を思い出していく。緩やかに目を明けて、ネオ・ロアノークは逃げていく夢にきれっぱしを掴んで目を瞬いた。
 胸の内に渦巻いているのは、「少佐じゃない。」という単語で、それを頼りに見ていた夢を思い出そうとするが、丸くて穏やかな、淡い暖色しか思い出せなかった。

 柔らかな声が、自分を心配していた気がする。

「ようやくお目覚めですか?」
 そう、今響いたこんな声のような・・・・・・。
「あ?」
 寝ぼけ眼で声がしたほうを見やれば、腰に手を当てた女が、呆れたようにネオを見下ろしていた。
 栗色の髪の、うっすら赤みがかったブラウンの瞳の女性。

 思わず辺りを見渡して、ここがこの艦のトップが使う部屋だと気付く。その部屋のソファーの上に横たわり、更に自分の上に毛布が掛かっているのに気付いて、ネオは決まり悪げに彼女を見上げた。
「これ・・・・・・?」
「あんまり気持ち良さそうに寝てらしたので。」
 私のお貸ししました。
 言いながら、この部屋の主、マリュー・ラミアスは、恐い顔でネオを見下ろしている。それに、「どうも。」と呟くように答えて、ネオは身体を起こすとソファーに座りなおした。溜息をついた彼女が、艦長室の奥へと歩いて行く。
「コーヒーでも飲みますか?」
「ああ。」
 柔らかな毛布をちゃんとたたんでソファーにおき、ネオは顔に手を当てて目を瞑る。まだ、眠気が身体の奥底に溜まっていた。
「大分お疲れのようですね。」
 そうやったまま、半分眠ってしまったらしい。一瞬身体を震わせて顔を上げるネオに、カップを二つ持ってやって来たマリューが、更に眉間に一本、皺を増やした。
「入ってきたの、気付かなかったんでしょ?」
 毛布まで掛けられて、気付かなかったとは恐れ入る。
 自分で思い返し、ネオは軽く笑って見せた。
「アラートならない限り、起きなかったかもな。」
 あははははは、なんて笑ってみせるネオに、マリューは溜息をついて隣に腰を下ろした。
「アカツキ、扱うの大変なんですか?」
 このところ、毎日彼は機体と向き合っていた。宇宙に上がって、コペルニクスを目指して移動中の今も。
「んー・・・・まあねぇ。」
 認めたくないけど、と苦い物が混じった口調でいい、ネオは自分の前に置かれたカップを取った。その腕を、マリューが押さえる。
「ん?」
 飲もうと思って、腕を上げたまま、ネオは不思議そうにマリューを見た。
「何?」
「やっぱり・・・・・ホットミルクか、ココアの方がいいですわよね?」
「へ?」
 手からカップを取り上げようとするマリューをかわし、ネオは「ちょっと、何で、美人さん?」と慌てて問う。それに、マリューが恐い顔でネオをにらみ上げた。
「貴方、ほとんど寝て無いんでしょ?」
「・・・・・・・・まあ。」

 目の奥が痛く、瞼と頭が重い。身体が休眠を欲しがっている。

「さっき寝たけど。」
 それを押し隠すようにして言えば、「あれは寝たうちに入りません!」とマリューが声を荒げた。
「大体、ソファーで寝て、身体が休まるとは思えないわ。」
「・・・・・・・・・そうかな。」

 確かに、あまりすっきりはしてない。

 それでもなんとか誤魔化そうとするネオの先回りをして、マリューが「だから、コーヒーは駄目なんです。」と言い切った。
「眠れなくなるでしょ?」
 まあ、確かにそうだけど。
「でも、さっきまで結構寝てたし・・・・。」
「結構って、三十分程度を差すんですか?」
 絡め取られている腕を取り返そうとするネオを、マリューは許さず、下から彼を覗き込む。
「寝てください。今すぐ!」
「あ、こ、こら。」
 柔らかくて細っこい彼女を乱暴に扱うわけにも行かず、ネオは彼女にされるままに、手からコーヒーを放した。カップを大事そうに抱えて、マリューが立ち上がる。
「ミルクには眠りを促す効果があるそうです。」
 ホットミルクでココアを作りますね。
「・・・・・・・・俺は子供か?」
 勇ましくキッチンに走り去るマリューを見送って、ネオは深いため息をついた。
 背もたれに、背中を預けて、天井を仰ぐ。首がくん、となるが、気にせず目を閉じた。
 睡魔が襲ってくるのが、よく判った。

 このまま意識を手放したら、きっと気持ち良い・・・・・。


「さ、これ飲んで・・・・・って、一佐っ!!!!」
 耳元で叫ばれて、「うわあっ!?」とネオが身体を起こす。じいっと見詰める、マリューの視線が恐い。
「あ・・・・・・。」
 無言で差し出された、甘い香りのする、琥珀色の液体を手に取り、ネオはそおっと飲みだした。
「あちっ・・・・・・。」
 これ、すんげー熱くない?
 思わずそう訊ねれば、ソファーに置かれていた毛布を取って、自室のベッドを直していたマリューが、振り返らずに淡々と告げた。
「熱い方が、身体が暖まっていいでしょ。」
「そーだけど・・・・。」
 ちびちび飲んでいるうちに、マリューがベッドメイクを終わらせて、彼の隣にすとん、と腰を下ろした。
「飲みました?」
「・・・・・・・ん。ごちそーさま。」
「じゃ。」
「・・・・・・・・・・。」
 腕をとられて立つ様に促され、さらに、引っ張られる。そのままぐいぐいとベッドまで連行される。
「ちょっと?」
「さ、寝てください。」
「こ、ここで!?」
 思わず、自分の胸元を押しやるマリューにネオは尋ねた。
「そうです。」
「いや、俺部屋に戻るし・・・・・・。」
「駄目です!」
 強くいい、マリューに基本的に逆らえないネオは、すとん、とベッドに腰を下ろすと、恨めしそうに彼女を見上げた。
「何で?」
「部屋に戻っても寝ないからです。」
「・・・・・・・・・。」
「と、いいますか、部屋に戻るかどうかも怪しいわ。」
 図星をさされ、思わずネオは口を閉ざした。そんな彼をマリューはせかし、さっさか上着とブーツと靴下を取り上げて、あっという間にベッドに寝せてしまった。
 ふうわりと、マリューの香りがして、暖かく、決して上等とは言えないスプリングが、それでも身体に馴染んで心地よかった。

(これは、寝ちまうな・・・・・・かなり本気で・・・・・。)

 ぼんやりとそんな事を思い、身体から力が抜けていくのを感じながら、ふとネオは自分の隣に腰を下ろすマリューを見つけて、軽く目を見開いた。
「・・・・・・・・・何?」
 視線に気付き、柔らかく笑うマリューに、思わずネオが苦笑する。
「何してんの?」
「見張りです。」
「見張りって。」
 くっく、と笑いながら、「俺ってばそんなに信用無いわけ?」とからかうように訊ねた。
「ええ。全く無いです。」
「酷いなぁ、艦長。」
 おかしそうに笑うネオの額に手を当てて、マリューはそっと囁く。
「ですから、寝てください。」
「・・・・・・寝るまで見張ってる気?」
「ええ。」
 その彼女の手を取って、ネオはそっと口付けた。微かに彼女が強張るのを、無視する。
「じゃあさ。こうしようぜ。」
「何ですか?」
「添い寝して?」
 告げられた単語に、マリューが目を見張った。
「え?」
「だあから、添い寝。」
 にこにこにこにこ。
 邪気の無い・・・・・用に見える笑顔で言われて、マリューの頬が思わず赤くなる。困ったように、ネオから視線を逸らす彼女に、彼はゆっくりと告げた。
「艦長もさ、そんなに寝てないんだろ?忙しくてさ。」
 ばたばたしてたし。
「だから、さ?」
 彼女の手を、ぐいっと引っ張る。ベッドに投げ出された上半身を抱き寄せて、ネオは身体をずらした。
 一人分空いた場所に、彼女を引きずり込む。
「ちょっと・・・・・。」
「ずっと・・・・・。」
「え?」
 その彼女を抱きしめて、ネオは目を閉じた。腕の中におさまる柔らかな塊が、じわりと暖かく、心地よい。
「ずっとさ。なにか、足りない気がしてて。」
「・・・・・・・・・。」
 そっと、自分の指を、栗色の髪に絡めて見る。さら、と零れた柔らかな感触。
「夢の中で、俺は確かに満たされてるのに、目が覚めて、見える世界に何かが足りないんだ。」
「・・・・・・・・・・。」

 夢の中で俺は、今まで経験した事が無いほど、幸せで、暖かくて、そこに居たいと、強く強く願っていた。
 なのに、目が覚めると、それが何か思い出せないんだよ。

 言いながら、ネオは小さく笑って、マリューをしっかり抱きしめる。

「何故か分からないのに、妙に泣けてきて、ぼろぼろ涙が零れるのに、その理由が分からないんだ。俺は一人で生きてきて、親父は飲んだくれで、お袋は家を飛び出して・・・・・一人で生きると、軍に入って・・・・どこにも満たされた幸せなんか無かったはずなのに、失った喪失感ばっかり溢れてさ。」

 一体、どんな、そして、何の夢を見ていたのだろうと、それが心の隅に引っ掛かっていた。

「さっき、ここで寝てて分かったよ。」
 声が、深く低く、そして眠そうにかすれていく。重くなる彼のシャツを、マリューはしっかりと握り締めた。
「・・・・・・・分かった気がした・・・・・。」
「・・・・・・・・・・そう。」
 優しさと、それから切なさが溢れて、マリューは滲んだ涙をあわてて散らす。
「だから・・・・・・・。」
 側に居て。

 いい夢が見たいから。

「ええ・・・・・・・。」
 消えていきそうな小さな声に、マリューは囁き返すと、二度とないと思っていた、『彼の温もりに』抱かれて、目を閉じた。
「ねえ。」
「・・・・・・・ん?」
 暖かな吐息が、頬をくすぐる。
「幸せだったの?」
 夢の中で。

 それに、ネオは眠りに落ちながら、静かに答えた。

「ああ・・・・・・・。」


 少佐?

 首を傾げて、そう訊ねる女が、閉じた瞼に浮かんでくる。
 柔らかくて、優しくて、なきたくなるほど愛しい女。

 もう、少佐ったら。


「幸せだったよ、マリュー・・・・・・・・。」


 眠りの淵に落ちていく間際の声で言われ、マリューはぎゅうっとネオに抱きつくと、溢れて止まらなくなる涙を、隠した。


 幸せだったよ、マリュー。


 ―――――ああ、これで私はようやく、あの日から歩き出せる。


 何もかも失って、自分を責めさいなんだあの日。ムウが何を思って、艦の前に立ったのか、それが気になって、後悔したんじゃないだろうかと、泣き叫びたくて。

 でも、彼は言ってくれた。

 その声で、その口で、その姿で。


 泣けてくるほど幸せで、失って悲しくて悲しくて仕方なかったと。

「これからも、きっと幸せだわ・・・・・。」
 彼を抱きしめて、マリューは確信する。
「あれ以上悲しいことなんか、きっと無いから・・・・・・。」

 彼の。
 彼女の。
 隣で。

 解けてしまえば良いと、願いながら、柔らかい眠りの波にさらわれていくのだった。







(2006/12/30)

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