Muw&Murrue

 08 ぎゅうってして。
 一年も終りを迎える、慌しい十二月。例に漏れず、マリューとムウが勤める会社も忙しい盛りを迎えていた。
 納期が迫ってきていたものをようやく上げて、部内で打ち上げをする頃には、それは忘年会と合同で、という時期になってしまっていた。

 そんな飲み会の席で、良いだけ飲んで騒いで、楽しむ傍ら、ムウはちらちらと左の、斜め向かいに座る女性の『隣』を見ていた。
(この位置じゃ話憎いしなぁ・・・・・。)
 マリューの隣をキープしようと頑張ったのだが、取れたのは、微妙なこの位置。
 やたらと話を振ってくる同僚と女の子は、ムウの向かいに座る女の子から右隣方面で、マリューが楽しく話をしている輪には、背を向ける形になっている。
 何度か、そちらに入りたい・・・・というか、マリューの側に行きたいと様子を伺うのだが、その度に、面白くない光景に出くわしていた。
 彼女にお酌をしてもらって上機嫌の男とか、マリューに飲ませる同僚とか。

 これ以上ここに居たら、目の前で艶っぽい笑顔を見せてくる女性をあしらう事もせず、強引にマリューの腕を取って連れ出しそうだと、ムウの限界に火がついたあたりで、一次会は終了した。
 さあ、次は二次会だ。
 二次会にこーい、何て上機嫌で部下を見渡す上司と、「僕はこれで。」「私もちょっと・・・・。」とぽつぽつと席を外す者が現われてくる。
 さり気なく集団を見渡し、マリューがどうしようかな、と視線を泳がせているのに出会った。

 さっきまでで、視線がぶつかったのはほんの一回足らずだった。

 今度は気付くだろうか・・・・・。

 じーっとマリューを見詰めていると、不意に腕が重くなって、ムウは地球の重力が増したのかと、慌ててそちらを見やった。
「ねえ、フラガさん。この後ご予定は?」
 睫毛の長い、可愛らしい女の子が、自分の腕にぶら下がっている。部署内でも結構人気が高く、男からちやほやされるような、可愛い女に笑みを向けられて、ムウは弱ったように笑みを返した。
「やー・・・・特には無いけど・・・・。」
「じゃあ、一緒に抜けません?」
 身体を押し付ける仕草に、思わずムウの視線が、大きく開いた胸元へとそそがれてしまう。
 悲しいかな、男の性だ。
「誰かと一緒に?」
 はぐらかすように聞いてみれば。
「私と二人っきりで?」
 甘えるような声音で、イタヅラっぽく囁いてくる。
 どうしようかなぁ、なんて笑顔で考えながら、その裏でムウは物凄い勢いで計算を始めた。

 はてさて。どうやって断ったものか。

(言ったってわかんねぇだろうし・・・・・都合よく電話かメールが掛かってきたような振りをするか・・・・とんずらしたらしたで、色々面倒そうだし・・・・。)

 ふと、マリューはどうしただろう、と視線をさまよわせて、彼女の姿が無いことに気付いた。
(あ、あれ?)
「移動しまーす。」
 幹事の声が上がり、ぞろぞろと一行が二次会会場へと動き出す。その横で、女がムウの腕をひっぱり、ムウは流れに乗る団体と、ぱらぱらと帰っていく数名を交互に見やった。
(いたーっ!)
 店の前に信号を渡り終え、地下鉄の入り口へと向う人の波に、ムウは大事な人の後頭部を見つける。
 急いで女を振り払って追いかけて・・・・・・
 そんな算段を立てているうちに、信号が赤に変わって、一斉に車が流れ出した。
「悪いんだけどさ。」
 大急ぎでムウは、二次会に移動する波に、腕に絡まって離れない女を押し込んだ。
「フラガさん!?」
「俺、急用思い出したわ。」

 うわぁ・・・・・俺ってば、すんげーカッコ悪いいいわけじゃね?

「だから、今日はこれで!お休み!!」
「ちょ・・・・フラガさん!!」

 大急ぎでその場を離れ、ムウはぐるりを見渡した。信号はなかなか変わりそうも無く、少し離れた所に、地下鉄の入り口が見えた。
 信号を待つ時間が勿体無い、とばかりに、彼は地下鉄の入り口に飛び込み、階段を駆け下りた。

 彼女の家は知っている。どこで電車に乗り換えるのか、瞬時に頭に描きながら、地下通路の四方八方から湧いてくる人の波を疾走するのだが。

「・・・・・・・・・・・。」
 なんとか改札を通り抜けてホームに出た時には、もうどこにもマリューの姿はなく、ムウは心底ガッカリしたように溜息をついた。

「これで十日か・・・・・・。」

 ぽつりと呟く。
 仕事が立て込んだせいで、もう十日も彼女とプライベートで会っていない。
 明日はオフだし・・・・・後で電話でもしよう。
 そう考えて、ムウは派手な音を立てて滑り込んできた地下鉄に重い足取りで乗り込むのだった。



「はう。」
 シャワーを浴びて、パジャマ姿になると、マリューはソファーに腰を下ろした。テレビをつけてぼんやり眺める。
 久々に、時間を気にせず起きていられる。
「・・・・・・・・・・・・。」
 忘年会と銘打たれた打ち上げ、という奇妙な飲み会で、マリューは随分ムウと話をしようと頑張ったのだが、すっかり出来てしまった輪の所為で、なかなかそれが叶わなかった。隣にいた同僚の男性が、しつこく色々聞いてきた所為もあって、席を外す事も出来なかったし。
 そこから二次会に移動になって、ようやくほっとしたのに、肝心のムウは女の子に絡まれていて。
 会社内でも人気抜群の彼女を前に、マリューはお酒の所為もあってか、完全に拗ねてしまっていた。

 どうせ、若い子の方がいいんでしょうよ。

 そう思うと、面白くなくて、さっさと帰って来てしまった。

 でも、今になって寂しさと不安が首を擡げてくるのだ。

 あの後彼はどうしただろう。
 二次会に行ったのだろうか。
 それとも彼女の二人で飲んでるのだろうか。
 呆れているだろうか。

「・・・・・・・・・・。」
 側に置いてあった羊のクッションを抱きしめて、マリューはころっとソファーに横になった。
 クリスマス特集、と派手な文字が、テレビに大写しになり、派手な衣装の女優さんや、タレントがクリスマス時期の話を面白おかしく繰り広げている。

「恋人は羊・・・・・・。」

 思わず腕の中のそれをぎゅとして、マリューは冗談めいてつぶやいて見た。
 ちょっと面白い。
「恋人は羊〜 本当は羊〜 つむじかぜ〜おいこして〜。」

 一人で歌って、何となく悦に入る。きゅーっとしてくふくふ笑っているうちに、やっぱり痛烈に寂しくて、マリューはソファーにだらしなく横たわったまま、床に置きっぱなしになっていた鞄を取り上げた。
 うつぶせて、胸のしたに羊を敷いた格好で携帯を取り出す。足をぱたぱたしながら、マリューは鼻歌で「恋人は羊」を歌いながらそっと通話ボタンを押して見た。



「あ?」
 帰り着いた部屋でネクタイを取って上着を脱ぎ、疲れたようにベッドに倒れこんだムウは、響いてきたメロディに顔をしかめた。
 誰だろ。
 時刻は二十二時を回ろうとしている。
 のろのろと起き上がり、デスクに放りっぱなしになっていた鞄から、それを取り出す。画面も見ずに「はい。」と不機嫌な声で出た。

「・・・・・・・・・・・。」

 声がしない。

 イタヅラ電話か?

「もしもし?」
「・・・・・・・・・・・。」
「誰?イタヅラか?」
「・・・・・・・・・・。」
「もしもーし・・・・・。」
 ったく、今時無言電話かよ。
 そのまま耳から放して切ろうとした瞬間、か細い声が響いてきた。
「もしもし?」
「はい。」
「・・・・・・・・・・・ムウ?」
 かすれたような、その声に、ムウの心臓がいっぺんに高鳴った。
「マリューか!?」
 慌てて携帯を放し、ディスプレイを確認すれば、しっかりと恋人の名前が刻まれていた。
「うわ・・・・何?どうした?ていうか、ごめん、俺、気付かなかった。」
 名前も見ずに出た事を、ムウは一瞬で後悔する。随分と冷たい声だった気がするし。
「ううん・・・・・突然かけちゃって、ごめんね?」
 偉く可愛らしい言い方に、ムウはぼすん、とベッドに座ると思わず転がった。
 やばいやばい、どうしよう、録音したい。
「全然・・・・・あ、それよりさっき、悪かった。」
 その言葉に、ひゅっとマリューが息を吸い込むのが、ダイレクトに伝わってくる。じわっと胸が痛み、ムウは彼女がそれを気にしていた事を悟った。
「断るのに時間掛かって・・・・で、マリュー探したんだけど、もう居なくてさ・・・・。」
 ほんとに悪かった。

 思わずその場で頭を下げそうになるムウに、彼女は「いいの。」と短く答えた。

「私もごめんなさい・・・・・なんか・・・・・嫉妬しちゃった。」
 顔をあわせていない所為だろうか。
 そんなセリフが聞けると思わず、ムウの心臓がぎゅっと痛くなった。
「嫉妬してくれたんだ。」
 思わず繰り返すと、「うん。」と照れたような響きが返ってきた。

 あーもー俺ってば幸せー。

「帰らないで待ってれば良かったわ。」
 はう、と溜息をつく彼女に、「どうして?」とムウが笑みを噛み殺しながら訊ねた。
 見上げる天井に、マリューの姿を思い浮かべる。
 何故か、そのマリューのイメージが全裸なのは・・・・・まあ、言わなくてもいい話だろう。
「そうしたら・・・・・まだ一緒に居られたのにね。」
「・・・・・・・・・・。」
「子供みたいに腹立てて・・・・ごめんなさい。」
 素直に謝って来る彼女を、見たい。どんな表情で、どんな仕草で、それを言っているのか。
「何でマリューが謝るんだよ。」
 それに対して、ムウは酷く柔らかい声で答えた。
「俺のが悪かった・・・・・もっとすっぱり断ればよかったんだし・・・・それに・・・・」
 もっと側に居られるように、今日だって配慮すればよかった。

「ゴメンな?」
 そう告げると、暫く受話器の向こうから沈黙しか戻ってこなくなる。
(あ、あれ?)
 何となく不安になり、ムウは「もしもーし。」とわざと明るい声を出して見た。
「ねえ。」
 と、掠れた声が返ってくる。
「うん?」
 優しく促す。
「・・・・・・・・会いに行って良い?」

 どっくん、と脈打つ心臓が喉元までせり上がり、ムウはがばっとベッドに飛び起きた。

「え?」
 携帯を握り締める掌が、冷たくなって汗が滲んでくる。

「会いたいな。」
 ぽつりと言葉された、極上に甘い台詞に、ムウは何故か立ち上がり、落ち着かなく、部屋をうろうろ歩き出した。

 何でだか、本当に分からないが。
 強いて言うなら、舞い上がっているということか。

「駄目?」
 可愛らしく訊ねてくるマリューに、ムウは大急ぎで「駄目だ。」ときっぱり答えた。
「え?」
 一瞬で、相手の纏う空気が、悲しげな青色に染まるのが、見なくてもムウの眼に見えた。
「俺が行く。」
 言いながら、ワイシャツを脱ぎ捨てて、寝室から出る。
「でも・・・・・・・。」
 弱い彼女の発言を無視して、ムウはがちゃっとバスルームのドアを開けた。
「これからシャワー入って・・・・一時間で行くから。」
「・・・・・・・・・・。」
 真っ赤になるマリューが容易に想像できた。
「待ってて。」
「でも、会いたいって言ったのは私だから・・・・・。」
 私から会いに行くわ?
 気丈にもそう告げる彼女に、ボイラーの温度を上げたムウが「マリューさん一人、こんな夜道歩かせるわけに行かないでしょ?」としっかりした声で切り返した。
「・・・・・・・・・。」
「大丈夫。」
 笑いながら、ムウは言う。
「俺も会いたかったから。」
「・・・・・・・・・うん。」

 よっしゃー、これでマリューとラブラブできるー!!!

 大急ぎで服を脱ぎ捨て、ムウは「じゃあ、一時間後にね。」と電話を切ると、いそいそとバスルームにこもるのだった。




「・・・・・・・・言っちゃったよ、羊さん・・・・。」
 ぽん、と携帯をテーブルにおいて、赤いチェックのパジャマ姿で、マリューはソファーの上に正座をすると、羊をぎゅっと抱きしめた。目を閉じて、眠そうな姿をさらすそれの、柔らかく肌触りがいい顔に、頬擦りする。
「言っちゃったよ・・・・・・会いたいって・・・・・。」

 思わず口を付いて出たセリフが、これからの夜を招いたのだと思うと、嬉しくてくすぐったくて、マリューは羊を抱えたまま、再び横になった。

「どうしよう、羊さん・・・・・これって私から誘った事になるのかな・・・・?」
 酷く驚いた空気が、電話越しに伝わってきて、それを思い出したマリューが頬を染める。
「ああでも・・・・・。」

 逢いたい。

 その瞳に、自分だけを映して欲しい。
 暗い闇の中、真っ直ぐに自分だけを見て欲しい。青い瞳一杯に、自分が映って、すがりつくように手を伸ばし、彼の腕に抱かれたい。

「逢いたいよ〜。」

 ぎゅううううう。

 羊に顔を埋めて、じたじたと足をばたつかせる。

 会いに来てくれる。
 今、彼が。


 幸せな待ち時間を、羊を抱きしめてそわそわしながら、マリューは過ごした。



 待ち望んだチャイムがなり、マリューはそっとインターフォンに出る。ムウだと確認し、オートロックを解除して、数分。再びベルがなって、マリューは大急ぎでドアを開けた。
「マリューさん・・・・・・。」
 よほど急いで来たのだろうか。ぜーはーと息をつく彼は、ジーンズにセーターというラフな格好の上に、コートを羽織っているだけだった。
 暖かい空気が、開けっ放しのドアからもれてきて、カーディガンにパジャマ姿の彼女を思わず気遣う。
「風邪、引かせちゃまずいよな。」
 中、入れて?
 踏み込むムウの後ろでドアが閉まり、それを後ろ手でロックを掛けた瞬間、マリューがぱっと両手を広げた。
「?」
「ぎゅうってして。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「早く。」
 にこにこ笑うマリューに、ムウは一度小さく息をつくと。
「ただいま。」
 そっと告げて、彼女を強引に引き寄せて抱きしめた。

 きつくきつく、その細いからだが折れてしまうのではというくらい、強く、抱きしめる。
 柔らかくて暖かい彼女が、腕に、身体に、馴染んで心地よい。
「マリュー・・・・・。」
 呟いて、ムウは彼女をひょいっと抱き上げた。
「今夜俺、マリューのこと放す自信ないかも。」
 覗きこんでくる瞳に、望んだように自分ひとりだけが映り、マリューはほんのり頬を染めて、こっくんと頷いた。
「ええ・・・・・・・。」
 そのまま、ぎゅうっと彼に抱きつく。
「放さないでいいです。」




 この十日間の寂しさの全部をぶつけるように、二人はきつくきつく抱き合ったまま、十二月の長い夜をゆったりと暖かに過ごしていく。

 次の日が休みだというのは、いいことだ。

 明日の心配を、これっぽっちもせずにすむから。

「ムウ・・・・・・・・。」
 濡れた声が、相手を呼ぶ。
「マリュー。」
 甘やかな声が、それに答える。

 暖かい空気に満ちて、まどろみながら、二人、ぎゅうっとして、ようやくお互いの寂しさを相殺していくのだった。









(2006/12/30)

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