Muw&Murrue

 07 涙を舐める
 ごんっ、という鈍い音がして、艦長室のシンクでお茶を淹れていたムウは、ひょいっと奥を見やった。
 執務用のデスクの脇の通路で、マリューが頭を抱えて蹲っている。
「〜〜〜〜〜〜〜。」
 それから、すっくと立ち上がり、きっと涙目でデスクを睨みつけると、「お?」と目を見張るムウの前で、彼女がげしげしと机を蹴り始めた。

 その仕草が、妙に子供っぽくて、ムウは思わず吹きだす。

 全く。なあにを可愛い事してるんだか。

「無機物相手に止めなさいな、マリュー。」
 のどの奥で笑いながら、カップを持ってキッチンから出てくれば、涙目の彼女が、「だってっ!」と頬を真っ赤にして膨らませた。
 デスクの出っ張りを指差す。
「これがっ!」

 床に落ちた何かを探していたらしい。見つからず、溜息をついて立ち上がろうとして、思いっきり頭をぶつけたらしい。
 痛みに涙が滲んだ瞳で、再び彼女はデスクを睨んだ。
「これがっ、出っ張ってるからっ!!」
 べしべしと天板を叩く姿に、我慢できずムウが笑い出した。
「笑い事じゃないわよ!」
 首から背筋にかけて、真っ白な光に貫かれたような痛みが走ったのだ。
 近年まれに見る痛みに、一人ぷりぷり怒っているマリューの頭を、ムウは撫で撫でしてやった。
「いたいのいたいのとんでけ〜、なんつって。」
「・・・・・・・私、今年で28なんですけど。」
「にしては、行動が幼いのはどうしてでしょうねぇ。」
 笑いながら、茶器一式を持ってムウがソファーの方へと歩いて行く。
「で、何落としたの?」
「え?」
 急にぎくん、と身体を強張らせるマリューに、お茶をローテーブルに置いていた彼が、うん?と片眉を跳ね上げた。
「な、なんでもないわ。」
「・・・・・・なんでもないなら、教えてよ。」
「べ、別にお教えするようなものでも無いですから。」
 どうぞおかまいなく。

 すっきりと背筋を伸ばしてムウの元に歩こうとした彼女は、しかし。

 ごん。

「・・・・・・・・・・・・。」
「凄い音したね、マリューさん・・・・。」
 歩き出そうとして、今度は机の脚に自らの足の小指を思いっきりぶつけたようだ。
 しゃがみ込んで、自分の左足を押さえる。
「大丈夫か?」
 痛そうだな、と思わずしかめっ面になりながら、恋人に尋ねれば、「大丈夫ですっ。」と気丈な声が返ってくる。そのまま、赤くなった顔を隠すように大急ぎで立ち上がろうとした。
「ああ、マリューさん、頭」
「平気です、これく」

 がんっ。

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。」
 再び脳天を、はみ出していた天板にぶつけて、彼女は頭を抱えると、力なくその場に座り込んでしまった。

「もういやぁっ!」

 真っ赤になって、潤んだ声を上げる彼女の、まるでコントのようなそれを見て、ムウは我慢できず大笑いした。
「ムウぅ・・・・・・・・。」

 恥かしくて、腹が立って、笑う恋人から視線を逸らし、マリューはむくれて唇を突き出した。

「知らないっ!」
 ふい、と音がしそうな感じで顔を逸らした彼女に、ムウが笑いながら近づき、膝を折った。
「すげー音したなぁ、また。」
「・・・・・・・・・・。」
「痛い?」
 膝の上においてあった手を、ぎゅっと握り締められて、彼女はちらっとその褐色の瞳を彼に向けた。青い青い瞳に、自分がしっかりと映っている。
 優しいそれに、彼女は「平気です。」と小さな声で答えた。
「痛そうな音だったぜ?」
「・・・・・・・・・。」
 そっと囁かれて、彼女は視線を床に落とし、口を開いた。
「だ、だいじょ」

 その台詞は、視線の先に捕らえた物の所為で、一瞬停止した。

「・・・・・?」
「ぶです。」
 ぱっと、彷徨っていた視線を元に戻す彼女に、ムウが気付かないはずが無く。
 だが、一筋縄でいかない恋人は、「本当に大丈夫?」なんていいながら、彼女の頭にそっと手を乗せた。
「痛い?」
「へ・・・・・いき。」
「そー?」

 あ、でも。

 急にムウの声のトーンが、甘く深くなったような気がして、マリューはびくっと身体を強張らせた。

「涙・・・・・・・。」
「え?」
 真剣な、でも自分を愛しそうに見詰める蒼の双眸に、マリューは心臓を掴まれて、真っ赤になった。

 どうしてこの男は、こうやって必要以上に、こういう艶っぽいオーラを出すんだろう!?

「こぼれそ・・・・・・。」
 微かに目尻が熱く、不安定な感触が確かにある。
「あ。」
 拭おうと手を上げるが、それをムウが掴んで、そっと目尻に唇を寄せてきた。

 びり、と何かが駆け抜ける。それは、頭をぶつけた時と似ているような、でも全然違う刺激が走り抜けた。

 きゅん、と心臓が痛くなる。

 ちゅ、と音を立ててキスをし、それからムウが舌先で涙を拭う。
 ふる、と彼女の身体が震えた。

 それを合図に、ムウは彼女の背中に腕を回すと、頬に耳にキスをしながら、マリューを抱き寄せた。

「ちょ、ちょっとムウ!?」
 迫ってくる胸板を押しやろうと手を突っ張るが、横座りにへたり込んでいる彼女を、あっさりと抱き上げてしまう。
「む」
 抱き上げた彼女を、ベッドにおろし、のしかかると、顎の下辺りにキスをする。
「あ・・・・・・・。」
 甘やかな声がのどからあふれて、思わずマリューは目を閉じた。

 両手を取られて、シーツについつけられる。その間に、ムウはキスをやめず、歯でマリューが着ていた紅いインナーのファスナーを加えると、かちかち、と音を立てて降ろし始めた。

「あ、こ、こら・・・・・ム」
 押しやろうと手に力を込めるが、ベッドが軋む音しか聞こえてこない。
「お茶・・・・・はいってるんでしょ・・・・・ねえ、ムウ!」
 大分下まで下がったファスナーと、顕になる白い肌に顔を埋めて、ムウはちうちうキスを繰り返す。
「んも・・・・・こらっ」
 それでも、心地よさ気にマリューが目を閉じ、じたばたしていた手から力が抜け・・・・・。

 ムウはひょいっと顔を上げると、人の悪い笑みを浮かべた。


「・・・・・・・?」
 自分を抑えていた力が消えて、ぼんやりと目を開けたマリューは、降ってくるキスが止まった事に、うん?と眉を寄せた。
 と、ベッドが軋む音がして、足に絡んでいた重みが消える。
 はっと視線をそちらに向けると。
「で、マリューさん、何落としたって?」
「!!!」

 ベッドの下を覗き込むムウの背中が見えた。

「ちょっと!!!!」

 しまった!
 謀られた!!!

 慌てて身体を起こし、ベッドの上を四つん這いになって移動すると、ひょいっと顔を上げたムウと鉢合わせた。

「・・・・・・・・ひょっとしてこれ?」
 にっこり笑う彼が左手で指し示したのは、紛れも無く、マリューが探していた淡いオレンジ色の表紙の手帳だった。
「そ、そうです・・・・・・。」

 返して、と叫べば叫んだだけ、彼は面白がって返さないだろう。
 二人の間に二年ブランクがあっても、そうであることが良く分かる。

 そういうときだけ、妙に子供なのだ、この男は。

「普通の手帳ですわ。」
 何気なさを装って言えば、「ふ〜ん。」なんて目を細めたムウに見詰められる。

 何とか、それから意識を逸らしたい。

「そ、それより、お、お茶!折角淹れてくださったのに冷めちゃうわ。」
 そそくさと袷を元に戻し、ベッドから降りようとする彼女を、ムウは強引に押し倒した。
「で、この手帳は何なわけ〜?」

 酷くあかる笑顔なのに、目が笑っていない。
 むしろ、哂っている。

 ああもう、どうしてこの男は、さっきのように震えが来るほど熱っぽい視線を見せたかと思うと、底抜けに甘くなったり、溺れてしまいそうなほど優しくなったり、こっちが恐くて泣きそうになるくらい、イヂワルになれるんだろうか。

「何って、普通の手帳です!」
 それでも、なんとか平静になろうとしてそういえば、ふーん、と男が視線を手帳に向ける。それからおもむろに彼はそれを開いた。
 片手で、器用に。

「あ、か、勝手に見ないで下さい!!!」
「なんで?」
「ひ、人の手帳を勝手に見ちゃいけないって習いませんでしたか!?」
「落し物を拾った人には、一割お礼がもらえるんじゃなかった?」
「か、関係ないでしょ!?」

 だが、押し倒されて、じたばたする彼女を、難なく膝で挟んで押さえ込み、ムウは片手で暴れる彼女の両手を枕元に押し付けると、開いた手帳を一々読み上げ始めた。

「えーと・・・・・・『今日は、めーめーちゃんの夢を見た。とても可愛くて、朝目が覚めたら泣けてきた。』・・・・・・・・『今日はめーめーちゃんに似合いそうなリボンを、ラクスさんから分けてもらうことになっている。ので、早めに仕事をきりあげようかな。』・・・・・・・『今日は、めーめーちゃんの毛づくろいをする日だから、ブラシを新しくしなくっちゃ。』・・・・・・・・なに、これ?」

 ムウがその手の拘束を外すと、彼女は、恥かしくて、一目散に両手に顔を埋めて顔を逸らした。
 「なんで読むんですかぁ。」という涙に濡れた声が上がる。
 ちらっと見える耳が、真っ赤だった。
「・・・・・・・めーめーちゃんて・・・・誰?飼ってる犬?」
 それに、マリューが激しく首を振り、くぐもった声で答える。
「・・・・・です。」
「え?」
「羊・・・・・です。」

 言ってから、かああああ、と更に顔が赤くなるのに、マリューは気付く。

「羊・・・・・?・・・・マリューさん羊毛業者始めたの?」
「そんな事はどうだっていいんです!!」
 悲鳴のような声を上げて、マリューは両手の中から顔を出した。
「返してください!!」
 指の間に挟むようにして持たれていた手帳を、マリューが早業でひったくった。
 胸元に抱え込んで、ぎゅっと目を閉じると、恥かしさに、涙が滲んできた。

「マリューさん、羊好きなの?」
 そんな彼女の上に臥せって、ムウが柔らかい声で訪ねる。耳元から入り込み、身体の内側を震わせるそれに、ちろっと彼女が目を上げた。
「知りません。」
 弱々しい声。折角拭ったのに、再び滲む涙に気付き、ムウは小さく笑うと、再び目許にキスを落とした。
「可愛いよな、羊。」
「ご機嫌取りな台詞は欲しくないですっ!」
「ありゃ、俺、嫌われた?」
 くすくす笑いながら、ムウはちゅ、ちゅ、とからかい半分、愛しさ半分でキスを繰り返す。
「マリューさんってば。」
 くっくっ、と笑いながら、ムウが彼女を柔らかく抱きしめた。

 むくれてそっぽを向くマリューをふんわりと閉じ込める。

「羊が大好きなマリューさんでも、俺は好きだよ?」
「・・・・・・・・呆れたくせに。」
「そんなわけ無いだろ。」

 今日のこの、数分で、随分可愛い彼女を拝めたもんだ。

「大好きだよ、マリュー?」
「・・・・・・・・・・。」


 意地悪だったり、優しかったり、時に寂しそうで、時に甘々で。


 大事な恋人を見上げて、マリューはほうっと溜息をついた。

「内緒にしておいてくださいね。」
「マリューが羊毛業者だってこと?」


 まあ、いいか。


「羊好きだってこと。」
「そりゃもちろん。」

 言いながら、ムウは彼女にキスの雨を降らせる。

「こーんな可愛いマリューさん、他に教えるわけ無いでしょ?」
「・・・・・・・・・。」

 きゅっと抱きつき、「約束ね?」なんていってくるマリューを、ムウはきつく抱きしめるのだった。

「もちろん。」
「本当よ?」


 そのまま二人、紅茶の事を忘れて、あっさり甘い甘い夢の中に落ちていくのだった。










(2006/12/30)

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