Muw&Murrue
- 06 ホットミルク
- 立ち入り禁止、と書かれたプレートが、分厚く、黒光りするドアに下がっている。
それを見ながら、廊下にモップを掛けるのは今日で何日目だろうと、マリューは自分の指を折って数え、蒼くなった。
もう、三日ほど、マリューは彼に会っていない。
彼女が勤める新聞社から連載を依頼され、締め切りに終われるようにして立てこもった、この家の住人、ネオ・ロアノークに。
(ま、まさか中で倒れてるんじゃ!?)
マリュー自身、大きな事件があって、慌しく働いていた所為で、時間の感覚をすっかりなくしていた。
ネオが籠ってから三日も経っていたなんて!
「ロアノークさん!?ロアノークさん!!」
床にモップを放り出し、マリューは慌ててドアにかじりつくとがんがんとノックした。
とんとん、でも、どんどん、でも無く。音だけ聞けばドアが破壊されてしまいそうな、金っ気の混じった音できつくノックを繰り返した。
だが。
「・・・・・・嘘でしょ・・・・!?」
中からは何の反応も無い。
三日も放置(?)されて、お腹も空いて、ひょっとしたら自分の狂ったようなノックに答えられないほど衰弱しているのでは・・・・・!?
「ロアノークさん!!開けて下さい!!」
真鍮のドアノブをがちゃがちゃするが、内側から鍵が掛かっているのか、開く気配も無い。
「・・・・・・・・っ。」
非常事態だわ。これは。
彼女はスカートの裾を翻すようにして踵を返すと、大急ぎで階段を駆け下りた。リビングにある暖炉の上に、小さな箱が乗っている。
金細工が美しい宝石箱の中に、無造作に、くすんだ金色の鍵が入っていた。
マスターキーである。
それを引っつかみ、マリューは大急ぎで階段を駆け上がった。
上下左右、その全てが虹色の光に包まれている。そこを、真っ黒なコートの裾を翻すようにして、ネオが漂っていた。隣で胡坐を掻いてくるくる回転していたアウルが、「そういえばさ。」と口を開いた。
「俺達が『最果て』に籠ってから、何日経った?」
「あ?」
ほくほくした顔で、原稿を抱えていたネオは、アウルの質問に、考え込む。
「んー・・・・・・さー、どれくらいかな・・・・・。」
真横に倒された砂時計と、行きつ戻りつを繰り返す時計が浮かんでは消える、『異界』に居た所為で、『人間界』での時間の感覚が戻ってこない。
時の翁、クロノスが城、『最果て』は、全ての時間が集まり、戻り、生まれる場所だった。
そこに、時間の概念は無い。
あるのは無限に続く今だけだった。
あまり長い間いると、戻った時にとんでもない時間の経過を目の当たりにするに決まっているので、ネオは、自分の内ポケットに、ロアノークに代々伝わる『目覚めの金時計』を忍ばせていた。
「とりあえず、締め切りに間に合う時刻に鳴るようにセットしておいたから・・・・。」
フロックコートの内側からそれを取り出し、ネオは時を確かめる。鳴るように指示しておいた時間に、ほんの少し足りていないのが、金色の針に見て取れた。
「結局どれくらいあそこに居たのか覚えてないのかよ・・・・・。」
逆さまに反転するアウルに、「おい。」とネオが眉を寄せた。
「それよりお前、ちゃんと匂い辿ってるんだろうな?」
そのためにお前を連れてきたんだから。
彼等が移動している空間は、『ここではないどこか』に繋がるといわれている空間である。
ひょいっと顔を出した先が、並行世界・・・・つまり、ネオが『元居た世界』の二次的な・・・・パラレルな世界である事も有るのだ。
世界は無数に存在する。
その『どこか』に繋がっているここを、元居た世界目指して戻るのは困難で、道案内が必要だった。
その道案内を生業としているのが、アウル達、狼一族だった。
彼等は、生まれては消え、そして消えては生まれる泡沫のような無数な世界の匂いを記憶できる。
まだ未熟なアウルは二つ三つしか移動できないが、ロアノークを捨てようとしているネオにとっては十分すぎる。
「大丈夫だよ。微かにマリューの匂いがしだしたから。」
「・・・・・・・・・。」
アウル曰く、移動をするとき、目的の場所を象徴する『匂い』をしっかりと覚えておくそうだ。
先ほどまで居た『最果て』では、クロノスの愛用しているタバコの香りを。戻ろうとしている世界で、アウルはマリューの香りを辿っているらしかった。
何となく、面白く無い気がする。
「なんでマリューさんなわけ?」
思わず質問すると、「あ?」とアウルが眉間に皺を寄せた。
「だって、マリュー、すんげー良い匂いすんだもん。」
あまーい、牛乳みたいな匂い。
「生クリームとか、ケーキとか言えよ・・・・・。」
牛乳って、とあきれ返るネオを他所に、アウルはひっくり返ったまま、寝そべって頬杖をついた。
ふんふんと、虹色に渦巻く空間の香りを嗅いでいる。
「んー・・・・・でもほんと、いーにおい・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
ネオも一応香りを嗅いで見るが、一向に分からなかった。
「・・・・・・・・適当なこと言って無いよな?」
「何で?」
思わずジト目で睨んでいると、急激に、虹色の光が薄れだした。代わりに、目の前で白光が輝きだす。
「着いたみたいだな。」
身体を起こすアウルの隣で、ネオがうーんと伸びをした。
マリューの顔を、随分見ていないような気がする反面、つい一瞬前に会ったような気もしてくる。
混濁する時間感覚。
いつ、ここを通ってもなれないな、と苦笑しながら、ネオは真正面から吹いて来た突風に負けじと、一歩足を踏み出し、空を踏む感触に続き、凄い勢いで身体が落下するのを感じた。
そのまま、一人と一匹は、放り出されるようにして自宅の寝室、本と紙束の散らばる部屋へと放り出されるのだった。
「ロアノークさん!?」
どだあ、という物凄い音が部屋から響き、丁度階段を駆け上ってマスターキーでドアを開けようとしていたマリューは、最後の数段を死に物狂いで駆け上がった。
今の音は何だ!?
椅子から転げ落ちたのか!?
「失礼します!!!」
立ち入り禁止を綺麗さっぱり無視して、マリューは鍵穴に、重たいそれを差し込むと、えいやっと回した。
「あ・・・・・・マリューさん・・・・・・おはよ・・・・・。」
「ロアノークさん・・・・に、アウルくん!?」
寝室に置いてある、大きな姿見。普段、それにベルベットのカバーが掛かっているのだが、今、それは横に放り投げられ、その前に二人が何故かうつ伏せに倒れている。
いつの間にアウルが来たのだろう。しかも、ネオはコートまで着用しているではないか。
「・・・・・・・・・あー、えと、今何時?」
唖然と、座り込む二人を眺めていたマリューに問えば、はっと彼女が我に返った。
その途端、声を荒げる。
「三日ですよ、三日!!!貴方、この部屋に籠ったっきり、三日も出てこなかったんですよ!!??」
ああ、三日か。
そうなると、締め切りはどうなるんだっけ・・・・・・。
真っ赤になって怒るマリューを横目に、ネオはよろよろと立ち上がると、執務机に手を置いて、散らばっているカレンダーを見た。
出かける日に、丸印をつけておいて正解だった。
締め切りまで、あと二日ある。
ほーっと溜息を漏らし、「いやあ、集中してたから、時間感覚なくなっちゃって・・・・。」とネオが誤魔化すように笑った。
「だからって・・・・・さっき、あんなにノックしたのに・・・・気付かなかったんですか!?」
目が鋭く吊りあがっている。そんなマリューに思わずネオが視線を逸らした。助けを求めるようにアウルを見れば、呑気に欠伸をする姿が目に入った。
「それに!アウル君、いつ来たんですか!?」
アウル君も居たのに何で気付かないんですか!?
喚くマリューの台詞に、自分の名前が登場し、驚いてアウルが眼を見張る。
「あー・・・・い、いや・・・・き、気付いてたけど、ほら、丁度佳境だったから・・・・。」
手が放せなくて、と逃げを打つネオに、アウルが大慌てで相槌を打った。
「そ、そう!でさ、俺も出たかったんだけど、ネオが、後にしろって言うから・・・・ほんと、ごめんなさい、マリュー!!!」
きったねぇぞ、アウル!!!
ごめんなさいー、とマリューに頭を下げるアウルに、ムウが射殺すような視線を向けた。
アウルの頭を撫で撫でして、それからじろっとマリューがネオに視線を向けた。
「それで!そこまで追い込んで、原稿は出来たんですか!?」
手にしていた封筒を、持ち上げる。
「はい、もちろん。」
「・・・・・・・・・・・。」
思わずマリューと距離を取るネオにつめより、それから、はーっとマリューが深い深いため息を漏らした。
「・・・・・・・本当に心配したんですから。」
うる、と彼女の目が潤んでいて、ネオの心臓が鋭く痛む。
「マリューさん・・・・・・。」
思わず、手を伸ばし、触れるか触れないかのところで、マリューが顔を上げた。
そこにある目が恐い。
鋭いそれに、ネオの手が凍り付いた。
「じゃあ、原稿が終わったんなら。」
「・・・・・・・・・・・はい?」
「今すぐそれを届けに行こうなんて考えないで、とにかく人間らしい生活に戻ってください!!」
コート脱いで!!
彼がコートを着ていた理由を、あっさり「原稿を届けるため」と解釈したマリューが、一気にネオをまくし立てる。
「い、いや・・・・あの、マリューさん!?」
「今すぐ下に下りて顔洗って髭添って、それから何かご飯作りますから、食べてください!!!」
アウル君も!!!!
ああもう、三日も閉め切って!!
厚手のカーテンを引きあけ、窓を開ける。三日ぶりに拝んだお昼の太陽が、まぶしくて、ネオとアウルは暫く目をぱちぱちさせるのだった。
胃が吃驚するから、と鶏肉のお粥を出され、甘いプティングをお腹に納めたアウルが、ソファーの上で長くなる。それを見ながら、ネオはテーブルに付いたまま、恐る恐るキッチンに声を掛けてみた。
「あのー、食後にコーヒーが欲しいんですけど・・・・・・・。」
「どうぞ。」
白のワイシャツにズボン姿で、軽く手を上げるネオの前に、マリューはことん、とカップを置いた。そのまま向いに座る。
「・・・・・・・・・・・あれ?」
そこに有るのは、濃い黒の液体ではなく、真逆の白い液体だった。
ほわほわと湯気をあげるそれから、甘い香りが漂ってくる。
「ホットミルクです。」
それを飲むとよく眠れますわよ。
自分も同じ物を飲むマリューを、ネオは恨めしげに見上げた。
「いや・・・・・俺はコーヒーが・・・・・。」
「三日も胃に何も入れて無いんですよ!?コーヒーなんてだめです。」
きっぱりと言い切られ、ネオは大人しく引き下がる。ため息混じりにカップを持ち上げ、ふと、そこから漂う香りに目を細めた。
眠くなるような、甘い、柔らかい香り。
「確かにマリューさんの匂いかも。」
「え?」
顔を上げる、可愛らしい女に、ネオは「俺、今なんか言った?」ととぼけて見せた。
「・・・・・・・・・・・。」
「ん・・・・・甘くて美味しいです。」
砂糖たっぷりのようで、まろやかな味わいが心をほっとさせていく。
「それ飲んだら、少し休んでください。」
目を伏せるマリューに、ネオは深々と頭を下げた。
「ご心配おかけしました。」
「・・・・・・・・・・・。」
反応が無い。
そおっと顔を上げると、俯きがちにして、頬を膨らませる彼女にぶつかる。拗ねたような視線を向けられて、ネオはどきりとした。
「本当に心配したんですから。」
彼が倒れているのでは・・・・・・そう思って、マスターキーを取りに走ってからドアがあくまで生きた心地がしなかった。
思い出して再び涙目になるマリューに、ネオはじんわりと暖かくなる。
「すいません。」
「・・・・・・もう、閉じこもるのは止めてくださいね。」
「肝に銘じます。」
くすん、と鼻を鳴らし「わかればよろしい。」と顔を上げて笑うマリューに、ネオは身体の芯から溶けるような気持ちになるのだった。
「そういえば、マリューさん。」
「はい?」
「俺が籠ってるの三日も気付かなかったの?」
「!?」
その指摘にマリューがぎっくん、と身体を強張らせ、もっともっとマリューの前に頻繁に顔を出そうとネオが決意するのは、これから数日後のお話。
(2006/12/30)
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