Muw&Murrue

 05 痴話喧嘩
 食堂に一歩踏み込んだ瞬間、立ち込めていた冷気に気付き、キラは大急ぎでそこから飛び出した。
 食堂に立ち入った時間を表すなら、二秒という所だろう。
(な・・・・・なんだろ・・・・今の冷たさは・・・・・。)
 ぞくぞくと背中を駆け抜ける悪寒に身震いし、それでもキラは、その冷気の原因を調べるべく、再びそおっと食堂を覗いてみた。

 テーブルを挟んで、一組の男女が向き合っている。

 言わずと知れた、この艦、アークエンジェルのツートップである。
 いつもは物凄く仲がよく、見ているこっちが胸焼けを起こしそうなバカップルぶりを発揮している二人が、今日は周りを凍りつかせるような冷たい空気を放射しているのだ。
 食堂に誰も居ない理由がそれかと、ぐるりと辺りを見渡して、キラは再び身震いする。

 とてもじゃないが、こんな雰囲気で食事をしようとは思わない。

 お腹はすいているが、ここに飛び込む勇気は無いので、キラは、そそくさと他艦にご飯を食べに行く算段を立て始めた。
 エターナルでラクスと一緒にランチにしようか。
 そーっとその場を立ち去ろうとしたキラは、しかし、続いて聞こえた低い声に、思わず足を止めてしまった。
「じゃあ、どうすればよかったわけ?」
 押し殺したような、低く、憤りを含んだムウの声音。それに、何故かキラがぎっくんと足を強張らせた。
 何もそんな言い方しなくても・・・・というようなムウの口調に、キラはおろおろする。
 これじゃあ、マリューさんが可愛そうだ。
 そう判断したキラはしかし、自分の甘さを痛感した。
「どうもこうもないわ。そのままで良かったのよ。」

 絶対に聞かないような、冷たすぎるマリューの声に、キラがその場に凍て付いた。
 もう、凄い勢いで、こう、一瞬でフリーズするように。
 底冷えするような怒りの滲む口調に、キラは前言を撤回せざるを得ない。

(な、なんでマリューさん、そんなに怒ってるんだ?)

 確かに、彼がマリューの機嫌を損ねるような発言を多々繰り返しているのは、キラも何となく知っていた。
 でも、本気で怒らせるような真似を、ムウは絶対に取らなかったと思う。

 彼の中心にはマリューが居て、それを物事の判断に使ってることが多かったから。
 だから、あんな風に冷たい怒りを彼女にもたせるような、そんな愚かな事を、ムウがするはずが無い。
 ないが、実際にそれが起きている。

「・・・・・・・・・・・。」

 逃げようかな、という考えは、そんなもの珍しさに打ち負け、それと同時に、仲睦まじい二人の喧嘩の原因が知りたくなってきた。

 もうちょっとだけ・・・・・。

 そう思いながら、キラは、開けっ放しになっている食堂のドア影に身を潜めて、そっと中の様子をうかがった。



 マリューは怒っていた。珍しく、怒っているのだ。彼女の目の前には、美味しそうな、星の形をした苺のムースが置かれている。それを、マリューは奇妙なものでも見るような眼差しで、じっと睨んでいた。
 対してムウはというと、同じようなムースを、一口だけ食べて、放り出してしまっていた。への字に結ばれている口元が、大人気ない。
 暫しそうやって固まった後、ムウがはき捨てるようなため息を漏らした。カチンときたのか、きっとマリューが顔を上げる。それを見据えて、ムウが「これ。」とムースを指差した。
「作ったのは確かに俺だ。」

 ムウのそんな一言に、キラが「え?」と素で目を丸くした。
 へえ、ムウさんって以外と器用なんだ。

 妙なところで感心しているうちに、ムウが更に語を繋ぐ。

「でも、それはマリューの為を思ってだぞ。」
 なのに・・・・大体俺に内緒であんなことして。

 恐くらい低い声で言われる。そーっと顔を出したキラは、マリューが俯いて肩を落としているのが見えた。
 速攻で、ムウさんが悪いです、といいたくなるような彼女の雰囲気は、しかし、一瞬で一変する。

「確かに、それはそうですけど!でも・・・じゃあ、私はどうすればよかったんです!?」
 ゆらゆらと揺れているだけだったマリューの焔が、ぶわっと大きく燃え上がる。それ目の当たりにしたキラは、慌てて顔を引っ込めた。

 オンナノヒトって侮れない・・・・・。

 そんな単語が脳裏を掠めて消えていく。

「私だって・・・・・私だって私の都合があったのよ!?」
 訴えかけるような、切なさの滲む口調に、ムウがぐっと言葉に詰まる。
「それをっ・・・・・・。」
 絶句し、睨みつける恋人に、ムウが怯んだ。だが、ここで折れるわけには行かないと、気持ちを張りかえる。
「でも、結局は、こうなったんだから、それはそれでいいだろ!?大体マリュー、ずーっと疲れ引きずってたじゃないか。」
 今度はマリューが返答に詰まった。
「結構時間がかかるだろ?なら、その時間を睡眠なり何なりに当てた方が懸命じゃねぇか。」
 イマイチ話が見えず、聞き耳を立てていたキラは、続くマリューの絶叫に目を剥いて仰け反った。
「それを貴方が言うんですか!?」
 悲鳴のような台詞に、一拍強く跳ね上がったキラの心臓が、そのままダッシュで駆け続ける。

(び・・・・・びっくりした・・・・・・。)

 そんなキラの驚きなど知らず、マリューが一気にまくし立てた。

「誰の所為で寝不足になってるって言うんですか!?毎晩毎晩、止めてっていっても止めてくれないしっ!」
 貴方だって疲れてるだろうから、早く休んで欲しいのにっ!!
「そ、それとこれとは、今は関係ないだろ!?」
(あ、その言い訳は苦しいな。)
 そっと顔を覗かせながら、キラが判断を下す。
「関係なくなんかありません!」
 案の定、マリューが間髪入れずに怒鳴り返してくる。
「私だって・・・・・貴方、疲れてるだろうし・・・・それに、この間怪我までしてきたから心配なんです・・・・・っ!!」
 コロニーメンデルでの事を思い出して、キラがきつく唇を噛んだ。自分がもうちょっとしっかりしていれば、ムウが肩と腕に銃弾を受ける事は無かったのだ。

 まあ、脇の負傷は、ムウ本人の失態だから、なんとも言えないが。

「・・・・・・・・・・・それは。」
 痛いところを突かれた所為だろうか。ムウの顔が歪む。きゅっとマリューが唇を噛んで俯いた。
「だから・・・・・・少しでも・・・・・・。」
 最後のほうは涙声になっていて、キラはもう、これはムウが悪いと勝手に決め付けようとした。
「マリュー・・・・・・けどな、俺だってマリューの背負ってる負担を軽減させたいって思って・・・それで用意したんだ。」
 それが見ろよ、これ。
 そう言ってムウが指差したのは、テーブルの上に置いてある苺のムースである。
(またあれが話題に上ったなぁ・・・・・。)

 マリューとムウが喧嘩をしている。
 その内容を、公正な耳で持って聞くなら、どうやら二人とも似たような理由を口にしている。
 だが、そもそもこの喧嘩の原因になった事実が見えてこない。

「そういう事じゃないの!」
 マリューが必死に声を張り上げる。
「違うの!私が言いたいのは・・・・・どうしてこうしちゃったんです、ってことなの、そもそもはっ!」
 両手を握り締めて、眉を寄せて力説するマリューに、「それはさっきから言ってるだろ!?」とムウが声を荒げる。
「そこに苺があったからだよ!!」
「だったら勝手に使うって言うんですか、貴方は!?」

 苺・・・・・・?

 うん?と眉を上げて食堂を三度覗き込んだキラは、喚くマリューにぶつかった。

「これは私が貴方の為にケーキを焼こうと思って、それで、わざわざラクスさんに頼んで取り寄せてもらった物だったんですよ!?」
 それを勝手に全部使って、出してくるなんて、酷いわ!!


 ・・・・・・・・・へ?


 目が点になるキラにまるで気付かずムウが怒鳴り返す。

「だからって苺のお礼に、折角俺がわざわざ、マリューが喜ぶかなって、ジャンク屋に頼んで買ってきたハート型のケーキ皿、お姫さんに上げちゃったんじゃないか!?」
 ホラ見ろ!苺でピンクでムースなのに、星型になっちまったろうが!!!


 何よ何よ、ムウが悪いのよ!私が先にケーキを焼こうと思ったんだから!!

 だからって、俺の型売っぱらっていいってことになるのかよ!?


 デッドヒートする口論を横目に、キラが遠い目をする。そんな彼にとどめを刺すように、二人が物凄い剣幕で怒鳴った。

「私はムウの為にって思って頼んだのにぃ!!」
「俺だってマリューの喜ぶ顔が見たかったんだよっ!!!」



 なんだ、これ・・・・・・・・。



 妙に乾いたセリフが胸の奥から競りあがってくる。

 こ れ だ か ら 痴 話 喧 嘩 は 。

(あれ?何だろぅ・・・・今までここに感じていた冷気が急速に暑くなっていくぅ・・・・・。

 棒読みでそう思うと、急にお腹が空いて来て、キラはのろのろと立ち上がり、ゆっくりと食堂に入っていく。喧々諤々と言い合いを続ける二人を横目に、「すいませーん、チャーシュー麺一人前!」と食堂の奥に声を掛けると、厨房の奥で、ウオークマンで無理やり音楽を聞いていたコックの一人が、しゅたっと立ち上がるのが見えた。
「へい、一人前ですね!」
「うん・・・・・・・・。」
 カウンターにもたれかかり、キラはちらっと二人を見やった。


 夫婦喧嘩は犬も食わぬ、っていうけど・・・・・・・。
「これはまたレベル高いなぁ・・・・・。」

「酷いわ・・・・・ムウの馬鹿・・・・・。」
「君の気持ちは嬉しいけど・・・・・俺だって、マリューを喜ばせたいんだよ。」

 いつの間にか寄り添って、ムウがマリューの涙を拭っている姿を確認し、キラは「あれですねぇ。」とのんびりした声を二人に掛けた。

「賢者の贈り物、ですか?」
「え?」
「?」

 きょとんとして振り返る二人にキラは、「ああ、でもあの二人はそこまで激しく喧嘩はしないかぁ。」とぼそりと呟いて、出てきたチャーシュー麺をすすりだす。

 その横で、お互いの思いを確認した二人が、マリューの頼んだ苺で作った、星型のピンクのババロアを仲良く食べだすのだった。

「結局、食べるんだ・・・・・。」

 そんなキラの突込みなどどこ吹く風で。

「はい、マリュー。美味しい?」
「ええ。とっても。」




 ・・・・・・本日の被害者 食堂に入れず苦悶したアークエンジェルクルー数十名也。






(2006/12/30)

designed by SPICA