Muw&Murrue
- 03 ぶかぶかのシャツ
- ベッドに沈んでいた意識が、徐々に覚醒してくる。身体を包む温もりが心地よくて、まだ寝ていたくて。
意識の水面に起きた波紋を無視して、そのまま眠ってしまいそうになる。
そんな彼女の二度寝を阻止したのは、上掛けを被って身体を丸めた時、身体が『何にも』ぶつからなかったという事実だった。
「ふぅんにゃ・・・・・・。」
妙に可愛らしい声を上げて、マリューがぼんやりと目を開ける。うろうろと視線を辺りに彷徨わせ、彼女は一人の姿を探した。
艦長室のベッド、とはいえ、一人寝専用なので、それほど大きくは無い。
二人で寝てイッパイイッパイのそこが、二年前と同じ広さで、彼女はどきりとした。
思わずがばっと身を起こし、不意に冷たい空気に触れて、マリューは慌てて上掛けと毛布を身体に巻きつけた。
妙にシーツの感触が気持ちよく、胸元がいつも以上に心もとない。
(何も着てない・・・・・・。)
まだまだ眠い頭の中で、マリューは、前で掻き合わせていた毛布を少しだけ開いて、自分の身体を繁々と見た。
薄青い闇が満ちるそこで、暗がりに見える自分の身体は、下着すら身につけていない。
ということは。
ふと、聡い耳が、微かな水音を拾い上げ、彼女はそちらを見た。執務用のテーブルの奥、小さなキッチンの辺りから、仄明るい、オレンジの柔らかな光が見えた。
それから、久しく聞いていない、地上に降る雨に似た音が響いてくる。
シャワー。
その単語がぽん、と頭に浮かび、マリューは「なあんだ。」とほっと肩から力を抜いた。
ぼんやりした灯でも眩しくて、目がしばしばする。ぎゅっと目を閉じると、涙がにじんで痛い。
暫くそうやって、瞳の奥から灯を追い出し、彼女は再びもぞもぞとシーツの上に横になった。
と、手が何かに当たり、彼女は再び戻ったうす青い世界で目を開けた。
「・・・・・・・・・・・。」
くしゃっと丸まった、シャワー中の恋人の制服が、毛布の下に埋まっていた。
脱いだ後、床に落としてなかっただろうか。
寝ているマリューを起こさずシャワールームに向う彼が、床に落ちていたそれを、ぽん、とベッドに上げる姿を想像し、マリューはくふくふと幸せそうに笑った。
そのまま、彼の薄い紫色のシャツを持ったまま、もぞもぞと布団の中で動き、ほーっと長いため息を漏らすと、彼女は再び眠りの淵を落ちて行った。
それから十五分後。
頭の水気を、バスタオルでがしがし拭いながら、バスローブを羽織ったムウがのんびりした足取りでシャワールームから出てくる。
部屋の中は相変らず暗く、素肌にひやりとした空気が気持ちよかった。
ベッドをぬらしたら怒られるよな、と慎重に水気をぬぐって、そちらに向うと、相変らず膨らんだままの毛布の塊が目に止まった。
膨らみの中央が、規則正しく上下している。
「よくお休みだこと。」
笑みを噛み殺して、口の中で呟き、ムウはなるべくベッドを軋ませないよう、ゆっくりと片膝を乗せて体を持ち上げた。
手を付いて、彼女の身体をまたぐようにし、反対側の隙間へと滑り込む。
彼女は、しっかりと毛布と上掛けを身に巻きつけ、枕に頬を埋め、幸せそうな寝息を立てている。
「マリューさん、マリューさん。」
声にならない声で、そっと彼女を呼んでみる。首の下辺りで、皺が寄っていて、その辺で、マリューがしっかりと毛布と上掛けを握り締めているのが分かった。
「マリューさん、中に入れて。」
そっとその結び目のような場所に手を伸ばして、ムウがゆっくり解いていく。
よほど気持ちよく寝ているのだろうか。あっさりと、上掛けの端が解け、彼は毛布と一緒にそれを開いた。ふわりと、マリューの体温で温められた空気が、肌蹴てしまっている自分の胸元に触れる。柔らかく、丸い感触にムウは思わず頬を緩めた。
いい香りで・・・・・そう、まるで炊き立ての白いご飯のような空気だな、なんて、彼は凡そ色気の無い言葉でそれを表現し、小さく笑った。
なるほど。
マリューさんがご飯だから、俺、いっくらでも喰えちゃうんだ。
言い得て妙だと、一人悦に入りながら、ムウはそっと毛布の下にもぐりこもうとして、はたと手を止めた。
すやすやと眠っている彼女は、てっきりそこで全身生まれたままの姿を晒していると思っていたのだ。
だが。
「・・・・・・・・・・あれ?」
持ち上げた二枚の布の下は暗くてよく見えないが、なにやらマリューは着ているらしい。
抜け出した時は確かに彼女は、見事なプロポーションを惜しげもなく晒していたはずなのに。
「ちょーっとゴメンな、マリュー。」
まだ深い眠りを彷徨っている彼女を気遣いつつ、ムウはそっと毛布を大きく持ち上げた。
持ち上げて。
「!?」
シーツの上に、くの字に身体を折り曲げて、ひざを抱える彼女の全身が現れた。
彼女の身体を隠し、お尻を隠すぎりぎりのラインを取るそれは、なんとムウの着ていた制服のインナーであった。
自分が着ると腰周りになる裾が、彼女の太ももを、きわどく覆っている。袖は、二の腕の半分を多い、肘に掛かっている。肩のラインは断然下で、襟元は大きく開いて、胸の丸みが少々見て取れた。
俗に言う、男物のYシャツ一枚の格好、である。
(ちょっとこれは反則でしょ、マリューさん!?)
ばくばくと心臓が早くなり、ムウは思わずばふ、と毛布を下ろすと口元に手を当てた。出ないと、自然と緩んでくる口元が、垂れ下がって酷い顔になるような気がしたのだ。
それにしても。
なんとか平常心を取り戻そうと深呼吸しつつ、ムウはぼんやり考える。自然と目線は、膨らんだ彼女の身体へと注がれた。
それにしても。
全裸よりエロく見えるのは何故なのか。
折角宥めようとしているのに、心拍はちっとも収まらない。
妙にそわそわしながら、ムウは考え込むようにマリューを見詰めた。それからそっと手を伸ばして毛布の端をつまみ挙げる。
再び、彼女の可愛らしい寝姿が見えて、ムウは背筋に走るむずがゆいような、居心地が悪いようななんとも言えない感触に、ぶるっと身を震わせた。
(ど・・・・どうしよう・・・・・白飯に豚肉のしょうが焼きがついてきた気分だっ)
要するに、すぐに食っちゃいたいという心境なのだろう。
鴨が葱背負ってやって来ている、というのかもしれない。
毛布を持った手をぱたぱたしながら、ムウは葛藤する。
本来なら、ムウもここまで葛藤する事無く、眠っているマリューにイタヅラを仕掛けたはずなのだが、それが出来ないのは、本日、結構無理をさせているからなのだ。
(あー、でも卑怯だろ・・・・・卑怯だろこの格好!!)
煽るだけ煽って、本人ぐっすりなんて、あんまりだ。
でも、ぐっすり寝ている理由は自分にあるわけで・・・・・。
でも、こんな風に男物のシャツ一枚しか着ていないマリューなんて、めったにお目にかかれ無いし・・・・・。
酷く低レベルな葛藤を、毛布の裾を握り締めたまま、繰り返していると、いいかげん、冷たい空気に肌を晒した所為で、思わずくしゃみが出た。
その気配に、ゆるゆるとマリューが目をあけた。
「・・・・・・・・ムウ?」
「あ・・・・・・・。」
ぼんやりした眼差しが宙を漂い、寝ているわけでもなく、ベッドに座り込んでいる恋人に止まる。
「どうしたの?」
必要以上に幼く聞こえる台詞に、再び脊髄が反射する。
「な・・・・・・・・。」
なんでもない、わけもなく。
「なんでそんなカッコで寝てるわけ?」
思わずムウはそれを指摘してしまった。
「そんなカッコ?」
目を瞬き、眠そうに身をもぞもぞさせて、マリューは自分が着ている物を、そっと毛布を持ち上げて覗き込んだ。
ああそうだ。
思い出した。
「・・・・いーでしょ。」
甘い声がして、ムウは「え?」と目を見張った。恥かしがるか、弁解するかと思っていた恋人は、予想をはるかに飛び越えた、可愛らしい反応をしてくる。
「ムウの着ちゃった。」
うふふ、と嬉しそうに笑って、ぎゅーっとインナーに包まれた自分の身体を、自分で抱きしめる。
そんなマリューの仕草を見ていたムウは。
「こうしてるとね、ぎゅーってされてるみたいな気になるの。」
そう、続いた言葉に、我慢が限界を迎えた。
「そんなんよりも、本当にぎゅーってしてやるよっ!」
「きゃあっ!」
どこか嬉しそうな響きを持つ悲鳴が上がり、両腕にしっかりと恋人を抱きしめる。マリューは繰り返される甘いキスに溺れながら、そっと目を閉じた。
このままされちゃってもいいし。
そのまま寝ちゃってもいいなぁ。
酷く緩やかな意識の端にそう思って、強く強く抱きしめてくるムウに、ことんと全身を委ねてしまう。
彼女の肌に、愛しさを込めて口付けを贈っていたムウは、ふうっと力の抜けたマリューの身体に目を上げた。
見れば、扇情的に、淡い紫のシャツの前を寛げ、キレイな首筋のラインを惜しげもなく晒し、さらに、枕に栗毛を散らばらせた彼女が、うっとりと目を閉じて、気持ちよさ気な呼吸を繰り返しているではないか。
「・・・・・・・・・・・。」
色も艶も無い、その呼吸音に、ムウはがっくりと頭を垂れると、豚肉のしょうが焼きと白飯、さらにそこに、筋子を加えたようなマリューを前に、泣く泣く行為を諦める。
「マリューさん。」
そっと耳元で囁けば、ふにゃけた笑みと、「なあに?」という甘やかな声が返ってきた。
「ぎゅっとしてて欲しい?」
眠り姫に尋ねれば。
「ぎゅーってしてー。」
両腕を伸ばし、彼女がムウにすがり付いてくる。すりすりしてくるマリューをそこに閉じ込めて、ムウはゆっくりと息を吐き出した。
とりあえず今日は。
このまま一緒に柔らかな淵を落ちていこう。
「なあ。」
耳に唇を寄せて、そっと囁く。
「また、そんな格好、してくれな?」
約束、とそういうと。
「・・・・・・・ん。」
寝ぼけた眼が、ムウを捕らえ、ふうわりと彼女が笑った。
「やくそく・・・・・・・。」
よし。
これで、明日の予定は決まった。
こうして、穏やかな夜はゆっくりゆっくり通り過ぎていくのだった。
(2006/12/30)
designed by SPICA