有利

 他社から引き抜かれてきたということは、仕事が出来るのは当たり前。アイデアも秀逸だし、仕事が早い。

 そして、手足の長い、キレイな長髪の美人ときもんだ。

 彼女をチーフとして出来た新しいソフトの開発チームは、彼女が直々に指名した人で構成されている。
 ぱっと見た感じ、女子社員が眉を潜めたくなるような人選だが、マリューは、そこに居る人材の容姿年齢に着目せず、出来る人だけ集めたなと息を飲んだのだ。

 そこに、自分の恋人が組み込まれていて、微かに嫌な感じはしたのだが、マリューは気付かない振りをした。

 いつもは適当に仕事をこなしているだけのムウが、妙に張り切って夜遅くまで働き、女性チーフと二人で残業する姿も、見て見ぬ振りである。

 結構期待の大きいプロジェクトだし、仕事だと割り切る半面、マリューは会えない日を数えて溜息をついた。
 今日も、彼らはなにやら慌しく働いている。
 通常業務をこなしながら、彼らのバックアップをしているマリューだが、プロジェクトが終盤に入った現在、手を貸すことももうない。
 ハードだった日々も少しずつ落ち着きを取り戻しているように見えて、マリューは久々にムウに声を掛けようかなと、さり気なく席を立った。

 もう直ぐお昼だし、近くに寄れば声を掛けてもらえるかな・・・・。

 それにマリューは今日、映画のチケットを二枚持っていた。ひょんなことから知り合った別の課の人が「彼氏とどうですか?」と笑顔でくれたものだった。
 営業とかやっていると貰うのだと笑っていた彼に感謝しながら、マリューはさり気なくムウの後ろによった。
「フラガさん・・・・・。」
 目が合う事が無かったので、そっと声を掛けてみる。
「んぁ?っと・・・・・・・・・。」
 画面を睨んでいたムウが顔を上げ、そこにいる自分の最愛の恋人に目を丸くする。
「マ・・・・・・・・ラミアスさん。」
 突然現れた彼女に、思わず名前を呼びかけ慌てて誤魔化す。

 二人の関係は周囲には内緒である。

「何?どうしたの?」
 毎日会社で会っているのに、こうして間近で話すのは本当に久しぶりで、目を細めるムウに、マリューは少しだけ頬を赤くした。
「あの・・・・・・お話があるんですけど。」
 ひそひそと囁くように言われ、ちらっと周囲に視線を投げる彼女に、ムウはぴんと来た。
 だが、手が空きそうに無い。
「悪い、ちょっと今、手、放せそうに無いからさ。」
 モニターの横にあるペン立てからボールペンを取ると、ムウは側にあったメモ用紙になにやら書くと「はい。」と笑顔でマリューに渡した。
「どう?」


 携帯にメール、出しておいてくれ。後でチェックするから。


「帰りまでには、なんとか。」
 ニッコリ笑うムウに、マリューは少し逡巡した後、「はい。」とこっくりと頷いた。その様子が可愛くて、今すぐ抱きしめたい衝動に駆られるが、ムウはそれを必死に抑え、周りに見えないようにぎゅっと彼女の両手を握り締めた。
「ごめんな。」
「いいえ。」
 いいんです。
 そっとムウの手を握り返し、マリューも微笑を返すと、名残惜しそうにその場を後にした。

 それからマリューはムウにメールを出した。


 今夜で上映が終わる映画があるのですが、一緒にどうですか?
 よければ、十九時にセンター街の噴水の前で待ってます。


「これでよし!」
 最終上映は二十時。十分に間に合う時間だ。送信されたメールを読み返し、マリューは目の前のお弁当を食べ始めるのだった。




 冬の空は直ぐに暗くなり、ビルの明かりの海に星は消えて見えない。キラキラと輝くイルミネーションが、冬枯れた木々に施されることで有名なその公園の、大きな噴水の前には沢山の人が溢れている。待ち合わせに使うのに便利なのだ。
 あちこちに人待ち顔の人が溢れているその中に、ぽつんとマリューが立っていた。
 鞄を持ったまま、そわそわと辺りを見渡す。
 携帯にはムウからの返信は来ていない。五分おきごとにそわそわとコートのポケットから携帯を取り出して画面を確認するマリューは、社を出るときに見た、「これで今回のプロジェクトは終了よ。」とにこやかに宣言するチーフの姿を思い出した。

 ひょっとして、そのまま打ち上げとかに行ってるのだろうか?

(でも・・・・それならメールをくれるはずよね・・・・・。)

 細かな調整で時間を食っていたムウの背中を思い出し、マリューはマフラーに顎を埋めた。
 ぶるっと寒さに身を震わせる。

 時刻は既に十九時三十分を差そうとしていた。

 そわそわしながら、でもマリューは困り果てて電話をしてみる。いつもなら一時間でも二時間でも待つのだが、今日は上映時間が迫っている。
 十数回コールを数えたところで留守番電話サービスに繋がってしまった。
「・・・・・・・・・・。」
 溜息混じりに連絡をください、とだけメッセージを残すと、マリューはもう一度時計を見た。

 あと十五分待とう・・・・・・・。



 だが、それから二十分待っても彼は来なかったのである。



「フラガく〜ん、飲んでる?」
「飲んでるって。」
 場所は駅から程近い居酒屋。そこでチーム全員で集まっての「とりあえずひと段落」会が行われていた。
 チーフのほかにも女性は数名混ざっているし、皆、一つの事を目指して走った一体感から、誰もが楽しげにしている。
 半分酔っている美人に絡まれて、ムウも悪い気はしない。

 おまけに、彼女と仕事をして随分楽しく充実した日々を送ることが出来たから。

「ねえねえ、フラガくん。」
「何?」
 しなだれかかり、お酌をする、いつもの毅然とした態度とは違う彼女にムウは笑う。
 なるほど。今はちゃんと女に見える。
「私ぃ、フラガ君の携帯番号だけ知らないんだけど。」
 にこにこ笑って見詰められて、ムウは咄嗟に返事に困った。

 マリューと付き合うようになって、しなくなったことが一つある。

 それはむやみやたらと女に電話番号を教えなくなったことだ。
 自分から掛ける事は、まず無い。
 仕事の関係で掛けるとしても、女の番号は全部手帳に手書きだ。携帯のメモリーに残す気はさらさら無かった。

 教えてと飲み会でせがまれても全部上手くかわしてきたのだが、さて、今回はどうしようと考える。

 相手は一緒に仕事をしてきた仲間だ。しかも、チームをまとめて引っ張ってきた相手でもある。

 だが、ここは飲み会で、相手はすっかり「女」になってしまっている。

「あら?駄目なの?」
「え?や・・・・・・・。」
 そうじゃなくて、とごまかし、一応ムウは携帯を出して見せた。
「番号覚えてなくて。」
 笑いながらぱか、とそれを開き、一件だけ受信しているメールに、はっと目を見張った。


 昼間、マリューが「話がある」と言っていなかったか?


 ちゃんと画面を確認すれば、着信有りになっていて、ムウは「ごめん。」と早口に女に謝ると慌ててその場から立ち上がった。

 店の通路に出てメールを確認する。

「十九時!?」
 腕時計に視線を走らせると、二十二時二十五分をさそうとしている。留守録を確認すれば、連絡をください、というマリューの声が飛び込んできた。

 続けてもう一つメッセージが入っていた。



『来ないみたいなので、今日は取りやめます。おやすみなさい。』



「・・・・・・・・・・・・。」
 素っ気無い声に、ムウは震えるようなため息を吐き出した。
「マジかよ・・・・・。」
 手を上げて前髪を握りつぶす。そのままムウはマリューに電話を掛けるが、機械的な声に『電源が切られているか、電波がとどかないところに』マリューが居ると告げられて低く呻いた。
「・・・・・・・・・・。」

 何の映画だろうか。
 十九時に待ち合わせという事は、三十分か四十五分か二十時に上映のものだろう。
 今日で終りという事は、マリューは一人で見てるだろうか?
 それとも諦めて帰ったか。

 踵を返し、ムウは慌ててメンバーに帰る宣言をしに行った。





「あの、今日はありがとうございました。」
「いえ。僕も見たかった映画ですから。」
 マリューと一緒に映画館から出てきたのは、ひょんな事から知り合った赤毛の男性。マーチン・ダコスタである。
 同じ会社で違う課の彼に、マリューは実は助けられたことがあった。夏の宴会で、一人で重役の相手をして、セクハラまがいの事に右往左往していた時に、彼がさり気なく手を貸してくれたのである。
 それから、マリューとムウが付き合っている事を知っている人物でもある。
「本当にゴメンなさい。」
 並んで冬の道を歩きながら、マリューはしゅんと肩を落とした。
「折角、ムウとどうぞ、って頂いたチケットだったのに。」
 それに、ダコスタはのんびりと答える。
「いいえ。ペアチケットで一人で入るの、ちょっと抵抗ありますし。」
 僕もただで観れたんで。
 にこにこと人のいい笑顔を見せる彼に、マリューは嬉しくなって笑みを返した。

 そう。実はこの映画のチケットをくれたのが、ダコスタなのだ。
 自分一人で行くのもなんだし、フラガさんと行ってください、と彼はマリューにチケットを渡したのだ。
 だが、結局ムウはこず、一人で帰ろうとしていた時に、丁度傍のデパートの地下で、お惣菜を買おうとしていたダコスタの出会ったのだ。
 マリューは折角貰ったけど、ムウも来ないしお返しします、と彼に話し、せめてダコスタさんだけでも観てきてください、と促したのだ。

 だが、折角のペアなのだし、一緒にどうですか?と屈託の無い笑顔で言われて、その映画を観たかったマリューは微かな罪悪感を感じながらも、首を縦に振ったのだ。

「あの・・・・・・彼女さんとかに私、怒られません?」
 隣を歩く可愛らしい女性からそういわれて、ダコスタは乾いた笑い声を上げた。
「居ませんよー、そんな人・・・・ていうか、いたらラミアスさんにチケット渡しませんって。」
「あ・・・・・・・・。」
「酷いなぁ、自分が幸せだからって。」
 泣きまねをする彼に、マリューは慌ててフォローする。
「だ、だって、ダコスタさんみたいないい人に、彼女がいないわけ無いと思ったから・・・・・。」
「大抵の女性からは、『いい人』評価で終わっちゃうんですよ、僕。」
「そ、そんないぢけなくなって!」
 ふと目が合って、知らずに二人は笑い出してしまった。
「でも、よかったです。」
 はあ、と白い息を吐き出してダコスタはにこにこ笑う。
「ラミアスさん、行けなくなった、って言ったとき、本当に悲しそうな顔してましたから。」
「子供みたいですよね。」
 苦く笑うマリューに、「そんな所にフラガさんも惚れたんですよ〜。」なんて頓着せずに言う。

 ほう、と溜息を付いて、マリューは俯いた。

「本当にそうかしら・・・・・・。」
「え?」
 俯いたまま、マリューは苦笑した。
「だって・・・・・・・・私には彼をサポートするだけの力量もないですし・・・・外見だって子供っぽいし、童顔だし・・・・」
 どこが子供っぽいんですか!?と憂えた横顔を見せるマリュー相手に、ダコスタは心の中でツッコミを入れる。
「彼の本来の好みって、なんていうか、冷静ですっきりした美人な気がするんです。」
「他社から来た、彼女みたいな?」
 チーフを指されて、マリューの胸がどきりとする。

 そう。
 そうだ。
 ああいう仕事も出来るし、女も捨ててないような人が、きっとムウの好みなのだろう。

「ここ最近、彼、彼女と一緒に仕事していて、本当に楽しそうだったから・・・・。」
 残業なんて面倒、の一言で片付ける人がですよ?
 言いながら、マリューの歩調が微かに上がり、ダコスタは微かに苦く笑う。
「そりゃ・・・・楽しそうな彼を見るのはいいですけど・・・・全然声もかけてくれないし、電話もくれないし。メールも・・・・・・。」
 早くなる彼女の歩幅に合わせて、大股で歩きながら、ダコスタはふんふんと頷く。
「今日だって、メールくれって自分から言っておきながら、音沙汰なしで。きっと飲み会かなんかで、楽しく二人で話してるのよっ!」
「ラミアスさん!」
 ぴたり、と足を止めて、ぎゅっと手を握り締めたまま俯く彼女の様子に、ダコスタはどきりとした。
 確かに。
 確かにこんな可愛らしい女性、誰だって欲しくて仕方なくなるだろう。
「私・・・・・もう飽きられたのかしら?」
 無防備に、泣きそうな顔を晒すマリューに、ダコスタの心臓が一拍だけ強くなり、「いかーん!」と自身にセーブを掛ける。
「とりあえず、ですね。」
「・・・・・・・はい。」
「イライラするのは劇場でポップコーンを食べただけで、お腹がすいているからだと思うんです。」
 突然の宣言に、マリューは目をしばたいた。ダコスタは続ける。
「ですから、どうです?もう十時ですけど、ここのお好み焼き食べて帰りません?」
 右手を指差すダコスタにつられて視線を上げれば、珍しく深夜営業をしている、有名なお好み焼き屋の看板が目に止まった。

 ぐう、とマリューのお腹が鳴り、真っ赤になった彼女の腕を取って、「とりあえず、やけ食いですよ!やけ食い!フラガさんに思い知らせてやりましょう!」などと宣言して、ダコスタは彼女を店へと引っ張って行った。


 自動ドアが開き、硝子の向こうにマリューが消える。やって来たエレベーターに乗り込み、ドアが閉まった。そのほんの数秒後に、走り続けていたムウが、彼女たちが立っていた場所へと滑り込んできた。
 立ち止まり、肩で息をする。
「ったく・・・・・・・・。」
 映画館の最終上映が八時で、終りが十時で、辺りを探しながらここまで走ってきたのだが、一向にマリューに行き当たらない。
「・・・・・・・・・・・・。」
 観てなのだろうか?
「ちくしょ・・・・・・。」
 帰ってしまったのだろうか?

 眠らない街のネオンの海のどこかに、彼女がぽつんと立っていたのだと思うと、胸が物凄く痛くなった。
 どんな思いで、この寒い夜の中自分を待っていたのだろうか・・・・・・。
「頼むよ・・・・・・。」
 息を吸い込み、ムウはコートのポケットから携帯を取り出すと、掛けてみる。だが、機械的な声がマリューへの道を阻む。

 何でもいいから、マリューにあわせて・・・・・・。

 思わず天を仰ぐと、不意に誰かが彼に声を掛けた。





 暖房の効いた暖かい店内は、時間が時間だというのに煙といい匂いで一杯だった。
「この時間帯、料金が半額なんですよ。」
 ニコニコ笑ったダコスタが、いか豚玉と牛エビキムチ玉の二種類と、デラックス焼きそばなんぞを頼んでいる。
「ここ、鉄板焼きもあるんですよ。」
 お酒は二人とも飲まない気である。基本はやけ食い。
 ウーロン茶を二つ頼み、マリューはついでに手作りコロッケと三種類のウインナー焼きを頼んだ。
「なんか、夏以来ですね、こういうの。」
 笑う彼に、マリューもにっこりした。
「本当に。なんか・・・・・楽しいですね。」
「ついでに串焼きとか頼んじゃいますか?」
「ダコスタさん食べすぎ。」
 笑いあっていると、本当にさっきまでのくさくさした気持ちが飛んでいくようで、たまには違う人とご飯を一緒に食べるのも悪くないなと、マリューは思った。
 そりゃ、飲み会に呼ばれれば付き合うのが社会人だ。でも、こうして一対一で男の人相手、というのは、誰かと付き合ったとき以外になかった。
「不思議な人ですね、ダコスタさんって。」
「え?」
 半額の威力か、徐々に込み始める店内で、それでも結構早くにやって来た生地を受け取ったダコスタが、向かいにちょこんと座っているマリューに目を見張る。
「なんていうか・・・・・良い人ですね。」
「それ、褒めてませんって。」
「え?」
「オンナノヒトの良い人発言は『圏外』と同等ですからね。」
「そ、そんなこと!」
「じゃあ、僕とフラガさんとじゃどっちがいいですか?」


 あ・・・・・・・・・・。


 しゅんと、マリューは肩を落として、「そうじゃなくて・・・・・・。」と赤くなって答えた。
「れ、恋愛とか、そういう特殊な感情じゃなく、人として、ダコスタさんは良い人だなって思ったんです。」
「いいですよ、それでも。」
 にこにこ笑って、彼は油を引いた鉄板に大きく円を描いてお好み焼きを焼いていく。
「いい・・・・・・友達、ってことですか?」
「そうですね。」

 フラガさんとは違うポジションか・・・・とダコスタはこっそり思う。それはそれで、きっと物凄く重要なポジションでもあるから。

「あ、だめですよ!ダコスタさん!!お好み焼きにはちゃんと焼き方があるんです!」
 慌ててヘラを取って、熱々の鉄板を仕切り始めるマリューに、彼はそれもありだなと、小さく笑うのだった。





「なぁにむくれてるのよ?」
「別に。」
 暖かい店内には結構な人が入っている。ムウに声を掛けたのは、飲み屋を抜け出した彼を追って来たチーフだった。
 何で抜け出して走り回ってるの?なんて聞かれて、返答に困る。それにもともとムウと話がしたかった彼女は、彼を見つけることが出来ると思っていなかっただけに、強かった。
 運命なんか信じるタイプの女じゃないと思っていたが、案外ロマンチストなのかもしれないと、しつこくしつこく彼を誘う女に、ムウは仕方なく近くにあった店を適当に選んで付き合うことにしたのだ。

 女性を口説くような、そういう雰囲気外のお好み焼き屋を強引に選んで。

 その店では今の時間帯は、どうやらメニューが半額らしく、十時を過ぎた時間でも大層な人で賑わっている。
 良い匂いもするし、煙の立ち込める店内で、注文を全部彼女に任せて、ムウはやって来たウーロン茶を一口飲んだ。
「で、話って。」
 話があるのぉ、と訴え続けていた女をひたと見詰める。
「これはプライベートなことで、仕事とは一切関係ないのだけど。」
 小さく笑って、女はムウを見た。関係ないが、女の妙につやっぽい唇に、彼はふと彼女が化粧を直してからここに居るのに気が付いた。
(ふーん・・・・・・・・。)
 そっちがその気ならと、ムウも今までどこかにあった「チームリーダーだから」という概念を消していく。
「一緒に仕事をしてみて思ったの。」
「何が?」
「相性いいと思わない?」
 つい、と顔を出していう彼女に、ムウは綺麗に笑った。早速やって来たお好み焼きの生地を受け取る。
「まあ、な。」
「でしょう?」

 思考が似ているのか、考え方が近いのか。結構な部分で二人の意見が一致することが多かった。思っている事が同じだと、仕事をする上で非常にやりやすい。
 一番難しい意志の疎通が簡単なのだ。

 じゅわ、といい音を立てて豚肉が焼けていく。その上に生地を被せながら、ムウは真っ直ぐに女を見た。
「確かに、アンタと俺は相性がいいのかもな。」
「一緒に居て、害にならないって言うのはイイコトだと思うの。」
 手を組んで、そこに顎を乗せて、女は眼を細める。ほっそりとした指や、大きめの瞳。笑みの形の唇など、触れてみたら、どんな感じがするのか、ムウには手に取るように分かる気がした。
 それと同時に、多分、気持ちがいい事も。
「私にとって、そういう男って初めて。」
「俺もかな。」
 うふふ、と小さく笑い、女はチューハイを傾けた。
「あなたと話していると、本当に私の事を理解してくれそうな気がして、ついつい力が入っちゃったわ。」
 おかげで良い物が出来そうよ。
「今は仕事とは関係ないんじゃないのか?」
 ヘラでお好み焼きを動かしながら、淡白にムウが言う。
「そうだけど・・・・・・。」
 肩をすくめ、それから彼女は彼を見据えた。
「私、あなたみたいな人、好きよ。」
 顔を上げると、彼女が目を細めて告げる。随分赤い口紅だなと、ムウは関係ない事を考えた。
 マリューのはもっと、可愛らしい桜色だったっけ。
「遊びも仕事も上手に出来そうだし。」

 そうか。マリューに桜色が似合うのは、彼女の肌が白いからか。

「あなたと一緒にいたら、きっと私自身の能力を高める事が出来ると思うの。」
 もちろん、あなたも。

 そういやあ、マリューが俺の目を見て話すときは、こんな風に誘うような艶っぽい仕草は取らないよな。

「ちょっと、聞いてるの?」
 形の良い三日月眉を寄せて言われて、「聞いてる。」とムウは素っ気無く答えた。
「つまりは、恋愛にも仕事にも好都合ってことだろ?」
「身体の相性もね。」
 それはどうかなと、ムウは笑う。それに女は「私だって伊達にこんな外見じゃないわよ?」と妖しく笑った。
「ま、確かに色々してくれそうだよなぁ。」
「・・・・・・・・・・・・じゃあ。」
 そっと手を伸ばして、女はムウの指に自分の指を絡めた。
「一晩試してみない?」
 彼女の目を覗き込む。
「相性いいと思うの。」
 それに、男はふっと笑った。
「多分、そうなんだろうな。」
 絡む彼女の指に、自分の指を絡める。
「良さは保障するわよ?」
 瞳を覗き込む彼女に、ムウは俯くと小さく笑い、手の握り方を変え、爪を立てて力いっぱい手の甲を引っかいてやった。
「痛っ!?」
「でも俺は願い下げだね。」
「!?」
 さっさと銀色のヘラに手を伸ばして、上手にお好み焼きをひっくり返し、上から少しだけ押さえつける。
「簡単に手に入る上に、感触も相性も気持ちよさも保障されてるのなんて、俺はしたくない。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
 手を押さえて、むっと眉を寄せる女に、男はふん、と軽く笑った。
「そんなの、どこが楽しいんだ?」
「どこがって・・・・・。」
「俺は別に快楽が欲しいわけじゃない。」
 淡々と言いながら焼きあがったそれを切り分けて、相手と自分に取り分ける。
 ソースの良い匂いがするそれを齧りながら、ムウは続けた。
「ただそういうのが欲しいだけなら、そういう店でも後腐れない相手でも探すさ。そういう意味では、あんたなんか、好都合だよなぁ。」
 けどさ。
「悪いんだけど、それじゃない物が欲しくなった。」
「え?」
 ぱくっと頬張りながら、ムウは脳裏にマリューの姿を思い浮かべた。

 自分を見上げる時、媚びるような態度も視線も見せず、ただ真っ直ぐに自分を見詰めてくる眼差し。
 手を伸ばして、精一杯すがりつく姿。
 頬を膨らませて怒る様子や、かと思うと意外なくらい頑固で、しゃっきり立ってみせることもある。
 アンバランスで危なっかしいくせに、わがままで傲慢で。
 彼女に触れるたびに、届かない物を感じて焦る。彼女の全てを理解していないとそう思うから。
「・・・・・・追わせたいし、啼かせたいし、もっととすがりつかせたい。愛してると叫ばせたい。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「たった一人の女を、この俺が、独占したくて仕方ないんだよ。」

 で、半端じゃなく、気持ちいいんだな、これが。

 笑う男に、女は呆れたように溜息を付いた。
「その女が、下手くそで相性もよくなかったらどうするのよ?」
「下手なら上手にさせる。知らないのなら教えてやる。相性悪いってんなら・・・・そうだな、よくなるようにしてやるさ。」
 最初から決まってたら面白くないだろ?
「・・・・・・・・・・大した独占欲ね。」
 呆れたように告げると、
「そうだよ。」
 悪びれもせずに、ムウは笑った。
「じゃないと、俺の方が占有されちまうから。」

 もう半分以上、俺は彼女なしではいられなくなってるけどな。

 それに、女はもう一度溜息を付くと、一体どんな魔性の女が、この男を狂わせているのだろうかと、苦々しく思うのだった。






「でも、あの映画の主人公・・・・・ほら、婚約者に啖呵を切られた。」
「ああ、えと・・・・アスラン・ザラが演じてる人ですよね?」
「そうそう。ちょっと情けないわよね。」
「うーん・・・・そうですね。あのお姫様が強すぎたんじゃないですか?」
「ラクス・クライン?」
「そうそう。ああいう女性って、男受けはあんまりしないですよね。」
 僕は好きですけど、主人公が可哀相ですよ。
「あら。」
 すっかり豚玉の方は食べてしまって、次のを焼くマリューは不満そうに頬を膨らませた。
「ああいう女性、私は好きですよ。毅然としてて。」
「男としては・・・・・うーん、ああ、ほら、メイリン・ホークがやってた妹!あっちの方がいいですよ。」
 かいがいしくて。
 あ、こっちのウインナー焼けてますよ!
 言われて、マリューはこんがり焼けたウインナーをぱくりとする。
「やっぱり、尽くす女がいいの?」
 もぐもぐしながら聞けば、ダコスタは神妙な顔でうんうんと頷いた。
「ラクス嬢は隙がないですから。」
 うーん、とマリューは首を捻って、今日観てきた映画の内容を反芻する。
「でも、結局彼が結ばれた相手は、妹でもなくて、革命軍のリーダーだったわよね?」
 男勝りで、鎧を着て剣を振りかざしていた彼女は、惚れ惚れするほどカッコよかった。
「ああいう女性はどうなの?」
「彼女の場合、男なんて必要ないと、一見見えるでしょう?」
 お好み焼きの縁が丸くなってきて、ダコスタは楽しそうにひっくり返した。
 キレイな焦げ目の付いた裏面が顕になる。
「でも、主人公にだけ女性らしいところを見せたじゃないですか。」
 ああいうのも、こう、自分だけ〜って気にさせるから、いいですよ。
「隙を見せろって事?」
「そうですね。」
 ふーん、と箸を咥えながらマリューは首を傾げて横を見た。隙かぁ・・・・・なんて考えるマリューの様子に、ダコスタはこんな風に思われているフラガさんは何て果報者なんだろうと、溜め息を付いた。
 自分なら彼女に誘われたら意地でも映画館まで駆けつけるのになぁ。

 そのまま通路を眺めて考え事をしていたマリューの視界に、、反対側の席から立ち上がる人が写った。

 息を飲む。

 一瞬で店内のざわめきが後方に飛んでいった。

 鼓動が突然跳ね上がり、指先が痺れるような気がして、マリューは持っていた箸を思わず握り締めた。

 そう。

 視線の先には、チーフと二人で立ち上がるムウが居たのである。




「とにかく、俺の事は諦めるんだな。」
 ばっさりと言って、彼は笑うと最後の一口を口にして立ち上がった。
「・・・・・・・・ねえ、一体どんな女なのよ、あなたを惑わせてるの。」
 悔しそうに言いながら、女が脇にあったコートを手に取る。
 とにかく早く彼女を探したいムウは、小さく笑うと「普通の女ですよ。」と自慢気に呟いた。
「可愛いくて、美人で・・・・・抱きしめたいくらいか細いかと思うと、そうじゃないくらいしっかりしてて・・・・・・。」
 ふと、何かを感じて、ムウは通路の向こう側を見た。店の真ん中にもテーブルがあって、囲われているそこの、向こうにある小上がりに、瞬きもせずに自分を見詰めている人物を見つける。

 ムウの瞳が大きく見開かれた。

 赤毛の男性と一緒に居るマリューが、唇を噛み締めて自分を凝視していた。

「ねえ、どうしたの?」
 立ち上がり、バックを手にした女に声を掛けられて、咄嗟にムウは「なんでもない。」と視線を逸らした。

 自分の女がマリューだと知ったら、何が巻き起こるのか知れたもんじゃない。
 相手は仕事の出来る女なのだ。マリューに対して仕事上の嫌がらせをするとは思えないが、隠しておくに越した事はない。
 女の視線からマリューを隠すようにたち、やりたくなかったが女の腰に手をまわして出るように促す。
 ちらっと振り返れば、泣きそうに歪んだマリューの顔が見えて、今すぐ飛んでいって抱き寄せたい気になった。
 だが、それも数秒で、彼女は素っ気無く目を逸らすと、とびっきりの笑顔を目の前に男に向けている。

(ダコスタか・・・・・・。)
 隣の女に知れないように歯噛みし、一刻も早くここを出て女をまかないと、とムウは歯がゆく思うのだった。





 信じられない光景だった。自分を見詰め返したムウが、強張ったような顔をするのに、確かにマリューは多少の罪悪感を覚えた。
 だがそれも、チーフの腰を抱くムウを見た瞬間、消し飛んだ。

 何?あれ・・・・・・。

「ラミアスさん?」
 通路を凝視するマリューに、ダコスタが怪訝な顔をし、マリューは振り返ると、とびっきりの笑顔を彼に向けた。
「飲みましょう。」
「え?」
 戸惑うそばから、マリューが店員に向かって手を上げている。
「ラミアスさん!?」
「すいません、ビール、ジョッキで。」
「マリューさん!」
「ほらほら、ダコスタさんも。」
 にこにこ、とした形容の仕様が無い笑顔を彼に向けて、マリューが同じものを頼む。
「今日は飲まないんじゃなかったんですか!?」
 焦るダコスタに「飲みたくなっちゃった!」とマリューは本当に楽しそうに笑うから。
 ダコスタははっと何かに気が付いた。
「マリューさん。」
「はい。」

 これは、きっと何かあるな。

 ダコスタは素早く機転を利かせると、身を乗り出した。

「今日はとことん!食べて飲みましょう!」





 何で、ダコスタと一緒に居るんだ?

 名残惜しそうな女をタクシーに押し込め、家まで送り届ける道中、ムウは気が気ではなかった。

 自分と彼女の事を目撃したマリューは、何を思っただろう。

 約束は事実上すっぽかしたようなものだ。
 連絡も謝罪も一切行っていない。

 そこで、自分と彼女が一緒に居るのを見てしまったら。

(くそ・・・・・・っ)

 それに。
 それに、彼女は今、男と一緒に居るのだ。

(ふざけんじゃねぇってのっ・・・・・・!)
「ねえ、ちょっと聞いてる?」
 隣の女に声を掛けられて、ムウは顔を上げた。
「何?」
「あなたのマンションどこ?」
「お前の家のが先だろうが。」
 むっとする女から、ムウは視線を引き剥がして窓の外を見た。
「降ろしたら、俺は俺で帰るよ。」
「・・・・・・ちょっと寄っていかない?」
 お茶くらい出すわよ?
 しなだれかかる彼女を適当にあしらっていると、不意にムウは自分のコートのポケットで震える電話に気が付いた。
「ごめん。」
 彼女を振り払い、ムウは携帯を開いて、着信の相手を見ると大慌てで電話に出た。
「もしもし!?」
 聞こえてくる声に、ムウは目を瞬き、怒鳴りたいのをすんでのところで我慢する。
「用件は?」
 素っ気無く聞くと、しどろもどろで相手が答えた。
 その内容に、ムウは息を飲むと、「わかった。」とだけ答えた。
「悪いけど、一人で帰って。」
「ええ!?」
 電話を切るとそう、女に告げて、ここでタクシーを止めるように運転手に言う。持っていたタクシーチケットを女に渡して男は車を降りた。
「ちょっと!?」
「悪い。俺、用事が出来たら。」
「はあ!?」
 分からない、という顔の女に、ムウはふっと笑うと「おやすみ〜。」とひらひらと手を振って、歩道を一気に走り出した。

 タクシーは拾わなくて済む。電車にも乗らなくていいだろう。

 幸いなことに、ここは目的の場所に程近い場所だったから。





 もう帰りましょう、と告げられてタクシーに乗った時には、マリューは既にいい感じに酔っ払っていた。
 ダコスタはダコスタで、一滴も飲んでいない。
 彼女に薦めるだけ進めて、自分は素面でいようと、彼女に誘われた時に咄嗟に心に決めたのだ。
 それに、マリューがトイレに立った隙に、彼女の電話で掛けた相手に、自分が酔っ払っていたら、いらぬ誤解を受けそうな気もしたし。
 車はマリューのマンションの前で静かに止まり、うとうととしていたマリューは、促すダコスタに「お茶でも・・・・。」と腕を取った。
「そ、それは勘弁して下さいよ、マリューさん。」
「どうして・・・・?」
「俺、ムウさんに殺されたくないですから。」
 それに、マリューが半分車から降りながらむっと彼を睨んだ。
「なんでここにムウの名前が出てくるのよう・・・・・・。」
 ぶう、と頬を膨らませる彼女に、ダコスタは何かを言いかけ、それからぱっと口をつぐんだ。
「ダコスタさん?」
 よろけてたたらを踏んだマリューが、車の屋根に手を付いて中を覗き込む。ダコスタが、気まずそうな笑顔を見せた瞬間。
「何やってるんだよ。」
 後ろからいきなり抱きすくめられてしまった。
「!?」
 振り返ると、冷たい空色の瞳がマリューを射抜いていた。
「じゃあ、僕はこれで・・・・・。」
 あたふたと宣言し、運転手が閉めるよりも先に、ダコスタが自分でドアを閉めにかかった。
「じゃあ、マリューさん、おやすみなさい!」
「ちょ・・・・・・ダコスタさん!?」
 ばたん、と閉まった扉に、マリューは思わず近寄りかけるが、それをムウの腕が許さない。
「・・・・・・・・・・放して。」
 俯いたまま言う。屋根からマリューが手を放した瞬間に車は走り出し、彼女はぎゅっと唇を噛んだ。
「放して。」
「・・・・・・・・・・・・。」
 無言のまま、ムウはマリューをひょいっと横抱きに抱き上げた。
「ちょっ?!」
 暴れる彼女を無視して、ムウはエレベーターに乗り込んだ。


 頑なにキーを差し出さないマリューに業を煮やしたムウが、彼女をドアに押し付けて口付ける。必死に逃れようと抵抗するマリューを抑えて、ムウは彼女の鞄から器用に鍵を取り出すとドアを開けて、そのまま雪崩れ込んだ。
 玄関前の廊下に倒され、マリューが首を振って拒絶する。だが、ムウは構わずに、口付けを切り替えて、深く深く彼女の口腔を犯していった。

 力を奪い取られ、朦朧とする意識の中に、理不尽だ、という感情が溢れてくる。
 気付くとマリューは思いっきりムウの唇を噛んでいた。
「っ!?」
「大ッ嫌いっ!」
 ひるんだムウを押しやって、マリューは大急ぎで逃げるとリビングのドアを閉めて手で押さえつけた。
 曇りガラスが数枚はめ込まれているそこに、ムウの姿がぼんやりと浮かんだ。
「マリュー・・・・・・。」
「大ッ嫌いっ!こないで!帰ってっ!!」



 待っていたのに。
 寒い冬の夜に。
 貴方を待って。
 ずっとずっと待って。

 なのに。



「マリュー、あれは」
「何?新しい恋人ですか?それともセフレ?ああ、仕事上でも楽しそうでしたもの。お似合いでっ」
 声が掠れて震えるが、マリューは頑張って言葉を繋いだ。
「やっぱり・・・・・・ああいう方がいいんですよね!?」

 ばんっ、とドアを叩く音がして、びく、とマリューが身体を強張らせた。

「・・・・・・・・本気で言ってるのか?」
「そうだといったら?」

 ぐいっと顔を上げて、マリューは涙の滲んだ眼を、曇り硝子の向こうを透かし見るように細めた。

「どうせそうなんでしょ!?」



 だって私には、電話もメールもくれなかったですものね。



 俯いた拍子に、ぽたりと自分の目から涙が溢れて、マリューは慌ててそれを拭った。その一瞬の隙を突いて、ムウが強引に扉を押す。
 あっと思った時には踏み込んだムウに、きつく腕をつかまれていた。
「やだっ・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・。」
 掴み上げられて、マリューが痛さに身をしならせる。そのままムウは寝室まで彼女を連行してベッドに押し倒した。
「や・・・・・・・。」
 伸しかかる重みに、マリューは抵抗しようと足を蹴り上げるが、逆に両足を押しやられてしまう。
「やだ・・・・・・ムウっ!」
 手をベッドに押さえつけられて、必死に顔を背けるが、それも虚しく口付けられる。乱暴な口付けに、マリューは再度彼の唇の噛みついた。
「っ・・・・・・。」
「!?」
 だが、相手は少し離れただけで口付けを続け、舌に血の味がして、一気にマリューは後悔した。
 もう、噛み付こうという気にはならない。
「ふっ・・・・・・・。」
 目を閉じると、情けなくて涙が出てきた。頬を転がり落ちるそれに、そっと目を開けたムウが気付き、顔を離した。
「もう・・・・・・やめてくださ・・・・・・・。」
 小さく震える彼女を見下ろして、ムウはきつくきつく彼女の手を握り締めた。
「痛っ・・・・・。」
「じゃあ、どうすればいい?」
 低い声でムウが言い、まだ自分を見ないマリューの首筋に顔を埋めた。
「ダコスタのヤロウを殴ればよかったか?」
「馬鹿な事言わないで下さいっ!」
「なら、あの女を傷つければ気がすむ?」
「違いますっ!」
「じゃあっ」
 力いっぱい握った拳に、マリューが顔を歪める。その耳元にムウは搾り出すように告げた。
「どうすれば君に許してもらえる?」
 はっと目を開けて、マリューは首を捻った。頬に、ムウの硬めの金髪が当たった。
「ムウ・・・・・・。」
「時間は戻せないし、謝ったって君に許してもらえるとは思えない。」
 そっと顔を上げたムウが自分を見下ろしている。
「でもっ」
 熱っぽい眼差しに、マリューは息を飲んだ。
「それと同時に・・・・・・腹が立って仕方ない。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「マリューが他の野郎と一緒に居るのが我慢できない。」



 そんなことするマリューが許せない。
 「あれ」を見た瞬間に、身体の奥に火がついて、マリューを抱くのは自分だと抑制が利かなくなる。



「欲しくて仕方ないのに・・・・・・君に拒絶されるのなら、無理やりするしかないだろ?」
「や・・・・・・。」
 首筋に噛み付かれて、マリューは身をひねった。
「大人しくしてて・・・・・・。」
「いやっ!私は許したわけじゃない!だから・・・・やあっ!」

 抗議の声は血の味のキスに遮られて。

 深い淵を前に、ただ落ちていくしか出来なかった。





 彼女の声も。身体も。手足も。肌も。温度ですら、誰にも渡したくない。

 狂っているというのなら、そうなのかもしれない。

 嫉妬・独占・束縛・占有。

 そんなろくでもない思いが、他のモラルよりも有利に働くのだから、仕方ない。


 それくらいに、マリューを『愛している』。




 口付けながら、ムウは彼女のコートを脱がせて、ジャケットのボタンを外し、ブラウスを押し上げた。現れた柔らかい塊を、ブラジャーごと急かす様に手で掴む。口付けで力の抜けていたマリューが、びくりと体を強張らせるのが分かった。
「あ・・・・・やぁ・・・・・・。」
 かすかな、涙の混じる声に背中が震える。そのまま、ブラジャーをずり上げて、白い塊に唇を寄せた。
「ふっ・・・・・あ・・・・・・んっ」
 先端を舌で弄び、指先で擦ると、マリューが喉を逸らし一際高い声が漏れる。それに気付いて、唇を噛む彼女が可愛くて、ムウは執拗に白くて柔らかい塊を愛し続けた。
「胸、」
 くにゅ、とその弾力を確かめて、彼が目を細める。
「気持ち良いの?」
「ちが・・・・・っ」
 奥歯を噛み締めた彼女が、頭を上げてムウを睨む。それに、ムウはふっと小さく笑うと優しくゆっくりと捏ね始めた。
「あっ・・・・・やめて・・・・・ムウっ」
 胸元にキスを繰り返し、硬くなる先端に舌を絡める。両手で柔らかさを堪能していると、切れ切れな喘ぎ声が響いてきた。
「何をやめて欲しいの?」
 彼女の耳元に顔を寄せて、耳朶をかみながら聞けば、「触らないでっ」と掠れた声が答えた。
「どうして?」
 胸元で遊んでいた片手が、マリューのわき腹を撫でる。ぞくっと背筋に走った刺激に、マリューが身をくねらせて涙目で恋人を睨んだ。
「他の女・・・・・・抱いた手で触れないでっ」
「・・・・・・・・・・・抱いてないよ。」
「じゃあ、なんで連絡、くれなかったのっ!?」
 顔をずらして、ムウは彼女の細い首に口付ける。それは顎の下を通り、鎖骨を通り、胸の間へと降り注いでいく。
「ゴメン。」
 ちゅ、と頂に口付け、ムウは先を咥えた。
「悪かった。」
 手が、腰を掴み、マリューは慌てて足を閉じる。スカートのホックを外して、ムウが器用にスカートと下着類を脱がしにかかった。
「やっ・・・・・・悪いと思ってるなら、やめて!」
 至極当然なマリューの反論に、ムウは彼女を見下ろして笑う。
「でも俺、どうしてもマリューが欲しい。」
「っあっ!?」
 足を割って、中心に顔を埋めるムウに、マリューが喉を逸らして首を振った。
「や・・・・・・いやあっ!」
「そう?濡れてるけど?」
 濡れて暖かいそこに指を滑らせて、優しく舌を這わせる。シーツを握り締めたマリューの、開かされた足ががくんと動いた。
「はあっ・・・・あっ・・・・・んう」
 濡れた音が響き、指先と舌で彼女の体を開かせていた男は、中心に指を滑らせた。
「はああんっ」
 意地悪く弄び、息の上がる彼女にのしかかって、その吐息を飲み込むように口付けた。
「なあ。」
 浅い呼吸を繰り返すマリューの、涙の滲んだ目尻に唇を寄せる。
「許してよ。」
「だれっ・・・・がっ」
「じゃないと俺、このままマリューのこと、ゴーカンしちゃいそう。」
「い・・・・・までも十分に・・・・っあっ!」
 敏感な部分をいじっていた指を、つと、濡れて開いた場所に突き立てられ、マリューが奥歯を噛み締めた。
「なあ・・・・・・。」
「あっあっあっ・・・・・・や・・・・・。」
「頑固。」
 抜き差しを繰り返しながら、指を増やす。咎めるような内部を攻め立てて、溶かしていく。
「なあ、マリュー。」
 口付け、深く舌を絡める。
「いや・・・・・・・よ・・・・許さな・・・・・・。」
 口付けながら、ムウは自分が着ているものを脱いで行く。十分に濡れたそこから指を引き抜き、濡れたままの指を咥えて彼女を見下ろした。
「じゃあ、我慢して。」
「っ」
逃れるように身体を捻った彼女を、あっさりうつ伏せにして、ムウは腰に手を添えると、開いて洪水を起こしているそこに、自身をあてがった。
「んっ・・・・・・んんっ」
 何度か馴染ませるようにこすり付けて、それから、中心に一気に押し入れる。
「あっ・・・・はあああんんっ」
「すっげ・・・・・・マリューだって感じてるんじゃん。」
 くすっと笑って、多少しかない抵抗力を気にせず、腰を押し進める。呆気なく奥まで挿入ってしまって、彼は笑みを敷いた。
「どう?嫌な男に抱かれる気分。」
 からかうように言われて、耳まで赤くなったマリューが振り返ってムウを睨んだ。
「嫌・・・・・・んあっ」
「何?」
「きらい・・・・・・・ですっ・・・・・・」
「ん〜?」
 動かし、ゆっくりと彼女を追い詰めながら、ムウは手を伸ばして胸を掴む。そのままぐいっと後ろに倒れこんでマリューの足を抱え込んだ。
「やあっ!」
「そう?」
 突き上げるように動かされて、マリューの意識が快楽の淵へと追い詰められて行く。
「・・・っ・・・・・ムウなんか嫌いですっ」
「じゃあ、どうすれば許してくれるのさ。」
 ふと動くのをやめて、寄りかかる彼女を、抱きしめた。
「・・・・・・・・・・・・。」
「マリューさん?」
「・・・・・・・・・・・。」
 何も言わず、ぎゅっと目を閉じる彼女に、男は小さく溜息を付いた。
「分かった。」
 そのまま、彼女を放して、ムウは身体から抜くとくたり、とシーツの上に伏せる彼女に目を細めた。
「これでいい?」
 熱っぽい目が、ムウを捉えて、女はよろめくように身体を起こした。視線が絡み、マリューは俯くと顔にかかった髪の毛をかきあげて、はだけたままのブラウスに指を掛けた。
「マリュ・・・・・・・。」
 そのまま、彼女はそれを脱ぎ捨てると、下着も全部脱いで床に落とし、ベッドの上に座ったままムウを見上げた。
「何の跡も無いでしょ?」
 白肌に、ムウが目を見張る。桜色が似合う白。
「私は・・・・・・ダコスタさんと何もなかったわ。」
 ただ、貴方が来なかったから、一緒に映画を観てご飯を食べただけ。
 震える声でそう告げると、マリューは少しだけ目を伏せて、それからベッドの端に座るムウを見た。
「貴方は?」
「・・・・・・・・・・・・。」
 ベッドを軋ませて、ムウが彼女の側に寄ると、彼女の手を掴んで自分の胸元に押し付けた。
「どう?」
 身体を寄せたマリューが、首筋に顔を寄せて口付ける。
「っ」
「まずは一個。」
 素肌の、最中で止めた彼女の肌は信じられないくらい熱く、柔らかい。自分の身体を滑っていく柔らかい塊に、ムウは目を細めた。
「ん・・・・・ふっ・・・・・・。」
 ムウを押し倒し、マリューは望む場所に跡を残していく。
「おい?」
 下肢に顔を埋めるマリューに、ムウが身体を起こしかけるが、気にせずマリューは目を閉じたまま、ムウの太ももの内側辺りにキスマークを残して顔を上げた。
「・・・・・・・・・・・。」
 無言で頬を染めるマリューに、ムウは女の、そこにあるキスマークは聞いた事があるがなと、くっくと笑って彼女の頬に手を当てた。
「もういいのか?」
 起き上がって、聞く。
「いいわ。」
「背中に爪あとなんて、無いだろ?」
「ええ。」
「身体にキスマークでもあるか?」
「・・・・・・・・・・私のだけよ。」
「何もなかったよ。」
「・・・・・・・・・・・。」
 彼女の顎を持ち上げて、伏せる彼女にムウはすまなさそうに言った。
「本当にただ・・・・・・仕事が手一杯で・・・・・いや。どれもいいわけだよな。」
 ゴメン。

 口付けを落とし、ふわっと抱きしめられ、マリューは手を伸ばすとムウの首筋に腕を絡めた。

「二度目は許しませんから。」
「ん・・・・・・骨に刻んでおく。」




 濡れた音が、真っ暗な寝室に響き、彼女の中に再び挿入ると、ゆっくりと動かす。今度は気持ち良さそうに、素直にマリューが声をあげ、すがるように掴んだ手に応えて、力を込めた。
「他の奴にさ・・・・・・。」
 緩く腰を動かして、あわせようとするマリューにムウは低く告げた。
「こんなマリュー、見せたく無いし。」
「・・・・・・・・・っあ・・・・・んっ・・・・・・。」
「ていうか・・・・・どんなマリューも見せたくないってのが・・・・本音。」

 本当に本当に、愛してるんだよ。

「あはっ・・・・・はあっ・・・・ッ」
 潤んだ瞳にぶつかり、ムウは微かに笑った。
「可愛すぎて・・・・・困るよ、マリュー。」
 はあん、と声を漏らして、マリューは手を伸ばすとムウの首にしがみ付く。きゅうっと締め付ける感触に、意識が飛びそうになった。
「私・・・・・・だって・・・・・・・。」
「ん・・・・・・。」
「・・・・・んな・・・・笑顔っ・・・・・・見せて欲しくな・・・・・・。」


 楽しそうに仕事をしないでとは言わないが、でも。
 お願いだから、私だけの貴方でいて。


「当たり前だろ?」
 耳元で嬌声を上げる女を、ぎゅっと抱き締めて、ムウは低く笑う。
「君が、どの女よりも一番有利なんだぜ?」
「ん・・・・・あ・・・・・・なん・・・・・・で?」
 くすっと笑い、足を持ち上げて奥深くに突きたてる。
「こんな風にしたくなる相手・・・・・・・。」

 ふあ、あ、あん。

 声をあげ、目を閉じる彼女。多分もう、快楽を追うので精一杯でムウの声は届いていないだろう。
 緩いものから激しいものへと切り替えて、ムウは身体を伏せるとマリューの唇に噛み付いた。


 こんな風に追い詰めたくなって。
 深いところまで知りたくなるのは。

 マリューしか居ないから。


 余裕なく追い詰め、ぎり、とシーツを握り締める彼女の頬に、首に口付ける。

「あっ・・・・・んっ・・・・んっう・・・・・んあぁっ――――。」
「っ・・・・・・・。」
 喉を逸らして声を上げるマリューに、ムウもまた、引き上げられて先へと上り詰めるのだった。





「あ・・・・・だめっ・・・・・。」
 腕の中に居る彼女の胸元に顔を埋めて、ムウはきつく肌を吸い上げる。ちゅ、と音を立てて離れた彼の唇の下から、濃い赤の花を見つけて、マリューは「もう!」と眉を上げた。
 なのに、彼はそんな声になど頓着せずに、再び顔を埋めて口付け始める。
「ちょ・・・・・ムウ!?」
 もぞもぞと上掛けの中を潜っていくムウに、マリューは慌てる。つ、とお腹の辺りを撫でられて、びくん、とマリューの身体が強張った。
「ムウっ!」
「いいじゃん、明日休みなんだし。」
「あっ・・・・・・。」
 お腹の辺りに口付け、マリューの身体に跡を残していく。
 やがて辿り着いたのは。
「ちょ!?」
 マリューの脚の柔らかい太ももの内側に舌を滑らせて、口付ける。
「あっ・・・・・・・・。」
 ふるっと彼女の身体が震え、ムウは満足げな笑みを浮かべて、所定の位置に戻ると首筋にキスをした。
「駄目っ!そこはっ」
「分かってるよ。」
 目立つところには残さないって。
 くすっと笑い、鈍い痛み走る全身を隠すようにして、ムウに寄り添う彼女の髪の毛を掬い上げた。
「でも、マリューになら、首でも鎖骨でも、見えそうなところに毎日でも跡、残してもらいたいかもな。」
 くすくす笑って、耳元に口付ける。
「そうすれば、変な女も寄ってこないだろうしさ。」
「普通逆じゃないんですか?」
 虫除けって。
 ぶつぶつ言い、どうせ私はモテませんよ〜、なんて唇を尖らせる彼女を、ムウは大事なものを護るように抱きしめた。
「モテなくていいよ。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「マリューの魅力に触れられるのは俺だけがいい。」
 そういう彼に、マリューはくるっと背中を向けると頬を膨らませた。
「私に選択権は無いんですね。」
「俺以外にいい男、いる?」
 後ろからしっかりと抱きしめて、ちうちうと肩の辺りに口付けるムウに、マリューはぽっと頬を赤くした。
「・・・・・・・・・卑怯。」
 俯く彼女に、ムウは抱きしめる腕に力を込めた。
「ん〜、なんかマリューさん可愛すぎて、俺、もっかいしたいかも〜。」
「え?ちょ・・・・・・だめぇっ!?」



 休日を前にした夜は、こうして、遅くまで甘い声と甘い時間で埋め尽くされるのであった。















59630(ご苦労様)ヒット御礼リクエスト企画

(2006/01/11)