占有
「あ、やば。」
告げてベッドから身体を起こす男に、女は「?」と顔をしかめた。
「何?」
「帰るわ。」
「はあ?」
起き上がり、その辺に放ってあった衣類を身に付けていく。
「ちょっと!」
上掛けを身体に巻きつけた女が、乱れた髪の毛をかきあげ、男を睨んだ。ウエーブの掛かった、長めの茶色の髪。
ふわり、と香水か何かの香りがするが、男はそれに構いもせずに、さっさと身支度を終えてしまった。
きっちり着込んだ背広とネクタイ。適当にその金髪を直しただけで、先ほどまでそこのベッドで寛いでいたようには見えなくなった。
「・・・・・・何なの?仕事?」
急ぎの仕事でもあるのだろうか。
女の不服そうな言葉に、振り返った男は「別に。」とだけ答えた。
「ただ、終電で帰ろうと思っただけだ。」
「はい!?」
それに、女が素っ頓狂な声を上げた。
終電、だと!?
「ちょっと・・・・ふざけないでよ!」
「別にふざけてないさ。タクシー拾って帰るの面倒だし。」
「そうじゃないわよ!」
怒鳴って、一糸纏わぬ姿でベッドから降り立った女が、少し身体を捻って見せた。
「風邪引くぞ。」
「そうじゃないでしょうがっ!!!」
真っ赤になって怒る女に、男はにやっと笑って見せた。
「今日は終り。後は他の『お友達』でも『彼氏』でも呼べばいいだろ?」
ホテル代は俺持ちなんだからさ。
「だから、そうじゃないって言ってるでしょ!?」
ふざけないで、と女は男の腕に手を伸ばす。
「一緒に出社して。」
「冗談。」
彼女の手を払い、男はドアへとさっさと向かう。と、出がけに振り返り、ニッコリと笑ってやった。
「俺と君はそういう関係じゃないだろ?」
「・・・・・・・・・・・・。」
容姿端麗。仕事はできるほう。社内で彼に惹かれない女はいない・・・・そういっても過言ではない男を誘って、落とすことが出来たとそう、思っていた。
だが、実際はそうじゃない。
「じゃあな。」
ばたん、と閉まった扉に、ぎりっと女は歯噛みした。
深呼吸すると、夜の空気が気持ちよかった。
さっきまでまとわり付いていた香水の香りを払拭するように、何度も風を肺に送り込みながら、ふと喉が渇いたなとコンビニを探す。
眠らない街に、コンビニが無い方がおかしい。あっという間に駅前にそれを見つけて、彼は中へと入った。
白い灯が漏れる中は、結構、人が居た。駅前の、そして終電に間に合う時間ということでだろう。会社帰りの者や、一杯引っ掛けて帰ろうとしてる人で溢れている。
その中を縫うように歩き、飲み物が置いてある冷蔵庫の前まで来て、ふと彼は足を止めた。
一人の女性がドアの前に立ち、何かの飲み物二つを手にとって繁々と見詰めていた。
裏の成分表を見比べているらしい。
肩より少し長めの、栗色の髪が緩く波打っているその女性を、ムウは知っていた。
同じ職場の女性だ。
「ラミアスさん?」
「わっ!?」
振り返った彼女の褐色の瞳が、大きく見開かれるのを、ムウは笑顔で見た。
「フラガ・・・・さん?」
「何してんの?」
「え?」
彼女は手に持っていた栄養ドリンクに目を落とし、苦笑した。
「ええ・・・・・あの・・・・これとこれ、値段が全然違うんですよ。」
「うん。」
「それで、成分、何が違うのかなぁ・・・・と思って。」
「・・・・・・・・・・。」
「こっちにはほら、これが入ってるんですけど、こっちには入ってないんですよ。でも値段が全然違うし・・・・明日までに仕事片付けなくちゃならなくて・・・・こういうの、飲んだ方がいいのかなぁとか・・・・。」
「はあ・・・・・・。」
「どう思います?」
真っ直ぐに見詰められて、ムウは「え?」と戸惑った。
「ですから、どっちが身体にいいと思います?」
「・・・・・・・・・・・・。」
「やっぱり高いほうかなぁ・・・・。」
う〜〜〜ん、と一人で悩み始める彼女に、ムウは目を瞬くと、それなら、と提案をしてみた。
「どうせなら、こっちの方がいいんじゃないか?」
「え?」
ほい、と手渡されたのは、ゼリー状の栄養補助剤だった。高カロリーのもので、よくある10秒でエネルギーチャージ、とか謳われているものだ。
「仕事で食事、取る暇なくて・・・・ってことなんだろ?」
「・・・・・・・・・・。」
ぽん、と手渡されたそれに、彼女は「そうですね。」と笑顔を返した。
「なるほど・・・・・これ三個分と、安いの一個と同じ値段ですものね。なら、三個の方がお徳か。」
ありがとうございます。
にこっと笑って、彼女はパックを三つ、手にとるとウキウキとレジへ向かって行った。それをムウは満足げに見送る。
「っと、そうじゃないそうじゃない。」
我に返ると、彼は慌てて冷蔵庫から適当にお茶を一本とると、彼女を追いかけた。
「仕事、立て込んでるのか?」
並んでプラットホームに立ち、電車を待ちながら、マリューに聞いてみる。彼女は苦く笑った。
「少し、ミスしちゃいまして・・・・・。」
会議までに直さないと。
「それってこの次の?」
こっくりと女が頷いた。
マリュー・ラミアス、という人についてのムウの評価は、「出来る女」だった。まあ、たまに危なっかしいこともあるが、そつなく物事をこなすタイプだと思っている。
その彼女がミスでてんてこ舞いだなんて、珍しい。
「珍しいな。君がミスるなんて。」
それに、ちょっと彼女が苦笑するのを見て、男はぴんときた。
「あ、ひょっとして誰かのフォロー?」
「・・・・・・・・・・・今日はどうしても用事がある、って帰っちゃって。」
告げられた女の名に、ムウはぎくっと身体を強張らせた。
先ほどまで腕の中に居た女性の名前だからだ。
「仕事より彼氏、っていうのは・・・・女だから分かりますけど・・・・・。」
「ごめん。」
反射的にムウは謝っていた。それに、マリューが怪訝な顔をするから、慌てて誤魔化す。
「でもなら、別に君がカバーする事無いだろ。」
「どっちにしても迷惑するのは私ですから。」
しゃん、と背筋を伸ばした彼女が、線路の先を見る。電車のライトが、滑るように近づいてくるのが見えた。
「・・・・・・・・君は彼氏とかいないの?」
滑り込んできた列車の轟音と、アナウンスに紛れるか紛れないかくらいの声量で、ムウは訊ねてみた。乗り込み、あいている椅子に腰を下ろした彼女は、隣に座る男に、困ったように微笑んだ。
「それってセクハラ。」
「・・・・・・・そう?」
この話はお終い、とばかりに、ほう、と息を付くと、マリューはさっさと鞄から文庫本を取り出して読み始めてしまった。
「・・・・・・・・・・。」
こんな女、初めてかもしれない。
(変な女・・・・・・。)
何読んでるの?なんて訊けばまた、セクハラと認定されそうなので、ムウは少しだけ彼女に肩を寄せて電車の刻むリズムと、沈黙に身を委ねるのだった。
食堂で昼飯を取ろうとしていると、女が一人寄ってきた。昨日の彼女だ。
「ちょっと!なんで電話しても出なかったのよ。」
断りもせずに向かいに腰を下ろす女に、ムウははあっと溜息を付いた。
「お前、仕事くらいちゃんとしろよな。」
いわれて、思うところがあるのか、ぐっと女が詰まった。
「だって・・・・・ムウが誘ったんじゃない。」
「けどさ・・・・・。」
ふと入り口に視線を向けると、マリューが入ってくるのが見えた。咄嗟にこの状況はまずいと思う。
だが、ムウが席を移動しようとするより先に、マリューの方が彼を見つけてしまった。
「フラガさん。」
「あ・・・・・・なに?」
前に座る女が、ちょっと嫌そうな顔でマリューを見上げるのを、視界の端に捉える。だが、マリューはその女の様子に全然気付いていないようだった。
「これ。」
笑った彼女が差し出したのは、昨日、ムウが薦めた栄養補助剤だ。
「お礼です。結構お腹、すかないものですね。」
「あ・・・・・・だろ?」
「グレープフルーツ味ですけど・・・・よかったです?」
「ん。全然。さんきゅ。」
受け取り、ちらっと向かいの女性に目をやるが、彼女はマリューを睨むばかりでムウのほうに視線を投げもしない。
「それじゃ。」
言って、彼女はそこから離れていく。手にお弁当を持っているのを彼は見てしまった。そのまま食堂を出て行ってしまうから、今日はいい天気だし外で食べるのかな、と漠然と考える。
「ちょっとムウ!」
ぐい、と耳を引っ張られて、「ってぇな!」と彼は向かいの女を睨んだ。
「何見惚れてるのよ。」
「別にいいだろ。」
視線を落とした先には、食堂のランチセット。
マリューの持っていたお弁当と思わず比べてしまう。
「・・・・・・ラミアスさんって彼氏いるのか?」
「居ないんじゃない?」
それに、むっとした女が投げやりに答えた。ムウが顔を上げた。
「そうなの?」
「ああいう女って、頭っから男を馬鹿にしてるのよ。」
「・・・・・・・・・・・。」
「マリューとかナタルとか・・・仕事命って感じだから。」
悪意が滲んでいる。
恐らく彼女の主観的な意見だろう。
それでも、マリューに彼氏が居るわけではなさそうだ。
彼女が、あのお弁当を野郎と二人でだべるわけではないと分かり、ムウはほっと息を吐いた。、
「・・・・・・・で、そのお前は、昼どうすんの?」
「食べるに決まってるでしょ。」
立ち上がり、食堂のカウンターに向かう女を見ながら、ムウはこうも違うもんかねぇ、と溜息を漏らした。
仕事命、と評した彼女は当たっているかもしれないと、ムウは少し離れた、自分の後ろの席で、せっせと企画書やら資料やらをまとめているマリューを見て思う。
よく見るとスタイルが抜群にいい。
顔も可愛いし、ラインが柔らかくて、抱きしめたら気持ちが良さそうだ。
そのまま眺めていると、顔を上げた彼女と目が合った。
ちょっと目を見張った彼女は、にこっと笑ってまた画面に視線を戻す。
「・・・・・・・・・。」
椅子を回転させて自分の画面に向き合い、急にムウは落ち着かない気分になった。
あれだけ可愛い女性を、他の男が放っておくものだろうか?
(つか、今まで気づいてなかった俺も俺だよな・・・・・。)
何故気付かなかったのかといわれれば、多分、やぱりあの女が言っていた通り、「仕事命」という雰囲気からだろう。
実際、コンビニで話した時以外、彼女と会話をした事はあまりなかった。
「・・・・・・・・・・。」
擦り寄ってくる相手と、適当に付き合ってきた。それでいいのだと、どこかで思っていた。
恋愛、なんて面倒だし。
身体だけ、というのも都合が良かったし何よりお手軽だった。
(俺・・・・・ひょっとして面倒ごとに首、突っ込もうとしてる?)
キーボードをたたきながら、ムウは変な苛立ちを抑えきれない。急に、自分の中で、彼女への意識が膨らむような気がしてくるのだった。
「マリューさんって綺麗だよな。」
そんな会話が何故出たのか分からないが、同僚数名と飲み会に出席中のムウは、肩を強張らせた。
「そうか?」
もう一人が言うと、他の奴が口を挟んでくる。
「綺麗だよ〜。なんか近寄りがたいけどな。」
フラガはどう思う?
振られて、ムウは飲んでいたビールに視線を落とす。
「さあ。」
内心、動揺しているのだが、それをおくびにも出さない。
やっぱり、分かる奴には分かるよな・・・・・と、苦々しく思う。同時にこのままではまずい、と思い返して、ふと愕然とした。
(って・・・・何考えてるんだ、俺。)
例えば。
自分と関係のある女に、男が出来たとする。もしくは、誰かと付き合っている女と関係を持ったとする。だが、それについて、ムウは別に嫌だともなんとも思わない。
だが、マリューが別の男とベッドの中に居るのを想像すると、たまらなく嫌な気持ちになったのだ。
別名、嫉妬。
(マジかよ・・・・・。)
くーっとビールを飲みながら、不意に脳裏にドリンクのパックを差し出した彼女と、目が合った時に笑って見せた彼女の姿が思い浮かんだ。
どき、と胸が騒いで、ムウは困惑する。
彼女の笑顔をもっと見てみたい。
彼女を抱きしめてみたい。
彼女を喘がせて、もっとと言わせてみたい。
その唇を塞いでしまいたい。
彼女を、自分一人が占有してしまいたい。
「ま、でもお前らには彼女は落とせないんじゃないのか?」
いつの間にか、ムウの口からそんな言葉が出ていた。それに、その場にいた唯一の後輩が、息を飲むのに彼は気付かなかった。
彼女をここ何日か煩わせていた会議も無事終り、人々が会議室から次々と吐き出されていく。
会議中、ちらちらとマリューを眺めていたムウだが、一向に視線が合わず、いくらかがっかりしていた。ぼんやり座っていると、人の波に取り残され、しかたなくムウは立ち上がった。
今日の天気は夕方から雨。今にも泣き出しそうな空が、真っ暗ななかにも見て取れる。と、ひらめく稲妻を見て、彼は眉を寄せた。
今日はこれで仕事は終り。早く帰らないと、と振り返った瞬間、轟音が辺りの空気を劈き、まぶしい光が窓ガラスを射った。会議室の電気が落ちる。
「あ。」
小さな声が聞こえて、ムウははっと室内を見渡した。かたん、と音を立てて閉まった扉。そして、中に自分ともう一人だけが取り残されているのに気付く。
暗闇に目が慣れると、動いている頭が見えた。近づき、どきりとする。ふわっと石鹸のいい香りが漂ってきた。
つま先に何かが触れて、屈んで拾うと、それは先ほど会議で配られた資料のようだった。
鼓動が跳ね上がった。
この資料の管理をしていたのは、確かマリューのはずだ。
暗闇では誰か分からない。分からないが、資料を拾い、その人物に近寄ると、ムウは低く、聞こえるか聞こえないかくらいの声量で声を掛けた。
「大丈夫か?」
窓を、光が射る。闇に沈んだ室内にさした、銀色の光が、彼の側に立つ女を、鮮やかに浮き上がらせた。
頼りなげな顔をした彼女が、一瞬で瞼に焼きつく。
再び落ちた暗闇の中で、彼女の声が近くで聞こえた。
「あ・・・・・はい。スイマセン。」
差し出す書類を、彼女が取る。
香水なんかじゃない、甘い香り。
シャンプーだろうか?それとも石鹸だろうか・・・・。
彼女が動くと、ふわっと甘い香りが立ち、ムウの中にあった理性を力いっぱい揺さぶった。
この女を、他の男が抱くのか?
自分以外の人間が?
胸の奥に灯った火が、徐々に身体を焼いていく。
咄嗟に、彼は引っ込めようとしていたマリューの細い手首を掴んでいた。
細くて柔らかい感触が、掌にクリアーに伝わる。親指と中指で作る輪に、すっぽりと収まる彼女の手首。
「あの・・・・・・・。」
躊躇いがちの声が聞こえ、再びの雷光がマリューを彩る。目を丸くして顔を上げる彼女の、その上目遣いが、こびているのでもなければ、咎めているのでもなく、ただ、本当に不思議そうにムウを見上げていたから。
「・・・・・・・君・・・・・・・。」
ムウの占有意識を刺激するには十分だった。
俺の思いも何も、知らないというのなら、教えてやるよ。
もう二度と、そんな顔で見上げる事が出来なくなるくらい、自分を彼女に刻み付けてやりたい。
引き寄せて、強く強く抱きしめる。
「え?」
困惑した声が、ムウの耳朶を打ち、それすらも苛立たしい。
「ふ、フラガさん!?」
頼むから、俺を挑発しないでくれ・・・・・。
慌てて押しのける仕草すら、感情を煽る。
「やぁ・・・・・・。」
逃れるようにもがく彼女の唇を、彼は思いっきり塞いでいた。
「ん・・・・・・・ぅ・・・・・。」
角度を変え、噛み付くたびに、声が漏れる。もっと深く、と頭に手を添えると、彼女が耐えられずムウの肩にしがみ付いた。
ばさばさと音を立てて、彼女が手にしていた冊子が落ちた。
彼女の腰に手をまわして、身体を入れ替える。抱き寄せたまま、半歩下がると、丁度ドアに手が当たったので、そのままロックを掛けた。
「ふ・・・・・うんっ・・・・・。」
ぎゅっと目を閉じた彼女を、押しやり、腰の高さの机に押し倒す。
「あっ・・・・フラ・・ガさ・・・・。」
漏れる声を全部奪うように口付けを続行し、彼女を押し上げた。
「や・・・・やだ・・・・・やめっ・・・・・。」
着ていた彼女のスーツの、上着の前を開き、ブラウスのボタンを外す。
「やあっ・・・・・。」
彼女の手を押さえ込み、ムウは、彼女のスカートのポケットからハンカチを引きずり出すと口の中に押し込んだ。
「んううっ!」
轟音にも似た雷鳴が、部屋の空気を震わせる。
くぐもった抗議の声すら飲み込むそれに感謝しながら、ムウは彼女のブラジャーを押し上げると、柔らかい塊に唇を寄せた。
「ん・・・・・ふっ・・・・・。」
先端を指で掠めたり、弄んだりしながら、柔らかい塊を愛していく。首筋に口付け、舌を這わせると、ふるっと彼女の身体が震えた。
「首・・・・弱いの?」
くすっと笑いながら訊けば、涙目で睨まれた。
「可愛い・・・・・。」
ちゅっと口付け、もういいだろうと、手を外す。甘い刺激に溶かされた彼女の身体に、更に刺激を与えつつ、足の付け根に指を滑らせた。
「んんんぅ!?」
びくん、と体を強張らせる彼女に気をよくして、舌を絡めると、甘い声が漏れてきた。
「ふう・・・・・ん・・・・んぅっ」
濡れてくるそこに指を沈めて、首を振る彼女の口から、ハンカチを抜いてやる。
「ふあ・・・・あっ・・・・あああっ」
責める様な瞳が、ムウを捉え、くすっと笑うと彼は彼女に口付けた。
「はあ・・・・っあ・・・・ん・・・・。」
足を広げて、ムウは濡れた音を立てるそこに、自身を押し付ける。
「やあ・・・・や・・・・」
顔を背ける彼女に無理やり口付け、徐々に押し行っていった。
「っ・・・・・・。」
内部の熱さに、笑みを敷き、彼は彼女の中を満たしていく。
「ふあ・・・・・あ・・・・・あ・・・・ああっ」
嬌声が上がり、ムウは残っていた理性すら手放して、マリューをひたすら追い詰め始めた。
突き動かすたびに、甘い声と、濡れた音、机の揺れる音が会議室に響いていく。だが、それよりも、叩き付けるように降りだした雨が窓に当たる音と、雷鳴が大きく響いた。
「マリューさん?」
「あっ・・・・んぅ・・・・んっ」
手をあげ、自らムウに抱きついてくるマリューにムウは眼を細めた。
今だけでもいい。
こんな彼女を、今、自分が独り占めしている・・・・それだけでいい。
「マリュー。」
耳元で囁くと、彼女の身体が震え、中が反応するのを、感じた。
「マリュー・・・・・。」
「んあ・・・・・あ・・・・・あはぁあっ」
「っ・・・・・。」
啼く彼女をしっかりと抱きしめて、ムウは彼女を高みにまで追いやると、きつく締め上げる彼女の中に、熱を放つのだった。
「ほら。」
「あ・・・・・はい。」
土砂降りの雨の中、ムウは会社を出るとタクシーを捕まえて、マリューを押し込めた。
「・・・・・・・・・。」
火照った顔の彼女を、乗り込んだ後部座席で抱き寄せる。微かに強張った彼女に、そっとムウは囁いた。
「もう何もしないって。」
かあっと赤くなる顔が可愛らしい。
肩を抱いたまま、沈黙の中に身を委ねる。暫くして、マリューが告げた駅前で車が止まった。
「ここでいいのか?」
「はい。」
お金・・・・と口にする彼女に、ムウはキスをした。
「これで十分。」
「・・・・・・・・・。」
潤んだ瞳に、ムウは笑って見せた。持っていた自分の傘を手渡す。
「ほら。」
「でも・・・・・。」
「俺はマンションまで乗せてってもらうからさ?」
言外に咎められているような気がして、マリューは気まずそうな顔をした。
「じゃあ、また。」
降りようとする女を、もう一度引き寄せて唇を塞ぎ、真っ赤になった彼女に笑って見せた。
「・・・・・・はい。」
降りる彼女。
閉まる扉。
動き出した窓の向こうに、ぽつんと佇むマリューを振り返り、ムウは溜息を付いた。
もう戻れない気がする。
腕に残る彼女の柔らかい感触。
(彼女に刻んでやろうと思ったんだけどな・・・・・。)
逆に刻まれた彼女の感触に、ムウは唇を噛んだ。
どうしても、本気で手に入れたくなってきた。
彼女を。
マリューを落としたくて、ダメもとで誘ってみると、意外なことに彼女は応じてくれた。恨まれるか、もしくは訴えられるかと思っていた相手と、食事をしながら、ムウはふとまるで夢のようだとガラにもなく思ってしまった。
目の前でにっこりと笑って自分を見詰めてくる彼女が、本当に愛しくて、手放したくなくて、二人きりの部屋で何度も何度も彼女を抱きしめた。
でも、いくら彼女を抱き寄せ、喘がせても満たされない。
何故なのだろう?
ふと、身体を繋いで何度目かの夜、眠る彼女を腕に閉じ込めながらムウは、最中に考え事をしていたマリューを思い出した。
ひょっとして彼女には、誰か想っている相手がいるのではないのだろうか?
「っ・・・・・・・。」
そんな思いが急に胸の奥から込み上げてきて、ムウは慌てて彼女を抱きしめた。微かに、マリューが身じろぎし、胸の辺りにある顔が、動くのを感じた。
「フラガ・・・・さん?」
額やら頬やらにちゅうちゅうと口付けるムウに、マリューがくすっと笑みを漏らした。
「何?どうしたんです?」
ころっと寝返りを打って、ムウは彼女を組み敷くと、本気でキスをし始めた。
「ん・・・・・・。」
舌を絡めると、マリューが応えてきた。
こんな事を、他の奴とするのかと思うと、我慢できない。
「ふ・・・・・・。」
あ・・・・・・。
シーツの海に溺れる彼女の身体を、請うように愛していく。
これではダメだ。
彼女の嬌声を訊きながら、ムウは思う。
こんな関係ではなくて、彼女の隣に。
たった一つだけ許されたそこに、自分が立たなければ気がすまないと。
だって自分はもう、彼女以外に「こういう事」をしたいという気にならないのだから。
「話って何?」
会社から電車で一駅分離れた所にあるレストランに一人の女性を連れてきたムウは、深呼吸をした。
相手は同じ会社の受付嬢である。彼女との付き合いは・・・・まあ、長いほうかもしれない。
向かいに座る彼女は、確かに美人だった。ストレートのブロンドに、深い藍色の瞳。卵形の顔に、パッチリした目の持ち主だ。
すべすべのお肌が自慢の、彼女の感触を思い出して、しかし、もうどうとも思わないことにムウは苦笑した。
「あのさ。携帯、替えたんだよね。」
「?」
「番号変わったからさ。」
そう言って、ムウは右手を差し出す。それに、女はくすっと笑った。
「何?入れてくれるの?」
にこっと笑って見せると、ふふ、と声を漏らして女は携帯を取り出すと、彼の電話番号を、アドレス帳から引き出した。
「はい。」
その画面を開いたまま、ムウに差し出す。
「ん。」
次の瞬間、ムウは自分の携帯番号をおもいっきり削除した。
「ちょっと!」
返された携帯の、アドレス。そこからムウの名前が消えているのに、女は眼を丸くする。
「どういうこと?」
腕を組んで睨まれ、ムウはやっぱり笑顔のまま告げる。
「お別れって事。」
「・・・・・・・・・。」
「まあ、別に始まってもいないし、都合のいい関係の相手だったんだからさ。でも、そういうのも無しな。」
運ばれてきた料理に手を付けるムウに、女は「ちょっと。」と声を荒げる。
「どういうこと?あたしは納得しないわよ。」
「いいだろ?俺以外に相手、いくらでも居るだろうが。」
鳥の腿を、赤ワインで煮込んだメインディッシュを切り分けて、もくもくと口に運ぶムウに、女は眉を吊り上げた。
「・・・・そう・・・・だけど。」
「これ、食べたら帰るから、俺。」
「はあ!?」
くーっとワインを飲む男に、女は唇を噛む。
「嫌よ。」
自分の手元の料理を切り分ける女の声は、どこか媚びていた。
「離れない。」
「お〜い、いつから俺とお前はそんな関係になったんだ?」
「いつからって・・・・。」
顔を上げる女に、ムウは笑顔を返した。
「そういやさ、某部署の部長殿とは上手く行ってるのか?」
それに、女の顔が凍りついた。
「は?」
「俺と同期、なんだけどさ。ま〜、のし上がる手腕だけは一流で。」
あんまりいい噂は聞かないけどな。
「・・・・・・・知ってたの?」
「知ってたの〜。」
それから、にやっと笑ってみせる。
「お互いのためにも、ということで。」
「・・・・・・・・・アイツ。」
もくもくと食事を続けるムウに、女は精一杯続ける。
「下手なのよ。」
「ふ〜ん。」
「だから、」
「あのさぁ。」
呆れたようにムウは切り出した。
「君の価値観がどこにあるのかなんて、俺が言えたもんじゃねぇけどさ。」
そういえば、マリューとはこんな話、こんな所でしなかったなと、ムウは頭の隅の方で思い返す。
「そういうのに、飽き飽きしたから、切り出したんだけど。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
ぎゅっと膝の上で手を握り締めた女を、ムウは泣き落としモードか、と冷静に分析する。
「だって私・・・・・あなたを一番に愛してるのよ?」
「悪いが俺の一番は君じゃない。」
それに、そんな言葉を初めて聞いたと言いたげに、女が大きく大きく目を見開くから、ムウは吹き出したくなるのを懸命に堪えた。
「な・・・・・・。」
肩が震えている。
ふ〜ん・・・・・俺のこと、落としたと思ってたわけだ。
「じゃ、そういうことで。」
これ以上話していても面倒なので、料理がまだ残っているのが残念だったが、ムウは席を立った。
「ごゆっくり。」
真っ赤になって震える女を残し、ムウは店を出た。気分はあまりいいものじゃない。
そんなのが後何人残っているのか・・・考えただけで頭が痛い。それもこれも、後腐れなく付き合おうとした罰だろうか。
(マリュー・・・・・・。)
鞄の中の携帯を取り出し、掛けたい気に駆られる。
だが、まだダメだ。
「・・・・・・・・・・・。」
空は雲って星も見えない。全てに決着をつけて、彼女に逢いに行く時は、キレイな月がみえればいいなと、そんな事を思ってしまうのだった。
それからそんな風に、付き合いのあった女性一人一人の携帯からアドレスを消し、泣かれたり引き止めようと、あの手この手をくらったり、喚いたりをかわして整理をつけると、晴れてムウはマリューの元へと顔を出した。
とにかく今すぐ会いたくて。
最後の、全然人の話を聞かない、我儘を「売り」にしている女を振り切って、ムウは前から調べていたマリューのマンションへとやって来ていた。
オートロックのインターフォンを押しても出ないので、外出中かと外で待つ。
見上げた空には、ほっそりと痩せた月が掛かっていた。
(綺麗というか、儚いというか・・・・・・。)
見上げて苦笑し、それから視線を通りに戻す。と、街灯の下に立ち尽くすマリューを見つけ、ムウはほっと息を吐いた。
なんといっても、二人だけで会うのは二週間ぶりなのだ。
なんとなく・・・・嬉しい。
「お帰り。」
「・・・・・・・・・・・。」
酷く困惑した表情が、可愛くて、ムウはいくらか強引に彼女を抱き寄せた。
首筋に顔を埋めると、あの、甘い香りがふわりと漂ってきて、くすぐったくなる。ぎゅうっと抱きしめたまま、放したくない。
腕に馴染む柔らかさが、心地よかった。
「あ〜・・・・・マリューの感触だ・・・・。」
久しぶりで気持ち良い〜。
調子に乗って、ちゅうちゅうと首筋に口付けていると、慌てた彼女が、胸の辺りを押しやった。
「ちょ・・・止めてください・・・・・。」
か細い声が、胸元に響く。
「やめない。」
そんな抵抗も可愛くて仕方が無い。
「だ・・・・・駄目です、こんな、」
しどろもどろで言い募る彼女に、ムウは意地悪く囁いた。
「じゃあ、中に入れて?」
にこっと笑うと、彼女はぐいっと顔を上げる。
「あの・・・・・・。」
「ん?」
「へ・・・・・・・部屋に上げるのは、彼氏だけって決めてますんで。」
つきん、と胸が痛んだ。
でも、そんなことに構ってなどいられない。
「うん。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「だから、上げて?」
困ったように顔を俯け、真っ赤になるマリューをそっと抱きなおす。腰の辺りに来た腕に、微かに彼女が身じろぎした。
「で、ですから、部屋に上げれるのは」
「彼氏だけなんでしょ?」
畳み掛けるように呟くと、細い声が答えた。
「あ、あなたは・・・・・その・・・・・あの・・・・・・・・。」
彼氏じゃない。
そう、彼女は言うのだろうか。
そう、思っているのだろうか。
(・・・・・・・・・・・・・・。)
でも、そんな風には絶対に言わせたくなくて、ムウは自分から離れようともがく彼女に口付けた。
「違うんなら、そう言わなきゃ。」
言わないうちは信じない。
真っ直ぐに見詰めると、マリューは本当に困ったように、弱ったような顔をする。
それにすら、どきりとしながら、ムウは意地悪く続けた。
「ほら、マリュー?俺は、何?」
なんと言われても離す気は無い。でも、望む答え以外は聞きたくない。
「あ・・・・・なたは・・・・・・・。」
顔を上げたマリューの、言葉を奪うように、ムウは口付け、舌を絡めて、深く深くキスをする。思う存分口付け、彼女が自分に身体を預けるのを確認してから、ムウは身体を離した。
とろんとした目が、ムウを見上げている。
こうして、思考をまわらなくして、そして自分のモノにするのはどうなのだろうかとも、思うが、今のムウには、マリューを求めて加速する感情をとめることなど出来そうに無かった。
笑顔を見せる。
「続き・・・・・・したいでしょ?」
崩れ落ちる彼女に囁くと、微かに頬を染めて彼女が頷いた。
久々に抱いたマリューの感触に、理性が飛んでいく。激しく攻め立てながら、肩にしがみ付く彼女の嬌声に、更に煽られ、ただただ先を求めて追い詰めていく。
と、身体の下で切れ切れの吐息を繰り返していた彼女が、ぎゅっと爪を立てた。
「っ?」
走る鈍い痛みに、はっと彼女を見れば、彼女が歯を食いしばって、泣きそうな顔をしていた。その頬に舌を滑らせ、目尻をなぞる。びくん、と彼女の身体が強張った。
「何、また考え事?」
不意に彼女は、微かに目尻に涙をためた状態でムウを見上げた。
そこに混じる、咎めるような色合いに、どきりとムウの胸が不安に騒いだ。
「もう・・・・・止めてください・・・・・。」
掠れた声と同時に、マリューはムウの肩を押し返す。その仕草に、益々ムウの中で苦い感情が膨らんできた。目を細めて彼女を見下ろす。
濡れて、開いている彼女の身体。そこに繋がったまま、ムウは意地悪く言った。
「そうか?そんな感じはしないけど?」
「あはあぁあっ!?」
びくん、としなったマリューの身体。それに誘われて、先程よりも激しく攻め立てる。
誰の事を考えているのか。
誰を思っているのか。
そんなこと、知りたくもない。
「あ・・・・・・や・・・・やだ・・・・・やめてください・・・・・いやぁっ!!」
この二週間、ムウはマリューに連絡を取らなかった。その間に、彼女が何をしていたのか、プライベートな事を、ムウは全く知らなかった。
彼女から、連絡が有るわけでも無いし。
彼女を追い詰めながら、ムウは歯噛みする。
もしかしたら・・・・そう、もしかしたら、別の男と、こういう事をしていたのかもしれないのだ。
(くそ・・・・・・。)
「やめ・・・・・・止めて!あっ・・・・・んっ・・・・んーっ!!」
嫌がるのはどうしてだ?
俺じゃだめだから?
肩に噛み付かれる。でも、それすらも、ムウの中の、見えない彼女の気持ちへの嫉妬を煽って、彼女の全てを自分が支配したくて、激しく身体を打ちつける。マリューの目尻から涙がこぼれるのが見えたが、それすらも構っていられない。
そのまま、達し、震える身体を、ムウは抱き寄せる。途切れ途切れの吐息が、あたりの空気を振るわせた。
「嫌がってる割には、気持ち良さそうな声、だったな?」
耳元で、囁けば、嫌いだと言わんばかりに、彼女は首を振って枕に顔を埋めた。
そんなに、嫌だとそういうのか・・・・・・・?
涙を零して、肩を震わせる彼女に、ムウはやるせなくなる。
愛してると、心の底から、初めて思った。なのに、彼女は遠いところで泣くのだ。
「お〜い、なくなよ・・・・・まるで犯してるみたいだろうが?」
あえて茶化すように言わなければ、彼女の涙を受け止める自信がなかった。
(俺じゃ駄目なのか・・・・・・・?)
俺じゃ、マリューの隣に立つ事は許されないのだろうか?
それでも構わないという気持ちが、溢れてくる。
何でもいい。彼女を繋いでおきたい。側に居て欲しい。彼女を抱きしめて離したくない。
「・・・・・・・・・れそ・・・・・・。」
「ん?」
ぽつんと漏れた声に、ムウは柔らかく聞き返すと、うつぶせたままの彼女を抱き寄せた。
背中に口付ける。
そのまま、彼女の耳に舌を這わせると、彼女が微かに反応した。
絶対に離したくない。
「私・・・・・壊れそう・・・・・・。」
泣きそうなマリューの声に、はっとムウは目を見開いた。
「・・・・・・・・・・・。」
思う相手と自分の間で揺れているのだろうか?彼女は。
・・・・・・だったら、壊してやりたい。
何もかも。
彼女の抱えている大切な人を壊してでも、彼女を奪い取りたい。
「壊れてよ・・・・・・。」
そうすれば、君が手に入る。
囁くと、激しく睨まれた。でも、壊したいムウには通じない。彼女にキスを贈り、深いものへと切り替えていく。
そうやって、その夜、満たされない思いを満たそうと、何度も何度も彼女を抱いた。そのたびに彼女は抵抗し、自分の身体に跡が残る。
でも、それすらも、彼女からのものだと、ムウは甘んじて受け入れるのだった。
だが、その日を境に、彼女はムウを見なくなった。
(俺・・・・避けられてる?)
誘いも断られ、ようやく彼女を落とそうかと思っていた矢先の出来事で、ムウはやっぱりなと、胸の奥で考える。
やはり彼女には誰か、想う人が居るということなのだろう。
「・・・・・・・・・・・・・。」
彼女を見るたびに、苦しくなる、なんて俺はどこかのガキか?とムウは自嘲気味に思うが、耐えられない。
誰を想っているのか。
そればかりが胸を焦がし、諦めようとする心と、でもそうしきれない想いで揺れる。
マリューを見れば、そのまま抱きしめて、本当に、今度こそ壊してしまいそうで、ムウはなるべく彼女に関わらないようにした。
彼女が避けるのなら、仕方ないとそう思う。
でも・・・・・・だけど・・・・・・・。
イライラしたままの一週間が過ぎ、訪れた金曜日。
彼女と目が合わないのが、これほど辛いとは思わなかった。ただ抱きしめたくて、どうしようもない。
「・・・・・・・・・・。」
話がしたい。
と、意を決して振り返ると、慌てた彼女が席を立つのが見えた。時計を見れば、ジャストで就業時間だった。
「・・・・・・。」
後を追うように席を立ち、なんとか彼女の行き先を掴む。と、閉まる扉を見て、ムウはその場に凍り付いた。
先ほど後輩のキラ・ヤマトが、この資料室に用事があって席を立ったのを知っていたから。
そして、彼女の向かった先は資料室、であった。
想い人がキラ。
中で何が起きているのか、なんて考えたくもなかった。だからといって、その場を立ち去ることも出来ず、ムウはロッカーの前で彼女を待つように立ちすくんでいた。
胃が焼けるような時間が過ぎていく。苛立たしそうに髪をかきあげる。壁を殴りつけたくて、でも我慢する。
みっともないと分かっていても、耐えられそうに無い。
「・・・・・・・・。」
自分を見上げる彼女の瞳。頬に掛かった髪の毛。もたれかかる重みも覚えているのに、それを失いたくない。
どうしても、どうしても、どうしても。
なら、強引にでも無理やりにでも、奪ってやる・・・・・・。
かすかな靴音が廊下に響き、はっとムウは顔を上げた。
ぼんやりした表情のマリューが歩いてくる。そして、自分を姿を捉えると、その足が止まった。ひるむように、びくっと彼女の身体が強張り、後ろからやってきたキラが、はっと目を見張るのが見えた。
正直、二人が並んでいるのは辛かった。
いつの間にか、胸を焼く嫉妬のままに、ムウは口を開いていた。
「よお。二人仲良くどこに消えてたんだ?」
「え・・・・・・・・・。」
動揺するように、彼女の視線が彷徨う。それすらも、痛い。
「楽しかったか?」
責めるような声音が出る。それに、マリューがぐっとムウを睨んだ。
「やめてください。」
強張った彼女の声。それが、更にムウを追い詰めていく。
へえ・・・・・そんな風にいう仲なんだ。
大股で歩き、ムウから視線を逸らす女の腕を、彼は反射的に掴んでいた。
その細さと、肌の温もりに、がつん、と心が揺さぶられる。
「痛っ・・・・・。」
離したくない。
「ムウさん、変な想像しないでください。」
顔を俯けるマリューと、それを庇おうと、前に出るキラに、腹が立つ。
「マリューさん・・・・・。」
何を心配そうに・・・・・。
マリューの顔を覗き込むキラに、猛然と腹が立ち、ムウはぐっとマリューを引き寄せた。
「や・・・・・。」
バランスを崩した彼女を、しっかりと捕まえると、「放して・・・・。」ととがった声が返ってきた。
「ムウさん!」
絶対にお前なんかに渡さない。
マリューを取り返そうとするキラを、次の瞬間、ムウは軽く突き飛ばしていた。
そのままマリューを強引に引っ張る。
「ちょ・・・・・・キラくん!?」
背中をぶつけたキラを、マリューが心配するのが、我慢できない。
「フラガ・・・・・さん!?あれは酷いです!」
叫ばれる声が、苛立ちを煽る。ムウはイライラを全面に押し出して、マリューを引きずるように連れていく。
「それに、腕、痛いですから、放してください!!」
へえ・・・・・そこまでしてキラがいいんだ。
そう思うと、余計に彼女を放したくなくて、力がこもった。それに、マリューが眉を寄せる。
「いや・・・・・放して!!痛いですっ!!」
「嫌だ。」
「・・・・・・・セクハラです。」
「どっちが。」
「え?」
我慢できない。
彼女が自分を見てくれないのに、腹が立つ。
何で彼女が愛するのが俺じゃないのかと、子供じみた苛立ちが胸を焦がしていき、気付けばムウは、ぴたりと足を止めて、物凄く冷ややかな眼差しでマリューを見据えていた。
「何してたんだよ、あそこで。」
マリューの瞳が大きく見開かれ、ムウは唇を噛み締める。
それに、全身がどうしようもない嫉妬に犯されていく。
「ど〜せ俺には言えないような事なんだろ?」
苦しい。
そんな行為を、絶対に認められない。
「なんなら俺が言ってやろうか?」
凍りつく彼女の唇が震える。
「楽しかったか?キラとするの。」
聞きたいのは否定だけ。
それ以外は・・・・・俺が壊してやる。
何もかも。
彼女は一言も返してこない。ただ、顔を俯け、肩を震わせている。
「?」
無言の彼女に、ムウは顔をしかめた。
何か・・・・・・何か弁解でも何でもいい。
声が聞きたい。
「おい?」
その瞬間、がくん、と彼女の身体が重くなり、ムウははっとして慌ててマリューを支えなおした。
「おい!?」
抱き寄せると、蒼白の彼女の瞳が、みるみるうちに涙に染まるのが見えた。その目の焦点が、辺りを彷徨う。
ぞっとムウの背中が一気に寒くなった。
「マリュー!?おい!!」
揺さぶり、声を掛けるが、それも虚しくマリューの瞳が力なく伏せられた。
涙が、頬を転がり落ちる。
その涙の意味が、分からない。
彼女を抱えたまま、名前を叫ぶ彼の肩を、誰かが掴んだ。
「キラ!?」
「マリューさん!!」
大変だ、と蒼くなるキラに、ムウはタクシー呼んで来いと、怒鳴ると、彼女を抱え上げた。
「ムウさん!」
「極度の過労とストレス、だってさ。」
まだ昏々と眠る彼女を診察した医師は、そう告げた。眠り続けているのは、睡眠が足りていない所為だとも。
「そうですか・・・・・・。」
小さな診療所にとりあえず彼女を連れて行き、特に別状も無いということなので、ムウは彼女を抱き上げて、タクシーに乗り込む。
よほど疲れているのか、彼女は目を開けない。
ふと、二人を見送ろうとするキラに、ムウは眉を寄せた。
「乗ってかないのか?」
それに、キラは苦笑する。
「何故です?」
「何故って・・・・・・・。」
言葉を濁すムウに、キラはやれやれと笑って見せた。
「本当に僕とマリューさんの間で何かあったと、そう思うんですか?」
「・・・・・・・・・・。」
胡散臭げな顔をするムウに、キラは溜息をついた。
「マリューさん。泣いてましたよ?あなたを好きなのに、なのにあなたは自分の事を見てくれないって。」
「・・・・・・・・・・。」
それにムウが目を丸くする。
それは、どういうことだ?
「受付嬢と、一緒に居るところ、マリューさん、みちゃったそうですよ?」
彼の本命は彼女だと、そう言っていたとキラは苦く笑って見せると、ばたん、とタクシーの扉を自ら閉じた。
走り出す車に、自分のマンションの住所を告げて、ムウはそっとマリューに視線を戻す。
涙に濡れた頬が、痛々しかった。
「ゴメン・・・・・・・・。」
柔らかく、温かい塊を腕に抱きしめて、ムウはそっと呟いた。
「ゴメン・・・・・・マリュー・・・・・・・。」
連れ帰ったマリューに自分の部屋のベッドを提供し、お粥を作って戻ると、掠れた声を掛けられた。
「フラガ・・・・・さん・・・・・・。」
身体を起こそうとするのが、細く開いたドアから差し込む、リビングの明かりに切り取られて見えた。
「いいよ。それより、これ、食べて。」
その彼女を制し、手にしていたお盆を差し出す。
「お粥。ほら・・・・・。」
引っ張って彼女を起こし、ベッドに座ったムウは、食べやすいように彼女を抱きかかえた。
「サプリメントしか取ってなかっただろ。」
寄りかかる彼女の口元に、掬ったお粥を差しだし、吹いてやる。
「ほら。」
腕の中で身じろぎした彼女を、優しく促すと、熱そうにしながらも、大人しく食べ始めた。
「ここは・・・・・?」
きょろっと辺りを見渡す彼女に、そっと告げる。
「俺ん家。」
それに、微かにマリューの身体が震えた。思わず苦笑する。
「無茶しやがって。不眠不休で働いてたんだろ。」
「・・・・・・・・・・。」
そっと聞いてみる。
「・・・・・・・・・・・・俺の所為か?」
「違います。」
間髪いれずに答えられて、ムウは目を見張り、それからくすっと笑った。マリューが力いっぱいムウを睨んでくる。
「うぬぼれないで。私は・・・・・ただ仕事を・・・・・。」
告げる彼女を、見詰める。柔らかい頬が、じんわり赤く染まるのが見えた。
それだけで、知る。
うぬぼれていいのだと。
「そ。なら、ちゃんと体調管理くらいしろよな。」
医者の見立てじゃ、過労とストレスだって話だぜ?
「・・・・・・・・・・。」
お粥を掬って、彼女の口元に差し出す。
「もう大丈夫です。」
と、マリューがそのスプーンを奪おうとする。伸びた手を、ムウはしっかりと握り締めた。
細い手が、熱い。
「悪かった。」
彼女を不安にさせたのは、自分だ。
それほどまでに・・・・・想われているとは、思わなかったのだ。
「え・・・・・?」
見詰める先で、彼女が戸惑う。それが愛しくて、ムウは手を伸ばすと、マリューの頬に触れた。
「君がそこまで思いつめてるとは知らなくて。」
「・・・・・・・・・・・・。」
じわっと彼女の目尻に涙が溜まるのが見えた。ムウは優しく笑って告げる。
「キラから聞いたよ。」
「何を・・・・・?」
「受付の女の子のこと。一緒に居るのを見たって。」
その瞬間、マリューの顔が眼に見えて悲しそうな、辛そうなものに変わった。それに、ムウはこっそり息を飲む。
「・・・・・・・・聞きたくないわ。」
眉を寄せる彼女に、まあ聞けよ、とムウは二週間の事を話して聞かせた。
遊びからセフレまで、全部きれいにしてきた事を。
「見ろよ。」
側にあったサイドボードから、充電中の携帯を外してマリューに手渡す。
もう、どこにも後ろめたいところなど無い。
「短縮から何から、全部消去済み。」
あ、でもマリューの番号だけ、入ってる。
「・・・・・・・・・・どうして・・・・・。」
見上げるマリューの額に、ムウは愛しさを込めて口付けた。それから耳元に唇を寄せる。
「一番欲しかった物が、手に入ったから。」
ふる、と彼女の身体が震えるのが、身体に直に伝わってくる。それにくすぐったくなる気持ちを抑えて、ムウはそっとおわんをとりあげると、しっかりと彼女を抱き締めた。
「正直、最初は君を抱けるだけでいいとおもった。」
心が手に入らないのなら、それでもいいと。
でも、会うたびに、君の全部を、俺が占有したくなった。
愛してると、言わせたい。
「決心した矢先に、君は俺のこと無視し始めるし・・・・正直参ったよ・・・・・ってマリュー?」
見れば、腕の中で、彼女が震えている。
華奢な身体を、ぎゅうっと抱きしめ、ムウはころっとベッドに横になると、自分ごと上掛けにもぐりこんだ。
「ゴメン。」
強く強く抱きしめると、彼女のくぐもった声が、身体に響いた。
「許さない・・・・・。」
甘く告げる。
「悪かった。」
でも、彼女の機嫌は直らない。
「ダメ、許さないんだから。」
その彼女に、ムウはそっと尋ねた。
「じゃ、どうしたら許してくれる?」
それに、マリューはムウがもっとも欲しかった言葉で、答えを示した。
「貴方を・・・・・独占させて。」
「ねえ・・・・・ムウ?」
ことん、と朝ごはんを彼の前に出し、マリューは向かいに座る。
朝食は、ベーコンと目玉焼き。それからバターを塗ったトーストとコーンスープだ。
幸せそうな顔をして食べ始めるムウに、マリューはおずおずと切り出す。
「その・・・・本当に・・・・・?」
「なんれ?ひひゃなほ?」
口の物をほおばったまま、ムウはにやっと笑って彼女を見る。
「・・・・・・だって・・・・・その・・・・・。」
月曜日の朝七時前。
二人は一緒に出勤しようとしていた。金曜日と同じスーツとシャツ、というだけでも、なんだか気恥ずかしいのに、それに加えて一緒に出勤では、まるで既成事実を公表しているような気がするのだ。
だが、ムウは一向に構ってなど居ない。
「いいじゃん。ワイシャツは洗濯済みだし、アイロンまで掛かってるし。」
「そういうことじゃなくて・・・・・。」
「誰も気にしないって。」
それに、マリューはこっそり思う。オンナノヒトって結構そういうの、みてるんですよ?
ぶうっと頬を膨らませて、バタートーストに、更にジャムを塗るマリューに、ムウはにこっと笑う。
「嫌なの?俺と付き合ってるってばれるの。」
それに、ぱっとマリューの頬が赤くなった。
「い・・・・・嫌とか・・・・・そういう問題じゃなくて・・・・・。」
お、同じ職場に、恋人同士で居るっていうのが、いろいろ問題ありだと・・・・・。
「まあ、確かに・・・・でもいいじゃん。一緒に通勤したからって、イコール付き合ってるにはならないんだからさ。」
「そうですけど・・・・・・。」
目玉焼きにフォークを突き刺し、ムウは笑顔でマリューを見た。
「どっちにしたって、いつかはばれることなんだから。」
「え?」
あ〜ん、とそんな目玉焼きをマリューの口元に差し出して、ムウがニッコリ微笑んだ。
「?」
食べるマリューにムウは告げる。
「俺達が結婚するときに。」
朝から何を言いだすのよ、とマリューが真っ赤になったのは言うまでも無いだろう。
31510ヒット御礼リクエスト企画 version 希多さま
(2005/09/28)