独占
誰も居ない会議室で。
その人は窓際に立って今にも降り出しそうな雲行きの空を眺めていた。その時マリューは、長引き、遅くなった会議の資料の片づけをして、何気なく部屋を出ようとしたのだ。
雷が、落ちた。
電気が、落ちる。
「あ・・・・・・・。」
耳を劈く轟音と稲妻。びっくりして手から滑り落ちたいらない冊子を慌てて拾おうとして、「大丈夫か?」と低く声を掛けられた。
「あ・・・・・はい。」
スイマセン。
謝り、暗闇で差し出された書類を掴むと、次の間には、マリューの手はその人の手につかまれていた。
「あの・・・・。」
熱い。
「・・・・・・・・・・君・・・・。」
「え?」
引き寄せられた。
「ふ、フラガさん!?」
慌てて押しのけようとして、でも、力では敵わなくて。
時々光る閃光の刃以外、明かりの無い会議室で、そのままマリューはその人・・・・ムウ・ラ・フラガに全身を絡めとられてしまったのである。
「・・・・・・・・・・・・。」
パソコンの画面を見る振りをしながら、少し離れた席に座るムウを見る。
適当に仕事をしてるのか、それとも真面目に企画を立てているのか。
彼はこちらに背を向けたまま、パソコンのキーボードを叩いている。
仕事が出来て。明るくて。誰にでも気さくで良い人・・・・・。
容姿が良くて女性にモテて、常に誰かとの噂が絶えないひと。
マリューはほうっと溜息を付くと、再び視線をモニターに戻した。
あれは、何かの間違いだったとしか言いようがない。
いや、もっと言えば、単なる欲求不満の解消だったのかも。
(オンナノヒトとの噂が絶えないのに・・・・欲求不満はないか・・・・・。)
再び、溜息を付く。
明らかに強姦罪が適応されることだったが、最初の抵抗はあっけなく奪われ、結局彼女は、ムウという人を受け入れてしまった。
それに、嫌だとも思わなかったし。
(だからまずいのよね・・・・)
ぎゅうっと抱きしめられた腕の感触を覚えている。
口付けられた甘い気持ちもなにもかも。
(・・・・・・た、単純に気持ちよかったっていうのも・・・・問題よね・・・・・。)
う〜ん、とマリューは首を捻る。
そしてやっぱりあれは間違いだ、と割り切ろうと、三度溜息を付いた。
あれは・・・・・不慮の出来事。
単なる気まぐれ。
たんなる弾み・・・・・・。
「マリューさん?」
「え?」
にこっと笑ったムウが、いつの間にかマリューの後ろに立っていて、彼女はびっくりして真っ赤になる。
「あ・・・・・はい、何でしょう。」
落ち着け、落ち着けと心の中で繰り返しながら、マリューは笑みを返す。
「これ、コピー頼んで良い?」
「え・・・・ああ、はい。」
珍しいな、とマリューは目を見張った。彼は女性社員にそういう「お茶汲み」だとか「コピー」だとかの雑用をあまり頼まない。
極力自分で何でもしようという男である。
忙しいのかしら、と書類を受け取り、何気なく視線を落として仰天した。
一枚のメモが、書類の上に置いてあり、レストランの名前とそこで待ってる、という旨だけが書かれていたからだ。
「あ、あの・・・・・。」
慌てて自席に戻るムウにマリューは声を掛けた。
「これ・・・・・。」
「ちゃんと、頼むな。」
「・・・・・・・・・。」
その笑顔は卑怯だ。
マリューは小さく「はい。」と答えると逃げるようにコピー機に向かった。。
「ん・・・・・・・。」
「っ・・・・・・。」
舌を絡めあうようなキスをして、そのままベッドに押し倒される。レストランで飲んだワインが、マリューの気持ちよくさせていて、あっさり彼女はムウの腕の中に崩れ落ちていた。
「あ・・・・・・。」
せがむように口付けられ、全身を愛されていく。
「んっ・・・・・・。」
つっと脇を滑った手に、マリューが身をよじらせると、くすっと笑ったムウにぶつかった。
「弱いでしょ、ここ。」
「んあ・・・・・や・・・・。」
「こっちは?」
「ひゃあ・・・・・・・。」
頬に手をあてられ、ちゅうっと口付けられる。
「可愛い声、出すよね。」
「・・・・・・・・・・・。」
胸の膨らみをまさぐられ、ゆっくりと弄ばれる。質感を楽しむようにやわやわと触られて、マリューはたまらず顔を背けた。
「ふっ・・・・・・。」
「ん・・・・。」
ゆっくりゆっくり刺激され、内部から求めて熱くなる。
ヒライテイクカラダ
「あ・・・・・んんっ・・・・。」
求めて手を伸ばし、ムウを抱きしめる彼女を、彼は自分で満たして行った。
「そ・・・・・な・・・・・あ・・・・・っ」
「お、落ち着いてナタル、ね?」
どういうことだと思う?と自分の後輩であるナタルにマリューは正直に話してみた。
ある日突然襲われて、それから何度か呼び出されて、デート?まがいの事をして、抱かれて・・・・・。
そのマリューの告白に、ナタルは怒りで真っ赤になって彼女の肩を揺さぶった。
「な、何を考えてるんですかあなたは!!それは立派に犯罪でしょう!?」
「え?・・・・・・そ、そうかしら・・・・・。」
「援助交際か、はたまた売春」
「お金なんて貰ってないわよ?」
呆れたように言う。
「まあ・・・・セフレ?」
「なんでもいいですそんな事は!!!!」
怒鳴られて、マリューは首をすくめた。
「ナタル・・・・・。」
「いいですか!?男女というものの関係は、そういう不埒な事ではなくて、もっと真剣に考えるべきなんですよ!?」
「はあ・・・・・。」
「結婚する気も無い相手と、しかも付き合ってるわけでも恋人だってわけでもない男と、何て事を!!!」
「そうかしら・・・・。」
う〜ん、と居酒屋の天井を見上げてマリューはしばしの間の後、ニッコリ笑ってナタルを見た。
「でも、特にいやってわけでもないから。」
こ、この人はっ!!!!
ナタルは天然で鈍いマリューがにこにこ笑いながらお酒を飲むのを観て、歯噛みする。
もっていた割り箸を二つに折ってしまいそうな勢いだ。
「マリューさん・・・・・。」
「ん〜?」
「フラガさんのこと、好きなんですか?」
「え?」
真剣に見詰められて、マリューは首を捻った。
「さあ・・・・・どうなのかしら・・・・・?」
それにナタルが盛大に溜息を付いたのは言うまでも無いだろう。
「何?」
下から見上げられて、マリューは慌てて首を振った。
「ううん・・・・何でもないの・・・・。」
ムウの上にまたがったまま、濡れてる部分に、ゆっくりと挿入て腰を落としていく。
「ん・・・・・・。」
「・・・・・何か考えてない?」
「え?」
あんっ
下から突き動かされて、びくん、とマリューの背が反る。
「あ・・・・・ああ・・・あ・・・。」
「変な・・・・マリューさん・・・・。」
「んっ・・・・・んあ・・・あっ・・・・あああ・・・・。」
ムウの動きにあわせて身体を動かしながら、マリューは飛びそうになる意識の端で考える。
私は、この人のことが好きなんだろうか・・・・・・・?
就業時間を迎えて、荷物をまとめて帰り支度をする。ふと彼女は今日は珍しくムウからの『お誘い』がなかったな、と思いあたった。毎日、とまでは行かないが、結構な回数、ムウとは会っていた。
(・・・・・・・・・・・・。)
まだ大丈夫な日だ。
(・・・・・・・・・・・。)
なんとなく寂しい感じもしないでもないが、今日は早々に帰ろうと会社を出る。真っ直ぐ家に向かうつもりで、夕闇に沈む駅のプラットホームに佇んでいると、込み合う帰宅ラッシュの人の中に、マリューはムウの姿を見つけた。
(あ・・・・・・・・。)
どきり、と胸が鳴る。
と、同時に、なんとなく彼女は人ごみの中に紛れて、彼からは見付からないように姿を隠した。人の隙間からそっと様子を伺うと、どうやら彼は女性を連れているようだった。
そのオンナノヒトに、彼女は見覚えがあった。
(あ・・・・・うちの会社の・・・・・。)
受付嬢である。
「・・・・・・・・。」
なにやら親しげに話をしている姿に、再び、マリューの胸が痛く鳴った。どくどくと鼓動が早くなってくる。
美人な女性だった。しなだれかかる姿も板についてるし、さりげなく腰に回されているムウの腕が、妙に親しげで。
マリューは無理やり視線を引き剥がすと、やって来た電車に乗り込み、彼とは二つ離れた車両に乗り込んだ。
嫌な鼓動が胸を苦しくする。
分かってたことなのに。
ふと、そんなセリフがマリューの脳裏を過ぎった。
分かっていた。そう。割り切っていたはずだった。
彼との行為には、愛とか恋とか、そういう甘ったるいものは絡んでいないと。
「・・・・・・・・・・・。」
それでも、マリューは痛いくらいきつく、自分の手をひざの上で握り締めていた。そうでなければ、胸の痛みに耐えられそうも無かったから。
「元気ありませんね?」
「え?」
今日は金曜日。今のところ、ムウからの誘いは入っていない。
あの女性との事を目撃してから、彼女はムウから一度も誘われていない。
そのまま、二週間が過ぎようとしていた。
飽きられたのだろうか・・・・・。
そう思うと、焼けるように身体が痛くなって、だからマリューは極力ムウとはあわないように努めていた。
そうすると、自然と別の仕事をするようになって、彼女は今、キラ・ヤマトという後輩と一緒に資料室にこもっていた。
次のプロジェクトに必要なデータを探しているのだ。
顔を覗き込む後輩に、マリューは無理やり笑って見せた。
「そう?でも今日が終われば、明日からお休みだし。」
その間に疲れも取れるって物よ。
そういって笑うマリューにキラは苦笑した。
「あんまり無理すると、フラガさんが心配しますよ。」
そのセリフに、思わずマリューは手にしていた書類を落としてしまった。
「な?!」
目を白黒させるマリューに、キラがきょとんとする。
「あれ?知らなかったんですか?」
「な・・・・・!?」
知らなかった?
何をだ?
呆気に取られるマリューに、キラが再び苦笑する。
「あの、ムウ・ラ・フラガが、マリューさんだけは絶対に口説かない、ってもっぱらの噂ですよ?」
「え?」
口説かない?それはどういうことだ?
「もっとも、社内の女性のなかでフラガさんにお世辞言わないのもマリューさんだけですもんね。」
お世辞?何を言ってるんだ?
ますます混乱するマリューにキラは呆れたように目を大きくした。
「それも知らないんですか?彼、この会社の大体のオンナノヒトと噂になってるんですよ?」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「あ、ナタルさんは婚約者がいらっしゃいますから、別ですけど。」
し、知らなかった・・・・・。
ていうか、ちょっとまて。
「・・・・・・・・だからって彼が私を心配するなんて事はないわよ。」
「え?彼が本気になってるの、マリューさんだって話ですよ?」
「違うわ。」
だって私は・・・・・・・・。
「違う。彼が本気になってるのって、多分、受付嬢の・・・・・・・。」
言いながら、マリューは悲しくなった。
だって自分は彼に口説かれたことなどないし、愛してるとかも言われたことがないのだ。
ただ。
ただ、関係を持ってしまっただけ。
だから現に、何の終りも無く彼からの連絡が途絶えているのだから。
キラに受付嬢との事を話しながら、マリューは泣きたくなる自分を懸命に堪え続けた。
自分のマンションの前に、ひとりの人が立っている。
「あ・・・・・・・。」
ぼんやり空を見上げて、それから通りを気にする彼は、街頭の下に立つマリューを見かけると、安堵したように笑った。
「お帰り。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
どうして自分のマンションの位置を知ってるのだろう・・・・・。
呆気に取られるマリューを抱き寄せて、彼は彼女の首筋に顔を埋めた。
「あ〜・・・・・マリューの感触だ・・・・・。」
久しぶりで気持良い〜。
そう言いながら、ちゅうちゅうと首に口付けを繰り返すから、彼女は慌ててムウを押しやった。
「ちょ・・・・やめてください・・・・・。」
「やめない。」
「だ・・・・・駄目です、こんな、」
「じゃあ、中に入れて?」
身体を離したムウがにこっと笑ってマリューを見る。彼女はぐいっと顔を上げた。
「あの・・・・・・。」
「ん?」
「へ・・・・・・部屋に上げるのは、彼氏だけって決めてますんで。」
「うん。」
「・・・・・・・・・・・・。」
だから、上げて?
にこにこわらってそういわれて、マリューは突然真っ赤になった。
「で、ですから、部屋に上げれるのは」
「彼氏だけなんでしょ?」
「あ、あなたは・・・・その・・・・・あの・・・・・。」
彼氏じゃない。
そんな簡単なセリフが、マリューの口からなぜか出てこない。震えるように体を抱きしめて、懸命にムウとの距離を取ろうとする彼女に、ムウはもう一度口付けた。
「違うんなら、そう言わなきゃ。」
ふいに意地悪く言われて、マリューは情けなくなった。この人は・・・・・・。
「ほら、マリュー?俺は、何?」
「あ・・・・なたは・・・・。」
顔を上げたマリューに口付け、ゆっくりと舌を絡め、思う存分口付けてから体を離す。
すっかり思考能力を奪われたマリューが、とろん、とムウを見上げ、それをどこまでも食えない笑顔が見返す。
「続き・・・・したいでしょ?」
「あ・・・・・っ・・・・・んぅ・・・・。」
激しく攻められて、ムウの肩に掴まりながら、不意に、マリューは彼にあの受付嬢もこうやってしがみ付いていたのだろうかと、考える。
ぞわっと何かがマリューの胸を焦がす。
「は・・・・・ん・・・んっんっ・・・・。」
声を殺して、なんとか堪えながら、マリューはこうやって見上げる彼の、求めるような視線も、顔に掛かる髪も、吐息も、あの女と共有しているのかと思うと、胸の奥からどす黒いものが込み上げてくる気がした。
嫌だ。
不意に、マリューはぎゅっと爪を立てる。
「っ?」
歯を食いしばる彼女の、泣きそうに歪んだ頬に舌を滑らせ、つ、と目尻をなぞる。びくん、と体が震えるのが、ムウには分かった。
「何、また考え事?」
「もう・・・・止めてください・・・・。」
ぐっと肩を押し返す彼女に、ふうん、とムウが目を細めた。
「そうか?そんな感じはしないけど?」
「あはあぁあっ!?」
先ほよりももっと激しく攻め立てられて、マリューの体がしなった。
「あ・・・・・や・・・・やだ・・・・やめてください・・・・いやぁっ!!」
追い込まれるたびに、ちらつくのは、『何も無かった』二週間のコト。
その間に彼は、一体誰と・・・・・。
「やめ・・・・止めて!あっ・・・・んっ・・・んーっ!!」
肩に思わず噛み付くと、お仕置き、とばかりにほとんど打ち付けるようにされて、マリューはこぼれる涙のまま、達してしまった。
「は・・・・・あ・・・・・あふ・・・・・。」
震えて、そしてゆっくり弛緩していく体を抱き寄せたまま、ムウが彼女の耳元に唇を寄せる。
「嫌がってる割には、気持ち良さそうな声、だったな?」
ああそうだ。
マリューはふるふると首を振ると、枕に顔を埋める、涙がこぼれて止まらない。
「お〜い、なくなよ・・・・・まるで犯してるみたいだろうが?」
無神経。
心の中で、マリューは叫ぶ。
そうだ。
嫌だと言いながら、体はムウを求めて真っ直ぐで、ただ気持ちだけが追いつかない。
嫌なのに、したい。
嫌いなのに、愛してる。
諦めようとすればするほど恋しくて。そして、諦めようとしたとたんに、こうやって側に来て。
「・・・・・れそ・・・・・。」
「ん?」
うつぶせたままの彼女を抱き寄せて、背中にキスしていたムウは、ちろっと彼女の耳に舌を這わせる。それに、微かに反応しながら、それでもマリューは泣きそうな声で言う。
「私・・・・・壊れそう・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
言える権利も無い。
彼の恋人じゃないから。愛してるといわれたことも無いから。口説かれたことすらない。
だから、他の女に会わないで、なんて台詞を、吐けなどしない。
「壊れてよ。」
男は残酷に言ってのけ、激しく睨みつける女に、更に深く口付ける。
その夜、何度も彼に抱かれるたびに、背中に、肩に、指に、マリューは爪をたて、噛み付き、傷を負わせていった。
せめてもの抵抗とばかりに。
それから、マリューはムウを見なくなった。自分が関わっているプロジェクトが、佳境に入ってきたというのもあったし、それに、これ以上ムウに振り回されたくないと思ったからだ。
でも。
そう簡単に振り切ることも出来ない。
忙しさと、仕事に掛かる負担が、ストレスとなり、眠れない夜が続く。ムウからの「手紙」の誘いも断るのに骨が折れるしなにより、彼に視線を合わせないほうが辛かった。
瞼を閉じれば、思い出すのは彼の眼差しばかりで、苦しくなる。
そんなめちゃくちゃな、心も体もアンバランスな一週間が過ぎた。
ムウは、何も言ってこない。忙しいマリューに、前のように話しかけることも無いし、メモを渡す以外、言葉も交わさない。
廊下ですれ違っても素知らぬ顔だ。
そうなると、何がなんだかわからなくなり、そして、金曜の夕方、マリューは唐突に思い知った。
そうか。
彼にとって自分は、話しかける対象ですらないのだということに。
デートはただの付属のようなものだ。一種のコースというべきか。
こうして、最低限のラインだけ確保しておけば、私を逃がさずに都合よく捉えておけるという、そういうことか。
必要以上に接触してこないのも、そういうこと。
ただ、そう認めたくなかったのは、マリューがムウとの行為に、甘ったるいものを思っていたから。
(分かってたのに・・・・・分かってなかった・・・・・。)
涙が出そうになって、マリューは慌てて自分の席を立ち上がると、そのまま資料室に逃げ込んだ。がっくりと膝を付いて、そのまま横すわりに座り込む。ぼろぼろと涙が出てきて、マリューは自分の体を力いっぱい抱きしめた。
「マリューさん!?」
最後の追い込み、と収拾していたデータをまとめていたキラは、物音に立ち上がり入り口付近で崩れ落ちている彼女に、慌てて駆け寄った。
「大丈夫ですか!?マリューさん!?」
「キラ・・・・・くん・・・・・・。」
涙に濡れた瞳に、キラはどうしていいか分からない。
「あ・・・・・・えっと・・・あの・・・・・。」
その彼を、マリューは引き寄せるとしっかり抱きしめた。
「え・・・・ええええっ!?ま、マリューさん!?」
「お願い・・・・・ちょっと・・・・だけ・・・・・。」
すがり付いて泣きじゃくる彼女の背中を、おずおずとたたきながら、キラは困ったように笑う。
「あの・・・・・・。」
弱ったな・・・・・・。
それでもキラは、そっと手を上げると、マリューをしっかりと支えるように抱きしめるのだった。
どれくらい、そうしていただろうか。
「ごめんなさい・・・・・ありがとう。」
「いえ・・・・・落ち着きました?」
「ええ・・・・・本当にごめんなさいね。」
くすん、と鼻を鳴らすマリューを支えながら立ち上がらせ、キラは苦笑する。
「今日はもう、帰った方が・・・・・。」
「でも・・・・・・。」
表情の曇るマリューに、キラはにっこりと罪の無い笑顔を見せた。
「大丈夫です。資料なら、概ね揃ってますし。」
「・・・・・・・・そう。」
泣いたら、随分すっきりした。
「もう、帰りましょう。」
よろけるマリューを支えて、キラが資料室の扉を開き、泣いて体温の上がっているマリューは、廊下の冷たい空気にほっと息を付いた。
そのまま、ロッカーに向かって歩いていると、壁に背中を預けて立っている人物に気が付いた。
思わず、マリューはひるんだ。
「よお。二人仲良くどこに消えてたんだ?」
「え・・・・・・。」
就業時間はとっくに過ぎている。壁から背中を離して、廊下に立つ男が、ふっと笑った。
「楽しかったか?」
かっとなる。
「やめてください。」
微かに強張った声が出て、マリューは男から視線を逸らすと、大またで廊下を歩く。
ロッカーの扉を開こうとして、その腕を、男・・・・・ムウに取られた。
「痛っ・・・・・。」
「ムウさん、変な想像、しないでください。」
顔を背けるマリューを庇おうと、キラが前に出て、咎めるように言った。
「マリューさん・・・・・。」
心配そうに彼女を覗きこむキラを睨んで、ムウはぐっとマリューを引き寄せた。
「や・・・・。」
バランスを崩した彼女を捕まえる。
「放して・・・・・・。」
「ムウさん!」
マリューの事を取り返そうとするキラを、ムウは軽く突き飛ばして、強引にマリューを引っ張った。
「ちょ・・・キラくん!?」
背中を壁にぶつけたキラが、渋面でムウを睨んでいる。
「フラガ・・・・・さん!?あれは酷いです!」
「・・・・・・・・。」
そのまま引きずるように彼女を連れて歩くムウに、マリューは声を荒げた。
「それに、腕、痛いですから、放してください!!」
反論するなと、余計に力がこもり、マリューは眉を寄せた。
「いや・・・・放して!!痛いですっ!!」
「嫌だ。」
「・・・・・・セクハラです!」
「どっちが。」
「え?」
ぴたっと足を止めて、振り返ったムウが、凡そ普段の彼からは想像できないほど、冷たい瞳でマリューを見据えていた。
彼女の身体が凍りつく。
「何してたんだよ、あそこで。」
貴方の事を思って、泣いていた。
「ど〜せ俺には言えないような事なんだろ?」
忘れたくて。忘れられなくて。痛切に胸が痛んで。
「なんなら俺が言ってやろうか?」
何故彼を好きになってしまったのと、問い続けるように。
「楽しかったか?キラとするの。」
ねえ・・・・・私・・・・・・壊れてしまう・・・・・・。
「?」
無言で顔を俯けるマリューに、ムウが怪訝な顔をした。
「おい?」
がくん、と急に彼女の身体が重くなって、ムウは慌ててマリューを支えなおした。
「おい!?」
蒼白の彼女が、焦点の定まらない瞳で、ムウを見上げている。
「マリュー!?おい!!」
揺さぶられて、閉じていく彼女の瞼に押されて涙が落ちた。
だから何故?
素知らぬふりをしてるくせに、どうしてそうやって私に構うの・・・・・・?
そうされたら私・・・・もう・・・・・壊れるしかないじゃない・・・・・・。
「・・・・・・・・・・。」
目を明けると、柔らかい闇が辺りを覆っていた。視線を転じると、薄く開いたドアから、光が斜めに差し込んでいる。
体を起こそうとして、それがまったく出来ないことに気づく。
身体中が、重い。
キ、とドアが軋む音がして、誰かが滑り込んできた。
「フラガ・・・・・さん・・・・・。」
再び体を起こそうとするが、枕から頭が上がっただけだった。
「いいよ。それより、これ、食べて。」
湯気が、ドアの向こうの、リビングの明かりに微かに揺れるのが見えた。
「お粥。ほら・・・・。」
手を差し伸べて体を起こし、ベッドに座ったムウが、マリューを抱きかかえる。
「サプリメントしか取ってなかっただろ。」
寄りかかる彼女の口元に、スプーンで掬ったおかゆを差し出し、吹いてやる。
「ほら。」
熱くて顔をしかめているが、やがて、大人しく食べ始めた。
「ここは・・・・・・。」
「俺ん家。」
びく、と微かに彼女の身体が震えて、ムウは苦く笑った。
「無茶しやがって。不眠不休で働いてたんだろ。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・俺の所為か?」
「違います。」
反射的に、マリューは答えていた。それに、ムウは微かに目を見張ると、くすっと笑った。
それに、マリューは力いっぱいムウを睨んだ。
「うぬぼれないで。私は・・・・・ただ仕事を・・・・・。」
毅然と言い放とうとして、それは失敗に終わる。柔らかい瞳が、自分だけを映しているのに気づいたのだ。
「そ。なら、ちゃんと体調管理くらいしろよ。」
医者の見立てじゃ、過労とストレスだって話だぜ?
「・・・・・・・・・・・。」
黙って差し出されるおかゆを口にしながら、もう大丈夫だからと、ムウからスプーンを奪おうとして、逆にその手を取られてしまった。
「悪かった。」
真っ直ぐ見詰められて言われ、マリューは戸惑う。
「え・・・・・?」
そっと手を伸ばして、マリューの頬に触れる。
「君がそこまで思いつめてるとは知らなくて。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「キラから聞いたよ。」
何を?と問い返す彼女に、ムウは受付嬢の話をする。
「・・・・・・・聞きたくないわ。」
「まあ、聞けよ。二週間かけて、全部の女関係、綺麗にしてきたんだからさ。」
「え・・・・・・?」
顔を上げるマリューを覗き込んで、ムウはふっと笑う。
「遊びからセフレまで全部。二週間掛かるとは思わなかったけどな。」
そう言って、彼は少しマリューから離れると、側にあったサイドボードから充電中の携帯を外してマリューに手渡した。
「見ろよ。」
電話帳のメモリーが、閑散としている。それも、ほとんどが会社の企業名ばかりだ。
「短縮から何から、全部消去済み。」
「・・・・・・・・・・・どうして・・・・・・。」
見上げるマリューの額に、そっと口付けて、ムウは耳元に唇を寄せる。
「一番欲しかった物が、手に入ったから。」
その瞬間、マリューの体が震え、ムウは彼女の手からおかゆの入ったおわんを取り上げるとしっかりと抱きしめた。
「正直、最初は君を抱けるだけでいいとおもった。心が手に入らないなら、それでもいいって。でも・・・・会うたびに、全部君を独占したくなって。」
愛してると、いわせたくなった。
「決心した矢先に、君は俺のこと無視し始めるし・・・・正直参ったよ・・・・って、マリュー?」
震えが止まらない。
そんなマリューを抱きしめたまま、ムウはころっとベッドに横になると自分ごと上掛けにもぐりこんだ。
「ゴメン。」
「許さない・・・・・・。」
「悪かった。」
「ダメ、許さないんだから。」
「じゃ、どうしたら許してくれる?」
体と心が、追いついて、一つになる。彼を愛してもいいんだと、そう思うと、酷く、震えが来るほど嬉しかった。
「貴方を・・・・・独占させて。」
「平気?」
「ええ。」
土曜の昼間一杯眠り続け、シャワーを浴びて彼の前に姿を現したマリューは、バスタオル一枚だった。
その彼女の手に自分の手を絡めて、膝に座らせると、しっかり抱きしめる。
「いいの?」
絡まる視線に、マリューが微かに頷く。
「して。」
「分かった。」
軽くキスをして、それがどんどん深くなる。ベッドに押し倒されて、柔らかいシーツの波に埋もれながら、マリューは懸命に愛する人を抱きしめた。
手が、体のラインをなぞっていく。柔らかい胸に触れると、その質量を確かめるように動かされて、マリューはキスを続けていた唇を思わず離して、喉を逸らす。ちゅ、と音をたてて、胸元の硬くなったところにキスをされ、更に指で弄ばれる。
「ん・・・・・・・あ・・・・・・。」
ず、と足がシーツを蹴り、ムウは太ももへと片手を滑らせた。奥を、探るように擦られて、マリューの体がしなる。
「ひゃあ・・・・・あ・・・・・あぅ・・・。」
指を差しこまれ、両足が強張るのをみて、ムウは微かに笑った。
「気持ちいい?」
中をかき回され、指を咥えて必死に堪えるマリューの、その胸に口づける。
「あふ・・・・う・・・んっ・・・・んんっ・・・・。」
胸元と体の奥を攻められて、マリューの息が上がり、請うような視線を向けられる。
「あ・・・・・・ん・・・・・フラ・・・・ガさん・・・・。」
「名前・・・・・。」
あ・・・・・・。
微かに音を立てて指を抜かれ、両足を持ち上げられる。確かな質量のもので、濡れた部分を擦られて、甘い声が喉から漏れた。
「名前で・・・呼んでよ。」
ムウ、って。
濡れて、溢れるところに、微かに触れられただけで、体が求めるように震えるのが分かった。
「あ・・・・・ムウ・・・・・願・・・・。」
「マリュー・・・・。」
低く囁かれて、そのまま、押し込まれる質量に、腰の辺りからぞくぞくするような物が、込み上げてくる。
それが、体を駆け抜けて、中心からマリューを溶かしていった。
「あ・・・・・・ああっ・・・・あっ・・・・ああああっ・・・・!」
逃げる体を抱きとめて、内部を犯していきながら、緩く腰を動かし始める。
「マリュー・・・・・。」
「ムウ・・・・っ・・・・んぅ・・・・・。」
すがりつく腕に、我慢できなくなり、やがて、己の欲望のままに、ムウはマリューを突き動かしていく。
「あ・・・・・は・・・・はあん・・・・・ん・・・・んぅ・・・・。」
切れ切れの声すら、奪ってしまうように口付けられ、舌を絡めあう。
ただ、愛して居るを伝えたくて、力を込めて抱きつくマリュー。その彼女の嬌声が、ムウをあおっていく。
深く深く結びついたまま、握り締める手に力がこもり、やがて二人は、お互いに誘われるようにして達するのだった。
「二人で出社ってのも、悪くないと思わないか?」
浅く息を付く彼女をきゅっと抱きしめて、髪に顔を埋めたままムウが聞く。それに、マリューはふっと微笑んだ。
「フラガさんと二人で、ですか?」
「ムウ、でしょ?」
こつん、と額を突付かれ、マリューはくすぐったそうに笑う。
「ムウと二人でなんか出社できません。」
それに、「なんで?」と彼女の頬を撫でながら尋ねる。
「そんなことしたら、すぐ噂になっちゃいます。」
「いいじゃん、噂・・・・つか、もう、噂じゃなくて事実でしょ?」
「あ・・・・・・。」
つ、と背中に指を走らされて、マリューは軽くムウを睨む。
「今日はもうダメです。」
「じゃ、二人で出社、してくれる?」
「・・・・・・・・・・嫌よ。ムウとなんか出来ません。」
「じゃ、俺も止めない。」
再び圧し掛かるムウの背中をぽかぽか叩いて、マリューは悲鳴を上げた。
それに、ムウはニッコリ笑って口付けると、
「無駄だよ、マリューさん。」
「やあ・・・ん・・・・・。」
「俺を独占しちゃったんだからさ。その代償は大きいぜ?」
なんて言う。
そのまま、溺れていきながら、マリューは桜色に染まる意識のふちでこう思う。
ああ、これでは本当に月曜日に二人で会社に行かなくてはならないのでは?と。
(2005/08/12)