Muw&Murrue
- 宇宙飛行士とパンダの恋
- とある病院の屋上でその日、ムウ・ラ・フラガ(30)は看護婦に内緒でタバコを吸っていた。
吸うな、と言われていたのだが、どうしても吸いたくて、まるでどこぞの学生よろしく隠れてタバコをぷかぷかぷかぷかしていたのである。
「あ〜・・・・・今日はまたずいぶん良い天気だな。」
フラガは空を仰ぎながらぼんやり呟いて、ふーっと紫の煙を吐く。
どうしてこんな所に入院しているのかというと、星間運航船の運転手である彼は、宇宙に出るたびに大量の放射線を浴びてしまう。そこで、彼が勤める航宙会社が、年に一度、星間運航船のパイロットに、「放射線除去」を義務付けたのであった。
宇宙時代に突入してから、大分メジャーになったこの「放射線除去」。だが、まだまだ「歯石」をとるのと同じような気軽さでは出来ない。
会社側から一週間の休みを貰い、こうしてフラガは指定された病院に、「放射線除去」をしてもらうために入院しているのである。
「あ〜・・・・今日はアンドロメダがよく見える・・・・。」
あそこを飛んでるんだよなぁ。
いつもはめまぐるしく働き、秒単位での仕事を押し付けられるせいか、こうしてまとまった時間を与えられると、どうしていいか判らなくなる。
他の入院患者のように、特にどこかが悪いわけでもないので、寝ているのも退屈で、だからこうして彼は外へと出てきたのである。
丁度、S社から新商品のタバコが発売されたばかりだったし、一週間前に彼女に振られたばかりだったし。
くさくさした気持ちを振り切るように、フラガはぽっかり明いた午後2時を太陽の下でベンチに座ってぼんやりしていた。
「あ〜・・・・・・。」
特に言う事も無く、彼は溜息と共に煙を吐いた。
「・・・・・・暇だな・・・・・。」
そう、暇なのだ。
一週間前に彼女に振られたフラガを見舞いに来てくれる奇特な人は居ない。
大体、彼の友人は秒刻みのスケジュールを全うするために、あの、天高い宇宙を飛んでいるのだ。
「何かおもしろいことねぇかな・・・・・。」
「例えばどんなことかえ?」
不意に声を掛けられて、フラガは後ろを振り返った。
自分の座るベンチの向こうには、物干し竿があり、シーツが風にはためいていた。
そのシーツの影からひょっこり顔をのぞかせているものがいる。
「・・・・・・・・・・。」
パンダである。
小さなパンダが、こちらを見て、くいくい、と手を振った。
「なんだ、パンダか。」
小さく呟くと、フラガはほう、と息を吐いて空を見た。
「なんか面白いことねぇかなぁ。」
「だから、それはなんぞえ?」
「お前には関係ないだろ。」
「ほほう、そなた、ワシを愚弄する気かえ?」
「・・・・・・・・。」
なかなかにしつこいパンダに、フラガは少し頭を掻いた。斜めに、上半身だけ覗かせているパンダが、阿波踊りをした。
「パンダが俺に何のようだ?」
馬鹿らしい阿波踊りを続けるパンダを見たまま、フラガはタバコを咥えて聞く。
「ワシはそなたに興味があるのぞえ。」
「パンダが俺に興味があるってか。」
普通、動物園の人気者のパンダに、彼が興味を抱くのではないだろうか。
そう指摘してやると、パンダは胸を張った。
「そなた、パンダを馬鹿にしてもらっては困る。パンダ、というのは本来、とても研究熱心な種族なのだよ。」
「へ〜。」
腕を組んで、フラガはパンダを感心したように見た。
「そいつは知らなかった。」
「日夜、夜も眠らず勉学に勤しむ所為で見ろ、この眼の周りのくまを!」
「くまだったんだ、それ。」
えっへん、と胸を張るパンダに、フラガが「しらなかったなぁ。」と感心したように呟いた。
「で、その研究熱心なパンダ殿は、俺を何故研究したいんだ?」
「なあに、ちと気になる要素がそなたにはみられたものでのう。」
パンダは前のめりになると、びし、とフラガの口元を指差した。
「・・・・・・・・そなた、何故そのようになれぬものを口に咥えておるのかえ?」
「あ?」
フラガは口元のタバコを指差す。それに、ぶんぶんと大きなリアクションでパンダが頷いた。
「慣れないって・・・・・・。」
確かに、S社が新商品を出した、というだけで、フラガは久々にタバコを吸いはじめた。
付き合っていた彼女が、タバコが嫌いだったから、それをきっかけに吸わなくなった。
どれくらい吸っていなかったんだろう、とそう思い返して、彼は苦笑した。
随分長い間・・・・そう、辞めたといってもおかしくないほど、彼はその味を口にしていなかった。
「パンダには関係ないだろ?」
苦笑しつつそういうと、パンダは自分の目の周りを、二股にしか分かれていない手で指差した。
「・・・・・・・・。」
研究熱心で、くまができたんだっけ。
「研究なのか?」
そう聞くと、パンダは激しく首を振った。
パンダが、こちらに向かって吹っ飛んでくるのではないかと思うくらい、激しく。
「彼女にね、振られたんだよ。」
口に咥えたタバコは苦かった。それを噛み潰しながら、フラガが言う。
「何故に?」
パンダがメモを取るような仕草をする。
「ん〜・・・・・・。」
分刻みのスケジュール。
少しでも遅れると怒りだす乗客。
人手の足りない星間航宙。
忙しい、忙しい、忙しい。
「・・・・・・いいわけばっかりだったから。」
紫煙を吐き出し、フラガがぽつりと呟いた。
「会えないっていう断りの電話やメールばっかりで、あいつも嫌気が差したんだろうさ。」
遠くを見ながら、フラガは笑う。パンダは真っ直ぐに自分を見ていた。
「それをカバーする気はなかったのかえ?」
「偉そうなパンダだな。」
む、として睨むと、パンダはすかさず目の隈を指差す。フラガは溜息を付いた。
「怠慢だよ。」
はは、と乾いた声で笑うと、フラガは空を仰ぎ見た。
「どうして・・・・・・いつまでも待っててくれるって、思ってたんだろうな。」
近すぎたのかな、俺達。
ぽつりと呟かれた言葉を、パンダは噛み締めているようだった。それから、「馬鹿なヤツぞえ。」とだけ呟いた。
「それが喫煙の理由かえ?」
「ん〜・・・・多分ね。忙しくて会えなかったのに、暇になったらなったで会えないなんて、馬鹿らしいな。」
フラガは苦く笑った。苦く笑ってばっかりだと思いながら、でもそういう笑い方しか出来なかった。
本当の笑顔は、彼女が消えた時に、消えたらしい。
「そなたは・・・・・・。」
パンダが考えるような仕草をして、フラガを見た。
「今でもその人が好きなのかえ?」
「・・・・・・・・・・・・さあ。」
首を捻りながら、フラガは立ち上がった。
そのまま肩をすくめてすたすたと物干し台に向かって歩いて行った。
パンダの前に、フラガは立った。
「もう好きじゃないかも。」
「・・・・・・・・・・。」
「だからさ。」
背中を屈めて、フラガはパンダにキスをした。
「君が俺の恋人になってよ。」
ふうわりと風がふき、シーツがまくれる。
パンダを手にした栗色の髪の、フラガの一番大事な人が、そのシーツの陰から彼を見上げていた。
涙目だった。
「それはおことわりぞえ。」
パンダが、彼女の口を借りて答えた。
「ワシはタバコは嫌いじゃ。」
「そっか。」
じゃあ、俺タバコやめるわ。
だから一度だけと、フラガはパンダが口を借りている彼女に口付けた。
パンダに口を貸している彼女は、苦そうな顔をした。
それから四日後にフラガは病院を退院し、相変わらず忙しい日々を送っている。
ただし、彼はパンダの彼女に、毎日電話もするし、メールも出すし、意地でも休みを勝ち取るようになった。
そして、もう少ししてから二人は結婚したのだった。
(2005/11/23)
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