Muw&Murrue

 満月ポトフ 01






78379ヒット御礼リクエスト企画作品 version 綾瀬さま







 向こうからやってくる四輪馬車をやり過ごし、道路を渡ると、アウル・ニーダは人ごみの中を駆け抜け、大道りに面したその家の階段を駆け上がった。
 真鍮のノッカーを掴み、厚く白いドアを叩く。
「おーい、買い物してきたぜー?」
 紙袋の中の食料に目をやりながら、アウルがやる気の無い声でドアの向こうに声を掛ける。遠くから時計塔の鐘の音が十二時を告げるのを聞き、彼は急に空腹を覚えた。
「あけねぇと、食っちまうぜ?」
 袋の中には小麦粉やらバターやら豚のミンチやらに紛れて、大量のトマトが入っている。
 その一個を取り出して、着ているチョッキの裾で拭っていると、軋んだ音を立ててその扉が開いた。
「・・・・・・アウルか・・・・・。」
 トマトを左手に持ったまま、アウルは溜息を吐く。彼の目の前には、くしゃくしゃの金髪に、引っ掛けただけの白のワイシャツ、ベルトをきちんと締めていないスラックス姿の男が立っていた。
「んだよ、太陽は真上でうざいくらい光ってんのに、まだそんな格好なのかよ。」
 こそこそとトマトを持った左手を隠して、男の脇をすり抜けアウルは室内へと入った。
 正面に階段があり、その横には居間へと続くドアがある。その隣に、キッチンへと続くドアがあり、アウルはそちらへと歩いて行った。
 部屋の中は暗く、カーテンが引かれたままだ。開きっぱなしの居間のドアから中を覗いて、アウルは肩を落とした。
「マジでいままで寝てたのか?」
「まあなぁ。」
 ふわあああ、と欠伸をし、男は道路へと続く階段を数段下りて、半開きのドアの前で大きく伸びをした。
 少し先の歩道を、人々が大股で歩いて行く。それから道路にはせわしなく馬車が走っていき、黒塗りのそれの窓の奥に、新聞を広げる銀行員の山高帽が見えた。
 空は霞が買った青。道路の排水口からは相変わらず煙が立っている。

 せわしない街。

「あー・・・・・。」
 そんな街の喧騒に目もくれず、男は緩く光る春の太陽と風に目を細めた。
「今日も良い天気だなー。」



「今日も良い天気ね〜。」
「ラミアス!!!!」
 窓の外から平和で美しい街並みを眺めていたマリュー・ラミアスは背後から怒鳴られて背筋を正した。
「何をさぼっとるのかね!」
「デスク・・・・・・。」
 振り返ると、眼を三角にしたウィリアム・サザーランドがコーヒーを片手にマリューを睨んでいた。
「さぼってなんかいませんよ。」
「じゃあ。」
 そういい、彼は彼女の立つ廊下全体を指差した。
「なんでこの忙しいときに、君は、一人で、休憩室前の、廊下で、窓の外を眺めているのかね!?」
「人間、休息は大事ですって。」
 ニッコリ笑って見せるが、デスクには通用しない。
「そんなことしてないで、」
 雷が落ちる前にと、マリューは身を翻すと廊下を駆け出した。
「スクープの一つでも掴んで来いっ!!!!」

 女性にしては珍しい、新聞記者である彼女は、大慌てで社を飛び出す。見上げる程高い建物のそこは、絶えず人が出入りし、記事が飛び交っている。
 ここに入りたての頃。学生上がりで夢も希望も携えていたあの頃と、今では彼女の中で何かが違っていた。
「スクープって言ってもね。」
 はう、と溜息を吐き、彼女はゆっくり街の中を歩き始めた。新聞売りの少年が、街角で声を上げているのに気付き、彼女はそちらへと近づく。
「一部、くれるかしら?」
「アークエンジェル、ドミニオン、エターナル、三社揃ってますが、どうしますか?」
「・・・・・・・・・とりあえず、三つちょうだい。」
 硬貨を渡して、彼女は近くのコーヒースタンドに寄ってそれを広げた。
 街の真ん中を流れる大川の橋に寄りかかり、買ったコーヒーを片手にまずはドミニオン社の新聞を広げてみる。
 最近運動が目立つブルーコスモスという宗教団体についての記事がトップを飾っていた。
 だが、ここはいつもそうだ。ブルーコスモスという団体や、ロゴスという商業団体について世間では批判的なのに対し、ここは随分と良いことばかりを書く。
「・・・・・・・ま、いつも通りよね。」
 続いてエターナル紙を広げる。
 ここの新聞は娯楽に力を入れているせいで、オペラ座の女優・ラクス・クラインのことが一面に乗っていた。今度公演される「静かな夜に」という舞台は、エターナル社が全面的に企画し、バックアップしているものらしく、記事にも力が入っている。
「これもいつも通り。」
 最後に自分の所属する、アークエンジェル社の新聞を広げて、マリューは溜息をついた。
 一面には増え続ける犯罪を憂える記事が載っている。書いたのは、彼女の後輩の女性記者、ミリアリア・ハウだった。
 彼女は恋人を殺人鬼に殺された過去を持つため、この手の記事を書かせると右に出るものは居なかった。
 淡々とした記述のなかに、痛切な想いが滲んでいる。
 後輩の成長にちょっとだけ目元を和ませるも、再びマリューは溜息をついた。

 マリューの記事は、真ん中辺りにある。この街に起こった色々な騒動・良い話・その他ちょっと面白いものからそうでもないもの、とりあえず雑多な事実を拾って掲載する部分だ。
 だが、そういう事は毎日有るわけでもない。自然とインタビューや評論などが掲載されることが多くて、マリューはちょっとやる気をそがれていた。

 何か・・・・・そう、人々の度肝を抜くような面白い事件は無いものか。

 一面トップを飾るようなことでなくて良い。
 ただ、ちょっと面白いかな、と思えるような物があれば良い。

 インタビューや、書籍や舞台についての評論もやっていて楽しくはあるが、そうじゃなくて・・・・そう、先ほどサザーランドが言っていたようなスクープが書いてみたい。

 新聞を全部綺麗に畳み、持っていた鞄におさめると、マリューは橋の欄干にもたれかかったまま、春の空を見上げた。
 コーヒーを一口飲む。
「って、やっぱり。」

 世界はいつも通りなのよね。

 権威ある美食家、ユウナ・ロマへのインタビュー時間が迫ってきている。時計塔の文字盤を見上げて、マリューは「仕事、仕事。」と無理やり自身に気合を入れると、欄干から身体を離した。




「あ、ちゃんと出したんだな。」
 アークエンジェル社の新聞を広げて、隅っこにある広告欄を見てアウルが言う。
「まあなぁ。」
 四角く囲まれたそこには、「お手伝いさん募集中」の文字が載っていた。
「しっかしさ、こんなんで目立つのか?」
 かなりのスペースを取って、色々な広告が載るそこに、男が出した広告は窮屈そうに収まっている。
 カーテンを開け、光の差し込む居間で、太陽にそれをすかしていたアウルは、「しかたねぇだろ。」と振り返る家の主を見た。
「うちは貧乏なんだからさ。」
「屋敷に帰れば良いのに。」
 鍋をかき回す、エプロン姿が情けない。
 トマトソースを作る手を止めて、男はアウルを睨んだ。
「絶対嫌だ。」
「ロアノークの血が泣くね、その姿。」
 ばさ、と新聞をテーブルに放り、アウルは頭の後ろで手を組むと天井を見上げた。ランプの煤に汚れた、低い天井が目に付く。
「有名なロアノークの一人息子が、こーんな狭い家で、有ろう事か毎日トマト漬けなんて、どうかしてるよ。」
「食感が一番近いんだから、仕方ないだろ。」
 弱火にするように、料理用のストーブの薪を調節し、男は振り返った。
「大体、今の世の中で俺らみたいなのがどうやって暮らすって言うんだ?」
「少なくとも、エプロン姿で日がな一日鍋かき回してるのは違うと思うケドな。」
「なんとでも言え。」
 エプロンで手を拭い、男はアウルが隠し持っていたトマトをひょいっと取り上げた。
「あ、ネオ!」
「泥棒まがいに、人の物を掠め取るような男に、言われたくない。」
「・・・・・・・・・・。」
 ぶう、と頬を膨らませるアウルを見た後、ネオはカーテンの向こうの外に目を細めた。
「大体お前だって、そう思うからここに居るんだろうが。」
「・・・・・・・・・まあな。」
 テーブルに突っ伏して、アウルがぼやく。
「俺だってさー。出来ればちゃんとやってたいけど、無理だって知ってるからさー。」
 そんな少年の頭をよしよしして、ネオは籠に載っているバターロールを一個とった。
「ま、そういうこった。」
 ぱくり、と口にしたとき、玄関のノッカーが来訪者を告げ、弾かれたように顔を上げたアウルとネオが顔を見合わせた。
「うっわ!来たんじゃねぇ!?」
「行儀良くしてろよ!」
 椅子の背にかけてあった、黒いベストを着て、上着を羽織ると、彼は大慌てで玄関のドアを開けた。




「お帰りなさい。」
「ただいま。」
 着ていた短めのマントを、マリューから受け取ったのは、最近ようやく舞台への出番が増えてきたキラ・ヤマト少年だった。
「マリューさん。」
 と、この家の主である、金髪の少女が彼女の帰りを聞きつけて居間から出てくる。丁度階段を上がりかけていたマリューは、呼ばれて彼女を見た。
「どうかしたの?」
 金髪の少女・・・・カガリ・ユラが申し訳なさそうに眉を寄せた。
「それが・・・・・言い憎いんだが。」
「?」
 街から少し離れた郊外に、マリューが下宿している屋敷がある。部屋数がかなりある、立派なそこは、何故か主が少女であった。理由はあまり良く知らないが、彼女の人となりが真っ直ぐで、裏表の無い人だと直感でそう思ったマリューは、アークエンジェル社に入社してからずっとここで生活をしていた。
 お手伝いのマーナさんも気持ちの良い人で、何より朝晩ちゃんとご飯が出るのが嬉しかった。
 現在ここで生活をしているのは、舞台役者のキラと、警察官のアスラン・ザラ。それからマリューと、コーヒーショップを経営しているアンドリュー・バルトフェルドである。
 住人同士の交流も結構あって、不思議な家族のような間柄なのに、今日のカガリは、どこと無く他人のような雰囲気を滲ませていた。
 表情を引き締めて、マリューは階段を下りるとカガリの側による。彼女は唇を噛み締めていたが、やがておもむろに顔を上げた。
「来月で、この館を取り壊す事になったんだ。」
「・・・・・・・・・・・・え?」
 呆気に取られて目を丸くするマリューに、カガリは自分の前髪を握りつぶす。
「色々手は尽くしたんだ。だが・・・・・・どうしようもない。」
「あの・・・・・・どういうこと?」
 困惑したように彼女を見詰めるマリューに、傍で話を聞いていたキラが、カガリの肩に手を置いて、マリューを見上げた。
「彼女の家が・・・・・彼女の縁談を推し進めているんです。」
「縁談?」
「私はずっと断ってきたんだ!ここで・・・・・みんなと暮らすほうが断然楽しいし・・・・けど・・・・・・。」
 どうしようもないんだ、とカガリは手を握りしめた。
「カガリさん・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
 悔しげに俯くカガリを困ったように見詰め、それからマリューはキラを見る。
「一ヶ月で・・・・・キラくんは身の振り方が決まるの?」
「・・・・・ラクスとの事を、ちゃんとしたいから。」
 キラは少しだけ照れたように笑うと、小さな声でそう告げた。なるほど。彼は恋人と一緒に暮らす事を決めたのだろう。
「アスラン君は?」
「あいつは、暫く警察の寮に厄介になるって言ってくれた。」
 まだ帰ってこない彼の、勤勉で真面目そうな顔を思い出す。
「バルトフェルドさんは、今月末には転居するお話だったし。」
 店が軌道に乗ったお蔭で、家を買う事を決めたらしい。

 名残惜しそうに、マリューは溜息をついた。

「問題は私か。」

 頼れるような恋人も居ないし、これから家を探すしかない。
「全力で探すから!」
 カガリの「ごめんなさい。」と一杯に湛えた、オレンジの瞳を見つめて、マリューはキラと顔をあわせると苦く笑った。
「って、そうじゃないでしょう?カガリさん?」
「・・・・・・・・・・・。」
 マリューは真正面からカガリに向き合うと、ぎゅ、と彼女の手を握り締めた。
「そう簡単に、あなたはあきらめることが出来るのかしら?」
「・・・・・・・・・・・・・。」
 ぱ、と顔を赤くするカガリが、勢い良くキラを睨んだ。
「お前か!?」
「ち、違うよ!僕が言わなくたって、大抵の人は気付くだろう!?」
 射殺さんとするような彼女の視線を回避し、キラはちらっとマリューを見上げる。それを受けて、マリューがくすくすと笑った。
「そうね、誰が見ても、あなたとアスラン君が良い雰囲気なのは、わかるわよね?」
「マリューさん!!!」
 悲鳴のような声で叫び、真っ赤になるカガリを見ながら、ふっとマリューが柔らかく微笑んだ。
「家のこととか・・・・・色々あるのかもしれないけど。」
「・・・・・・・・・・。」

 退屈な日常。平凡な毎日。刺激の無い生活。

「あなたが望むように生きなくちゃ。」

 私は、こんな生活を夢見て、アークエンジェルに入社したんだったっけ?

「ね?」
「マリューさん・・・・・・。」
 情けないやら、嬉しいやら、複雑な顔をするカガリの金髪を、マリューはくしゃっとしてあげるのだった。




「あれから一週間か・・・・・・・。」
 初めは簡単に次に部屋が決まるかと思っていたが、なかなか決まらず、幸先が不安になって来たマリューは、仕事場の机に力なくうつぶせた。
 身の振り方が決まっていないのは、自分ひとりだけだ。
 ここと同じ条件の部屋を探すから、とカガリは息巻いていたが、ご飯が美味しい下宿が直ぐ見つかるとは思えない。それに、自分は帰りが不規則な仕事をしている。
 深夜に帰ることもしばしばの自分を、大家が受け入れてくれるとはあまり思えなかった。
「・・・・・・・・・・。」
 考えていても仕方が無い。
 そう、むりやり気持ちを切り替えて、インク壷に刺さったままの羽ペンと取ろうとして、「マリューさん!」と後ろから声を掛けられた。
「ミリアリアさん。」
 振り返ると、紙袋を持ったミリアリアが、にっこり笑うのが目に止まった。
「そろそろお昼ですよ?」
「え?」
 もうそんな時間?と窓の外の時計塔を見ようとして、タイミングよく12時を告げる鐘が響いてきた。
「これ、おごりです。」
 差し出された紙袋には、傍の屋台で売っていたホットドックが入っている。ケチャップとマスタードが波打つそれを取り出し、マリューはニッコリ笑って席をたった。
「今、コーヒー淹れてくるわね。」

 今日は中心部でパレードがあるらしく、社内は比較的静かだった。奥のソファーでカメラマンが機材を分解して磨いているのを横目に、二人は休憩室へとやってくると、コーヒーとホットドックで昼食にする。
「あら、美味しい。」
「新しく来た屋台で、水色の髪の男の子がやってましたよ。」
 そこの下で、と彼女は春の日差しが降り注いでくる、テーブルの横の、黒い枠の窓を指差した。
「へー。いつものおばちゃんはどうしたのかしらね?」
 サンドイッチとアイスクリームを売ってた。
 はむ、とパンにかじりつき、ソーセージを噛み切ると、良い香りがした。胡椒が利いていて美味しい。
「少年の話だと、売ってもらったそうですよ?」
 場所を。
 くすくす笑うミリアリアに、マリューが「へえ。」と眉を上げた。
「公共の場所でも、ああいう商売をしてる人たちにとっては、場所代をとる事になるわけね。」
「みたいです。」
「このトマトソース・・・・美味しいわね。」
「え?」
 ケチャップなのかと思っていたら、ちゃんとパンの間にも挟まっていて、どうやらミートソースのようだ。
 感心したように唸るマリューに、ミリアリアが声を上げて笑った。
「マリューさん、ユウナ・ロマに毒されてません?」
「当たり前でしょう?」
 そんな彼女に、マリューは涼しい顔だ。
「インタビューをするのに、相手の本を一冊も読んでなかったら失礼でしょうが。」
 随分と高飛車な文章でしたけどね。
 読んでいて具合が悪くなる本はいくらでも有るが、ユウナ・ロマの著書は、一ページが酷く重く、かなりの日数を費やしてしまっていた。
「それだけ付き合えば、毒されますわよ。」
 食に関することなので、確かに面白かったが、あの書き方をなんとかして欲しかったと零すマリューに、ミリアリアは「そうですね。」と笑いを堪えて答えた。
「あ、そうだ。ミートソースで思い出した!」
 コーヒーを一口飲んで、紙ナプキンで口を拭ったミリアリアが、真っ直ぐにマリューを見た。
「面白い噂・・・・・というか話、聞いたんです。」
「え?」
 小首を傾げるマリューに、ミリアリアが膝を詰めた。
「マリューさん、知ってます?トマト男爵の話。」

 ミリアリアが聞いたのは、自分が借りている部屋の女将さんの友達の話だという。

「その人、ちょっとお金が入用で、新しく仕事をしようと思ったらしいんです。それで、新聞広告に載っていた”お手伝いさん募集”広告に目をつけたそうなんです。」

 彼女は、給金は低かったが、朝と昼の食事の用意と部屋の掃除だけだったので、午後には仕事が終わるからと、そこで働く事にした。
 部屋の主は随分と若く、顔立ちも良いし、なにより態度が紳士的で彼女は良い仕事を得たと、随分喜んだらしい。

 ところが。

「気持ちよく働けると思っていたらしいんですけど、一点だけおかしなところがあったんです。」
 ぱく、とホットドックを口にして、ふんふんとマリューは頷く。
「朝ごはんも昼ごはんも、必ずトマト料理にしてくれ、って。」

 不思議な事だとおもいつつも、彼女は言われたとおり、トマト料理を作り続けた。そして、料理を出すのだが、何故か男はトマト料理しか食べないのだという。

「それだけ?」
「朝に牛乳を出しても、飲まなくて、仕方なくトマトジュースを出すようにしたらしいんです。」

 それでも緩い勤務だし、と彼女は働き続けた。そして、ある日、トマトスープをお昼に作って出したそうです。

「そうしたら、途端に男が怒り出して!」
「ええ!?」

 お前、これに何をいれた!?と物凄い剣幕で男は怒ったかと思うと、突然真っ青になって洗面所に駆け込んだ。その様子があまりにも鬼気迫り、獣じみていたので、彼女は命からがらその家から逃げ出したのだという。

「・・・・・・・・・トマトしか食べないのに、トマトスープは駄目だったの?」
「恐るべし、ですよ、トマト男爵。」
 くすくす笑うミリアリアに、マリューが呆れたように肩をすくめた。
「何?でっち上げの話なのかしら?」
「私はただ、女将さんから聞いただけですから。」
 しれっと告げるミリアリアを見詰め、「ふーん。」とマリューは相槌を打った。
「でも・・・・・。」
「はい。」
「一応は実際の話なのよね?」
「はい。」
 言って、なにやら考え込むマリューを横目に、ミリアリアが苦笑した。
「と、いっても女将さんのお友達の話ですから。」
 噂の域を出ませんよ。
「どこまで脚色されてるのか・・・・・・。」

 ぱくぱくと昼食を食べるミリアリアに「そうよね。」と言いながら、でもマリューは妙にそのトマト男爵について気になった。
 ただの街の噂、ではなく、出所がハッキリしているし。
 コーヒーを喉に流し込み、マリューは午後からその、「トマト男爵」と接触したご婦人に会ってみようと、予定を立てるのだった。




「しっかたねぇだろうが。」
 ひょい、とネオの家に立ち寄ったアウルが、またしても主がエプロンをして鍋をかき回しているのを見て呆れたように眉を寄せた。
「ネオの不器用ー。」
「なんとでも言え。」
 ストーブにかかっていた鍋を、どん、とテーブルの上に移し、アウルが持ってきた瓶を受け取る。
「お、全部売れたのか?」
「まあね。」
 俺って、可愛いから、モテモテ〜。
「おーおー商売上手なことで。」
「今日もさぁ、キレイなお姉さんが、瓶買って来て、『これに頂戴』っていってくれてさ。」
 笑顔で話すアウルに、うんうんと頷いていたネオが手を出した。
「で?」
「ん?」
「これ、売れたんだろ。」
 売り上げ。
「ちゃっかりしてるよなぁ。」
 ぶつぶつ言いながら、それでもちゃんと別にしてあった、硬貨の入った袋を渡し、アウルはネオを見た。
「つかさ。もうそろそろちゃんと身を立てた方が言いと思うケドな。」
「立派に売れてるだろ?俺のトマトソース。」
 そうだけど、とアウルは言葉を濁して、二階を見上げた。
「そうじゃなくて・・・・・さ。」
「・・・・・・・・。」
 それに、ネオは苦くため息をつくと、肩をすくめた。
「地道にやるさ。それに、そのためにはまずお手伝いさんを雇わないとならん。」

 だからそれをもうちょっとしっかりやれよー、といそいそと台所にたつネオに思うのだった。




「トマト男爵ですの?」
 その日、下宿に遊びに来ていたラクスに、お手製のミートスパゲッティを振舞っていたマリューは、彼女がきょとんと目を丸くして首を傾げるのを見た。
「そうなのよ。」
 食卓の上においてあったコーヒーポットをマリューは取ると、食卓に居る人々のカップに、コーヒーを注いでいく。豆は、バルトフェルドが厳選して、戸棚に並べてあるものだから、味は折り紙つきだ。
 それを受け取ったラクスが、身を乗り出した。
「何者ですの?」
「トマト料理しか食べない人なんだって。」
 隣でパンにバターを塗っていたキラが、マリューを見る。
「今日、色々話を聞いてきたんだけど。」
 キッチンに戻って、サワークリームとソーセージを持って戻ってきたマリューが、ポケットに入っていたメモ帳を広げて、二人を見やった。
「どうも、色々誇張はあれど、実際トマトを主食にしてるような人らしいのよ。」
 住所が書かれているそれを見て、トマトスープを飲んでいたアスランが眉を上げた。
「下町ですね。」
「ええ。」
「犯罪などが多い場所なのですか?」
 ラクスが心配そうにする。マリューの事だから、きっと自ら出向くと読んでの発言である。
「それは西のダウンタウンですから。こっちは商業地区として繁栄してますよ。」
 アスランの一言に、マリューはぽん、と手帳を閉じると腰に手を当てた。
「真相を突き止めるのが私の仕事ですから。」
 なんでも、ご婦人の話に寄れば、三人ほどそれに応募して、三人とも直ぐに止めてしまったらしい。
「どうしてです?」
 キラが問に、椅子に落ち着き、フォークでパスタをまいて口に運ぶマリューは、出来るだけ恐そうな顔をして三人を見据えた。
「地下にある拷問部屋を見てしまったとか、夜な夜な寝室で主が何かをしてるとか、一人は男の唇が真っ赤になってるのを見て吃驚したとか。」
 なんですか、それ、と呆れたようにキラが肩をすくめようとして、ふと隣の恋人が少し泣きそうな顔で自分を見上げるのに目を止めた。
「キラ・・・・・そんな恐ろしいところに、マリューさんお一人で出か掛けられるなんて・・・お止めしてください。」
「え?」
 思わずアスランが吹き出し、キラはそんな親友を睨むと困ったようにラクスを見た。
「いや・・・・・それほど危ない話には思えないけど、僕は。」
「そんな。」
「平気よ。」
 銀色のフォークでくるくるとパスタをまきながら、マリューはニッコリ笑って見せた。
「それでこそ、新聞記者、ですから。」
「でも・・・・・。」
 困ったようにマリューを見た後、すがるようにラクスはキラを見る。大丈夫、というように彼は恋人に笑って見せると、「そういえば、」とキラは食卓に並ぶトマト料理を指差した。
「これは、そのトマト男爵の正体を掴むための研究ですか?」
 からかうようなその台詞に、マリューはおどけたように笑うと「ええそうよ?」と涼しげに言ってのけた。
「会社の近くで、ホットドックの屋台が出てるんだけど、そこで量り売りしてたの。」
 美味しいトマトソースだったので、瓶を買って詰めてもらったと、マリューは笑う。
「トマト男爵、どんな人なんでしょうね?」
 ミートソースを掬って、それだけを口に運びながら、アスランがぽつりと零す。
「さあ。」
 それに、マリューが不敵に笑って見せた。
「とりあえず、明日会ってみるつもりよ。」





 道路脇の排水口から、水蒸気が立ち込める。春の夜に掛かる月が、その薄いもやに覆われて、ぼんやりと輝いていた。街の西にある、毛織物工場から出てきた女性が、遠く春の香りが立ち込める夜気の奥に、時計塔が21時を告げるのを聞いた。
(早く帰らなくちゃ・・・・・・。)
 今日は途中で機械が止まり、ノルマをこなすのに二時間残業をしてしまった。
 いつもより暗く、街灯もぼんやりしているこの街の夜に、好んで出歩くのは犯罪者くらいなものである。
 ハンカチのかかったバスケットを手に、彼女は人気の無い道路を歩いて行く。石畳に、彼女の踵が刻む音が響き、何かから逃れるように帰るが、しかし。

 家に辿り着く前に、彼女は冷たい石畳に倒れ伏す事となった。




「ネオーっ!!!!!」
 アークエンジェル社の新聞を手に、アウルがものすごい勢いでドアをたたき、ベッドの中で丸まっていた彼は、なにやらわけのわからぬ事を呟きながら身体を起こした。
「ネオ!ネオーっ!!こら、起きろ、馬鹿ーっ!」
「馬鹿はなんだ、馬鹿は!」
 あさっぱらから煩いぞ、アウル!!
 相変わらず寝起きのくしゃくしゃの髪と、寝乱れた服装のままドアを開けた彼は、すがすがしい春の空気を震わせて鳴る鐘が、八時を告げるのを聞いた。
「まだ八時じゃないか!」
「これ、これみろよ!」
 ずかずかと中に入った少年の肩越しに、手で引くタイプの屋台が歩道に乗り上げるようにして置いてあるのが見えた。
 店を出す前に、ここに来たらしい。
 ばん、と勢い良くドアを閉めて、アウルは持っていた新聞をネオに突き付けた。
「一面!」
「あ?」
 寝起きがあんまりよろしくない男は、ぶつぶつ言いながらその新聞をひっくり返した。
「・・・・・・・・・・・。」



 若い女性、襲われる 驚くべき猟奇的な手口。



 ゴシック体で書かれたその文字と、内容をざっと見た後、顔を上げる。アウルが真剣な眼差しを彼に送っていた。
「自白するのか?」
「馬鹿!」
 ぼふ、と新聞で少年の頭を叩き、ネオはふん、とそっぽを向いた。
「馬鹿はねぇだろ、馬鹿は!」
「短絡的なんだよ、お前は!」
 くるっと背中を見せて「ほらみろ、完全に目が覚めちまった。」と零し、彼は伸びをした。
 顔でも洗おうと洗面所に向かうネオに、アウルが追いすがった。
「違うのか?」
「なんで俺なんだよ、ええ?!」
 ひげそり用のクリームをあわ立てて、薬缶にお湯を沸かしながら、くるっとネオは振り返った。
「だってさ。」
 仏頂面のアウルが、上目遣いにネオを見上げた。
「・・・・・・・・・考えすぎだよ。」
「だって、ネオさ〜・・・・・。」
 二年もこんな生活してんじゃん。
 口を尖らせて、頭の後ろで腕を組む少年に、ネオは肩をすくめた。
「二年できたんだから、まだまだいけるだろうが。」
「けどさ、来るたびに、ネオ、ずーっと遅くまで寝てばっかりじゃんかよ。」
 それって体調がよろしくないって事だろ?
 洗面所の入り口で、所在無げに足を組み変えていう少年に、ネオは蒸したタオルで顔を暖めてから、かみそりを取った。
「それはだな。オレが不健康な生活を送ってるからだ。」
「でもそれって」
「俺じゃない、以上!・・・・・早くいかねぇと、朝の客、逃しちまうぞ?」
 鏡を見て、クリームを顎に馴染ませる男の一言に、アウルは「ち。」と舌打ちすると「分かったよ。」とドアから身を放した。
「でも、だとしたら、これ、大変なんじゃないのか?」
「ロアノークとしては、見過ごせないだろうなぁ。」
 のんびり告げる男からやる気が全く見られないので、アウルは溜息を吐くと、売り物のホットドックを一つと、新聞をテーブルに置いた。
「とにかく、新聞、おいとくからな!」
 部屋をでる彼に、ネオは鏡を見たまま手を上げる。
「あ、そうだ。」
 昨日作ったトマトソースがまだあったはずだ。
「当面の生活費にするから、これ、持ってってくれよ!」
 手に髭剃り、顔にクリーム、髪の毛は全部まとめてタオルでしばった状態で、ネオは肌蹴たままの白いシャツを閃かせて、アウルの後を追った。
 キッチンから持ってきた瓶を片手に、玄関にやって来たネオは、アウルがぽかんと見上げる先に視線をやった。
 彼は、ドアを開けたまま、朝の通りを見詰めていた。
「アウル?」
 側により、ネオはアウルが見ている物が通りではないと知る。
「君、ここの子だったの?」
 ドアの前に立つ、きちんとした身なりの女性が、ノッカーに手を伸ばしたままの状態でアウルに告げるのを、ネオは聞いた。
「え?あ・・・・・・・。」
 恐る恐るアウルが振り返り、戸口に立つ女性の視線が、ネオへと向かう。
「あ・・・・・・・。」
 サンタクロースも真っ青な真っ白の顎にかみそりと瓶を持った、寝起きです、という男性の出現に、女性は困ったように目を逸らした。
 その仕草に、はっとネオが気付く。とりあえず居心地悪そうにしているアウルに瓶を渡し、「帰りにな。」と告げると、少年はこっくりと頷き、女性の脇をすり抜けて階段を下りていった。
「で、あの・・・・・・・。」
 屋台を引いて、元気良く走り出すホットドック屋の少年を見送った女性は、背後から声を掛けられて、振り返った。
「あ、あの・・・・・・。」
 顎の白いクリームを見たまま、女性は苦く笑いながら告げた。
「新聞広告を見て来たんですけど・・・・・・・・。」




「すまんな、ばたばたしてて。」
「いえ・・・・・。」
 居間のテーブルには、昨日の夕食のままです、と言わんばかりの皿が溢れ、その横に新聞とホットドックが置いてある。所在なさ気にそこに立ち尽くしていたマリューは、そこにある新聞がアークエンジェル社のものであるのを知らずにチェックしていた。
 トップの記事は、ミリアリアが書いたものだろう。
「適当に座って・・・・・・・。」
「え?」
 振り返ると、先ほどとは別人の男が顔を出した。

 なるほど。
 ご婦人が言っていた容姿端麗、っていうのは嘘じゃなかった。

「って、そこらへん散らかってて申し訳ない。」
 慌ててテーブルの上の皿を、勢い良く端に寄せて、とりあえず一人分の空間をテーブルの上に作る。
「どうぞ。」
「あ・・・・・ありがとうございます。」
 椅子を引かれて、慌ててマリューはそこに腰を下ろした。
「コーヒーとか、飲みますか?」
「え?あ、いえ・・・・・・。」
 お構いなく。
「朝食は?」
「食べてきました。」
 良い香りがして、ネオが無造作にコーヒーを淹れているのを、マリューは見やった。
「すまないね。」
 カップを手に、男は洗ってない食器が溢れる、マリューの前に座った。
「いえ・・・・・・。」
「でも、変だな。」
 広告には13時から来てくれ、って書いてあったんだけど。
「人に聞いたんです。こういう仕事があるけどどうだって。」
 慌ててフォローするマリューにネオはそうか、とコーヒーを一口飲むと、カップを置こうとしてテーブルに視線を彷徨わせた。
 置く場所が無い。
「・・・・・・・・あの。」
 持ったまま、困ったように笑うネオに、マリューはそっと切り出した。
「なんなら、洗いますけど?」
「え?」
 良く見れば、目の前の男はひげをそっただけで、ほとんど寝起きのような格好である。人間、九時には起きて働き出すと勝手に思っていたマリューが、早く来てしまった所為で、このような事態になっているのだ。
 悪かったかな、という思いを込めて言った台詞に、ネオは思わず相好を崩す。
「いいのか?」
「はい。」
 立ち上がり、マリューはテーブルの上の食器を片付け始めた。
「悪いな。」
「いいえ。」
 キッチンに下がる彼女を見送り、ネオは朝食は後回しにして、着替えをしようと階段を上る。
「お湯、そこの薬缶に有るから。」
 洗い桶に水を溜めるマリューに階段の途中から声を掛ける。はい、と叫んで、マリューはふと、台所の床に詰まれたトマトの箱と大鍋を見た。

(トマトが主食・・・・ていうのもあながち間違いじゃないという事なのかしら・・・・・。)

 煉瓦の上に置かれている鍋の蓋を取って、マリューは中にトマトソースが入っているのを確認する。先ほど、少年が瓶を受け取っていた事を考えると、自分が買ったトマトソースはトマト男爵が作ったものなのだろうと、容易に想像がついた。
「・・・・・・・・・・・・。」

 と、いうことは、数々の噂はただ単に、トマトソース売りの男の話が変形した物なのだろうか。

 お湯半分と水半分を張った洗い桶で、マリューは茶碗を洗い始める。
 そういえば彼はコーヒーを飲んでいた。
(牛乳を出しても飲まないって話だったけど・・・・・・。)
「なんか、悪かったな。雇ってるわけでもないのに。」
「きゃあっ!?」
「あ、ごめん。」
 突然背後から声を掛けられて、マリューはびっくりして後ろを振り返る。
 黒いベストに、真っ白なワイシャツという格好の男が立っていて、彼女の中でのイメージががらりと変わる。

 紳士的、と言っていた意味が分かるような容姿だ。

 卵、卵、と側の棚から籠を出して、目玉焼きを作る男の隣で、マリューは茶碗を洗い始めた。
「あ、一枚くれる?」
「はい。」
 洗い終わったばかりの皿を一枚渡すと、綺麗に卵を焼いた男がそれを皿に移す。
 片付いたテーブルの上に朝食を用意し、側に立ったままのマリューにコーヒーを渡すと、向かいに座るようにネオは促した。
「えー、食べ終わるまで・・・・・・その世間話ということで。」
「はあ。」
「悪いな。不規則な生活しててさ。」
 ネオが肩をすくめる。
「いえ・・・・・私が早く来過ぎたみたいですし・・・・・。」
「お名前は・・・・・・っと、失礼。」
 こほん、と堰をして、ネオは手を差し出した。
「私はネオ・ロアノーク。宜しく。」
「あ、マリュー・ラミアスです。」
 その手を取って握手をすると、ネオはニッコリ笑って食事を開始した。

 ベーコンエッグとトーストとコーヒー。

(どこにもトマトは入ってないわね・・・・・・。)
 しげしげと皿を見詰めて、マリューは内心ガッカリした。ちょっと期待していたのだ。彼が朝からトマト料理を食べるのだと。
(やっぱりガセかなぁ・・・・・・。)
「ラミアスさん?」
「はい?」
 あまりにも不躾に朝食風景を眺めていたからだろうか。ネオが、苦笑しながらマリューを見た。
「一緒に食べますか?」
「へ?」




 彼から説明された仕事の内容は、マリューが聞き込みに行ったものと大差なかった。
(来たわ来たわ、トマト料理っ!)
「夕飯は作らなくて良い。ああ、それから。」
 内心どきどきしながら、神妙な顔でネオからの申し出を拝聴していたマリューは、ちょっとだけ温度の低くなった男の声に、はっとする。
「俺の部屋は掃除、しなくていいから。」
 と、いっても多分昼まで寝てる時もあるから、掃除したくても出来ないと思うんだけどね。
 軽く笑いながら、そう告げられるも、ネオの目は真剣だった。一瞬過ぎったその色をマリューは見逃さない。
 何かがぴんときた。
 記者魂というか、ブンヤの鼻というか。

 何かあるのだろうか、と考えずには居られない、ネオの申し出。

「給料はこれだけだけど、いいかな?」
 一瞬で色々な事を考えた頭を現実に引き戻し、顔を上げると、思わず引き込まれてしまいそうな彼の笑顔にぶつかった。
 反射的に、マリューは提示された金額に頷いていた。
「じゃあ、明日からよろしく頼むな。」
 にこっと笑うネオに、釣られて笑みを返し、はい、とマリューは素直に応じるのだった。




 社に「長期潜入取材」の申し出を立てると、しぶしぶだがサザーランドは許可をくれた。
「悪いわね。」
「いえ・・・・・・。」
 カメラを担当しているノイマンは優秀で、記事も書ける。彼に自分のポジションの代役を頼み、頭を下げると彼は笑顔で応じてくれた。
「それで、ラミアスさん、何を調べようとしてるんですか?」
 デスク周りで必要そうなものを鞄に詰め込むマリューは、ノイマンのその言葉に、「さあ。」とニッコリ笑った。
「まだ何とも。」
「・・・・・・・ネタになるんです?」
「面白い話だと思うし、それに・・・・・。」
 何かあると思うのよね、あの人。
 顎に手を当てて考え込む仕草をするマリューに、思わずノイマンもつられる。
 彼女の勘は結構当たるのだ。
「何かあったら連絡、してくださいね。」
 興味をそそられて、そう言う彼に、マリューは「ありがとう。」と笑顔で応えると、社を出た。

 今、社内は例の奇妙な事件の捜査状況を知るのにてんてこ舞いである。
 エターナル社もドミニオン社も、奇妙な事件の真相を知ろうと躍起になっている。ミリアリアにも挨拶をしたかったのだが、あいにく彼女は現場へと出てしまっていて捕まらなかった。
 わたわたする社内を少し恨めしげに見詰めた後、マリューは「自分の仕事は自分の仕事。」と割り切ると春の埃っぽい通りを歩き始めた。

 彼等は凶悪な犯罪者を。
 私はトマト男爵の真相を。

「とりあえず、男爵に気に入ってもらう為に、トマト料理の勉強でもしますか。」
 目の前の通りを横切り、T字路を左に曲がると、マリューは橋の向こうにある本屋へと歩いて行った。

「・・・・・・・・・・・。」

 その後姿を、屋台を引いたアウルが、じっと眺めていた事など、露とも知らずに。


(2006/04/14)

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