Muw&Murrue
- 凍れる夜の物語 06
- そんな風に。マリューが一生懸命旅をしている間、ネオはどうしていたのでしょう。
マリューには内緒で、ちょっとだけ時間を遡ってみてみましょう。
突然お腹を蹴られて、ネオは跳ね起きました。顔を上げると、にこにこと愛想よく笑う、知らない男が一人立っています。
沈んで行く夕日を後ろから受けているのに、男には影がありません。
普通の人間に変身している、あの仮面の魔法使いです。
「何を寝ているんだ。」
嫌な声です。ネオは青い目で彼をにらみ上げました。今にも飛び掛って喰らい付いてやりたい気分です。
でも、ネオはそれが出来ません。
なぜなら首に巻かれている金の鎖には魔法がかかっていて、決して主人に逆らう事が出来ないように出来ているからです。
ネオは悔しそうに彼を睨みました。
「生意気なオオカミだ。」
また、ネオはお腹を蹴られました。痛くて涙が出そうになりましたが、こんなヤツのために、自分が泣くなんて腹が立つので彼は我慢しました。
「私は今日、これから出かけてくる。お前はここで店の番をしていろ。」
そういうと、魔法使いは、ネオに向かって「晩飯だ」と腐ったソーセージを投げてよこしました。
ネオは奥歯を噛み締めて耐えます。
それも全部、マリューのためです。
魔法使いがどこかへ行ってしまうと、ネオはほう、とため息を付きました。
魔法使いは自分の作り出した、恐ろしい化け物と金色のネオを戦わせて見世物にしていました。
彼はそのために、ネオを手に入れたいと思ったのです。
その見世物は評判になりました。魔法使いの元に沢山のお金が入ってきます。
でも、ネオの扱いは酷いものでした。
恐ろしい化け物と戦って傷ついても、彼はそれを治してはくれません。薬もくれないし、ひごとにネオに与えられるご飯は少なく、粗末なものになっていきました。
酷い雨の夜も外に追いやられ、鎖の所為で木の下にも行けないネオは、一晩中ずぶぬれになったことも有りました。
三日間、ご飯をもらえないこともありました。あまりにお腹がすいて、何か食べ物を探しに行きたくても、ネオの鎖がそれを許してくれません。
四日目にようやく、小さなパンの欠片を貰い、それだけで、彼が呼び出した竜と戦った日もありました。
とにかく悲惨な毎日でした。
今、ここに魔法使いは居ません。でも、この鎖は外れませんしそれに、自分がどこかへ逃げてしまったら、マリューがどんなひどい目にあうかわかりません。
「・・・・・・・・・・・・。」
暮れて行く空に、細い月が光っています。
ネオは傷ついた自分の足と手を舐めて、ふと、すっかりよくなっている、罠にやられた傷を見ました。
一生懸命手当てをしてくれたマリューの姿が思い浮かびます。
マリューの事を思うと、ちょっとだけネオは気持ちが柔らかく、くすぐったくなりました。
それから、魔法使いから隠すようにして、お腹の辺りにしまってあったハンカチとビスケットを取り出しました。
さっき、マリューが落として行った物です。
「・・・・・・・・・・・・・。」
紺色のハンカチには血の染みが残っていましたが、甘いにおいがします。
それから潰れてしまったビスケットから、ハチミツが少し、こぼれていました。
どんな気持ちで、マリューはこれを焼いてくれたのでしょう。
どんな気持ちで、マリューはここまで来たのでしょう。
そして、自分を見て、どんな気持ちだったのでしょう。
少しだけ、ネオはビスケットをかじってみました。甘くて優しい味がしました。
酷い事を、自分はマリューに言ってしまいました。きっとマリューは自分の事を嫌いになったでしょう。
そう思うと、ネオはすごくつらかったのですが、それで彼女が幸せに、人間として暮らすのだと思うと、少しだけ嬉しくなりました。
「マリュー・・・・・・・。」
ネオはそっと呟くと、目を閉じました。ビスケットとハンカチをお腹にしっかりと抱えます。
風の音が聞こえて、それから月の光が降ってくる音が聞こえました。
その音は、丸まって眠るマリューの寝息にそっくりで、ネオは小さく小さく、くーんと鼻を鳴らしました。
本当は。
本当はな、マリュー。
本当は・・・・・会えて嬉しかったんだ。
すごくすごく嬉しかったんだ。
来てくれて、ありがとう。
その日ネオは夢を見ました。あの、樫の木の暖かい家で過ごした楽しい日々の夢でした。
それからネオは、どんなにつらい日でも、ご飯がもらえなくても、雨に打たれても、竜と戦ってひどい怪我をしても、マリューから貰ったハンカチとビスケットを眺めて元気を貰うようになりました。
理不尽で腹の立つこともたくさんありましたが、マリューの甘い匂いを嗅いでいると元気が出るのです。
それに、自分が頑張ることで、マリューが幸せになるのだとそう信じてもいました。
きっとどこかでマリューは幸せに暮らしている。
人間の王子様と結婚して、皆から祝福されている。
そう思うだけで、ネオの胸は暖かくなりました。
それになにより、大事なビスケットとハンカチを抱いて寝ると、月が出ている夜には必ず、マリューの寝息が聞こえてくるようになりました。
そんなある夜のことです。
カビの生えた固いパン(それでも二日ぶりの良い食事でした。)をかじっていたネオは、やって来た魔法使いが悪巧みに顔色をよくしているのに嫌な予感がしました。
「おい、ごくつぶしのオオカミ。いい話が来たぞ。」
彼はヘビのように真っ赤な舌をちらちらさせながらネオに言います。
知らず、ネオは顔をしかめました。彼がこんな事を言う時は、ろくな事が無いと知っているからです。
「この国の王様が、この私の大好評の見世物を見たいと言い出した。」
ふん、とネオはそっぽを向きました。すると、問答無用でお腹を蹴られました。
ネオは慌てました。
ビスケットが崩れてしまったかもしれません。
大急ぎで向き直ると、魔法使いはさらに顔を寄せて言います。仮面の奥の目が、ぎらぎらと輝くのが見えました。
「これはチャンスだ。これで王様に気に入られれば、また王宮暮らしが出来る。」
明日は一番大きくて立派な竜を出そう、と魔法使いが熱を込めて言います。
ネオは嫌でした。
きっと魔法使いはあの手この手を使って、王様に取り入ろうとするはずです。そうして、騙された王様は、きっと魔法使いの言いなりになってしまうのでしょう。
そうなったら、この住みよく、気持ちのいい国がめちゃくちゃになるでしょう。
「いつまで食べてるんだ!」
嫌な顔をするオオカミの口からパンを取り上げて、魔法使いは薄く笑います。
「なんだ?その嫌そうな顔は。」
「・・・・・・・・・・。」
「大好きなマリューがどうなってもいいのか。」
そういわれると、ネオは何も言えなくなるのです。
勝ち誇ったように笑い声を上げて去っていく魔法使いを睨み、ネオはお腹からビスケットを取り出しました。ちょっと崩れていましたが、ばらばらに壊れてはいません。
ほ、と息を付いて、彼はちょっとだけビスケットをかじりました。
満月だったそれは、今は半月になっていました。
(俺は力が無いな・・・・・・。)
その半月のビスケットを見ながら、ネオは溜息をつきました。
この国がめちゃくちゃになるのをとめる力もなければ、魔法使いの呪いの鎖を断ち切る力もありません。
(力が無い・・・・・・。)
もしもネオに、大きな力があったなら。
くだらないことを考えたなと、ネオは溜息をつきました。たとえ大きな力を持っていたとしても、ネオはオオカミなのです。そして、オオカミは人間のマリューと幸せに暮らす事は出来ないのです。
せめて、この半月を元の満月に戻せる力があれば。
溜息を付いて、残り半分になってしまったビスケットを、ネオは大事そうに抱え込み、まぶたの奥のマリューに向かって小さく鼻を鳴らすのでした。
次の日。うきうきと歩く魔法使いは、あの櫛を売っている店屋の姿ではなく、いつもの魔法使いの姿でした。
銀色のマントを羽織り、真っ白なシルクハットを被っています。王様に会うのだということで、ステッキもいつもの黒く、先っちょがはげているのではなく、銀色で、頭のワシの彫刻の目にダイヤモンドが入っているとっておきのものでした。
金色の靴の踵を鳴らして、石畳を歩き、彼はネオを連れてうきうきとお城に入っていきました。
いくつもの扉を抜け、赤いソファーのある控え室に通され、魔法使いは珍しく緊張した面持ちでそこに腰掛けました。ネオはふかふかの真っ白で毛足の長い絨毯を物珍しげに眺めます。
それからふと、顔を上げました。
控えの間の壁に、いくつか肖像画がかかっていて、その一つに一人の少年の絵が飾ってありました。
ネオはそれをどこかで見たような気になりました。
遠い昔に、どこかで。
ぽかんとそれを見上げていると、ぐい、と金の鎖を引っ張られました。は、と顔を上げると立ち上がった魔法使いが冷たい目で自分を見下ろしています。
「お前は何も知らないのだったな。」
魔法使いは小さな声でそういい、ネオは嫌な感じがしました。
「この絵が誰かなど、知らずに死んでいくが良い。」
気分が悪くなるような笑い方をして、魔法使いはやって来た侍従に案内されて、扉をくぐります。
引きずられるようにネオも次の部屋へと通されます。そして、遂に、真っ白で見上げると首が痛くなるくらい大きな扉の前に一人と一匹は立ちました。
ゆっくりとドアが開きます。
金色の光が目を射り、ネオは目を閉じました。それから恐る恐る目を開くと、領主の館とは比べ物にならないくらい立派な謁見の間が目の前に現れました。
見上げるほど高いところに沢山の窓があり、そこには色取り取りの色ガラスで、素敵な絵が描かれていました。
小鳥や、花や、美しい女の人が。
それから床は鏡と見まごう程、ぴかぴかに磨き上げられ、天井から下がるシャンデリアは、物凄く大きく、そして目に眩しく光輝いていました。
とにかくぴかぴかのそこに、ネオは目がくらみました。魔法使いのいっちょうらなど、みすぼらしく見えました。
「お前が街で評判の魔法使いか?」
遠くから、浪々と響く声が聞こえてきました。ネオが顔を上げると、ずっと遠くに、虹色の光を放つ大きな宝石をあしらった玉座が有って、一人の男性が座っているのが見えました。
その隣に、美しい女の人が座っています。
この国の王と王妃です。
ネオは初めて王様とお后様をみました。でもどうしたことでしょう。ネオはなんだか懐かしい気がしたのです。
その声も姿も、遠い昔に見たことがあるような気がするのです。
魔法使いがかしこまって何かを言っています。多分、いつものおべっかを使っているのでしょう。
「それで、」
王様が口を開きました。
「お前が見せると豪語するものは何かな?」
魔法使いが胸を張ります。
「それは、私が作り出した巨大な竜を、ここにいる私の自慢の金色のオオカミが打ち破るというものにございます。」
深々とお辞儀をするその様子に、ふむ、と王様はあごひげを捻りました。
「それでは、そなた。ここでそれを披露してもらおうか。」
微かに笑うと、承知しましたと魔法使いは銀の杖を振りかざしました。
外は良い天気で、色ガラスの向こうから七色の光が降り注いでいます。それが、彼が一言なにやら唱えると、あっという間に曇りました。
日がかげり、さっと城内が薄暗くなります。
彼の掲げる杖の先に、なにやら黒いかすみが漂い始めます。
魔法使いはどこの国にも属さない、怪しい言葉で何かを唱え続けます。するとどうでしょう。杖の周りに立ち込めていたかすみが、どんどん大きく広がり、生臭い風が煌びやかな謁見の間を吹きぬけます。
ぶる、とネオが背中を震わせ、毛を逆立てます。
態勢を低くして、ネオは杖の先をにらみました。
黒いかすみはどんどんどんどん大きくなり、やがて濃くなり、何かの形をとりだしました。
角の生えた頭。鉤型の手足。大きく広がる翼が、打ち震え、やがて耳をつんざく絶叫が空気を震わせました。
真っ黒な塊が色づき始め、ずしん、という音と共にそれが足を踏み鳴らしながら姿を現しました。
動くたびに、銀色のウロコがこすれて、金属音がし、きな臭い匂いが当たりに立ち込めます。
金色の瞳の奥に、炎の燃える銀色の竜が、そこに姿を現しました。
お后様の悲鳴が、聞こえます。王様が慌てて奥さんを支えるのを見て、一気にネオは後ろ足で床を蹴りました。
後はもう、死に物狂いです。気を抜けば、ネオが殺されてしまうのです。
大きくて愚鈍な竜は、素早いネオの動きに翻弄されています。でも、尖ったネオのつめや牙では、なかなか竜を傷つけることが出来ません。
銀色の竜が吐き出した炎に、ネオの尻尾が焦げました。ついでに鋭い爪で耳を引っ掛かれました。
それでもネオは、気持ちを奮い立たせて竜に突っ込んで行きます。
誰もがその様子に目を奪われ、息を飲んで彼らの戦いを見詰めます。
その時です。
おかしな事が起きました。
今まで悠々とその戦いを見守っていた魔法使いが、急にあぶら汗をかいて、青ざめたのです。
なにやら胸元を掻き毟っています。近衛の一人が、その様子に気付きました。魔法使いはよろけるように足を踏み鳴らし、手から銀色の杖が落ちました。
恐ろしいくらい大きく、その杖が床に当たる音がこだましました。
気付いたネオが、ちらりと魔法使いを見ました。様子のおかしい彼に、一瞬だけどうしたのだろう、と考えました。
見物人の視線も、王様の視線も、竜からはがれ、魔法使いのそそがれます。
どよめきが起こりました。
竜の動きが鈍くなり、その鼻先にネオはがぶり、と噛み付きます。そのネオに歓声が起こった次の瞬間、おかしな悲鳴が上がりました。
物悲しく、ぞっとするような・・・・それは霧の夜によく聞くような、耳を塞ぎたくなるような声でした。
震える竜に喰らいついたまま、ネオは魔法使いを見ました。
彼はがっくりと膝を付き、天に向かって手を伸ばしています。
力いっぱい伸ばしています。
ぴん、と伸びた指先が、細かく震えていました。
そして、口汚く何かをののしり始めたのです。それは早口で、誰もその意味を理解できません。
ただ、最後に「今日こそ呪い殺してやる!!!」という言葉だけがあたりに浪々と響きました。
見物人の視線が集中する中で、、突然魔法使いが真っ黒なかすみに包まれ、そして、あっという間に姿を消したのです。
竜も、霧になってしまいました。
今までの壮絶な戦いは突然消え、竜も魔法使いも忽然と姿を消しました。。
そうです。
マリューが魔法使いをやっつけた時、お城ではこのようなことが起きていたのです。
会場にざわめきがおき、近衛兵が、槍を構えて王様とお后様の前に立ちふさがります。黒い霧が辺りに立ち込め、何も見えません。
ネオは?
ネオはどうしてしまったのでしょうか?
その時です。
ふうわりと優しい風が、どこからともなく吹いてきて、さあ、と黒い霧が晴れました。
お后様の悲鳴が再び謁見の間に響き渡りました。
なんと、広間の真ん中に、金髪を少しだけ焦がし、耳を怪我した青年が倒れていたのです。
彼の首にかかっていた金色の鎖が、みんなの見ている前であっという間に朽ち果て、砂になりました。
そうです。
ついにネオは元に戻ったのです。
でも、彼は気を失っていました。王様が恐る恐る彼に近づきます。突然消えてしまった魔法使いと竜とオオカミについてどうしても聞きたかったのです。
そして、この若者がどこから現れたのかも・・・。
「そこの・・・・・もし・・・・・。」
「王様!そのように近寄られては!」
近衛が慌てて近寄るその時、王様は、ネオの左腕に小さな刻印を見つけました。
羽の模様・・・・・そう、この国の紋章です。
「これは・・・・・・・・。」
そうです。それはずっと昔に居なくなってしまった、王様の息子の腕に刻まれた刻印でした。
お城中が、突然帰ってきた王子に驚き、そして喜びの声が駆巡りました。
それから長い間、皇子の帰還をお祝いするお祭りの日々が続きました。たくさんの花火が上がり、紙ふぶきが空を舞いました。
喜びの声で国中が沸き立ちます。
そしてもう一つ。
とても嬉しい事が起こりました。
でもそれは、ネオを元に戻したマリューには悲しい出来事だったのです。
(2005/11/17)
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