Muw&Murrue

 凍れる夜の物語 04
 日差しのぽかぽかと気持ちのいい午後、ネオとマリューは連れ立って、街が見下ろせる小さな丘に来ていました。そこの斜面に並んで座ると、目の下にマリューがかごを売ったり色々な物を買ったりする街が、玩具の街のように広がりました。
 端から端まできれいに見て取れます。
「ごめんな。」
 そっとネオが、今日何度目になるか判らない、謝罪の言葉を口にしました。それに、マリューは可愛らしく微笑みます。
「いいって言ってるでしょ?」
「でもさ・・・・・・。」
「あ、ほら!」

 街の奥にある小さな教会から、きつねのカップルが出てきました。
 花嫁さんは、真っ白なドレスを着ているのが、遠目からでも判ります。キレイな紙ふぶきが舞い上がり、風に乗って歓声が聞こえてきます。

 おめでとう、おめでとう。

「・・・・・・・・・・・・。」
 はしゃいだように手を叩く彼女も、実はあのきつねのカップルの結婚式に呼ばれていました。でも、オオカミのネオと一緒には行けなくて、お誘いを丁寧に断ると、彼女はここで、ネオと並んできつねのカップルを祝福しているのです。

 でも、ネオは不満でした。

 自分が街に行けば、白い目で見られるのは、オオカミがあまり他の動物と付き合わない所為だから仕方の無いことだと思っています。
 でも、その所為でマリューまで巻き込むのがネオは嫌でした。
 街の連中に嫌な目で見られるのは嫌ですが、楽しい思いをしないのも嫌なのです。
「なあ、マリュー。」
「だからいいんです。」
 そういうと、マリューはそっとネオの体にもたれかかりました。
 いつものネオの香りがして、マリューはうっとりと目を閉じました。
「貴方とこうしていられるのが、一番大事なんだから。」
「・・・・・・・・・。」

 でもネオはオオカミで、マリューはウサギです。

 ネオはもう一度、きつねのカップルに目をやりました。
 彼らは皆から祝福されて、本当に幸せそうです。惜しみない拍手と、次々と掛けられる優しい言葉。

「いいなあ・・・・・・・・。」
 うっとりと目を細めたマリューが、ぽつりと呟きました。
「素敵ね。」
 その言葉に、ネオは小さくうなづくと、そして、重たいものでも飲み込んだように、その言葉がお腹の底に沈みこむのを感じました。

 オオカミとウサギ。
 いいえ、もっと言うと、オオカミと人間。

「ネオ?」
「・・・・・・・何でもない。」
 急に寒くなったような気がして、ネオはぎゅ、とマリューを抱きしめました。それから目を閉じる彼女の口を、ぺろっと舐めます。

 彼女の本当の幸せは、きっとここじゃない。

 柔らかい彼女の感触と、自分を抱きしめた月夜に見たすべすべの彼女の感触。



 こんなのは嘘なんだ。



「大好きだよ、ネオ。」
 告げるマリューの気持ちが本当だけに、ネオは辛くなるのです。


 自分では、この大好きだと言ってくれる小さなウサギを幸せにすることすら出来ないのだと。

 彼女を幸せにする方法。
 あんな風にたくさんの祝福をもらえるようにする方法。


 その日から、ネオはぼんやりする事が多くなりました。マリューはそんなネオが少し心配で、いろいろと話しかけました。
 そんな時、ネオはいつもと同じで、だからマリューは少しも気にしていなかったのです。

 ネオが、考えていた事を。




 その日は今にも雨が降りそうな、春の風が生ぬるい午後でした。いつのものように、かごを売りに行くマリューを見送ると、ネオはすっくと立ち上がり、家を出ました。
 それから真っ直ぐに駆け出しました。
 春の地面は柔らかく、芽吹いたばかりの緑のいい匂いが、あちこちに漂っています。
 湿った空気も柔らかく、暖かく、でも、そこをひた走るネオは、真剣な表情でした。

 やがて彼は、飛ぶように走っていた足を止めました。
 彼は睨みつけるようにそこを見上げました。

 今はもう、ひっそりとして、誰もいなくなった魔法使いの実験場である、彼の丸太小屋です。

「・・・・・・・・・・・・・。」
 深呼吸をすると、ネオはゆっくりと三段しかない階段を上がって、そ、と丸太のドアを押しました。
 中は湿っていてかび臭く、散らかり放題でした。
 床が焦げているのは、真冬に魔法使いと対面した名残です。

 そんな部屋の中央に立ち、ネオは喉をそらして吼えました。

 三回ほど、吼えました。

「誰だ、私の家を荒らすのは。」
 するとどうでしょう。
 黒い霧のような物が立ちこめ、やがて一つのところに集まると、人の形をとったではありませんか。
 その人の形をした、黒い霧が、ゆっくりと色づき、ネオとマリューが追い払った魔法使いがそこに現れました。
「やっぱりな。」
 低く姿勢を落として、ネオは唸るように呟くと、魔法使いを睨みました。
「カラスから聞いたんだ。この家に出入りしている黒い影がいるって。」
「・・・・・・・何の様だ?汚らわしい生き物が。」
 低く、ネオは言いました。
「お前がマリューに掛けた呪いを今すぐに解け。」
 それに、微かに魔法使いを目を見張りました。
 仮面の奥できらりとそれが光ります。
「それは出来ない相談だな。」
 魔法使いはずるく笑います。
「何故だ。もう領主はここには居ない。」
「私も興味があるのだよ。」
 くすくすと、嫌な感じで魔法使いは笑いました。
「アイボリー色の小さなウサギにね。」
 かっとネオが口を開きました。
「マリューに手を出したら、俺が許さないからな!」
 いきりたつネオをじっと見詰めた魔法使いは、それからとても嫌な感じで笑いました。
「そうだな。」
 彼の口元に、冷たい笑みがひらめきます。
「呪いを解いてやってもいいが、その代わりにお前が私の飼い犬になるというのでどうだ。」

 ネオは大きく目を見開きました。

 この男に飼われる?

 冗談じゃない。

「そうすれば、お前の大好きなマリューの呪いを解いてやろう。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 このまま、マリューと一緒に暮らしたとして、彼女は本当に幸せなのだろうか。
 その疑問が、ネオの胸をたたきます。

 そうだ。
 自分はどうなってもいいからと、ここに来たのではなかったろうか。

「本当に約束するんだな?」

 大好きな大好きなマリュー。
 彼女と一緒に居て、ネオはとっても幸せでした。
 そう、なににも変えられないくらい。

 何にも変えられない幸せが、自分の中に有るのなら。

 そんな時間を自分が持っているのなら。

 ぞっとするほど冷たく魔法使いが笑いました。

「もちろんだよ。」



 マリュー・・・・・・・・・・俺は君がなんでも・・・・人間だろうがウサギだろうが、もっと別なものだろうが、俺は君が大好きだ。

 ずっとずっと大好きだよ、マリュー・・・・・・・・・・・。









「え?」
 ふとマリューは振り返りました。さわさわと春の湿った風が、マリューの鼻を撫でていきます。
「?」
 耳のいいマリューは、何かを聞いたような気がしました。でも、それは風に溶けて、よく聞き取れません。
「・・・・・・・・・・。」
 ふと、今日はネオのためにハチミツ入りのビスケットを焼こうと彼女は思い立ちました。
 街から家へと戻る道を、彼女は大急ぎで歩き始めます。

 それから、彼の好きな魚を焼いて、それから甘いお茶を飲もう。とっておきのプラムのジャムを出してもいい。
 それから、それから、それから・・・・・・・・・。

 不意に、マリューは足を止めました。
「え?」
 視界が、銀色の粒に覆われるのを見たからです。
「え?ええ!?」
 時間はまだ、午後の三時前です。
 曇った空の向こうには、太陽が隠れているような時間です。
 それに、今日は満月ではありません。

 なのに。

 マリューの手からかごが滑り落ちました。

「どうして・・・・・・・・・・。」
 すらりと伸びた、自分の手足。
 頬にかかる栗色の髪。
 そして、じかに肌を撫でていく春の風。

 満月でもなければ、月夜でもない時間に、マリューはもとの姿に戻りました。

「これは・・・・・・・・。」
 こんな事初めてです。
 そこで、マリューははっと気付きました。そのまま慌てて森の小道を走ります。辿り着いた樫の木の家で、首からさげていた鍵で、あの小さなドアを開くと、彼女はしまってあった大切なドレスを着ました。それからしゃがんで自分の家を覗き込みました。そこに、ネオの姿はありません。
「・・・・・・・・・・・・。」
 彼女は顔を上げます。
「ネオ。」
 呼んでみます。

 でも、どんなに耳を澄ましても、もう、うさぎほど耳のよくないマリューには、風の声も木々の声も聞こえません。

「ネオ!」
 泣きそうになりながら、マリューは叫びました。
 そういえば、ネオは何か考え込んでいなかったでしょうか?
 塞ぎこむように遠くを見ていなかったでしょうか?
「ネオ!!」
 あちこちを探して歩きながら、マリューはとうとう魔法使いの家の前まで来ました。


 ああ、でもそこには、もう、魔法使いの家はありませんでした。


 そこにあったはずの、丸太小屋は綺麗さっぱりなくなっていたのです。


 そして、そこには、マリューがネオに上げたハンカチが落ちていました。

 血が付いて汚れたそれを、マリューは綺麗に洗って、どうしても、というからネオの足首に巻いてあげたのです。

 それが、悲しく落ちていました。



 ネオはもういません。



 その事実に、マリューの胸が潰れそうになりました。

 ネオは魔法使いに何かを頼んで、自分の呪いを解いてくれたのだと、はっきりとマリューは知りました。

「嫌だ・・・・・・・・・・。」
 ハンカチを拾って、マリューはその場にうずくまりました。
「いや・・・・・・・・。」
 涙が後から後から溢れてきます。



 彼が何だろうと。
 オオカミだろうとなんだろうと。
 マリューはそれでも彼が大好きだったのです。
 誰からも祝福されなくたって、マリューはへっちゃらなくらい、ネオが大好きだったのです。



「嫌だ・・・・・・嫌・・・・・・嫌よ!!」
 戻ってきて!!!!!


 人間になんか、戻らなくたって良かったのに!!!



「ネオーっ!」



 マリューは力いっぱい叫びました。
 悲しい声で叫びました。

 でも、もう、その声はネオに届く事はありませんでした。













 悲しみにくれるマリューは、自分の国へと戻りました。ずっとずっと長い間行方不明だった、美しいこの国の一人娘が戻ってきた事に、国中がお祭り騒ぎです。
 でも、マリューは一人、自分の部屋に閉じこもって泣き続けました。
 王妃がどうしたの?と聞いても、彼女は首を振るばかり。
 王様が具合が悪いのか?と訊ねても、彼女は首を振るばかり。

 やがて、リンゴしか食べなくなった彼女を心配した王妃が、手作りのハチミツ入りビスケットを作って彼女に差しだしました。
「ちゃんと食べないと、病気になってしまうわよ?」
 そう言って、差し出された甘い匂いのお菓子に、マリューは勢いよく泣き出しました。
 泣きながら、彼女はビスケットを食べました。

 小さなあの家で食べたのと、同じ味がしました。

 思い出すのは、あの、素敵なオオカミのことばかり。

 泣き続ける娘を、王妃は抱きしめました。

 やがて彼女は、ビスケットを全て食べ終えると、涙を拭って母親を見上げました。
「母さま。」
 彼女は泣き濡れた赤い瞳を、母に向けて言いました。
「凄くよくあたる占い師を一人、呼んでくださいませんか。」
「え?」
 マリューは息を吸い込んで、それから吐き出しました。
 お腹に力を入れます。
「探したい・・・・・・・・方がいるんです。」
 真剣な娘の表情に、王妃は柔らかく微笑むと、そっと彼女の髪の毛を撫でてあげました。
「それなら、母さまに任せなさい。国中ドコを探しても、母さまよりも優れた占い師も魔法使いもいないのですよ?」
 片目をつぶる母に、マリューは抱きつくと、そっとネオの特徴を話しました。


 それから、行方知れずになっていた間のことも。


「でもマリュー・・・・相手はオオカミなのよ?」
 微かに困惑した母の言葉に、しかし、マリューは首を振りました。
「大好きなんです。だから、探したい。もう一度逢いたいんです。」
 娘のキレイな眼差しに、王妃は何もいえず、ただ、愛しさを込めて抱きしめると、自分の部屋へと引き返し、大きな鏡をもって戻ってきました。
「さあ、マリュー。これはあなたにあげた鏡よりも、もっともっと強力なものです。」
 じっと目を見詰められて、マリューはこっくりとうなづきました。
「だから、この鏡は持つものの願いを聞き届けてくれます。」
 お前の思いが強ければ強いほど、きっと良い事を教えてくれるはず。

 肩を抱かれたマリューは、そっとその鏡の柄を握り締めました。目をつぶります。



 どうか、どうか、月の鏡。

 私の大好きなあの人の あの人の居場所を教えてください。



 ああ、何も写らなかったらどうしよう・・・・・。


 不安に押しつぶされそうな思いのまま、マリューはそっと目を開けました。

(2005/11/17)

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