Muw&Murrue

 凍れる夜の物語 03
 領主から、お礼に金の鎖を貰った魔法使いは、早足で家へと向かって歩いていました。
 彼は貰ったばかりの金の鎖を、かごに閉じ込めているウサギの首に付けることしか考えていませんでした。
 森の動物は皆、この魔法使いが嫌いでした。
 彼が来てから、領主はどんどん森を切り開き、動物たちをいぢめるようになったからです。

 こずえに止まるカラスが、魔法使いを呪う言葉を吐きました。
 けれど魔法使いは平気です。

 なぜなら、呪いよけの呪文を知っているからです。

 うっとうしそうにカラスを睨み、魔法使いは物凄い速さで歩き出しました。
 紫の煙を吐き出す、自分の家の煙突が、冬枯れた木立の奥に見えます。

 彼は真っ黒なコートの雪を払い、被っていたシルクハットを拭い、持っていた黒い杖で、どん、とドアを突きました。
 彼にしか外せない、鍵穴の無い、ダイヤモンドの南京錠が、ドアの内側でかちり、と外れ、手袋を脱いだ彼がゆっくりと家の中に入りました。




 魔法使いが入ってきたのを、マリューとネオは小麦粉の袋の隙間から見ました。じっと息を殺して、山積みになっている袋の影に二匹は潜んでいるのです。

 ずしり、と重たい銀の鏡に、マリューの手が痺れます。
「大丈夫。」
 小さく震えるマリューの耳を、ネオは舐めてあげました。
「大丈夫だから。」
 寄せ合った体から、ネオの暖かい鼓動が聞こえて、マリューがぎゅ、と手を握り締めました。

 街の皆を苦しめる領主。
 その領主に力を与えているこの魔法使いさえ、ここから追い払う事が出来たら。

 魔法使いはうきうきした足取りで居間を通り抜けて、マリューの居た鳥かごの辺りに近寄りました。

 マリューはかごに、側にあった布をかぶせておきました。そしてその先端に、銀色のカップと、そのカップの中に、ネオが見つけてきた怪しげな魔法の薬を入れておいたのです。

 楽しそうに気味悪く笑う魔法使いが、勢いよく布をめくりました。
 端においてあったカップが倒れて、凄い音を立てて床に落ちました。
 奇妙な薬が床に落ち、煙が立ちます。
「いまだ!!」
 ネオの背中にマリューが必死でしがみ付き、彼が一気に走り出しました。薬品に慌てる魔法使いが、立ち上る煙の奥に紫色に見えます。
「誰だ!?」
 気配を感じた魔法使いが、さ、と杖を振り上げました。
 一瞬だけ煙が晴れて、仮面をした魔法使いの、怒りに歪んだ顔が見えます。
 おびえたようにマリューが、ぎゅ、とネオの首筋の毛を握り締めました。
「さあ、マリューさん!」
「でも・・・・・・。」
 彼女の震える手の感触が伝わってきて、ネオは慌てて立ち止まるとひらり、と身を翻しました。
「オオカミめ!」
 叫んだ魔法使いが、煙の向こうから、魔法で作り出した氷の粒を飛ばしてきました。
「ああ!?」
 咄嗟に背中のマリューを庇うように身体を捻り、側の机に飛び乗ったネオの左頬に、それは当たりました。
 血が、マリューの顔に当たります。
「ネオ!」
「マリューさん!」
 促されて、マリューは勇気を振り絞って、正面からやってくる魔法使いを睨みました。

 身体にまとわり着く煙をうっとうしそうにする彼が、もう、すぐそこまで来ています。

「おいたはいけませんよ、マリューさま!」
 立ち込める濃い煙の向こうから、ぬ、と白い腕が伸びて、マリューはがぶり、とその手をかみました。
 悲鳴が上がります。


 いまです!


 マリューは手にしていた重たい鏡を彼に向けました。



 つきよ つきよ おおきなつきよ

 そこからここへでておいで

 おおきなそらへ でておいで



 その瞬間、マリューに呼ばれて、銀色の鏡に閉じ込められていた月が、真っ白な光を放ちながら鏡から出てきました。

 魔法使いの悲鳴が上がりました。

 魔法使いはよこしまな魔法を学んだひとでした。
 だから、白い光は大の苦手だったのです。

 彼は大急ぎで、「あかりけし」の呪文を唱えました。でも、真っ白な光を放つ、まんまるな満月には通用しません。
 仮面で覆っているとは言え、彼の目にはその光は毒以外のなにものでもありませんでした。
「お前たち・・・・絶対に許さないぞ!絶対にだ!」

 魔法使いはそう、一声叫ぶと、大急ぎで魔法でドアを作ると、そこから逃げていきました。


 その場には、ごろん、と落ちているまん丸な月と、ぽかんとそれを見ているネオと、恐くて恐くてぶるぶる震えているマリューだけが残りました。

 マリューを背中に乗せたネオは、そっと月に近寄りました。

 まんまるで、黄色いのに、真っ白な光を放つそれを、ネオはちょっと舐めてみました。
「甘い・・・・・。」
 かじったらおいしいのだろうか?

「ダメ!」
 そのネオをマリューは慌ててとめました。
「食べちゃダメ!」
「でも、おいしそうだぜ?」
「帰ったら、似たの作ってあげますから・・・・・・。」
 彼女の声は震えていました。

 無理もありません。

 あんな恐ろしい魔法使いに立ち向かったのですから。
 こんな、小さな、アイボリー色のウサギが。

「月はどうするんだ?」
「夜になったら空に帰ります。」
「そっか。」
 ネオは背中にしがみつくマリューを、一刻も早く暖かい家に連れて帰ろうと、一目散に冬の道を走り出しました。

 振り返った魔法使いの家からは、紫の煙はもう、出ていません。

 その代わり、窓から黄色くて暖かい光が溢れていました。










 こうして、魔法使いを森から追っ払った二人は、ようやく樫の木の根もとの家へと帰ってきました。
 震えているマリューを自分が寝ていたクッションに降ろして、ネオは火をおこし、お湯を沸かすと、温かくて甘いお茶を淹れてあげました。
 小さく震えていたマリューは、そのお茶を一口一口、ゆっくり飲むと、ほう、と息をついて、涙に曇った眼をネオに向けました。
「ネオ・・・・・・ごめんなさい。」
「え?」
 マリューが笑ってくれるのを楽しみに、お茶を飲む彼女をしっぽをぱたぱたさせてみていたネオは、悲しげなマリューに首を捻りました。
「なんで?」
 そ、と近寄ったマリューが、ぺろ、と彼の左頬から鼻筋に掛けて付いた傷を舐めました。
 ちょっぴり、傷が痛んだ所為で、しっぽが、ぴんとなりました。
「ごめんなさい・・・・私にもっと勇気があれば。」
「そんな事無いさ、マリューさん。」
 ネオはニッコリ笑うと、自分の左足を彼女に見せました。
「ほら、罠、取れたのってさ、マリューさんのおかげだろ?」

 一人で領主のところに行ったんだろ?

 それに、マリューは微かに目を見張ると、困ったように笑いました。
 その様子に、ネオは聞いちゃいけなかったのかな、とちょっと後悔しました。

「あのね、ネオ・・・・・わたし、」
「なあなあ、マリューさん。」
 何かを言いかけるマリューを制して、ネオがうきうきといいました。
「それより、さっきのお月さん。」

 丸くて黄色くて甘いあれ。

「作ってくれる約束だよな?」
 ニコニコ笑って、しっぽをぱたぱたさせるネオに、マリューは心から感謝し、そして、心から大好きだなと思いました。
「じゃあ、ちょっと待っててくださいね。」
 彼女は立ち上がると、材料をとりに家を出ようとして、そして、床に落ちていた鏡と紺色の、夜空のドレスを拾い上げました。
 ネオは気付かない振りをして、あさっての方向を向いています。
「・・・・・・・・・・ありがとう。」
 小さく呟くと、マリューはそれを大事そうに抱えて外に出ると、そっと元の場所にしまい、そしてネオのために、甘くて黄色くて丸いビスケットを作ってあげるのでした。






 それから二人は冬の間、一緒に暮らしました。ネオの足の怪我は、無理をした所為でちょっとだけ悪くなっていましたし、それに、新たに顔に傷も付いてしまいました。
 マリューは自分を助けてくれたネオを一生懸命お世話しました。
 でもそれは辛い、とか苦しい、とかそういうのではありませんでした。

 むしろ、たった一人でこの家に住んでいたマリューにしてみれば、楽しくて仕方の無い日々だったのです。
 マリューに足の怪我に薬を塗ってもらっている間、ネオはふんふん、とマリューのにおいをかいでみました。
 甘くていい匂いがします。
「マリューって、ビスケットの匂いがする。」

 あの日作ってもらった、蜂蜜入りのビスケットは、ネオの大のお気に入りです。

 それと同じ匂いがする、といわれて、マリューは顔をしかめてオオカミをにらみました。
「食べる気なら追い出しますよ。」
「食べないよ。」
 慌ててネオが言います。ほんとうですか?なんて笑うマリューの耳を、ネオは舐めてみました。
 ぴる、と彼女の耳が無意識に動きます。それが可愛くて、ネオは何度か彼女の耳を舐めてみました。
 ぴるぴる動く彼女の耳に、嬉しそうにしていると、とうとうマリューが怒りました。
「ネオ!耳で遊ばないで下さい!」
「だって、マリューさん可愛いんだもん。」」
 そういうと、イタヅラ好きなオオカミは、ウサギを抱え込むと、ぺろぺろ彼女を舐めだしました。
「ちょっと!」
「お礼に毛づくろいしてあげる。」
 くすぐったい感触に、怒っていたマリューも終いには笑い転げてしまいました。

 ネオの金色でふさふさしたお腹は気持ちが良くて、小さくて暖かいマリューはネオにとって居心地が良くて。

 そうやって二人は寄り添うようにして長い冬を越えていきました。




 そんなある日。

 ネオは朝から、近くの凍った湖へと来ていました。最近ネオは、足の具合もだいぶよくなってきたので、マリューのために釣りをするようになりました。

 凍った湖に、小石を投げて穴を開けて、湖の淵からしっぽをたらすのです。
 何度か水の中でしっぽを振ると、大きめのサカナが食いついてきて、それを引き上げるのです。
 サカナを持って帰ってくると、しっぽが凍えていて、それを見たマリューは泣きそうな顔で暖かいタオルを持ってきて、一生懸命ふいてくれるのも、ネオは大好きでしたし、魚のスープや、焼き魚はネオの好物だったので彼は自然と湖によく行くようになりました。

 その日も大量のサカナを抱えて戻ってくると、家には誰も居ませんでした。朝、マリューがかごを売りに行くと言っていたのを彼は思いだしました。
 ちょっとがっかりして、火の前でしっぽを乾かしながら、ネオはマリューの帰りを待ちました。

 でも、マリューは帰ってきません。

「おいおい・・・・・・。」
 見上げる天井の窓からは、濃紺の空と、そこに輝く銀色の星だけが見えました。
 凍ったように動かないその星に、ネオは青くなりました。

 お姫様に騙され、更に魔法使いが居なくなった事で、領主はすっかり狩を諦め、退屈な森から居なくなっていました。
 だから、森のあちこちにしかけられていた罠はすべて無くなったはずです。
 でも、もしかしたら、一つくらい見逃しているのもあるのかもしれません。

 そう。
 アイボリー色の小さなウサギ用の罠とか・・・・・・。

 そう思うと、いても立ってもいられなくなって、ネオは家から飛び出しました。

 外は満月です。

「戻ったんだ・・・・・・・。」
 あの日以来初めて見る満月です。
 かじらなくて良かったなと、まんまるなそれを見ながら、ネオは釣ってきた魚の入っているかごを覗き(マリューが触ったかもしれないと思ったのです)それから、凍える雪に鼻を突っ込みました。
 さらさらした雪からは、冬の匂いしかしません。
 ネオは風に耳をそばだて、鼻をふんふんしました。

「!!」

 しました。

 あの、マリューの甘くて優しい匂いです。

 ぴん、と耳をたてて、ネオは大急ぎでそちらに向かって走り出しました。

 ネオとマリューが初めて会った森の広場に、ネオはマリューを見つけました。
 マリューはかごを脇に置いて、濃紺の空を渡る、銀色の月を見上げていました。
 アイボリー色の毛並みに、銀色の光が降り注ぎ、一本一本がきらきら光っているように見えます。
「マリュー。」
 そっと声をかけると、は、と彼女が振り返りました。
「よかった・・・・・帰ってこないから、俺、」
 そこまで言うと、ネオは近づこうとしていた足を止めました。

 彼女が酷く悲しそうな顔でネオを見たからです。

 来ないでほしかった。
 見ないでほしかった。

 彼女の目はそう言っています。

「マリュー・・・・・・・・・。」
「ネオ・・・・・・。」

 本当に本当に悲しそうにマリューがそう言ったその時です。

 マリューの体がキラキラと輝き始めました。
 細かい光の粒が、彼女の周りに舞っています。それが、どんどんどんどん増えて、目に痛いくらいの、鋭い銀色の光が炸裂し、ネオはぎゅ、と目を閉じました。



 どのくらいそうしていたでしょう。
 ネオは恐る恐る目を開きました。

 銀色の月明かりが降り注ぐ、雪の森の広場に。

 マリューは居ませんでした。

 代わりに、色白の手足のすらっとした、栗色の髪の女の人が、雪の上に座っていました。

 月の光の雫が、彼女の身体を滑っています。

「ネオ・・・・・・・・。」
 キレイな声が、ネオの名前を呼び、ぽかんと彼女を眺めていたネオは、は、と体をこわばらせました。
 そこにいる人間からは、マリューの匂いがします。
 緊張して、真っ直ぐになっているネオのしっぽを見て、マリューは悲しそうに俯きました。
「ごめんなさい、ネオ・・・・・・私・・・・・本当は人間なんです。」
 それに、ネオの空色の瞳が大きく大きくなりました。
「ごめんなさい・・・・・・。」
 それに、彼女は手を顔に当てて、しくしくと泣き出しました。慌ててネオは彼女に近寄ります。
 彼女は何も身にまとっていませんでした。
 とても寒そうで震えています。
 彼は慌てて彼女の膝の上によじ登ると、下から彼女の顎を舐めてあげました。
 暖かいネオを胸の辺りに感じて、マリューは顔を上げます。涙に濡れた白い頬も、ネオはなぐさめるように舐めてあげました。
「なんで泣くのさ?」
 そう言うと、ネオは真っ直ぐにマリューを見ました。しかし、驚いたことにマリューは微かに首を振って、「人間は、貴方たちの言葉がわからないの。」と悲しそうに言いました。

 自分の言葉が通じない。

 ネオは彼女を慰めたいのに、その言葉は伝わらないのです。

「嫌われて当然なの。私は本当は貴方たちの大嫌いな人間なんだから。」
 そう言って再び泣き出す彼女に、ネオは大急ぎでしっぽを振りました。
 力いっぱい振りました。
「ネオ・・・・・・・。」
 泣いている彼女の目尻を舐めて、それからそっと、彼女の柔らかい唇を舐めました。
「・・・・・・・・・嫌いにならないの?」
「なるわけないだろ?」
 すりよるネオを、マリューは両腕で抱きしめました。
 感触は全然違うけど、マリューの香りが胸いっぱいに広がりました。


 どれくらい時間がすぎたのでしょうか。

 満月はゆっくりと地平線に沈み、マリューの体から再び銀色の光があふれ出しました。
 ネオを抱えて温まっていたマリューが、どんどん小さくなっていきます。
 そして、あっという間に、星だけが輝くそこに、小さなアイボリー色のウサギが現れたのです。

「マリュー・・・・・・・。」
 ぽかんとするネオに、マリューは困ったように笑いました。



 家に帰って来て、ネオのお腹の辺りにまるまって収まると、マリューはぽつりぽつりと話し出しました。

 マリューはこの国の隣の国のお姫様でした。隣の国は魔法が盛んで、マリューもちょっとした魔法なら使えるお姫様でした。
 その彼女を目に留めたのが、この森の、あのお城の領主でした。
 領主は嘘を付いてお姫様をお城に招き、強引に結婚を申し出たのです。

 腹を立てたマリューはきっぱりとそれを断ると、出かける時にに、彼女の母から貰った魔法の鏡を使ってその城から逃げました。
 ところが、彼女に未練のあった領主が、彼女を自分の側に置いておこうと、あのよこしまな魔法使いに、彼女を連れてくるように頼んだのです。
 逃げるマリューを追いかける魔法使い。
 彼の魔法を何度も何度も跳ね返しているうちに、マリューはとうとう力尽きてしまいました。

 そして森の、あの広場で、彼の魔法を身に受けてしまったのです。

 それは、マリューの心を殺してしまう魔法でした。
 それに、薄れていく意識の中でマリューは気が付きました。
 このままでは、彼女は心を殺されて、あんなヤツのお嫁さんになってしまいます。
 必死になったマリューは全てを殺されてしまう前に、跳ね返す力は無かったけれど、その魔法をなんとか違う物に変えたのです。

「それで、私はウサギになってしまったの。」
 マリューの国では、魔法の源が月の光なのです。
「でも、三回目の満月の時だけ、人間の姿に戻る事が出来るんです。」
 小さな声で話すマリューをぎゅ、として、ネオはだた「そうか。」とだけい言いました。
「嫌いになった?」
 そんな自分だから、絶対に街には住めないと、マリューは言っていたのです。
 どんなに寂しくても、どんなに悲しくても、人間だからと、一人でここで暮らしてきた。

 そんな彼女をネオが嫌いになるはず有りません。

 それに、ネオが見たことあると思った、ハンカチの銀の刺繍も、つぼの模様も、隣の国の紋章だったのです。

「大好きだよ、マリュー。」
 呟かれたその言葉は、マリューの心を震わせました。
「ありがとう。」
「なんで、泣くのさ。」
「わからないわ。」

 ネオはただ、黙ってマリューを抱きしめ続けました。





 やがて、辺りに降り注ぐ日差しが暖かくなり、雪が溶け始めました。
 誰もが心躍る春が、すぐそこに来ています。
「暖かくなってきたわね。」
 雪を割って現れたふきのとうを、かごいっぱいに背負って戻ってきたマリューは、足の怪我もすっかりよくなって、樫の木の根元で日向ぼっこをしていたネオに笑いました。
 くわ、と欠伸をしたネオが、うん、と答えると詰まらなさそうに身体を伏せました。
「どうしたの?」
 かごを下ろして、中身を整理していたマリューは、そんなネオを不思議そうに見ます。
「暖かくなってきただろ?」
「ええ。」
「足の怪我もよくなった。」
「・・・・・・・・・・・。」
「マリュー、最近、お別れみたいな目で俺を見るだろ?」
 だから不機嫌なの。
 そういうネオに、どきりとマリューの胸が鳴りました。

 そうです。
 春は恋の季節です。
 あちこちで祝福されるカップルを、マリューは街でよく見かけました。
 でもそれは、ウサギならウサギ同士、きつねならきつね同士です。

 オオカミとウサギのカップルなんて、どこにもいません。

 自分は人間だから、誰とも結婚する気の無いマリューとは違って、ネオは立派なオオカミです。
 金色の毛並みだって凄くかっこいいし、ぴんとたった耳も、ふっさりした尻尾も、顔立ちも、惚れ惚れするくらい素敵なオオカミなのです。
 そんなネオが、こんな所にいつまでもいるわけが無い、とマリューは知らず知らず思っていました。
 だから、怪我が治った彼がいつ、「さよなら」を切り出してもいいように、マリューは春めいてきた時から心に「さよなら」言い聞かせていたのです。

 でも、目の前のオオカミはすっかりふてくされていました。
「ネオ?」
 近寄ると、ちろ、と片目を上げてマリューを見て、それからふい、とそっぽを向きます。
「追い出したいならそういえばいいだろ?」
 しょんぼりしているしっぽに、マリューの胸がどきどきしました。
「あのね、ネオ。」
「なに?」
 ついに出て行けといわれるのかと、ぴん、とネオの尻尾が緊張しました。
「あのね・・・・・・貴方さえよければ・・・・・・ここに居てほしいの。」
 がば、とネオが跳ね起きました。
 俯いたマリューが小さく付け足しました。
「もちろん・・・・出て行きたいのなら止めないけれど。」
「マリューさん・・・・・・。」
 ちら、と顔を上げたマリューをネオはしっかりと抱きしめました。
「ネオ!」
「ビスケット焼いて!」
「・・・・・・・・はい。」
「ハチミツ入り。」
「本当にオオカミなんですか?」
 嬉しくて嬉しくて、千切れんばかりにしっぽを振るネオに、あちこち舐められながら、マリューも嬉しくて嬉しくて声を上げて笑いました。




 でも。



 でも。




 そんな二人の生活は、長く続きませんでした。

(2005/11/17)

designed by SPICA