Muw&Murrue

 本日は晴天なり 04
 出航し、水平線の彼方に、ヘリオポリスの山がゴマのように見える場所まで来る。
 そこで、マリューは船を止めるように指示すると、迷った挙句碇を下ろさなかった。
「いいんですか?」
 舵を握り締め、緩く揺れる船の上で、ノイマンがてきぱきと指示をだすマリューに訊ねる。それにムウが答えた。
「歌姫の声を聞いて、アルテミスは何故か進路を変更するんだ。だったら、直ぐに追いかけられる方がいいだろ?」
 肩にロープを担いで船倉に下りていくムウに、「なるほど」とノイマンが感心する。その様子にマリューは苦笑した。
 慌てて彼の後を追う。
「やっぱり、軍に戻られた方が・・・・・。」
 空軍としてではなく、海軍として・・・・いや、そもそも軍人としての判断力は並大抵じゃないのだろう。
 そんな能力を、たかが義賊まがいの海賊船に役立てるのもどうかと思う。
 だが、振り返ったムウは、つん、とマリューのおでこを突っついた。
「ば〜か。俺は自分で選んでここに来たんだぜ?」
「・・・・・・・・・・・。」
「なんの気、まわしてんだか。」
 どさっとロープを床に下ろして、彼は笑う。
「それに、先に言ったのは船長だろ?」
「え?」
「命令違反をして、満足したんですか、ってさ。」
「・・・・・・・・・。」
 苦笑するマリューに、ムウは柔らかく笑って見せた。
「夜中に見張りなんて自分で買って出ないでさ。大将は、もっとこう、どしっと構えてろよ。」
「・・・・・じゃあ、体重でも増やします?」
 それに、ムウはしげしげとマリューの身体を、頭からつま先まで眺め。
「や、重さ的には・・・・・・・。」
 じ〜っと胸の辺りを注視するから。
「じゃあ、少佐。ここの片付け、宜しくお願いしますわね。」
「あ・・・・・・・。」
 半歩身を引いたマリューが、冷たく笑いながらそう告げ、力任せな足取りで部屋を出て行ってしまった。
 それに、彼はやれやれと溜息を付くと、アルテミスの傘の所為で散乱している木箱を起こして腰を下ろした。
「って、そういうことじゃないんだけどな・・・・・。」




 船べりから身を乗り出すラクスを、キラが慌てて押さえた。
「落ちますよ、ラクス。」
「ああ、キラ様。」
 バラ色に頬を染めた少女が、うふふふ、と嬉しそうに微笑んだ。それに、キラが困ったように眉を寄せる。
「どうか・・・・・しました?」
「いいえ。」
 ぎゅうっとキラの手を取って、ラクスはにこにこと笑う。
「わたくし、あの島から出たことがございませんの。」
 不思議な海色の瞳を輝かせて、彼女はキラの手を取ったまま空を見上げる。
「それが、こ〜んな遠くまで!」

 距離的には、そんなに離れては居ない。

 というか約十日間航海してきたキラにしてみれば、この距離など遠出のうちには入らなかった。
 だが、この目の前の少女にしてみれば、はしゃぎたくなるような大冒険なのだろう。
「凄いですわね〜。海って。」
 深いのでしょう?
 顔を覗き込まれて、キラは慌てて視線を海に向けた。
「ええ・・・・深いところでは・・・・かなり・・・・・。」
「底が見えませんものね。」
「ええ、まあ・・・・・。」
 また船べりから身体を乗り出すから、キラは慌てて彼女の肩を掴んだ。
「姫!」
 その様子を、船内から甲板に上がってきたアスランが見咎め、声を荒げる。
「アスラン。」
 つかつかと近寄り、彼女をそこから引き剥がした。
「落ちたらどうするんですか!?」
「平気です。キラさまもいらっしゃいますし。」

 あ、まずいな。

 反射的にキラは悟った。見れば、むっとしたアスランがキラを睨んでいる。
「じゃ、僕は・・・。」
 こういう時はさっさと撤退するに限る・・・・・。
「あ・・・・・。」
「ラクスはこっちへ。そろそろ風も冷たくなってきましたし。」
 背中を押されて、ラクスはしゅんと肩を落とした。
「もう少し、お話したかったですわ。」
「お立場を考えてください。そもそも、姫はこういった民間人と交わってはならないと、きつく言われているではありませんか。」
 それに、ラクスは微かに頬を膨らませた。
「それを無くすために、ここに来ているのですわ。」
「・・・・・・・・・・。」
 不意に、アスランの胸が痛んだ。

 そうだ。
 ここでもし、アルテミスが消滅したら、彼女は巫女なんて役割から解放されるのだ。

 それはつまり・・・・・。

「アスラン?」
 俯く少年に、少女は首を傾げた。




「アルテミス・・・・・来ないな・・・・・。」
 アスランに追い払われて、仕方なくカガリのところに来たキラに、彼女はぽつんと呟いた。
「いつでも現れるってわけでもないし・・・・・。」
 ミリアリアが船の後ろの方で気圧と風向きを測っている。それを見ながら、彼はぽんぽんと双子の姉の頭を叩いた。
「大丈夫。」
「キラ・・・・・。」
「オーブだってきっと大丈夫だよ。」
「ああ・・・・・・。」

 空はどこまでも澄んだ青で、雲ひとつ無い。
 波もそれほど高くなく、穏かで良い日だ。

 それがゆっくりと暮れて行く。


 東の彼方から闇が大挙し、昼間を西に追い込む。



 血の色のような夕焼けを見詰めながら、マリューはほうっと溜息を付いた。

 また、夜が来る。






 ――――――!!!







「せんちょー。」
「きゃあ!!」
「・・・・・・・きゃあ?」
「しょ・・・・少佐・・・・・・。」
 追憶に浸っていたマリューは、その意識を現実に引き戻した相手を振り返り、間の悪そうな顔をした。声が、知らずにかすれる。
「食事休憩だろ?」
「え?あ・・・・・。」
「いかないのか?」




 血の海。




 それがマリューの網膜にしっかりと焼きついていて、それを夕焼けに思い出していたマリューは、自分の食欲が急速に失せていく事に気付いた。
「後で、いただきます。」
「っそ。」
 くるっと背中を向けて、甲板から下に降りていくムウの背中を見詰め、マリューは溜息を付いて再び海に視線を戻した。





 アラスカで起きた戦闘。



 原因は内部分裂だった。
 酷いもので、暗殺なんかは日常茶飯事。裏切り行為はどこでも目に付いた。

 内側から食い尽くされていく、組織。

 終いには、全てを巻き込んでの爆発。



「・・・・・・・・・・。」



 その内部抗争で、マリューは大切な人を目の前で殺された。

 一人の、裏切り者の所為で。

 その裏切り者を撃ったのは、マリューだった。

 裏切った彼は・・・・・大切な人の、親友だった。
 マリューの友達でもあった。




 血の海に沈む、二つの骸。




 それからマリューは夜が恐くなって。それで・・・・・・。



「はい。」
「きゃああああっ!?」
 再び追憶を追いやられて、マリューはびっくりして振り返った。首の辺りに冷たい水の瓶を押し付けられたのだ。
「なっ・・・・・。」
「食べなきゃ駄目だろ?これからって時に。」
 言いながら、彼はマリューの足元に腰を下ろす。
「ほら。」
 皿の上にサンドイッチと、ハムエッグを二人分乗せて持ってきたムウは、自分のをとると、残りをマリューに差し出す。
「今は・・・・・・。」
「食べる。」
「・・・・・・・・・・。」
「何事も身体が資本だろ?」
「はあ・・・・・・。」
 すとん、と彼の隣に腰を下ろし、差し出されたベーグルのサンドイッチを手にした。
「・・・・・・・・不思議なモンだよな。」
「え?」
 かじりつく気になれず、ちぎって口に運ぼうとしていたマリューは、水を飲むムウを見た。
「食べたり寝たりっての、人間は忘れたりしないんだからさ。」
「・・・・・・・・・・。」
「いや、忘れちまう人間もいるんだが・・・・・なんだろな。」
 ぱくっと頬張ってもぐもぐする。その様子を見ながら、マリューは首を傾げた。
 言いたい事が分からない。
「少佐?」
「だからさ、食べてるうちは大丈夫、って事なんだろうな。」
「・・・・・・・・・・。」
「どんなに落ち込んでても、辛くて生きるのを辞めたいって思っても、食べてるもんなぁ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「その時点でさ、身体が生きたい、っていってんだよなぁ。」
「・・・・・・・・・・・。」

 暫く手元のサンドイッチを見詰めて、それからマリューはおもむろに頬張った。

 忘れてしまいそうになる。
 自分は生きているのだということを。

 生かされているのではなく。



 己が望んで生きているのだということを。



 こうやって。
 物を食べている時点で、人は自ら進んで生きようとしているのだろう。



「眠れないんだろ。」
 はっとしてムウを見れば、困ったように彼が笑った。
「そんな顔すんなよ。他の奴には黙っててやるからさ。」
「・・・・・・・なんで、分かったんです?」
 掠れた声で聞く。
 どうして、こんなほんの何日か前にあったばかりの男に、それが分かったのだろうか。
「俺もそうだったから。」
「え?」
「初めて誰かを殺したのってさ。」
「・・・・・・・・・・・。」
「たしか・・・・・20そこそこ位だったと思うよ。今はこう着状態だけどさ。結構激しい戦闘で。」
 初陣で三機は落としたかな。
「・・・・・・・・・・・。」
「はじめは気持ちが高ぶって寝られなかった。でも、それが冷めていくと急に恐くなってさ。」
 闇が。
「見られてる気がするようになって。どこかで飛行機の飛ぶ音が聞こえてくるようでさ。」
 それで、俺は無意識にトリガーを探して、それでここが部屋だって気付いて、それでまた恐くなるんだよ。
「・・・・・・・・・・・。」
「あんたも、闇が恐い口だろ?」
「・・・・・・・・・・・・。」
「死者が目に浮かぶ。」
 再びムウはパンを頬張り、空を見上げた。残照は当の昔に消え、星が空一面に散らばっていた。
「どうやって・・・・・・。」
「ん?」
「解消したんです?」
 目を上げるマリューに、ムウは柔らかく笑って見せた。
「食べるんだよ。」
「・・・・・・・え?」
「生きてる事を、証明するんだ。」
 所詮、死者は死者だ。でも、俺達は生きてるだろ?
「生きてるんなら、生きなきゃ。」
 死者に負けて堪るか、バカヤロウ!
 そう言って、ムウは笑った。
「必死に生きようとしたら、いつの間にか闇は恐く無くなったよ。」
「・・・・・・・・・。」
 再びパンに視線を落とし、マリューはそれを頬張る。

 うん。美味しい・・・・・・。

 久々に・・・・本当に久々にマリューは物を食べて美味しいと感じた。
 そしてそんな事を思う自分に酷く驚く。
「美味しい。」
「ん。」
 呟く彼女を眺め、自分も食べながら、ムウは視線を落とした。
 一体何が彼女を追い詰めているのか、ムウには分からないし、分かりたくも無かった。

 でも、少しは和らいだ彼女の空気に、ほっとする自分もいて。

「あのさ。」
「何?」
「ついてる。」
「え?」

 その瞬間、掠めるように彼は彼女に口付けた。

「!!!!」
 真っ赤になったマリューに、あははは、とムウは声を上げて笑った。
「そうそう、そういう顔してる方が人間らしい。」
「ふ、ふざけないでくださ」


 その瞬間だった。


「!?」
 ざああああ、と急激に冷たい風が吹きつけ、はっとマリューが天を仰いだ。
 まだ、星は綺麗に見える。
「少佐。」
「分かってる!!」
 皆まで聞かずに走り出す。そのまま周りの船員を怒鳴り、帆を下ろし始めた。
「船長!!」
 ミリアリアがかけてくる。
「分かってるわ。どっち?」
「多分、東です。」
 転がっていた双眼鏡を手に、東の空を確認すれば、夜の闇とは明らかに違う、真っ黒な雲が急速に広がってくるのが見えた。
「第一級警戒態勢発令、舵固定、水密隔壁閉鎖。」
「了解しました。」
 ミリアリアに伝令を頼み、彼女は再び東の空を見やる。それから唇を噛んで船の中へと下りて行った。





 ぐらっと船が揺れる。急に強まった風に、波が高くなったのだ。
 マリューが客室に飛び込むのと、ラクスが席を立つのはほぼ同時だった。
「ラクスさん・・・・・・・。」
 こっくりと彼女が頷く。ふと、マリューはラクスの目が、海色に血が滲んだような赤紫色をしているのに気付いた。
「姫・・・・・。」
「大丈夫ですわ。アスランはここに居てください。」
 着ている白いスカートを翻し、ラクスはマリューの側による。
「甲板に出ます。」
「わかりました。」
 先に立って廊下に出ると、船体が微かに軋む音が辺りに響いている。
 階段を上がり、ドアを開けると、叩きつけるような雨が二人を襲った。
「船長!」
「少佐!?」
 見れば、船の支柱にロープを巻いたムウが、その端を持って手を振っている。
 バケツをひっくり返したような雨に、全身ずぶぬれの二人が、すべる甲板をゆっくりと渡り、彼はマリューの腕を掴んで引っ張った。
「これ。」
 ロープの先を差し出す。
「命綱だ。」
 素早く身体に巻くと、立ち尽くすラクスの腰にそれをしっかりと結わえた。
「ラクスさん。」
「お二人は戻られた方が・・・・。」
 ようやく気が付いたのか、困惑気味に彼女が言うと、マリューは肩をすくめた。
「そうはいかないわ。依頼人を護るのも仕事よ。」
「俺はマリューさんを護るのが仕事。」
「・・・・・・・。」
 当然のように言われて、彼女はぽかんとムウを見上げた。
「え?」
「あれ?忘れた?」

 ごおっと風が強くなり、船が傾く。ついにアルテミスがこの船を飲み込みだした。
 辺りが真っ暗になり、視界が利かなくなる。叩きつける雨は、一層酷さを増し、身体に痛い。雷の轟音が鼓膜を震わせ、銀の稲妻が雲の中をのた打ち回っている。

 最悪の天候だ。

 波に持ち上げられ、船首が天を向く。

「ラクスさん!」

 白光が天を染め上げ、黒い雲が一瞬だけ灰色の空に浮かび上がる。その瞬間。

「!!!」

 マリューは、その瞳を赤く赤く、血の色に染めるラクスを見た。
 桜色の唇を付いて、静かに歌がこぼれてくる。

 その音は低く低く、地の底を這うように続き、やがて微かに明るさを帯びて広がっていく。

 不思議な歌だった。

 歌詞はどの言語にも当てはまらず、その意味をマリューは理解することができない。
 だが、血がざわめくのを感じた。

「・・・・・・・・・・凄いな・・・・・・。」
 マリューを後ろから抱きしめていたムウが、ぽつんと漏らした。
 それに聞き入っていたマリューがはっと顔を上げる。
「あ・・・・・・。」
「え?」
 ムウの背後に、ちぎれ、吹き飛んでいく黒雲を見つけたマリューが、目を見開いた。

 真っ黒な空の千切れ目に、白い星が見える。

「晴れるわ・・・・・。」
 はっとムウが天を仰ぐと、藍色の宇宙が雲と雲の隙間に見えた。雨が、急に小降りになり、温い風が西から流れ込んでくる。

 まるで何かの衣を剥ぎ取られるように、逃げていく嵐につられて風が二人の肌を撫でていく。
「追跡するわ。」
 抱きしめていたラクスを放し、マリューは持っていたナイフでロープを切る。ダッシュで船倉へ向かえば、扉が開き、転がるようにクルーたちが飛び出してきた。
「面舵30!アルテミスを追います!!」
「ラクス!!」
 アスランがタオルを持って走ってくる。
 彼女の頭に被せて抱きしめるが、彼女はまだ、歌をやめない。
 冷たい肌に、アスランはぎゅっと唇を噛むと、後から出てきたカガリを睨んだ。
「もういいでしょ!?」
「そうはいかない。」
 つらそうな顔をするカガリを押しのけて、キラが前に出た。
「これから、だよ。」
「しかし・・・・・・。」
 言い募るアスランを制し、ラクスは歌を続けたままキラに手を差し出した。
「いいの?」
 これから、だと言いながら、彼女の冷たい手にひるんだキラに、しかし彼女はにこりと笑う。
「わかった。」
 マリューさん!!
 キラはひょいっとラクスを抱き上げると、中央で帆を上げる手伝いをしていた彼女に怒鳴った。
「舳先に行きます!!」
「気をつけて!!」
「ラクス!!」
 追いかけようとするアスランを、カガリがとめる。
「キラなら大丈夫だ。」
「けど・・・・・・。」
「いいから。私たちは私たちに出来る事をしよう。」
 強引に腕をとられて引きずられ、アスランは俯いた。
「俺に出来る事は・・・・・姫を守ることだ・・・・。」
「それ以外にもあるだろ?」
 呆れたようにカガリは言うと、ぽん、とアスランの手に双眼鏡を渡した。
「アルテミスを、とめるんだ。」




 なんとか風を捕まえ、アルテミスを追う。だが、かの嵐の足は速く、引き離されに掛かる。
「歌をとめた方が・・・・・・。」
 そのマリューの頭にばふっとタオルを被せたムウが、力任せにごしごしするから。
「痛いです!!」
 思いっきり殴られてしまった。
「お・・・・俺のが痛いってば・・・・。」
 腹を抱えて蹲るムウに、マリューはぐちゃぐちゃの髪の毛をなでながら真っ赤になる。
「自業自得。」
「風邪ひかれちゃこまるだろ?」
 丁寧に水気を拭いながら、マリューは俯いた。

 どうにも彼と居ると調子が狂う。

(いや・・・・・・違うな・・・・・・。)
 タオルの下で、マリューは苦く笑った。
(彼と居ると、狂っていた調子が戻るんだ・・・・・。)

「船長、どうしますか!?」
 風の動きを読むミリアリアの指示通り舵を切るノイマンが、焦ったように聞く。
「このままでは・・・・・。」
「ラクスさんの歌から逃れてるのなら・・・・その歌を止めれば・・・・・。」
 こちらに転身してくるだろう。
「それじゃ同じだろ。」
 それに遠く、閃く稲妻を見ていたムウが眉を寄せた。
「嵐に飲み込まれ、歌で追い払って、また追いかけっこだ。」
「・・・・・・・・・・。」
「マリューさん!!」
 と、カガリが中央から駆けて来て、興奮したように叫んだ。
「嵐が、弱まってる!!」
「え?」
 それに、マリューとムウは顔を見合わせると、一気に船首に向かって走って行った。





 ラクスを後ろから抱きしめていたキラは、彼女の冷たい手に力がこもるのを感じ、はっと彼女を見た。うっすらと赤い瞳に涙が滲んでいる。
「ラクス!?」
 慌てて額に手を当てると、酷く熱い。
 身体とは反対に、頬が真っ赤だ。
 どうしよう!?
 振り返ると、後部から駆けて来たマリューとムウ、それにアスランとカガリが見えた。
「マリューさん!」
 ラクスの隣に立ったマリューが双眼鏡で嵐を確認する。

 渦を巻いていた雲が、端からほどけていくのが見えた。
 内部に向かって、巻き込むように風が流れているのだが、それがほどけていくのが、流れる雲に見て取れる。

「アルテミスの傘が・・・・崩壊していくわ・・・・・・。」
「え!?」
 視線を先に向けたキラは、しかし、足から力が抜け、ずるっと崩れ落ちたラクスに目をむいた。
「ラクス!」
「姫!!」
 倒れこむ少女の唇から最後の音が漏れるのと同時に。
「ああっ!?」
 全員が息を飲んだ。




 風と雲と、稲妻の真っ黒な塊だったアルテミスの傘が、完全に飛散し、解け空に溶けていく。




「うそ・・・・・・・・。」
 呆気ない最後に、マリューは息を飲んだ。
「・・・・・・・・・・。」
 それをじっと見たまま、ムウが眼を細めた。
「とにかく現場へ。」
 呟かれたムウの声に、マリューははっとし、後ろに命令を出すべく怒鳴った。

 だから気付いていなかった。
 ムウの声がいくらか強張っていた事に。





 解けて消えた、アルテミスの傘。
 それが散ったと思われる場所にまでマリューは船を進めた。舳先には、ムウが腕を組んで立っている。
「お嬢ちゃんは?」
 隣にやって来たマリューに、彼は尋ねた。
「心配ないわ。ただ、ちょっと熱があって。」
「・・・・・・・・・無理も無い・・・・・かな。」
「え?」
 目を細めるムウの横顔に、不意にマリューの胸が騒いだ。
「あの・・・・・・。」
「座標では、このあたりです!!」
 コンパスと海域図をランプの下で見ていたミリアリアが、声を張り上げ、マリューは視線を海面に移した。
「この辺りが、中心部だったと思われます!」

 鏡のように穏かな水面が、すうっと続き、時々思い出したように波が顔を出していた。

 それ以外は何も無い、静かな海。

「・・・・・・・・・・・なんだったのかしら・・・・アルテミスの傘って・・・・。」
 ぽつん、とマリューが漏らしたのを受けて、海面を見詰めていたムウが、ひゅっと口笛を吹いた。
「あれだ。」
「え?」
 ムウが示す方向に目を凝らしたマリューははっと息を飲んだ。

 船の細い灯に照らされて、何かがきらっと光る。

「残骸・・・・・?」
「恐らく。」
 首から掛けていた双眼鏡を取り出して、マリューはそれを確認した。

 暗くてよく見えないが、オレンジ色の物が浮いているらしい。
 四つの丸い物が、中央の何か左右と上下にくっ付いている。

 この距離からでもその様子が見えることから、一艘の船くらいの大きさがあるのだろう。

「何?」
「・・・・・・・・・・・。」
 目を凝らすマリューに、ムウが何かを言いかけ、その瞬間、はっとしたように彼は後ろに怒鳴った。
「回避だ!!取り舵!!」
「え?」
「いや、船を止めろ!!!」

 その瞬間。

 ムウは慌ててマリューを押し倒し、二人が床に転がった瞬間、鈍い音とともに、爆発が起こった。

「な・・・・・・・・。」
 衝撃に揺れる船。どうにかこうにか立ち上がった二人は、もうもうと灰色の煙が海から立ち昇り、海面が燃えているのを見た。

 呆然とするマリューの目の前に、かん、と軽い音を立てて、何かの金属が床に打ち付けられる。

 あのオレンジの物体の残骸だと、マリューは気付いた。

「自爆・・・・?!」
 目を丸くするマリューに、ムウがちっと舌打ちした。
「捕獲できれば・・・・・よかったんだが・・・・・。」
「え?」
 顔を上げるマリューにムウは暗い顔をした。
「知りたいか?アルテミスの正体。」


(2005/05/30)

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