Muw&Murrue

 本日は晴天なり 02
 生温い風が、頬を掠めていく。
「来たわッ!!」
 腕の中で身体を捻るマリューの言葉に、ムウはふっと薄暗くなった辺りに微かに眉を寄せし、天を仰いだ。
 仰いで、唖然とする。
「んなっ!?」
 あんなにいい天気で、雲ひとつなかった空が、みるみるうちに真っ黒な雲に覆われていく。どこから湧いてきたのか、まるで分からないその、分厚い雲から、大粒の雨がこぼれ、やがて、一瞬の後にどしゃぶりになった。
 風が、急速に強まり、ぐらっと船が揺れた。
「総員退避ッ!!!」
 突然の揺れに、ムウの腕が緩む。その隙を突いて、叫んだマリューは身体を捻って彼を突き飛ばした。
「痛っ」
 どん、と肩から甲板に落ちるが、次の間には立ち上がり、傾ぐ船を大急ぎで駆け出す。
 だが。
「きゃあっ!!」
 篠突く驟雨。荒れ狂う波。轟く雷鳴。
 ほんの一瞬で豹変した天候が、アークエンジェルを襲い、右に左に大きく揺さぶる。それに足元をすくわれ、マリューは勢いよく甲板に転んだ。
「おい!」
 揺れの間隙を縫って、ムウが彼女に駆け寄り、抱きしめる。
「ちょ!?」
「掴まってろ!!」
 耳を覆いたくなるような、ドラム缶を転がすようなその、雷の音に負けじと、ムウが叫び、マリューは反論しかける。だが、続く、胸が悪くなるような大揺れに、慌てて彼にしがみ付いた。
「退避しなきゃ!!」
「この状況でか!?」
「じゃなきゃ、海に叩き落されるわ!!」
 立ち上がるマリューを慌てて支え、ムウは雨に煙る辺りが、闇と相まって、まるで視界が利かないコトに愕然とした。
「おい!!」
 駆け出すマリューを慌てて追いかけると、振り返った彼女が、濡れた前髪を鬱陶しそうに掻き揚げて怒鳴った。
「アナタは戻ればいいでしょ!?」
 どうやって。
 その言葉を辛うじて飲み込み、再びの揺れに、足をとられ、駆け寄るような格好でマリューに抱きつく。
「ちょっと!!」
「どう考えたって戻れないだろ!?」
 悲鳴と怒号が響き渡っているのだろうが、視界も利かない、音も聞こえない現在ではどこで何が起こっているのか皆目検討もつかない。無事な人間が、どれくらいいるのかも。
「うわっ!?」
「きゃあ!!」
 そうこうしているうちに、揺れはどんどん大きくなり、二人は濡れた床を滑り、転がって、自分たちが居たのとは逆方向の船縁に体をぶつけた。
「邪魔しないで!!」
「そりゃどうも!」
 強風に、マリューがあおられ、海面ぎりぎりまで傾いた船縁から、彼女の身体が落ちかかる。
「っ!?」
 その腰を慌てて抱き寄せ、ムウは必死に辺りを見渡した。と、直ぐ横の床に、取っ手らしき物があるのを、閃く雷光の下に見つける。
「あれは!?」
 落ちかかり、青ざめていたマリューが、ムウの腕の中で、指差す方向を確認する。目に痛い、銀の光が、天を引裂き、その瞬間に、きらっと取っ手が光った。
「助かったわ!!避難シェルターよ!!」
 ぐぐっと船が波間に沈み、ムウは背後に五メートルは盛り上がる波を見た。ぞっと背筋が冷たくなる。
「早く!!」
 一瞬の隙を付いて、二人はダッシュでその扉に駆け寄った。
 震える冷たい手を、必死に動かし、マリューは扉をこじ開けにかかる。だが、こういう時こそ、あまり上手くいかない。
「どけっ!!」
 再び、船が持ち上がり、波が迫ってくる。
 マリューの手に、自分の手を添えて、ムウは彼女の手ごと、一気に扉を引きあけた。
「開いた・・・・ッきゃあ!?」
 喜ぶ彼女を突き飛ばし、ムウも大急ぎでそのシェルターに飛び込み、間一髪で扉を閉めた。
 その、閉める瞬間、彼はその扉の隙間から、確かに、海面を見た。
 その位置からでは、決して見ることの叶わない、海面を。

 間一髪だ。

「・・・・・・助かった・・・・・のか?」
 依然として船はゆれ、真っ暗な室内がどうなっているのか分からない。足元に気をつけ、手を壁に付く。
「海に叩き落される心配は半減しましたわ。」
 その瞬間、再びの大きな揺れに、ムウは背中を嫌というほど壁にぶつけ、
「きゃあ!?」
 転がってきたマリューを慌てて抱きとめた。
「痛っ・・・・・。」
「俺のが痛いんですけど・・・・。」
 彼女の分の衝撃も一緒に受けたムウが、呻く。
「ご、ごめんなさい!」
 慌てて立ち上がり、身体を離そうとすると、今度は
「うわぁっ!?」
「きゃ」
 ムウの身体がマリューの上に圧し掛かる。
「重い〜っ!!」
「ああもうっ!!」
 あっちに転がり、こっちに振り回され、じれたムウが、がばっとマリューを抱きしめた。
「何するんですか!?」
「ばらばらだと、お互いにぶつかって怪我するだろ!?」
「そ・・・・うです・・・・けどッ!!」
「少なくとも、抱き合ったまま転がっとけば、倒れる心配もないし。」
 彼は暗闇の中、片手でマリューを抱き寄せ、もう片方で、辺りを探る。と、柱のような、箱のような、固定された物を発見した。
「こっち。」
「!?」
 彼女の腰に腕を絡めたまま、立たせ、大急ぎでそれと部屋の壁の間に身体を押し込んだ。
 これで一応、背後と左右は壁に挟まれた事になる。
 マリューは、ほぼ自分に圧し掛かるようにしているムウを、不満げに睨み上げた。
 暗がりでも、顔がなんとなく分かる距離だから、傍目に見れば、マリューが押し倒されているように見えるだろう。
「ちょっと!この体勢は・・・・・。」
「頭上げるなよ?ぶつかるから。」
「・・・・・・・・・。」
 かなり不満だが、ぐらぐらと酷い勢いで揺れるここでは仕方ない。
「しっかし・・・・すっごい揺れだ・・・・・なっ!?」
 ごん、と鈍い音がして、マリューを抱きしめたムウが、痛って、呟いた。
「ええまぁ・・・・・なるべく沈まずに、波に対して柔軟な姿勢が取れるように作られましたから。」
「でも、これじゃ・・・・っ!?」
「きゃ!!」
 身体が浮き上がり、慌ててマリューはムウにしがみついた。
「乗る人間には優しくないのかよ。」
「ええ。人を乗せることを、あまり考えてないつくりなの。」
「・・・・・・・・・。」
「ば、バカにしたでしょ、今!!!」
「いや・・・・・ねぇ・・・・。」
 反論しかかるマリューはしかし、次の揺れにそれもままならない。
「喋ってると、舌かむな・・・・・。」
「・・・・・・・・。」
 ぎゅっと自分を抱きしめる腕に力がこもるのを感じて、マリューはそっとムウを見上げた。
 首を捻った彼が、なにやら暗闇に目を凝らしている。
 どうやらこのシェルターの造りを調べようとしているようだった。
(そういえば・・・・ここも重要機密なのよね・・・・・。)

 不意にマリューは、自分を抱きとめる男に不安になった。

 そうだ。
 この男は、さっきまで剣を交えてた相手だったっけ・・・・・。

 身体を密着させたまま、咄嗟にマリューは自分が持っている物を思い返す。

 武器・・・・そう、何か身を護るもの・・・・。

「しっかし、なんなんだよ、この嵐は・・・・・。」
「きゃあっ!?」
 突然距離をとろうと思っていた相手に声を掛けられて、マリューは体を強張らせる。少し身体を離したムウが、目を丸くして自分を見ていた。
「きゃあ?」
「え・・・・あ・・・・な、なんです?」
 じ〜っと相手の顔を見た後、不意にムウは片手を外して彼女の体に滑らせた。
「ちょ・・・・・!?な!?」
 すうっと背中を滑る手に、ぞっとマリューの身体が震えた。
「や・・・・やだ・・・・・っ!!」
「わ〜、俺っておっそろしく勘がいいとおもわね〜?」
 身をよじった瞬間、マリューの腰についていたナイフを取り上げられて、あっと彼女は息を飲んだ。
「この状況で刺されたくないし、俺。」
「・・・・・・・・・・。」
 人の悪い笑みを浮かべてナイフをひらひらさせるムウに、簡単に考えを読まれたマリューはぐっと唇を噛んだ。

 今、こうやってムウに抱きしめられている時点で、マリューの立場は弱い。それに加えて唯一の武器まで取り上げられてしまっては、彼女に勝ち目は無いだろう。

「どうするおつもりですか?」
「え?」
 下から睨まれ、低く問われて、ムウは別にどうしようとも考えていなかった自分に気が付いた。

 そうだった。
 この捕らえている女性は、賞金首だった。

「・・・・・・・・・軍に突き出すつもりですか?」
 ぐらっと船が傾ぎ、マリューは慌てて手を床に付く。身体が傾き、ムウも右手を壁に突っ張った。
「そういうつもりは・・・・なかったんだけどさ。」
「じゃあ、どうする気なんですか!?」
「え?・・・・・いや・・・・・。」
 咄嗟にマリューの頭を抱き寄せる。
「な!?」
「って〜〜〜、頭ぶった〜〜〜。」
「・・・・・・・・・・。」
 激しい揺れに、彼女を護ろうとして、自分の頭をぶったらしい。
 頭の下にある腕。
 それが自分を護ってるんだと気付いて、マリューは困惑した。
「あの・・・・・・。」
「はい?」
「わ、私はお尋ね者ですよ!?」
「だねぇ。」
「何考えてるんですか!?貴方。」
「べつにぃ。」
「・・・・・・・・・・・。」
 ぽかんとマリューはムウを見上げた。
「べ、別にって・・・・・。」
「だって俺、左遷された身だし。」
「はあ?!」
「軍に居てもあんまり良いことないしさぁ〜。」
「・・・・・・・・・・。」

 初めて、マリューはまじまじと相手をみた。
 真っ暗な中で、ぼんやりと顔の輪郭が見える。はっきりとは分からないが整った顔立ちをしているのだろう。
 だが、それ以上に、マリューは彼の顔をどこかで見たことがあるような気がした。
「なあ・・・・・。」
「はい。」
「そんなにみないでくれる?」
「え?」
 あんまり不躾に眺められて、居心地悪そうにムウが顔を逸らした。
「そんなに見詰められると、キス、しちまうぜ?」

 問答無用で視線を外す。

「それにしても、どうするんだ、これから。」
 話題を変えるべく呟かれた言葉に、マリューは溜息を付いた。
「この嵐は・・・・・。」
「ん?」
 微かに頭が動いて、彼女が俯くのが分かった。
「原因がわかりませんから、通過するのを待つしかありません。」
「原因不明?」
 それに、マリューが呆れた、というように形の良い眉を寄せた。
「知らないんですか?アルテミスの傘を。」
「話でだけ。」

 アルテミスの傘。

 それは、どんなに穏かに晴れていても、突然襲ってくる嵐の名前だった。
 普通の嵐には、一応の前触れがある。
 それを読んで、航海士は船の航路を決めたりするのだ。

 だが、この嵐は、察知する方法がないのである。
 辛うじて襲ってくる数分前に、急激に気圧が下がることだけが、特徴であった。

 後は、この通りだ。

 なぜ、こんなことが起こるのか。残念ながら今の段階では分かっていない。
 この嵐がどこから来て、どこへ向かうのかすらも。

「へ〜、これが噂のねぇ・・・・。」
 物凄い音をたてて、シェルターが軋み、ぎくっとマリューの肩が強張った。
「おい、ここ、大丈夫なのか?」
 その彼女の様子に気付いたムウが尋ねると、自信なさ気にマリューが俯いた。
「わかりません・・・・。」
「はい!?」
「た、耐えられるだけの構造はとってますよ!?でも・・・・・。」

 人に優しくは設計されていない。

 そのセリフを思い出して、ムウはうんざりと溜息を付いた。
「なるほど。ここが破壊されて水浸しになっても、船は沈まないと。」
「ええ。」
「どういう神経してるんだよ、これを設計した奴は。」
 あきれ返るムウは、しかし次に襲う揺れに、慌てて口を閉じた。
「・・・・・・・・・・・・。」
 不安げに俯くマリューに、ふと、ムウは苦笑する。
「大丈夫。」
「!?」
 自分の額にムウの頬が当たり、彼女は身体を強張らせた。
「大丈夫・・・・俺がちゃんと護るから・・・・・。」

 何を言ってるんだろう、この男は・・・・・。

(私は賞金首なのに・・・・・・。)
 ぎゅううっと抱きしめられたまま、マリューは俯き、でも何故か、ムウの制服をしっかりと握り締めた。
(どうして・・・・・この人・・・・・・・。)

 嵐は、こうしている間にも、アークエンジェルを揺さぶり続けた。

(2005/05/30)

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