Muw&Murrue

 忘らるる灯台
 あの天気はまずいな、と陸地も見えない海の真っ只中で、双眼鏡片手に沖合いを眺めていたマリューは唇を噛んだ。
 急速に近づいてくる黒雲に、溜息を付く。海上生活が基本の海で、一番に避けがたいのが嵐、である。
「船長!」
 躁舵手のノイマンが振り返って、暗い顔をするのに、マリューは肩をすくめた。
「とりあえず、下で適当な島が無いか探してくるから。」
 最悪、ここで停泊、ていうのも視野に入れておいて。
 苦く笑って告げられて、ノイマンは複雑な顔で頷いた。

「しかし・・・・・・。」
 が、作戦会議室で、目の前に地図を広げて、マリューは唸った。この辺りに、停泊できそうな小島は見つからない。陸からも大分離れている。
 やっぱりこのまま海上でやり過ごすしかないか・・・・・。

 軋む船底に覚悟を決めようかと顔を上げた時、「船長。」とノックもなしに部屋のドアが開いた。
「フラガ少佐っ!!!」
「うっわ、ワリ・・・・怒るなよ!」
 目を吊り上げて「何度ノックをしてくださいて言ったと思ってるんですか!?」と怒鳴りかかるマリューを、慌てて回避する。
「何か用ですか?」
 いささか棘の含まれた言葉に肩をすくめ、ムウは「空がやばいよな?」と簡潔に訊いて来た。
「ええ・・・・・あまりよろしくない感じです。」
「停泊は?」
「この辺りの海域は、」
 机の上に広がっている地図を指差し、マリューが肩を落とした。
「ご覧の通り、何もない海域です。」
「・・・・・・・・。」
「アークエンジェルはそう簡単に沈みませんが、また、この前の嵐のように船倉のシェルターに避難・・・・って、少佐?」
 まじまじと地図を見詰める男の横顔に、マリューが首を傾げた。
「ここに・・・・・。」
 そのまま、地図から目を離す事無く、ムウは何も無い海域の一点を指差した。
「島がある。」
「ええ?」
 怪訝な顔をするマリューに、ムウが肩をすくめた。
「俺、元空軍。」
 は、と目を見開く彼女に、「昔、この辺を飛んでた時にさ、寄った事があるんだ。」と告げる。
「何も無い島だが、停泊くらいは出来るだろうさ。」
「どの辺りですか?」
 額をつき合わせて地図を覗き込むマリューを、ふと苦い物が混ざった瞳で見詰めると、そっとその髪の毛に触れてみた。
「少佐!?」
 案の定、ばっと顔を上げて髪を押さえるマリューに、ムウは更に詰め寄った。
「キスしてくれたら、正しい位置、教える。」
「なっ!?」
「マリューさん・・・・・。」
「ちょっと!?」
 何言ってるんですか、貴方はっ!?
 止めようとするが、あっといまに腕を伸ばしてマリューを抱き寄せ、許可もしないうちに口付けて来る。そんな男に、マリューは目を白黒させながら、ふと疑問に思った。
「んっ・・・・・・。」
「っ・・・・・・。」

 そうだ。
 どんなに強引に見えても、彼はこんな風に迫ってくる男じゃないはずなのに・・・・。

「・・・・・・これで、教えてくれるんでしょうね?」
 まだマリューを抱きしめて首筋に顔を埋めるムウに、彼女はそっと尋ねる。
「ん・・・・・・。」
 ぎゅっと抱きしめる腕に力を込め、それからムウは静かに答えた。
「ああ・・・・・・分かった。」



 嵐は確実に近づいてくる。風はそれほどでもないが、蒼かった空に雲が掛かり、あっというまにどしゃぶりになる。
 肌に冷たく痛い雨粒に、マリューは出来るだけ指示を飛ばすと自身もずぶぬれになりながら船倉へと戻った。
「風が出るのはどのくらい?」
 計器と睨めっこをしているミリアリアに聞くと、天気図を作成していたミリアリアは、指を滑らせて、この進路では、二時間後には嵐の真っ只中に放り出されます、と苦い顔で告げた。
「・・・・・・・・針路変更はなさらないのですか?」
 コンパスで何かを図りながら、計算を続けるミリアリアに、マリューは肩をすくめる。
「このあたりに、小島があると、フラガ少佐が。」
「地図に載ってませんけど?」
 不安そうな顔をするミリアリアに、マリューは綺麗に笑って見せた。
「空軍時代に立ち寄ったことがあるそうだから、大丈夫だと思うケド。」
 その瞬間、ばん、と船倉のドアが開き、肩で息をしたムウが飛び込んできた。
「ですから、ノックを」
「船長!俺いつまで外に居りゃ良いんだよ!?」
 全身ずぶぬれで、額に張り付いた前髪をかきあげて喚くムウに、マリューはしれっと答える。
「あら?だって、場所をご存知なのは少佐だけでしょう?」
「だからって、場所指示すりゃあとはノイマンが何とかするだろうが!?」
「それは出来ませんわ。」
 涼しい顔でマリューは続ける。
「島は地図にも載ってないんですもの。」
 正確な位置をご存知なのは、少佐だけでは?

 そこではたと気付く。

「・・・・・船長、もしかして根に持ってる?」
「何がですか?」
「あの交換条件。」

 強引にキスしたこと。

 言外にそういわれて、マリューはふう、とため息を付いた。

「分かりました。少佐は食事休憩に入ってください。」
 もう二時間は雨に打たれっぱなしで、その間にノイマンがトノムラと交代するのを羨ましげに見送っていただけに、ようやく飯が食えると溜息を付く。
「じゃあ、あとはトノムラに指示を」
「それは結構です。」
 こつこつと靴音高く彼の前に歩み寄ったマリューが、すっと手を差し出した。
「何?」
「望遠鏡、貸してください。」
「?」
「私が外に出ます。」
 少佐の代わりに。
「!!!!」
 思わずムウは持っていた望遠鏡を後ろに隠す。
「は!?何、船長が甲板に立つのか!?」
「ええ。正確な位置を理解してるのは私と少佐だけですから。」
「・・・・・・・・・・。」
「あ、出来ればそのレインコートも貸してください。ミリアリアさん、引き続き天候調査、お願いね。少佐、食堂にご飯ありますので、食事と仮眠で六時間、休憩を取ってください。」
 それじゃ。
 にこっと笑うマリューに、ムウは眩暈を覚えながら、しかし、がっしりと彼女の肩を掴んだ。
「引き続き、甲板に出させていただきます。」
「あら?無理なさらなくてもいいんですよ?」
「お願いします。出させてください。」


「あれー?少佐、休憩、何が何でも奪い取ってくるつもりだったんじゃないんですか?」
 舵を握り締め、冷たい雨に顔を上げたトノムラに、はっはっは、とムウが乾いた声を上げた。
「なんかもう、どうでもいいよ、俺ー。」
 滝のように雨水の流れ落ちる甲板の階段に腰を下ろし、ムウはがっくりと肩を落とすのだった。
「風邪引いたら、絶対マリューさん指名して、看病させてやる。」



 黒い雲はどんどん東から押し寄せ、風がきつくなってくる。視界が横殴りの雨に侵される直前、寒さでかじかんだ手で望遠鏡を支えていたムウは、ちらり、と高い波間に灰色にかすんだ島影を捕らえた。
「進路そのまま!ノイマン、正面・・・・・12時の方向に島があるのが見えるか!?」
 再びトノムラと交代で戻ってきたノイマンに、ずーっと甲板詰めでなにやら拷問めいた役職に辟易していたムウが叫ぶ。
「見えます!」
 霞む視界に、確かに捉える島影。
「そのまま、いけるか!?」
「なんとかっ・・・・・。」
 まだ、風は予想の範囲内だ。
「見えたのね!」
 甲板に出てきたマリューが、ムウに向かって叫ぶ。
「ああ。」
「そう。少佐は休んでください!後は私がなんとかしますから!!」

 そこでマリューを気遣う台詞を、ムウははけなかった。

 とにかく寒いし腹が減った。

 叫ぶのも億劫で適当に手を上げると、のろのろと階段を下りる。全身ずぶぬれで関節が思うように動かない。
 よろけるムウに「ちょっと悪いコトしたかしら。」とマリューは苦笑すると、あわてて長身の男の下へと駆け寄った。
「少佐・・・・・・。」
「後で覚えてろよ。」
 捨て台詞に、ふと小さく笑うとマリューは掠めるようにムウに口付けた。
「!」
「お礼です。」
 柔らかくて暖かい感触に、「足りない」と手を伸ばそうとして、そのままかわされる。
 雨の中走り出すマリューを横目に、これだけで、マリューに対して恨みがましく思っていたのが溶けていくのだから情けない。
 やれやれと、溜息を付いて、ムウは船倉へと引き上げた。

 中にはマリューが用意してくれた温かいご飯とお湯と、わざわざ温めておいてくれたタオルと衣服が置いてあった。

 それだけで、完全にムウの機嫌は直ってしまったのである。




 天然の入り江が見えてくる。その先端に灯を見て、マリューは息を飲んだ。
「灯台?」
「のようですね。」
 舵を切りながらノイマンが驚いたように呟く。

 地図にも載っていない小島に、火の入った灯台がある。

「誰か居るのかもしれないわ。チャンドラ君!」
「了解!」
 物見台に上がっていたチャンドラが持っていたカンテラで、通信を開始する。

 光の長さを文字化したもので、停泊を求めてみる。

「返って来たわ!」

 了承の意味を告げる光が、こちらに向かって示され、マリューはノイマンを振り返った。

「そのまま入り江に!停船する!」




 がこおん、と船底に音が響き、ようやく温まってベッドの中でうとうとしていたムウは、はっと目を覚ました。
 今のは碇の下りる音か、と身体を起こす。腹の底辺りに鈍い重みを感じて、随分疲れが溜まってるなと苦笑した。

(ま、あんな豪雨の中晒されっぱなしだったわけだし。)

 濡れた髪もすっかり乾き、適当に整えながら部屋を出ると、レインコートから水を振り撒きながらマリューが歩いてくるのが見えた。
「もう少し休んでてもいいですわよ?」
「ん・・・・・いや、島についたのか?」
「人が居るんですね。」

 階段のほうを何気に見やりながらマリューが答え、ムウは「ああ。」と短く答えた。

「知ってたんですか?」
「まあな。俺も遭難しかかって助けてもらった口だから。」
「船長!」
 階段のほうから叫ばれて、「今行く!」とマリューが怒鳴り返す。
「一応、お金もあった方がいいかと思いまして。」
 部屋に取りに戻った金貨の袋を持ち上げてみせ、マリューは階段へと走っていく。
「俺も行く。」
「休んでてもいいんですよ?」
「いいよ。」
 いつもの軽い調子とは少し違うムウの様子に、マリューは目を瞬いた。
「あの、少佐?」
「ん?」

 この島の話をしだした時から、どこかムウは様子がおかしかった。
 なんというか、ふと手を伸ばしにくい雰囲気を見せるというか。
 だからかもしれない。

 どうかしたんですか?

 その単語が、マリューの喉につっかえたのは。

「寝癖。」
 はぐらかすように指摘し、「うわ、カッコワリ・・・・・。」と髪の毛を押さえるムウに、ほんの少し、溜息を付いた。




 暗い空から、叩きつけるような雨が降り注ぐ。その驟雨の幕の向こうに揺れるカンテラの明かりを見つけ、マリューが桟橋の一歩前へと歩み寄った。
「こちらの灯台の方ですか。」
「そうだ。」
 若いな、とマリューは揺れる明かりと雨の向こうに見える、日に焼けた顔に目を瞬いた。
 また、向こうもこの船の船長が女である事に目を見開いている。
「一晩、停泊の許可を頂きたいのですが!」
「嵐がそこまで迫ってるからな、無理に断れんだろ。」
 肩をすくめ、男はこっちに来いと手招きした。
 一瞬、マリューはムウと顔を見合わせた。こっくん、と一つ頷いてみせるムウに、マリューは前を向くと桟橋を渡って上陸する。
「補給もしたいだろ?出してもらえる金額によっちゃ、かなり世話できるぜ?」
 にんまり笑う男は髪の毛が短く、頬と額に傷跡が走っていた。マードックとトノムラを連れて島の道を歩きながら、マリューは覚束なくゆれる船の灯を振り返った。
 灯台と船。それ以外に灯が見えず、ひたひたと嵐と夜の闇が迫ってくるのが見える。
「この島にはお一人で?」
 雨に濡れた砂利に足を取られ、傾いだ身体をムウが受け止める。
「まあな。」
 この辺りは嵐が多くてさ。
 坂を行き、男は、灯台とくっ付くようにして立っている、石造りの家へと四人を案内した。
 鉄の鋲が打ち込まれた、木製の分厚い扉を開けると、暖かい空気と一緒にオレンジの光が雨の中にあふれ出した。
 適当に座ってくれ、と随分使い込まれ、黒ずんでいるテーブルに座るように促す。
 濡れたコートのまま椅子にすわり、暖炉にかけてあったコーヒーポットを持って戻ってきた男が、フードの下から現れたマリューの様相にひゅー、と口笛を吹いた。
「こりゃ、驚いた。」
 美人な船長で、あんたら羨ましいよ。
 無造作にとったコップにコーヒーを注ぐ、男のオレンジの瞳が、ふと、マリューの隣に腰を下ろすムウに止まった。

 一瞬だけ視線が合う。

「で、あんたらはどこに向かってるって?」
 告げられた大陸の名前と、そこまでに必要な水や食料が手に入るかどうか確認する。
 必要なら弾薬も出せると、コーヒーを飲みながらぶっきらぼうにつげる男に、マリューは唇を噛んだ。
 マードックとトノムラに船の話を任せ、こっそりマリューはムウの肘の辺りを引っ張った。
「何者なんです?」
「俺に聞くなよ。」
「でも、少佐、ここに降りたことがあるのでしょう?」
 それに、ムウは肩をすくめた。
「先祖代々、この島で暮らしてるんですよ。」
 そんなマリューとムウの話を聞いていたかのように、男が笑顔で答えた。
「この辺りは島も無いし、海面温度が高いせいで嵐も頻発する。そこで、家の祖先が、若い者をこの島に送り込んで便利屋まがいの事をするようになったんですよ。」

 男が言うには、家族はここから近い大陸に暮らしていて、自分が出稼ぎに来ているようなもんだという事だ。

「結構寂しい生活ですけどね。まあ、月に一度は息子と嫁さんが来てくれるし、あんた達みたいな困ってる連中助けてるんで、評判は上々ですよ。」
 からっと笑う男に、マリューもつい引き込まれて笑ってしまう。
「で、あとは宜しいのですか?」
 一体どこに食料やら弾薬やらがあるのかと、首を傾げるノイマンとマードックを横に、マリューが持っていた金貨で支払いを済ませると、男は立ち上がって部屋の奥へと歩いて行く。石造りの床に膝を付いて、一箇所を探り当てると、べこ、とその一つを押した。
 どこかでスイッチの入るような音がし、家が微かに揺れる。回転する歯車のような音がして、奥の床が動いてぱっくりと口が現れた。
「さ、どうぞ。」
「・・・・・・・・。」
 あんぐりと口を開ける三人の先頭に立ち、男が家の下・・・・島の地下へと降りて行った。


 ひんやりとした空気が、床に出来た口から雪崩れ込んでくる。貯蔵庫、というだけあって、中はかなり広く、細い階段がうねりながら下のほうへと続いていた。
 そこから運び出されてくる物に目を丸くしつつ、数名のクルーを小屋の外に待機させて、買ったものを運び込んでいく。
「少佐も手伝って下さいよ・・・・。」
 男の所有するその倉庫に降りる事を許されたのはマリューと、他三名だけ。うちムウは椅子に座ったままぼんやりとテーブルに肘を付いて宙を見詰めていた。
 まるで、そうしていることが正しいような顔をしているから、誰も文句を言え無かったのだが、雨の吹き込んでくるドアの外で、荷物を待っていたクルーの一人が愚痴とも付かない口調でそう、ムウに切り出した。
「まあ、そういうなよ。」
「ですけど・・・・・。」
「少佐には先ほどまで頑張ってもらっていたから。」
「せ、船長!?」
 と、彼女がお酒の入ったたるを転がして現れたのに、戸口の外で待機していたクルーが背筋を正した。
「今は見逃してあげて?」
 にこっと笑って言われ、クルーは慌てて敬礼をすると、降りしきる雨の坂を、たるを運んで行った。
「・・・・・・・・。」
 目が合い、微笑んで再び倉庫へと再び降りていくマリューを見詰める。
「いい女だな。」
 その様子に、砂糖の袋を持った男がどっかとそれを床に降ろして目を細めた。
「だろ?」
 男のほうを見ずに、ムウは告げる。
「手、出すなよ。」
「・・・・・・・・・・・。」
 ばたん、とドアが開き、別のクルーが顔を出す。そいつに、濡れないようにな、なんて無理な注文を出しながら袋を押し付け、男は奇妙なものでも見るような眼差しでムウを見、そして肩をすくめて倉庫へと取って返した。

 そんな作業が数十往復続き、ようやく終了のめどが付いた時に、ようやくムウは立ち上がり、ありがとうございました、と男と握手するマリューの腰を引き寄せた。
「ちょっ!?」
「じゃあな。」
「まいど。」
 ニッコリ笑って手を振る男に、マリューが慌てて頭を下げ、二人はそのまま雨に霞んだ外へと出た。
「少佐!なんなんですか!?」
 ずーっと座ったままで!
「マリューさんに変な虫が付かないようにってね。」
「はあ!?」
 ぐい、と彼女を抱き寄せ、降る雨の中ムウは、フードを被るマリューの耳に口を寄せた。
「まさか、アイツの話、信じたのか?」
「!」
 困惑したような色が、マリューの瞳に過ぎる。それを見逃さず、ムウがおやおや、と眉を上げた。
「信じるって・・・・・。」
「普通の人間が、こんな島に店構えると思うか?」
「それは、」
「しかも世のため人のために。」
「・・・・・・・。」
 ふん、と鼻で小さく笑い、ムウは顎で小屋を指す。
「あれ、確かに遭難しかかった旅人を助けるってのもあるんだろうケドさ。本当の目的は違う。」
 冷たい眼差しで、ムウは小屋を見据えた。
「他にも、麻薬の取引とか、密輸とか、人身売買とか・・・・そういうのの拠点になってるんだよ。」
「・・・・・・・・・。」
 目を見張るマリューに、ムウは今度こそ吹き出した。
「裏家業に、こういう小島はもってこいだろ?」
「で、でも・・・・。」
「人助けもしてる・・・・てういか、表向きそういう看板を出して、実際あの灯台のおかげで座礁する船も減ってる。そんな場所、軍だっておおっぴらに取り締まれないだろ?」
「・・・・・・・。」
「だから、気を付けろ。アイツ、俺らの素性も知ってるだろうし、その気になれば情報を売る事だって出来る。」
 そこんとこわすれるな、と告げて、ムウはマリューを放して歩き出す。もう一度マリューは彼の住まう灯台を振り返った。

 世の中には、便利なものの裏に、暗い影のような物があるのだと、そう教えられた気がする。
 そこを利用し、利用されて・・・・・・。
 そうだ。自分が所属していた軍も、そんな機関だったではないか。

「少佐。」
 気付くと、マリューは声を上げていた。
「ん?」
「貴方がそれを知ってるのは・・・・・・・。」

 一際強い風が吹き、ムウの前髪を揺らしフードの縁をはためかせる。

 ほんの数歩しか離れていないのに、マリューは二人の間にぞっとするほど深くて広い淵があるのを感じた。

 風に飛ばされる雲の、そのずっとずっと先にムウが立っているような気がする。
 顔を、良く見る事も出来ない。

「空軍の時にね。なんとか摘発したかった上層部に命じられてね。」
 調査しに来たんだよ。

 肩をすくめて、それからムウはくるっと背中を向けると再び歩き出した。
 砂利と泥の道に、雨の川ができ、マリューは濡れた前髪をかきあげて、複雑な気持ちを抱えたまま立ち尽くすのだった。



「逃亡船、アークエンジェルね・・・・・。」
 ぎし、と椅子を軋ませて、男は天井を見上げた。それから立ち上がり、食器棚のほうへと歩いて行く。
 並んでいる皿やら小鉢やらをどけて、男は棚の奥に差し込んである、小さな木切れを抜いた。
 何かが外れる音がして、ゆっくりと食器棚が横にスライドする。

 現れたのは、無線機だった。

 銀色のパネルの上の方に、星をかたどった模様が刻まれている。

「嵐だが、通じるかな・・・・・。」
 ヘッドセットを頭につけて、雑音に耳を済ませる。椅子を引き寄せて腰を下ろし、男は右横にあったつまみを回してチャンネルを合わせ始めた。

「相変わらずだな。」
 その瞬間、背中に当たる硬い物と、冷たい音を立てて外れた安全装置の音に、身を強張らせた。
「・・・・・・・三年ぶりか?」
 両手をあげ、銃口を突きつける男の手で、ヘッドセットを外されるのを大人しく待つ。
「かもな。」
 くる、と椅子を回転させて振り返った男は、真っ黒なレインコートの端から水滴を零す金髪の男に笑みを深めた。
「久しぶりだな、ムウ・ラ・フラガ。」
「ああ。」
 相変わらず銃を向けたまま、青い瞳を鋭くする。
「で?用件は?」
 そんな瞳を受け流し、男は薄く笑う。
「別に。見逃してくれってだけだ。」
 哂いかけるムウに、男は「見逃す?」と呆れたように眉を下げた。
「と、いうかだな、フラガ。」
「・・・・・・・・。」
「なんでお前があんなもんに乗ってる?」
 窓の外をしゃくり、男は信じられんと肩をすくめた。
「成り行きだよ。」
 はぐらかすような答えに、「わからんなぁ。」と男は顔をしかめた。
「確かに、あの船には何かいわくがありそうで、お前の性格なら興味を引かれるのは分かるがな。」
「・・・・・・・・。」
「だが、目の前にあるもの全部蹴って乗るには、少々役不足じゃないか?」
「なんとでも言えよ。」
 小さく笑い、ムウは凍りつくような眼差しのまま、銃を振って銀色の通信機の上部を指した。
「こんな場所で、軍のために生きてるあんたと一緒にはしないで欲しいな。」

 通信機に彫られているのは、それが軍の所有である事を示す、エンブレムだった。

「仕方ないだろ?そうすれば、かみさんも息子も幸せになれる。」
「仲間を売って、時に相手を騙して・・・・か?」
「なあ、フラガ。」
 わからねぇかなぁ、と男は睨む男にへらっと笑った。
「世の中綺麗事だけじゃとおらねぇし、なんにでも裏道ってのがあるんだよ。」
 俺みたいなのが、軍内の厄介ごとを抹殺してまわって、初めて綺麗な面が人様の役に立つんだろ?
「私利私欲のための厄介ごとがか?」
「そんなもんでしょ。」
 ぎし、と椅子を軋ませて天井を仰ぎ、それからムウを見る。
「戻って来いよ。お前くらいの腕があるんなら、一艦隊任されてもおかしく無いし、将来的には基地の司令だって夢じゃないぜ?」
「興味が無い。」
 拳銃を向けたまま、吐き捨てるムウに、「そうか?」と男がにんまり笑った。
「エンデュミオンの鷹がか?」

 一発だけ、銃声がこだまするが、それは嵐の雷鳴にかき消される。

「二度は無いぜ?」
 がちゃん、と装填しなおし、ムウは綺麗に、凍れる笑みを見せた。
 だが、それにひるまず、男が続ける。
「・・・・・・・・あの女、売れば高く付くぜ?」
 この艦だって、お尋ね者だし、突き出せば高額賞金だ。
 勿体無いから考え直せ、と説得するように告げる男に、ムウは笑みを崩さずに続けた。
「悪いが、あの女の値打ちはお前じゃ測れないよ。」
「・・・・・・・・・・・。」
「他のヤロウにくれてやるくらいなら、俺がアイツを殺して墓まで持って行く。」

 その台詞に、男は目を見開き、長い長いため息を漏らした。

「そうか・・・・・・お前が軍に戻らないのはあの女の所為か。」
「・・・・・・・・・・・。」
「変わったな、お前。」
 ここで半年、一緒に任務についてた頃とぜんぜん違うな。
 それに、ムウは初めて苦い顔をした。
「俺は何も変わっちゃ居ないさ。」
 変わったのはあんただよ。

「・・・・・・・・・・・・・。」
「悪く思うな。」
 三年でムウは軍に見切りを付け、三年は男に安定を望ませた。

 どちらがどう変わったのかなど、今ではもう分からない。

 ただ、ムウは銃弾全てを通信機に叩き込み、ショートさせる。
 今居る艦を護るために。

「お前なら三日もありゃ直せるだろ。」
「派手にやってくれたな、おい。」
 サザーランド司令に定期報告もできねぇよ、これじゃあ・・・・・。
「相変わらず、アイツに尻尾ふってんのか。」
 煙を上げる通信機を見たまま、男は振り返らずにぽつりと零した。
「お前と違って、手柄の無い奴はそうやらなきゃ生きて行けないんだよ。」
「・・・・・・・・・・。」
「三日だぞ。猶予は。」
 それ以降は、俺が通報する。
「逃げ切るよ。」

 肩をすくめて、それから入ってきたときと同じように、ムウは音も無く雨の中へと滑り出すのだった。


 暗い過去。見たくも無いもの。赤い血と死んで行った仲間。

「くそ・・・・・・・・。」

 だから来たくなど無かった。灯台守とは名ばかりの『墓守』の場所になど。
 この灯台の下の海まで真っ赤な血で染まった、凄惨な戦闘。

 エンデュミオン海域の戦闘。

 そこにある、重要な軍の秘密。
 それを護るために作られた灯台・・・・。

 過去を護るために有り続ける男・・・・・・。

 雲を踏んでいるような覚束ない足取りでアークエンジェルの船倉を目指して歩いていると、不意に灯を見てムウは眼を眇めた。
「少佐?」
「・・・・・・・・船長?」
「大丈夫・・・・・ですか?」
 いくらか青ざめた顔で見詰められて「ああ。」と短く答える。だが、ふら、と足が縺れ、慌ててマリューが彼を抱きとめた。
 濡れたレインコートと、そこから伸びる手がしっかりと拳銃を握り締めているのを、マリューは見た。
「・・・・・・少佐。」
「ん?」
 彼女の肩に手をつき、身体を離そうとする彼の手を、マリューが掴んだ。冷たく強張った指に、彼女の温かみが触れ、きつく拳銃を握り締めていたことに気付く。
「物騒です。」
「・・・・・・・・悪い。」
 マリューの持つ灯から目をそむけようとするムウの額に、思わずマリューが手を伸ばした。
「船長?」
「・・・・・・やっぱり!」
「え?」
「熱いです!!」

 そうか?

 自分で額に手を当てるが良く分からない。ただ、目が回る。

「少佐!熱があります!!」
「そりゃ、生きてるから多少は。」
「屁理屈言わないで下さい!!」
 大体、こんな夜中にびしょ濡れで何やってるんですか!!!!

 見る見るうちに調子を取り戻したマリューに怒鳴られ、不意にムウは目を細めた。

 そうだ。

 俺にはどうしてもマリューさんが必要なんだっけ。

「そーかも・・・・俺、熱あるかもー・・・・・。」
 ぐったりとマリューに倒れこみ、彼女が慌ててムウを支える。
「ほら、早く部屋に・・・・。」
「せんちょー。」
「なんです?」
「よければ添い寝してvv」
「・・・・・・・・・・。」

 赤くなったマリューはしかし、なぜかムウの申し出を拒否せず。

「え?」
「ほら・・・・早く寝てください!」
 自分の部屋にムウを引きずり込むと、彼の濡れた衣服を取っ払い、乾いたものをわざわざ持ってきて着せると、ベッドに押し込んだ。
「あの・・・・・・。」
「添い寝、ですよね?」
 上着を脱いで、それから彼の隣にマリューが滑り込む。ふわり、と彼女の香りがして、先ほどまでの雨と硝煙と、古い血の香りを洗いざらい流していく。
「・・・・・・・船長。」
「黙って寝る。」
「・・・・・・・・。」

 マリューが感じた深い淵。それをどうしても埋めたくて。

 おずおずと伸ばされたムウの腕が、そっとマリューを抱き寄せる。

 欲しくてたまらない、柔らかい塊。それをしっかりと抱き締めて、ムウは小さく呟いた。

「さんきゅー。」
「病人を邪険にはできませんから。」

 目を閉じて見た夢は、ずいぶんと暖かいものだった。



 一夜明けて晴天。
 桟橋で、見送りに来た男に、マリューは手を差し出す。それを男が握り返した。
「お世話になりました。」
「なに、こっちも稼がせてもらったよ。」
 甲板を見やるが、男の目にムウは映らない。
「そういや・・・・・・昨日の長身の男は・・・・・。」
「・・・・・・・あの。」
 不意にマリューが切り出した。
「多分、ご存知だと思いますが、この艦はお尋ね者の艦です。」
 隠し通して出航するのかと思っていた相手に、そう切り出されて男は目を見張った。
「ですから、通報してもらっても構いません。」
「・・・・・・・・・・。」
「でも・・・・・・その時は、貴方の見た、長身の男の事は話に出さないで下さい。」
 ひゅ、と男は息を吸い込む。それにマリューは続けた。
「彼は・・・・・成り行きで乗ってるだけです。ですから、彼の事は居ないものとして通報してください。」
 艦の人数も、一人少なく。
 まじまじと女の顔を見詰め、それから男は苦笑した。
「なんでアイツだけ庇うんです?」
「・・・・・・・・彼は・・・・・・。」
 マリューは言葉を切ると、それからからっと笑って見せた。
「彼には、生きていて欲しいから。」
「・・・・・・・・・・。」
「それでは。」

 俺に頼むのはお門違いじゃないのかね?


 出航し、水平線の彼方へと消えようとする船を見送り、男は溜息を付いた。

 三日後。

 サザーランドのもとに一通の電信が届いた。
 例の燈台守からだ。

 文面は一行。


 本日モ特記シタル事ナシ


 と。





(2006/01/29)

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