Muw&Murrue
- Strike Freedom! 02
- 「そう・・・・・分かった。うん、平気。うん・・・・・うん・・・・・じゃあ、お母さんも気をつけてね。」
がちゃ、と電話を置いて、マリュー・ラミアス(16)は溜息を付いた。一昨日から夫婦水入らずで旅行に出かけたマリューの両親は、今日帰って来る予定だった。
だが、接近する大型の台風により、飛行機が飛ばず、空港で足止めを喰らってしまったらしい。
今日一晩、帰れない、と悲しそうに告げる母親に、なんとか「大丈夫だから」と答えたマリューは、憂鬱そうに空を見上げた。
夕日が西の彼方をオレンジに染め上げているが、それは筆でなぞった位の幅しかない。不気味な黒雲が、残照の残る空の九割を締め、開けてみた窓から湿った空気が流れ込んできた。
東から、マリューの住む都市に向けて一直線に進んでくる今回の台風。それによる被害は拡大の一途を辿り、つけたテレビ画面を、L字型に区切って流れる台風情報から、つぎつぎと浸水・落雷・倒壊・崖崩れなどの不吉な単語が飛び込んできた。
「この辺り、大丈夫かしら・・・・・。」
誰に言うでもなく、ぽつりと零して、マリューは制服のまま溜息を付いた。開けていた窓を閉めて戸締りを確認する。
夏の夕暮は長いはずなのに、もう暗くなってきて、風の強まる気配を感じながら、マリューは台所に向かった。
「しまった。」
今日、母親が帰って来るとたかを括っていた所為で、夕飯の買出しをすっかり忘れていた。
空っぽの冷蔵庫を前に、慌てて戸棚を振り返る。カップラーメン、もしくはインスタントの食品があるかと思ったら、無い。
今日の夕飯がおにぎりになってしまう・・・・・。
「・・・・・・・・・。」
急速に暗くなる室内で、マリューはどうしようかと悩んだ。雨も風もまだ、止んだままだ。スーパーへは自転車で五分。ダッシュで行って、ダッシュで帰ってくれば間に合うかもしれない。
つけっぱなしのテレビを確認し、マリューは台風の上陸予想時刻を信じて、買い物に出かける事にした。
お財布の中身を確認し、いざ出陣、という時、不意にチャイムが鳴った。
(こんな時に誰?)
いぶかしみながらインターフォンを取ると、画面に知りすぎた顔が映る。
「よ!」
「ムウ!?」
「ど、どうしたの?」
慌てて玄関を開けると、普通に制服姿で門の前に自転車を止めたムウがにこにこ笑っていた。
幼馴染で二つ年上のこの男と、マリューは同じ高校に通っている。
笑顔と抜群の容姿から女の子食い放題、なポジションに居る、はっきり言ってマリューの苦手なタイプなのだが、何の因果か彼女はこの男と交際する羽目に陥っていた。
「いや、帰りにさ、おばさんからメール貰って。」
「お母さんから!?」
目を見開くマリューに、ムウはポケットから携帯を取り出して操作する。見せられた画面には、マリューの母からのメールの内容が映っていて、彼女はあんぐりと口を開けた。
ムウくん。マリューのこと、くれぐれもヨロシクね?
もちろん、内密に☆
「な?マリューのこと、くれぐれも頼む、ってあるだろ?」
頼まれたから、来ちゃった。
楽しそうに笑う幼馴染に、マリューは頭痛がした。
「どうして貴方に私が頼まれなくちゃならないんですか!?しかも内密に!!!」
「そりゃあ、」
眉を吊り上げて怒る彼女に、ムウは小さく笑うと、ずい、と顔を寄せてドアに彼女を押しやった。
「ちょ」
両腕で挟まれて、女なら誰もが見惚れてしまいそうな笑顔を間近で見せられる。
「春も終りから付き合いだしてるのに、キスしかしてくれないマリューさんの事を、お義母さまに相談したら、二人っきりになるのをすすめてくださってね?」
なんだ、それは!!!
ていうか、お義母さまってなんだ、お義母さまって!!
「そんな話知りません!!!」
真っ赤になって叫ぶマリューの顎に、ムウが手を掛ける。
「そりゃそうだよ、マリューに内緒での計画だもん。」
「!?」
前から仲が良い夫婦だと思っては居たが、マリューをおいて二人で旅行に出かけることなど珍しい・・・・を通り越して少し驚いたマリューは、今のムウの台詞にはっとする。
「ま、まさか・・・・・。」
「まずはお身内を味方に、ってね?」
「卑怯者ー!!!」
くすくす笑いながらマリューの首筋に顔を埋めるムウの、その無駄に広い背中を彼女がぽかぽかと叩いた。
「んな事いうけどな、マリュー。」
逆にぎう、と彼女を抱きしめて、「あー、気持ちいー。」なんてのたまりながら、ムウが耳元で不満気に告げた。
「両親不在中は、思いっきりガード固くして、俺がデートに誘っても出てきてくれなかったじゃん。」
「あ、当たり前よ!」
「恋人同士で、四六時中一緒に居たい、って思う年頃なのにぃ?」
「四六時中一緒に居るでしょうが!大体、貴方、どんなに断っても、結局人の家に上がりこんで晩御飯食べて帰ってるじゃないの!!!」
お蔭で今日の夕飯の材料が無くて――――
そこで、不意に物凄い突風が庭木を掠める音を聞いて、はっと彼女が顔を上げた。真っ黒な雲が、西に向かって凄い勢いで流れていくのが、青い闇の中に見えた。
「ありゃ。こら、まずいな。」
「大変!晩御飯の材料無いの!」
抱きしめるムウをぐい、と押しのけて、彼女が慌てて玄関に飛び込む。その彼女に、ムウが「今から買い物?」とのんびり告げた。
「ええ。フラガ先輩の所為で、偉く時間を無駄にしましたけどね。」
棘まみれのその台詞に、ふむ、とムウが顎に手を当てて考え込むと、にっこりと笑って見せた。
「なんならさ、家、来る?」
財布と鞄を手に出てきた彼女が、「え?」と目を丸くした。
「お、おじゃまします・・・・・・・。」
制服から普段着に着替えたマリューが、ムウに続いて部屋に上がる。彼は諸事情があって、大きな家に一人で暮らしていた。たまにマリューの母が掃除や洗濯に行っているようだが、マリューがこの家を訪れたのは、三年ぶりくらいだった。
リビングと自室しか使ってない、と告げるムウは、一階のキッチンへと彼女を案内した。
「・・・・・・・・なんでこんなに食品がはいってるわけ?」
一人暮らしよね?と胡散臭げにムウを見上げれば、「俺だってたまには自炊しますよ。」と返された。
「だったら、毎回毎回家にお呼ばれしなくても良いでしょうが!」
野菜室からニンジンを取り出して叫ぶマリューに、ムウは「だってマリューが居る方がいいじゃん。」と眩しすぎる笑顔を返してくる。
マリューはくらくらうする頭を抑えて、たまねぎを取り出して立ち上がった。
「で、で、何作ってくれるの?」
すりすりと抱きつくムウに、マリューはほう、とため息を付くと「コロッケです。」と素っ気無く答えた。
「マリューお手製コロッケ?」
「・・・・・・他に誰が作るんです?」
ちろ、と後ろの恋人を見やれば、本当に幸せそうな笑顔にぶつかった。
「・・・・・・・ていうか、ムウ。貴方昨日も私の料理食べてませんでした?」
あんまり嬉しそうだから、ついついいぶかしむように訊ねると、ムウは「マリューの料理なら毎日食べたい。」と砂を吐きそうな台詞を返してくる。
「はいはい、分かったから離れてください。」
それでも少し耳を赤くして、マリューはムウを追っ払うと、両腕をまくった。
「エプロンとか要るよな?」
「ええ・・・・・貸してもらえます?」
にこっと笑うマリューに、「ああ、俺の恋人ってなんて可愛いんだろうー。」とスキップしそうな勢いでムウがキッチンから出て行った。
広々としたキッチンは、どこもかしこもぴかぴかで、本当にムウが自炊しているのかと疑ってしまう。包丁も良く切れるし、お鍋には曇りが無い。ジャガイモの皮を剥いて茹でるより、レンジで調理した方が早いなと、彼女は耐熱皿に入れたジャガイモを持って、湯沸しポットの側にある電子レンジへと近寄った。
と、そこで彼女は軽く目を見張った。
レンジ周りが汚れている。
(調理ってまさか・・・・・。)
「はーい、マリューさんお待たせ。」
いつもの三倍テンションの高いムウが、シャツにジーンズというラフな格好で現れた。手には、胸元のワンポイントの羊が可愛い、紺色のエプロンを持っている。
「ムウ!!」
「うわ!?」
と、目を三角にして怒られて、ムウは思わず後退った。
「何が調理ですか!」
びしい、とマリューが電子レンジを指差し、怖い顔で恋人を睨んでいた。
「レトルト食品、暖めてるだけでしょう!?」
「あ・・・・・・・。」
それに、ばれたかー、とムウが頭に手をやった。
「んー、でもほんと、ごくごく稀に料理するぜ、俺。」
ぶー、と頬を膨らませるマリューにエプロンを手渡し、ムウがにっこり笑う。
「嘘ばっかり。」
「いや、ほんとだって。」
「いーえ、嘘です。」
それに、マリューはエプロンを締めながら、じろっとムウの事をにらみ上げた。
「このエプロン、新品じゃないですか。」
「え?」
それに、ムウは視線を泳がせると、「えーと、まあ、ねぇ。」となにやら歯切れ悪く切り返した。
「つか・・・・・何で新品って分かるの?」
「普通分かります。」
素っ気無く返し、彼女は調理棚の下を開けて、米びつを覗き込む。軽量カップを取るとずいっとムウの鼻先に突き付けた。
「お米計って、炊いて下さい。」
「俺が?」
素っ頓狂な声を上げるムウに、マリューは「炊事の基本はご飯から!」と勇ましく告げるのだった。
お米をといで、炊飯ジャーに入れて、ボタンを押すとムウの仕事は無くなってしまった。それでも何となく去りがたくて、キッチンをうろうろしていると、ひき肉をあわせるマリューに、邪魔だからリビングに行ってください、と追い出されてしまった。
「なあ。」
テレビでは引っ切り無しに台風情報が流れ、徐々に強まる風が窓ガラスを叩くのが聞こえた。
注意深くそれらを見やりながら、ソファーに座り込んだムウが、キッチンに声を掛けた。
「マリューさん・・・・さあ。」
「はい。」
「・・・・・・・・今日、は・・・・・帰らない・・・・んだよな?」
「はい。」
あっさりと返されて、思わずムウはどきりとした。
「ていうか、帰れないですね。」
途端、物凄い勢いで雨が降りだし、たたきつける音に、ムウが慌ててソファーから立ち上がった。
大きな窓から外を眺める。真っ暗なそこに、庭先のライトを浴びて絶え間なく降り注ぐ雨が、銀色に輝くのが見えた。
「すげー雨・・・・・・。」
本当に、これじゃあマリューは帰れない。たとえ歩いて五分の距離とは言え、これから風も強くなるし、何より暗い。
ちらっとキッチンを見れば、立ち働く彼女の、紺色のエプロンの裾が見えた。
「・・・・・・・・・・・・。」
と、視線を感じたのか、ぱっとマリューが振り返った。手に有る包丁が恐い。
「変なこと考えてませんよね?」
「そりゃ、考えるでしょ。」
男だもん。
否定する方が、返って危ない気がして、ムウがとにかく軽い笑顔を浮かべるとさらっと答えた。
「やっぱり。」
胡散臭げに見詰める彼女が、ふう、と溜息を付いた。
「言って置きますけど、私がムウの家に来たのは、この家なら雨が降ろうが槍が降ろうが壊れないだろうなと思ったのと、お部屋が沢山あって、貴方と一緒に寝なくてもすみそうだからですからね!」
炒めた玉ねぎとミンチ、ジャガイモを混ぜて丸めていた彼女に、ムウは「えええええ?!」と抗議の声を上げた。
「ヤダー、俺今日、ようやく一晩マリューさんのこと抱っこできると思ってたのにー!?」
そして、あんなことして、こんなことして、楽しく過ごそうと思ってたのにー!?
思わずキッチンに駆け込むムウに、振り返ったマリューが包丁を煌かせた。
「そんなことしたら、刺しますからね。」
「・・・・・・・・・・・。」
思わずムウが諸手を上げた瞬間、突然の突風に窓ガラスが揺さぶられる。大きな音に、びく、とマリューの肩が跳ね上がった。
「そろそろ暴風域に入るかな・・・・・?」
ちら、とリビングを振り返り、ムウが眉を寄せた。
「さっさとご飯食べて、今日は寝ましょう。」
「ええ!?」
きっぱり告げられた台詞に、ムウが抗議の声を上げた。
「なんで!?暫く二人で一緒にゆっくりいちゃいちゃ」
「こういう日は、さっさと寝るに限ります!」
いいから邪魔!
邪険にされて、ムウはしょんぼり肩を落とすと、すごすごとリビングへ引き返すのだった。
轟々と風の音が家を取り巻き、雨音が激しさを増したり、弱まったりを繰り返す。だが、確実に外は嵐の様相を呈してきていた。
そんな中、マリューの作ってくれたコロッケと、ニンジンのグラッセ、ご飯にみそ汁と食べながら、ムウはしみじみとテーブルの向いに座る彼女を見詰めていた。
紺色のエプロンはまだ締めたままで、自分の家のテーブルについている姿は新鮮だった。
「・・・・・・・・・何見てるんですか?」
と、ふと目を上げたマリューと視線があった。
「んー?いやぁ、可愛いなぁ、と思って。」
にこにこ笑いながら告げると、マリューが真顔でムウを見返した。
「そういう事、よくおっしゃいますけど・・・・・他のオンナノヒトにも言ってたんですか?」
思わずむせる。
「言うわけないでしょーが。」
げほげほと咳き込みながら言うと、マリューが胡散臭げな顔でムウを見返した。
「でも、そういう風にあっさり照れも無く言えるって事は、言いなれてる、って事になるんじゃないんですか?」
真剣な眼差しに、ムウはふう、と溜息を付くと、一つ咳払いをした。
「別にあっさり言ってるつもりはないけどさ・・・・・・。」
「じゃあ、なんです?」
「言いたいから言ってるんだけど。」
「・・・・・・・・・・・。」
「マリューさんってさ。」
にっこり笑って恋人を見やる。
「そういう事言われると、真っ赤になって怒るでしょ。」
「・・・・・・・・・・。」
「そういう反応がまた可愛くてさ〜、こう見たいからついつい」
途端、彼女の顔が赤くなった。
「人のリアクションで遊ばないで下さい!!!」
思わず怒鳴り返すと、「え〜?」とふにゃけた笑顔を見せられる。
「そんな顔も可愛い。」
「可愛くないです!」
「そ〜?・・・・・もしかしてマリューさん、自分に自信が無いとか?」
「・・・・・・・・・・・・・。」
思わず視線を逸らす彼女に、ムウは小さく笑うとそっと手を伸ばした。箸を持ったまま、お椀の脇に置かれている彼女の手に、自分の手を重ねる。
「なんでそう思うのさ?」
「・・・・・・・・それは・・・・・別に・・・・・・。」
その瞬間、ふっと電気が消えた。
「きゃあ!?」
「わ!?停電!?」
かすかな音を立てて動いていた電化製品の、モーターがゆっくりと止まる音がする。唐突にテレビからの音声が消えて、降って来た沈黙に、二人はしばし言葉を失った。
「あっちゃ〜・・・・・・懐中電灯、いるよな・・・・・それと、ラジオ・・・・・。」
ふ、と掴まれていた手から温もりが逃げて、慌ててマリューが立ち上がる。
「ムウ!?」
闇になれない目では、周りが良く見えない。がたん、と椅子を蹴立てた音を聞きつけて、彼がのんびり告げた。
「今、懐中電灯探してくるから、マリューはここに居て。」
「でも・・・・・・・・。」
「暗くちゃ、身動き取れないだろ?」
「・・・・・・・・・・。」
ふと、肩に何かが触れて、マリューはびっくりして顔を上げる。ふわ、と暖かいものを感じて、自分が抱きしめられているのだとようやく気付いた。
「ムウ・・・・・・・。」
「心配するなって。すぐ復旧するからさ。」
優しく促されて、マリューは大人しく席に付いた。
彼の足音が遠のき、相変らずの暴風雨が、急に身近に感じられる。そういえば、とマリューは思い出した。
昔、うんと子供の頃、こうやって停電になってしまった時に、ムウと二人っきりだったことがあった。
彼の家に遊びに来ていて、突然の雷に辺り一体の送電がストップしたのだ。
ぴかぴか光る空を見上げて、楽しそうにはしゃぐマリューと打って変わり、ムウは終始嫌がっていた気がする。
曰く、「あんなデカイ音、普通じゃない。」という事だった。
妙に物事に敏感な少年で、よく、「雨が降るから急いでかえろ!」とムウが突然言い出し、マリューの手を引っ張って近くの公園から帰ったことがあった。
遊び足りない上に、友達を置いてけぼりにした所為で、随分とムウを怒ったが、彼の勘はあまり外れず、加えて雷まで鳴ることが多かったから、感心したものだ。
嫌いな物を察知するアンテナが発達してるというか、なんと言うか。
(そういえば・・・・・・今でも雷、嫌いなのかしら・・・・・。)
大人しく椅子に座ったまま、マリューはふむ、と考える。なのに、何も思い当たらなくて、マリューはちょっとショックを受けた。
ほとんど毎日、付き合う前から一緒に居たのに、実はマリューはムウの事をあまり知らなかった。
学校に行ってる間は、あまり出会う事は無いし、彼がマリューのところに来るのは、せいぜい放課後だ。それに、ご飯を食べにマリューの家に来て、帰る、そんな感じ。
始終一緒にいる気がしたが、本当はあまりなかったかもしれない。
(・・・・・・ま、一緒に部屋に居ても、あんまり会話、しないものね・・・・・・。)
ムウがマリューの部屋に入り浸るのは、昼寝のときくらいだ。
それも、妙といえば妙だな、とマリューは暗闇の中、頬杖をついて考えた。
(なんで・・・・・もっと普通の女の子に接するようにアプローチしてこなかったんだろう・・・・・。)
ムウがマリューの眼を見て、本気で「可愛い」と口説きだしたのは、付き合いだしてからだった。それも、数えるくらい。
普段言われる物は、吹けば飛ぶような軽いモノで、マリュー自身、それほど深い意味は無いと思っている。
ただ、付き合いだしてから、ごく稀に「本気だな・・・。」と感じる時が混ざりだした。
(そういうの・・・・・付き合う前から言いそうな人なのに・・・・・。)
からかってばっかりで。
(そういえば、ムウがどんな風にオンナノヒトと付き合ってきたのか、私知らないなぁ。)
どんな風に、どうやって、こんな風な暗闇の中、オンナノヒトと時間を過ごしてきたんだろう。
「・・・・・・・・・・・・・。」
急に、身を包む闇に、マリューはどきりとした。
そうだ。ムウは「男」なのだ。色んなオンナノヒトと付き合ってきたらしいし、夜だって何度も・・・・・。
こんな中で、もしもムウから「本気で」求められたら、どうしよう・・・・・・。
(わ、忘れてた・・・・・毎日くだらないこと言ってる上に、冗談ばっかりだと思ってたけど・・・・・。)
ムウってば、本気になる事だって、あるんだ・・・・・。
自分に「本気で」キスするときに見せる、余裕のない笑みと目の色をまざまざと思い出して、マリューは真っ赤になった。さっきまでの、明るい場所でのやり取りなら、いくらでもかわせるし、フライパンでだって殴れる。
でも、こんなシチュエーションで、甘い声で、本気で迫られたら・・・・・?
その瞬間、物凄い音が二階から響いてきて、マリューは「きゃあああ!?」と悲鳴を上げて立ち上がった。
「ムウ!?」
大急ぎで叫ぶが、返事が無い。
何かあった!?
マリューは慌ててリビングから飛び出した。
「いってぇ〜。」
自室の収納スペース上部。そこにある棚に、確か懐中電灯があったはずだ。
そう、当たりを付けて、ムウはただっぴろい自分の部屋へと上がって行った。何も無い、簡素な部屋のクローゼットは、カオスである。
つまり、何でもかんでも突っ込んで積み上げてしまう癖がムウには有った。
それも十分承知しているし、重々気をつけるつもりで、勘を頼りに、彼は手を伸ばしてそこに詰め込まれている箱と箱の間に指を滑らせて行った。
下から上へ。
やがて、何か冷たい物が、隙間に押し込まれているのを、指先が捉える。
ムウは「これか?」と人差し指と中指を押し込んで、丸いそれを挟むと「えいやっ!」と引っ張ったのである。
結果。
「ムウ!?ムウ!!返事して!!!」
積み上げられていた箱は崩壊し、ガラクタの雪崩に、真っ暗闇の中襲われたのである。
「んあー、平気。」
半開きの扉の向こうから、マリューの心配そうな声が掛かる。それに適当に答えて、ムウはずきずきする鼻を押さえた。
「あー、こりゃ、散らかったなぁ・・・・・。」
暗闇に目を凝らすと、確かに手の中にあるのは懐中電灯らしい。スイッチを入れて、ムウは首を捻った。
「あん?」
かち、かち、と虚しい音が響くだけで、ライトがつかない。
「・・・・・・・・・・・。」
ひょっとして電池切れ?
手の中の筒をひっくり返して、ムウは底にある蓋に触れて愕然とした。
蓋が無い。
加えて。
(電池入って無いし・・・・・・。)
さっきの衝撃で、蓋が取れて、電池が落ちたのかもしれない。いや、十中八九そうだろう。
「マジかよー・・・・・・。」
ぶちまけられた箱からは、意味不明な物が暗い床に散らばり、単一とはいえ、ちまい電池を探すのに苦労しそうだ。オマケに暗い。
「う〜〜〜〜〜。」
意味不明なうめき声を上げながら、しかしこのままというわけにも行かず、ムウは電池を求めて床をはいずりだした。
「ムウ?」
暗い廊下を手探りで進み、三年前の記憶を頼りに、彼女はなんとか階段を上ってムウの部屋の前へとやって来た。暗闇にようやく目が慣れて、どうにか入り口の形が見える。そっと押しやりながら、彼女は遠慮がちに声を掛けた。
「マリューか?」
酷く下のほうからムウの声がする。
まさか、倒れているのでは!?
「ムウ、大丈夫!?」
「わっ!?マリューさん、来ちゃ」
慌てた彼女が部屋に飛び込み、ムウが制止する。いくら広い部屋とは言え、物が散乱しているし、それに、惨状が良く分からない。
画鋲でも落ちていて、彼女が踏んだら大変だ。
だが、ムウの制止は、半テンポ遅かった。
丁度マリューが足を踏み出した先に。
「きゃっ!?」
なにやら平べったくて、つるつるした物があって。
「マリュー!?」
次の瞬間、天井に向けて、彼女の足が蹴り上がったのである。
「痛ったぁい・・・・・・。」
呻くような彼女の苦痛の声が上がり、ムウは声のしたほうに顔をめぐらせた。
「大丈夫か!?」
「お尻ぶったし、腰痛い・・・・・・。」
涙の混じった声で言われて、ムウがそろっと立ち上がる。
「捻挫とか・・・・捻ったとか、頭ぶったとか、ないか?」
「ん・・・・・・・。」
お尻、腰、背中の順でフローリングと思しき床に、したたかぶつかったマリューは、咄嗟に付いた手首が痛むのに顔をしかめた。
「っ・・・・・・。」
「どこか痛いのか!?」
かすかな空気の揺れにしかならなかったはずの、マリューの息遣いに、ムウが過敏に反応する。
「ん・・・・・平気・・・・ちょっと手、付いた時に・・・・・・。」
いたたた、と左手を押さえて顔をしかめる。床にぺったりと座り込んでいるマリューの肩に、ムウの指先が触れた。
「ムウ・・・・・・。」
濃い影が、ふわり、とマリューの前にしゃがみ込み、乾いた掌が、そっと頬に触れてくる。暗がりに、ぼんやりとムウの顔が浮かんだ。
「大丈夫か?」
「うん・・・・・ちょっと付いた時に痛めただけだから・・・・。」
手首をさすりながら、ちょっと微笑むと、はー、と溜息を付いた彼がマリューの肩口に顔を埋めた。
「よかった・・・・・・。」
「それより、貴方は!?」
もたれかかる男の首筋に、頬を当てながらマリューが心配そうに訪ねる。
「凄い音がしたけど・・・・・大丈夫?どこか痛くない?」
「ん。へーき。」
ちょーっと床にモノ、ぶちまけただけ。
そろ、と動かしたマリューの指先が、辺りに散らばっている固い何かに触れて、彼女は床が大変な事になっている様を想像した。
「それで、目的のものは?」
「や・・・・・電池が行方不明でして・・・・・。」
歯切れの悪いムウの台詞に、マリューが呆れたように身体を離した。
「何やってるのよ。」
「面目次第もありません。」
「危機管理がなってない〜。」
ぶう、と頬を膨らますと、ムウが額を押し当ててくる。
「悪かった。」
ふと、飛び込んできた甘く低い声に、マリューがどきっとする。思い出すのは、先ほどの想像。
もし、この状況で、ムウから「本気で」求められたら・・・・・?
「っ」
「マリューさん?」
かあ、と全身が熱くなって、マリューは自分が真っ赤になっているのが良く分かった。だが、この闇ではムウにはそれは伝わっていないはずだ。
「どうかした?」
現に、彼はいぶかしげに問い返してくる。
「あ・・・・・・・。」
声が上ずり、平常心平常心、とマリューは呪文のように唱える。
「電池、探さないと・・・・・。」
このままくっ付いていたら、自分の肩を掴む、ムウの掌から心音がもれて伝わってしまうかもしれない。身じろぎし、マリューはムウとの距離をとりにかかった。
ごく自然に、なんでもない風に・・・・・。
そう思いながらも、ぎこちなく身体を離そうとするマリューに、ムウが(おや?)と眉を上げた。それと同時に、彼女のまとう空気が、一瞬で酷く固いものに変わったことに、彼は気付く。
(あ・・・・・・・・。)
その瞬間、身体の奥底に火が付くのを感じた。
これは、マズイ。
彼女を離さないと、本気で危ない―――――
そう思った瞬間、動いた彼女から、ふわりと甘い香りがして、ムウの理性を力いっぱい揺さぶった。
マリューは自分の恋人である。
そんな単語が脳内に浮かび、思わずムウは離れて行きかかった彼女を、強引に引き寄せていた。
「マリュー・・・・・・。」
低い声が耳朶を打ち、マリューが身を強張らせる。心拍数は上昇。顔が真っ赤なのに、マリューは気付いていた。
(どうしようどうしようどうしようどうしようー!!!)
緊張から動けない。背中に回され、ひたりと寄り添うように抱きしめる腕に、マリューは情け無いくらい何も出来なかった。
嫌なら殴れば良い。
(そうだ・・・・・・つ、突き放せば)
「マリューさん・・・・・・。」
甘い声がマリューの首筋をくすぐり、マリューはぎゅっと目を閉じた。
突き放すなんて、殴るなんて、できっこない。
手に力が入らない。体中、震えるくらい緊張しているのに、何かをする気が起きない。
(こ、こんながちがちじゃ・・・・・ムウがあきれて・・・・・・・。)
とにかく、拒絶するなら拒絶する、受け入れるなら受け入れるで、もうちょっとマシな反応をしないと、ほんと、ムウに嫌われるー。
パニック寸前の脳内で、瞬時にそれだけ考え、再び「受け入れるって何!?」と自問自答を繰り返す。
あわあわする彼女は次の瞬間、緩やかに床に押し倒されるのを感じて、仰天した。
「あ・・・・・・・・。」
喉が渇いて、掠れた声しか出ない。耳たぶや首筋に何かが触れるのにはっと気付き、それがキスされている感触だと理解するまで数十秒を要した。
(きゃあああああああ!?)
途端、顔から火が出るほど赤くなって、マリューがびくん、と硬直する。
とにかく、ぎゅっと目を閉じると、何故だか知らないが、じんわりと涙が滲んで、マリューはどうして泣きそうなのかとか、どうしたらいいのかとか、はちきれそうな胸の中でぐるぐるぐるぐる考え込んだ。
(ああああああ、もう、どうしよう!?この後どうしよう!?何がどうなるのよー)
ただ、彼に身を預けるわけにも行かず、固くなり続ける彼女の様子に、ムウがようやく気付いた。
「・・・・・・・・・・・。」
抱きしめる腕からは、強張った感触しか伝わってこず、熱を持って熱い首筋は、何故か震えていた。
「マリューさん?」
頬に手を当てると、生温かいものに触れて、ムウは途端、物凄く後悔した。
「あ・・・・・・・。」
慌てて手を離す。
と、そろ、と目を開ける彼女が、暗がりでもすっかり怯えきっているのが判り、反射的にムウは笑顔を作っていた。
「なんて・・・・・飢えた狼じゃあるまいし・・・・ねぇ。そんな事してる場合じゃないよな、うん。」
なにが、「なんて」だと、我ながら情けなくなる。
後悔のど真ん中で、それだけ辛うじて言うと、「電池だよ、電池。」とムウは泣きたい気分で身体を引き剥がし、床に視線を落とした。
「・・・・・・・・・。」
自分の身体の上から消えた温もりに、マリューがそろっと身体を起こす。
「やー・・・・・しっかし無駄に広いのも考えもんだよなぁ。つか、俺の危機管理がなってないだけか。」
あははははは、と無理やり笑うが、内心の動揺と虚しさは消えてはくれない。
「ほんと・・・・・・。」
どんどん語尾がかすれてくる。
「ごめん・・・・・俺、馬鹿で・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・。」
「やー、あれだよな。もうちょっと、大人なら・・・・そう、あと10歳くらい大人ならよかったのになぁ。」
28くらいなら、いい歳だし、分別も付いたろうし。もっと優しくだって、余裕だってあるだろうに。
ほんと、ガキだよな、俺・・・・・。
激しく凹み、電池を探すはずが、床に手を付いたまま、がっくりとうなだれる。そんなムウに、マリューが顔を逸らした。俯いて、まだ熱い頬に両手を添える。
触れられた部分が、熱を持って熱い。
どこもかしこも。
身体中が、焼けるように熱くて、痛い。
「私も・・・・・・・・。」
自身の耳元で煩く鳴り響く鼓動に負けそうな、掠れた声でマリューが言う。
「あと・・・・10歳くらい年上だったらよかったのに・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
26のマリューと、28のムウ。
そこまで大人だったら、どうなっていただろう?
「・・・・・・・・・・・・・・。」
「ごめんね。」
不意にか細い声が、ムウのすぐ側でして、そっと伸ばされた手が、彼の手に触れた。
はっと振り返ると、そろそろとムウの側に寄った彼女が、息の掛かりそうな距離で自分を見詰めていた。
どきっとする。
「マリュー?」
「・・・・・・・・・・・。」
と、不意に彼女が、手を伸ばしてムウの腕に自分の腕を絡めた。顔を俯ける。
「・・・・・・・・・・嫌とかじゃないの。」
側に来るように、彼女はムウの腕を引き寄せた。
「だから・・・・・・。」
ぎゅう、と抱きつく彼女の、柔らかなふくらみが、腕にダイレクトに伝わって、ムウは目を細めた。
「・・・・・・・その・・・・・・。」
「ん。」
空いている方の手を、マリューの頬に添えると、熱いのが良く分かった。
どこもかしこも熱くて。
熱を帯びている彼女の身体が、柔らかくて。
「違うの・・・・・・・。本当はね、あの・・・・・・。」
必死に言葉をつなげようとするマリューに、ムウは苦笑すると、そっと顔を寄せた。
「ごめん・・・・・大丈夫。」
「ムウ・・・・・・。」
「判ってるよ・・・・・・。」
そっと二人は目を閉じた。
唇が触れる、その瞬間。
「あ。」
「あ。」
ぱ、と室内の電気が灯り、白い光りが、二人の瞼を射った。床一杯に散らばった物が、払拭された闇から顕になる。
突然の光源に、眩しくて眇められたマリューの目に、徐々に徐々に室内の様子が飛び込んで来る。ようやくあたりを見渡し、フローリングの床にあるはずの、乾電池を、何気なく目で探して、マリューはそこにあるものに、気づいた。
それは。
「・・・・・・・・・・・・・・。」
床に座る自分を取り巻くように落ちている、膨大な量の、半裸、もしくは全裸のお嬢様たちのグラビア本と、なにやら怪しげなDVD・・・・・・・。
「これ・・・・・・・・・。」
同じように、部屋の惨劇に気付いたムウが、ざあああああああ、と足元まで血の落とす横で、マリューがそれはそれは美しい笑顔を見せた。
「・・・・・・・・こんないかがわしい雑誌に、私は足元を掬われたって訳なんですね?」
「・・・・・・・・・・・・。」
その後、無言でムウの部屋を出たマリューは、客間に閉じこもったっきり、朝までムウに顔を見せる事はなかったのである。
「もしかして・・・・あのまま停電だったら俺、行くトコまで行けた雰囲気だったんじゃ・・・・・・。」
散乱するエロ本をもとあったダンボール箱に押し込みながら、ムウは涙する。
「ああ・・・・・・あと10年、歳とってりゃな・・・・・・。」
もう二度と絶対に、エロ本と懐中電灯を一緒にするものかと誓うムウなのだった。
(2006)
designed by SPICA