Muw&Murrue

 Strike Freedom! 01
「ただいま〜。」
 傘立てに濡れた傘を押し込み、マリュー・ラミアス(16)はふう、と溜息を付いた。
「あ〜、もう、濡れた〜〜〜〜。」
 膝よりちょっと上の制服のスカートを丁寧に拭いながら、彼女はちょっと唇を尖らせる。
「突然雷だもんなぁ・・・・・でもまあ、傘持ってて助かったけど・・・・・・。」
 鞄も濡れた〜〜〜。

 おかーさーん、なんて声を上げ、皮の靴を脱ぐと玄関から中に入る。夕日は分厚い雲に覆われて見えず、外は真っ暗で、街灯がついている。まだ五時なのに、家の中はカーテンが引かれて電気が付いていた。濡れた靴下を脱ぎながら、マリューはリビングを突っ切り、キッチンを覗き込んだ。
「おかーさーん、濡れたからタオル」
「ほれ。」
 と、途端、ばふ、と頭からタオルを被せられて、はっと彼女は身体を強張らせた。柔らかくて洗剤の香りがするそれを、強引に取り去り、自分に被せた人物を振り仰ぐ。
「ムウっ!」
「おっかえり〜。」
 喰えない笑顔を見せるのは、ムウ・ラ・フラガ(18)である。
「貴方、また家に上がりこんでっ!」
「さっきそこで雨に降られちゃってさあ。」
 そうしたらおばさんが、「晩御飯どう?」って〜。

 あははははは、と軽く笑うこの長身の幼馴染が、マリューは好きではなかった。
 確かに子供の頃から知っているし、何の因果か学校も同じだ。昔は一緒に遊んだりもしたし、今でもこうやって彼はマリューの家に何かと出入りしているのだが、彼女にしてみれば口うるさい兄が一人居るような感じで、どうにも窮屈だった。

「たまにはご自分の家で食べられたらいかがです?」
 タオルでスカートの裾や、鞄を拭いながら言うと、「え〜。」とムウが茶化すように声を出す。
「でもさあ、家に俺しか居ないんだぜ?寂しいと思わない?」
 一人でメシ食うの。
「静かでいいんじゃないんですか?」
 取り合わないマリューに「マリューさん、最近冷たい!」とムウが返してくる。
 突っ込むのも面倒で、仏頂面で自分の部屋へと行こうとする彼女の腕を、ぐい、とムウが引っ張った。
「何ですか!?」
 たたらを踏んで、バランスを崩す彼女を抱きとめ、ムウはつらっとした顔で彼女を覗き込んだ。
「あの男、止めた方が良いと思うぜ?」
「!?」
 ば、と身体を取り返すマリューに、ムウは清々しい笑みを浮かべた。
「知ってるんだからな〜?お前、今日サッカー部の部長殿に告白されただろ?」
「ど、どうしてそれを!?」
 あれは誰にも言わなかった。知っているのは部長と自分の間をとりもった友人だけだ。しかも、一方的にマリューが呼び出され、彼女自身、その人の気持ちを今日知ったばかりだったのだ。
 だが、そんなマリューの狼狽に、ムウは慌てず騒がすいっそう笑みを深める。
「あ、やっぱりそうか」
「!!!!!」

 マリューさんってば、素直〜。

 にやにや笑う男に、マリューは鞄を握り締めた。嵌められた。カマを掛けられたのだ。途端に腹が立ってきて、マリューがぎゅっと唇を噛み締める。そんな彼女の震える肩に気付かず、ムウはどっかりと、マリューの家の居間のソファーに腰を下ろし、ずず〜っとお茶を飲んだ。
 マリューの母が淹れてくれた物だ。
「どーもそうじゃないかって思ったんだよね〜。妙にアイツ、俺に隠れてこそこそしてるし。マリューのお友達がちらちら廊下から教室覗いたりしてさ〜。」
 並んで話してるの見て、あの二人が出来てんのかな〜なんて思って、ちょっとカマ掛けたんだけど。
「いや〜、マリューってば面白いくらいに引っ掛かるのな。」
 からから笑う男に、マリューは持っていたタオルを、ばふっとぶつけた。ついでにその上から鞄を直撃させる。
「痛いよ、マリューさん!?」
「バカッ!」
 ふと目を上げれば、潤んだマリューの瞳にぶつかった。小さくムウが息を飲む。だが、それに気付かずマリューが喚いた。
「どうして貴方はいっつもそうなんですか!?勝手に私の恋路の邪魔をしては、喜んだりして!」
「え〜、OKしたの?マリュー。」
「そ・・・・・それは・・・・・・。」
 実のところ、面識もへったくれもない上級生から告白されて、にっこりOKをするようなマリューではないのだ。
 丁重にお断りした。
 それを思い出し、う、と言葉に詰まるマリューに、ムウは畳み掛ける。
「恋もしてないのに、恋路の邪魔とは、恐れ入ったなぁ。」
「こ・・・・・恋のひとつも・・・・ていうか、男の人が寄り付かないのはムウ!貴方の所為じゃないっ!!!」
「え〜?」
 明後日のほうを向いて、悦に入るように笑う男に、マリューは眦をきつくする。

 そう。
 そうなのだ。

 この、容姿端麗・眉目秀麗・学校一人気者の幼馴染は、何故か、マリューに近づいてこようとする男どもを裏から・・・・時にはあからさまに表から手を回して蹴散らしているのだ。
 何故なのか、何度も理由を聞いた。

 ひょっとしたら・・・・、という妙な期待のようなものもあったりした。

 でもそのたびに、ムウから返ってくるのは。

「だってさ。大事な大事な幼馴染のマリューさんに、悪い虫が付いたら困るでしょ?」
 俺としてもさ。

 しれっと告げるこのセリフばかりなのである。
「悪い虫って・・・・じゃあ、一体どんな人が貴方のおめがねにかなうって言うんですか!?」
 語気を荒げるこのセリフも言い飽きた。それでも、何故確かめるように口にしてしまうのか、マリューにも、わからない。彼の答えを知ってもいるのに。

「どんな人って、だから毎回言ってるだろ?優しくてカッコよくて頭良くて頼りになる男の中の男だよ。」
「誰なんですか、それは!?」
「・・・・・・・・さあ、まだ俺はあったことねぇなぁ。」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜。」

 これである。

(駄目だ・・・・・こんなんじゃ、恋の一つも出来ずに高校生活が終わってしまうっ!)
 半分涙目になりながら、マリューはくるっとムウに背中を向けた。「どしたの〜?」と間抜けな声が掛かるが、この際無視だ。
(なんとしても、この番人みたいな七面倒な幼馴染をどうにかしなくっちゃ・・・・!!)
「なあなあ、マリューさん、顔恐いよ?」
 後ろから抱き付いて、ふにふにと頬っぺたを突付いてくる。彼女はきっとムウを睨んだ。
「そういうことは、ご自分の彼女になさってください。」
「・・・・・・・・・。」
 マリューの瞳に険が籠っている。
「今度はどなたでしたっけ?派手な噂まみれのムウ・ラ・フラガ先輩?」
 聞きたくなくてもよ〜く聞こえてきますわよ?貴方の次のお相手のお話がっ!!

 ぐえ、と妙な声を上げてムウがマリューから離れる。腹を押さえる彼に、つん、とマリューが顎を上げた。
「酷いよ、マリュー・・・・・。」
 鳩尾に肘鉄は・・・・・。
「ご自分ばっかり春満開でようございましたわね!」
 私だって、楽しんでやるんだから!
「絶対駄目だからな、マリューっ!」
 あっかんべーをする彼女を、強引に引き寄せて、ムウが大急ぎで彼女をソファーに押し倒した。
「止めてください!セークーハーラーっ!!!」
「ん〜・・・・マリューさん、また胸育ったんじゃない?」
「なっ・・・・・ど、どこに顔埋めてるんですか!?!?!?」
「あー、幼馴染の特権vv」
「お、幼馴染でもこんな事はしないでしょう!?大体、こういうのは貴方の彼女となさってください!!!やめっ・・・・お、お母さん!!た、助けて!犯されるーっ!!!」
「酷いな、マリュー。そんな気無いって。」
「いやー、やめてーっ!ばかーっ!」

 ソファーの上でそうやってじたばたじゃれあっていると、子供の頃からそんな二人の姿を見てきたマリューの母親が、にこにこの笑顔でキッチンから顔を出した。
「二人とも、それくらいにして、こっちでお茶でも飲まないかしら?」
「はーい。マリュー、お茶お茶v」
「・・・・・・・・・。」

 マリューは頭痛がする。年頃の娘が男に押し倒されているっていうのに、なんだ、この母親の緊張感の無さは・・・・・。

(胸に顔なんか埋めちゃってさっ!!!)
 怒り任せに自室に向かう階段を登りながら、マリューが胸の内で思う。
(何さっ!私のことなんか、ちーっとも女だって思って無いくせに、悪い虫がどうとか言っちゃって!そのくせ自分は女の子と遊んでばっかりで!)
 不公平よ、ぜーったい不公平!!

 むかむかしながら、マリューは思いっきり自室のドアを閉めて、力いっぱい脱いだ制服を床に放り投げ始めるのだった。





 ムウ・ラ・フラガの持つ、独自の校内ネットワーク。しかしその男はそれに引っ掛からなかった。
 だから、マリューの「誰かに脅迫文もらったりしなかった?」とか「後をつけられたり、嫌がらせされたりは?」とか「ネオ・ロアノークとかいう偽名を使った男から因縁つけられたりしなかった?!」というセリフに、ただふるふると首を振ったのだ。
 何故潜り抜けられたのか・・・・・それは、彼が転校生である、という部分が大きい。ムウが彼に関するデータや、彼のもつ友好関係を把握する前に、彼はマリューに告白した。

 勢いだったと、彼は照れたように笑う。
 一目惚れだったとも。

「ほ、本当に?怪しい影につきまとわられなかった?」
 それに、彼は苦笑し、「どうしてさ?」と柔らかな瞳でマリューを見る。

(こ・・・・これはっ・・・・・!!!)
 その、ちょっとはにかんだような笑顔に、マリューの鼓動がドキドキし始めた。
(これってもしかして・・・・・・・運命の恋の始まり!?)

「マリューさん?」
 同じクラスのその少年にそういわれて、マリューはかあっと顔が熱くなるのを感じた。

 そうか。この人は、ムウの恐ろしい魔の手にかかってはいないんだ!


 そうと決まれば話は早い。まだ自分はこの人に恋をしていないが、ムウが知らないというのは、恋に発展させるには絶好のチャンスだ。

「あの!」
 顔を上げて、彼をマリューはしっかりと見つめる。
「お友達からでいいですか!?」
「・・・・・・・・・。」
 男の人と付き合ったことなど無いマリューの、妙に生真面目なセリフに、思わず彼が吹きだすと、小さく頷いた。
「喜んで。」



 メアドの交換もばっちり。電話番号もゲットした。ムウ以外に初めて自分の携帯に登録された、男の番号に、マリューはどきどきする。
 大体、共学の、しかも男子の多い専門を取りながら、男の友達も居ないのだ。
 全部全部、ムウの目が強くて出来る縁から途切れていく。だから、今回は非常に嬉しかった。
 携帯の画面を見詰めて、にやにやしながら自室に入り、メモリーの所を、飽く事無く眺めながらベッドに腰を下ろす。途端、「うわっ!?」という耳障りな声が響き、マリューはびっくりして自分のベッドを見た。
「・・・・・・・・・。」
「ってー・・・・・・何?マリュー!?」
「なっ・・・・・・・・。」
 もぞもぞとマリューのベッドから起き上がったのは、ムウだった。むー、なんて寝ぼけた目を擦る彼に、マリューの雷が落ちた。
「い・・・・いっつも言ってるじゃないですか!勝手に人のベッドで昼寝しないでくれってーっ!!!」
 肩を怒らせるマリューに、ムウがくわあああ、と欠伸をする。
「けどさぁ・・・・俺、朝までバイトでさぁ・・・・・。」
 授業中寝ただけじゃ足りなくて・・・・・。
「だったらご自分の家に帰ればいいでしょう!?」
「そこまで持たなかった〜。」
 まだ寝足りないのか、ばふ、とマリューの枕に顔を埋めるムウに、彼女の肩が震える。と、ふとマリューの目に携帯と、画面に映る彼の名前が留まる。
 慌ててメモリーを元に戻した瞬間、メールの着信を告げる曲が流れ始めた。
(わっ!)
 ディスプレイを開かなくても判る。だって、これは彼専用に登録した、彼からの着メールの曲なのだから。
「・・・・・・・・・あれ?」
 とたん、ムウが身体を起こす。咄嗟にマリューは携帯を隠した。
「今の着メロ、新しくないか?」

 どこまで聡いんだこの男は・・・・・・。

「変えたのか?」
 真っ直ぐに見詰められて、ぼんやりしている青色の瞳に、マリューが精一杯笑みを向ける。その瞳に鋭さが戻ったら、非常に厄介だ。
「そう。な、夏に向けて気分も一新?」
「誰から?」
 三度ごろん、と横になり、ムウは天井を見ながら、気の無い声で尋ねる。一瞬、どうしてそこまで貴方に話さなくちゃならないんだ、という言葉が喉まで込み上げてくるが、それをどうにか腹に収め、マリューは、寝っ転がるムウに背中を向けたまま座りながら、落ち着いた声で友達の名前を告げた。
「・・・・・・・・・・・。」
「日曜日に・・・・・買い物に行こうってさ。」
「ふーん。」

 半分嘘で半分本当。どきどきを押し隠しながら、それでも平静を装って言うと、興味をなくしたのかムウが再び寝返りを打った。

(『日曜日、一緒に遊園地でも行きませんか?』・・・・だって、だって、だってーっ!!)
 これは、マリューにしてみれば初めてのデートである。
 何て返そうかな、洋服は何が良いかな、日曜日ってあさってだよな。
 身体の奥から笑みが込み上げてきて、それを必死で押し隠しながらマリューは、携帯をきゅっと握り締めた。
「・・・・・・・・・・・・・。」
 その様子を、再び寝返りを打ったムウが、どうにも胡散臭そうな眼差しで見詰めている。
「なあ。」
「何?」
「妙に嬉しそうだな。」
 ゆっくりと身体を起こす気配が伝わってきて、マリューはぎくり、と肩を強張らせた。
「そんな事無いわよ?」
 落ち着け、落ち着け、と繰り返し言い「ああでも、」と彼女はくるっと振り返ってムウに笑顔を見せた。
「久々に買い物に行けるし。楽しみだなぁって。」
「・・・・・・・・・ふーん。」
 探るような眼差しに、完璧な笑顔で応対していると、不意に「マリュー。」とムウが低い声で名前を呼んだ。幼馴染で、いっつも見ている顔だけど、改めて真面目な顔をされるとカッコよさが良く分かる。不覚にもどきっとする彼女を知ってか知らずか、長い腕を伸ばすと彼女を絡め取ってそのままベッドに横になった。
「なっ!?」
「眠いから添い寝して〜。」
「はあっ!?」
 そのままがっちり腕に閉じ込められて、マリューがじたばたともがいた。
「何考えてるんですか!?」
「良いだろ〜・・・・俺、マリューさん居ると良く眠れるし・・・・・悪い夢も見ないしさ〜。」
 気に入ってるんだよね、抱き枕マリュー。
「か、勝手に人を商品化しないでください!」
「煩いから黙って。」
「だっ・・・・・・・。」
 ぎゅううう、と強く抱きしめられて、マリューは身動きが出来なくなる。全く何を考えているんだ、この幼馴染は、と一発頭を叩いてやりたいが、手が動かない。ぶつぶつ低い声で文句を言っていると、終いには「いいじゃん、子供の頃からずーっと一緒に寝てたんだから。」と身も蓋も無い事を言われてしまった。
「それは二人とも子供だったから」
「大人になったら駄目って言うのかよ?」
「か、彼女としてくださいって何回言えばいいんですか!?」
「馬鹿だなぁ、マリュー。新品の布団よりも、身体に馴染んだ古い布団のが良く眠れるだろうが。」
「古いってなんですか、古いって!!!!」
 耳元で喚くマリューに、片目を開けた男が妙に鋭い調子ですごむ。
「あー、もうだまんねぇと口塞ぐぞ!?」
「・・・・・・・・・・・・。」
「そうそう・・・・・・・じゃ、お休み・・・・・。」

 私は一体なんなんだ、この男の。

 むかっ腹が立ってくる。そうだ。マリューは別にムウの母親でも無ければ妹でもないのだ。ただの幼馴染。なのに、どうしてどうしていっつもマリューの意見は却下なのだ。

「何よ・・・・・・。」
 それでも目を閉じて、マリューは頬を膨らませる。
「何よ・・・・・・・・古い布団って・・・・・。」
 再び呟かれた言葉には、ほんの少し涙が滲んでいた。






「あれ?珍しい・・・・・・・。」
 フラガ校内ネットワーク(FSN)などというふざけた名称を持つ、微妙に公な組織の担い手、キラ・ヤマト(13)は道路を挟んだ向こう側でバスを待つ一人の女性に目を留めた。
 彼等組織の活動の中心で、ムウ・ラ・フラガが何故かその動向を逐一知りたがるマリュー・ラミアスその人だったからだ。
(隣に男の人がいる・・・・・・同じ学校かなぁ。)
 ごそごそと携帯を取り出して、並んでバスを待つ二人の写真を撮る。そのまま組織へと彼は写真を送った。
「あらまぁ。」
 それを受け取ったのは、自宅の地下にあるスタジオで新曲のデモを作っていたラクス・クラインであった。13にして天才歌姫の名を持つ彼女も、実はその組織の一員だ。恋人のキラから送られてきた写メールを、側にあったパソコンで読み込む。男の顔を拡大。補正を掛けて正面からの図を作り出し、解析に掛ける。
 関係ないが、この犯罪捜査にも使えそうな最先端のソフトを作ったのはキラだ。ムウさんに頼まれたから、で作ってしまえるキラもキラだ。
 やがてそこから弾きだされた該当人物に、ラクスはおっとりと笑った。
「まあ、転校生ですのね。」
 その情報を手早く打ちこんで、今度は別の場所へと転送する。
「おーい、フラガ。」
「ん〜?」
 ラクスからのメールを受信したのは、学校の側にある、ムウのバイト先の一つの喫茶店だ。開店準備の為に、椅子をおろし、テーブルを拭いていた彼は、カウンターからおいでおいでをする友人のアンドリュー・バルトフェルド(19)を振り返った。
「今日、ラミアスくんは友人とお買い物だってなぁ。」
「ああ。」
 布巾を止めることなく、ムウが返す。
「誰とだ?」
「ん〜。確か中学の時の友達だって。」
「女?」
「もちろん。」
「ほー。・・・・・だが、僕にはどう見ても女には見えないなぁ・・・・・。」
「・・・・・・・は?」
 ようやく手を止め、カウンターに近づくムウに、彼はノートパソコンをくるっとひっくり返した。モニターにはキラが撮った写真を中心に、解析された生徒のプロフィールと顔写真が載っている。
「・・・・・・・・・・・・。」
「9時55分のバス。行き先は・・・・・・ほー。新しく出来た遊園地方面だなぁ。」
 推測、と銘打たれたファイルを読み上げるバルトフェルドの目の前に、ムウは黒いエプロンを放ると踵を返した。
「マリューの奴・・・・・・。」
「行くなら代理を立ててもらえんかなぁ?」
 ひらひらと手を振る男に、ムウは自分の携帯を取り出すとアーノルド・ノイマン(15)を呼び出し、自分の代わりにバイトするように頼むのであった。

 キラの発見からバスが到着するまでの凡そ10分間の出来事である。



 薄い赤を基調とした洋服に、サンダル姿のマリューは緊張していた。初めてのデートで、話すこともなかなか見つからない。お互い、照れたように口数すくないままバスにゆられて目的地までやって来くる。
 入園料を払おうとするマリューを押し留めて、彼が「俺のおごり。」と笑うのに、マリューは頬を赤くした。
(わー・・・・・なんか・・・・・デートだ・・・・・。)
 持っていた鞄を握り締めて、マリューは胸の奥がドキドキするのを感じた。ムウ相手だと、驕ってもらうのが当たり前、というか自分はいつだって連れまわされるほうだから、付き合うのの条件に「費用全額ムウ持ち」という条件が入っている。
(それとちょっと違うのよね、今日は・・・・・。)
 はい、と渡されたフリーパスをしげしげと見詰めて、マリューは嬉しそうに笑った。
 ああ、やっぱりなんか違う・・・・・。
 どれに乗ろうか、なんて楽しげに話し合いながら、二人は園内へと入って行った。

 それから遅れること15分。

(マリューの奴・・・・・俺の目を盗んでデートだと!?ふーざーけーるーなっ!!!)
 フリーパスを握り締めたムウが怒り任せにゲートに向かって歩いて来る。その後ろを呆れ顔のタリア・グラディス(17)が追いかけた。
「ちょっと・・・・・・もう、マリューさんも子供じゃないんだから、いい加減そうやって追い回すのやめたらどうなの?」
「煩いよ。そういうあんただって、デュランダルとくっ付いたり離れたりしてるじゃねぇか。」
「それはそれ、これはこれよ。」
 大体、とタリアはびしっとムウを指差した。
「あなた、一体何の権限があって、彼女を追い回すのかしら?」
「・・・・・・・・それはだな。」
 そのまま、ぐいっとタリアの腕を掴んで強引に組むと、すたすたと歩き出す。
「ちょっと!?」
「今日は一日恋人の約束だろ?ほら、フツーの振りして。」
「・・・・・・・・まったく。」
 半眼のタリアはしかし、その後彼の珍しい発言を聞く。顔を向ける事無く、ムウがぽつりと零した。
「結構大変なんだぜ、幼馴染から、ってのはさ。」
「・・・・・・・・・・。」
 から、って何よ。
 そんな言葉を飲み込み「しょうがないわね。」とタリアは少し苦く笑ってみせるのだった。


 だが、そんなタリアの大きな心も、相手の「そこ、なに嘗め回すように(?)マリューのこと見てんだ!?」とか「マリュー、無防備に笑顔を見せるなっ!!」だとか、「邪魔だ、お前!隣に立つな!!」だのいう彼の小言にめげそうになっていた。
「ちょっと・・・・いい加減にしなさいっ!」
 耳を引っ張って、木陰のベンチへと連行する。
「痛いよ、馬鹿!」
「馬鹿はあなたです!まったく、一々一々騒ぎ立てして。」
 少し頭を冷やしたらどうなの!
 説教をくらい、「今、ジュース持ってきてあげるから。」と終いには宥められて、ムウは不機嫌絶頂でベンチに腰を下ろした。数メートル離れたところで、マリュー達が楽しそうにパンフレットを眺めている。
 イライラしながらそんな様子を眺めていると、不意に男の方が結構な高さから落下するジェットコースターを指差した。
(あれに乗る気か!?)
 腰を浮かせかけ、ムウはこれはもう、抗議するべきだ、と人ごみに紛れて二人へと近づいた。

 マリューはああいう絶叫マシン系は駄目なのだと、前に一緒に遊園地に行ったときに告げていた。
(リサーチもせんと、そんなこと抜かすようじゃ、マリューの相手には失か)
「楽しそうね!いいわ、私も乗りたい!」
 と、はしゃいだ彼女の声が聞こえ、ムウはぴたりと足を止めた。

(は・・・・・・・?)

「こういうの嫌いな女の子多いけど、マリューさんは大丈夫なんだ。」
「ええ。前からずっと乗ってみたくて。」
 嬉しそうに歩き出すマリューの声が、物理的に遠くなるが、それでもムウの耳にはっきりと飛び込んでくる。
「でもね、連れがこういうの嫌いで。」
 どきりとする。確かにムウは、絶叫マシン系は苦手だった。そんなムウの心情など知らずに、マリューが華やいだ声で続けた。
「仕方なくあわせてたら、乗れなくて。でも、今日は違うから嬉しいな。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「ああもう、またそうやって二人を追いかけて〜。」
 ジュースのコップを二つ持ったタリアが、呆れ顔でムウの側へとやって来る。
「ほら、頭でも冷やし・・・・・・・・。」
 差し出すそれを受け取り、くる、とムウが踵を返す。そのまま彼等を追うのだと思っていたタリアは、反対方向に歩き出すムウに、ビックリして目を瞬いた。
「ちょっと・・・・・どうしたのよ?」
「別に。」
 ストローを咥えて、ムウは押し殺した声で答えた。
「?」
「なあ、もうあいつ等放っておいてさ。」
 と、彼が笑顔でタリアの方を振り返り、にっこりと笑う。そうそう拝めない美形な笑顔だが、タリアは痛ましいものを見てしまったように眉を寄せた。
「二人で遊ぼうぜ。どーせ今、デュランダルとは停滞期なんだろ?」
「失礼ね。」
 思わず声を落とすと、
「ほらほら、ようわからん恋人なんか放っておいてさ。遊んじゃおうぜ!」
 酷く軽い調子で言い返される。
「ちょっと・・・・・・。」
「最初何が良い?ああ、あのなんか揺れてる船とかいいかもなぁ!」
「・・・・・・・・・・。」
 自分の手をとって歩いて行くムウと、それから背後の人ごみに消えてしまったマリューを見比べ、タリアは「勘弁して。」というように深いため息を漏らした。






(昔、こういうのに食べすぎで乗って、吐いたことがあるから。)
 安全ベルトが降りて来て、わくわくしながらマリューは思い出す。人の頭越しに、細く伸びるジェットコースターの白いレールが見え、だんだん緊張してきた。
 何年ぶりかに感じる、これからの出来事へのどきどき。

(あの事件以来、ムウ、これトラウマなのよね。)

 子供の頃のそんな思い出を、二人は共有していた。だから、二人で出かけても、「あれ、乗りたい?」とこわごわ聞いてくるムウに「嫌いだから、乗らない。」と答えていたのだ。
 その時に感じる、ちょっとした優越感が嬉しかったし。

 いつもは自分を引き回すのに、そういう時だけ、妙にしおらしく、可愛く見えたのだ。

(ムウと一緒だと、永遠と乗れなかったんだよな、これ。)
 そう考えると、妙に感慨深くて、笑ってしまう。くすくす笑うマリューに、隣に居た彼が目を瞬いた。
「恐くないの?」
「え?ええ、大丈夫。」
「へー。案外度胸あるんだね、マリューさん。」
「そんなこと無いわよ。」
 と、発車のベルが鳴り、マリューはごとごとと揺れながら進み始めるコースターに、両手をぎゅっと握り締めるのだった。



「本当に馬鹿ね。」
 コーヒーカップをあんなに回す人がありますか。
 面倒見のいいタリアに膝枕をされて、ムウが唸る。まだ脳が揺れているような気がする。
「お強いんですね〜、グラディスさんは。」
「まあね。」
 ほう、と溜息をつき、タリアは目の前を歩いて行く通行人が、珍しげに眺めていくのを見るとも無く見た。
 タリアもムウの二人連れは目立つ。マリューとは違うきつめの美人に、長身のムウは良く似合う。どこと無く遊んでそうな雰囲気を持っているからだろうか。
「ほんと、いい加減素直になったらどうなの。」
 溜息混じりに言われて、でもムウには返す言葉が無い。
「素直って?」
 棒読みのような返事に、タリアが呆れたように言う。
「好きなんでしょ?マリューさんのこと。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
 答えないムウの額を、タリアが容赦なく叩く。
「痛ぇって!?」
「何拗ねてるのか知りませんが、私はあなたの恋人でも何でもないんですから!」
 立ち上がり、容赦なく頭を落とされる。腰に手を当てたタリアが、しぶしぶ身体を起こすムウを睨んだ。
「好きだって一言いえばいいだけのことでしょうが!」
「・・・・・・・・・そう簡単に物事すすめば話は早いよ。」
 そっぽを向くムウに、「ややこしくしてるのはあなたでしょうが!」とどこまでもタリアは厳しい。
「けどなっ!」
 それに、ムウが眉を寄せてタリアを睨んだ。
「隣で寝てても何にも思ってくれないし、抱きしめてもちっとも赤くならないし怒ってばっかりだし、どこか行くのを誘ったって甘えたって、あいつ・・・・・全然いつもと変わらないんだぜ!?」
「・・・・・・・・・・・。」
「告白した所で、『ふーん』で流されかねないんだぞ!?」
 あるか、そんな返答!!世の中に!!!
 そんなムウに、タリアが哂う。
「それはまた、ご都合主義な考えで。」
「っ・・・・・・・。」
「告白しないうちから言い訳?とんだ男も居たもんね。」
「・・・・・・・・・・・。」
「欲しいものは、待ってたって手に入らないって、知ってるのかしら?」
「・・・・・・・・デュランダルの受け売りか?」
 精一杯の皮肉に、タリアが肩をすくめる。「ま、そうかしらね。」
「・・・・・・・・・。」

 どこまでいっても、マリューが自分に抱く感情は『兄』以外にならない。口うるさくてやかましくて、自分の恋路を邪魔する面倒な奴くらいにしか思われていない。
 それは変わらないもので、そうやって一緒に居た年月の方が長いからと、諦めていた。

 彼女の番人をしながら、本当はいつの間にか彼女に惹かれていく気持ちを必死に隠して。

 壊したくないから。

 疎まれ続ける、兄のような関係か。それとも、彼女の所有権をどうどうと主張できる恋人か。

(今選べってか・・・・・・。)
 唇を噛んで俯くムウの腕を、強引にタリアが引っ張った。
「とりあえず。」
「あ?」
「今は苦手を克服するべきね。」
「!!!!!」
 大分夕焼けに染まってきた空に、堂々と聳えるジェットコースター。それを指差し、にっこり笑うタリアに、ムウの顔色が見る間に悪くなるのだった。



 やっぱり辞めよう、帰ろう遅いし、と散々ごねるムウをジェットコースターの列に押し込み、逃がさないようにタリアはがっちり腕を組んでいた。
 列の進みに、激しく情けなく言い訳を募っていたムウは、だから気付かなかった。

 遠くから、こちらをマリューが凝視しているのに。

「・・・・・・・・・・・・・。」
「さて。大分遊んだし・・・・・もう帰りますか?」
「え?」
 隣の彼に言われて、マリューが我に帰った。
「え・・・・・・あ・・・・・・。」
 ちらっと横目でジェットコースターの列を確認する。
(タリアさんと・・・・・ムウ・・・・・・。)
 ムウのデート現場に遭遇した事は何度かある。そのたびにムウが笑顔でマリューに近づき、しつこく絡むから、いつの間にか彼女は怒って帰ってしまい、マリューの友達もそそくさといなくなって、結局二人で帰ることが多かった。
 そのたびに、マリューは怒ってムウをお説教するのだが、彼は「へー」とか「そう」とか気の無い返事をするだけで、まるで意味が無い。
 大体、彼女より幼馴染、っていうのはおかしいだろう。どう考えても。
 そう言っても、ムウは「でも、大事なのはマリューだし。」とへらっと笑うばかりだ。

 だから、デート中のムウを遠目に見つけると、彼女は必死にその場を逃れようとするのが常なのだが、今日は足が凍り付いたようにして動けなくなった。
「マリューさん?」
 彼が不思議そうに名前を呼ぶが、答えが見つからない。こんな所をムウに見られたら、何を言われるか、彼にどんな災難が降り注ぐか判らないのだから、早々に立ち去るべきなのだ。
 それは判ってる。
 判ってるのに・・・・・・。

(嫌いなジェットコースターに乗るの?トラウマになってるのに・・・・・タリアさんと?)
 どきどきと胸が鳴る。
(そうしたら・・・・・タリアさんは気づくわよね。ムウがジェットコースター駄目だって。)
 そうしたら、子供の頃の話をするのかもしれない。

 何が原因で駄目になったのか。
 そうしたら・・・・・・。

 酷く嫌な感じで、マリューの心臓が高鳴った。

 そうしたら、マリューがムウに持っているマリューだけの特別な優越感は、マリューだけのものではなくなってしまう・・・・・・。

「マリューさん・・・・・どうかした?」
 顔を覗き込まれて、自分が俯いていたことに、マリューは気付いた。咄嗟に笑う。
「ううん。なんでもないわ。」
 自分の声が、酷く遠くで聞こえた。
「そう。あ、帰りにピザでも食べてこうか?」
「う・・・・・ん・・・・・。」
 じゃあ、早速場所を、と不意に手を取られて、マリューは弾かれたようにそれを振りほどいていた。
「え?」
「あ・・・・・・・ご、ごめんなさい・・・・・。」
 ぱっと、手を庇うように後ろに隠し、マリューは泣き笑いのような変な顔を作った。
「あ・・・・うん。こっちこそ、ゴメン・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・。」

 手を繋ぐくらい別にどうってこと無いはずなのに。マリューはぎゅっと唇を噛んだ。でも、一瞬確かに思ったのだ。

 嫌だ、って。

 再びちらと振り返る。簡単に自分以外の女性と腕を組んでいるムウが、もうすぐプラットホームに向かう階段に辿り着きそうだ。
 彼はどんどん先に進みながら、「駅前のお店にしようか?」なんてマリューに向かって言っている。
 どうしたらいい、と足がすくみ、マリューは唇を噛んだ。

(別に・・・・・私とムウはただの幼馴染で・・・・・そうよ!ムウだっていっつもたくさんの人と付き合ってるじゃない!)

 顔を上げる。

(だから・・・・・・私だって・・・・・自由に振舞うべきなのよ!)

「マリュー?」
 呼び捨てられて、マリューは一歩踏み出した。彼に、笑顔を向ける。
「駅前のピザって美味しいの?」
 にこっと笑うマリューに、彼が目を細める。可愛いなぁ、なんて思いながら彼は頷いた。
「ああ。引っ越してきてからさ、友達と何回か行ったけど、結構お薦め。」
「そう。」
 弾んだ声。それから、マリューはもう一歩踏み出した。彼の隣に立つ為に



・・・・・・ではなく。




「じゃあ、お友達を誘っていってね?」


 後ろに、踏み出した足を中心に、くるっと回れ右をすると、「ゴメンナサイ、さようなら!」と叫んでマリューは一気に走り出した。

 そうだ。
 そうだよ。
 自由に振舞うべきだ。
 幼馴染だろうがなんだろうが、関係ない。

 待ってたって仕方ないのだ。いつだって向こうはこっちに、幼馴染としか感情を持ってくれなくて、抱きしめたって隣に寝てたってへっちゃらで。「犯される」って叫んでも、「そんな気無い」って無関心で。

(ばかばかばかばか!!!)

 走りながら、マリューは持っていたハンドバックを振り上げた。







 ばっこーん。

 綺麗に決まった、マリューから振り下ろされたハンドバックの一撃に、ムウが唖然とした顔で振り返る。周りに居た人の目が、マリューへと降り注ぎ、隣に居たタリアが口を開ける。
 だが、その人たちが思考を再起動させる前に、マリューは無言でムウの腕を取ると、緩んだタリアの腕から彼を取り返した。
 そのまま、物も言わずに引っ立てる。ぎゅうう、と力の籠る彼女の腕に、ようやくムウが我に帰った時には、タリアが押されるようにして一人、ジェットコースターのプラットホームに立った時だった。
「マ・・・・・・」
「・・・・・・・・・・。」
「マリュー・・・・・さん?」
 酷く困惑したムウの声が耳を打ち、マリューがぎゅっと唇を噛み締めた。
「・・・・・・して。」
「え?」
「どうして・・・・・嫌いなのに、乗ろうとするの?」
「・・・・・・・・・・。」
「嫌いじゃない!トラウマでしょ!?ジェットコースター!」
 足を止め、彼女が振り返った。観覧車の前だ。夕闇が迫ってきて、でも、まだ残る太陽の明かりを受けて、マリューの顔が真っ赤だった。
「・・・・・・・嫌い、だけどさ。」
 ようやくムウが口の中を湿らせて、酷くゆっくりと告げた。
「好きなんだろ?」
 あれ。

 後ろを指差す。甲高い悲鳴が聞こえてきた。轟音とともに走るそれを見上げていると、ムウが決まり悪そうに告げた。

「乗りたいのに・・・・・乗れないの、かわいそうだろ?」
「・・・・・・・・・・・。」
 そっぽを向くムウが見え、マリューは呆気に取られた。
「そのために・・・・・・並んだんですか?」
「まずは弱点を克服しろって、グラディスがだな」
「まずは?」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
 険しい顔をするマリューに、ムウはうろ、と視線を泳がせた。
「まずはって・・・・・・それから何をする気だったの?タリアさんに告白!?それとも、遊園地に女の人を誘って、カッコ悪いところ見せられないから、ってそういうことですか!?」
「違う!」
「じゃあ、なんですか!?」
「確かに、カッコ悪いところ見せたくないから、克服しようと思ったけど」
「そうじゃないんですか!」
「そうじゃないんだよ!俺は、マリューがっ」

 マリューが・・・・・・・・・。

 ああもう。全部捨てよう。
 気安い関係も、子供の頃からを理由に彼女に付きまとうのも。

 そんな甘くて曖昧な関係、勿体無くて惜しいけど、捨てるしかない。

 そう腹を括ると、妙にやけっぱちになる。

(くそー、最後に良い思いだけさせてもらうかんなっ!!!!)


 これでマリューに触れられるのも最後だとおもうと、どうでも良くなり、彼はあっさりマリューを抱き寄せると、きょとんと見上げてくる彼女の唇を、自分の唇で塞いだ。


(へ・・・・・・・。)
 何が起きてるのかわからない。数秒間、固まり、ゆっくり瞬きをして、初めてマリューは事態に気付いた。
(こ、これって・・・・・も、もしかしなくても・・・・・・)

 キスされてる!?

 瞬間、ぼん、と頭に血が上り、マリューはどうしていいかわからなくなる。視界がぐるぐるするので、慌てて目を閉じ、そうしたら感触がクリアーになって、余計に焦った。

(ど、どどどどうしよう!?息!?息どうやってすればいいの!?ていうか、何すればいいの!?どうしてればいいの!?いやああああああ!!!)

 思わずムウにしがみ付くと、服をつかまれた感触に、そっとムウはちゅっと唇を離した。貪りたくなるのを必死で堪えて、軽くついばむだけのキスに留めたのに、ゆっくり目を開けて見たマリューはパニックのど真ん中で真っ赤になったまま固まっている。
 それに、ムウが思わず吹き出した。
「む、ムウーっ!!!!」

 馬鹿にされた、とぽかぽかムウの胸を叩くマリューを、思わず彼がぎゅっとする。

「な・・・・・い、いきなり・・・・ひ、卑怯・・・・・・。」
「ゴメン・・・・・。」
「なんなんですか、もう!」
「何って、キスしたんだけど。」
 ひゃああああ、と意味不明の悲鳴が彼女から上がり、ムウは腹を抱えて笑い出す。
「ムウ!!!!」
 腕から解放されて、マリューが怒って良いやら膨れて良いやらなんとも言えない顔で彼を見上げた。
「ごめ・・・・悪かった・・・・・・けど・・・・・マリューさん、可愛すぎ・・・・・。」
「な、なんなんですか!?い、いきなり、いきなり、人の・・・・人の、ふぁ・・・・・ふぁーすときす、う、奪って・・・・・で、あ、貴方は大爆笑ですか!?」
 酷すぎる・・・・酷すぎます!!!

 泣きそうな顔で訴えられて、「あーもう、幸せ」と蕩けた笑みを浮かべながら、ムウはくい、と彼女を引き寄せると抱きしめた。
 ぎゅう、とされて、マリューの鼓動が跳ね上がる。
「好きだよ。」
 しっかりと、ムウはマリューに告げた。
「・・・・・・・だ、誰がですか?」
 掠れた声が、マリューから漏れる。くすくす笑いながら、ムウが腕の中にすっぽり納まる、子供の頃からの大事な人の耳元に、唇を寄せた。
「君が。」
「・・・・・・・・・・卵の?」
「馬鹿!」
 真っ赤になっているな、と判っているから、わざとマリューの髪に手をくぐらせてムウは彼女の顔を強引に上げさせた。
 潤んだ褐色の瞳に、ムウの優しい笑みが一杯に広がる。
「マリュー・ラミアスさんが、俺は好きです。ずっとずっとずーっと前から。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
 泣きそうな顔で、マリューが笑った。それから、手を伸ばしてムウにしっかりとしがみ付く。
「私も・・・・・・・・。」
 歪んだ声が、思いを告げる。
「ずっとずっとずーっと貴方が好きでした!」


(2006)

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