Muw&Murrue

 恒星のアナタ
 鳴り響く携帯電話の、無機質な電子音に、ベッドの中で寝返りを打った男は思わず眉を寄せた。
 手を伸ばして、ベッドサイドを彷徨わせると、不意に、反対から伸びてきた白い手に、それを拒まれる。
「誰?」
 暗がりから声がし、横になったムウの背中に、押しつぶされる丸いものの感触がダイレクトに伝わってきた。
「さあ?」
「仕事?」
「さあ?」
「・・・・・・・。」
 隣に寝ていた女が身体を起こすのが見え、ムウより先に鳴り続ける携帯を取った。
「おい。」
「女?」
 ディスプレイに映る名前に、女が睨むように男を見た。暗がりでも、はっきり分かる、彼女から発せられる棘のような雰囲気。
「仕事の仲間だよ。」
 引ったくり、「もしもし。」と電話に出る。

 そんなムウの広い背中を、沈み込むようなシーツの海に座って見詰めていた女は、電話を切った男に仏頂面で詰め寄った。
「本当に仕事なの?」
「ああ。」
 ぽい、とベッドに放る携帯を胡散臭げに見詰めた後、「ねえ。」と女が居丈高にムウを見据えた。
「今の内容、全部話して。」

 束縛されるのはゴメンなんだけどな・・・・。

 本当の内容は、彼女以外の女からのお誘いで。でも、そんなこと微塵も出さずに、丁寧に説明する。
 納得のいかない彼女は、ベッドの上で二人の会話を拝聴している携帯電話を取り上げると、ムウの目の前に突き付けた。
「消して。」
「あ?」
「今の女の電話番号。今すぐここで。」
「おい・・・・仕事だって言ったろ?」
 呆れたように眉を寄せる男を、女は上目遣いに見上げた。
「私のこと、愛してるんなら、消して。」

 軽い舌打ちとともに、ムウは「分かったよ。」と告げると、今さっきかかって来た相手からの電話番号をアドレスから消去した。
 満足気な女を眺めながら、ムウは心の隅で思う。

 ま、アイツと切れたところで、どうってこと、無いしな。



 そんな女との付き合い方が、ムウの中ではずっと基本だった。

 彼女に。

 会うまでは。







「ん?」
 ベッドから抜け出し、水を飲もうとキッチンへとやって来たムウは、白々とした蛍光灯の灯の下に一通の封筒を見つけた。
 白くて少し横に長いそれは、無造作にテーブルの上に置いてある。
(手紙?)
 ひょいっと持ち上げてひっくり返す。
 宛名も何も書かれていない。
「・・・・・・・・・・。」
 ここは彼女の家だから、彼女の物を勝手に触るのは気が引けた。だが、それよりも好奇心の方が勝ってしまい、ムウはちらと彼女の眠る寝室を確認した後、おもむろにその封筒の中を開けて見た。

 そこには、二枚のチケットが入っている。

 紫色から青へと変わる夜空に、銀色の筋が流れる写真がついたそれは。

(プラネタリウム?)

 高台にある天文台が売りにしている、プラネタリウムへの入場チケットだった。

(へー。)
 くすっと笑って、それを元に戻し、ムウは封筒をテーブルの上に置く。日付は明日・・・・というか今日になっている。

 中のチケットは二枚で、時間は二人の勤務が明けた頃。これに彼女は自分を誘うつもりなのだろうと、そう考えてムウはほんのりと胸の中が暖かくなるのを感じた。

 彼女から、デートに誘ってもらった事はほとんど無い。
 今日だって、自分が強引に彼女の家に押しかけたようなものだ。

 乾いた喉に水を流し込んで、ムウは電気を消すと、足音を忍ばせてマリューの隣に滑り込んだ。
 自分の為に開いている空間に入ると、ほんのりと暖かい。手を伸ばしてそおっと自分の恋人を抱き寄せると、小さく息をはいた彼女が、身をよじってぴったりとくっ付いてくる。
 ぎゅ、とシャツを握る手が可愛くて、ムウは額に口付けると目を閉じた。

 明日はデートなんだと、そう思いながら眠りに落ちていくのは、酷く心地よかった。



 のだが。



「・・・・・・・・・・。」
 朝寝してしまい、遅刻ぎりぎりで飛び出した彼女の後を、悠々と追いかけたムウは、出て行く部屋の廊下に、ひらっと一枚落ちていた、夜中に見つけたチケットを再び目にした。
 大慌てで彼女が封筒を掴んだ所為で一枚、落ちてしまったのだろう。
 やれやれと思いながらそれを拾い上げ、びっくりさせるか、意地悪するつもりで、ムウはそれを隠し持って家を出た。自分を誘うマリューを想像すると楽しい。何食わぬ顔で出勤し、夜の予定を考えながら仕事をしていたのだが、しかし、事態は昼休みに急変した。

「へー、でもさ、意外だよなぁ。」
 ラーメンをつつきながら、向かいに座る同僚が頬杖をついたまま、去っていった女子社員に目をやる。
 まだからかわれているマリューを横目に、溜息をついた。

 先ほど、開発部の女子社員数名が、ムウと彼を合コンに誘いに来たのだ。もちろん、ムウは行く気など無かったし、誘いに来た数名の中に居たマリューも、行く気は無かったはずである。
 それをムウは確かに理解していた。
 いたが。
「ラミアスさんに、そんなラブラブな彼氏が居るなんてさ。
 告げられて、ぴく、とムウのスプーンを持つ手が震える。
「そうだな。」
「しかも南の島!?はー・・・・・遠距離恋愛ってやつかねぇ・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」

 合コンに誘いに来た女の子たちが、「マリューも行くでしょ?」と話を彼女に振った時に、一人が「マリューには彼氏がいるのよね?」といきなり話し出したのだ。
 内心ひやっとしたが、話を聞いていくうちに、それがマリューの作り上げたでっち上げの話で、自分との関係をカモフラージュするための設定である、ということが分かった。

 分かったが。

(何も南の島に居る彼氏、なんて設定にしなくてもいいだろうが。)
 しかも、写真まで見せたというではないか。

(そんな相談、俺には一言もなしに。口裏合わせるのなら、先に俺に『こういうことにしておきますから。』くらい言うのが当たり前だろ?)

 棘のような物が、ちくちくと自分の胸を刺す。苛立たしげにスプーンでカレーをすくって口に放り込むと、もう一度ちらっとマリューの方を見た。
 冷やかされた事がよほど気に触ったのだろう。そっぽを向くマリューを、同僚が宥めている。
「なんか・・・・・ラブラブなんだな。」
「あ?」
 同じように彼女の様子を見ていた同僚が、何を勘違いしたのかしみじみと呟く。
「彼女・・・・・あんなに必死になってさ。よっぽど惚れてるんだろうねぇ。」
 悟ったように言われて、ムウは益々面白くない。
「そうか?詮索して欲しくないって感じだよな。」
「それが、こう・・・・・彼女の本気を伺わせるって言うかさ。だいたい、あんな雰囲気のマリューさん見たこと無いし、俺。」
 うんうん頷く男を、呆れたように見て、それからムウは自分の食べている昼食に目をやった。

 もしも。
 もしも、マリューの恋人が俺で、俺の写真を見せていたのだとしたら、彼女は自分が居ないところで、自分の事をどんな風に話すのだろう?

 彼女が、自分について、何をどう惚気るのか。

 そう考えた時、彼女が自分に対してどう思っているのかが直ぐに出てこなくて、ムウはどきりとする。
 急に彼女が遠のくのを感じた。

「で、今日お前、来るんだろ?」
 マリューさんは諦めますか、と気持ちを切り替えて昼食を食べ始める同僚の言葉に、ムウは上の空で応える。

 ひょっとしたら、彼女が自分をデートに誘う事があまり無いのは、自分が思うほど、マリューに愛されては居ないからなのでは?
 普通、愛している男以外の話を、あんな風に具体的に話せるものだろうか。
 写真とか、南の島とか、そういうものを持ち出して。

「おい、フラガ?」

 本当は彼女が愛する恋人が南の島に居て、自分との事はただの遊びのことのように、マリューが思っているのだとしても、不思議ではない。

 だって。

 彼女の気持ちを、自分は良く知らないから。

 そう考えて、思いもよらず痛んだ胸に内心驚く。そんなムウの様子を不審気に見守る同僚をあしらって、彼は立ち上がった。
「・・・・・ごちそーさん。先、戻るぞ。」
「え?ああ・・・・・。」

 見えない気持ち。見えない心。

 相手が自分の事を、どれくらい愛しているのか見えれば良いのにと、ムウは痛切に思う。

(んなこと、思った事も無かったんだけどな・・・・・・。)

 本当はそれほど愛されていないのではないだろうか。自分が思うほど深く。
 写真の彼を、実は本当に愛しているのではないのだろうか・・・・。

(って、そこまで考えるなんて、病気か、俺は。)
 情けないと思いつつ、プレートを返したムウは湧き上がってくる奇妙に苦いものを飲み下すように、側にあった給水器から水を汲んで喉に流し込むのだった。



 勝手に自分の恋人像を作り上げたマリューが気に入らなくて、子供じみた我がままのように、誘われた合コンに行く素振りをしてしまったムウは、その所為で、お昼の後、マリューと接触する機会を潰してしまった。彼女を遠ざけたのは自分なのだから、仕方ない事といえば仕方ないのだが、目が合わないことにすら、苛立つ。
 加えて、彼女が何事も無く、普通に仕事をする姿が、ますますムウの中の不安を掻き立てた。周囲に見せた写真の相手とやらが、嫌でも彼の胸の中に重くのしかかる。

 なのに、自分から彼女との繋がりを断ってしまった為、ムウは動けずに居た。

 一体、誰の写真を使用したのだろう。

 イライラとキーボードを叩きながら、頭の隅でマリューのことが気になって仕方ない。そんな思いを払拭するように、彼は立ち上がるとコーヒーを淹れに行った。オフィスの横のほうに普通にコーヒーメーカーが置いてあるのだ。
 ポットから紙コップにそれを移しながら、彼は目だけで仕事をする彼女を見る。
 マリューの席は、彼の立つ位置から近く、背中が良く見えた。
 手を伸ばしそうになるのを堪えて、ムウは彼女を見詰めたまま、ぼんやり考える。

 自分との事は、マリューの中では遊びなのではないかという言葉が、またしても胸に浮かんで来た。

(だから、俺はケツの青いガキかっての。)
 相手の気持ちが知りたくて、右往左往するなんて。
 側にあったゴミ箱に、キレイな弧を描いて紙コップを放ると、ムウは彼女から視線を引き剥がして仕事に戻る。
 だが、いつの間にか、彼女が、どこか不安げな顔で自分を見上げてこないかなと、そんな事ばかり考えてしまい、ちらちらと彼女を気にしているうちに、とうとうその日の業務は終わってしまった。

「・・・・・・・・・・・。」
 マリューはムウのほうを見向きもせずに、自分の机の上の書類を丁寧にまとめている。
「フラガさん、外で待っててくださいね。」
 ぽん、と肩を叩かれて振り返ると、食堂で合コンに誘いに来た女性の一人が、ニッコリ笑うのにぶつかった。
 ひらひらと手を振ってロッカーへと歩いて行く彼女を見送り、ムウは立ち上がる。
 比較的今は忙しくなく、のんびりした空気が流れている。PCの電源を落としてふと、自分の後ろの席の恋人を見れば、ようやっと目が合った。

 彼女がぎゅ、と手を握り締めて、それから「お疲れ様です。」と乾いた声で告げる。

 それが、甘く自分の名前を呼ぶのを、ムウは知っている。

 なのに彼女は、くる、と背中を向け、そそくさとオフィスを出て行ってしまった。

 何かを言うでもなく。
 怒るような素振りも、悲しげな素振りも見せず。

 そんな彼女の、遠くなる背中を見ながら、ふと自分が隠し持っているプラネタリウムのチケットについて思い出した。

 結局、彼女は自分を誘わなかった。

「・・・・・・・・・・・。」
 部屋を出て、廊下を曲がる彼女の姿が、見えなくなるまで見送り、ムウは知らず、自分の金髪に指を絡めると、くしゃりと掻き毟った。

 彼女はどうして、言ってこないのだろう。

 どうして、合コンに出る、何ていう自分を咎めたり、「行かないで。」と告げたりしないのだろう。
 その手には、ムウの事を誘う為の物を持っているのに、どうして・・・・・・?

 自分が過去に付き合った女性は、行動を束縛したがるタイプが多かった。
 デートの日取り。一日の付き合い。他の女に話しかけるだけで、後からメールが来たり、必要以上にべたべたしたり。自分と付き合っている事を、誇らしげに話す女もいれば、連れまわそうとする女も居た。

 夜に電話をしないだけで、次の日不機嫌だった女も居たっけ。

 それらの経験から照らし合わせてみても、マリューの行動が理解出来ない。
 自分に興味が無いから、あんな風に何も言わずに帰ってしまうのだろうか・・・・・・。

 いつも、必要以上に側に置きたがるのは自分だけで、本当はマリューはそれを疎ましく思っているのだとしたら・・・・・・?

(・・・・・・・・おいおい。)

 今までなら。

 今までなら、「ま、別にそれでもいいか。」で切り捨てることがムウには出来た。そんな面倒なことは、すっぱり切ってしまうに越した事は無い。
 むしろ、遊び相手として、何も詮索してこないマリューと付き合うのは、案外楽で良いかもしれない。
 他の女と浮気をしたって、彼女は咎めもせずに、逢いたいときにあって、お互いに身体を重ねる事が出来そうだ。

 だが。

「おい、フラガ、行かないのか?」
 ぼんやりとマリューの消えた廊下を見詰めているムウに、やって来た同僚が声を掛ける。
「ああ。」
 それに、ムウは反射的に答えていた。
「俺、パスな。」




 帰りの電車を、いつもとは違う駅で降りる。駅前のバス停から、やってきたそれに乗り込み、なだらかな坂を上っていく。
 窓際に座り、すっかり真っ暗になってしまった空を眺めながら、ムウは溜息を吐いた。
 膝の上にある鞄の中には、彼女が落としたチケットが一枚、入っている。

 プラネタリウムの鑑賞チケット。

 これを持って誘いたかった相手は、本当に自分なのか。

 それを、ムウはどうしても確かめたかった。
 遅れて会社を出たために、マリューの乗るバスには乗れなかった。先に彼女が到着していると、何故か彼は予感していた。

 窓の外を流れていく、暮れてしまった冬の街。カーブを曲がるたびに、ガードレールの向こうに煌く街のネオンや明かりが、まばらに生えた木々の間に見えて、ムウは暗い硝子の向こうを透かし見ながら眼を細めた。

 あの光の海の中に、彼女は居ない。
 きっと、あの海を見て、寂しげにため息を付いているはずだ。

(って、それ、俺の願望かも・・・・・。)

 そうしていて欲しいと、ムウは柄にも無く思った。

 だって。

(・・・・・・・・・・・・・・・。)

 自分は彼女を妬かせたくて、あんな風に飲み会に参加すると言ったのだから。

 マリューとの事は、遊びになんかしたくない。
 妬かせて、追わせて、啼かせて、すがるように抱きつかせたい。ムウの腕の中だけが安全だと、そんな風に思わせて、支配してしまいたい。

 護りたいし、他の誰にも護らせたくない。


 バスのアナウンスが終点を告げ、顔を上げたムウは、車内にかなりの人が乗っているのに気付いた。
 みな、今夜の上映を見に来たのだろう。
 恋人同士や、親子連れ。友達同士。
(マリュー・・・・・・。)
 こんな人の中で、座り込む彼女を思う。

 もしも、彼女の隣に男が居たら。いや、もしも自分との事を、マリューが遊びだと思っているのだとしたら。

 バスのステップを降りると、薄く雲のかかった、なかなか星の見えない夜空が広がる。それを見上げて、白い吐息を吐きながら、ムウは両手を握り締めた。

(それでも、俺は遊びじゃないんだから・・・・・諦めるなんてできっこねぇよ。)

 ちらと、ムウの視線に飛び込んでくる、地上の星々。
 そこで流れ、一瞬のきらめきを見せる女性達よりも、静かに冷たく光るたった一個が欲しくて、ムウは小走りに天文台へと駆け込んだ。




 人のざわめきが満ちるホールの中で、ムウはゆっくりとチケットの席を目指していく。クリーム色のドームの天井にオレンジ色の光が跳ね返る、不思議な空間。
 彼女を探す胸が、どきどきしているのに、ムウは思わず笑ってしまった。
(俺も、純情なところ残ってたんだ・・・・・。)

 一人の女を捜して、どきどきするなんてな。

 番号はどんどん、自分の持つチケットに近づき、ようやくムウは真ん中辺りにぽつんと座る、栗色の髪の毛を見つけた。
 思わず、足を止める。リクライニングを確かめる彼女の横顔が見えて、何故かムウは安堵した。
 ああ、彼女を視界に捕らえただけで安心するなんて、俺も末期かな・・・・・。

 それでも、悪い気はしない。

 ゆっくりと歩を運び、ムウは彼女の隣の席へと辿り着いた。番号は、自分が持っている物と同じ。
 気付かない彼女に、ムウはそっと声を掛けた。

「ここ、」


 君の、隣。


「空いてます?」


 振り返った彼女が、あまりにも無防備だったから、ムウは、何かを言いかけた彼女の唇を、素早く盗んだ。



「間に合ったか。」
 触れた彼女の感触を思い出し、思わずムウは安堵する。いつものマリューの口付けに、一人満足して椅子を倒すと、唖然としてムウを見詰めていたマリューが、小さく声を漏らした。
「な・・・・・・・。」
 そのまま言葉が続かない。本当に驚いている彼女に、ムウは内心、自分以外の男をここに誘っていたのかと、すばやく周囲に目をやるが、自分とは反対側のマリューの隣には、妙齢のご婦人が座っているだけだった。
 若い男はこの辺には居なさそうなのを見て、ムウは小声で言った。
「マリューったら、誘ってくれないんだもんな。」
「え・・・・・・・・。」
 それに、彼女が虚を突かれたような顔をする。そんな彼女の手を、愛しそうに掴むと、ムウがひっぱった。
 彼女の椅子のリクライニングが倒れ、マリューが横になる。その彼女に、ムウは人の悪い笑みを浮かべて見せた。
「いつ言ってくれるのか、ずっと楽しみにしてたのにさ、俺。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「マリューさんから、デートに誘われた事なんか無いから。」
「・・・・・・・・・・知ってたの?」
 掠れた彼女の声に、ムウは小さく笑う。
「ん。偶然ね。朝出るとき、廊下に一枚、落ちてたから。」

 日付、今夜だし。きっとマリューさん、俺のこと誘ってくれるんだろうなぁ、なんて。

「なのに、合コンだぁ?」
 いくらかの非難と、それから全然嫉妬するような素振りを見せなかった彼女の反応を、今こそ探るように告げると、途端、眉を寄せた彼女の顔にぶつかった。
「・・・・・・・い、行ったの、貴方じゃない!」
 微かに慌てた彼女の声に気を良くして、畳み掛ける。
「・・・・・・・俺じゃなくて日焼けした彼氏誘うのかと思ったからさ。」
 途端、彼女の顔色が変わる。
「あ、あれは・・・・・・。」

 その時、開演のブザーが鳴り、ホールがゆっくりと暗くなって行く。ざわめきが少しずつ薄れて、マリューが慌てて天井に視線を戻すのを、ムウは見た。

 彼女の瞳に、自分が映っていない。

 視界から締め出されるのが嫌で、思わずムウがぎゅっと彼女の手を握り締めた。

「本当に?」
 椅子に座りなおし、改めて真上のスクリーンを見詰める彼女に、そっと尋ねる。
「本当に・・・・・・俺を誘う気だった?」

 柔らかい彼女の手を、握る手に、情けないけれど力がこもる。彼女に啼いてすがらせてたいと思いながら、自分が彼女にすがっている。
 数秒の沈黙が、ムウには恐ろしく長く、冷たく感じた。

「・・・・・・・・・・当たり前でしょ。」

 彼女の声が、柔らかく耳朶を打つ。

「貴方以外、誰を誘うのよ。」

 望んだ答え。

「そ。」

 嬉しくて、その両腕に彼女を抱き締めて、放したくない衝動に駆られるが、ムウはそれを自制し、代わりに彼女の手を強く握り締めた。
 暗くなり、ゆっくりとスクリーンに空が映し出される。視線を天井に戻したムウは、暗がりに感謝したい気分だった。

 今自分は、最高に、情けないくらい幸せな顔をしているはずだから。




 スクリーンに描かれる星空に、今夜見られるという流星群が映る。
 時間を早め、星の奇跡を写す映像の端に、ゆっくりと、尾を引くように移動する星々が見えた。
 流れていく星の説明とともに、冬の星座の説明も始まる。

 孤独に輝く、夜空の星。それをつなげて描く物語。

「古代人ってのは、暇だったのかね。」
「ええ?」
 アナウンスされる神話に耳を傾けながら呟くムウに、マリューが小さく笑うとからかうように告げた。
「そうじゃなくて、ロマンチストなのよ。」
 彼女の柔らかい手が、ムウの手をきゅっと握り返した。
「でも・・・・・・分かる気がするわ。」

 手の届かない夜空の星を、恋焦がれて、そこに神話を描く。

「・・・・・・・・・・・。」
 かすかな彼女の声に混ざった溜息のようなものに、ムウは無言でマリューの手を握り返すのだった。






「付き合ってくれて、ありがとうございました。」
 プラットホームに二人並んで立ち、やってくる電車を待つ。不意にその時に彼女に言われて、まだ繋いだままだった手に、思わず力を込めてしまった。
「だからさ。」
 はう、と真っ白な吐息を吐き出す彼女を、覗き込む。
「俺は別に感謝されるようなこと、してないって。」
「・・・・・・・・・。」
「楽しかったし。」
 ちょっと困ったように笑う彼女がまだ、自分が付き合いでここに来たと思って居るように見えて、ムウは肩をすくめる。
「ったく・・・・・。」
「あ。」
 止める間もなく、ムウがふわりとマリューを抱き寄せた。
「ムウっ!」
 真っ赤になる彼女を腕に閉じ込めて、ムウは周りの好奇の目など気にも留めずに囁く。
「なあ、マリューさんは俺のこと嫌い?」
「・・・・・・・・・・。」
 ふるふると、首を振るのが身体に伝わってくる。顎の下辺りをくすぐる栗色の髪に顔を埋めて、ムウは小さく呟く。
「なら・・・・・好き?」
 ぎゅ、と彼女がムウの背中に回した手に力を込めた。
 微かに頷くのが、分かる。
「愛してる?」
「・・・・・・・・・・・。」
 彼女の頬に、頬を寄せると。
「ええ。」

 本当に小さな声が、そう答え、体を離した彼女が、真っ直ぐにムウを見た。

 冷たい風が吹くホームで、額を付き合わせた相手が、頬を赤らめて笑むのが見えた。

「ならさ。」
 アナウンスが入り、反対側のホームに、電車が滑り込んでくる。小さな旅行鞄やトランクを持った人が乗り込むそれを確認して、ムウがぐい、とマリューの手を引っ張った。
「え!?」
「もうちょっと付き合って。」
「ちょ・・・・・。」

 自動販売機の前を通り抜け、階段を横目に、ムウは足を止めようとする彼女の躊躇いを振り払うように、一気にオレンジ色の電車に滑り込んだ。





 走ること二時間。都心から離れた温泉地の、海を見下ろせる旅館に二人はやってきていた。
「ここからなら、見えそうだよな。」
 眼下の海と、天井の空を見上げ、先ほど説明された冬の星座を追いながら、ムウは嬉しそうに言う。だが、それとは対照的に、ぺったりと畳の上に座り込んだマリューは、俯いてしまっていた。
「あれ?」
 その様子に、ムウはかすかな不安を覚えるが、あえて気付かない振りをして、意地悪く笑って見せた。
「何?不満だった?」
 なんなら、あっちの高台にあるホテルにすればよかったか?
 からかうように言うと、「そうじゃありません!」と間髪いれずに彼女の答えが返ってきた。赤くなって自分を睨む彼女が、今日一日見せなかった、感情豊かな表情をする。それが嬉しくて、ムウは小さく笑うと、睨み上げる彼女の隣に座った。
「流れ星、実際に見たいだろ?」
 顔を覗き込んで言えば、「そうです・・・・けど・・・・。」と切れ切れの返答を得る。
「ここなら街灯も少ないし、いいとおもうんだけど。」
「だからって、いきなりこんな所まで来なくたって!」
 ぶう、と頬を膨らませる彼女が可愛くて、そして、そんな表情を知っているのが自分だけだと思うと、妙に満足してムウは軽く言う。
「二時間でここまで空気が綺麗になるんだから凄いよな。」
 あっさり言ってのける恋人に、マリューが溜息を吐いた。
 呆れるようなその仕草に、ムウは昼間思った事を聞きたくて、さり気なくいう。
「だってさ。俺、日焼けしたマリューの恋人に負けたく無いし。」
「ムウ!」
 途端、彼女が声を荒げ、振り返った彼は、真剣に彼女を見据えた。
「写真。」
 ぎく、と彼女の身体が強張る。
「見せたんだってな。」
「・・・・・・・・・ええ。」
 ちくちくする棘を気にしないように勤めながら、ムウはそっと続けた。
「何者?」
 息がつまりそうになる。これほど必死に、相手の男について問いただそうと思った事は、彼の人生の中無かった。
 なんて、彼女が答えるのか。
 真っ直ぐに見詰めたまま問えば、きゅ、と膝の上で手を握り締めたマリューが、俯いた。
「知り合いよ。」
「何の?」
「大学の時の先輩で」
 脳内では嫌な想像が展開する。自分の知らない彼女の、自分の知らない人生。時間。恋愛・・・・・・。
「その時の彼氏?」
 気付くとそう訊ねていて、でも、マリューはそれに間髪いれずに答えた。
「違います!」
 本当に?
 彼からの、探るような視線を前に、マリューがぎゅっと唇を噛み締めた。
「色々お世話になった先輩で・・・・・今は結婚なさって、南の島で楽しく暮らしてらっしゃいます。」

 そうか。
 既婚者か。

 いくらかホッとしつつ、でもまだ探るように、なんでそんな奴の写真使うんだよ、と言えば、ムウが思った事を彼女は告げた。
「だって・・・・・・既婚してる人なら、あとから貴方に変な誤解されないとおもったから。」
 そこで言葉を切って、まだ自分を見詰めてくるムウを、マリューは呆れたように微笑んで見上げた。
「けど、無駄だったわね。」
 どんな人でも、貴方、誤解しそう。
 苦笑する彼女に、ムウはあっさり告げる。
「当たり前だろうが。」
 途端、マリューがむっと顔をしかめた。
「・・・・・・そんなに信用無いの?私。」
「そうじゃないさ。」
 胸の奥から湧き上がってくる安堵と、奇妙な思い。その思いに突き動かされるように、ムウは手を伸ばすと彼女を両腕の中に閉じ込めた。
「そうじゃない。ただ・・・・・。」
「うん。」
「君の口から他の男の話題が出るのが我慢出来無い。」

 そうか。

 ふと、そう正面切って告げて、ムウは気付く。
 自分を束縛したかった女性達は皆、こんな気持ちを味わっていたのかもしれないと。
 それだけ自分は、愛されていたのだろうか?

(違う気もするけどな。)

 苦く笑う彼の心中を見透かすように。
「自分の事棚に上げて、よく言えますわね、そんなこと。」

 マリューの苦いセリフがムウを責める。だが、彼は抱きしめたマリューの髪の毛を梳きながら、喉の奥で笑った。
「俺はいいんだよ。」
「身勝手。」
「俺は自分の気持ち、自分で分かってるからさ。」

 それが、相手に届くかどうかはわからない。
 ただ、夜空に輝くきれいな星を、かごに閉じ込めようと躍起になっているだけかもしれない。

 でも、その「気持ち」は本物だと、誰でもない自分が知っている。

 真っ直ぐに、ムウはマリューを見た。

「俺はマリューだけでいい。マリューが一番だからさ。・・・・・でも、君の気持ちは俺には見えないから。」
「・・・・・・・・・。」
 目を丸くする彼女に、ムウは静かに笑った。
「だから、嫌だ。」

 君の口から、別の男の名前が出るのは。

 愛されていないのではないかと、そんな不安が胸を掠めるから。

「すっごい我儘。」
 頬を膨らませて睨むマリューの目は、しかし、どこまでも嬉しそうで、ムウは彼女を柔らかく抱きしめたまま、目を閉じる。
「そ。俺って我儘なの。」



 我がままに、俺は願う。

 君の気持ちが全部手に取るように分かれば良いと。
 でも、それが叶わないから、せめて――――――





 真夜中に、二人は毛布をかぶったまま、窓を開ける。遠くから冬の海の唸りが響いてきて、空は突き抜けるように晴れ渡っていた。
 幸い月は出ていなくて、散らばる星が良く見えた。
 吐く息を白く漂わせて、ムウは彼女を抱きしめたまま空を見上げる。

 紺色のビロードのような空に、淡く光る星がたくさん、散らばっている。
「一人で寂しくないのかね。」
「え?」
 はしゃいだように、いくつも流れる星を見守っていたマリューが、その声に後ろを振り返った。
「いや。隣同士っていったってさ。あの星と星の間には、物凄い長い距離が有るわけだろ?」
 直ぐ横にあるのに、本当は光すらも時間がかかる距離が有る。
「そうかしら。」
 そんなムウの台詞に、マリューが小さく笑うと、毛布の端からそっと手を伸ばした。
「私は、あの星をつかめないけど。」
「・・・・・・・・・。」
「遠いと思った事は無いわ。」
「・・・・・・・・・・。」
 目を丸くするムウに、マリューは綺麗に笑うと、彼に身体を預ける。
「距離なんか無いわ。」

 だって、いつでもそこにあって、いつでも見ることが出来るじゃない。

「どこにいても見えるのよ?ああ、でも南半球と北半球じゃ、夜空が違うか。」
 でもそれでも星は、そこにあるのよね?

 見えなくても、見えても。
 そこにずっと有り続ける。

「もう爆発しちゃって、無い星もあるんだっけ?」
 光の速さの関係で、今見えてるだけってやつ。
 それに、マリューは静かに切り変えす。
「変わらないわ。」
 そっと目を上げて、マリューがムウの事を見た。
「見上げたそこに、それが輝いてある。それが重要なのよ。」


 本当はどうかとか、本当にそこにあるのか、とかなんて見えないし分からない。

 だから、せめて、自分が見てるものは、信じたいの。

「・・・・・・・・・・・・そっか。」
「ムウ?」
 キレイな星を一つ、腕の中に閉じ込めて、ムウは振り返る彼女に口付けた。

 見えない思い。
 見えない気持ち。

 だったら、見えるものを信じて、与えられる物を信じて、愛していけばいい。

「変なムウ。」
 くすくす笑う彼女を、今ムウは見ることも出来れば、触れることも出来るのだから。
「かもな?」



 精一杯自分も、彼女の前では素直でいよう。




 空を見上げる二人の頭上で、変わらないことの象徴のように、冬の星々が静かに、凍りつくように、輝やくのだった。














78379ヒット御礼リクエスト企画作品 version 水無月さま

(2006/04/06)

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