Muw&Murrue

 休暇旅行 02
「ここ・・・・・・・。」
「そ。上がって。」
 自分より少し年上の男が、一体何をすればこんなマンションに住めるのだろう?
 そう思ってしまうような、高級マンションに、マリューは圧倒された。オートロックを解除して、エレベータに乗り込む彼を慌てて追いかける。買い物袋は一向に取り返せずじまいだ。
「あの・・・・・・。」
「ん?」
 音も無く辿り着くのは、十階。そのままフロアーを歩き、一室の前で扉を開ける彼に、マリューは腰が引けていた。
「やっぱり・・・・・・あの・・・・・。」
 こんなマンションに住むような、得たいの知れない人間の部屋に上がるなんて、自殺行為だとそう思う。
 回れ右をして帰ろうとする彼女を、彼は後ろから抱きしめた。
「!!」
 びっくりし、慌てて身をよじって突き飛ばそうとするが。
「!?」
 強引に持ち上げられ、玄関に引きずり込まれる。
「ありゃ。軽いね、君。」
 すとん、と落とされマリューはわなわなと肩を震わせた。
「あ・・・・あ、アナタって人はっ!」
 真っ赤になるマリューに、彼は屈託無く笑い、奥に入りながらさらっと言う。
「あ、心配しなくていいよ。俺、君みたいなのはタイプじゃないから。」
 怒り任せに部屋に上がったマリューは、それに「え?」と顔を上げた。
 その彼女の頭を、くしゃくしゃっと撫でる。
「俺、年上好みだから。」
「そうですか。」
 それでも警戒したまま顔をあげ、マリューも真顔で答える。
「私も・・・・・・・・。」
 そこで言葉に詰まる。探るように顔を見られ、男はああ、と納得した。
「俺?そこの養成所の教官で、ムウ・ラ・フラガ。よろしく。」
 こほん、とマリューは咳払いし、にっこりと笑った。
「私も、フラガ教官みたいな人はタイプじゃありませんから。」
「・・・・・そういう貴女のお名前は?」
 訊ねる彼から買い物袋を引ったくり、「どうもはじめまして、マリュー・ラミアスですッ!」と怒鳴ると、「キッチン、こっちですね?!」とさっさと奥に引っ込んでしまった。
「フラガ教官ねぇ・・・・・・。」
 せめて、フラガさん、とかムウさん、とか呼ばれたかった。
 そう彼は思い、怒り任せに袋から食材を取り出す彼女の背中に笑ってしまう。何だかんだいいながら食事を作ってくれようとしている。
(ちょっとお人好しすぎるよなぁ・・・・・・)
 俺が悪い男だったらどうするんだろう?
「なぁ、」
「はい。」
「俺がもし悪い男だったら、どうする?」
 振り返ったマリューは包丁を持っていた。
「刺します。」
「・・・・・・了解しました。」
 笑顔ですごまれるのがこれほど恐ろしいとは、とムウは初めて知るのだった。



「あの・・・・・教官・・・・。」
「はい?」
「そのように張り付かれてますと、料理しにくいんですが。」
 じろっと睨まれ、「ああ、ごめんごめん。」と口先だけで謝る。分かって無い、と全身で表現するが、ムウは全然頓着しなかった。
「教官ッ!」
「良いだろ、別に。」
 包丁を向けられ、ムウは慌てて後ずさりながら誤魔化す。本当に刺されそうで恐い。
「あんまり、見たこと無いからさ。」
「何がです?」
「女の人が料理してるの。」
 それに、マリューはこれみよがしにため息を付いた。
「料理なさる女性とお付き合いなされたことがないのですか?」
「ん〜・・・・・そういうわけでもないんだけどさ・・・・。」
「?」
「何ていうか、マリューさんの場合、すげー似合ってる、っていうか・・・・。」
「母親みたい、ってことですか?」
「そう、それ。」
 嬉しくない。
 全ッ然嬉しくない。
「あれ、マリューさん?」
 きらっと包丁を煌かせて、彼女は美しく微笑んだ。
「あっちに行っててもらえますか?」
「・・・・・・・はい。」
 と、その瞬間、ムウはぱっとマリューから眼鏡を取った。
「!!」
「あ、やっぱり。度、入ってない。」
「返し」
「その方が料理しやすいでしょ?」
 邪魔そうにしてたし。
 見透かされ、ぎゅっとマリューは唇を噛んだ。
「教官・・・・・・。」
 俯くマリューの肩がわなわなと震えていて、ムウは慌てて奥にすっこんだ。
「まったくっ!」
 邪魔だった眼鏡がなくなっただけで、随分作業がしやすくなった。
(私・・・・・・何やってるんだろ・・・・・。)
 好きでもない、会ったばかりの男の家で料理を作っている。
 その事実に、マリューはがっくりと肩を落とした。



 香ばしい匂いが、キッチンから漏れてくる。リビングで缶ビール片手に、TVを見ていたムウはくすくす笑う。変な一日だと、我ながら思う。今まで確かに、成り行きで女を部屋に上げた事は数え切れないくらい有るが、このケースは初めてだった。
 別にあのまま、スーパーで別れてもよかったのだが。
(・・・・・・・・・・。)
 缶ビールに口を付けたまま、ちらっとキッチンに目を向ける。カウンター越しに、彼女のくくった髪の毛が見えて、何故かムウはどきりとした。
 別にとって食おうという気があるわけでもなく。
 ただ、なんとなく彼女がどういう人物か気になったのだ。
 それに、と奪い取った眼鏡をくるくるとさせながらムウは意外に思う。彼女の素顔が、思っていた以上に可愛らしかったのだ。
 話してみたい、と素直に思う。
 どうして、度の入っていない眼鏡を掛けているのかも、含めて。
 そんなコトをつらつら考えていると、マリューがスリッパをぱたぱたいわせて入ってきた。
「どうぞ。」
 がしょん、とリビングの、足の短いテーブルの上に出来立てのグラタンを置かれ、お〜、と思わず声を上げる。
「あれ、君の分は?」
「持って帰って食べます。」
 さっさと眼鏡をひったくり、鞄を持って出て行こうとする彼女に、ムウが待ったを掛けた。
「冷めちゃうだろ?ここで食べていけばいいじゃないか。」
「帰って温めますから。」
 そりゃないでしょ、とムウが肩をすくめる。
「いいじゃん。ほら、ビールあげるから。」
「・・・・・・・私をなんだと思ってるんですか?」
「何だと思うほど、君を知らない。」
「知らなくて結構です。」
「彼氏に怒られる?」
 それに、マリューは本当にこの人は、とため息をついた。どうして、そういう、無神経な、聞き方が、できるのか。
「居たらここまで付いてきません。」
「ならいいじゃん。お互いフリーなんだし。」
「別にアナタがフリーだからどうこうする気はありません。」
「俺もないよ。ただ、一緒にご飯食べる人が居た方が、楽しいだろ?」
「・・・・・・・・・・。」
 根負けしたマリューは、ほとんど自棄になりながらムウの向かいに自分用のグラタンを持ってくるとすとん、と座った。
「なぁ。」
 と、時計を見たマリューが息を飲み、何かを切り出したムウの言葉を押さえ込んだ。
「リモコン、貸してください!」
「え?」
「きゃ〜、始まっちゃう!」
「はい?」
 差し出したリモコンをひったくり、マリューはチャンネルを変える。日本の時代劇が、画面いっぱいに映った。
「・・・・・・・・・・・。」
 彼女はグラタンを頬張りながら、食い入るように画面を見ている。
「なぁ。」
「なんです?」
「好きなの?これ・・・・・。」
「ええ。八丁堀シリーズ。大好きです。」
「そう・・・・・・・。」
 変な女。
 そう思いながら、ムウはTVとマリューを見比べ笑ってしまうのだった。



「あのさ、」
 すっかり遅くなり、駅まで彼女を送りながら、ムウはさっき八丁堀に打ち負かされたセリフを再び口にする。
「このまま別れたくないんだけど。」
 それに、マリューが眼に見えて距離を取った。
「いや、そういう意味じゃなくて。」
「じゃあ、どういう意味です!?」
「・・・・・・マリューさんさ、アルバイトしない?」
「は?」
 あからさまに嫌そうな顔をされ、ムウはちょっとへこむが、気を取り直す。
「だからさ、俺の夕飯、つくりに来てくれない?」
「はぁ?」
 語尾が強くなっている。ここで負けちゃダメだ、とムウは自分自身に言い聞かせ、なるべく真剣に告げた。
「金曜の夜だけでいいよ。謝礼、弾むしさ。外食ばっかりだと飽きるし、コンビニ弁当はちょっとご遠慮願いたいし。困ってんのよ、実際。」
「・・・・・・・・・。」
「作ってくれる人なら、一杯居るだろ、って顔に書いてある。」
 ぱっと、マリューは頬を押さえた。それに、ムウは吹き出す。
「ちょっと今は、彼女とか欲しくないからさ。君くらい、俺に嫌悪してくれる人の方が頼み易い。」
「そんなに・・・・・・嫌いなわけじゃ・・・・・。」
 もごもごと呟くマリューが、可愛かった。
「どう?ビジネスとして、お願いできませんか?」
 ぎゅうっとマリューは手を握り締めた。確かに、ちょっとお金がきつくて、バイトでもしようかな、と考えていた所だ。それに、金曜の夜だけなら、勉強に支障もないし、作る手間は同じだ。
「じゃあ・・・・・・。」
 ふっかけるつもりで、マリューはお給料を告げると、「それでいいの?」とあっさり返されてしまい、目を丸くする。
「一回の外食代より安いよ。」
 それに、マリューはぽかん、と口をあけてしまった。一体、パイロットの教官とはどれくらい儲けられる仕事なのだろうか。
「んじゃ、決定。」
 来週な。
 そう言って、ムウが手を差し出し、マリューはおずおずと彼の手を握り返した。





 それから、マリューは週末の数時間を、ムウを過ごす生活がスタートした。指定した時間に、献立リクエストのメールが来て、マリューはその為の食材を買いに行き、マンションの前で待つか、もしくは早めに仕事が引けたムウが彼女を迎えに来たりと、傍から見ると恋人同士のようであった。
 だが、実際この三ヶ月間、二人が話すのは、甘い会話なのではなく、もっぱら討論のようだった。
「だからさぁ、この展開はおかしくないか?この醤油問屋、どう見ても善人だろ?」
 今日のおかずは酢豚。器用に箸を使って食べるムウのセリフに、はあっとマリューが溜息を付く。
「だから、何回いえば分かるんですか!草太さんは、お良さんの為に、わざと悪い振りをしてるのよ。それが分からないんですか?」
「男ならかっさらっていけばいいだろ!?そんなしちめんどうなことしなくてもさぁ。」
「身分が違うでしょうが。」
「納得いかない。」
 ぱくぱくとご飯を食べながら、八丁堀の同心で主役の、井出剣次郎にひっくくられる醤油問屋の奉公人に、ムウは眉を寄せる。
「奴は悪く無いのに。」
「それは剣次郎さまも十分理解なさってます。」
 剣次郎ファンのマリューが、うるうるする目頭をハンカチで押さえていた。
「剣次郎さまは、草太さんの漢としての心意気を買ったんです。」
 エンドロールが流れ、切なくてぎゅうっと手を握り締めるマリューに、ムウはじとっと目を細めた。
「マリューはさ、」
「マリューさん、です。」
 なにも、間髪いれずに否定しなくても・・・・・。
「マリューさんはさ、どうなのさ。」
「何がです?」
 立ち上がり、食器を下げはじめる彼女を、もう少し引き止めて置きたくて、ムウは訊ねる。
「身分が違うから、って女に嫌われるように振舞う男、好きになる?」
 しばしの沈黙。彼女は何かを考え込んでいるようだ。
「好き、嫌いでいえば・・・・・・・嫌いなほうでしょうか。」
「ほらな、かっさらって欲しいだろ?」
「その後、どうやって生活するんです?」
 とっととムウの皿を片付ける彼女に、この女は、と彼は舌を巻いた。
「そりゃあ・・・・・でも、愛さえあれば・・・・。」
「フラガ教官って、意外とロマンチストなんですね。」
 ばっさりと切り返された。
 水道の蛇口を捻る音と共に、水音がする。これが終わると、マリューはさっさと帰ってしまうのだ。
(・・・・・・・・・。)
 それを、少し寂しく感じている自分が居て、ムウは息を飲んだ。
 しばらく彼女は要らない。
 そう断言したのはムウ自身で、そういう関係じゃないから、マリューは自分の所に来てくれている。
 でも、少しずつ知っていく『マリュー・ラミアス』という人物に、好意を抱いていく自分も、分かる。
 彼女はけっして我が強く、自分を主張するような人ではないが、ちゃんと人の話を聞いて、自分の意見を言える人物である。大きく言えば、会話がきちんと成立するのだ。
 否定意見も、肯定意見も、ちゃんと筋道を立てて話すコトが出来る。
 それがムウには新鮮だった。
 女人はわがままな方が良い。
 それは、今までのムウの自論だった。
 頼られてるみたいで、嬉しかったし。でも、そればかりだと長続きしないのだ。お金ばっかり掛かるケースも・・・・・まぁ、あった。
 その点彼女は、絶対にそう言ったことは無い。単なる雇用関係にわがままもへったくれもないのだろうが、それでも、ムウの中にある、『女性』という概念を変えるには、充分な存在だった。
 もっとよく知りたいと、そう思う。
 それに、彼女は頭の回転も速いから、話をしていると楽しくなる。
(俺・・・・・マリューのこと、好きなのかな・・・・・。)
 リビングにある、小型の冷蔵庫から缶ビールを取り出し、口にしながらぼんやり思う。抱きしめたら柔らかそうだし、寝心地もよさそうだ。今、彼女は髪を降ろし、すっかり素の自分をムウに晒していた。
 その姿に、改めて、どうして彼女が地味な女性を目指していたのか、ようやく理解した。
 彼女は、スタイルが抜群に良いのだ。
 可愛らしい唇といい、結構大きな胸といい、きゅっと締まった足首といい。
 そのままだと、言い寄る男が掃いて捨てるほど居そうだ。それを彼女は極度に嫌っているのだろう。
(・・・・・・タイプじゃ・・・・無いはずなんだけど・・・・・。)
 今まで付き合った女性の傾向には、間違いなく、マリューは当てはまらない。当てはまらないが。
(ひょっとして、本当の俺の好みって、マリューみたいな女じゃないのか?)
 と思考の迷宮に迷い込む。
 一人、うだうだと考えていると、
「じゃあ、私はこれで。」
 とマリューが持参したエプロンを畳むのに、彼は慌てた。
 タイプ云々はどうだっていい。とにかく自分は今、マリューともうちょっと踏み込んだ関係になりたい。
「あのさ、マリューさん。」
「はい?」
 畳んだ手を止めて、彼女は結構無防備にムウを見た。随分警戒心も緩んだものだ、とこっそり思う。
「来週の土曜日に、うちの施設で航空ショーをやるんだけどさ。見に来ないか?」
「え?」
「俺も飛ぶし。知り合いが来てくれた方が盛り上がるし。」
 どう?
「・・・・・・・・・・・。」
 あ、まずかったかな、とムウは冷や汗をかく。とにかく、他人と距離をとりたく思うのが、マリュー・ラミアスという人物だと、彼は勝手に解釈していた。
 特に。
 自分のように軽い存在には。
「いいですよ。」
「!!」
 驚くムウに、マリューはにっこりと微笑んだ。
「お弁当代、請求しますから。」
 ああもうそういうことなのねどーも。
 がっくりと撃沈するムウに、では来週、とマリューは罪の無い笑顔を見せた。

(2005/01/21)

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