Muw&Murrue

 休暇旅行 01
「これは・・・・・。」
 モニターに映る、大幅な画像の乱れに、トノムラはCICを飛び出した。
「おい!」
 呼びかけられて、パイロット席のノイマンが軽く舌打ちする。
「ああ、分かってる。ハウ二等兵!」
「はい。」
 二人の上官の二つの視線を真正面から受けて、何事か、と目を大きくしたミリアリアが、告げられた内容に大きく頷き、艦内放送をかけた。

『本艦はこれより、磁気嵐の中へと侵入いたします。各クルーは、突発的な衝動に備えるように。繰り返します。本艦はこれより、磁気嵐の中へと侵入いたします。各クルーは突発的な衝動に備えるように。』

 響き渡るミリアリアの声に、廊下を移動していたマリューは目を見開いた。早く、なにか身体を固定できる場所に行かないと、大変な事になる。
 磁気嵐、とはいわゆる宇宙に起こる嵐のようなものだ。計器の一切が不明瞭になり、視界が利かなくなる。下手をすればデブリと衝突し、大惨事となる場合もある。だが、随分と科学が発達した現在、なるたけぎりぎりで回避する事が可能となっていた。
 しかし。
(この状況じゃ・・・・・・。)
 連合にもザフトにもお尋ね者の自分達は、派手な動きはなるべく控えたい所だった。ようやくしつこい追っ手を振り切り、見つけた場所だ。ここを動いてまた、撃たれるか、それとも磁気嵐の餌食になるか。
 二つの道を天秤に掛け、マリューはほうっと溜息を付いた。
(この辺りはそれほどデブリも多くないし・・・・・。)
 目立った障害も無いだろう。動いた所為で派手な戦闘になるよりも、ひっそりと太陽のフレアが原因とされる嵐に耐える方が無難だ。
 ノイマン達艦橋クルーの迅速な判断を、マリューは尊重し、特に意義を唱えるつもりもなく、大急ぎで自室を目指す。
 実際、磁気嵐を享受する、という判断は正しかった。
 最終的に確認したレーダーの範囲には、障害物は無かったし、じっと身を潜めてやり過ごせば、それでよかった。
 よかった・・・・・のだが。
「!?」
 マリューが自室三メーター手前まで来た時、艦全体に衝撃が走った。運悪く、レーダー補足範囲外のデブリが、急速に接近し、艦体に激突したのである。
 幸い、戦艦であり、装甲がしっかりしているせいで、吸収しきれなかった衝撃が、艦全体を振るわせただけで、特に困った問題は起きなかった。
 たった一人。
 衝撃に吹っ飛ばされた、マリュー・ラミアスその人を除いて。



「?」
 今の衝撃を、自分の力でもって逃れたムウ・ラ・フラガはふと、胸の中を嫌な予感が駆け抜けるのを感じた。彼が放送を聞いたのは格納庫。そこから大急ぎで自室に戻った瞬間、強烈な揺れを感じ、慌ててベッドの支柱につかまってやり過ごしたのだが。
(・・・・・マリューは間に合ったかな・・・・・。)
 最愛の人の動向が急に気になったのだ。
 ムウは彼女と一緒には居なかった。現在彼女は休憩中だから、恐らく艦長室にいるのだろう。なら、今の衝撃を、自室でやり過ごした、と考える方が正しい。それに、艦長室には、身体を固定するためのベルトが、確か備えられていたはずだ。
(・・・・・・・・・・・。)
 でも、どうしても気になる。
 ムウは、じわじわと胸を侵食する嫌な感じを払拭しようと、わざと明るく、マリューと楽しく過ごすコトを考えながら、部屋を出て、2ブロック先の艦長室へと向かう。
 だが、その足取りは速く、半分走っているようなものだった。
 勢いよく、廊下の角を曲がり、ムウはそこに、見たくも無いものを見つけ、驚愕に眼を見開いた。
「マリュー・・・・・・・。」
 掠れた自分の声に、彼の意識が一気にクリアーになる。
「マリューッ!!」
 叫んで、彼はまろびながら、艦長室の数歩手前でうつぶせに倒れている彼女の元に駆け寄った。
 触っては、いけない。
 反射的にそう悟り、伸ばしかけた手を引っ込める。頭を打っている場合、下手に動かしてはダメだ。
 屈み込み、床にうつぶせるようにして彼女の顔を覗き込む。顔に掛かる栗色の髪が、彼女の白い頬をより一層際立たせていて、心臓が嫌な音を立てた。みるみるうちに、手のひらに汗を掻く。
 冷たい手が、背後をなで上げ、全身が震えた。
「マリュー!?」
 揺さぶり、揺り起こしたい衝動を堪え、何度も何度もその名を叫ぶ。
 だが、堅く瞑られた目は、開く気配も見せない。
 不安が、ムウの中に澱のように溜まっていき、彼はともすれば崩れ落ちそうな心を叱咤して、艦長室に飛び込んだ。通信パネルを乱暴に叩き、医務室を呼び出す。
 幸い、先ほどの衝撃に散乱した医療器具を片付けていたドクターに、直ぐ繋がった。
「先生!艦長がッ!!」
 手早く、冷静に・・・・そう言い聞かせて現状を説明し、直ぐに来てもらえるよう手配する。そうしながら、彼の心は全部マリューの方に飛び、ふと気付けば、彼はマリューの傍らで、何度も何度も彼女の名前を叫んでいる自分を発見した。
 一体いつ、通信をきったのか、まるで覚えていない。
「マリュー・・・・聞こえるか!?マリュー!!」
 目立った外傷も無い彼女に、ムウの不安は増す一方だ。
「頼むよ・・・・目を・・・・開けてくれ!!」
 マリューッッ!!
 こんなにも、大切な人が傷つくことが、不安で、痛いなんて。
 ムウは押し寄せる喪失の不安を、跳ね返すべく、必死で名前を呼び続けた。








「マリュー!」
 名前を呼ばれて、はっと彼女が目を開ける。飛び込んできたのは、真っ青な空と、その下で笑っている友人の姿だった。
「ああ・・・・・」
 軽く頭を振って、彼女はベンチに沈んでいた身体を起こした。その姿に、友人は呆れたような顔をする。
「まったく。こんな所でうたた寝してると、風邪引くわよ?」
「ん〜、昨日遅くまで論文書いてたから・・・・。」
 ふわぁ〜と欠伸をして背筋を正すマリューに、はあっと友人は溜息を付いた。
「アナタね、せっかくの花の大学生活なんだから、もうちょっと勉学以外に興味を向けたらどうなの?」
 立ち上がり、次の講義に一緒に向かいながら、友人はマリューの全身を見渡して指摘する。
「マリューってば、スタイルいいんだからさ、ジーンズにシャツ、なんて格好じゃなくて、もっとお洒落すればいいじゃない。」
 それに、マリューは「ん〜。」と気の無い返事を返すから、友人は歯がゆくて、彼女にがばっと抱きつき、ふにふにと胸を触ったりする。
「ちょ・・・・ちょっと!!」
「もっと大胆な格好しなさいよ!あ〜、歯がゆいったらないッ!もっときちんとキレイな格好すれば、あんた、絶対もてるわよッ!」
「もてたくて大学に通ってるわけじゃないわよ。」
 彼女から何とか自分の身体を取り返し、つん、とマリューは顎を上げる。そして、持っていた小さな鞄から眼鏡を取り出した。
「ちょっと・・・・・。」
「うん。掛ける事にしたわ。」
 辛うじてフレームは無い、お洒落な感じがする眼鏡ではあるが、掛けてしまうと、マリューの可愛らしい顔が急におばさんっぽくなってしまった。
「ちょっと、あんた・・・・・。」
「何?」
「視力悪かったけ?」
「別に。」
「じゃあ、なんで眼鏡なんか掛けるのよ?!」
 もったいない、と怒る友人に、彼女はにっこりと微笑んだ。
「だって、色々うるさいんですもの。」
 さ、授業授業。
 足取り軽く、教室を目指す彼女に、友人はこっそり溜息を付いた。
 なるほど、男っ気が無いのは、自ら男を寄せ付けないようにしているからなのだ。
「なんでそんなに男嫌いなのかな〜。」
 彼氏のいる友人は、納得がいかない様子でクビを傾げるのだった。
 マリュー自身、男性が嫌いなわけではない。ただ、自分の容姿の所為で、色々と嫌な目に遭ってきた事実がある。全ての男性が、自分を性的な象徴として見ているわけではないと、知ってはいるが、好奇の目で見られる事の方が多いため、彼女はなるたけ派手な化粧もしないし、派手な格好もしないし、地味でダサくて、トロイ感じを目指していた。
 実際、ハイスクールから比べれば、圧倒的に好奇の目で見られる事は減っていた。声を掛けられる事もまず無い。歳よりも幼く見える顔に辟易し、眼鏡を掛けて、髪の毛をひっくくったことで、男性と目が合うことも激減した。
(これで勉強に集中できる。)
 大学院を目指す彼女は、規定の論文を今月中には上げなくてはならない。今年は、ほぼ図書館で過ごす事になりそうだった。
 講義が終わり、生徒達が建物から吐き出される波を、マリューは逆走し、図書館へと向かった。
 広いキャンパスを、彼氏と連れ立った女の子が歩いていくのを横目に、彼女は微笑む。
 ああいう姿を、あまりうらやましいとは思わないが、幸せそうな二人を見ると、ほっと心が和む。
 恋愛経験がゼロというわけでは無いが、マリューはあれ以来彼氏はいいや、という気になっていた。

 あれ以来。
 この大学を受けると宣言したために起きた、大波乱以来。

「っと!」
「きゃあっ!」
 ぼんやりと、『俺と一緒に来てくれ!』と叫んだ彼氏を振り切った日々を思い出していたマリューは、誰かにぶつかって尻餅を付いた。手にしていた本がばさばさと落ちる。
「うわ、ゴメンな。」
 太陽を背にしたその人は、あわててマリューに手を差し出して引き起こした。
「いえ、スイマセン。」
 背の高い、金髪の青年。
「はい。」
 彼は拾い上げた本を、ぽん、とマリューに手渡した。
「ありがとうございます。」
 慌てて頭を下げれば、彼はにっこりと微笑んだ。見惚れてしまうくらい、カッコいい笑み。
(こんな風に笑える人、いるのね。)
 TVか雑誌でした見たことの無い完璧な笑顔に、ビックリし、不躾に顔を眺めていた自分を発見する。マリューは慌てて目をそらし、もう一度頭を下げると、早足にその場を後にした。
「お〜い、フラガ〜。」
 まじまじと顔を見られた青年。ムウ・ラ・フラガも、まじまじと見られた分、彼女の顔をしっかりと眼に焼き付けていた。
 髪の毛を一つで縛り、眼鏡を掛けた、一言で言うなら大人しめな女性。でも、どこかそうでは無いような気が、したのだ。
「どした?」
 駆け寄ってきた友人に、「ああ。」と気の無い返事を返し、ふとその場に落ちている財布に目を止めた。
「これ・・・・・・。」
 多分、彼女が落としたものだろう。
「おい、早く行かないと授業、間に合わないぞ。」
 腕を引っ張られ、ムウは踵を返した。
「何?財布?」
 彼の持つものに友人が興味を示す。その視線からさりげなくそれを隠し、ムウはにやっと笑った。
「そ。もう一度お会いする為のきっかけ、かな?」
 ムウはこの大学に隣接するパイロット養成学校の、指導員兼パイロットである。授業の前には、よくこちらの大学の食堂を利用させてもらっていた。キャンパスは物凄く広く、地域の人からは公園のかわりとして愛されている。ナンパを兼ねて草むらにねっころがっているコトも多い彼は、校内の様子は大体、把握していた。
 彼女が向かった先には、図書館がある。
(閉まるのが五時だから・・・・・・その時間帯にうろうろしてれば会えるかな?)
 飛行機の騒音がうるさくて、授業にならない、とクレームが多々くるほど近くにあるその飛行場付きの施設は、一応ただっぴろく、なにも無い所に立っている。
 騒音対策が万全な土地に建てたはずなのに、後からやってきた大学からクレームが来るとは、と随分ムウも怒ったものだが、今はほとんど気にしていない。
 むしろ、女性が少ないこの学校の横に、若い女の子が集まるキャンパスがあることが嬉しかったりする。結構重宝させてもらっているし。
 おかしな事件が発生しないのも、不思議といえば不思議なのだが、それはどちらも有名校であり、授業についていくだけで精一杯、という厳しい現実があるからかもしれないな、と彼は思っていた。
 もっとも、裏ではどうなっているのかは知らないし、日和見主義の彼としては知りたくも無い、というのが正直な感想だ。
 訓練生たちのシミュレーションを指導し、特定の状況下での判断を試験し、再びシミュレーションをさせて、やっとムウはその日の授業から解放された。走り込みを開始する生徒たちを横目に、時計を確認すると、五時を十五分ほど回っていた。
「やっべ。」
 もう彼女は出てしまっただろうか?
 慌ててロッカーに駆けつけ、挨拶もそこそこに飛び出す彼に、友人の声が追いすがる。
「お〜い、フラガ〜、飲みに」
「わりぃ、俺パスな!」
 珍しくダッシュで帰るムウに、友人は首を傾げた。



 今日はグラタンにしよう。
 買い物カートを押しながら、マリューは食材を丁寧に選んでいく。一人暮らしの所為で、あまり多く買ってしまうと腐らせてしまう恐れがある。
 だから、なるべく最低限の量で、安く、いいものを、と選ぶくせが付いていた。
 小麦粉と、それから牛乳をカートに入れ、バターはあるからいい、と冷蔵庫の中を思い出しながら彼女はぐるっとスーパーの中を一周して、レジに並んだ。
 次々と商品がスキャンされていくのを横目に、彼女は鞄に手を突っ込み、財布を捜す。と、しばらくしても手に財布の感触が当たらず、彼女はどきり、とした。
 慌てて中を覗いて、化粧ポーチやら、ファイルやら、資料やらの海の中に財布を捜すが見付からない。
(嘘・・・・どこかに落とした?)
 青ざめる彼女が顔を上げると、店員の笑顔にぶつかり、彼女は困ったように切り出した。
「あの・・・・・・。」
 と、その時。
「はい。」
「え?」
 背後から紙幣を差し出され、マリューは振り返った。
「あ・・・・。」
 そこには、昼間キャンパス内でぶつかった背の高い男が立っていた。てきぱきと、お会計を済ませた店員が差し出すお釣を、マリューに受け取らせ、彼は彼女のカゴをとって、とっととサッカー台まで持っていく。慌てて彼に追いすがり、マリューは困惑したまま尋ねた。
「あの・・・・一体・・・・。」
「ん?ああ・・・・・。」
 人の悪い笑みを浮かべて、彼はマリューに彼女の財布を手渡した。
「これ!」
「そ。ぶつかった時に落としたんだよ。」
「じゃあ!」
 あのお金、と真っ赤になるマリューに彼はにっこり微笑んだ。
「君のお金。」
 なんて男だろう、とマリューは怒りに眉を吊り上げた。
「いやでも、良かったよ。もしや、と思って立ち寄った先に君が居てさ。」
 俺の勘もバカにならないかな?
 にっこり微笑む男に、マリューはぎゅっと両手を握り締めた。
「だからって・・・・・人のお財布は勝手に開けるなと、教わりませんでしたか!?」
 中身の確認を開始するマリューに、彼は肩をすくめた。
「でも、後ろ並んでたし。あそこで一々事情を説明するよりはいいんじゃないの?」
 見れば、どのレジも混みだし、行列が出来ている。
「・・・・・でも、非常識です!」
 特に変わったことも無かった財布を、慌てて鞄に収め、かごに向き直ったところで、マリューははっと気付く。
「あの・・・・でも、拾って届けてくれた事には感謝します。ありがとうございました。」
 ぺこっと頭を下げるマリューに、彼は吹き出した。
「怒ってるのに、感謝するんだ。」
「道理は通すのが常識です。」
 つん、と顎をあげ、彼女はさっさと買ったものを袋に詰めていく。その作業を物珍しげに見ていた男は、興味から訊ねた。
「何作るんだ?」
 本当に、礼儀知らずかも、とマリューは溜息を付きながら、
「グラタンです。」
 と律儀に答えた。
「へぇ。自分で作るんだ。」
「ええ。」
「一人暮らし?」
 二十歳そこそこのほぼ初対面の女性に、いきなりそんなコトを聞くあたり、無神経すぎる。マリューは無言で男を睨み上げ、ぺこり、と頭を下げた。
「ありがとうございました。さようなら。」
 明らかに気分を害している女性を、しかし彼は気にしない。
「変な意味じゃないよ。ただ、俺は君からお礼を貰う道理があると思わないか?」
 それに、マリューは素早く財布の中身を計算し、
「一割、でしたよね?謝礼。」
 事務的に答えると、鞄から件の財布を取り出す。それを、彼は笑って止めた。
「違う違う。」
「何がです?」
「お礼にさ、グラタン、ご馳走してくんない?」
「・・・・・・・・・・・。」
 どうしてそんな話になるのか。一体、この男の頭の中はどうなっているのだろう?
 呆れ返るマリューに、男は更に笑みを深めた。
「別に君の家に上がりこもうってわけじゃないさ。うちに来て作ってくれればいい。」
 一人分も二人分も、作る手間は同じだろ?
 にこにこにこにこ。
 屈託の無い笑顔で言われ、マリューはぐっと言葉に詰まった。
 財布の中身は大した事はない。謝礼を払った方が、よっぽどいい。見ず知らずの男の家に、ほいほい上がりこむほど、彼女だってバカではないのだ。
 それが、正当な要求でも。
 でも、黙り込む彼女に、彼は「んじゃ、決定」と笑うと、さっさと袋をもって店を出てしまう。
「私、その要求を呑んだわけではありません!」
 追いすがり、袋を取り返そうとする彼女を、ひょいっとかわし、夕日の中で、彼は綺麗に笑う。
「でも、否定する気なら、即答してるはずだぜ?」
「そ、それは、」
「こっちこっち。ほら、信号変わっちまう。」
 走る彼を追いかけながら、マリューは周囲に目を配り、密かに脱出ルートを検討するのだった。

(2005/01/21)

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