Muw&Murrue

 溜息の午前0時
 急に授業が休講になり、明日丸一日お休みになったマリューは、敷地を出て考えた。持っていた皮製の桜色の鞄を開けて、お財布を取り出す。中身を確認して、彼女は嬉しそうに笑みを零した。



「ただいま〜。」
 誰も居ない室内に、声が響く。秋の冷たい風に肩を縮めていたマリューは、ほっと暖かいそこで緊張を解いた。
 おしゃれのために巻いていたはずのマフラーを、取るのも惜しいと思いながら外してコートを脱ぐ。持っていたスーパーの袋をテーブルに置いて、彼女は窓の外を見た。
 日の傾いた空は、茜色に燃え上がっている。橙色の空を背景に立つ、『自分のアパート』をしばらく眺めた後、彼女は冷蔵庫を開けて、買ってきたものを詰め始めた。

 夕飯の支度をするには、まだ少し早いだろう。

 彼女は迷う事無く、台所の棚の上からお茶の葉が入った缶を取り出すと、ゆっくりとお茶を淹れた。

 そう。
 ここはマリューのお向かいさんにある、恋人の部屋である。



「フラガー、って何してんだ?」
「んー。」
 さて、帰るか、とPCを閉じてコートに袖を通す同僚に声を掛けられ、机に突っ伏してボールペンを弄んでいたムウは、ひらり、と片手を上げた。
「採点?それともテスト問題でも作ってんのか?」
「どっちもはずれ。」
 手元を覗き込んで、同僚は呆れたように溜息を付いた。
「何を熱心にデスクワークしてるのかと思ったら・・・・・。」
 モニターにはネット画面映り、タウン情報が満載のページが開かれていた。
「オススメの店・・・・・丸秘デートスポット・・・・・おしゃれな夜景をどうぞ、ねえ。」
 謳い文句を読み上げ、横目で見ると、雑誌の海に顔を伏せたムウが乾いた笑い声を上げた。
「どれも似たようなのばっかでさぁ。」
「ま、そんなもんだろ。」
「こう、なんか『これだっ!』っていうデートスポットがさぁ、無いのよ。」

 贅沢な悩みだ。

 先月振られたばかりの同僚は、眉間に皺を寄せた笑顔、という器用なものを披露しつつ、「まあ、頑張れよ。」と適当に答えた。
 背中でも叩いてやろうかと振り上げた手が、何かにぶつかり、見れば今度は女性ファッション誌である。
「・・・・・・・・・・お前でもファッションに興味があるんだ。」
「俺は特にねぇよ。」
 ボールペンで雑誌を持ち上げ、うつぶせたまま横から眺めているムウのやる気の無い返事に、「じゃあ、これは?」と雑誌を頭の上に乗せてやる。それを振り払いもせず、「誕生日だからさぁ。」とくぐもった声が答えた。
「何がいま、流行ってんのかなぁ、と思って。」
「マリューさんにか?」
「そー。」
 けどさあ、とムウは頭から雑誌を引き摺り下ろすと、身体を起こして溜息を付いた。
「服は好みがあるだろ?だから指輪とかさ、化粧品とか、色々探してみるんだけどさ。」
「安月給じゃ、ブランド物は買えないよなぁ。」
「そうそう・・・・・って、おい!」
 一応乗りツッコミをしてから、ムウはがしがしと頭を掻いた。
「そういうんじゃなくて・・・・・なんかこう・・・・・・。」
「オーダーで指輪でも作ってもらえばいいだろうが。」
「アホ!っていうか、それはもう上げちまったし・・・・・。」
「じゃあ、これは?好きな香りを調合するバスオイルとか。」
「俺、嫌いだもん。」
「・・・・・・・・・・。」

 何でお前に関係があるんだよ、という突っ込みを同僚は飲み込んだ。
 理由を考えると腹が立つ。

「じゃあ、家具類はどうだ?」
「いまいち。」
 とうとう、同僚は手を挙げ、背中を向けた。これ以上のコイツの贅沢な悩みに付き合ってやる言われは無い。
「ま、精々考えるこったな。」
 つかさ。
 ふと思い当たり、同僚はくるっとムウを振り返った。
「お前、そんなに女に対してマメだったか?」
 雑誌を片付け、パソコンの電源を切っていたムウは、その一言にえ?と目を見張った。

 これだけ彼女の「誕生日」を意識した事はあまりなかった。

「無いな、多分。」
「多分じゃなくて絶対だろ?」
 むっとして睨めば、同僚がムウの肩に腕を回してきた。
「そーだよ、そーだよ、フラガ君。女なんてさ、ほっときゃいいって。」
「・・・・・・・・。」
「大体こんだけ頭悩ましたってさ、いつかは別れるかもしれないんだぜ?」
 だったら適当でいいじゃん。

 世の女性が聞いたら怒り心頭の台詞をはく、振られたばかりでやさぐれている同僚に、ムウは呆れたように言う。
「適当って・・・・・。」
「お前、そうしてただろ?」
 ずっと。
「・・・・・・・・・・・・。」
「ならいいじゃん。」
 よし、わずらわしい事は忘れて、飲みに行こう!

 わずらわしい・・・・・・・んだよな、多分。

 さっさとコートを渡されて、机の上に詰まれた雑誌類を見ながら、ムウはふと思う。確かに、ムウにしてみれば、こんな事はしなくてもいい部類の努力だった。
 大体マリューも、そんなに気を使われたら引くかもしれないし・・・・・・。

 強引に連れ出されながら、ムウは「付き合い」ってそんなもんかな、と思い返すのだった。





「よしっと。」
 お鍋の火を弱火にして、マリューはリビングを振り返った。テレビからは午後七時の時報が流れてきている。
 今日は、この秋一番の冷え込み、ということで、マリューはシチューを作っていた。
 ホワイトソースも上手く出来たし、ジャガイモなんかほくほくだ。サラダボールにトマトと生ハムのサラダを用意し、マリューはいそいそと夕飯の準備をしていく。
 仕事が引けるのが六時だとして、そろそろ帰ってくるかも・・・・・。

 びっくりするかなぁ、とマリューは小さく笑った。

 今日、二人は特に約束をしてはいなかった。一応お向かいに住んでいるということで、同棲にまでいたってはいないし、相変わらず週末を一緒に過ごす生活で定着してしまっていた。
 金曜日にどちらかの家に行って、月曜日に一緒に家を出る。それから残りの曜日は特別約束をしない限り会わないことが多かった。
 変な付き合い方、かもしれないが、マリューはこれはこれで気に入っていた。

 自分のしたいことも出来るし、何より、週末に会えると思うと一週間に張りが出た。

 だから、今日も本当はそのまま家に帰っるのが正しかったのだ。
 でも、急にマリューの胸にイタヅラ心がむくむくと湧きあがったのだ。

 明日はお休みだし、このまま、普通の日に泊まってみたら、ムウがどんな顔をするのか。
 いや、それよりも、帰ってきて「お帰りなさいvvあなたvv」とか言われたら、どんな顔をするのだろうか。

(吃驚するかしら??)

 クッションを抱きしめて、ふにゃっと笑う。新妻宜しく夫の帰りをまつ気分を味わってみると、なかなか楽しい。
 今帰ってくるのかしら?
 それとも、もっと後?
 電話くらいくれたらいいのに。

 くすくす笑いながらそんな事を思い、マリューは付けっぱなしのテレビを眺めるのだった。



 そう。

 ムウが同僚に拉致られて、居酒屋なんぞに連れ込まれているのも知らずに。




「で、お前、マリューさんと結婚する気なのか?」
「あ?」
 賑わうテーブルの一つに腰を落ち着けて、ビールのグラスを煽っていたムウは八時を過ぎた時計を眺めていた視線を同僚に落とした。
「け っ こ ん だよ。」
「・・・・・・・・・・・。」
 どうだろう。
 マリューと俺が結婚?

 いままであまり考えて事が無かった。不意に黙り込むムウを相手に、同僚が「やれやれ」と溜息をつき、ばしばしとムウの肩を叩く。
「痛いよ。」
「即答しないってことはだ。お前、別にマリューさんとそうなるのは想定してないってことか?」
「いや。そういうわけじゃないけどさ。」

 マリューと一緒に毎日を過ごしたら、それはそれできっと楽しいと思う。
 一緒に居て欲しいとそうも思うし。

「じゃあ、なんだよ。」
「俺はともかくとしてだ。マリューがどう思うのかがちょっとな。」

 ああ見えても、マリューはくじら石なんぞを発見した才媛だ。今でも結構忙しそうにしているし、金曜日にはご飯をつくりに来てくれるが、その他の週末以外に彼女が自分を誘う事はまずない。
 もう少し、一緒に居たいし、本当は同棲とかもしてみたい。
 だが、それがマリューの負担になりそうで、ムウは言えずにいるというのが、正直な話だった。
 それに、同僚は物凄く驚いた顔をした。
「な・・・・・・お、お前から彼女を気遣うセリフが出てくるとは思わなかった!」
「一体お前の中で俺は、どんな奴に設定されてるんだよ。」
 呆れて言い返すと、「だって、ねぇ。」とにやにや笑いを返される。
「フラガさんのお話はよくお耳にしますからねぇ。」
「ほっとけよ。」
 残ったビールを飲み干し、「俺、もう帰るからな。」と立ち上がる。それに同僚は慌てて引きとめに掛かった。
「いいだろ!もう一軒!」
「放せよ、バカ。」
「九時からさ、そこのお店で女の子とあう約束なのよ。」
 じゃあ、一人で行けよ、と言うムウに同僚は「2対2が条件なの!」と食い下がった。
 しつこい彼に、永遠と引き止められ、ああもう、それならとムウは極上の笑顔を見せた。
「よーし、わかった。お前、俺の財布決定な。」




 シチューの火はとっくの昔に止まり、マリューは永遠と流れ続けるバラエティー番組を見ながら、小さく「お腹すいた。」とつぶやいた。
 クッションを抱きしめたまま時計を見れば、午後10時半を過ぎようとしていた。
「・・・・・・・・・・。」
 遅いなぁ、と溜息を付く。

 飲みに行ってるのだろうか・・・・・・。

 諦めてご飯を食べようかと、立ち上がりかけ、いや、もうちょっと待とうとマリューは腰を下ろした。
 面白いのだか面白くないのだか判断に困る番組を、マリューは再び眺め始めた。



 自分の腕時計に目をやると、もう11時を過ぎていた。開始から二時間。宴もたけなわな盛り上がりっぷりに、ムウはげんなりする。
 明日もあるのだから、早々に帰りたい。
 というか。
「あ、フラガさん、お酒いります?」
「や、もういいよ。」
 自分の隣に張り付くこの女を何とかしたい。胸も大きいし、スタイルもいいし、顔も可愛いほうに入るが、不思議と何も感じなかった。
 まあ、話していて楽しいが、それだけである。
「なんで?楽しくないですか?」
「まあ、一言で言えば。」
 ばっさり切り捨てられて、女の子の顔と、同僚の顔が引きつった。
「いや、別に君が面白くないとかそういうんじゃなくてさ。もう帰ろうかなと・・・・。」
「お前!場を白けさせるような事を言うな!!」
「そーですよ、フラガさんひどーい!」
「あほか。これ以上ここに居ても俺には特にメリットねえもん。」
 ひどーい、と笑いながらも内心かなりプライドを傷つけられた女が、強引にムウに身体を寄せる。
「頭きた!楽しくて、帰りたくなくさせちゃう。」
 ぶう、と頬っぺたを膨らませ、擦り寄る女に、ムウは「ああもう・・・・。」と内心毒づくのだった。






 玄関が騒がしくて、マリューははっと立ち上がった。見れば時計は午前2時だ。
 だが、もう時間などどうでもよかった。
 帰ってきた、ということで頭が一杯になり、マリューは大急ぎで玄関にすっ飛んで行った。
 丁度鍵が開くところで、玄関の前でマリューはエプロンをしたまま、手をそろえて立つ。
「ああもう、こら、ちゃんと立て!」
 ドアの開いた瞬間、マリューは勢い良く「お帰りなさいvvあなたvv」を言おうとして固まった。

 何故なら、ムウの腕に自分の腕を絡めた女の子がくっ付いていた、からである。

「・・・・・・・・・・・何で?」
 マリューに気付いたムウから出てきたのは、そんな台詞だった。
「え?」
 唖然とその様子を眺めていたマリューは、不意に響いたムウの台詞に、びくり、肩を震わせた。
「や・・・・・・・何で居るの?」
 乾いたムウの声に、マリューは困惑しながらも、そりゃそうだと、あっさりと思う。
「あ・・・・・・・・・。」
 でも、まさかそんな反応を返されるとは思っていなかっただけに、言葉に詰まる。
「明日・・・・お休みだから、その・・・・・・。」
 言葉を捜し、俯くマリューを見て、ムウが溜息を付いた。うんざりしたような、そんな感じのやつだ。
「・・・・・・・・悪いんだけどさ。」
 苦笑し、彼は自分が支えている女にちらっと視線を投げる。
「こういうことだから。」
「・・・・・・・・・え?」
 顔を上げるマリューに、男は素っ気無く言った。
「帰って?」





 え?




 その言葉が、何を指しているのか、マリューには検討も付かなかった。数秒考え込んだ後、慌てて言い返す。
「って、帰ってって・・・・・。」
「ここ俺の家だし。」
 そのまま、「フラガさ〜〜ん」なんて言いながらしなだれかかってくる女を抱き上げる。
 正直、マリューにしてみれば最も見たくない光景だった。
「だって・・・・・・ちょ、ちょっと待ってよ!」
 マリューが声を荒げ、彼女を避けて中に入るムウを追う。
「どういうこと?」
「聞きたいのはこっち。」
 勝手に上がりこんでさ。
 リビングをすたすたと歩き、振り返る彼の瞳は、予想以上に冷たかった。すっと、マリューの血が足元まで急降下する。
「・・・・・・・・そう、だけど。」
 迷惑なら、謝るわ。でも!
 マリューは、震える手でムウの腕をつかんだ。
「これはどういうこと!?この人、何!?」
「マリューには関係ないだろ。」
 そのまま返された言葉の冷たさに、マリューは凍り付いた。
「いいから、もう帰ってくれな。」
 そのまま、投げやりに口付けられ、マリューの方を振り返りもせずに寝室に消える。彼女は、よろけて壁にぶつかった。
 その衝撃で、彼女は我に返った。
「待って!どういうこと!?ねえ!?」
「何?」
 顔だけドアから出したムウが、酷く冷たく哂う。

「俺と彼女がしてるのみたい?」

 痛みに胸が振るえ、涙が溢れる。



 次の瞬間、マリューは思いっきりムウの頬を叩いていた。



「痛っ!?」
 思わずムウが、マリューの手を掴む。
「やだっ!放して!!」
「マリュ」
「放して!!嫌いよ、バカ!大ッ嫌い!!」
「マリュー」
「何よ、何よ、何よ!!!!」
 悲鳴のような声で叫び、暴れる彼女に、埒が明かないと、ムウはマリューを抱きしめた。
「マリュー!!」
「!?」
「泣くなよ、ていうか、なにしてんだよ、おい。」
「な、なに・・・・・って・・・・・。」
 しゃくりあげるマリューは、涙にゆがんだムウを見上げ、そして、彼の青色の瞳が、本当に心配そうに自分を見下ろしているのにぶつかった。
「落ち着け!」
「お、おち・・・ついて・・・・なんか・・・・・。」
「いいから!しっかりしろ!」
「・・・・・・・・っ。」
「何寝ぼけてんだよ、おい!?」
 つか、どんな夢見たらいきなり『殴る』になるかな!!




 え?



 唖然とするマリューの腰に手をまわして、ムウは彼女を『抱き起こ』した。
 ソファーの上に、ムウが斜めに座り、起こしたマリューを抱きしめる。そのまま、あやすようにぽんぽんと背中を叩いてやった。
「ゆめ・・・・・?」
 ひっく、としゃくりあげて、目の縁を真っ赤にしたマリューが、ムウを見上げる。彼はコートを着たまま頷いた。
「お、女!?あの女の人は!?」
「はあ?」
「だって、そこに・・・・・。」
 しん、と静かで冷たいリビングには、ムウ以外誰もいそうに無い。ぽかんとするマリューに、ムウは吹き出した。
「ひっでーかお。」
「だ・・・・・だって。」
 あまりにもリアルで、マリューはムウの肩越しに時計を見た。
 時刻は12時を少しまわったくらいだ。

 たしか、先ほど時計を見たときは2時だった・・・・。

「・・・・・・・・・・。」
「ほら、マリュー。どんな夢見たんだ?」
 くすくす笑い、促すように髪の毛に顔を埋めるムウに、マリューがほーっと長いため息を付いた。

 夢だったんだと、今ようやく安堵が込み上げてくる。

 その弾みでぽろぽろと涙がこぼれた。

「あの・・・・・、あ、貴方が・・・・・。」
「うん。」
「う・・・・わき・・・・相手と・・・・。」
「は?」
「し、寝室に・・・・こも・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・。」
 そっと身体を離すと、なんとかしゃくりあげるのを止めようとするマリューにぶつかった。
「あ〜・・・・・・それってさ、マリューさん。」
 彼女の頬に手を添えて、ムウは苦笑すると「あれじゃないのか?」と付けっぱなしのテレビを指差した。
「え?」
 そこでは、深夜のドラマにありがちな濡れ場が流れている。
「へ?」
 と、画面が切り替わり、夜道をひたすら走る女性が写った。涙を拭いながら、交差点の雑踏の中を駆けていく。
「これ、たしか男がひっでー奴でさ。予告で見たぜ?男が彼女以外の女、連れてくるの。」
 しかも彼女の目の前に。
「・・・・・・・・・・・・。」

 じゃあ、あの光景は・・・・・・。

 呆気に取られるマリューの目に、再び濡れ場が映り、ムウの感心したような声が上がった。
「へ〜、普通のドラマでも深夜枠ならコレくらいやっていいんだ。」
「ムウ!」
 慌てて振り返ると、肩を震わせたムウが、ぎゅうっとマリューを抱きしめる。
「あれより凄い事してるじゃん。」
「もう!止めてくださいっ!!!」
 真っ赤になるマリューの首筋に口付け、ムウはやれやれと溜息を付いた。
「ったく・・・・・テレビなんかつけたまま寝るから、そんな変な夢見るんだぞ?」
 影響受けて。
「・・・・・・・・。」
「それでいきなり目、覚ましたと思ったら、ばちーん、だもんなぁ。」
 頬に残る赤い跡に、マリューはますます赤くなって、ムウの胸に顔を埋める。
「ごめんなさい・・・・・。」
「俺が浮気なんかするわけないだろ?」
 軽く言って、彼女の髪の毛に指を絡めると、ぎゅっとマリューがムウのコートの背中を握り締めた。
「じゃあ。」
「うん。」
「なんで貴方から香水の香りがするの?」
「・・・・・・・・・・。」


 あの女の所為かっ!!!!!


「あ・・・・・いやそれは・・・・・か、勝手に絡まれたんだよ!飲み会の席で!」
 慌てて言う彼に、マリューは胡散臭そうな視線を向けた後、苦笑した。
「って、いいわ。」
「え?」
「今日は・・・・・貴方の事、ぶっちゃったから、それでちゃら。」
 ほっと胸を撫で下ろし、でもそれって結局俺が殴られたことに変わりはないのではと、ムウは思い当たった。
 だが、マリューの甘えるような仕草に、そういう些細な事は忘れることにした。
「そういえばさ。」
 彼女を抱きなおし、首筋に顔を埋めながら、ふと帰ってきて思った事を彼女に告げた。
「どうしたのさ?平日に。」
 部屋に灯がついていて、あわててリビングに駆け込むと、マリューがソファーで寝ていたのだ。
 起こしてその事情を聞こうとして、突然殴られ、そんな基本的な事を聞くのをすっかり忘れていた。
 そんなムウの台詞に、マリューが身体を離す。彼女がエプロンをしている事にムウは気付いた。
「もしかして、夕飯、作ってくれたのか?」
「サラダと、シチューと、ガーリックトースト。」
 白ワインも。
 ぽつりと呟かれた彼女の台詞に、ムウはダイニングテーブルを振り返り、それから済まなさそうに唇を噛んだ。
「待っててくれたのか?」
 こくりと頷き、それから、俯いたまま、マリューは告げる。
「明日、急にお休みになったから・・・・・驚かせようかと。」
「連絡してくれれば良いのに。」
 立ち上がり、鍋の中身をのぞきこんで、ムウが眉を吊り上げる。対してマリューが、頬を膨らませた。
「それじゃあ、驚かせることにはならないでしょ!」
 それに!貴方の――――

 言いかけて、マリューはぴたりと口をつぐんだ。コンロの火をつけたムウは、振り返ると、ソファーに座ってテレビを見詰めるマリューの後姿に、小さく笑う。
 彼女の後ろに立ち、背後から抱きしめた。
「貴方の、何?」
「・・・・・・・・・・。」
「マ〜リュ〜さん?」
 ちゅっと頬に口付けると、くるっと振り返ったマリューが腕を伸ばしてムウに抱きついた。
「貴方の・・・・・・奥さんってこんな気分なのかなって思ったから。」
 その言葉に、ムウの胸が一拍、強くなった。
「なあ、マリュー。」
「何?」
「・・・・・・・・・・・あのさ。」
「うん。」

 彼女には彼女の生活があって、そして自分はそれの重荷になりはしないだろうか。

 数時間前まで考えていた言葉が、脳裏を通り過ぎていくが、それを振り払って、ムウはそっと呟いた。

「一緒に暮らさない?」
「え?」
 びくり、とマリューの身体が強張り、ムウは必死で言葉を捜す。
「俺・・・・・多分マリューのためになら、何でも出来ると思う。」
「ムウ・・・・・・。」

 買ったこと無いファッション誌だって買ったし、美味しいお店も探そうとしたし、デートコースだって考えた。

 ただ、マリューに喜んでもらいたくて。
 そして、それを思うと嬉しかった自分も何故か居たから。

「だからさ・・・・側に、居てくれないか?」
 歯切れの悪い言葉を、マリューはゆっくりと噛み締めた。

 数時間前まで考えていた、自分とムウの付き合い方。
 それはそれで気に入っていたが、でも、こうやって大切な人の帰りを待つのもいいかもしれない。

「・・・・・何にもしなくて良いわ。」
 ゆっくりと、マリューが答えた。
 ぎゅっと抱きしめるムウに、抱擁を返しながら目を閉じる。
「何も。」
「マリュー・・・・・・。」
「ただ、直ぐに帰ってくるのか遅くなるのか、ご飯が要るのか要らないのかだけは、電話して。」
「へ?」


 それって・・・・・・。


「・・・・・・・つまり、一緒に住んでくれるって・・・・・こと?」
「私の方こそ、貴方の迷惑にならない?」
「なるわけないだろ!」
 ぱっと明るく笑うムウに、マリューが本当に嬉しそうな笑顔を返した。それだけで、切り出した甲斐があった。
「じゃあ、明日から一緒だ。」
「明日から!?」
 突然の言葉に驚く彼女の手を引いて、ムウは彼女を立たせた。
「マリュー、休みなんだろ?荷物なら、少しずつもってくればいいし。決定!」
「強引!」
 声を上げて笑う彼女を、きつく抱きしめる。腕に柔らかく、心地良い。
「毎晩。」
「うん?」
 耳元に口を寄せて囁く。
「帰ってきたら、マリューが居るのか・・・・・。」
 本当に嬉しそうなムウに、マリューはイヂワルく切り返した。
「出て行くことが、無い限りね?」
「出てなんか行かせない。」
 そっと口付けようとして、とめられた。
「何?」
「ご飯食べてから。」


 それにムウは微笑むと、二人は遅い夕食を一緒に取るのだった。


 明日から、二人の違う毎日が始まる・・・・・・・。














一周年記念企画作品・パラレル系フラマリュ・休暇旅行編

(2005/12/30)

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