Muw&Murrue

 二ヶ月目の日常
 ムウ・ラ・フラガは衝撃のあまり、その場に凍り付いて動けなかった。
「うわ〜、美人〜。」
 だとか。
「むっちゃくちゃ綺麗・・・・・。」
 だとか。
「どこの女優!?え?違うの?」
 だとか。
 そんな飛び交う台詞に一々反応できないほど、ショックを受けていた。
(ぜ・・・・・全国ネットだよな・・・・・。)
 いや、それどころか、衛星配信を画期的に導入しているために、恐らく全世界ネットである。

 つまり。

「なあ、おい。あれ、マリューさんだよな?」
 ふるふると肩の震えるムウに、同僚は遠慮がちに声を掛けた。
「なんで、六時のニュースに出てるんだ?」
「オレが知るか!!!」
 怒鳴り、彼は大慌てで帰り支度の生徒や教員でごった返すパイロット養成学校のロビーから飛び出した。



 マリュー・ラミアスは一ヶ月半の遺跡発掘調査からようやく家に帰り着き、荷物を放り出して床にごろっと寝そべっていた。
 初の海外遺跡発掘に参加し、見るもの聞くもの真新しくてそれはそれは有意義な時間を過ごす事が出来た。
 それに、新発見までしてきたのだ。
 その情報は連日全世界に報道されて、帰国後、空港でテレビ局から取材攻めにあい、ここに帰り着くまでに物凄い時間を消費してきたのだ。

 慣れない海外での生活と、終わった後の大騒動で、もうへとへと。
 荷解きもせず、寝っころがってしまったが最後、動けなかった。
(ムウには・・・・・明日帰るって言ってたっけ・・・・。)
 新発見の所為で、一日帰国が早まったのだ。
(逢いたい・・・・・・けど・・・・電話・・・・・。)
 とにかくだるい。
 歩いて五分もしないところに彼が住んでいるのだが、今はその気力も無く、放り投げられた携帯に手を伸ばした格好で、彼女は眠りの淵を転がり落ちて行った。



 チャイムを鳴らすが応答が無い。速攻で学校から帰ってきたムウは、先ほどのニュースが帰国した調査団を捕まえた物だと知り、一目散にマリューのアパートへとやってきたのだ。
 しばらく待っても出ないマリューに、夕飯の買い物にでも行ってるのか、それとも打ち上げでもしてるのかと思案した後、とりあえず中で待たせてもらおうと、ムウは持っていた合鍵でドアを開けた。
 中に入ると、半分くらい閉じられたカーテンが目に付いた。
 そのカーテンの下に。
「マリュー!?」
 行き倒れたような彼女が、すやすやと寝息を立てているのである。
「・・・・・・・・・。」
 鳴らしたチャイムの数を思いだし、溜息を付く。そおっと顔を覗き込むと、一ヵ月半ぶりの恋人の柔らかい表情に、どきんと胸がなった。
「マリュー?」
 軽く肩を掴んで揺さぶってみるが、彼女はぴくりともしない。ただすーすーと軽い寝息が答えるだけだ。

 テレビのインタビューに、終始不機嫌な顔で答えるマリュー。だが彼女は空港から出るのを邪魔する報道陣に、最後笑って見せたのだ。
(あの笑顔は反則だろ・・・・・。)
 不機嫌な顔からの一転しての華やかな笑顔。
 それに釘付けになったであろう全世界のヤロウどもを思うと腹が立つ。
(ったく・・・・・。)
 何を無防備に寝てるんだよ、マリューさん?と、半分以上八つ当たり気味にイライラしながら、ムウは彼女を抱き上げると、そっとベッドに寝かせた。

 帰ろうとかと思ったのは一瞬だけ。
 ムウは深く溜息を付くと、彼女の側を離れて冷蔵庫を開けた。



 ソースの焦げるいい匂いがする。
 夢の中でマリューは、目の前にある焼きそばに手を伸ばそうとしていた。紅しょうがが艶やかで、豚肉もいい色に焼けている。

 おいしそう・・・・・。

 箸に手を伸ばして、それを食べようとしたところで。
「マ〜リュ〜さん?」
 ムウに声を掛けられ、ぎゅうううっと頬っぺたを引っ張られてしまった。
「何するんですか!?」

 叫んで、彼女ははっと目を覚ました。

「おはよ。」
「・・・・・・・・ムウ?」
 自分の頬っぺたが微かに痛い。
 という事は、つねられて起こされたということだ。
 すっかり日の暮れた部屋に、いい匂いが立ち込めている。
「あの・・・・・・。」
 寝ぼけている頭では、上手く考えをまとめきれない。うんうん唸るマリューに、ムウは苦く笑った。
「お帰り。」
「え?」
「それと、一ヵ月半ぶり。」
「あ・・・・・・・。」
「会いたかった。」
 がばっと抱きつかれて、マリューはその勢いのまま、再びベッドに押し倒された。
 キスされる、とぎゅっと目を閉じるマリューはしかし、降りてこない感触に、そっと目を開けた。
 ムウが、不機嫌そうな顔で彼女を見下ろしている。
「・・・・・何?」
「ん〜?・・・・べつにぃ。」
 身体をずらして起き上がり、ムウはそこにある小さなテーブルの前に座った。」
「ほら、晩御飯、作ってやったんだから、ありがたく食べる!」
「え・・・・・・ええ。」
 ありがとう。
 ちょっとどぎまぎしながら、彼女は着ていたシャツと、皺になったスカートをちょっと直してすとん、とそこに腰を下ろした。時計は八時を指している。無言でムウがテレビを付けると、いきなりマリューのインタビュー画面が写った。
「なっ!?」
「お〜お〜・・・・・どこもこぞって流しますなぁ・・・・。」
「こ・・・な・・・・!?」
「これ、今日のマリューだろ〜?あ、ホラ『スペシャル番組・新発見クジラ石の謎を解け』だってさ〜。あの歴史の根幹を揺るがすクジラ石とは何かで、もう世界は大騒ぎだぞ〜。すごいな〜マリュ〜。」
 棒読みで言われて、マリューはきゅっと唇を噛んだ。眉を寄せてムウを睨みつける。
「何が言いたいんですか?」
 いただきま〜す、なんて言いながら青海苔を焼きそばに振り掛けるムウは「何がって?」とすっとぼける。
「だから・・・・・これは、大学の・・・・。」
「知ってる。」
「じゃあ、何拗ねてるんですか?」
「拗ねてる?オレが?まさか。」
「じゃあ、その態度はなんですか!?」
「いつもの通りだけど。」
「・・・・・・・・・・・。」
 ぐっとムウを睨んだまま、マリューは箸で焼きそばをつまむと、猛然と口に運びだした。
「仕事、だったんです。」
「知ってるって。」
「それで・・・・このインタビューだって・・・・。」
「俺、何も言ってないけど?」
「言ってるじゃないですか!!」
 がしょん、と箸をテーブルにたたきつけて、マリューは頬を膨らませた。
「何が気に入らないんですか!?一ヵ月半も帰ってこなかったこと!?世紀の発見をしてきたこと!?それとも今日帰って来るって連絡しなかった事ですか!?」
 喚くマリューを見たまま、ムウは「全部はずれ」と大人気なく言う。
「じゃあ、なんでそんなに不機嫌なんです!?」
 目の前でムウを睨む彼女とは対照的に、テレビ画面のマリューがそれはそれは美しく微笑むから、ムウは余計に腹が立って、ばん、と箸をテーブルにたたき付けた。
「これ!!」
 画面を指差す。
「こ・・・・これがなんです?」
 困惑するマリューに、これだから、とムウはわざとらしく溜息を付いた。
「全世界ネットに、マリューの顔が流れちゃってるんだぞ!?」
「・・・・・・・・・え?」
「それに、こんな笑顔で!!」
「・・・・・・・・・。」
「あ〜も〜、わっかんねぇかな〜!!それが俺は物凄く嫌なんだよ!!!」
 言い切った彼を、ぽかんと見上げる。そして次の瞬間、マリューは大爆笑してしまった。
「何がおかしいんだ!!」
 あははははははは、と目に涙をためて笑うマリューに、ムウは目を怒らせる。
「だ・・・・だって・・・そんなこと!?」
 くすくす笑うマリューに、口を開き変えたムウだが、言葉を呑んでそっぽを向く。
「マリューは世の男どもを甘く見すぎなんだよ。」
 自棄になりながら焼きそばを口に放り込み、憮然として噛み締める。
「私はただの大学院生で、この調査の研究員よ?」
 そのムウを見たまま、マリューは柔らかく微笑む。
「甘い。」
 それにムウはテレビを指差した。
「この番組、くじら石のことやってるけど、間に入る調査団の映像は全部マリュー中心なんだぜ?」
 よく観てるわね、と彼女は変なところで感心した。
「発掘してる映像も、くじら石の説明の映像も、映るのは全部マリュー。」
 これがどういうことか分かるか?
 それに、再び焼きそばを食べ始めたマリューが「さあ?」と可愛らしく首を傾げた。
「君が、綺麗だからだよ。」
 真っ直ぐ目をみて言われて、マリューは急に真っ赤になった。
 そりゃそうだろう。
 愛してる人に「綺麗だ」なんて真顔で言われたら。
 だが、ムウは自分の発言なんか気にもとめていない。
「いいか?顔だって可愛いし、スタイルなんか抜群だし、おまけに記者団の無礼に猛然と抗議できるかと思えば、礼節をわきまえてインタビューに答えられる。そんな女が、今一番話題になっている『くじら石』を発掘した調査団の一人なんだぞ!?」
 そんな女を世間が放っておくわけないだろ!?
 ぜーぜーと肩で息をしながら一気にまくし立てるムウに、マリューは呆れたように笑った。
「石を発掘されたのは教授ですし、私は研究のお手伝いをしてきただけよ?」
「そ〜ゆ〜ことじゃないんだよ!!」
 立ち上がり、向かいに座るマリューの横に、ムウは移動すると、どっかりと腰をおろした。
「ただのおっさん映すより、美人の方が視聴率が取れるだろうが!?」
「美人って・・・そんなこと無いわよ?」
 間近で、そりゃあ可愛く笑うから、ムウが切れた。
「きゃあああああっ!?」
「馬鹿だろ、マリューはっ!!!」
 そのまま押し倒し、ちゅうちゅうとキスをする。
「や、やめ!!止めてムウ!!」
「あ〜も〜、見ろ、こんなに可愛い唇で、こんなに可愛い目で、こんなに可愛い手で何を言う!?」
 そのままふにふにと胸を触ったりする。
「しかも、こんなにスタイルがいいし!!」
「やめ・・・・あ・・・・・っ・・・んもう!!止めなさい!!」
「大体前は外見物凄く気にしてたくせに、どうして今はそうやって無防備なんだよ、ええええっ!?」
 言われて、マリューは真っ赤な顔でムウを見上げた。
「だ、だって、ムウが・・・・・。」
 張り上げた声は、急激にしぼんでいく。
「俺が何?」
 むっとして睨むと、頬を染めたマリューが俯き加減に囁いた。
「ムウが・・・・かっこいいから・・・・せめて・・・・隣に居ても恥かしくないように綺麗になろうって・・・・。」

 ああ、この女は俺の物だから、貴様ら全員テレビ消せと、全世界ネットで宣言してやりたい。

「ちょっと!?ムウ!?」
 そのままソース味のキスを続行して、ムウはその場で気がすむまでマリューを抱きしめ続けるのだった。



「まったくもう!」
「怒るなよ〜。」
 すっかり拗ねてしまった恋人の代わりに晩御飯の後片付けをしながら、ムウはちろっとマリューを見た。着衣と髪の毛を直した彼女は、ブラウスの中を覗き込んで散っている痕に眉をしかめているようだった。
「痕!!」
「ごめんってば。」
 ぶーっと膨れるマリューに、ムウは適当に謝ると、けどなぁと、再び話を蒸し返した。
「単純に心配なんだよ、俺は。」
「何がです?」
 きゅっと水を止めて手を拭き、湧いてきたお湯でお茶を入れる。その手を止めずにムウは言った。
「マリュー、美人だからさ、きっとこれからニュース番組とか、特番とかに引っ張りだこになると思うんだよ。」
 それに、呆れたような溜息が返って来るが、訊かずにムウは続ける。
「そしたらさ、どっかのプロデューサーとかがさ、マリューのこと見初めてさ、クイズ番組のレギュラー解答者とかにされて。」
「・・・・・・で?」
「そっから今回の発掘の映画を作ることになって、主演女優とかになって。」
「はいはい。それで?」
「そんで、他のヤロウと濡れ場とかやっちゃって!!」
「何の映画よ。」
「して共演の男と、フライデーされたり」
「ム〜〜〜〜〜〜ウ!!!」
 どこまでも果てしなく言い募り、憎悪を込めて布巾を握り締める彼に、マリューは呆れたような視線を向けた。
「あのね、ムウ。」
 立ち上がり、彼女は甘えるように彼の背中に抱きついた。
「出演の依頼なんかまず来ません。」
 それにムウは鼻で笑う。
「もしきても、それは調査団の団長である教授が出ます。」
「ありえないね。」
「ムウ!」
 軽く背中をつねって、マリューは宥めるように言った。
「それに、出てくれって言われても、私は出ません。」
「・・・・・・・・・・。」
 胡散臭げな表情で振り返るムウに、マリューは笑う。
「だから、余計な心配はしないで?」
 ね?
 ちゅっと口付ける彼女に、ムウははあっと溜息を付くと、
「絶対だな?」
 と深い口付けを返した。
「ん・・・・・・。」
「約束、破ったらおしおきな。」
「何?」
「そりゃあ、ねぇ・・・・。」
 にっこり笑う男に、マリューは肩を竦めた。
「いいですわよ?絶対そんなことにはなりませんから。」





 だが、今回ばかりはマリューの読みは甘かったのである。





「特番・・・・ですか?」
 資料を手に、研究室に戻ったマリューは、教授に呼ばれてデスクに向かう。そこで、弱りきったような彼の顔を見て、嫌な予感がした。
「くじら石の事を特集した番組なんだがな〜・・・・・。」
「教授が出られるんですか?」
 なら録画予約しなくちゃ。
 先手を打ってそういうが、だが、教授は更に頭を掻く。
「もちろん、私も出ることになるのだが・・・・その・・・・どうしても君を出してほしいと先方がね。」

 先方?

「テレビ局側からのオファーならお断りします。」
「スポンサーからの依頼だよ。」
「え?」
 ひきいっと顔が強張るマリューに、教授は苦く笑った。
「テレビ局のオーナーがね、君にほれ込んだらしくて。君が番組に出演してくれる事を条件に、今度の調査に資金提供をしようと言ってきてるんだよ。」
「なっ・・・・・・。」

 特に有名な学校、というわけではない。だから、資金を出してくれるスポンサーが無い限り、大掛かりな調査や発掘は出来ないという現状がある。
 何かをするにはまず、お金が必要なのだ。
 一応国からも資金が出てはいるが、一企業が味方についてくれるのは非常にありがたい。

「こ、困ります!」
 ばん、とマリューはデスクに手を突いた。
「そんな・・・・テレビだなんて・・・・。」
「しかしな、このチャンスは逃せないだろ?」
 言いにくい事を頼むように、教授は目を細めた。
「それに、一回だけだという話しだし。」
「・・・・・・・・・。」

 一回だけで、テレビ局がスポンサーに名乗りを上げるなんてあるもんか。

 ぐっと彼女は奥歯を噛み締めた。
「私はただのしがない大学院生で研究員です。それがなんでテレビなんか・・・・。」
「これは我が校の宣伝にもなる。それにな、ラミアス。」
 ひたっと教授はマリューを見た。
「全世界に、くじら石のもつ意味を説く、いいチャンスになると私は思うのだがね。」

 既に決まっている事だからと、そう言外に言われ、マリューは苛立たしそうに唇を噛んだ。


 なら教授お一人で出演されればいいではないですか、と。





「ふ〜〜〜〜〜〜ん。」
 今日はマリューがムウの部屋でご飯を作っている。明後日、テレビの収録があるからご飯は作れない、と申し出たマリューに、ムウはすっかりご機嫌斜めだった。
「約束、初っ端から破ってくれるとは、恐れ入ったよ。」
 いやみも聞き流す。
「だ、だからムウの好きな物作ってるんじゃない。」
 手間が掛かる「生地から手作りアップルパイ」がムウの好物だった。テレビ出演の話を切り出すために、何とか穏便に、とマリューが昨日から準備していたものだった。
 オーブンを覗きながら、欠伸を噛み殺す。これの所為で、急ぎのレポートを徹夜であげるということになったのだ。
「それで機嫌と取ろうったって、そうは行かないからな。」
 不機嫌になると、子供じみてくるムウに、マリューは苦笑する。そっぽを向いてテレビを観ている彼に近づくと、後ろから抱きついた。
「機嫌直してよ〜〜。」
 ムウの頬っぺたに、自分の頬をすりすりさせてみる。
「ね?」
 ちゅっとキスすると、じろっと睨まれた。
「甘えてもダメ。」

 手強いな・・・・・。

 そこで、マリューは正面から彼を説得することにした。
「だって、仕方ないじゃない。金銭面の話をだされたら、お断りする事なんか出来ないでしょ?」
 彼の前に回りこみ、ひたっと目を見る。
「・・・・・・・・・。」
「一回だけ、ってお話ですし。」
「それは無いだろうな。」
 そんなこと、マリューにだって分かっている。分かってはいるが、それを言ったらきりが無いので、わざとに笑って見せた。
「あちらがそうおっしゃってるんですもの。一回で終わらせてもらいます。」
「・・・・・・・・・。」
「ム〜ウ?」
 オーブンから甘いいい匂いがしてきて、「いけない!」とマリューがムウの側を離れてオーブンへとすっ飛んで行った。
「・・・・・・・・・・・。」
 相変わらずの不機嫌面で、ムウはテレビを観た。この箱にマリューが写るのかと思うと、それはそれで嬉しい気もするが、正直、他の誰にも見せたくないというのが彼の感情である。
「やっぱり取りやめらんないのか?」
 イライラしながら振り返ると、よく焼けたパイを手にしたマリューが困ったように笑った。
「わがまま言わないで下さい。」
 そういわれて、目の前に好物を出されて、さらに大好きなマリューに、いつも以上に擦り寄られてしまっては、もう何も言えなくなってしまうのだった。



 こうして、マリューは『一度きり』という条件で、くじら石に関する特番に出たのだが、やはりというか、当然というか、それは『一度』では終わらなかったのである。おりしも番組改変期で、あっちこっちで特番が組まれ、何でも的確に答えられるマリューはあちらこちらに引っ張りだこであった。
 唯一の頼みの綱の教授も、『世間に考古学を広めるチャンスだ』の一点張りで、彼女の出演を拒否しなかった。
 こうして、一ヵ月半もムウにあえなかったのに、更に更に会えない時が続いたのである。



「ありえない・・・・・。」
 ロビーのカレンダーがめくられ、絶望的な眼差しで彼女に触れていない日数を数えて、ムウは嘆息した。最後に彼女の温もりを肌に感じたのは、もうすでに一ヶ月も前である。
 テレビの世界はいまだ、くじら石ブームで、一週間に一回は、どこかの局で特番を組んでいる。それに必ずといっていいほどマリューがひっぱられるので。
「見ろよ、マリューちゃんの特集組まれてるぜ?」

 馴れ馴れしい呼び名で彼女が呼ばれ、ふと手にした何かの雑誌には彼女のインタビューが載っていたりする。
 そんなもんが、あっちこっちに飛び散り、挙句、彼女の写真集が出るのではないかという噂がネットで流れていたりするのだ。

 もちろん、そんな話は断ったと、マリューから聞いてはいるが、だいたいそんな話が出ること事態、ムウとしては気に入らないのだ。
 それに、彼女はいつも電話ばかりで、向かいのアパートにも帰らず、ホテルと学校の往復をしているようだった。
 ようだった、というのも、電話の連絡も途絶えがちの所為でもある。
「・・・・・・・・・・・・・。」
 ここまで来るといい加減、拗ねたくなるというものだ。
 いや、もうすでに最初っから拗ねているのだが。
「可愛いよな〜、マリューちゃん。」
「うんうん、童顔なのにさ、こう身体がきゅっとしてて。」
「出るとこ出てるしさ。」
「一回お相手してもらいた」
 下世話な会話も聞き飽きたが、それでも。
「お〜ま〜え〜ら〜〜〜〜〜っ。」
「げ!?フラガ教官!?」
 輪になって話していた学生の後ろに、それはそれはキレイな笑みを浮かべてムウが立つ。
「明日からのランニング、ここにいる全員10周追加な。」
 え〜、だの、私情を挟まないで下さい、だの、ブーイングの嵐が起きるが、それを一通り聞いた後、ムウは更に爽やかな笑みを浮かべた。
「追加10周」

 計20周。合計40周に、その場に居た全員ががっくりと肩を落とすのだった。



(ああああああ、腹のたつ。)
 論文がある、とかで今日もムウの家に来てはくれないマリューの所為で、食事事情は昔のスタイルに逆戻りしていた。
 それも腹の立つ原因の一つであった。
 最初はレストランとか居酒屋とか食堂。だがそれも飽きて、次はコンビニとかお弁当屋のお弁当とか。それももっと飽きて、終いにはどうでも良くてカップラーメンで済ませるような日々である。

 マリューが居れば・・・・・・。

「フラガさん、お疲れ様です。」
 不意に肩を叩かれ、今日の晩飯をどうしようかと考えていたムウは後ろを振り返った。この春にやって来た新米教官の女性が、にこにこ笑いながら立っていた。
「ああ、お疲れ。」
「最近、随分イライラしてるようですけど、どうかしたんですか?」
 顔を覗き込んでくる、ぱっちりとした目と可愛らしい唇の持ち主の彼女は、生徒からも結構人気がある。パイロットとしてのセンスも、まああるほうだろう。
「別に。」
「あ、わかった。彼女さんと上手く行ってないんですね?」

 女ってのは、どうしてそういう所にだけ敏感なんだか。

「大変そうですよね〜、ラミアスさん。ずっとテレビにでてますもん。」
「ま〜な。」
 なるべくなんでもない様子を装って返事を返すが、口調は不機嫌極まりなかった。
「フラガさんほったらかしてお仕事ですか。」
「そ〜だな。」
「私だったら、そんなことしないのにな!」
 唇を尖らせて見せるが、そんな仕草自体、ムウは見ていなかった。こっそりと、女が眉を寄せる。しばしそうやって思案した後、彼女はおもむろに切り出した。
「あの、よかったらご飯、作りましょうか?」
 学校から出て、これからどうしようかな、と考えていたムウは、「え?」と女のほうを見た。晩夏の夕暮の中で、女が自信たっぷりに笑った。
「これでも自炊してるんですよ?」
「でも・・・・・・・。」
 悪いし、と言おうとして、不意にムウの心の奥底にたまっていたイライラが首を擡げた。

 マリューに、テレビに出ないでくれ、ときちんと言った。
 それがどうして嫌なのかも、ちゃんと説明した。
 でも、彼女はこうしてテレビに出て、あえない日々が募るばかりで、連絡もままならない。

「・・・・・・・・・・。」

 次の瞬間、イライラした、自棄な気持ちが、ムウの口からとんでもない言葉を引きずり出した。

「いいのか?」
 それに、内心ガッツポーズを取った女は「はい!」と勢いよく頷くのだった。




 大急ぎで論文を書き上げ、マリューは時計を見た。時刻は九時半過ぎ。
「・・・・・・・・・・・・。」
 明日は朝から雑誌の取材が入っている。このままホテルでご飯を食べて寝てしまった方がいいことくらい分かっていた。でも。
(・・・・・・・・・・・。)
 もうずっとムウに会っていない。ご飯も作ってあげていないし、そもそも部屋にすら帰っていないのだ。
(どうしよう・・・・一旦帰ろうかな・・・・・。)

 ぐずぐずと悩んでいると、それだけ時が逃げていく。マリューは明日朝早く出てくれば問題ないと、ホテルの部屋を飛び出した。
 タクシーを捕まえて、住所を告げる。ここからだと車で30分はかかる。
(それでも10時だし・・・・明日は土曜日だからムウはお休みだし・・・。)
 ゆっくりできるかな、とマリューは車の中でそわそわしながら、前の方を確認したり、窓の外を流れていく都会の夜景をみたりして到着を待った。
 やがて、閑静な住宅が並ぶ地区に車が突入し、マリューの住まう地区へと差し掛かる。部屋の前で止まったタクシーから大急ぎで降りて、彼女はムウの部屋の窓を見上げた。十時を少しまわっているが、彼の部屋にはちゃんと灯が付いていた。
(何か・・・・作ってあげようかな・・・ああ、でもご飯食べた後かしら・・・・・。)
 スーツにハイヒールという出で立ちで、彼の部屋に向かうと、不意に誰かが出てくるのが見た。彼の住んでいるアパートの住人かな、と目を凝らすと、それはあの、春先に出会ったムウの同僚だった。
「・・・・・・・・・・・・。」
 どきり、と彼女の胸がなる。近づいてくる彼女もマリューに気付いたようで、にこっと笑うと会釈した。
「こんばんわ。」
「あ・・・・こん・・・・ばんわ。」
 すれ違い様にそういい、不意に、彼女はぐっとマリューの肩をつかんだ。
「そうそう、冷蔵庫に余ったプリン、入ってるんで、良かったら召し上がってください。」
「え・・・・・・?」
「フラガ教官って、甘いもの、好きなんですね。」
 いっつもたくさん作るから大変。

 ざあっと全身の血が、足元に落ちるような気がして、くらっとマリューの目がくらむ。正気に戻ったのは彼女がマリューの手を離した瞬間だった。
「それじゃ。」
 くすっと笑うと、彼女はどんどん歩いて行く。ぼんやり彼女の背中を見送った後、マリューは込み上げてくる苦い物を飲み込もうと努力しながら、重い足取りで階段を登り、彼の部屋の前に立った。
 チャイムを押すと。
「なんだ?忘れも・・・・・・・。」
 言いながら扉を開けたムウが、はっと目を見開くのが見えた。

 忘れ物?

 ああ、彼女の・・・・・・・。

 飲み込みきれない真っ黒なものが、胃の腑からから込み上げてくる。

「こんばんわ。」
 それでもマリューは笑顔を作った。
「あ・・・・・・あ。久しぶり。」
 不意にムウも視線を逸らす。

 会えて素直に嬉しいのに、彼女の態度に、何となく腹が立つ。

「・・・・・・ご飯、終わっちゃった?」
 なんでも無い振りをして聞かれ、ムウも笑顔を返す。
「ああ。」
「そう。」

 久しぶりなのに、会話が続かない。

「帰ってきたんだ。今日は。」
 微かに混ざる苛立ちに、マリューはぎゅっと手を握り締める。責められるようないわれは無い。だから、ぐいっと顔を上げた。
「いけない?突然お邪魔しちゃ。」

 全部そっちの都合かよ。

 爆発しそうになる苛立ちを押さえ込みながら、ムウはふっと笑う。
「別に。ただ、俺にも色々都合があるからさ。」

 都合って何?

 先ほどすれ違った女の後ろ姿を思い出して、マリューの握り締めた手が震える。
「ごめんなさい、考えもせずに押しかけたりして。」
「だから構わないっていってるだろ。」
「そう?都合が悪いんでしょ?」
「そういう時もある、ってだけだ。」
「どういうとき?」
 止められなくて、マリューは言い放った。
「オンナノヒトが、料理つくりにきてくれてるとき?」
 とたん、すっと、ムウの表情が落ちる。はは、と乾いた笑いがその場に響いた。
「かもな。」
 冷たい目で見られて、マリューは力いっぱい奥歯を噛み締めた。
 責めるような彼女の瞳に、ムウは苛立つ。責められるようないわれはない。
 だから、言い放つ。

「でも、関係ないだろ?君には。」

 瞬間、振り上げた彼女の手が、ムウの頬を綺麗にはたき、堪えていた涙がぼろっと目尻からこぼれた。

「ええそうよ!私には関係ないわ!!」
 怒鳴ってたっと走り出す。その後姿に、ムウは詰めていた息をゆっくりと吐き出した。ぐしゃっと前髪をかきあげる。


 分かっている。
 彼女が好んでテレビに出ているわけではないことくらい。好んで雑誌の取材を受けているのではないことくらい。

 分かってるけど、でも。

「ああああ、もう!」
 がん、とドアを蹴りつけて、ムウは彼女の後を追いかけた。



 鍵もかけずに、自分の部屋に飛び込むと、マリューはベッドへ一直線に走った。そのままばったりと倒れこむ。
 悔しくて悔しくて、それからわけの分からない痛みが体中を焼いていた。それは力いっぱい枕を殴っても収まりはしない。

 分かっている。
 自分が悪い事くらい。忙しさと、それから発掘した遺跡のことやくじら石のことについて話すだけで楽しくて、ついついムウへの連絡がおろそかになりつつあったこともちゃんと理解している。
 テレビに出るのは嬉しくないが、でも自分の意見を聞かれるのは楽しかった。
 それを発表するのも。

 だけど、そうやっているのを、ムウは黙ってみててくれて、容認してくれると甘えている部分もあった。
 絶対に彼は待っていてくれるという、不確かな確約を、心のどこかで妄信していた。

 そんなこと、あるわけないのに。


 彼は最初に言ったではないか。

 自分がテレビに出るのがどれだけ嫌かと。



 情けなくて、涙が止まらない。
 彼を省みなかった自分に愛想を付かせて、他の女性と付き合ったって、自分がそれを咎める権利何てないのだ。



 それでも。
 それでも、彼を失うのは嫌で嫌でたまらない。
 どうやって許してもらったらいいのだろうと、マリューは涙に曇った頭で考えた。

 と、その時、がたん、と音がして彼女ははっと身体を起こした。
「ムウ!?」
 人が入ってくる気配がする。
 涙で曇った瞳で捉えた人物に、マリューは凍り付いた。

 見知らぬ男が、そこに立っていたのである。



「マリュー?」
 階段を上がり、不意に、彼女の部屋の扉が少し開いて、明かりが漏れているのに、彼は急に不安になった。どくん、と痛く胸が鳴る。
「マリュー!?」
 慌てて中に駆け込むと、見も知らぬ男に圧し掛かられたマリューの、膝が見えた。

 明るい電灯の下で、それは異様な光景だった。

 ムウのなかの理性をぶち切れさせるに十分なくらい。

 刹那、彼は男を殴り飛ばしていた。









 擬似恋愛。

 テレビの向こう側の人に、そっくりそのまま恋をして、付き合っているような気になって。

 彼女の部屋の鍵が開いているのをいい事に、入ってきたその男は、つまりはそういう類の男だった。警察に引き渡し、殴ったことも、彼女を護るために行為だったと認めてもらったムウは、部屋の中央でへたり込むマリューをみて、溜息を付いた。
「立てるか?」

 押し倒されただけで、着衣に乱れはない。

 入ってきた男は、俺と君は恋人同士だろ?とか、一緒に逃げよう、とか意味不明の事を言い、逃げようとする彼女を押し倒した。そこに、間一髪ムウが駆け込んできたというわけだ。

 それでも、見知らぬ男に圧し掛かられた恐怖に、身体が竦んで動けない。そんな彼女を、ムウはひょいっと抱き上げると部屋から連れ出した。

「ここじゃ寝られないだろ?」
 そっと囁くと、何かの温もりを求めるようにマリューの手が彷徨い、ムウの首筋にすがりつくと、ぼろぼろと涙を零す。
「私・・・・・・。」
「うん?」
「ムウの・・・・忠告・・・・・」
「ああ、はいはいもういいから。」
「だって・・・・・怒って・・・・。」
「ないよ。いいから黙って。」
 部屋へと連れ帰り、寝室にあるベッドの上に横にさせる。
「明日の仕事はキャンセルな。」
「・・・・・・・・・・。」
 その隣に滑り込んで、ムウはマリューに口付ける。
「警察にも呼ばれてるし、いいな?」
 念を押すように言われて、彼女はこっくりと頷いた。
「・・・・・・・・ごめんなさい・・・・。」
 それに、ムウはそっと彼女の頬に触れるとこつん、と額を額に押し当てた。
「俺のほうこそ、ゴメンな。」
 ふにゃあっと泣き出すマリューを抱きしめて、ムウはそっと目を閉じるのだった。





 彼女の事件は瞬く間に世間に知れ、マリューはこれを期に、もう絶対テレビには出ません、と教授に強く抗議した。
 最初は渋っていたが、未遂とは言え襲われた事実がマリューにはある。

 こうして、ようやく彼女は騒がしい世界から解放され、晴れて二ヶ月ぶりの日常へと戻る事が出来た。
「流石に、襲われた事実があるから、テレビ局側も出資の件でゴリ押ししたりはしなくなったらしいわよ。」
 嬉しそうに台所に立つマリューを見て、ムウの機嫌も絶好調である。
「そっか。」
 立ち上がり、調理を続けるマリューを後ろから抱きしめる。
「あ〜〜〜、ようやく俺のマリューさんが帰ってきた〜〜〜。」
 その彼をちらっと見上げてマリューが意地悪く笑った。
「こんなこと、あの彼女にしたんじゃないんでしょうね?」
 それに「まさかぁ。」とムウがニッコリと笑った。
 笑顔を返されるとは思わなかっただけに、マリューは怪訝な顔をする。
「何?その笑顔。」
「だって彼女、台所になんか立ってないもの。」
「え?」
 目を丸くするマリューに、笑顔でムウは続ける。
「マリューが使う包丁やら鍋やらを、俺以外の人間が触るの、我慢できないし。」
「・・・・・・・・彼女、あなたに料理つくったんじゃないの?」
 恐る恐る聞くと、更にムウが笑みを深める。
「俺さ、マリューが手料理してくれるようになって、外食とかコンビニとかあんまり美味いとは思わなくなってさ。」
「・・・・・。」
「で、君が留守にしてる間、なんとか自分で作ろうと頑張ったのよ。」
 でも、ここは男の料理である。
「したらさ〜、一人分って案外作るの難しいのな。」
 ついつい造りすぎてしまうのだという。一番酷かったのは、三食カレー地獄に陥った3日間だという。
「それで・・・・・・。」
「ああ。懲りて自分で作るのはマリューが居る時にしようと思ってさ。したら、やっぱり外食もコンビにも飽きて、そこに・・・・・。」
 彼女が来たから、これ幸いと自分の食べたいものばかりを、量の後先を考えずに作ったのである。
「や〜、流石にプリンの作りすぎには参ったよ・・・・・二人掛でも食べ切れなくて・・・・って、マリュー?」

 顔を覗き込めば、唇をへの字にしたマリューが彼を睨んでいた。
 それに、ムウがひるむ。
「な、何?俺、何か悪い事言った?」

 ああもう!どうしてこの人はこう変な人なんだろう!!

「何でもありません!」
 ふいっと彼から視線を逸らすマリューに、ムウは「何だ?」と首を傾げるのだが、次には嬉しそうに微笑んでいるマリューを見て、まあいいか、と背中に抱きついたまま、幸せそうに笑う。


「ていうか重いです。」
「いいじゃん〜、久しぶりなんだからさ?」


 こうやって、二ヶ月目にようやく戻ってきた日常を、二人は堪能するのだった。




















13714(意味無いわよ)ヒット御礼リクエスト企画作品(オノデラさま)

(2005/06/30)

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